2011年5月31日火曜日

サブバッテリーを始めて本格的に使ってみました。

 半年ぶりぐらいの車中泊旅行をやってきました。空き時間もたくさんありましたので、私は移動する仕事部屋を試してみました。妻が水戸のホテルで宴会をやっている間に私は公園の駐車場でお仕事であります。ここではLEDランタンが写っていますが、実際は家庭用のLEDランプを使いました。電源はサブバッテリーから供給しましたから、パソコンもランプも電池切れをまったく心配することなく延べにすれば8時間ほど自分がどこにいるのかも忘れて没頭することができました。
 翌日も朝早くから起きて仕事をやり続けました。完全にバッテリーがなくなるまで試したかったのですが、なにせ一泊二日だけの予定ですから、使い切るまでの時間がありませんでした。
 水戸周辺はラジオの入りが悪くてまいりました。これも車中泊用に用意したPanasonic TV(1ch-12ch)/FM/AMラジオ RF-U700-Sというラジオなのですが、AMもFMも満足に入ってこなくていらつきました。大洗に移動してからもおなじような状態でありました。地方にいくと少なくても2局ぐらいは受信することができるのですが。それに比較しますと車のラジオの性能の良さは抜群であります。ただそれを聞くにはアイドリングをしてなければならず、それが嫌だったのでiPodを聞いていました。
 水戸ラドン温泉というかなりいかがわしい名前の温泉が大洗に行くときの定番の温泉になっています。名前がいかがわしいわりには温泉はなかなかいいです。源泉掛け流しで露天風呂が気持ちいいです。入っていた爺さん達とすっかり話し込んでしまい、すっかり湯疲れしてしまい、フラフラになって出てきました。この日は珍しく向こうから話しかけてくる人が多くて周辺の情報をたっぷりと仕入れました。日帰り温泉はこれができるからいいのです。
 日帰り温泉で地元の人たちから根掘り葉掘り話を聞き出すというのは、最近の私の得意技になりつつあります。
久しぶりの車中泊から帰ってきたらまたどこかへ出かけたくなってきました。どこぞの静かな温泉場に車を横付けにして、仕事をやりながら温泉に入るってのがとてもいいなと思い始めています。

2011年5月30日月曜日

ブルーホークス マーチングバンド 娘もたまに撮ってやらないと



ブルーホークス マーチングバンド 大洗高校での演奏会


 写真がなかなか旨くならないので業を煮やしてビデオに切り替えました。なんてことはないのですが、iPhoneで撮影したビデオ以外では始めてのビデオ撮影です。やはり3脚は必要ですね。画面がぶれていて見づらくてしょうがありません。たまたまパーカッションが近くにいましたので、これ幸いとパーカッションを中心に撮りました。白くモヤがかかっているように見えるのは何が原因なのでしょうか。技術的なことはさっぱりわかりません。これから勉強します。



2011年5月28日土曜日

HONDAの純正カーナビが動いた

 本日はちょいと用事があって、水戸市まででかけることになりました。先日購入したiPhone用のカーナビを試すには絶好の機会であります。お昼ごはんを食べてから、例によって一般道をのんびりちんたらと走って目的地へ向かいました。土日の高速道路千円は確か今月までだと思ったけど別に急ぐ道中でもございませんのでお気に入りの音楽を聴きながら、妻とは普段できない世間話なんかを交わしながら走ります。
 以前にも書きましたが、もう一度ここで復習の意味で経過を簡単に説明しておきます。HODAの純正カーナビが徹底的におかしくなったのは、充電しようとバッテリーを外したことが原因でありました。充電が終わってエンジンをかけたのに、これまで記憶していたであろう、カーナビのOS(基本ソフト)がまったく立ち上がらなくなったのであります。
 これまでも結構調子が悪い状態が続いておりました。というのもカーナビ自体は立ち上がってくるのですが、DVDの地図データの読み込みが遅くなってきていたのです。最初は「あれ?なんか立ち上がりが遅いな」なんていう程度だったのが、だんだんとひどくなり「DVDは結露または汚れによって読み込めません」なんていうのがでてくるようになって、しまいには15分ほど走ってようやく読み込むなんていう状態でありました。最後には30分ほどでやっとなんていう状態でありました。
 近所を走っているぶんには何ら影響はないのですが、知らない土地で次の目的地に行かなければならないなんていうときは笑いごとではありません。でも笑っていましたけれども。
 それでも、カーナビのOSが立ち上がらないなんていうことは一度もありませんでした。私はこれまでカーナビの機器そのものに基本ソフトがロムで組み込まれているものだとばかり思っていました。今回のことでわかったのは、HONDAのナビはDVDにOSがあり、それをメモリーで記憶しているということです。だからバッテリーを外したら記憶していたOSが全部消えてしまい、再びDVDにあるOSを読み込みにいこうとしたのです。
 ところがです、以前から読み取り部分が不調だったのでOSそのものを読まなくなったので、まったく役に立たなくなったということであります。
 考えてみればHONDAのこのやり方のほうが絶対に正しいですね。OSをROMで持ったならば、基本OSのバージョンアップはできないということになりますね。この方法ですと地図データのバージョンアップにあわせてOSのバージョンアップも行えるわけでありますから。

 それでナビが動作した話であります。30分ほど走った時点でDVDを抜いて再度入れてやったのですが、まったく変わらずで読み込んでいきません。それでまた1時間ほどたって駄目もとだからと同じことやったら、なんとこれまでの画面とはまるで違う画面が出てきて読み込み始めたのです。読み込み終わったら、これまで何事もなかったように動作しはじめたのであります。
 返してiPhone用のカーナビ代金6000円。ま、しょうがないですね。予備のナビとして使います。結局水戸のホテルにつくまで2つのナビが競合することになりました。
 そこで徹底比較をやることになりました。もう少しこの2つを比較してみないとわかりませんが、iPhone用のカーナビは思っていたよりも高性能であります。ルート選択なんかはHONDAのより優れているような気がしますし、リルートのやり方も優れているように思われます。欠点は画面が小さく信号のたくさんある街になると見づらいです。音声ガイダンスもかなりきめ細かいのには驚きました。HONDAの純正ナビに劣ると思われるのはVICSに対応してないという点であります。もっともHONDAのは対応しているといっても抜け道マップを表示するわけでもないのでそれほど役にたつといったものではないですけれども。

2011年5月27日金曜日

マーチングバンド ブルーホークス 「被災からの復興 大洗町」

以下「ムーログ!ちいきのきずな」http://www.chiikinokizuna.jp/blog/article/248様からの抜粋
 3月11日から2カ月半あまりが経ちました。茨城県日立市、北茨城市、大洗町などもまた、地震と津波の大きな被害を受けました。大洗町では、活気を取り戻そうと、被災地の住民自らが立ち上がって復興イベントを開きました。イベントに参加した大洗町の誇り、マーチングバンドが人々の心をひとつにします。

2011年5月26日木曜日

知ってると超便利なGoogle Chromeの小技&裏ワザまとめ

知ってると超便利なGoogle Chromeの小技&裏ワザまとめという興味深いサイトを発見した。知っていた小技もあったが、中には「へえーーー」と唸るような小技も多数見受けられたので、私のメモ代わりと、日頃Google Chromeを使っている方のために

パソコンの たこ足配線 は他人事ではない tsubakiさんからコメントがすぐついた

ブログをアップした途端にコメントがありました。私の感じでは1分かからなかったのでは、マイッタ!tsubakiさんには他にもたくさんのコメントをいただいているのですが、なかなか返信できず失礼しています。



tsubakiさんが投稿「パソコンの たこ足配線 は他人事ではない」にコメントを書き込みました。
おもわず書き込みたくなるネタを発信されますね。タコ足は基本的に止めたほうが理想ですが、現代社会なかなかそうはいきません。ようは許容量内で使用する分には問題ありません。コードが20Aまでしか対応していないのに、それ以上消費する機器を沢山接続すればそれ以上の電流が流れますのでコードが熱を持ち発火の恐れがあります。また今回のニュースでは「折れ重なる」がポイントです。折れ重なっているだけでは良いのですが、生活の場ですから人が折れ重なったコードを踏んだりしたのでしょうね。コードの被服が薄くなり他のコードとショートしたのが原因ではないでしょうか?

