2011年6月30日木曜日

只今の時刻6時です。6日間降り続いた雨もようやく(美容室amour便り)

 山形は六日間降り続いた雨もようやく上がり久しぶりの太陽が田畑を照らしています。

 私は山形の特産品さくらんぼの朝もぎ取りの手伝いをしています。今農家の人達は最盛期を迎え忙しく働いています。今年のさくらんぼは最高の出来です。
 さくらんぼの手伝いは初めてですが木になっているさくらんぼは本当に綺麗でルビーのように輝いて見ているだけでも気持ちが癒されます。
 さくらんぼの種類もいろいろありタカサゴや佐藤錦そしてベニシュホウ美味しいさくらんぼがたくさんありまだまだ収穫は続きます。

 規格外のさくらんぼを頂いてさくらんぼの姿煮を作ってみました。初めて作ったのですが家族の評価が良く鼻高々になっている今日この頃の私です。

2011年6月29日水曜日

シンプルなお掃除ロボット AIM-ROB01のことを書いていてふと思ったのだけど

これ10台買っても7万ほどなんだよね。お客さんが来たときにね、10台とは言わないけれど、5台ほどでいいけど、知らんふりしてスイッチを入れて解き放してやったら、驚くだろうなと。なんかこうしていてもその光景が目に浮かぶようであります。どうせならやっぱし10台ぐらいがいいな。面白いだろうな。やってみたーーい。でも私の知り合いはみんなこのブログ読んでいるから、たいして効き目はないかも。ちょっと書くのを早まったかも知れない。って、おい、やる気になんなよな。んなことやってどーーーすんの。

ツカモトエイム ロボット掃除機 【シンプルなお掃除ロボット】 ホワイト AIM-ROB01

 これまで作りこんできた、プログラムがようやく今朝方大まかな処理が終わった。ひき続いて細かな処理もやらなければならないのだけれども、なんだか力が抜けてしまって、どうしてもできなくなってしまった。こういう時は無理してやらないほうがいい。もっとも集中力が無くなったのでできなくなったといったほうが正しいのだけれども。
 そこでこれまでなかなか書けなかったブログでものんびりと書こうかと思い立ちました。かなり長い間使っていた掃除機がとうとうイカレテしまいました。掃除機なんか無くったって箒と雑巾でなんとかなるとしばらく我慢していたのですが、やはり細かいホコリを取るには掃除機が無ければと、とうとう先日購入してしまいました。

 これは自動で掃除してくれるというロボット掃除機です。ロボット掃除機で有名なのはiRobot Roomba 自動掃除機 ルンバ 530J 白色ですね。以前から面白いなと思ってはいたのですが、なにせ値段が値段ですからね。おいそれとは買うことはできません。

一番高いやつで10万円以上するんですよ。10万円。掃除機に10万円以上出せる身分ではないですからね。低機能でいいから安い掃除機を探していて目に飛び込んできたのが、このツカモトエイム ロボット掃除機 【シンプルなお掃除ロボット】 ホワイト AIM-ROB01でありました。うーーん、なんか本来の目的とは違うような気がしたのですが、値段が6,765円というのに惹きつけられまして気がついた時には購入していました。このブログを書くのにAmazonの商品記事を読み返しましたら、元値が29,800円なんですね。知らんかった。7,000円のおもちゃを買ったと思えばいいやと割りきっています。
 で、その使い心地はといいますと、一言、「かわいい!」です。約4時間ほど充電して、今のところ電池も新しいので1時間半ほどは走りまわります。ルンバはどのような動きをするのかわかりませんが、これは、3パターンの動きを繰り返します。あっちにぶつかっては向きを変え、こっちにぶつかってはと、とにかく走りまわってお掃除をしてくれます。しばらく居間を走りまわっていたなと思っていたら、玄関ホールに行き、お風呂場に行き、台所に行き、そしてまた戻ってくるといった感じで。思わず「あれ?あいつ何処へいった」と呟いてしまいました。また階段から転がり落ちるなんてヘマもやりません。底面にセンサーがついていました。
 一日一回スイッチを入れてほおっておきます。私の仕事部屋までくると煩わしいのでその時はドアを閉めて置きます。まだ3回ほどしか使っていませんが、結構な量のゴミを集めてくれています。どのぐらい持つかは心配なところでありますが、結構楽しませてくれているので、これでいいのです。

 なんか付け足しみたいですが、あのおもちゃのようなかわいいロボット掃除機だけでは、いささか心もとないのでこれも一緒に購入しました。サイクロン方式とかなんとかいう見たいです。掃除機って昔からあんまし楽しいもんじゃないですね。小さくても重いし、しまうのにも邪魔だしね。音もウルサイしね。ゴミは吸ってくれるみたいですけれどもね。当たり前かぁ

2011年6月27日月曜日

YAMAHA デジタルパーカッション DD-65 使ってみて


 面白いおもちゃには相違ないが、バスドラとハイハットがボタンというのは使えない。ハイハットはそう頻繁に踏むもんではないが、バスドラは頻繁に踏む。これが音が出たり出なかったりというのがいただけない。私の踏み方が悪いのだろうか。普通のドラムセットならば、バスドラは誰が踏んでも音は出るものだけれども。やっているとイライラしてきます。
別売りで、バスドラのパッドも売っているのだが、それが確か7000円ぐらいするのです。それにフットペダルも併せて購入すれば16000円ほどになってしまう。オイオイ本体が23000円ぐらいなのにそれは無いだろうっていう世界になってしまいます。これだったら普通にデジタルドラムの安いやつが買えてしまったではないですが。うーん考えてしまいます。
 それから内蔵されているスピーカーはやはり音量は足りませんね。ヘッドホンをつけてやれば結構迫力ある音が楽しめます。それに外部スピーカーをつなげばこれもかなりいいですね。まだまだ使いこなしていないので時々レポートしてみます。

2011年6月24日金曜日

今日からオイラはドラマーだい。YAMAHA デジタルパーカッション DD-65

昨年の今頃長男がネットオークションで買った品物が間違っていて、かなり古い「YAMAHA デジタルパーカッション」が送られてきた。試しに叩いてみるとこれがまた結構面白く遊べたのです。なるほどこういうおもちゃみたいなものでも馬鹿にできないと感心して、暇さえあれば叩いて遊んでいました。そしてタタキすぎてバスドラとハイハットのペダルを踏む両足が痙攣を起こすという情けない事態まで引き起こしていたのです。
 そのうちに相手から品物を間違えたので交換しますというメールがあり、我が家から私の大切なおもちゃが消え去ってしまったのです。

 どうせならと本格的なデジタルドラムセットを探していたのですが、置く場所と、値段が高価であります。中には3万円台の安いのもありますが、ちょっと怖いということもありますし、せっかく購入してもまったく叩けないのでは、単なる笑いものになってしまうと思い、練習と遊びを兼ねてYAMAHA デジタルパーカッション DD-65を購入してみました。
 届いたのを見て案外大きいのにびっくりです。昨年散々遊んていた旧型は確かこの3分の2ぐらいじゃなかったかと記憶しています。それにバスドラとハイハットのペダルがボタンになっています。これは踏みにくいです。オプションで本物ぽいペダルも売っているようですが、もう少し練習してものになるようでしたら買ってみようかと思っています。
 家にはバンドを組めるぐらいの楽器は揃っているのですが、技術が伴っていないのが難点であります。はい。

2011年6月23日木曜日

タブレットの上にキーボードを置くとどうなるのか!知らんかった

 写真を注意深く見て欲しい。キーボードの下にタブレットが置かれています。タブレットとキーボードを交換するのが、ついつい面倒になり、いつしかタブレットの上にキーボードを重ねて使っていました。
 ある時にネットサーフィンをしていましたら、マウスの操作を始め、キーボードの操作が突然狂い始めまして、どれを使っても思ってもみない動作を繰り返すのです。はっきり云いまして制御不能です。その動きのメチャクチャ加減にしまいには笑い出してしまいました。
 最初何が起きたのか理解できませんでした。てっきりこれは入れたばかりのWindow7 64ビット版の不具合なのだろうと思ったのです。当然再立ち上げもして見ましたが、一向に改善の兆しなしであります。まだ設定して3日ぐらいだし、これは再インストールするには今しか無いなとも思ったのです。やっぱり使い慣れていないOSは使うもんじゃないな、なんて全部Window7 64ビット版のせいにしておりました。

