2009年8月21日金曜日

農業をやってみよう

 山の次はバランスをとって海へいかなくちゃっていうわけでもなく、たまたま所用ができて外房の大網というところに一晩泊まりで出かけることになった。以前は気楽に年に何度も遊びにいっていたところであるが、ここ1年ほど変なキャンプ場にきっちりとひっかかっていたためにすっかりご無沙汰になっていた。
 明るい太平洋を見るのは先日大洗海岸へいってきたばっかりなのですが、外房はなんといっても砂浜が延々とつづくところなので大洗とはちょっとばかり趣が違う。これはこれで開放感あふれる明るい海なのであります。
 最近、九十九里浜の砂浜で海にに向かって「バカヤロー」って叫んでいたバーロがなんと千葉県知事になったりしまして、いやはやまいったなの状態でありますが、この際この話は横へ置いておきます。しかし、まさかね。ほんとうかね。

 前振りからいきなり、まったく関係のない農業の話になります。というのも秋田県にある農園のサイトをそろそろ本気でつくらなければいけないという必要性に迫られてきたからであります。
 えっ!農業かよっていわれるかも知れませんけど、正真正銘のお百姓さんです。といってもできるかできないか、かなりの不安があるのは確かですから、ここでドーンと表明するのもなんだか恐いのですが、途中で逃げ帰って笑われてしまってもそれはそれで仕方のないことであります。
 お前には意地とか根性はないのかと云われそうですが、「はい、ご指摘の意地とか根性などというものはまったく持ち合わせておりません。ついでに体力も知性のカケラも、そして、農業の経験もまったくありません」と最初に開き直っておいたほうがこのさい無難でしょう。
 だいたい作物って土で育つぐらいはわかっているけど、いつ、なんどき、どんな作物を植えればいいのか、どんな植え方をすればいいのか、肥料はなにをやればいいのかさえまったくわかっていないのですから。そんな具合だから、無農薬・有機栽培ってといわれてもね、見当さえつかないんだから。
 ここでまた開きなおってしまいすけど、あらゆる先入観念がないから却っていいような気もするのです。ひとつひとつ覚えたこと体験したことを正直に書いていけばいいことですからね。

2009年8月20日木曜日

大洗高校マーチングバンド部ブルーホークス 娘の晴れ姿(親ばかの極み)






ラジパルインタビュー 今年もすごいよ!大洗高校マーチングバンド部




有國淨光監督:

「平成20年から全国募集を始め、今年は12名の県外生が入学しました。
 今年は部員が総勢60名です。練習は、朝1時間・放課後3時間半、
 土日祝日は10~11時間練習しています。
 大洗高校のマーチングバンド部はとにかく練習ができて本番も多く、
 いっぱい苦労して、いっぱい楽しい思いもするという部です。
 部活は高校生活の3年間をかける部分が大事だと思います。
 ひたすらに時間を一つの目標にむかって使えるのが部の特徴です。
 生徒たちも、活動を通じ、たくましくなって明るくなって、
 いっぱい話すようになっていきます。」


県教委 教員表彰を新設  初代「達人」に有國教諭 茨城新聞ニュース




大洗高マーチングバンド部監督 
 県教委は、学校や地域の活性化に顕著な功績があった教員を表彰する「マイスター・オブ・ティーチャーズ(教員の達人)」を新設し、第1回の受賞者に県立大洗高マーチングバンド部監督の有國浄光教諭(56)を選出した。表彰式が4日、県庁で行われ、有國教諭に記念の盾が贈られた。
 県教委は2006年度から毎年、顕著な教育効果を挙げた教員5人に「ティーチャー・オブ・ティーチャーズ(教員の中の教員)」を表彰。マイスター・オブ・ティーチャーズは、学習指導や部活動を通じ、全国レベルの活躍や地域貢献を果たした教員が対象で、今後随時表彰する。
 有國教諭は83年から大洗高マーチングバンド部「ブルーホークス」(就任当初は吹奏楽部)を指導。これまでに全国マーチングフェスティバルでの金賞3度を含む、数多くの受賞歴を誇り、全国高校野球選手権茨城大会の開会式など、地域での演奏活動の実績も高く評価された。
 表彰式で、和田芳武県教育委員長は「たぐいまれなる業績に対し、達人の意味合いを込めてマイスターの称号を贈る」とあいさつ。有國教諭は「これまで育ててもらった同僚や地域の人、卒業生たちに心から感謝したい」と謝辞を述べた。


【写真説明】
和田芳武県教育委員長から表彰を受ける「教員の達人」有國浄光教諭(右)=県庁



茨城県立大洗高等学校「普通科音楽コース」受験を希望される中学生の皆さんへ



 大洗高校には「普通科音楽コース」があり,マーチングバンド部の活動とリンクしています。

「マーチングってカッコいい!やってみたい!」と考えている中学生の皆さん!ぜひ大洗高校音楽コースへ入ってみませんか?マーチングをやるためには,音楽コースに入学しなくてはならないわけではありませんが(普通科からも入部できます),専門科目授業(音楽理論,器楽合奏・マーチング実技)もありますので,音楽コースはマーチングをするには最高の環境だと言えます。

 また音楽コースは,全国どこからでも入学可能です!平成20年度の新入生は,7名の県外生(北海道1,栃木県1,神奈川県2,長野県3)を迎えました。大洗町内に男子寮・女子寮を完備しており(3食付き),生徒たちは元気に学校生活を送っています。また寮は茨城県内の通学に不便な生徒も入ることができます。

 百聞は一見にしかず!見学は随時受け付けていますので,興味のある方はぜひ一度見学に来て下さい。



音楽コース 概要


  名 称:茨城県立大洗高等学校 普通科 音楽コース
  所在地:茨城県東茨城郡大洗町大貫町2908
        Tel&Fax 029(267)7350 (音楽コース直通)
  試験科目: 推薦入試 面接
        一般入試 国語,社会,数学,理科,英語
     特別な実技試験等はありません。
  受験資格: 高校入学後,音楽活動(主としてマーチング)をする意志のある者。

  お問い合わせ:質問,見学等は随時受け付けています。下記までお気軽にお問い合わせ下さい。
大洗高校音楽コース 029(267)7350(直通)
       担当: コース主任 有國 淨光