要はコードを踏むような配線はしない、コンセントの差し込み口が引っ張られて抜けかかるような、差し込み口が甘くなるような配線はしない、許容量が充分な太いコードを使った製品を選ぶ事が肝要かと。

 なるほど、そう云われるとなんとなく安心するところがあります。いかにズボラな私でもコードを踏むような場所には設置してませんね。それに、パソコンの電源、ディスプレーの電源等はコンセントから直接取るようにしてありました。電源タップには細々とした付属する機器ですね。PC用のスピーカーとか、外付けのハードディスクとかHUBとかですね。
 これを書いていて、ふと思ったのですが、最近増えているのはUSBですね。USBから電源を取るっていう機器も増えていますね。スキャナー・iPad・iPhone・ペンタブ等々電源を取らなくてもUSBを使用するものが増えまくってきて、最近はUSBHUBも使用しています。なんだか人間として、まったく正しくない生活をしているようで後ろ目たい気がしてくる今日このごろです。

パソコンの たこ足配線 は他人事ではない

「名古屋・瑞穂の火災、死者5人に 「たこ足配線」が原因か」というニュースがありました。
 名古屋市瑞穂区豊岡通の無職野田功さん(79)方で同居の3世代8人のうち7人が死傷した火事で、2階にあったパソコンなどのコード多数が「たこ足配線」で絡み合っていたことが、愛知県警への取材で分かった。コード下の床が丸く焼けており、県警はこうした配線状態が過熱やショートにつながり、コードが火元となって燃え広がったとみている。
 県警によると、功さんの孫で意識不明の重体だった同市立瑞穂小学校6年の修子さん(11)が25日夜に死亡し、死者は5人となった。
 県警への取材では、床の焼けた跡は直径20センチの円形だった。全焼した2階南東側の8畳間のパソコン台の下にあった。台にはデスクトップとノート型の計3台が置かれていた。室内の2カ所からのびた延長コードなどと接続した状態で、コードは無造作に折り重なっていた。
 私のところでもコンセントが足りなくて、電源タップというものを多様しております。家を建てる時にかなり多めのコンセントを用意したのですが、それでもまるで足りません。だから「たこ足配線」をしているのは、すんごく理解できるのです。
 因みに私の4畳半ほどのパソコン部屋にあるコンセント数ですが、8個であります。それぞれに2つずつ電源がついていますから計16個が独立してあります。もちろん最初からきちんと設計してコンセントを設けたわけでないですから、使い憎い場所にあるのも2個ほどあります。それでも一般の家庭よりはかなり多いほうではないかと思います。でもそれぐらいの数ではまったく足りません。8個口のスイッチ付のタップ型のコンセントを2個使っていて、満杯状態であります。他に6個口のコンセントを使っていますが、3個ほど空きがありますが、場所が悪いのでそれ以上は使えない状態です。
 以前にはクライアントのパソコンが2台にサーバーが1台稼働していました。そりゃあもう、電源コードやらPC接続コードやらLANケーブルやらが絡み合って凄まじい状況に有りました。現在はレンタルサーバーに切り替えましたし、2台のパソコンは他の部屋に追い出してやって別個に稼働するようにしています。現在1台だけのPCになっていますからなんとか落ち着きを取り戻しています。 これでも1台のパソコンが休止状態なのです。これで、もう一台稼働したら、また多くのコンセントが必要となることは目に見えるようであります。

 いったいどれほどの機器を4畳半の狭い部屋のなかで使っているのかといいますと、ざっと数えただけで25個は軽く超えてしまいます。もちろん全部の機器が常時通電されているわけではありませんが、本当に考えさせられてしまいます。こんなことなら家を建てる前に一部屋に30個以上のコンセントをつけておくべきだったとまじめに思います。

 リビングにしたって、現状すごいことになっています。しかし、一部屋に30個40個とコンセントがある光景ってどうなんでしょうかね。日本珍百景に登録されてしまうかな。

大洗高校 マーチングバンド ブルーホークス 2011-05-28 演奏予定

「洗高応援隊の日記」様より転載
5月28日(土)は2本番演奏を予定しています♪
ファミリー大集合 復興・感謝!~広げよう茨城の輪~
 場所:日立アプライアンス 多賀工場
 特設ステージ:午前9時35分~予定  雨天決行

2011年5月24日火曜日

モンベルの雨合羽 参議院・行政監視委員会のネット中継 圧力鍋炊飯

 昨日、参議院・行政監視委員会のネット中継を最後まで見てしまった。参考人に呼ばれている4人の方達の意見を聞いていて、日本にはまだこんなに信頼のできる人たちが残っていたんだと感じて、なんだかウルウルきてしまった。
参考人質疑「原発事故と行政監視システムの在り方」
 小出裕章さん(京都大学原子炉実験所)
 後藤政志さん(元東芝、原子炉格納容器設計者)
 石橋克彦さん(神戸大学・地震学・原発震災)
 孫正義さん(東日本ソーラーベルト構想)

 昨日も雨、本日も雨ということで、妻のヨレヨレになった合羽をいきなり思いだし、これから梅雨に入っていくし、このジャブジャブの放射能のなかでは万が一ということも考えられるので、私のなけなしの小遣いをはたいて雨合羽をプレゼントしてやることにした。検索していて驚いた、雨合羽なんて馬鹿にしていてはいけませんよアータ。2万円とか3万円なんてのがザラにあるじゃないですか。大概2万円以上となるとゴアテックを使ってますね。さすがに2万円以上の出費はイタイので、ゴアテックを使用している製品は見なかったことにして以下のものにすることにした。



 言い訳じゃないけれど、オレは雨合羽持ってないもんね。って、雨の日は絶対に外に出ないからいらないのだから。でも自分の合羽を買うとしたら、絶対にゴアテック使用のものをどんなに無理しても買うだろうなと思った。オイオイ。この部分はかなりまずいな。読まなかったことにしておいて。

 数日前から再び圧力鍋でごはんを炊き始めた。最近ついつい面倒で電気炊飯器なってしまっていたのだけれども、節電という観点から考えたら、圧力鍋を使うべきだろうなと思いなおしたからだ。久しぶりに炊いたのだけれど水の分量も火加減にも自信があったのだが、どうも餅米を炊いたように粘りけが強くて今一好みではない。
 本日から炊く量を少なくして「これだ!」という方法を探してみたいと思っている。炊く量を少なくするのは、それだけ炊く回数が多くなるから、実験する機会が増えるということであります。圧力鍋はフィスラーの4リットルを使用します。圧力鍋はフィスラー2台にティファール1台持ってますが、フィスラーが好きです。圧力鍋3台も持っていれば生きている限りもう買うこともないでしょうけれども、もしまた買うとなったらフィスラーにしますね。
 いつもは米と水を同量にして炊いてますが、本日は水をいくぶん少なめにして炊いてみようと思ってます。これで駄目だったら蒸らしにあるか、炊いている途中で水分を逃がしてやるか、炊き終わった後に水分を追い出すか。とにかくいろんなことを試してみようと思っています。以前はもっと旨いご飯が炊けていたのだけれども。