 「うん?もしかして・・・」気づいて良かったです。タブレットとキーボードが干渉しあっていたのです。タブレットを外してやったら、嘘のように正常に戻りまして、事無きを得たのであります。それまでも結構このようにして使っていて、この現象がでたわけでありません。多分互いに干渉し合う位置ってのがあるのかも知れません。

 おそらく私と同じ目に合う人はいると思うので念のために書いておきます。ダメですよ、こんな不精な使い方をしては。

2011年6月22日水曜日

夜明けの断捨離

 夜があけたら、久しぶりに正しいお日様が「アサーッ!!」って叫びながら顔を出した。感動的であります。それでその正しい朝のお日様を写真でどう表現しようかと散々迷った末に左の写真しか撮れなかった。相変わらず貧弱な表現力であります。
 パソコンを最新のものに換えたら、カメラの扱い方があきらかに変わった。これまでは写真データが増えるのを嫌って、画像の大きさも控え目なものに設定していたが、最大の大きさに変更した。不必要にあまりにも大きな写真であると、WEB用にリサイズするのにも時間がかかって嫌だったのだが、今はそんなことはまったく気にならなくなってしまっている。それにリサイズするのはブログにアップするものだけに限っていたのだが、面倒だから全部選択して一気にリサイズしている。なんだか元の大雑把男に戻ってしまったような気もするが、ま、いいか。

 いいですね。アジサイの花。梅、さくら、菜の花、ヒマワリ、コスモスなんてのが私の好きな花であります。他にも好きな花はあるのでしょうけれども、忘れているのです。たぶん。

 昨日からやり始めた自分の部屋の整理整頓ですが、これまでまったく気にならなかったのに、やり始めたらいろんなところが気になり始めて、止められなくなってしまった。不思議なものですね。書籍関係はかなり以前から整理を初めており、無駄に書棚を占領していたものは、5次ぐらいに渡って排除してきたから、かなりスカスカの状態になっている。といっても、本当は捨てるに捨てられなくて、自分の部屋の本棚からは排除したのだが、2階にある家族共用の本棚にかなりの本を紛らわしてあったり、隠し押入れに運んだりと未練たらたらなのでありますけど。
 ま、とにかく自分の部屋から排除したのだから、すっきりと気持ちがいいことは確かであります。そのうちに書籍は第6次、7次と処分を敢行するつもりではいるのですが。

 今回問題というか、どうにかせんとあかんと思ったのはPCの部品というか付属品というものであります。一例をあげれば、パソコンとかディスプレーをつなぐ電源ケーブルであります。それが集めてみれば8本もあったのです。いくらなんでも電源ケーブル8本はもう使わないでしょう。それでもこれまで大分捨ててきたような気がするのですが、今回思い切って捨てることにします。それにディスプレーとパソコンをつなぐケーブルも4本ほどあり、これも取っておいてもしょうがないものです。後何に使うのか、使ったのかわからない部品が捨てられずに、いろんなところに潜り込んでいました。
 CPUとマザーボードのセットも3組もあったしね。これまでどこかの隅に潜んでいて、一向に使われなかったということは、まったく必要とされていないと判断していいのだと思う。取り敢えずまとめてダンボールの箱に入れておいた。たぶん、すぐには捨てないけれども、外の物置にしばらく保管しておいて、時が建ったら思い切って処分することにしようと思う。
 これで見える部分だけでなく、見えない部分もかなりすっきりした。気分がいい。

2011年6月21日火曜日

とうとう煮詰まってしまったわい。

 思っていたとおりに煮詰まってしまった。もう何日間、パソコンの前にへばりついていたのだろうか。つい最近は徹夜までやってプログラムを書いていた。集中力というものを持ち合わせていない私にしては、よく続くものだと心の隅ではちらっと考えてもいたのです。
 それが、思っていたとおりに、午後からはパソコンの前に座ることがなんとなく億劫でしようがなかった。もう少し手を入れれば完了するのもわかっているのだが、気が乗らないのだからしょうがない。こういう時は離れるのが一番と割りきって、部屋の掃除をはじめた。
 結構荒れ放題になっていた。やり始めたら結構大変で大汗をかいてしまった。おかげで見違えるように整理整頓清掃されて気持ちのいい部屋になった。
 本日はこれで仕事は終わりとしよう。それにしても良く続いたものだ。自分を誉めてやることにした。また明日の朝から心を新たにして、やればいいさ。

2011年6月20日月曜日

久しぶりに仕事で徹夜をしてしまった。紫陽花が目に眩しく感じられて

 土曜日は珍しく徹夜で仕事をするはめになり、終わってみれば日曜の昼近くでありました。何年ぶりだろうか、酒呑み以外で、しかも仕事で徹夜をするなんて。お陰て土曜の夜にやる晩酌が翌日のお昼の昼酌になってしまい、一挙に昼夜逆転したような感じであります。一夜明けてようやく普通の生活に戻ることができました。
 久しぶりに明るいところを散歩をしておりましたら、私の好きな紫陽花の花が美しい季節になっておりました。赤い紫陽花よりもこの青色が淡い紫陽花が大好きです。普通の紫陽花もいいですけれども、額紫陽花というのもなかなかいいですね。
From うろんな日々

From うろんな日々

2011年6月18日土曜日

Windows7 サクラエディターで編集したHTMLファイルを保存ができないというとんでもない目にあった。

 元気のなかった昨日にくらべて、いくぶん元気が戻ったようであります。午前1時前に起きだしまして、バリバリと仕事をこなしています。12時ちょっと過ぎの時間帯というのは家族のほとんどが起きている時間でありまして、これはちょっと異常かなと思わんわけではないのですが、昨日は午後から夕方まで完全に寝入ってしまったわけでありますから完全朝型の私にとってはごく当たり前なリズムなわけであります。と、ここまで書いてまた仕事に戻っていました。通常ならばこの続きを書く予定でありましたが・・・・・。とほほ

 調子よく仕事をやっていたのですが、朝方になってHTMLの編集作業をすることになりました。いつものようにファイルが入っているフォルダーを開いて、サクラエディターでファイルを開いて編集をやりました。ある程度編集をしますと、[CTL]+[C]で保存をします。それでファイルをダブルクリックしてブラウザーで変更されている様子を見るのですが、地獄はここから始まりました。
 別の誰かがこのHTMLファイルを開いているから保存できないというのです。オイ!ここには俺しかいないって、この俺はエディターだけでしか開いていないのだ。一体誰が開いているというのだ。ここから地獄が始まりました。
 もしかしてこのサクラエディターは32ビット版だから64ビットでは正常に動作しないのではないかと考えました。検索しましたら、サクラエディターは64ビット版もあるということで無理やりダウンロードしてインストールしました。
 こんどはサクラエディター64ビット版だから大丈夫だろうと同じ作業をして保存をしてみました。結果はまったく同じです。保存できないのです。テキストエディタが使えないというのは私にとっては致命的なことであります。仕事の大半はテキストエディタでやっているのです。しょうがないので他のエディターもダウンロードして試用してみましたが、慣れていないせいか、実に使いにくいのです。
 これはひょっとしてサクラエディターに原因があるのではないなと思い始めました。それからあれこれ検索しまくっても原因わからずでありました。
 左の図をみてください。これはWindows7のフォルダーです。最初気がつかなかったのですが、左にファイル名が並んでいますが、右にそのファイルのプレビュー画面が出ています。こいつなんです。保存できない最大の悪者です。こんなもんいつからついたのでしょうか。余計な飾りです。こいつが俺以外にHTMLファイルを勝手に開いていたから保存できなかったのです。
 ではこの余計なプレビュー画面を出さないようにするにはどうしたらいいのか。さっぱりわかりません。なんだかんだいじり回して気がついたのが右上の白いボックスです。ここをクリックして出したり出さなかったりするようです。
 たぶん私と同じ目に会う人がきっといるはずですから、ここに書いておきますね。無駄にした時間を返して欲しいよ、まったく。図をクリックすると大きくなります。

