2011年1月30日日曜日

一年ぶりの東京で 田舎者は腕を組んで立ちつくしてしまった

 秋葉原は自分の庭のようなものと固く信じていた。少なくてもここは自分の拠って立つ唯一の場所だと思っていた。その秋葉原で不覚にも迷ってしまった。まだ酔ってもいない時間に方向感覚を失ってしまった。自分の立ち位置を失ってしまった。
 一年ぶりの東京であったけど、これほど様変わりしているとは・・・・・。サラリーマンをしていた時代に萬世橋は少なくても朝夕2回は渡っていたところである。みっともないことに約束の場所にたどり着けなかった。電気街口から出れば迷うことも無かったのにと今更ながらに思うが、最初から勘違いしており昭和通り口から出るものと思いこんでしまったところに、その原因はある。

 と、思うことにしている。

 友はあと半月もすれば上海へと赴任する。その話は12月の初旬に聞かされてはいたが、どんどんと時間が経つにつれ寂しさが実感として襲ってきた。それは、どうしようもないことだけど、よくある類(たぐい)のものなのだろうけれども、自分の気持ちのなかでは、どうしても割り切れないものが残ってしまう。


 ひたすら呑んだ。黙々と呑んだ。もろもろの状況も、事情も、都合も全部己の胸に抱きしめて呑み続けて昨夜の情景は今鮮やかにフラッシュバックするだけになってしまった。こういうふうにするしかなかった。久しぶりに自分がぐじゅぐじゅと壊れていくのを実感した。

 帰宅途中で駅からバスに乗るのも、まして歩くのも面倒になってウン年ぶりにタクシーに乗った。途中で以前のなじみの店の看板が目にとまり、下車したのが運の尽きで、見知らぬ人たちと朝までの馬鹿騒ぎを演じてしまった。そういうものですよ。相変わらずの馬鹿は直しようがないことをあらためて自覚した。

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