2011年5月23日月曜日

大草原の小さな家 Going West(西部への旅)


 カンザスという所は、どこまでもつづく、山も谷もないたいらな土地で、たけの高い草が一面にはえ、風にそよいでいました。何日も何日も、一行はカンザスの旅をつづけ、見えるものは風に波立つ草と、とてつもなく大きな空ばかりでした。このとほうもなく広い平地では、地平線はまるくカーブをえがいて見え、四方を見まわすと、まわりじゅう空にかこまれたまるい輪のまんまんなかに、馬車がいるように思えるのでした。

 一日じゅう、ペットとパディが、足をはやめたり、ゆるめたり、またはやめたりして、前へ前へとすすんでいくのに、いつまでも、この輪のまんなかから一歩もでられないのでした。太陽がしずんでもまだ、この輪は馬車のまわりをかこんでいて、そのまるい地平線のあたりがうす赤くなっています。やがて、少しずつ、地面が黒ずんできました。草を吹く風が、さびしい音をたてます。キャンプの火も、このとほうもない広さのなかでは、とてもちっぽけで、たよりなげです。でも、空にかかった星は、ローラが手をのばせばすぐにとどきそうなほど近く、キラキラかがやいていました。

 つぎの日も、おなじ地面、おなじ空、そして、地平線はあいかわらずまんまるでした。ローラとメアリーは、そのどれにもあきあきしていました。することは何もかも前の日とおなじで、見るものも何ひとつかわらないのです。馬車のうしろのベッドをととのえて、灰色の毛布をきちんとかけ、その上にローラとメアリーはすわるのです。馬車にかけた幌の両がわはまきあげてしっかりむすびつけ、草原をわたってくる風が吹き込むようにしてあります。風は、ローラのまっすぐな茶色の髪と、メアリーの金色のまき毛を、四方八方に吹き飛ばし、つよい日ざしは、まぶたに痛いほどでした。

 ときどき、大きな野ウサギが、風にうねっている草の上を、ぴょん、ぴょん、大きくはねて逃げていきました。ブルドックのジャックは、でも、ふりむきもしません。かわいそうに、ジャックもつかれていたのです。それに、こんなに長く旅をしたので、足がいたいのです。馬車はガタゴト動きつづけ、幌の屋根は、風にバタバタ鳴っていました。二本の車輪のあとが、馬車のうしろにかすかに残っています。いつもおなじように。

 とうさんの背中は、まるくかがまっていました。手にもった手綱はたるんだままで、長い茶色のひげが風に吹きまくられています。かあさんは、手をひざにくんで、きちんと背をのばしたまま、しずかにすわっています。キャリーは、服や毛布の包みの間につくった寝場所で、おとなしく寝ていました。
「アーア!」メアリーがあくびをし、ローラはいいました。「かあさん、馬車からおりて、馬車のあとについてかけたいの。足がだるいんだもの」
「いけませんよ、ローラ」かあさんはいいました。
「もうすぐキャンプするんじゃないの?」ローラは、またききます。馬車のかげのきれいな草の上にすわって、昼ごはんを食べてから、とても長い時間がたったような気がするのです。
 とうさんが返事をしました。「まだだよ。キャンプをするには、まだ早すぎるんだ」
「いますぐ、キャンプしたいのよ。とってもくたびれたんだもの」ローラはいいます。

 するとかあさんがいいました。「ローラ」たったそれだけ。でも、それは、ローラわがままいってはいけません、ということだったのです。ですから、ローラも、それきり、口にだしては何もいいませんでしたが、すなおな気持ちにはなれませんでした。じっとすわったまま、いろいろなことに腹をたてつづけています。

 足はいたくてたまらないし、風はあいかわらず髪の毛をめちゃくちゃに吹きまくります。草は波うち、馬車はガタガタ動き、長い長い間、あたりの景色も、ちっともかわりはしませんでした。
「クリークか川があるようだ」とうさんがいいました。「おまえたち、むこうの木立が見えるかい?」
ローラは立ちあがって、弓形の幌枠につかまって背伸びをしました。ずうっとむこうに、ひくい黒っぽいしみみたいなものが見えます。
「あれが木立だよ」とうさんはいいます。「影のかたちでわかるんだ。この土地では、木があるってことは水があることだよ。今夜はあそこでキャンプをしよう」

2011年5月20日金曜日

どうだ!これが「大草原の小さな家」の幌馬車なのだ

 にわかに「どうだ!」と云われても困ってしまうけどもね。それに別にこれはオレの物語でもないし、オレが書いたイラストでもないからね。

 「大草原の小さな家」は私の憧れであります。こんな馬車でのんびりと旅を続けられたらと思うといても立ってもいられなくなるのですが、いても立ってもいられないといっても、そこに草原があるわけでもないし、幌馬車があるわけでもないですからね。基本的には何もすることはできず、せいぜいこの絵を見て想像を膨らましているに過ぎないのでありますが。

 私もそうなのですが、ほとんどの方は「大草原の小さな家」を家を知るきっかけになったのはNHKで何度も流されたテレビドラマシリーズだと思いますが、原作はそれとはまるで別物だということを知っておいたほうがいいと思います。

 原作を読むといっても、少年少女文学の範疇に入りますから、小学校2年生程度の国語力があれば簡単に読みこなせてしまいます。なんでそんなことが断言できるのかといいますと、まさしく私の持ち合わせている国語力なるものがそうだからであります。

 当時舗装された道路があるわけではないし、むしろ、道らしい道があったかさえも怪しい情勢であります。とうさんとローラから呼ばれているチャールズ・インガルスは坂本龍馬と同い年と云われれば、どの程度昔だったかのイメージが掴めると思います。
 この馬車一台が全財産であります、これで一家5人と一匹が何年もの間、西部にあるだろうと思われる理想の土地を目指して旅する物語であります。これは実話でありますが、私のように日々の糧を得るのにも四苦八苦しているものにとっては、旅する資金はどうしていたのだろうかと疑問に思うのでありました。
 やはりどの時代でも生きて行くには得意技を持っていなければならないのであります。当時はそれほど貨幣経済が発達していないといっても、実際には田畑を耕しているわけでもないので、食料を手に入れるにはそれなりの物を持ってなければなりませんでした。このあたりはじっくりと読み込んでみれば面白いところであります。
 幌馬車での旅は毎日がアウトドアライフであります。このあたりの暮らしぶりはテレビドラマにはほとんどでてきませんが、原作本には詳しいのであります。料理も結構詳しく説明されており、結構豊かな食生活を送っていたことを知り感動するところであります。

2011年5月18日水曜日

カメラで撮るなら どっちの虚構を選ぶか それが問題なのだ

 今日はいつもなら間違いなく削除したであろうと思われる、写真を4枚をあえてアップしてみました。
 最近はこの風景を撮っても、パソコンに入れた時点で削除するだろうなと思われるものは最初から撮らないようになっています。なんの躊躇いもなく、気に入らない写真は容赦なく捨ててしまうと先日書きましたが、その自分の選択眼も少し怪しいのではないかと迷う時があります。
 いつもの私なら当然この墓石を避けます。上部のクレーンだけをアップで写して何食わぬ顔をしています。でもその選択が正しいのかどうなのかという部分がわからなくなってくるのです。
 下部に墓石が並び、その上に巨大クレーンがあるから、解釈の仕方でひょっとしたら意図はしなかったけれども結構面白い画像を構成しているのではないかとも思うのであります。