2011年6月17日金曜日

気がついたら週末でありました。

 夕べ届いたハードディスク(日立 HGST 3.5inch 7200rpm 2.0TB 64MB SATA 6.0Gbps 0S03191)目覚めてすぐに組み込んだ。2TBもあるので、フォーマットは半日はかかるだろうと覚悟を決めていたのだけれども、なんだか知らないけど瞬間で終わってしまった。簡易フォーマットというやつなのだろう。Windowsから認識させる作業の時に簡易フォーマット以外の選択肢が出てこなかったような気がするが、時代が違っているのだから、たぶんこれでいいのだろう。ハードディスクも組み込んだのでパソコンの蓋を閉めて所定の位置に収めることにした。繋げる機器が結構あって思ったよりも時間がかかってしまった。さっそくCドライブにある、データのほとんどを新設のEドライブに移動させた。あれ?なんでDドライブじゃないのかって、DドライブはバーチャルPCっていうんだっけそれを先に入れていたので必然的にこうなってしまったのです。合計200GB分の音楽データや画像データを移動させたのだけれども、これも半日は大袈裟だけれども、少なくても1時間ぐらいはと思っていたのだが、15分ぐらいで終わってしまった。
 こうして、すべての作業が終わって所定の位置に収めてしまって、それで2テラバイトのハードディスクの使い心地はというと、これまでと何にも変わらない。体感的に何も実感できない。当たり前だよね。ただ当面ディスク容量の心配をすることがないのは確かであります。

 昼ごはんを食べてちょっとだるかったので、ウトウトしていたら、ぐっすりと夕方まで寝こんでしまった。目覚めたら周囲が薄暗かったから、夜明けになったのかと勘違いしてしまった。夜明けにしてはちょっと様子が違うなと思うまで結構時間がかかってしまって、なんだか変な感じであった。寝ぼけていたのでしょう。
プリンターを共有するのに2台のパソコンの間には置くスペースがないのでUSBの延長ケーブルはないのかと検索したら、ELECOM RoHS指令準拠&環境配慮パッケージ エコUSB2.0延長ケーブル A-Aメスタイプ 5m ブラック U2C-JE50BKというものが引っかかった。あるんですね。なんでも検索してみるべきですね。ハードディスクと一緒に注文したので、さっそく試してみたけど、5mはさすがに長すぎてありました。それでなくても電気コードからわけのわからんコードで溢れている場所にまたわけのわからんコードが増えてしまった。きっちりと距離を測ってから注文するべきだった。


 3年ほど前までは私にとっての大洗は北海道の玄関口でしかなかった。だから大洗の街のこととか、茨木のことすらもほとんど知らなかった。だから「大洗」という言葉を聞くと頭にいきなり北海道が浮かぶのでありました。この3年ほどで大洗と聞いても北海道がイメージされなくなってしまいました。
 もっとも北海道に憧れて旅する初期の頃は大洗港を使ってましたが、予約の面倒臭からも含めて、新潟港や青森港とか大間を使うようになってしまいました。いつかまた行きたいなサンフラワーでのんびりの船旅へ。

2011年6月16日木曜日

本日のGIMPでのお絵描きは挫折しました。

 なかなか思ったようには描けないようであります。何度もやり直しをして、途中でぶん投げようかと思ったことも数回です。まだ道具の使い方がわからないので、自分の思ったことがまったくできなくてイライラのしどうしでした。それでも仕事の合間に気をとりなおして挑戦すること数十回で、ようやくここまで書き上げました。
 しかし、もう一回同じようなものを描けと言われても、それは無理です。だって偶然にこうなっただけなのですから。道具は鉛筆と筆と消しゴムぐらいしか使っていません。他の道具を使えればもっと楽になると思うのですが、なにせ暗中模索状態ですから、どうにもなりません。

 もう6時半なのに注文した2テラバイトのハードディスクがこないね。待っているんだけどな。ではまた明日です。酒でも呑んで寝ます。おやすみ。

2TBのハードディスクを増設することにした。

自作したパソコンが、とんでもなく快適なので、ついつい嬉しくなって、こんどは日立 HGST 3.5inch 7200rpm 2.0TB 64MB SATA 6.0Gbps 0S03191という2テラバイトのハードディスク増設してやることにした。起動ディスクにしてやってもいいと思ったけど、現在使っている一昔前のハードディスクでも今のところ遅さを感じてないし、また最初から環境設定をするのはメンドイのでデータの保存用とすることにした。遅いと感じるようなことがあったら、起動用ディスクを買い足すことにすることにした。嗚呼、こうしてどんどんと深みにハマりこんでいくようで怖い。これでまたしばらく酒呑みにいけなくなってしまった。いったい、どういう思考パターンなんだか、自分でもわけのわからんヤツだと思う。クシュン

 秘密情報工作員のサァーダが、俺の耳元で「ふふふ、もう元に戻れなくなったでしょう」と不気味につぶやくのであった。クヤジイけれど、本当に前のパソコンには戻れなくなってしまったようだ。月曜日あたりから3日ほど本格的に使い込んでみて、その威力に脱帽してしまった。いったい今まではなんだったんだと本気に思っている次第であります。

 今はディスクトップのパソコンはかなり安く買えます。自作パソコンはそれに比較すればかなり高くつくと思いますが、それなりの満足を得られるのがいいです。それに自分で組み立てたわけですから、どこかに不具合があったら、すぐに部品を交換してパワーアップをはかれるというのも利点であります。
 しかし、どんどんとのめり込んでいくのには注意しないと、なんのためのパソコンなのかが分からなくなってしまいます。やはりホドホドということを常に念頭に置いておかないととんでも無いことになりかねませんね。

2011年6月15日水曜日

無料のお絵描きソフトGIMP2.6を使ってみました。

 昨日は無料のソフトで自分のパソコンを埋めてしまう計画のことを書いたのですけれども、なかでもお絵かきソフトはどれも結構高価でありまして、いざ購入しようと思えば二の足を踏んでしまいます。それでもこれまで、結構な金額を費やしてきました。そして、バージョンアップの案内なんかがくるのですが、それがアータその金額が半端じゃないのであります。だから、貧乏は生活を送り、尚且つ酒呑みの私は、そうそう頻繁にバージョンアップを重ねることができないという状態になります。そうこうしているうちに購入した製品が古くなってしまって、やがてバージョンアップの対象にならなくなってしまうという哀しい現実というものがあるのであります。
 そこでネット検索して見つけたのが、GIMPであります。ギンプと読むらしいです。早速ダウンロードして試してみました。ここから少し自慢が入ります。さすがに64ビットのWindows7です。かなり速く感じられます。通常はエディターでテキスト書きを中心に仕事をしていますから、それほど速くなった実感がなかったのですが、画像処理関係を中心に作業をしてみますと、その速さが実感できますね。むふふ。(自慢はここまで。汗)
 
 さて、さっそくGIMPを試してみました。お絵描きソフトというジャンルにある限りは、そうそう他のソフトと操作方法は違いあるものではないと思っていましたが、思ったとおりにレイヤーがあり、ツールボックスが有りとそう違いはありませんでした。しかし、しかしだソフトが違ったからといっても別に自分の絵が急に上達するわけがないのは自明の理ということでありまして、絵のヘタさ加減も以前とまったく違っていませんでした。予想していたとおりといえど、いささか残念な気持ちもあります。
 そこで、ヘタでもいいから、毎日お絵かきをしてアップする作戦をまた再開することにした。こう書けば、やらざるを得ないと思い無理やり書いておくことにしました。まずは森のぽーに因んで森の絵を描いたつもりなんですけれども森に見えるでしょうか。