夏休みといえば絵日記だよね

 標題の「夏休みといえば絵日記だよね」はせいぜい小学校での夏休みまでですよね。中学移行は部活をやっていれば夏休みどころの騒ぎではなく、普段よりも厳しく長い練習でクタクタフラフラになっていたような気がします。高校になるとそれに合宿だの遠征などが加わりあっというまの夏休みでありました。
 そののんびりとした小学校での夏休みの宿題には必ずといっていいほど「絵日記」を毎日書くなんてのがあったような気がします。夏休みが始まって最初の3日ぐらいは張り切って宿題とともに絵日記も書いていたような気がします。そしてきまって夏休み3日が過ぎたあたりから最初の固い決意はどこへやらで、いつしか宿題も絵日記も忘れはてまして、日記帳も宿台帳も見事に空白だらけでありまして、残りあと2日なんてことになり、ようやく泣きそうな思いでトッカン工事で仕上げてなんとか間に合わせていたような気がします。そうか、ぎりぎりまで何もしないっていう習慣はこのころすでに身についていたのですね。


 さて本当に贅沢な時間というものを「ちょっと年喰った座敷童」のサトやんに教わりました。サトやんは年に数回神奈川県の厚木からリュックに一切合切詰め込んで電車とバスを利用して、廃屋のような留三郎小屋にやってきていつも1週間ほど滞在します。その滞在期間中はひたすら本を読みます。朝から晩まで本を読み続け、あいた時間に酒を呑み飯をくらう。これだけのことをやるために、一年間働き続けるのだそうです。じつに贅沢な時間を所有する豊かな人生だとほとほと感心してしまう。

そのサトやんが、前回のゴールディンウイークで初めてあった時に、

 「これ、ウスラバカのぽーよ、これよりも贅沢な時間の過ごし方があるんだよ」と焼酎を呑んでいるときにぼそっと私に向かってつぶやいたのです。サトやんいくら泥酔しても声を荒げるということはない。常に冷静にたんたんと話すのであります。

 「え?今何ってた」

 「だから、これ以上に贅沢な時間の過ごし方があるんだって・・・」

 「それは、どんな過ごし方?」

 「それはじゃな、一日中絵を描いて過ごすやり方だよ」


 そうか、それは私も前々からウスウス感じてはいたのです。以前にもこのブログのどこかににも書いたような覚えがありますが、絵を描く時間ってものすごく贅沢な時間の過ごし方だろうと思い、5年ほどまえから、キャンプや旅行にいくときには必ず、スケッチブックと水彩色鉛筆をはじめとした簡単な道具は毎回忘れずに持ち歩いていたのです。しかし、これまで一度として筆を取ったことはなかったのでありました。気持ちはあるのです。
 それを見透かしたようにサトやんにズバリ指摘されてしまったのでありました。日がな一日風景を描く、そして自分自身が無意識のなかにその風景のなかに融け込んでしまう贅沢さはわかりすぎるほどわかっていたことなのであります。
 8月の夏合宿にも絵の簡単な道具は持っていきました。そしてサトやんのご託宣も聞きました。しかし、どうしても描くことができませんでした。そのことをサトやんにいいましたら。

 「それは、あなたのなかに、どうしても衒い(てらい)があるからだよ。」
 「子供の時にはうまく描こうなんて、これぽっちも考えていなかったけど、大人になると、どうしてもうまく描いて誉められようとする邪心がでてくる。その邪心があなたの心を縛り付けているんだよ。それに本当はすでに気づいているんじゃないか」

 そうなんです、私の場合は全面的に上手に描きたいという意識がでてきてしまって、それが自分の心も体もしばってしまい、道具すらだすことができないということになってしまっていたのです。本来は旨く描くことが目的でないはずであります。どっぷりと自然に親しみ自然に同化するにための手段であったはずなのであります。それがいつの間にか上手な絵を描きたい、いや描かなければいけないなどという邪心にすり替わっていたのです。
 考えてみればヘタなのはあたりまえのことなのです。正規に美術教育を受けたわけではなく、趣味で絵を描いていたわけでもないのですから。
 結局キャンプ場では絵を描くことができずに、自宅に帰ってから描きはじめました。昨日と一昨日の画像がそうであります。絵というよりはなんだかいたずら書きでありますね。
 これでいいのだ。やっとそんな気持ちになることができました。人の評価なんてどうでもいいのです。やりたいことを懸命にやって遊ぶことが最重要なことなのだと開眼したわけであります。懸命に遊べないヤツなんて・・・・・・・。ケッ!

2009年8月19日水曜日

今回は料理4品作ったぞ その2「イタリアンな味噌汁からヒント」

 以前に怪しい面々隊の高橋隊長がイタリアンな味噌汁というのを作ってくれたことがあった。なんの事はないトマトを味噌汁のなかにぶち込んだだけのものなのだが、これが案外うまかった。確かにイタリア料理はトマトを具材に多く使用するけれども、私の貧困な発想ではトマトは生で食するものだということしかなかったのです。一見ふざけているように思えるようなイタリアンな味噌汁でありますが、この味が驚きの味でありました。
 さっそく自宅に帰ってからまずはトマトを使った味噌汁を作ってみたのです。確かにつたない私が作っても旨い、単純な発想だけどこれは素晴らしいということになり、なんども作って試してみました。結局はほとんどの具に合うということがわかったのです。なんだ、そんな単純なことも知らなかったのかと云われそうですが、料理などほとんどやったことのない身にとってはそんなものであります。
 もう次は何をやるかというのは察しがつくでしょう。味噌をコンソメに替えて、ベーコンを入れてとなるわけであります。トマトを4つ切りにして、ジャガイモ・ニンジン・たまねぎ・キャベツ・鷹の爪と冷蔵庫に入っている野菜をぶちこんで塩コショウで味を調えて圧力鍋で煮込みました。

 ムフフ・・・・。これほど単純明快にして簡単でうまいものはないと確信したのでありました。むろんこれは怪しい面々隊での夏合宿に提供すべく心に決めました。そのためにちょっと邪魔にはなるけども圧力鍋をわざわざ持参したのであります。結果は思惑どおりに大成功でありました。
 ただしこの料理を作るのに3日ほどの時間を費やしてしまいました。座敷童のサトやんはなんだこの分では3日ほどかかるんじゃないかと揶揄しましたが、結果的にはそのとおりになってしまったのです。
 その第一の原因は、高橋隊長が自宅の菜園で収穫したジャガイモを残していってくれたのですが、これがまた小粒でありまして、その大きさは平均して普通のジャガイモの3分の1ぐらいしかなく、しかも数が多かったのでありますから、皮を剥くのに一日を費やしてしまいました。もちろん一日中皮むき作業をやっていたわけではなくて、ちょっとした時間ができるとすかさず包丁を持っての作業ということですから。こうして高橋隊長持参のジャガイモは私に丁寧に処理されまして、シアワセに皆さんの胃袋に収まったわけであります。
 第二の原因としましては、サトやんが作ろうとしている料理がまったく同じではありませんが重複していたことにあります。同じようなものを2つ作っても勿体ないわけでありまして、サトやんの料理が食い尽くされるのを辛抱強くまったということであります。だから結果的には3日がかりの料理となったわけであります。こんなこともありなのだと思います。それぞれが思い思いの料理を振る舞うわけでありますからね。