 2枚目の写真は今の私にとってはあってはならない世界なのです。こんなごちゃごちゃ家々が建て込んでいる町などは目にしたくないのです。普段の私であったら、小さく写っている庭木にできるだけ近づいて周囲の建物が画像のなかに入らないように排除しているでしょう。
 でも何気なく自分の意にそぐわないものを排除するというのは、敢て虚構を構築していることにならないかと思うのです。写真は虚構だということに最近ウスウス気がついてきていますから、それでいいのですが、ではどちらの虚構を選択するのかという問題になってくるのです。より現実に近い虚構を選択するのか、クローズアップによってデフォルメされた虚構を選択するかの問題です。
 その答えはたぶんいくら思案してもでないものだと思います。3枚目の左の写真はこれまで好んで撮ってきたような写真です。視点を変えて面白さからみたら、1枚目と3枚目のどちらでしょうか。もちろんこれら全ての写真は芸術性とか技術的なものから大きくかけ離れていることは明白でありますが、1枚目と3枚目どちらを選ぶべきでありましょうか。

 最初はたんにシャッターだけをむやみやたらと押していた、にわかへっぽこカメラマンも、その腕はひとつも向上していなのに余計な迷いだけがでてくるようになってきています。

 町の記録としての写真なのか、ここに行ってきたよという集合写真なのか、写真って様々な意味があるのだとなと、今頃考え込んでいるのであります。

 先日から少しずつですが、これまでの家族写真をデジタル化することを行っています。まだ50枚もその処理を終えていませんが、実に退屈な作業でも何枚も自分の写真に接していますと、気がつくことというか教えられることが多くあります。
 なんだこれはつまらん写真だなと思うのが、他人(ひと)様が撮った集合写真であります。撮ってくれた人には大変申しわけないのですが、まったくくだらん写真ばっかしです。共通しているのはそれぞれに表情がないのです。画一的で約束されたように同じ構図で無味乾燥です。このくだらない集合写真がまた腐るほどあるのです。これはスキャナーでの読み取り作業をしているとぐったりと疲れてしまいます。そこで集合写真はよほど面白くなければ全部排除することにしました。

 もともと私は性格破綻者的なとろこがありますから、滅多なことでは集合写真など撮らないやつなのです。どちらかというと集合写真を撮ろうとしている人間を撮ったり、集合する前の乱れた顔とか撮影後にほっと油断した顔を撮る方が好きなのであります。だから私に集合写真を期待しても無理でありますから。カメラは持っていてもその意味合いが違うのだと思います。ん?何を言いたいのかわからなくなってしまった。いつものことだけど

寝心地が抜群に良い ダウンの寝袋(ロゴス(LOGOS) ダウンアリーバ)

 この非常時にのんびりと寝袋のことなんかを書いていいのだろうかと思わないこともないのですが、私の周囲の普通の人々と会話をしてみると、私以上に危機感と問題意識を持っている人が多いということがわかってきて、なんとなく安心もする。
 一番問題なのは無関心ということだと思う。具体的な行動を起こそうと思っても、私をはじめ普通の市民は無力なのです。その証拠に何が正しいのか、何が間違っているのかを判断する正しい情報をほとんど持ち合わせていないということです。結局、基本的には何もできないということです。だからといって原発問題から目をそらすということではなく、関心を持ち続けることがもっとも大切なことであるし、それしかできないということだと思います。

「私は繭に包まれるようにして眠りたい」と題してブログを書いたのが2011年2月18日金曜日となっております。このころは放浪するための準備に明け暮れており、すべてが、今年の旅のことだけを考えていた時期であります。
 そんな時にダブルの羽毛布団セットも購入しました。これは後部座敷に万年布団として敷いておき、いつでもどこでも簡単に寝られるようにと画策したものですが、これは一度だけ試しに寝ただけで、押し入れにしまい込んでしまいました。
おそらく、来客用となってしまいそうな気がします。それで今回はダウンの寝袋の話になります。

 なにせテントを買ったら家族の顰蹙など何するものぞということで部屋のなかに貼って、しばらくはその中で寝泊まりしているような奴ですから、寝袋を買ったら当然その中に寝るなんてことは当たり前のことなのであります。ということであれから毎日この購入したダウンの寝袋ばかりを使っています。

 なにせこれまでの寝袋などはホームセンターで購入した化繊でできている安物のしか使ったことがありませんでした。寒いところではそれをダブルにして使っていました。若い頃にはそれで寒さを感じることがなかったのですが、老いてきますと結構寒さを感じることになります。寝るときに寒さを感じるというのはたまりません。

 ただひたすらに寒さに耐えて夜明けを待つなんていうのは最悪な事態で、絶対に避けなければいけないことだと思っています。寝るときは自宅にいる時以上に快適でなければいけないと思っているのです。そうしないと旅そのものが最悪なものになってしまいます。

 毎日ダウンの寝袋に寝はじめたというのは、もちろん旅に出たときに始めて使用して戸惑うことが無いように、この寝袋に慣れておくという意味あいがありました。それは最初の頃であります。最近はこのダウンの寝袋の寝心地の良さから離れられなくなってしまっております。二月に使用し始めた時に比べれば夜間の温度は大分上昇してきています。そうなると、この熱を逃がさない効能が逆に暑くて眠れないという現象を引き起こすのではないかと懸念されたのですが、今のところはまったく心配することがなく、相変わらず心地よい寝床を提供しつづけてくれています。どうもダウンが熱調節をしているのではないかと思えてきます。このあたりはまったく素人なので確証は持てませんが。それでも真夏になったらそうもいかないだろうなと思っています。しかし、これほどの威力とは知りませんでした。これはあくまでも自宅で使用した感想であります。実際に表ではまだ使ったことがありませんので悪しからず。

尚、写真にあるロゴス(LOGOS) ダウンアリーバは残念ながらすでに売り切れており、入荷待ちになっております。私はこれを16000円ほどのアウトレット商品として特価で手に入れました。同程度のダウンのシュラフならば間違いないような気もします。

2011年5月16日月曜日

思うように写真が撮れないもどかしさ

 撮影する場所では、もっともっと光が乱舞していて白昼においても幻想的な光景を現出している時がある。

 「おお!これだ!これだ!!これは美しい・・・」と独り合点してシャッターを切るのだが、そこがほれ、素人の悲しさよ。

 自宅に戻ってパソコンに取り込んで確認したらそれほどのこともなかった。言うてみれば駄作のオンパレードだ。ほとんどの画像を削除する。最初はなかなか削除できなかった。100枚ほどを3回ぐらいに分けて削除していく。結局残るのは数枚ということになる。本当はそれでも多いくらいなのかも知れない。いくらデジタルで現像に金がかからないといっても、大量な駄作をそのままハードディスクの肥やしにしておくわけにはいかないという事情もあるが、撮りためるということも大事だが捨て去ることはもっと重要だということがわかってきたのです。削除したデータは取っておいてもおそらく2度と利用することはないし、あったとしても数十万枚に1枚ぐらいなものだろうと予想がつく、仮に数十万枚の画像を残しておいても、膨大なデータの中からどうやってその1枚を抽出できるというのだろうか。
 毎日大量の画像を削除していくと、削除される画像にはそれなりの傾向があることがわかってくる。それはあきらかなピンボケだったり、見るからに平凡なものであったりと、一目で誰でもが私と立場が同じであったらば躊躇いなく削除するであろうと思われるものがほとんどあるが、そこには自分で気がつかなかった自分らしい画像を残そうというものが見えてくる。見えなくするために削除しているのに、見えてくるものがあるというのも不思議な話ではあるが、最近ようやくそのことに気がつき始めている。しかし、今の段階ではそこからひとつも踏み出していないもどかしさを感じてしまう。