2011年6月14日火曜日

自分のパソコンを全て無料のソフトで埋めてしまう計画です。

 自作PC完成記念祝いということで、昨日は一人で近所のスナックに呑みにでかけまして、その店だけでは済まずにハシゴをやってしまい帰宅したのが、今朝の3時ということになりました。いつもならもう起きてバリバリに仕事をしている時間でありましたが、そのまま眠りこけてしまい。7時に家族にたたき起こされてしまいました。何年ぶりにハシゴ酒をやったのか、また午前様で御帰宅したのか、もう覚えていないくらいの昔になっています。バカはやっぱり治っていませんでした。いやはや

 自分のパソコンにいくつ有料のソフトがあるのかを数えて見ましたら、手放せないのが、5本ほどのものだということがわかりました。そのほとんどが画像処理関係のものであります。そこで、どうしてもその有料のソフトが必要なのかということを検討することにしました。ここ2日ほどフリーのソフトを探した結果世の中にはかなり優秀なものがあるということが判明しました。問題はそれらのソフトに慣れていないというだけで、慣れてしまえば十分に使えるのではないかと思い始めました。

 そこで、ダウンロードさえすれば使えたり、ブラウザーさえあれば、使えるソフトだけにしようと考えています。この分野も詳細に研究してみれば、かなり面白いのではないかと思います。そこで新たにインストールしたのがgoogleの日本語変換ソフトです。昨日から使い始めましたが、WindowsデフォルトのIMEよりは使い勝手がいいですね。ATOKも昔使っていたのですが、単体で購入するとなると結構高いですからね。一番使用するのはエディタですが、昔から「さくらエディタ」を使い続けていましてこれでなんの不満もありません。もっともこれは本当に打鍵専用で高度な機能を使いこなしていないというか、あまりその機能を知らないということでありますけど。
 昨日あたりから探しはめたのが画像処理関係のソフトですが、GIMPというフリーソフトが自分で使いこなせるのか心配なくらいの高機能なものだと判明しまして現在検討中であります。
 他にも無料のフォントだとかいろいろありますね。これからのテーマとして研究してみたいと、二日酔いのウスラバカ頭で考えています。

2011年6月13日月曜日

Windows7 64bit が動作するPCに改造してみて思うこと

 自作のパソコンが立ち上がって3日目になります。まだPCケースの蓋を外したままになっています。しばらく使って不具合がなかったら閉めようかと思っているのですが、今のところはフロント側にある、マイクとスピーカーの端子が死んでいるような気がします。おそらくマザーボード側のAUDIOという端子のつなぎ方が間違っているのではと思っています。この部分の端子のつなぎ方が一番面倒でした。そこにはLEDランプとか本体スイッチとかごちゃごちゃと小さな端子をつながなくてはならなかったのであります。
 フロントパネルのAUDIO端子以外では、まだおかしなところは発見できていません。夢中で交換作業をやったために床中にパソコンの部品やら部品が入っていた箱やら、インストールしたCDやらが雑然と散らばっています。なにが整理整頓だかね。もう他のことがまったく目に入ってこなくなってくるものですからね。その中に配線がむき出しになったパソコンが一台鎮座しております。今日から、すこしずつ後片付けをしていかないといけませんね。
 パソコンを自作するといっても、ハンダ付けをするわけでなし、何か特殊な道具を使って加工するなんてことは一切なくて、プラスのドライバー一個あれば間に合ってしまいます。ようはプラモデルと一緒で揃えた部品を組み立てるだけのことなのです。ただこうは言ってもある程度の知識がないと最初の部品一式を揃えるのが大変ということですね。私の場合は秋葉原に常駐している秘密情報工作員のサァーダというものがいるので彼にさえ相談すればたちどころに解決してしまいます。うーん、だからいつまで経っても自分で考えることをしないので、なかなか一人前になれないのが難点なのでありますが。

 それでも自分で作ったパソコンには格別な思い入れというものがありまして、たぶんそのせいなのかも知れないけども新作のパソコンは調子がいいように思います。これまでメインで使っていたパソコンよりはかなり快適なような気がします。ただこれまで使っていたPCも64ビット対応になっていますから、型番の合うメモリを増設すれば、これに近い環境になるのに気がついたのです。そんなもん気づかなくてよろしいのですがね。メモリ2ギガあるから、OSだけ入れ替えればなんとなるかも知れない。


 OSを入れ替えた時にいつも思うのは、ファイルの拡張子が表示されていないのに気がついて「あれ?!参ったな」の状態になるのです。それで一応フォルダーのプロパティとか適当に変更しようと思うのですが、いつもそれでは解決できずに、ネットの検索をすることになります。なんでファイルの拡張子をデフォルトで隠すようにしているのかその理由がさっぱりわかりません。普通の人はファイル名だけで処理しているのでしょうか。本当に不思議でしょうがありません。

 初めて64ビット版を使うわけでありますが、これまで使っていた32ビット版のソフトが使えるかどうか心配だったのですが、今のところ全部大丈夫なようであります。後はこれでプリンターとかスキャナーが動作するかどうかですね。タブレットはなんなく動いてくれました。64ビットにした場合にはソフトは結構動作するものらしいですが、周辺の機器のデバイスドライバーが対応してなくて困るらしいのですが、先ほどスキャナーの64ビット版のデバイスドライバーを発見してインストールしました。残るはプリンターだけになりました。案外64ビットの環境は揃ってきているのではないでしょうか。

 画像処理のソフトを除いてほとんどがフリーのソフトを使っています。だからCDで再インストールということは数えるほどだけで、ネットで検索して最新版をダウンロードするだけのことで済みますから快適であります。他にほとほと感心したのは、googleのツールです。ブラウザーは主にGoogle Chromeを使っていますが、これが本当に良くできています。例えばブックマーク(お気に入り)なんてものはログインすればこれまで使っていたものがそっくりと反映されており何もすることがないのには、かなり感激しています。それにカレンダー(予定表)とかも何もしなくても使えるのであります。あ、そうそう、やはりGmailも何もしなくてもそのまま使えるので、いつパソコンがクラッシュしてもなんも困らないっていう素晴らしいものでありました。

2011年6月12日日曜日

自作PC 終わってみれば呆気なかったです。

 無事に組み立てが終わり、立ち上げて試しています。10年ほど前に5台ほど自作して以来のことでありましたが、さすがに空いている期間が長かったので果たしてうまく組み立てられるのか心配でしょうが無かったのですが、完成してみれば呆気ないような気もします。Windowsのセットアップも以前に比較すると随分簡単になっているし、ほとんどのアプリがクラウドになっているので、CDからインストールするものもほとんどない状態です。本来ならデータの更新も大変なはずですが、これらのものもクラウド側に置いてあるか、LANが特別な設定をすることもなく即座に認識したので、バックアップのつもりでコピーして終了しました。本当に簡単になっていることに驚いた。
 あと少し調整すれば、これまで使っていたPCとほぼ同じ環境になってしまいます。なんと素晴らしい世界になっていたのでしょうか。気がつかなかった。今日も一日自作PCで遊んでしまいました。

 電源ユニットの故障ではなかったので、電源ユニットがひとつ余ってしまいました。ということはですね。まずは最強のPCケースを手に入れます。最強っていえば、やはりソルダムでしょう。だいたい3万円台から選択すれば間違いないとのことです。うーーん、いかんいかん、また病気が復活したようだ。水冷なんていうのもいいですね。東急ハンズにいけばケースをフレームから作ってくれるそうです。そしたらパソコンケースの中にエアコンをつけてしまうってのはどうだろうか。で室外機もケースの外に出してね。いかんいかん、どうもオレ自身が熱暴走してきているような。ディスプレーはやはりEizoでしょう。ふむふむ。そうやっていくとたかだかパソコンになんぼの金がかかることになるんだろうか。ひえーー

