2009年11月3日火曜日

後ろ髪をひかれる思いで農園を離れました

 初雪が降るとの情報が飛び込んできたこともあるのだが、なによりも寮生活をしている娘がインフルエンザが流行しているので、4日間の学級閉鎖となったとのことで自宅に帰ってきているとの一報が一番大きな原因かも知れません。
 それに1ヶ月半も自宅を離れていますと、結構家を恋しくなってくるというのも本音であります。娘から電話を貰ったのが1日の午前中でありまして、それから住んでいる小屋の掃除をして荷物を車に全部積み込みまして休日のETC割引を活用して、一挙に市川まで走るつもりでいたのですが、仙台付近まできた時にカーナビに山形の実家の印を認めて、ちょいとだけ実家に顔を見せてからにするかと思ったのがいけなかった。
 2日の夜に妹の旦那と呑みたくなって、その日も結局泊まってしまった。妹の旦那は今年から専業農家となったので、彼の農業の情報はおおいに参考になった。
 ついでに、彼のやっているメロンとスイカのハウスを見せて貰い、農業機械も全部見せてもらった。やはり、本物の百姓は規模が違う、機械も違う、にわか百姓にはとっても真似のできないものばかりで暗澹としてしまった。

 今朝の5時に起床してそのまま山形道から東北道に抜けようとしたが、宮城と山形県境にある笹谷峠が雪で滑り止めが必要と掲示されていたので、あの峠を夏タイヤで走り抜ける自信がないので、一般道を米沢まで走ることにする。途中から雪は本格的に降り続けてきて、米沢近くではかなりやばい状況であります。この状況で福島との県境にある栗子峠を登り切るのは無理と判断した。一旦実家に戻るという手はあるにはあったが、また100kmあまりを引き返すのも面倒だし、今日中に自宅に帰らないと娘とも会えなくなるということで、上り下りの比較的少ない喜多方方面に抜けるルートに変更した。なんとかして山形さえ脱出できれば別天地になるとの希望的観測も働いているのです。

 これらの写真はまだ運転にも余裕があった時に撮影したものです。これからが地獄の始まりになろうなどとは少しも思っていなかったのです。途中から山道になってきました。雪の勢いは衰えることを知らず、ますます激しさを増してきます。いかにFFといえどもハンドルを取られるようになり、速度もでなくなってきています。
 前を走っていた大型のトラックはチェーン脱着場でチェーンを漬けています。なにせ9月のまだ暖かかった時にでかけてきたのでチェーンを持って出るなどという考えは少しもありませんでした。

 途中除雪車が進行方向と同じにしていましたが、この時点で除雪車を追い越しました。後にして思えばこの除雪車の後ろをノロノロとついていったほうが正解だったかも知れません。
 山道を登るにつれ前輪はスリップを繰り返し時速5kmがやっとという状態であります。このまま停止してしまったら一体どうなるのだるかなどということが頭をよぎる。この時点ではとにかく走れるだけ走るしかないのだ。ヨタヨタノロノロと車を騙しだまし走っているとトンネルに入った結構長いトンネルだ、そのうちに県境を越えた。かなりほっとする。経験からすると、福島県側はかなり雪が少ない。ひょっとしたら降っていない可能性さえあるのだ。
 トンネルはいくつもあって、トンネルを出るごとに雪の量が少なくなっているような気がする。頼むこのまま早く喜多方に抜けてくれと祈るような気持ちで走ることほぼ1時間あまり、案の定雪は確実に少なくなって、喜多方の町に近づくにつれて普通の道路になっていった。助かった。

 そのまま磐越道に入り常磐道に出ることにした。途中再び猪苗代湖近くで激しく吹雪いてきたが、路面が凍結しているわけでもなく、積雪も見られないので安全に配慮して100kmぐらいで走り抜ける。

 常磐道に入ると信じられないくらいに良い天気であります。日差しがまぶしいぐらいで地獄から一挙に天国にきたような感じであります。家では窓を大きく開け放して家族がくつろいでいるのであります。なんだか不思議な光景を目にしておおいにタジログ私でありました。

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