 おそらくプロだったら、自分のイメージとおりに光を取り込み風景をトリミングできるのだろうと思う。このあたりが今一番もどかしいところであります。
 もどかしいと思っている間は、まだまだ可能性はあるということだ。何も感じず見ることもなく、その風景の前を素通りするようではまったく処置なしということではないかとではないかと言い訳をする。もどかしいと思いつつもさっぱり上達しない自分が実にもどかしいのだ。
 ん??なんだか文章までもがもどかしくなってしまったわい。

2011年5月15日日曜日

「まさかこんなことが?」なんていう不条理が何食わぬ顔をしてまかりとおるのが現実です

 まったく安心できないという現状を知ったときから私の放浪癖はぴたっと止まってしまった。
「なぁにオレ独りぐらい家にいなくても家族の生活は平常どおりにまわっていくさ」という、どこかに家族と社会への信頼があり、それらを前提とする安心と甘えがあったからこそ、いい年をした親父が家出を繰り返すことができたのだ。
 振り返ってみれば私の人生にとっては、実に自由で幸福な10数年間であった。不思議なことに旅して回っている時はひとつも幸福だと思わなかったのだけれども。
 それはそれは独りぼっちで寂しくて不自由で情けないほどに心細くて心身ともにぼろぼろになっていたような気がします。だから最初に独り旅を始めた頃は2日もすれば何らかの理由をつけて自宅に逃げ帰っていたのです。それでも体裁というものがあるから、旅はいいよとさかんに吹聴して回っていた。
 いつもいつも這々(ほうほう)の体で逃げ帰っても、しばらくすると旅にたいするエネルギーのようなものが沸き上がってきて、自分では2度といきたくないと思っていても、気がついたら意に反して旅の空の下ということばかりであった。

 3月11日の日を境にして、これまでの私の旅は終わったのかも知れないと思う。また旅に出ることはあるかも知れないが、それはこれまでの意味合いとは、大きく違うような気がしてならない。

 また、このように不安定な状況で家族を残して自分だけ遠くの空の下にでかける気分にまったくなれない。いつ大規模な余震があるかも知れないし、なによりも一番問題なのは福島原発の状況も定かでない中で大量の放射能に襲われないとはひとつも断言できない。

 もうすでにどうしようもないぐらいに放射能に汚染されているのかも知れない。でもひとつも情報を出してこないから、判断のしようがない。本当の事を出したら国民がパニックを起こすかも知れないと思っているのなら、まったく国民を信頼してないことになる。国民を信頼してないから、逆に国民にも信頼されないという・・・・。なにがどうなっているのやら。

 日本国中たとえどこへ行っても無駄とはわかっていても、脱出する真似事ぐらいはしなければいけないかも知れないからだ。
 それがこれまで私の我が儘を許容してくれていた家族への努めだと独り思いこんでいるのです。放蕩息子というのは良く聞くが、そうざらには放蕩親父なんていうのはおるまい。まして秩序ただしい現代社会に於いては。


 これまさしく「父帰る」か・・・・・。




 福島原発の核爆発以来こんなにも信用できない政府だったのかなと思う今日この頃なのだが、もともと政府なんていうものは信用ができないものだったのを見て見ぬふりをしてきただけだったのではないかとも思う。
 何ごともない時には、それはそれで済んだのだが、国家の一大危機なんていう状況になって始めてそのアラレもない国の姿を始めて見えてきたのだとも思う。

 ある人は政治家が悪いという、ある人はアホな国民が悪いともいう。どれも一理あると思うが、今この存亡の危機にあって誰かを、もしくは何かを責めたとしても、何ひとつ解決はしないこともわかりきっていることだ。

 最近良く考えることは、自分の立場を置き換えてみるということです。例えば自分が東京電力の社長であったならば、自分が管総理であったならば、経済産業省のお役人であったならば、文部科学省のエライ立場であったならば、テレビ局の経営者であったならば、大新聞社の社長であったならば・・・・・と
 やっぱり彼等と同じようなことを考え行動していないかということであります。いやオレは絶対に彼等とは違うとは言い切れない部分がたくさんあるということであります。だってそれまで過大な恩恵に浴してきたわけでありますから、その既得権益を仲間と共に何がなんでも守りたいと考えるのが普通だと思うのだが。

 自分が権力を持った場合に何も悪いことを行っているという意識なしに、むしろ良いことを行っているという信念すらあるのかも知れません。
 ここには多分に私の僻(ひが)み根性なるものが入っていることは否めません。人にはこれまで継続されてきた立場立場というものがあり、思考範囲もそこから悦脱するなんてことは余程のことが無い限りできることではないと考えるのが当たり前と思ったほうがいいのだということです。

 だから「此の期に及んで、あいつらまだあんな事をしようと考えているのか!」なんて憤ってみても、所詮それはごまめの歯ぎしり程度のことで、何も変化しないということであります。こうして私たちはあれよあれよという間に、奈落の底まで落ちていくものなのです。「まさかこんなことが?」なんて思っても現実的にはその、まさかが平然とした顔をしてまかり通るということだと思います。

2011年5月14日土曜日

市川市 須和田公園 界隈

 ようやく雨があがった。3.12の福島原発の核爆発以来「春雨だ濡れていこう・・・」なんてことには決してならない悲しさよ。
 こんな記事があった。「柏、松戸、流山、三郷のホットスポット」

関東の一部に放射線の強い場所があります。柏、松戸、流山、三郷の4市です。放射性物質は「県境」などは判りませんから、測定値に従って行動することが必要です.

 洒落にならない。市川という文字が入ってないことで無理矢理ほっとするところがあるが、放射性物質は「県境」が判らないのなら「市境」だってわからなだろうってことだ。こういうのを「青天の霹靂」っていうんだね。

 松戸、流山、三郷なんていうのは東京都金町浄水場および市川の取水口の上流もしくは同地点にあたるのだから、無事では済まないだろうと思う。汚泥汚染の情報は流されているけど水道水汚染の発表はまるでないですね。あってもどうしようもないけどね。
 遠く離れた神奈川県南足柄市内の「足柄茶」の出荷自粛という事態にもなっているのだから、これからどんどんとこういう放射能汚染のニュースが流れてくるだろうと思う、しかも後出し小出しにね。