2011年6月11日土曜日

ついに自作PCが稼働したぞ

 午前中に秋葉原常駐の秘密工作員からパーツが届いたので、昼頃から作業開始しであります。途中2度ほどわからないことがでてきたので、我が秘密工作員のサァーダにiPhoneからSkypでテレビ電話をして、わからない箇所を実況中継してアドバイスを貰うというのを繰り返しまして、まだ明るいうちに組み立て完了しました。
 それで、恐るおそるスイッチを入れましたら、見事立ち上がりました。詳しくはWindowsXPの残骸が残像を残しているだけなのですが、それでも見事に電源が入りまして、ディスプレーにも写りました。それからWindows7 64ビット版をインストールしまして、インターネットと家庭内LANが動作するのを確かめたところで、もう酒呑む時間になったので本日の作業終了です。詳細は明日以降ということになります。

2011年6月10日金曜日

秋葉原にはオレの配下のスパイが常駐しているのだ

 昨日、突然に携帯が鳴った。ま、携帯なんていうものは、いつも突然鳴るものだけれども、今から携帯鳴らしますよ、いいですか?なんていう気の利いた携帯なんてものはないのですが。

 「あのね、今ね、アキバのヨドバシカメラにいるのよね」ヒカリ目のサァーダの声である。
 「そんでね、ドーすんのよ、マザーボード ドーすんのよCPU ドーすんのよメモリ」突然ドーすんのよと云われてもね。
 「あるよ、あるよ、新鮮なものから、腐りかけたものまで、ヨリドリみどりだよ」

 あんなぁサァーダ、魚じゃないんだから・・・・・

 ま、いいかぁ、本当は半年ぐらいかけて部品をちょこちょこ買って組み立てるつもりだったのだが、どうせ遅いか早いかの違いだけだもんね。というわけで、マザーボード・CPU・メモリの3点セットを購入してしまった。おかげでまたしばらく引き篭もり生活をしなければならなくなってしまった。

 しかし、秋葉原に配下のスパイが常駐しているというのは実に都合がいいのだ。早く荷物届かないかな。

2011年6月9日木曜日

「大洗町の10代からの訴えを本に収録したい!」と今一生(こん・いっしょう) さんからの投稿がありました。

コメントはそのまま埋もれてしまいそうですから、こちらに転載しました。

今一生(こん・いっしょう) さんが投稿「大洗高校 マーチングバンド ブルーホークス 震災後初演奏は地元大洗町を元気づけることから 「がんぱっ...」にコメントを書き込みました。

 僕は千葉在住のフリー編集者、今一生(こんいっしょう)と申します。

 僕は、震災後から2つの被災者支援事業を始めております。
 一つは、被災者自身が被災体験を語って講演料が得られる「講演事業」。
http://hisaisha-voice.blogspot.com/

 もう一つは、10代の被災者が「被災体験記」を書いて応募すれば、採用者1名あたりに1万円以上の謝礼を得られる「作文事業」です。

 この作文事業では、文集にまとめて産経新聞社出版部から書籍として出版されるため、その初版印税から謝礼を配当します。

 そして、この応募〆切が6月10日に迫っておりますが、大洗町からの応募がなく、大変残念に思っております。

 大洗町の大変さを全国に伝え、新たな支援を取り付けるにも、この出版事業は貢献できます。

 そこで、お願いがあります。
 ぜひ、娘さんや大洗高校の生徒の皆さんに、この作文事業についてお知らせいただけないでしょうか?
http://createmedia.blog67.fc2.com/blog-entry-53.html

 〆切は随時延長し、なるだけ大洗町の10代からの訴えを本に収録したいと考えておりますので、ご検討いただければ、ありがたいです。



投稿者: 今一生(こん・いっしょう) 、ブログ名: うろんな日々、日付: 2011年6月9日12:43

tsubakiさんからのPC自作のための有用なアドバイス

 今回tsubakiさんからパソコン組み立てのための有用なアドバイスをたくさんいただきました。感謝であります。にわかオタクの私にとっては、目からウロコ的なものが多かったです。また気がついたことがありましたら、よろしくお願いします。現在仕事の合間に、パソコン自作の初歩から勉強しています。これがまた楽しいのであります。
 現在修復しているパソコンは予算の都合上いつになったら動作するのか先が見えない状態ですけれども、電源ユニット・マザーボード・CPU・メモリ関係等々を調べてますと思わぬ発見があったりして最上の息抜きになっています。パソコンの自作がこんなに面白いものだとは気づきませんでした。
 これまでもパソコンはほとんど自作でしたが、そのほとんどは師匠ひでりんの手助けによるものでありました。どちらかというとハードよりもソフト関係に興味があり、つたないながらも自作は自作でもプログラムを自作することにおおいなるヨロコビを感じていたのです。だから、CPUの速度なんてのはどうでも良かったし、メモリがどうたらこうたらも・・・・。とにかく動けばいいという感じでありました。

 ハードはハードで結構面白い世界だと気づきはじめております。

以下tsubakiさんとのコメントからの掲載
tsubaki さんは書きました...
こんにちわ。
S先生がバックにいらっしゃいますので、技術的な事はお任せするとして、テスト動作する時はわざわざケースに組み込もうとするから面倒くさくなります。
ケースからパーツ一式取り外して、ショートすることのない板間の上にパーツを広げて実験するとなにかとはかどりますよ。

2011年6月8日15:43


松村 俊博 さんは書きました...
云ってることが難しくてさっぱり理解できません。マイッタ
2011年6月8日15:46


tsubaki さんは書きました...
>云ってることが難しくてさっぱり理解できません。マイッタ

ウッ!!
分かりづらい説明で申し訳ありません。
多分、現在は動く動かないの最終確認は、ケースの中にすべてパーツが組み込まれた状態で電源を入れていますよね。
じゃ、なくて。
マザーボードをケースから外してフローリングの上に置いて、その状態でCPUとかカードを取り付けます。電源も配線をして。ディスプレイも接続して動作確認をします。
ケースは使わない。すべてフローリングの上で作業を行う訳です。
動くとなったら、改めてケースに組み込む訳ですね。動かなくなったという時はこれが一番作業効率が良いですよ。
2011年6月8日17:56


松村 俊博 さんは書きました...
なるほど、うんうん、そうだよね。何も苦労していちいちケースのなかに収めなくてもいいんだよね。これから、そうします。思っても見なかった発想です。これは素晴らしい。
2011年6月8日20:03


tsubaki さんは書きました...
おはようございます。
今回の作業はあくまで何処か悪いのか原因を探る方法として紹介しました。
普通は先に組み込んでから電源入れると思います。
ただ僕の場合CPU、CPUファン、メモリーはマザーボードに予め取り付けてからケースに組み込んでいます。先にマザーボードをケースに組み込んでからメモリーを挿そうとするとマザーボードがたわんで充分挿しきれない場合があるからです。
2011年6月9日8:23

>先にマザーボードをケースに組み込んでからメモリーを挿そうとするとマザーボードがたわんで充分挿しきれない場合があるからです。

 これ何度も経験しています。なかなかカチッとするまで押し切れなくて四苦八苦していました。この作業が一番嫌で〗たね。あ、そうだCPUをCPUファンに取り付けるというのも、あまりやりたくない作業です。なんでだか知らないけれどもいつも緊張して喉がカラカラになってしまいます。今回はそれらを何度も練習しようと思っています。

ドラッカー 現代の経営(上)

本書『現代の経営』は、一九五四年、ドラッカー四四歳のときの著作である。世界で最初の総合的経営書であり、かつ今日広く読まれている経営書である。



まえがき


 本書は企業を三つの次元でとらえた。

 第一に、自らの外部、すなわち顧客のために成果を生み出す経済的な機関としてとらえた。第二に、人を雇用し、育成し、報酬を与え、彼らを生産的な存在とするための機関、したがって統治能力と価値体系をもち、権限と責任の関係を規定する社会的機関としてとらえた。第三に、社会とコミュニティに根ざすがゆえに公益を考えるべき公的機関としてとらえた。