 次に作った3品目はきゅうりを入れた肉野菜炒めであります。これはトマトを煮るという発想と同じであります。トマトを煮て旨いのだから、きゅうりも炒めたら旨いのではないかということであります。本当はそればっかしでありません。最近きゅうりの一夜漬けに凝っていまして、きゅうりを切って、生姜を刻み、鷹の爪を少々タッパーに入れて塩をふり、うまみ調味料を少々それに蓋をして振り回すので。それだけで5時間もすれば味が結構こなれてきまして結構うまい漬け物ができあがります。これは合宿期間中に大量に3回ほどつくりつづけました。その時のきゅうりが余っていましたので肉野菜炒めをつくるさいにフライパンに投げ込んだというわけであります。
 これで今回つくった4品すべてであります。これまで怪しい面々隊には食事を任せっきりでありましたから少しは恩返しができたかなとも思います。キャンプ場で日がな一日料理を作るっていうのもなかなか楽しいものであります。もう少し腕をあげてもっとおいしいものを皆さんに食べてもらいたいとは思っていますが、どうなることやら。

 今回の夏合宿に後半参加した牧原さんの得意料理はモツ煮込みであります。このモツ煮込みこそ私が圧力鍋を3個も購入するという走るきっかけをつくった料理であります。確か4年ほど前だったでしょうか長野キャンプに行ったときに彼がもってきたのは、すでにたっぷりと煮込んであるモツ煮込みを入れた圧力鍋だったのです。
 圧力鍋ですから車で移動するさいにも汁の溢れる心配はありませんから便利です。現地に着いたらただそれを温めるだけであります。この発想は素晴らしいものでありました。それに圧力鍋は少しの火力で調理が済んでしまうという利点がありました。これに感動して3つも圧力鍋を購入してしまいました。馬鹿ですね。1個あれば良かったのです。
 そんな圧力鍋にも欠点はあります。だいたいにして重いし、おおきいから邪魔になるというものです。もちろん山岳登山などには絶対に持っていけないということですね。あたりまえか

 怪しい面々隊の影響を強くうけて、ときどき料理らしきものを作るようになりましたが、それでは毎日料理を作っているかとなるとそれはとてもできないことであります。朝昼晩と作ろうと挑戦したこともありますが、駄目です。絶対駄目です。
 自分の持っている料理のレパートリーが少ないってこともありますが、献立を考えるだけでノイローゼになってしまいます。男の料理なんてのは所詮お遊びなんだと強く思いました。
 その点世の中の主婦というものは、ものすごくエライ輩なのだと強く認識するようになりました。オソルベシ

 所詮お遊びでもいいから、ひとつ正しい料理というものを習ってみたいって最近つよく思うようになりました。テレビの料理番組なんていうのも時々みるようになりましたが、あれは駄目ですね。見終わってしまえばそれっきりで何一つ覚えちゃいないのですから。それに紹介している料理の材料や調味料が無かったりしてわざわざ買い物にいくのも面倒だから、ま、今回はいいかぁなんてことになりまして・・・・。
 中高年ゴキブリ男の料理教室なんてのが近くでやってないかと強く思う今日この頃であります。

 野遊び山遊びがなんで中高年ゴキブリ男の料理教室にいくのかよくわからんのですが、とにかくそうなったのですから仕方がないことであります。
 それから良く「わたし、料理作るのは好きだけど、片付けるのか嫌なのよ」っていう人がいますけど、なぜだか私は食器洗いが好きなんですね。食器洗浄機は最初からつけたのですが使ったのは最初のころだけですね。あれを使うなら自分で手洗いをしたほうが速いし、気分がいいのです。食器洗浄機を使うのはカレーをやったあとの圧力鍋を洗う時ぐらいになってしまいました。高橋隊長のところも昨年食器洗浄機をいれたらしいのですが、まだ食器格納庫になってませんかって聞いたところマメに使っているようであります。でもたぶん時間の問題だなと思っています。

2009年8月18日火曜日

今回は料理4品作ったぞ その1「芋煮」


 これまで怪しい面々隊の集まりでは一度も料理などを作ったことがなく、メンバーの手際の良さにほとほと感心し、舌をまき、かつ頼り切りになっていました。これではいかんとこれまで少しずつ密やかに料理の練習を重ねてきていたのです。もちろんそんなにたいした料理が作れるわけではありませんが、私にとっては大変な進歩であると思います。それで8月合宿には絶対に一品は作って驚かしてやろうと固い決意を胸に秘めて臨んだわけであります。

 農協のスーパーに買い物に行ったら、里芋を売ってました。このスーパーはレトルトとか乾き物以外の生鮮食品はまったく酷いのでありますが、ここしか買い物をする場所がないので仕方ありません。里芋があるということはもう私の料理は決まっております。郷里山形の「芋煮」であります。急遽献立を「芋煮」に変更します。あとは連想ゲームのように食材探しであります。長ネギ・コンニャク・豆腐と集めます。肝心な牛肉は冷凍ものしかありません。うーんとちょっと考え込みましたがそれしか無いのですから仕方ないですね。
 里芋も一部芽がでていたり、固かったりとまずロクなもんではありません。いろいろと店内で物色しているうちに目についたのがキノコの水煮の袋です。まさに渡りに舟であります。里芋の質の悪さをキノコでカバーしようという作戦であります。かなり大量のキノコが入っているのを2袋購入。本来の「芋煮」にキノコが入っているのかどうかは記憶にありませんが、「芋煮」は秋の料理ですから、キノコは入っていてもイイノダ。なにせあくまでも水煮でありますから、本来のキノコの風味は臨むべくはないのでありますが。とにかく「芋煮」なのか、里芋の入っているキノコ鍋なのか判然としないものを作り始めたのであります。

 「芋煮」では実に重要なのが大量の日本酒なのであります。これは必須なのです。案外これを知らない人が多く最近は都会でも「芋煮」を食することもあるのですが、何かが違うなと思っていましたが、最近ようやくわかったことが、日本酒を思いっきりよく投入していないのだということであります。普段日本酒を呑む習慣がないので、日本酒をあらためて手に入れなければならない。途中平野屋酒店に寄り、一番安い日本酒を購入。確か2リットルで980円であった。