 雨上がり後の植物はキラキラして美しい。特に新緑の5月のころは緑が萌えあがって命の逞しさを感じます。ついつい木々の艶姿に見惚れてしまいます。

 お散歩カメラを持ち歩くようになってからは、周囲を一層注意深く観察するようになりました。以前の散歩は万歩計で最低1漫歩は歩かなくてはとか、この距離をスピードをつけてより早くなんてことばかり考えていましたが、今はのんびりと他所様の家の庭の草花をじっくり観察したり、カメラの設定をいろいろ変えて試したりと、その足取りは遅遅として進みません。
 これまで掲載してきた自宅周辺の写真はウソといえばウソだと思います。そこには自分の気持ちに都合の悪いごちゃごちゃとした町並みや、使い古した生々しい日常の風景を極力排除しているからです。花草木を極端にクローズアップしてトリミングしてしまって集めれば、いかにも大自然のなかにいるような心地よさを感じます。
 遠くへでかけるだけが旅ではないということ知ったような気がします。非日常を求めて旅にでますが、日常のなかにも非日常を現出させられるのではないかという思いに至っているのです。たとえ森の中に住めなくても想像という能力を駆使することによって森の中にも草原にもぽつりと独り住み続けることができるのではないかと思い始めています。
 私を良く知る人はこの時期に自宅にいるのを訝しんで、「あれ?まだここにいるの」「どこへも出かけないの」と不思議そうに尋ねてくる。自分でも不思議なくらいに昨年までの放浪癖はなんだったんだろうと思えるぐらいに、内奥から突き上げてくるような旅にたいする情熱が消え失せていることを感じてしまう。もう私という人間は燃え尽きてしまったのだろうかと吾ながらいささか心配になってしまう。
 雨が降っていない限りは、散歩にでて、この公園のベンチに座って思索することにしている。と書きたいところだが、思索なんてものはとてもできない。なにかについて考えようとしても心はちぢに乱れており、まったく関連性のない断片的な思いがランダムに現れては消えてゆく。それが、ひとつのテーマに絞ろうとすればするほど、それをあざ笑うかのように、まったく纏まらない。
 そしてその結論はというと、「そろそろ昼だな、注:ライフに寄ってなにか食い物を買って帰ろう」という実に情けないものなのだ。

 注:ライフ=近くのスーパーマーケット

2011年5月11日水曜日

2007-5-13 鳥海山

 今日は早い内から、じとじとと雨がひつこく落ちてきているので、これを幸いとして散歩はとりやめた。偶然にアルバムから同じ季節の鳥海山を発見した。今年の鳥海山の雪はどうなんだろうか。
 この年は4月のなかば頃から家出をして、東北を彷徨っていた。1ヶ月ほど秋田、青森とふらついて結構疲れていたので実家のある山形を目指していたのです。
 暖かい関東からすれば、まだこのようにたくさんの雪が残っていることに感動すら覚えて、いつまでも時間が過ぎるのも忘れて鳥海山を眺めていたことを思い出します。
 予定などまったくない旅でありますから、庄内の地から去りがたくこの日は確か最上川の間近にある駐車場に一泊した記憶があります。4時間もあれば楽々実家に着く距離なのだが尽きることのない大量の雪解け水の流れを見つめて「あ~あ~ 川の流れのようにーー」なんて大声で歌って酒を呑むという雰囲気ぶち壊しのバカなことをやっていたような気がします。忘れました。都合の悪いことはみんな忘れてしまえばいいのです。
 福島県は浜通り・中通り・会津と3つの地域に分けて呼ばれるように、山形県は置賜(おきたま)・村山・庄内とわけて呼ばれます。かなり乱暴にいえば置賜・村山は似たような文化圏ですが、酒田・鶴岡を中心にした庄内地方はまったく違う文化圏になると思っています。
 庄内言葉は優雅です。村山言葉はズーズー弁のなかにあっても特別荒っぽくてきたないと思っています。北前船の影響で雅な京文化が酒田を中心にして入ってきている影響でありましょう。

 当時はまだ藤沢周平の存在を知りませんでした。知っていたら1ヶ月ぐらいは鶴岡を中心にうろついていたことでありましょう。
 当時は同じ山形出身の作家で森敦というのがおり、彼の月山・鳥海山 (文春文庫 も 2-1)という2つの作品が好きでありました。晩年に認められた彼の作品は、私の知る限りにおいてはこの二つしか無かったような気がします。一年ほど前に月山を読み返した記憶がありますので、よほど気に入っているのでしょう。
 ま、5年ほど前の庄内側からみた鳥海山でありますが、現在とそれほど変わっているとは思えません。ひとつこの写真を眺めて今年の鳥海山に思いをはせてください。全然まったく違っていたりして。

iPohne用のHTMLで最初につまづいたところは、なんとラジオボタンです

iPhone用にhtml5とCSS3・PHP・MySQL等々でゲームらしきものを作っていたのですが、思わぬところでつまづいてしまいました。
 といいますのは、ラジオボタンそのものを大きくできないというところです。と、文章で書いてもいまいちイメージが浮かばないでしょうから、以下にラジオボタンの使用例を上げておきます。パソコンでマウスを使用するなら何ら問題がないのですが。


ラジオボタン使用例:
  
  


 iPhoneでの操作はタッチスクリーンを使用しますが、ラジオボタンで選択する部分が指で強く触っても中々認識しません。そこでラジオボタン部分のサイズを2本の指で大きくしてからですと認識します。これではせっかくの流れが止まってしまってまったくゲームらしくないのです。普通のsubmitボタン部分はすぐに反応するのですが。

 そこで、ラジオボタンを最初から大きくして置く方法を探しましたが、文字の部分は大きくすることができるのですが、肝心な○の部分をどうしても大きくできません。CSSだけではどうしても無理なようなのでJavaScriptやJQueryも調査して見ましたが、どこにも見あたりません。いやー困りましたな。どうしようかと真剣に悩んでいます。これでまた頭頂部が薄くなってしまった。

 ラジオボタンに替わる方法に変更するしかないのかな、では何を用いればいいのだろうか。私の乏しい知識で思い浮かぶのはsubmitボタンを2つ用意するということですが、ではどちらのボタンが押されたかをどうやって認識すればいいのかということであります。以前にどこかに隠し文字列を持たせてURL文字列につけて飛ばすなんてのを見たような気もするのですが。そうなるとプログラム自体を改造しなければならず、これはこれでやっかいであります。どうにかならないかなラジオボタン

まさかこんなところで躓くとは夢にも思っていませんでした。

ダレカ タジゲデー!!

2011年5月10日火曜日

とりとめのないブログで、すみません

 昼過ぎまたは夕方ごろから本格的な雨になるということで、雨の降る前に散歩を済ませておこうと午前中にぶらりと家を出た。思いがけずに小さなさくらんぼの色づいているのを発見しました。もうさくらんぼが色づく季節になったのかと改めて季節の移ろいの早さに感心する。このさくらんぼ確かに小さいけれども食べて食べられないことはないだろうなと思ったりした。
 郷里の山形は実家はさくらんぼの本場でありますが、あと1ヶ月ほどすれば収穫の時期を迎えることだろうと、ふと思いは故郷の風景に飛んだ。あまり山形の風評被害を聞かないが、実際はどうなっているのか心配になってしまう。
 先日撮ったときよりは大分元気のなくなっている藤の花でありますが、この藤棚を見て急速に昨年百姓をやっていた秋田の仁別を思い出した。というのもそれまで藤の花というのは良く公園にある藤棚に咲くものしか見たことがなく、藤の花というものはもともとそういうものだと思いこんでいたのです。
 秋田市内から農園に向かう途中で、淡い花々が周囲の山々に点在しているのを見かけたのであります。同乗していたササキ仙人に、あの薄紫の花はなんだいと聞いたら、あれは藤の花だよという答えが返ってきた。
 その藤の花が咲いているところ、子細に観察してみますと、そこには華麗な花の様子とは違って、大きな木に抱きつくようにしてグルブル巻きにしているのです。藤ってもともとは弦のような植物なんですね。なんか寄生虫のような植物だということは初めて知ったのでありました。