 また本書は、本書の出版当時(一九五四年)には言葉さえほとんどなかった「企業の社会的責任」について論じた。

 こうして本書は、今日われわれがマネージメントの体系としているものを生み出した。それに偶然でも運でもなかった。それこそ本書を書いた目的であり、意図だった。

 本書を書いたとき、私はすでに一〇年以上コンサルタントとして成功していた。だが私は、もともと企業とそのマネージメントへの関心からスタートしたのではなかった。一応、若い頃にはドイツで一年弱、イギリスで三年ばかり金融機関で働いたことがあった。しかしその後、筆をとり、行政と政治を教えていた。マネージメントなるものに関わりをもつようになったこと自体が、ほとんど偶然によるものだった。

 一九四二年、私は『産業人の未来』を発表した。その中で私は、かって家族とコミュニティが担っていた社会的な課題のきわめて多くが、やがて組織、特に企業によって果たされるようになることを論じた。$E3��の著作は、世界最大のメーカーであるGM(ゼネラルモーターズ)の首脳陣の目にとまり、一九四三年の秋には同社のマネジメントについて調査研究するように依頼された。この調査研究から誕生したものが、一九四六年に発表した『企業とは何か』(邦訳旧題『会社という概念』)だった。

 GMでの仕事は面白かったが、ストレスの溜まるものでもあった。研究の準備をしようにも参考するものがなく、企業とマネジメントについて書かれた書物はごくわずかしかなかった。

 そのごくわずかのものでさえ、役には立たなかった。それらのものは、いずれも企業活動の一つの側面、しかもそれだけが独立して存在するかのように、特定の側面しか取り上げていなかった。それらは、身体の一つの関節についてだけ書いている解剖学の本を思わせた。骨格や筋肉はもちろん、腕についてさえ述べていなかった。

 しかも、企業のマネジメントに関わる側面については、まったく何の研究もなかった。

 私は、マネジメントや経営管理者の仕事が興味深い存在になっているのは、それが生きた存在だからだと考えた。事実、GMでの調査を始めて直ちに、マネジメントするということは、第一に成果をあげることについて考え、第二に企業の中で共通の課題に取り組むべき人たちを組織することについて考え、第三に社会的な問題、すなわち社会的なインパクトと責任について考えることであることを知った。しかしそれらのことについては、いかなる文献も見つからなかった。それら三者間の関係についてはなおのこと、何も見つからなかった。

 私はその調査研究をまとめた後も、かなり長い間GMのコンサルタントをつとめた。その頃、シアーズ・ローバック、チェサピーク&オハイオ鉄道、GE(ゼネラル・エリクトリック)からもコンサルタントを頼まれるようになった。しかし、私はいつも同じ状況に直面した。すなわち、マネジメントの仕事、機能、課題についての研究、理念、知識に関する文献はほとんど存在せず、いくつかの断片と専門的な論文があるにすぎなかった。

 そこで私は、じっくり腰を下ろしてこの暗黒の大陸たるマネジメントの世界の地図を描き、欠けているために新たに生み出さなければならないものを明らかにし、すべてを組織的、かつ体系的に一冊の本にまとめようと決心した。

 それまでのコンサルタントの仕事で、私は大勢の若い優秀な人たち、その上のミドルの人たち、あるいは、さらに大きな仕事を任されている人たちに会っていた。彼らは、自分たちの先輩である第二次世界大戦前に昇進していた人たちとは違い、自らが経営管理者であることを自覚していた。彼らは体系的な知識を必要としていた。すなわち、コンセプト、原則、手法を必要としていた。しかも彼らは、それらの何も手にしていないことを知っていた。

 私が本書を書いたのは、そのような人たちのためだった。事実、この『現代の経営』をベストセラーにしてくれたのは彼らだった。彼らは、経営管理者であることを、単なる地位から仕事、機能、責任に変えた人たちだった。

 本書はアメリカだけではなく、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、日本で、直ちに大きな成功を収めた。特に日本では、経済発展の基礎になったとしてくれた。

 私のマネジメントに関する世界最初の本『創造する経営者』(一九六四年)であり、エグゼクティブとしてお自らのマネジメントについて説いた『経営者の条件』(一九六六年)である。また『マネジメント』(一九七三年)は、エグゼクティブの体系的入門書としてだけでなく、大学の教科書としても書いた。同書は、本書『現代の経営』が読みやすい入門書を意図したのに対し、総括的な決定版を意図した。

 本書はいまなお、経営学部の学生、経営管理者を目指す人たち、すでに経営管理者になっている人たちが必読書としている唯一のものである。ある大銀行の会長は役員たちに対し、「マネジメントについて一冊だけ読むとしたら『現代の経営』にしなさい」と繰り返しいってくれている。

 本書の成功の原因は、その総合性と読みやすさのバランスにあると思う。一つひとつの章は短い。しかし、いずれの章も基本的なことを提示している。それは、本書執筆の意図の当然の帰結である。私は、自分がコンサルタントをしていた企業の経営管理者に対し、彼らが今日の仕事に必要としているもののすべてを提供しようとした。しかも、そのために使う材料は、取り組みやすく、読みやすく、かつ忙しい人たちが割ける時間に合わせたものにしようとした。

 本書のあとに書かれ、出版された経営書が多数あるにもかかわらず、本書が長年にわたってベストセラーとして広く読まれているの理由は、このバランスにあると思う。本書はそのゆえに、企業や政府機関やその他の組織の経営管理者と、経営管理者を人たちの愛読書となっている。

 私は本書が、今後も長い間、新しい世代の学生や、意欲に燃える若い経営管理者、経験あるエグゼクティブの方々にとって、愛読書となり続けてくれることを期待している。

   カリフォルニア州クレアモントにて
                             ピーター・F・ドラッカー

目次

  • 序論 マネジメントの本質
    • まえがき
    • 第1章 マネジメントの役割
      • 事業に息を吹き込む存在
      • 経済発展を支える鍵
    • 第2章 マネジメントの仕事
      • マネジメントへの無理解
      • 経済的な成果をあげる
      • マネジメントの第1の機能
      • 創造的な活動としてのマネジメント
      • マネジメントの第2の機能
      • マネジメントの第3の機能
      • 現在と未来のマネジメント
      • マネジメントの多目的性
    • 第3章 マネジメントの挑戦
      • 新たな産業革命
      • オートメーションとは何か
      • オートメーションと人間
      • マネジメントに要求されるもの
  • 第Ⅰ部 事業のマネジメント
    • 第4章 $E3��アーズ物語
      • 顧客にとっての価値はなにか
      • 近代企業の成長の要因
      • 数々のイノベーション
      • 新しい問題と新しい機会
    • 第5章 事業とは何か
      • 人が事業を創造する
      • 企業の目的
      • 企業家的な二つの機能|マーケッティングとイノベーション
      • 経済成長の機関としての企業
      • 富を生み出す資源の生産的な利用
      • 生産性のコンセプト
      • 利益の機能
    • 第6章 われわれの事業は何か
      • 正しい答えはわかりきったものではない
      • われわれの事業は何かがもっとも重要
      • 顧客は誰か
      • 顧客にとっての価値は何か
      • われわれの事業は何になるか
      • われわれの事業は何であるべきか
      • 目標設定の重要性
    • 第7章 事業の目標
      • 「唯一の正しい目標」の誤り
      • いかにして目標を設定するか
      • 市場地位|マーケッティングに関わる目標
      • イノベーション〫関わる目標
      • 生産性と付加価値に関わる目標
      • 資源と資金に関わる目標
      • どれだけの利益が必要か
      • 利益を測定する尺度は何か
      • その他の重要な領域に関わる目標
      • 目標の期間設定
      • 目標間のバランス
    • 第8章 明日を予期するための手法
      • 明日を予期することの重要性
      • 景気循環を迂回する
      • 意志決定のための三つの手法
      • 経営管理者の育成が鍵
    • 第9章 生産の原理
      • 生産能力は決定的要因
      • 三つの生産システム
      • 個別生産
      • 二つの大量生産
      • プロセス生産
      • 生産部門に要求すべきこと
      • 生産システムがマネジメントに要求するもの
      • オートメーション化|革命か漸進か
  • 第Ⅱ部 経営管理者のマネジメント
    • 第10章 フォード物語
      • 経営管理者は最も希少な資源
      • ヘンリーフォードの失敗
      • マネジメントの構築
      • 経営管理者をマネジメントすることの意味
    • 欬11章 自己管理による目標管理
      • 方向づけを誤る要因
      • 専門家した仕事にひそむ危険性
      • 階層によるマネジメントの違い
      • 何を目標とすべきか
      • キャンペーンによるマネジメントは失敗する
      • 自己管理によるマネジメントの変革
      • 報告と手続きに支配されるな
      • マネジメントの哲学
    • 第12章 経営管理者は何をなすべきか
      • 経営管理者の仕事の範囲
      • 経営管理者の責任の範囲
      • 経営管理者の権限
      • 経営管理者とその上司
    • 第13章 組織の文化
      • 凡人を非凡にする
      • 五つの行動規範
      • 無難であることの危険
      • 評価の必要性
      • 報奨と動機つけとしての報酬
      • 昇進を過大視する弊害
      • 適切な昇進制度
      • マネジメントの理念
      • マネジメントの適正
      • リーダーシップとは何か
    • 第14章 CEOと取締役会
      • ボトルネックはボトルトップにある
      • CEOの仕事の混乱ぶり
      • CEOは一人という迷信
      • CEO一人体制の危険
      • CEOチームの組織化
      • 取締役会
    • 第15章 経営管理者の育成
      • 三つの責任
      • 経営管理者の育成にあらざるもの
      • 経営管理者の育成の原則
      • 経営管理者の育成の方法