 「芋煮」で一番面倒なのが、里芋の皮むきであります。最初一人でコツコツ剥いていたのですが、予想したとおりに困難をきわめる。いささか疲れてきた時に目にとまったのが掘っ立小屋の前に屯する「怪しい面々隊」であります。包丁3本と里芋を持っていっていって皮を剥くように命令する。ドレイ隊員が隊長以下正式隊員に命令できるところが怪しい面々隊の特徴なのであります。たまさかそこにいたのが、ヒビャさんの奥さんであります。結局高橋隊長以下の面々隊は温泉に逃げていき、最後まで責任を持って皮を剥いてくれたのはヒビャさんの奥さんなのであります。これがのちのち、皆さんに「旨いね」とか「最高の味だね」なんてほめられると、必ず「その里芋の皮むきをやったのは私です」といちいち訂正を入れられることになるのであります。うーーー結局、手柄を独り占めはできなかったのであります。
 でも概ね好評だったので、そうか料理って、自分一人だけが作って食べるってのではなく、他の人に食べてもらって、「おいしかったよ、ありがとう」っていわれるところに、つくる喜びってあるのかと深く理解したわけであります。料理を作る人は誉められたい感謝されたいという一心で努力を重ねているんですね。納得



ヒビャさんの奥さんの大きな誤解



 木陰になって涼しい小屋の前の椅子に座ってモトクロス関係の雑誌をのんびりと読もうと思って椅子に座ったとたんにウスラバカのぽーが大量の里芋と包丁を持ってきて、これを全部剥けという。仕方がないので懸命に皮むきして、なにげに管理棟の前の椅子に座っているウスラバカのぽーを見たら、なんと自分だけはのんびりと本を読んでいるではないですか!。まったく失礼しちゃうわ。

 ち、違います。(汗)ヒビャさんの奥さんが見たときはたまたま皮むきに疲れてほんの数分だけ気晴らしに読みかけの本を手にしていただけなのです。ここで真実をのべて置かないと一生いわれつづけてしまいますので。それは大きな誤解であります。汗汗汗汗汗汗汗汗汗



 所詮にわか料理人ですから、「芋煮」にしても自信を持って作っているわけでありません。一番わからないのは、最初に里芋を煮ます。その時にその煮汁を捨ててしまうのか、そのまま使うのかという問題です。今回は里芋の質が悪いので一旦ゆで汁を捨ててしまって、また最初から具材を入れて煮直しました。最近はこの方法が多いのですが、記憶を辿るとゆで汁を捨てないで醤油を少しいれて煮こぼれを防いで残りの具材を放り込んだほうが風味がでたような気もします。いったいどっちが正しいのかいつも迷ってしまいます。

 芋煮そのものは実に単純な料理なんて呼べないものだと思います。誰が作ったってほとんど失敗することはないしろものです。そもそもの起源は結構あたらしく明治期に牛肉を食べさせるために考え出されたものだとどこかで聞いたことがあります。ま、そのような学術的考察はどうでもいいのですが、単純明快なものでありますから、これこそ外で食するべきものでもあるのであります。
 話はまたとびますが、自宅で妻が作る芋煮や郷里に帰省したときに食べる芋煮はなんだか本来の野性味から大きくかけ離れているような気がしてなりません。はやいはなしが品が良すぎるのです。いえ決して不味くはないですよ。むしろ旨いです。でもこれって本来の芋煮とは違う料理のような気がします。野外で自然のなかで本来の芋煮を味わうためには少々軟弱なのではないかと思うのであります。

 怪しい面々隊のメンバーに偶然にも私と同じ山形出身のスーさんがいます。そのスーさんが、「これだよ、この味だよ。本当に懐かしいよ」と絶賛してくれました。やはり同じ郷里の出身者に誉められたことは実にウレシク、ヨロコバシク大きな自信になったのであります。

 芋煮は日本酒にあうと聞きます。汁物で酒を呑む文化ってないことはないんですね。これ間違っているかも知れませんが、「ヌキ」で日本酒をチビリチビリやるってのがツウっていうもんだってのをどこぞで耳に挟んだ記憶があります。この「ヌキ」ってのが日本蕎麦のソバを抜いてソバツユを肴に一杯やるのだそうです。なるほどそう考えていくと、怪しい面々隊の得意とする岩魚の骨酒なんていうものは芋煮にドンピシャマッチするのではないかと思うのでありますが、いかがでしょうか。


 郷里山形では里芋の取れる秋になると、「芋煮会」というものが盛んに行われる。私の「芋煮会」の思い出は小学校までであります。中学は部活に忙しく、高校からは実家を離れておりやった記憶がまったくない。田舎の人はアウトドアには感心がないとこれまでいってきたけれども、それはまったく間違いだったことに気がつく。米の収穫が一段落した時点で、それぞれ食材を用意して、ゴザと大鍋をリヤカーに積み近くの河原や湖沼や山や野原にいって「芋煮」を囲み遊ぶのであります。これこそ究極のアウトドアではないかと思うのであります。小学生の「芋煮会」では大人が加わった記憶はなく、子供達だけで薪を集め、鍋をつるす三脚を作り焚火を起こしてやっていたと思います。今の小学生よりも数段逞しかったとおもいます。今では大半の大人ですら焚火をつくるのは難しい状態でありますから。
 小学生の時に芋煮会を行った場所がどうしても思い出せない。山のほうに大勢でリヤカーを押していったことは確かだ、そしてそこには沼というか堤というかそのようなものがあったと記憶しているが、めぼしい場所を考えてみてもどうも違うような気もする。夢のような幼少のころの幻想であったのだろうか。ただ秋の日の枯葉の香りや焚火の臭いや破壊的な紅葉の色やそこで食した芋煮や梨や柿やリンゴの味や高く晴れ上がった空にたなびく煙とともに強烈に記憶に焼き付いていることは確かです。

 大人になれば、それに酒が入ります。残念ながら酒を呑む「芋煮会」に参加したことはありません。多い人は年に何回も参加せざる得ないようであります。職場や友人や地域等々それぞれの「芋煮会」があるわけですから、これはこれでさぞや大変なことだと思います。ご苦労さまであります。

