2009年1月6日火曜日

奥会津 川の系譜

From 七入オートキャンプ場 0

 七入キャンプ場の側を流れている川を実川(みかわ)ということ以前に書いた、その実川は七入橋を越すと檜枝岐川となるとも書きました。昨日山峡少年記―檜枝岐・尾瀬風土記を読んでいて、実川(みかわ)の名前の由来がわかった。
 なにげなく散歩をしていて、大変なお宝を発見したような気持ちで嬉しいのであります。だからそれを書いて置かなくはいけない。早急に今すぐに書いておかねばならないのであります。

 斉藤弥四郎さんの山峡少年記―檜枝岐・尾瀬風土記「平家落人伝説」によると

中略

「尾瀬大納言藤原頼国を亡くした悲しさをおさえながら、一行が沼山峠を越えて実川まできらった時だ。今度は三河少将光明が疲れで亡くなったと。それで、この辺りを三河(実川)と呼ぶようになり、近くを流れる川も実川と言うようになったと。」

後略

 これは作者斉藤弥四郎さんが小学校の授業の時に先生が話してくれたこととして紹介されています。もちろん尾瀬の名前の由来もこの文から容易に推測されることでありましょう。
 私の立場はなによりも七入オートキャンプ場を優先して大事に扱うというものですから、尾瀬の話はずーっと後回しになるわけであります。

 斉藤弥四郎氏の著作物は檜枝岐村を知ろうとするものにとっては大変貴重なものであります。他におっ!と思った部分は、檜枝岐村には縄文土器が出土するというくだりであります。そうか一番最初に住み着いたのは、平家の落人ではなく縄文人であったのであります。

 ここから先はまったくの私の推測になりますが、都人は檜枝岐に辿り着きそこから先はドンドンと狩猟採取の縄文人化していって生き延びたのかも知れないということなのであります。
 そうしなければ高所寒冷地において作物もロクに育たないところにあっては、そうすることしか生き延びる手だてが無かったものだと思うのであります。
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