2011年6月8日水曜日

PCの故障の原因は電源ユニットではないかも


 電源ユニットの交換を終えて、恐るおそるパソコンのスイッチを入れてみたが、ウンともスンともいわない。基本的に交換する前と同じ状態であります。期待はずれというか期待どおりというか、誠に複雑な心境であります。
 こうなってくると、次にやることは決まっています。CPUの交換ということになります。これがまた、CPUの交換だけで済むはずはなくて、マザーボード・CPU・メモリとこの3点を一挙に交換しなければいけないことになります。
 今月はなけなしの小遣いを使い果たしたので、来月以降の作業ということになります。それまで、もう少しパソコンの勉強をしてみたいと思っています。
 以前使っていたマザーボード・CPU・メモリ一式を捨てずに取っておいたので、それを引きずり出してきてどの形状のコネクタに何が刺さるのか等を子細に研究してみたいと考えています。また、どうせ壊れているのだから、何度も分解して組み立てるという作業もやってみたいと思っています。
 予備のPCがノートも含めて3台ありますから気楽なものです。プラモデルの分解組み立てを楽しむようなものだと思っています。

 この時点で開き直ったというか、マザーボード・CPU・メモリはまったく白紙に戻して一から研究してどれにするかをゆっくり検討したいと思っています。うーん、このあたりからまた怪しくなってきつつあります。「どうせなら・・・・」といういつもの悪い性癖が頭をもたげてきそうで心配であります。

 すでにOSは準備してあるんだけどな。



まだ決めたわけじゃないけどマザーボード・CPU・メモリ3点セット







2011年6月7日火曜日

プログラムの手直し

 確かにこれまで動くには動いていたのですが、少しやりにくいなとは思っていました。ちょっとぐらいやりにくくても自分だけで使うやつだからいいのだと思っていたのです。これを「運用で逃げる」といいますね。いわないか^^;。ま、とにかく動作しているんだからいいじゃないか、へんにイジるとせっかく動いていたものが動かなくなる可能性のほうが大きいのでほおっておいたのであります。
 しかし、人間魔が差すということは往々にしてあるものです。開いて見なければいいものを、開いてしまった。これが運の尽きですね。はい、それからたっぷりと2日間ほど唸っていましたね。ウソウソ。本当はちょっと見てはわからなくて、ほおっておいて、それでも気になるから、少しだけいじって益々どうにもならなくしてしまいってのを繰り返して、ようやくこれが正しいやり方だろうってことにしてしまいました。メデタシ、メデタシ

2011年6月6日月曜日

ドラッカー 「経済人の終わり」

本書『「経済人」の終わり』は、一九三九年、ドラッカー二九歳のときの処女作である。「経済人」とは経済至上主義のことであって、経済至上主義は社会を機能させ人を幸せにするかとの本書の問題意識は、今日そのままわれわれのものである。ドラッカー思想の原点に位置づけられる名著である。

まえがき

本書は政治の書である。

 したがって、学者の第三者的態度をとるつもりも、メディアの公平性を主張するつもりもない。本書には明確な政治目的がある。自由を驚かす専制に対抗し、自由を守る意志を固めることである。しかも本書は、ヨーロッパの伝統とファシズム全体主義との間にはいかなる妥協もありえないとする。

 ファシズム全体主義がヨーロッパの基本原則を脅かす存在であることを知るがゆえに、私は、ファシズム全体主義革命についての通常の解釈や説明を受入れるわけにはいかない。それらのものは、表面的な現象の説明と解釈に満足している。争う余地のない事実を認めようとしないものも少なくなく、あらゆる種類の旧体制が自らの死を隠蔽するために陥った自己欺瞞を連想させる希望的観測にしがみついている。

 旧秩序の支持者たちが陥っているこの自己欺瞞は、彼ら自身の勝利よりも、むしろ新興の革命勢力にとって助けとなっている。

 したがって私は、ファシズム全体主義について、意味のある的確な解釈と説明が必要であると考えた。政治の世界と社会に偶然や奇跡は存在しない。政治と社会の動きには必ず何らかの原因が存在する。社会の基盤を脅かす革命もまた、社会の基盤における基本的な変化に起因しているはずである。人間の本性、社会の特性、および一人ひとりの人間の社会における位置と役割についての認識の変化に起因しているはずである。

 本書において私は、ファシズム全体主義を根源的な革命として理解し、説明した。しかも、歴史の唯物的解釈を全面的にしんずるわけではないが、分析は最初から社会的領域と経済的領域に限定することにした。

 物質は、それだけれでは人間社会の基盤とはなりえない。それは人間の実存を支える柱の一つにすぎない。しかも、もう一方の柱である精神よりも重要であるというこはないし、より重要でないということもない。これは、人間が動物の王国に属するとともに、神の王国にも属する存在であることによる。人間の成長とその変化は、社会活動や事業活動において現れると同時に、精神活動や芸術活動において現れる。すなわち、革命の分析には、精神的側面と物質的側面の分析が必要となる。

しかし現実には、そのような試みは、たとえ料理や性的儀式、軍事作戦や地図製作などと人間活動の些事にいたるまで網羅したとしても、人間そのものを見失うシュペンダーの悪夢に終わるおそれがある。

 一九世紀は精神的領域を物理的領域に奉仕させようとした時代だった。しかし、例えば、一三世紀以降の時代が物質的領域を精神的領域に奉仕させようとした時代だったことを理由として、一六世紀の宗教改革の淵源は物質領域にあることを分析しようとするならば、それはあまりにも回り道であって、無益な試みといわなければならない。同じように、今日の革命の分析を精神的領域から始めることも無益である。とはいえ、社会的領域における変化を対象とする私の分析が、全体像の半面にすぎないことには留意していただきたい。

 私の分析は、完成に近づきつつある自由世界において、イタリアのファシストが無視しうる雑音にすぎなかったヒトラー前のヨーロッパという平穏な時代に遡る。しかし当時でさえ、われわれの心の安寧がもはや現実のものではなく、いつ破局が訪れやもしれぬという切迫感があった。

 したがって、本書の分析は、ドイツにおいてナチスが政権を奪取したときには、事実上完了していたといってよい。事実、その後数年間の現実の動きは、私の分析の正しさを証明していた。しかも私はかなり正確に予測していた。こうして私の分析が単なる仮説以上のものであることが明らかになったとき、私は本書の刊行に踏み切った。