2009年8月16日日曜日

宮廷女官 チャングムの誓い

 以前にNHKでやっていたのは知っていたのですが、また韓国映画かよって見なかったのです。昼間仕事に疲れて何気なくテレビをみたら、TBSで再放送していたのであります。これ面白いですね。次第に引き込まれてしまっていました。しかし、キャンプなんかに出かけたものですから、最近は全然見ていません。それに放映時間(TBS15:50)を忘れていたりしたもんですから、結局見たのは5本ぐらいでしょうか。
 それで、なんとか最初から続けて見てみたいと思いTUTAYA検索してみました。その結果「宮廷女官 チャングムの誓い」全編揃っていました。今なら1ヶ月間無料キャンペーンをやっていますね。これ直接レンタルビデオ屋さんにいけば置いてあるもんなんでしょうか。ここ10年ぐらい利用してことがないのでこのあたりの事情はさっぱりわかりません。

 それで調子にのって「大草原の小さな家シリーズ」も検索してみましたら、なんときっちりとあるではないですか。もう決めたTUTAYAの会員になろうっと。

 本はamazonで購入してアウトドア関連はナチュラムで、ついにDVDもネットで注文して、娘の写真もネットで購入してして、そのうちスーパーでの食料品の買い物もネットでするようになるよ。きっと。

 なんだかアウトドアなんていってるわりには家から一歩も出ない究極のインドア生活ですね。外は暑いしね、ま、いいか。

面白い商売もあるんだね

娘から電話があり、先日三重県で行われた第33回全国高等学校総合文化祭 マーチングバンド・バトントワリングの写真がネットで購入できるから買っておいてくれということでありました。さっそくステージライフというサイトに飛びあらかじめ教えられたパスワードを入力して閲覧した。肖像権の問題があるから、原則的には一般には公開していないようだ。ん?ちょっと違うのかな。ま、とにかくパスワードを入れて娘が映っているアルバム一覧表をみる。たくさんの写真のなかから映っているのが2枚だけでありました。
 ■注文内容
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1.[写真番号] 343-363871 [商品] 2L判 プリント (300円 x 1枚)
[公式ロゴ入れ]
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2.[写真番号] 457-246728 [商品] A4判 プリント額付き (1750円 x 1枚)
[公式ロゴ入れ]
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3.[配送手数料] 宅配便 (420円)
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4.[支払手数料] クレジット (0円)
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[合計金額] 2,470円 (税込)

2枚でこの金額であります。やはり親ばかですから自分の子供が映っているとなると奮発したくなりますので結構いい商売になりますね。これで田舎のじいさんばあさんにも送るかなんていって枚数を増やせばこれまたいい商売ですね。
これは音楽関係だけでありますが、スポーツも含めればかなり産業の裾野が広がるのではないでしょうか。でもこれっていちいち会場に出向いて撮影するわけでありますから大変といえば大変ですね。あんましやりたいと思うような商売じゃないですね。

笑えないキャンプの忘れ物

 テントのポールを忘れたtakaさんの事を書きましたが、考えてみれば自分たちだって、かなり沢山の忘れ物をこれまでしてきているのです。

 缶切りや燃料を手始めに、炊事用の鍋、コップ、寝袋等々と数え上げればきりがないくらいです。北海道では用意してあった米20kを忘れて地元のスーパーではじめて「きらら」という道産米を購入して食べましたが、まずいだろうと思っていた米は案外いけるのには驚きました。
 現在使っている3つの鍋は長野キャンプにいった時に忘れていって買ったものであります。

 にわか管理人をやっていますといろんな忘れ物をしてくる人がたくさんやってきます。缶切りに包丁にカセットボンベにブタンにランタンにと、ブタンを除き全部私の私物を貸してあげました。あ!大型のテントにタープまで私物を貸したのですからたいしたものです。
 カセットボンベは1本100円で譲りました。もう値段なんて覚えていませんからね。高かったのかどうかは判断できません。しかし皆さんに感謝されて嬉しかったです。

 その気持ちすごくわかるんです。大抵忘れ物に気づくのはテントを設営して、これから夕ご飯の支度をするかって時ですからね。すでに夕刻はせまりつつあります。そこで忘れ物に気がついても時すでに遅しです。地獄で仏とはまさにこのことですね。そしてウスラバカのぽーはとうとうそのホトケになるのでありました。

 もし管理人がいない時などはお隣さんに声をかけてみましょう。キャンプにきている人々は大概善意で満ちている方ばかりです。恐る恐る声をかけても必ずいい返事がかえってきます。
 キャンプ場って他人の集まりですが、にわか長屋を形成しているような気がします。そこに温かい人情や助け合いのようなものが存在していることを強く感じているのですが、皆さんはどうでしょうか。

つくづくETCとは相性が悪いようだ

 今回初めて東北道および首都高をETCを使って走った。檜枝岐村から自宅まで3時間あまりで着いてしまった。以前は3日ほどかけた道であります。東北道では180kmほど出したが、それ以上は恐くて出せなかった。そんなもんですね。それはそれでいいのです。
 夕方車に積んである荷物を取りにいって、「あれ?ETCのカードが入ってないな」と気づく、方々探したが見つかりません。車にロックをしていなかったので、てっきり盗まれたと思い、カード会社に電話して、カードを無効化して貰う。その3分後に買い物に行くのでバックのなかのサイフを探したら、そのバックのなかにしっかりとETCのカードがあるではないですか、慌てて再びカード会社に電話する。奇しくも同じ人が担当でありましたけれど、時すでに遅しで一旦無効化したカードはもう2度と使えないのだそうです。
 ということで、再発行のカードが来るのは2週間後ということで、つくづくETCとは相性が悪いなと感じました。

2009年8月15日土曜日

いやはやオマヌケなtakaさんからコメントがついた

管理人様 森のPO-様
8/12~14までお世話になりました。
テントは持って行ったのですが、ポールを忘れた、マヌケのカトーです。
PO- 様のお使いなっていた常設テント(1張)が空いており、ほんと天の助け!地獄に仏! おかげを持ちまして息子(自転車で来ました)と二人ほんとにマッタリと過ごすことが来ました。感謝申し上げます。また、ご主人様や奥様が日に何度となく炊事場の清掃やごみ収集されているのを見、頭が下がる思いでした。以前はキリンテキャンプ場で楽しんでおりましたが七入も最高てす。次回は必ずやテントポールは持っていくべきと考えておりますです。
先ずは御礼まで。
 ポールを忘れたマヌケのカトーこと茨城の加藤○○


ぽー「なに?テント忘れたの??」
カトー「いやテントは持ってきたんだけど、ポールを忘れたの」
ぽー「こらー!それテント忘れたのと一緒ジャン」

森のぽーから畑のぽーとなるのだ

 狩猟採集生活にいささか疲れましたのでこんどは畑を耕して安定的食料の確保に向かうことになりました。尾瀬檜枝岐村七入オートキャンプ場のホームページを作るためにほぼ1年間通い詰めました。最初は昨年の8月の終わりごろからであります。この間コツコツと取材し写真を撮りまくり(凡そ5000枚)文章も大量に書きまくり、動画も10本以上作ってきました。我ながら本当に良くやったと思っています。
 皆さん方からも過分なお褒めの言葉を数多くいただきました。一年間お付き合いくださいまして本当にありがとうございました。感謝の念で一杯であります。

