2011年1月18日火曜日

雪が多くて玄関から入れない 笑い事じゃないぞ!

洒落にならないほどの大雪だ

 この写真は山形の村山地方にある私の実家で2日ほど前のものであります。スコップの先にあるのが玄関なのですが、このままだと雪の山から玄関に降りて行くということになります。その奥にも第2の玄関がありますが、写真で見る限りでは完全に使用不能の状態ですね。オレンジ色の雪かき用の大きなスコップのようなものがある場所に帰省した時にはいつも私が車を駐めておりましたが、この時期に帰省したら車の駐める場所もありませんね。いや、冗談ではなくて、すでに貯まった雪の置き場所するないようであります。正面奥にある建物は最近の建築物ですから雪下ろしなどしなくても大丈夫なぐらいに頑丈なのですが、手前の建物は昔の造りなので、雪下ろしをしないと家のなかの襖とか戸が雪の重みで開かなくなってしまうのだそうです。へたすればそのまま倒壊してしまいます。

頼みの消雪道路ももはやアテにできない存在

 手前に黒く写っているのが道路ですが、一応消雪道路になっているのですが、老朽化してしまって、出る水がショボクてなかなか雪が消えないのだそうです。できた当座は近代的で画期的なものだったのですが、地方財政が逼迫しており、修理する予算などどこにも無いというのが現状でしょう。そんな事情などにはお構いなしに、毎日毎日雪は積もりますから、背に腹は代えられないので人目を盗んでは雪を道路に小出しにして消すほかはないのだそうです。

なんでこんな町並みにしたんだろう

田舎といえども私の実家は隣と隣が都会並みにひっついているものですから、雪の置き場に困ってしまうのです。昔からこの町並みだったし、昔はもっともっと雪の量が多かったのだから、もう少し家と家を離して建てられなかったのだろうかという疑問も生まれましたが、たぶん昔は車の行き来もなかったことだろうし、雪が降れば村全体が深い雪のなかに埋もれてしまっていたのだろうと想像します。

集落全体での引きこもり

冬の季節は家一軒の中だけで生活が帰結していたのに違いない
 昔の東北の農村の生活は想像するに家1軒の中だけで生活が成り立つようになっていたに違いないと想像するわけであります。だから1軒1軒の家は茅葺きでかなり大きかったのです。そこは居住スペースと共に家畜を保護するスペースに作業スペースに食料の貯蔵スペースがあり、冬場の内職を家族総出でコツコツとやっていた時代なのだろうと。職住近接の最たるものでありますね。だから雪の積もる半年の間は家族全員、村全体が引きこもりの生活をしていたのだと思います。それはそれでなかなかロマンチックな生活だと結構憧れているところはありますね。

雪に閉ざされていた半年の間に
 深い雪に閉ざされているわけですから、家族は四六時中一緒に過ごすわけであります。冬の夜は長いです。午後の4時ともなれば闇が迫ってくるわけであります。いつも早めの夕食を摂ったあとは囲炉裏端で暖を取るわけであります。そこから想像されるのは、現在のようにテレビやラジオがあるわけでありませ。囲炉裏の薪のはぜる音や、人々の息づかいの他は重い雪にきしむ茅葺きの家のため息以外に聞こえてくるものはありません。そこでの最大の娯楽はおしゃべりということになります。おしゃべりといっても、外界とはほとんど遮断された引き篭もり家族のなかではそうそう話題もあるものではありません。そうです、そこで登場するのは民話となるわけであります。生活のほとんどが自給自足であったから、娯楽までも自給自足だったのだと思います。現在よりは百倍ほども家族関係、地域の人間関係が濃密な時代だったのだと思います。私なんかはあんまし濃密なのは煩わしいなと思ってしまいますけど、それもいいかなと。

一家に最低でも3台の車があったらどうなるのか

 地方では一人一台の自家用車を持っていることが当たり前になっている。それは豊かさの象徴ではない。車を持っていなければ生活が成り立たないからやむなくそうしているに過ぎない。公共交通機関などは壊滅状態になって久しい。だから生活が豊かだから一人一台の自動車所有ではなく、生活必需品なるがうえでの一人一台ということになります。仮に4台の車があったとしたら、この大雪のなか駐車場の確保もかなり困難になるでしょう。
 また、タイヤ置き場っていうのも問題ですね。雪国ではスタッドレスタイヤというのが必需品であります。4本×4台分となりますと16本の交換用のタイヤを常に格納しておかなければならないのですから、これはこれで煩わしい問題であります。

私の住むところは本日も快晴であります。表にでると手足と顔はかなり寒く感じますが、家にいるかぎりはぽかぽか陽気で暖房なしで室温26度もあります。申し訳ありません。ではでは

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