 今日の写真は昨日のものと比較すると、結構鮮やかな色で飾ることになりました。偶然にこうなっただけで決して意識したわけではありません。最終的には自宅から20分ほどの場所にある須和田公園にいきました。そこには小さなバラ園がありまして、そこのバラが少しだけ咲き始めていました。
 意識して毎日カメラを持って散歩をしていますと、結構季節によって撮れる草花はあるのがわかってきます。公園のバラもほんの少しだけ咲き始めたということは、これから結構長い間被写体になるということでありますが、被写体に困ったらこの公園にくれば良いことになります。
 バラの花も楽しみでありますが、梅雨も近くなってきますと、私の好きな紫陽花の季節になります。紫陽花は私の好きな花のひとつでもあります。
 これまで、写真を撮るというのは晴れた日の明るい日差しのなかでしか撮れないと思いこんでいたのですが、どうもそうではなく、曇りの時は曇りなりの写真が撮れるものだと気づきました。ならば雨の日の風景だって工夫しだいで結構面白い写真が撮るれるのではないかと思うようになっています。具体的にどうすればいいのかはわかりませんけれども。そのうちに挑戦してみたいと思います。

2011年5月9日月曜日

電子アルバム制作2日目にしてもうめげそう。

 実に良い季節になりました。木々には黄色の新芽が若葉となって、光の洪水のなかに踊っているようであります。緑だけの世界もなかなか心をなごませてくれるようで。本日は地味に緑だけの世界を狙ってみました。本当はそれ以外にめぼしい被写体がなかたのではありますが。

 昨日から家族の思い出の写真を1枚1枚スキャンして電子アルバム作成を始めたのですが、これがまたうんざりするほどの単純作業でありまして、結局昨日は20枚ほどスキャンしたところで挫折してしまいました。
 いつも思いつくのはいいのですが、それを実行するなかで投げ出してしまいそうになるのは、いつもの悪い癖であります。それでも本日は絶対に10枚ほどはガマンしてスキャンしようと思っています。そのうちになんとか形がついてくるものだと思っていますが、さてこの先どうなることやら。
 アナログの写真をデジタル化する課程で気がついたのは、これから大量の枚数のファイルになるだろう現時点ではたったの20枚ほどと予想される写真を、どう分類すればいいのかということです。

 この問題はアナログであろうがデジタルであろうが常に問題となるのですが。それにファイル名をどのようにつければ後々整理しやすいのかということであります。かなりの枚数をスキャンし終わってから再度ファイル名を付け直すなんてことはあまりやりたくない作業です。基本的には結構な手間ひまをかけなければならないだろうということです。
 どうせ急いでやっても、目に見えて進むということもないでしょうから、毎日コツコツと少しずつの作業をこなすしかないかも知れません。
 デジタル化した写真を次にどうするのかの問題があります。単に画像ファイルの塊として保存するだけでは、あまりに芸がありませんね。パソコンで見えるかするのはいつもやっていることをすれば簡単に実現するから問題ないのですが、それでも芸がありません。やはりテレビで見られるようにしておくべきかも知れません。


 本当に気持ちの季節になった。吹いてくる風までが緑色にみえる。さて本日はなにして遊ぼうかな。

2011年5月8日日曜日

家族の電子アルバムを作ったらどうだろうか

 連休中のある日、妻がニコニコしてパソコンに向かっている私に話しかけてきた。手に持っているのは、いかにも古い色あせた1冊の薄いアルバムであります。ほらとその中を開いて目の前に突き出しました。そこには幼い日々の子ども達の写真が片側2枚で見開きだから4枚ありました。
 最初はちょっと面倒くさいなと思いながらも、ちらっと眺め始めたのですが、なるほど眺めていると引き込まれてしまって自然と顔がほころんでしまいます。結局20枚ほどあった写真を丁寧に鑑賞してしまいました。押し入れを整理していてたまたま発見したのだそうです。私はそれほど写真好きではないのですが、考えてみたらどこかを探せば大量の写真が未整理のまま、どこかに埋もれているはずなのです。写真というのはなかなかやっかいなもので、その場で撮って現像に出して戻ってくれば1回ほどは見るでしょうが、たいがいの場合カメラ屋さんのくれた袋に入れたままどこかへ押し込んで終わりになってしまいます。

 この時ちらっと頭の隅をかすめた光景は今回の東日本大震災で津波被害に遭った地区で被災した人々やボランティアの方々が肉親の思い出を探して、泥に汚れた写真やアルバムを拾い集めて泥を丁寧に洗い落として持ち主に返すことをやっていることです。家も家財道具もまして肉親も、なにもかにも失ってしまった人々にとっては、たとえぼろぼろになって判別のつかなくなった1枚の写真でも貴重で大切なものであることを思い知らされました。

 家族が生きてきた証、ごく普通の生活を送っているときはあたりまえ過ぎて、絆の大切などは思いもしないことであります。互いに空気のような存在で何をやっているかなどは気にもしてないことが多いものでありますが、今回のことのような事がありますと、あらためて家族の大切を認識することになります。

 そこで思いついたのが、時間があるときに、写真をデジタル化して、電子アルバムにしてしまうということです。電子アルバムにしておいたって、自分の家だけに置いておけば何の意味もありません。そこで同じDVDを複数枚コピーして、距離の離れた親戚縁者に預かってもらおうということであります。そうすれば万が一のことがあっても1組ぐらいは残っているだろうということであります。
 子ども達の幼き日の写真のほとんどはファイルム写真です。かなり成長してからデジタル写真になりましたが、そのほとんどがフィルム写真なのであります。
 フィルムを直接スキャンするか、現像されている写真を直接スキャンするかが問題となります。フィルムが全部残っているとは限らないので、今回は写真を直接スキャンする方法をとることにしました。今回アップしてあるのが写真を直接スキャナーで読み取ったものであります。ホームページにアップするぶんにはそれほど見劣りするものでないことがわかりました。画像はそれでいいのですけど、ほんの4,5枚スキャンしてわかったのですが、これが結構面倒なのです。
 4、50枚をまとめてドドットスキャンしてくれればいいのですが、一枚一枚かどっこに丁寧に置いてからスキャンを始めます。その後に切り取る範囲が自動でないので位置合わせをしなければなりません。それで早くも挫折であります。最初どんな写真でも全部デジタル化してしまおうと勢いこんでいたのですが、集合写真は排除することにしました。集合写真をどれを見ても同じようなもので、実につまらないものであります。今回膨大な写真を眺めていてあらためて集合写真はつまらないということを思い知らされました。もともと私は集合写真なんていうのは撮らない性格なものですから、そのほとんどは私が撮ったものでないことは明白でありますけれども。
 とにかく集合写真を写真を排除しただけで大分枚数を減らすことができるようであります。それでもたぶん処理しきれないような枚数ですから、つまらんと思えるような写真はバサバサと排除していこうと思っています。
 さてどうなることでしょうか

マーチングバンド ブルーホークス 一人のために演奏会

2010/03/28 00:00 【茨城新聞】昨年の話になりますけど、検索していましたら、偶然に見つけました。記事の本文はなぜからし読めなかったのでキャッシュを無理矢理コピーして貼り付けました。以下全文引用