 今度は畑のぽーとして皆様の前に登場してくるかも知れません。土地は1町歩(約3000坪)は確保してあるのですが、なにせまったく体力が無いので、いやはやの状態であります。
まだHPも作り初めて間もないので到底公表することはできませんが、時期がきましたらそちらの方も、よろしくお願いいたします。

カミキリ虫の収集なのだ

 世の中には本当にいろんな趣味を持つ人がおりまして、この写真はなんとカミキリ虫を収集しているのだそうです。クワガタとかカブト虫など見向きもしないで一晩中発電機で電気をつけてやっておりました。

ただの野次馬の私はテントサイトまで押しかけていって根掘り葉掘り話を聞きました。

怪しい面々隊のトップスター妖怪ヨーダ


 怪しい面々隊を語るときにこの人妖怪ヨーダさんをまずは筆頭に出さなければなるまい。なんていったって面々隊のトップスターなのでありますから。ヨーダさんがいるから大量の岩魚を食することができるし、旨い岩魚の骨酒をいただけるのであります。彼が沢に入っていったらまず安心であります。必ず大量の岩魚を釣り上げてきます。こんな風にふざけて深夜まで飲み続けるのだが、次の朝は午前3時にきっちりと起きて釣りにでかけていったのであります。その後ろ姿は実にたくましいものであり、やるときはやるかんねと背中が語っているようでありました。
 ヨーダさんの後ろに映っているのは、毎月のように七入オートキャンプ場にきているひびゃご夫妻であります。

 ちょっとピンボケなのですが、ま、いいやね。これで今夜はイタリンアンのカルパチョやマリネを高橋隊長が作ってくれたのであります。今回は和食専門の角田さんが参加していないので刺身はなかったのであります。これがまた絶品でありまして、とても川魚と思えず、海の白身の魚のような味なのに驚かされます。

 薪ストーブで何時間もかけてじっくりと焼き上げて骨酒用の岩魚を作るのであります。今回の火の番はあたらしく面々隊に加わったゴルゴ・サイトウ氏が担当した。ゴルゴ・サイトウ氏は焚火がいたく気に入ったようで、日がな一日薪を集めてきては火を絶やさないように岩魚を焼き上げていました。


わが面々隊のトップスター妖怪ヨーダさんとゴルゴ・サイトウ氏であります。

辰巳ファミリーのHP


掲示板に書込みがあった辰巳ファミリのHPをとりあえずアップしておきます。
辰巳ファミリのHPもっとたくさん写真があったかなと思ったのですが、あまりいい写真がないので後で誰かから貰うことにします。
末娘の智秋ちゃんは実に愛らしく尚かつ賢いのであります。こんな馬鹿親父からよくと思ってしまいます。私が持っていったローラインガルスの「大草原シリーズ」を2日間ほどでなんと3冊ほど読んでしまったのです。うーーんこれ俺のペースよりよっぽど速いや。参ったな。

2009年8月13日木曜日

怪しい面々隊入隊志願者がでてきてしまって

 世の中には結構物好きな人もいるようであります。昨夜管理棟で「年喰った座敷童」ことサトヤンといつもどおりに酒飲みをしていましたら、「あのー、怪しい面々隊に入りたいんですけど」と夫婦二人で訪ねてきた。まったくこんなふざけた隊に入りたいなんて驚いてしまう。しかも夫婦でだよ。これでドレイ隊員はドレイ1号の私を筆頭に合計12人になってしまった。
 これは、ひょっとして正式隊員を上回る人数になるのも時間の問題ではないかと思う。ドレイ隊員が正式隊員を上回った時点でドレイ解放運動を起こさざるを得ないのではないかと思うのだが、そこらあたりはどう思うかね諸君。ドン(強く机を叩いた音)

 昨日はウスラバカのぽーがにわか管理人をやって、計算ができなくアタフタしてたり、電話の応対でシドロモドロしていることを書いたが、管理人もそう嫌なことばかりではない。まず面白いと思うのは来る人の90パーセント以上は私のこのブログや七入キャンプ場のHPをみてきている人たちなのです。
 管理棟の前に椅子を出して文庫本を読んでいると車の中から私を見つけて指を指してなにか話をしているのです。会話は聞こえませんが、「ほら、あれがウスラバカのぽーじゃないか」なんていっているようです。「どれ?あ!ほんとだウスラバカのぽー」だなんて聞こえてくるようであります。
 ま、指をさすといっても後ろ指でないから、いいとするか。しかし指さされた私はどんなリアクションをとればいいのか困ってしまう。
 かと思えば私のところにきて、今にも倒れそうな留三郎小屋を指さして「あれが例の留三郎小屋ですか」って聞かれる。いきなり「例の・・・・」って言われてもねですね。答えに究してしまうではないですか。
 かと思えば突然に「薪は買っちゃいけないんですよね。拾ってこなくちゃいけないんですよね」なんていわれてしまう。いやはやまったくの世界であります。
 基本的にはブログやHPを丹念に読んでおり、私のことは熟知しており、私はなんにもお客様のことは知らないということです。最初結構恐怖でありましたが、最近はもう慣れっこになってしまいました。
 だから初めての方でもなんだか10年も前から知っているような会話になってしまい。これが結構面白いのであります。
 しかし、確かに面白いけど疲れるのであります。2年ほど前までは完全なニート生活を行っており、家族以外の人とは滅多に口をきくことがなかった身としては、やはりどこかにぐったりとした疲労を覚えるわけであります。

 と書いている間にそろそろ受付を交代しなければいけない時間がせまってきましたので、今日のところはひとまずこれにて終了であります。

 キャンプ場は今のところほどよく混んでいますが、午後からはわかりません。こういう混む時期にキャンプなどやってはいけないのです。16日が過ぎればまたいつもの静かなキャンプ場に戻ります。それからが本当にアウトドアを楽しめることになると思いますよ。

2009年8月12日水曜日

にわか管理人をやっています。

 はやいですね、更新を怠ってはや5日目でありますね。10日の日に怪しい面々隊もほとんどの人が帰りまして、面々隊で残っているのは「ちょっとばかし、年喰った座敷童」と「ひびゃさん夫婦」の3人だけになりました。

 気がついてみればいつの間にか、にわか管理人になっており、受付業務と電話の応対に追われています。これ暇なようで結構忙しいのです。

 まずが電話の応対なんてやったことがないので、冷や汗をかきながら口がまわらないからシドロモドロになります。「はい、七入キャンプ場です・・・」ってのがまずうまくいえないんだよね。文章では「七入オートキャンプ場」なんて何百回も書いているのですが、これを口に出していうとかなり面倒なのです。だから「はい、七入キャンプ場です」って縮めたのですが、これも結構いいにくい。いっそもっと略して「ナナキャン」にするか。これぐらいなら言いやすいよね。

 昨日今日と素晴らしい天気です。今年最高のキャンプ日和です。だからお客さんが次から次へと押し寄せてきています。それでほとんどの受付をしているのですが、これがまた冷や汗の連続です。まず、これほど俺はアホなのかと思い知らされたことは、暗算がまったくできないということです。車1台に大人一人はすーっと出てきます。500円+500円で1000円です。これぐらいはできますよ。大人3人に子供4人に普通車1台なんてのがくるとパニクッてしまいます。それにトドメをを指すように6日間なんていわれた日には受付の用紙を破って表に逃げ出してしまいたくなるのです。それに目の前にお客さんがいて、じーっと私の手元を見つめられると・・・・・。なんだか自分のウスラバカ加減を観察されているようで、うわーーーー今思い出すだけでも顔がゆがんでしまいます。
 それにまだあるのです。2600円の料金に1万円を出されるとこの暗算も一苦労であります。こんな単純な計算を電卓でやるわけにもいかないし、まさか計算式を紙に書くにのも恥ずかしいし・・・・・・。なんだか毎日拷問にあっているようであります。
 なんとかはやいところ逃げ出さなくては。自動計算システムでも作ればいいのか。なにで?エクセルかアクセスでやればいいのか。ってそんなもん作っている間にお盆休みは終ってしまいますよね。やっぱり逃げ出すしかないな。

 管理棟にいますといろんな相談が持ち込まれます。包丁を忘れたから貸してください。缶切りはないか、ペグはないか、カセットボンベは売ってないか、ビール売ってくれだのと、極めつきはテント忘れたっていう人がいましたね。これには悪いけど声をあげて笑ってしまいました。たまたま常設テントの予約が入ってなかったので事なきを得ましたけど。忘れた本人は大変です。皆さんキャンプにくるときはテントを持ってきましょうね。
これから温泉に行かなくてはいけないのであんまし長くネットをやれませんので、また明日にも報告します。

2009年8月7日金曜日

七入キャンプ場にきています。

 今年は天候不順ってことで、なかなかからっと晴れた本来の夏の日というものが少ないようであります。ここ七入キャンプ場には5月の連休を皮切りに毎月連続してきていますが、いつも寒いくらいで、ここはひとつ下界がアジクテ、アジクテもう死にそうという状態の時に檜枝岐でひとり涼しく過ごすというのが理想でありました。時機到来ということで、怪しい面々隊の招集にあわせてやってきたのですが、下界も結構涼しくて優越感に浸れないのはいささか残念ではあります。この地の天候は暑くもなく寒くもなくほぼおおむね満足しています。
 昨日は夕方と今朝はちょっとだけ小雨がぱらつきましたが、昼近くになってお日様はまだ顔を出していませんが、温度があがってきてちょっとさけ夏を感じてしまいます。
 怪しい面々隊は朝3時30分に起床して岩魚釣りに行く予定でありましたが、私の知る限りは5時ちょっと過ぎに怪しいヨレヨレ隊化して出かけていきました。さて本日の釣果はいかほどのあるのかちょっと楽しみであります。

2009年8月5日水曜日

海辺の町は涼しかった

 三重・和歌山・福井・長野他と長い遠征から一昨日の深夜に帰ってきた娘から、昨日の朝に電話があった。もう娘とは3ヶ月ぐらいは会っていないだろう。一度だけ帰宅したらしいが、私は檜枝岐村から山形・秋田と訪ねる約半月の旅にでていたので会えずじまいであった。
 遠征開けの休みは昨日一日だけで寮生は疲労しているだろうから、帰宅してならないという先生からの指導があったので実家に帰りたくても帰れないという。
 ならばこちらから行くぶんにはなんのモンダイもなかろうということで、そそくさと妻と差し入れやら、補充する品物等々を準備して車に乗り込む。今日は火曜日ということで大枚をはたいていれたETCがまたしても役にたたずです。なんということだ。

 なんだかんだで1時ちょっと過ぎに娘の暮らす寮に到着、土日祝日には寮の食堂がお休みなのですが、娘はお昼の準備をしておらず、コンビニまで自転車で片道40分というものすごいロケーションの場所にあるので、普段は余分な買い食いをしないで済むが、こういう時に困ってしまうのです。腹をへらした娘が待っていた。

 海の近くであるから、寿司がうまかろうというコジツケで娘と3人で以前から目をつけていた回転寿司屋さんに向かう。とりあえず腹一杯にほおばり、次にどこかお茶を飲む場所をナビで探すが一番近くで4.5kmにあるCoCosというので、そこへいって3時間ほどおしゃべり。
 いやはや相当に話すことがあったらしく、娘はほとんどの時間しゃべりぱなしであります。それでそろそろ帰るといったら、まだ寮の食事の時間(夕方7時30分)まで相当時間があるから、付き合えというので、大洗海水浴場にいく。母と娘はおおはしゃぎで、ずぼんを膝までめくって海遊びであります。

 海辺は直射日光やらなんやらでもっと暑いのかと思っていたが、太平洋から吹き付ける風はかなり涼しく寒いくらいであった。最初エアコンをつけていたが外にでたらかなり涼しかったのでエアコンをとめた。大洗といえばフェリーか海水浴という印象であるが確かに大洗の海水浴場は良くできていると思う。私はこれまで房総の海をおもに海水浴場として利用してきたが、全体の明るさというか、施設の充実等々を比較すると大洗の海水浴場は秀でているような気がする。
 だから土日をふくむ休日は大混雑が予想される。ということで今回の娘の遠征の出発が学校を深夜の12時出発を敢行したことが納得できるのであります。そうでもしないと大洗の町から出るにも何時間もかかってしまうのです。これはおおいに納得です。
 以前京葉道路の近くに住んでいたことがある、ある日散歩していてなにげに道路をみたら朝の7時だというのに下りの道路がマヒ状態になっているのを目撃したことがある。私の住まいは、東京の隣の市川です。この時点で大渋滞ってことは目的の海に到着するのは夕方ではないのかと人ごとながら心配したことがあります。現在は房総方面にもかなり良い高速道路が複数できたのでそんなことは無いとは思いますけども。