大洗高マーチングバンド部 一人のために演奏会  

一線退く米川さんに「安全運転ありがとう」  県立大洗高校のマーチングバンド部「ブルーホークス」が27日、大洗町大貫町の同校体育館でたった一人のために演奏会を開いた。招待されたのは茨城交通の運転手、米川孝一さん(61)。
2001年から9年以上、同部の移動用の貸し切りバスの運転を年間100回以上も担当してきた。この日で貸し切りバス運転の第一線から退く米川さんのために、部員たちは最高の音色と機敏な動きで感謝の気持ちを伝えた。
この日午後3時20分すぎ、水戸市内での演奏会を終えた部員を同校に送り届け、米川さんの最後の任務が終わった。この後は、部員たちが考えたサプライズ-。営業所に戻ろうとする米川さんは呼び止められ、体育館に導かれた。そこには「ありがとう米川さん、長い間お疲れさまでした」の看板。部員や家族、OBらに大きな拍手で迎えられ、米川さんの顔は涙でくしゃくしゃになった。  米川さんは1976年に入社してバスの運転手になった。ブルーホークスとの付き合いは20年以上になる。北は青森、西は福岡まで長距離運転をこなし、秋のイベントシーズンには7日間連続でハンドルを握った。  有國浄光監督(57)は米川さんに全幅の信頼を寄せる。いつもにこやかな笑顔で生徒に安らぎを与えてくれる存在。忘れ物や、バスの中で部員が腹痛を起こした際も冷静に対応し、濃霧などの天候の悪い中での移動も不安を感じさせなかったという。
 「プロの技とこだわりを学びました」。有國監督らの感謝の言葉で迎えられた米川さん。その後約30分間、部員たちの心がこもった演奏が繰り広げられ、米川さんが好きな美空ひばりのメドレーも盛り込まれた。
 吉澤貴士部長(2年)は「部員の命と楽器を守っていただき、ありがとうございました」と謝辞を述べた。
 米川さんは4月から、厳しい貸し切りバスの運転業務を離れ、担当が替わる。「これまで一度もしたことがない」(有國監督)というたった一人のための演奏会は、監督らが米川さんのために内緒で企画した。
 演奏会の後、米川さんは「本当にありがとうございました」と何度も繰り返した。寄せ書きや花束を受け取り、感無量の様子で同校を後にした。 【写真説明】 大洗高マーチングバンド部「ブルーホークス」の部員から拍手を浴びながら会場を後にする米川孝一さん=大洗町大貫町の大洗高体育館

2011年5月7日土曜日

連休中 2回もカラオケスナック にんじんに呑みにいってしまった。

 昨日は妻がカレンダー通りの勤務ということで、一人で散歩に出る。相変わらず近所を徘徊するコースであります。一人の散歩だとどうしても急ぎ足になってしまうので、どこぞに面白い被写体はないかとキョロキョロしながら極力道草を食うことを心がける。
 黄緑と緑のコントラストがパッチワークみたいで面白いなと思って撮ったけど、後でみたらそれほど面白い絵にはなっていませんでした。案外自分で意図して撮った物って後でみると面白くないものが多い。偶然そのように撮れていたといったものが意外性が面白い画像になっている場合が多いように思える。
 いつもバカチョンモードでは面白くはなかろうということで、今回は曇天だったので初めてPモードにしてISO感度をあげてみた。旨くいったものと、白飛びしているものとあった。これこそ経験を積まなければわからないような気がしました。

デジカメデータベースより
ISO感度とは、簡単に言えばデジタルカメラが感じ取る事が出来る光の量の大小を表す数値です。この数値が大きいほど、暗い所でも明るい写真が撮れます。

ISO感度が高いデジカメだと、シャッター速度を速くしても明るい写真が撮れます。

通常はシャッター速度を早くすると、写真のブレが起こりにくくなりますが、写真全体の光の量が足りなくなる為に、全体的に暗い写真になってしまいます。  
最近流行りの「手ぶれ補正機能」を搭載していない機種でも、ISO感度の数値を上げて撮影する事で、手ぶれを起こりにくくする事が出来ます。

また少し視点を変えて言えば、ISO感度が高く出来るデジカメだと、動きの速い被写体を撮影する時も、被写体がぶれずにシャープな美しい写真が撮れることになります。

まとめると、ISO感度の数値を高くできるデジタルカメラだと

1. 少々暗い所でもフラッシュ無しでOK
2. 手ぶれを起こりにくくすることが出来る
3. 動きの速い被写体も美しく撮れる
ということです。

 花の名前を覚えるのはなかなか難しい。本当はポケット図鑑を携行して、おや?と思ったらすかさず開いて確認することが早道だよと教わったことがあるけれども、未だ実行していません。毎日のようにこうして徘徊して草花を撮っているのだから、そろそろ実行してよさそうだと思う。実際草木に詳しい人に出会うと条件なしで尊敬してしまうのだから、私も少しは尊敬される立場にたってよさそうな気がするのだが。




 最近句読点の付け方がおかしいよと指摘されました。以前にも句読点の付け方がおかしいよなと自分で自覚して訂正しようと悪銭苦闘したのだが、やはり治っていないようだ。それでも最近はかなり開き直っているから、以前よりは悩まなくなっています。句読点の付け方なんてのはその人の自由というのを発見したからであります。野坂昭如の蛍の墓でしたっけ、アメリカひじきでしたっけ、あれなんぞは最初から最後まで句点だけで押し通していました。いつぞやは句読点のまったくない文章にお目にかかったこともあります。これはさすがに読みにくかったですけれども。
 今問題なのは段落毎の字下げであります。私は癖になっていて、段落が変わると1文字さげるようにしてありますが、どこかで、それはやめましょうといってるのを見たことがあります。その根拠が明確に示されていませんでしたので、相変わらず、段落毎に字下げをおこなっています。ま、どうでもいいことだと、いってしまえばそれまでのことですけども。
 右の写真2枚はISO感度をあげて撮影しましたから、色飛びしてますね。特に下の白い花の場合はかなり激しく飛んでいます。再考の余地多いにありですね。
 夕方妻からのメールで娘が急遽帰宅することとなったとあった。土日に珍しいこともあるもんだと思った。夕方は呑んでしまうので、松戸駅までの迎えは妻に頼んで、そのまま晩酌に突入する。ほとんどアル中であります。テレビはつまらないのでノートパソコンを軌道してJAZZを聞く、iTurnesでJAZZで検索してランダムで流す。これが最近の音楽聞くパターンになっています。そんなにJAZZに詳しいわけでない。そこで、おや?これ案外いいなと思えばディスプレーを見て曲とプレーヤーを確認する。そこで気がついたのは、ちょっと苦手だなと思いこんでいたマイルスデーヴィスが案外好きなんだということです。これは本当に意外なことでした。そのうちに変わるでしょうけれどもね。
 この1枚は結構気に入りました。雑草とはいわないのでしょうけれど、何気なく撮ったクローバーでありますが、こうしてみるとなかなか味わいがあってお気に入りの1枚となっています。欲をいえばもう少し下からのアングルにしたら良かったのではないかと思います。よし、もう一度挑戦してみようと思ったけど。これを撮った場所をもう覚えていないのであります。マイッタな。

 この文を書いている間も結構気持ちワルイです。その原因となったのが、以下の3枚の写真であります。
 ぽー愛用のポンゴであります。マスターに負けじと叩くのですが、いつも負けてしまいますね。私のはドラムのリズムの取り方になってしまって、単調この上ないのであります。どこかで秘かに練習を重ねていつかギャフンといわせてやりたいと思っているのですが。
 昨夜はじめて気がついたけど、BGMがすべてJAZZになっていたのです。最初偶然かなと思っていたら、ずっとJAZZが流れていました。「あれ?マスタBGMにJAZZ流れているね。」「そうなんだよ、有線放送はやめにして、30曲入るCDチェンジャーを入れたんだ。それで自分のCDを持ってきて入れてみたんだ」そうですか、そうですかマスタもJAZZ好きと聞いて、また惚れ直してしまったよ。