 なんだかんだで娘に時間いっぱいまでつきあったのですが、休日に自宅帰り時間がきて寮にひとりで帰るのはある程度覚悟があるからいいけど、自分のところから訪ね人が一挙に帰られるのは結構精神的にきついもんだと思う。案のじょう別れたらすぐに携帯電話がなった。
 いつか親子は離ればなれになる運命なのだ。その予行演習をこうして小さな寂しさや悲しみを重ねながらしているのだと思う。

 これまでは遠征だったから移動する時間とか他の時間が結構かかるから、一日3公演ぐらいをこなしてもたぶん楽だったと推測する。私もスポーツをやっていたので練習をやっているより遠征のほうが随分と楽だったのを思い出します。
 娘は本日の朝7時30分から夜の7時までどっっぷりと鍛えられる日々に突入するわけであります。これを地獄と捉えるか天国と捉えるかでその結果は大きく違ってきます。1年生の夏休みは特に大事な期間だと思う。そういえばこのことをつたえないで帰ってきちゃいましたね。親なんてのはそんなもんです。

 蛇足になりますが、以前から思っていたのですが、回転寿司は海に近いからうまいかといえばさにあらずです。都会の激戦区に適うモノではありません。地元産の魚なんてどの程度の割合で使われているかといえばごくわずかだと思います。都会の食べ物やは洗練されています。けっして瞞されてはいけませんよ。

2009年8月3日月曜日

大草原シリーズ「ローラからのおくりもの」を読み始める

 ついにストックしてあった「大草原シリーズ」の関係本をすべて読み切ってしまった。さすがに連続して13冊ほど読み続けたのでどこかに虚脱感が漂うのだけども、どこかにもう少しローラ・インガルス・ワイルダーの世界に浸っていたい思いがある。
 もしかしてと思い郵便受けをみたら、中古本で注文してあったローラからのおくりものが白いパッケージが光るようにメール便で届けられていた。少し疲れ気味なのであるが気を取り直して読み始める。

すでに「大草原シリーズ」10冊目まではとうに読み終わっていて、あとはローラやその娘のローズ関係の書簡や旅日記関係を集めた資料集のようなものになっているので、胸わくしながら、スポーツ感覚で読み進めるわけにはいかないのだけれども、それなりに結構面白い。

2009年8月2日日曜日

「大草原の小さな家」に本当にはまってしまった。

 いや、本当にまいった。「大草原の小さな家」シリーズどっぷりとはまってしまって、抜けようにも抜けられなくなってしまいました。なんでこんなことになるのかは、自分でもまったく理解不能であります。
 読み終わった本を数えてみたらすでに10冊もあったのです。最初の2冊は自分の本棚にあった古ぼけた文庫本でカーバーもない「大きな森の小さな家」からはじまってハードカバーの「大草原のちいさな家」でありましたが、手持ちのこの2冊を読み終わる頃からどうしても続きを読んでみたいの欲求を抑えきれずに、読み終わって次が無い恐怖に耐えられずに数冊ずつ毎日のようにAmazonで買い続けて、あらためて数えてみたら合計で12冊にもなっていました。
 昨夜などは、このアル中男が酒も呑まずに夕ご飯をそそくさと終わったあとに、残りを読み続けたのです。自分でも信じられません。夜中の10時頃まで読んで、翌朝3時に目覚めるといきなり読書です。それもトイレに行くのももどかしく、生理的欲求に耐えられなくなってようやく仕方なく駆け込むといった状態であります。

 若い頃はよくこんな読書をしていた覚えがあります。その頃の私は読書は体力勝負のスポーツだと考えていたのです。気に入った作家やシリーズがあったらお金と体力と気力の続く限り読み続けるなんてのはしょっちゅうでありましたが、最近はさすがにそんなことをやらなくなったし、やれませんでした。わたしのどこを探してもそんな体力も気力もなかったのですから。なんだか再びこんなことができる自分を発見して結構嬉しかったりしています。

 ローラ・インガルス・ワイルダーが書いたのは9冊です。この他は娘のローズが書いたものや周辺の研究者が書いたものになります。それぞれの巻末にある資料を見る限りにおいては50数点は翻訳されて出版されていますね。それらすべてをあたる気力はありませんが、少しずつ収集しても面白かも知れません。


わが家への道―ローラの旅日記 (岩波少年文庫―ローラ物語)はローラが亡くなった後にローラの旅日記と娘のローズの文章が掲載されており、ここぐらいまでがシリーズとしてひとまとめにしておいていいのかも知れません。



本日読み始めたのが上記の本ですが、ローラが旅の途中で夫アルマンゾに書いた手紙を中心にまとめられていて当時のアメリカの様子やローラの思想を知るうえでは結構貴重なものであります。

 あと数冊注文しましたが、すべて中古本になり出品者が違うためにいつ届けられるかわかりません。ほとんどがメール便になってしまうので毎日郵便受けを注意してないといけません。

 本はこれ以上増やさないって数年前に固く決意して、すこしずつ処分してきたのですが今回はそんな決意はどこへやらで、また本棚をどうにかして空けなくてはいけなくなりそうです。

2009年8月1日土曜日

8月にむふふ 怪しい面々隊集合

 8月になるのを待っていたんです。じりじりしながら乙女の恋心のように待ち焦がれていたんです。7月のなかばに高橋会長からの「集まれ!」のメールが届いてから毎日がそわそわ落ち着かず、指折り数える毎日が続いておりました。
 まずは8月6日から10日まで高橋隊長およびヨーダ軍曹の二人が留三郎小屋に常駐します。その間面々隊はそれぞれ勝手に大隊本部に出入りします。うーーむ、この勝手に出入りするってとこがなかなかよろしい。

 ちょっと年喰った座敷童のサトやんも8日からいつまでいるのかは不明ですが、古巣に居つくっていうことを風の噂で知った。

 最近は「森のぽー」から「畑のぽー」へと変身を目指していたのだが、ふたたび懐かしい「森のぽー」へと急速に戻ります。

 ということで、キャンプ場の入り口の今にも倒れそうな廃屋のまえに、いかにも怪しげなおっさん連中がたむろしていましたら、是非罵声を浴びさせてやってください。大丈夫ですよ追いつく体力なんてありゃしないから。

 そうだ準備をしなければ、この土日で準備をすべて終わらせなければ。いくぞ絶対にいくぞ七入オートキャンプ場へ