 しかし、ここにきわめて重要なこととして、予め断っておきたいことがある。それは本書がニューヨークにおいて、主としてアメリカ人を対象として書いたものでありながら、結論はそのままアメリカに適用されるべきものではないということである。アメリカの将来を左右する基本的な力が何であるにせよ、それらの力はヨーロッパのものとはまったく異なる。ヨーロッパの動きをアメリカに当てはめることは、ヨーロッパを理解するうえでもアメリカを理解するうえでも有害である。私の見解と結論がそのように使われることは私の意図に反する。

 最後に私は、本書の執筆にあたって、助言、批判、示唆を与えてくれた妻に謝意を表したい。彼女の助力と協力がなければ本書を書きあげることはできなかった。

 また原稿に手を入れ、助言と示唆を与えてくれたリチャード・J・ウォルシュ氏、および原稿の最終的な取りまとめにあたって惜しみなく時間を割き、助言をしてくれたハロルド・マンハイム氏にも謝意を表したい。
   一九三九年一月
       ニューヨーク州ブロンクスビルにて
                         ピーター・F・ドラッカー

目次

  • まえがき
  • 第1章 反ファシズム陣営の幻想
    • ファシズム全体主義への誤解
    • 新しい諸症状を分析する
    • 大衆心理の不思議
    • 管理ゆえに信ず
  • 第2章 大衆の絶望
    • マルクス社会はなぜ失敗したか
    • ブルジョア資本主義の約束不履行
    • 「経済人」の破綻
    • 秩序を奪われ、合理を失う
  • 第3章 魔物たちの再来
    • 世界大戦と大恐慌が明らかにしたもの
    • 魔物たちを追放せよ
    • 経済的自由を放棄する
    • ファシズム全体主義の登場
  • 第4章 キリスト教の失敗
    • キリスト教の戦果
    • 知的エリートとキリスト教
    • 教会は無力である
    • ファシズム全体主義に対峙できるか
  • 第5章 ファシズム全体主義の奇跡 ドイツとイタリア
    • ドイツとイタリアの国民性
    • 与えられた民主主義と獲得した民主主義
    • ムッソリーニとヒトラー
    • ドイツのナチズムとイタリアのファシズム
  • 第6章 ファシズム全体主義の脱経済社会
    • 産業社会の脱経済化という奇跡はなるか
    • 不平等を相殺する社会有機体説
    • 軍国主義による脱経済化
    • ファシズム全体主義経済の実体
    • 深刻化する資源の輸入問題
  • 第7章 奇跡か蜃気楼か
    • 戦争と平和
    • 聖なる戦いの末路
    • 反ユダヤ主義はこうして起こった
    • ブルジョア資本主義の化身としてのユダヤ人
    • 信条ではなく組織がすべて
    • 社会の規範を超越した指導者原理
  • 第8章 未来
    • 独ソ開戦に託された道
    • 独ソの利害は一致するか
    • 新しい秩序に基づく新しい力
  • 付録 

2011年6月5日日曜日

電源ユニット到着


 本日の朝注文しておいた電源ユニットが到着していたらしい。というのも午前中は二日酔いにて沈没していたから、いつ到着したのか、まったくわからずでありました。何年ぶりにパソコンの中味をいじるのだろうか。以前は平気で弄りまくっていたが、最近はPCケースを開けてみるというのも珍しくなっていた。ということで、いきなり壊れたと思われる電源ユニットを外してしまうのも結構怖いことであった。というのも電源ケーブルを全部外してしまったら、どの場所にどのケーブルがつくのかわからなくなりそうだったのであります。
 そこで古い電源ユニットははずして新しいのと交換して、配線はひとつひとつ確認しながら、順次つないでいくという作戦を採ることにした。慣れている人だったら10分ぐらいで終わる処理だろうが、1時間たってもまだ終わっていない。二日酔いの気持ち悪さもときどき襲ってくるので、休み休み作業を行っている。たぶん明日の朝ぐらいには終わることでしょう。
 これで動作すればなんら問題ないのだが、もし動かないとなると、マザーボードを交換しなければならない。これがまたメンドクもお金のかかることである。ま、いずれはWindows7がなんのストレスがなく動作する機械を組み立てるつもりだが、そんなに早くやる気持ちはないのだ。
 ま、久しぶりにオタクになった気分なのだ。以前にもなんどもあったことだが、最初はとにかくできるだけ安価な機械を組み立てようとするのだが、そのうちに段々にどうせならもう少し上のスペックをということで、逆上的に暴走してしまって、当初の予算の2倍から3倍になっていたなんてことがあったので、今回とにかく暴走しないように気をつけるのだ。

2011年6月4日土曜日

Microsoft Windows7 Home Premium 64bit 日本語 DSP版 + メモリ [DVD-ROM] [DVD-ROM] (DVD-ROM)

Microsoft Windows7 Home Premium 64bit 日本語 DSP版 + メモリ [DVD-ROM] [DVD-ROM] (DVD-ROM)というOSがあった。

 これが11500円と妙に安いのだ。使い物にならないメモリが2枚ついてくるらしいのだが、それにしても安いのでとりあえずこのOSを買っておこうかなと思うのだがどうだろう。
 と書いている途中で「他に新品4点あり」というのが目に入ったので何気に押してみると、なんとそこには、9500円で送料が340円とある。送料を含めても9840円であります。もう何も考えずに買ってしまいました。私が持っているOSはノートパソコンのVISTAが一番新しいやつで、後はXPがほとんどであります。この64bit Windows7を購入しても入れられる機械が無いのですが、そのうちに使うだろうということで先行投資ですね。
これが今回壊れたと思われる、電源ユニットです。鎌力なんてもの凄い名前がついていますね。550Wもあったんだ。電源ユニットが壊れたのは今回で3回目ですね。こればっかしは当たりハズレがあるようでありました、どうにもなりませんね。ま、消耗品だと考えてますからね。もっともパソコンそのものが消耗品ですけれどもね。
それで現在電源ユニットの到着待ちになっっているPCのあくまでも将来計画ですが、マザーボードはギガバイトSocketAM3でCPUはAMDっていうやつでビデオチップはオンボードでメモリは2枚差しで4GB×2=8GBにしようと思っています。とメモ変わりに聞いた話を書いておきます。調査はぼちぼちやることにします。

ドラッカー 「5 イノベーションと企業家精神」

 本書『イノベーションと企業家精神』は、一九八五年、ドラッガー七五歳のときの著作である。イノベーションと起業家精神が誰でも学び実行することができるものであることをあきらかにした世界最初の方法論である。



まえがき

 本書はイノベーションと企業家精神を生み出すための原理と方法を示している。企業家の性格や心理ではなく、姿勢と行動について述べた。実例を使っているが、それは単に成功物語を紹介するためではなく、重要なポイント、基本的なルール、注意すべき点を明らかにするためである。したがって、ほかの文献とはイノベーションと企業家精神の重要性についての認識は同じであっても目的と内容は大きく異なる。

 イノベーションと企業家精神は才能やひらめきなど神秘的なものとして議論されることが多いが、本書はそれらを体系化することができ、しかも体系化すべき課題すなわち体系的な仕事としてとらえた。

 本書は実践の書である。しかし、ハウツーではない。何を、いつ、いかに行うべきかを扱う。すなわち方針と意志決定、機会とリスク、組織と戦略、人の配置と報酬を扱う。

 本書はイノベーションと企業家精神を、イノベーション、企業家精神、企業化戦略の三つに分けて論ずる。これらはいずれもイノベーションと企業家精神の「側面」であって「段階」ではない。

 イノベーションの部では、イノベーションを目的意識に基づいて行うべき一つの体系的な仕事として提示する。また、イノベーションの機会を、どこで、いかに見出すべきかを明らかにする。その後、現実の事業として発展させていく際に行うべきことと、行ってはならないことについて述べる。

 企業家精神の部では、イノベーションの担い手たる組織に焦点を合わせる。そこでは三種類の組織、すなわち既存の企業、公的機関、ベンチャー・ビジネスにおける企業化精神扱う。これらの組織が成功するための原理と方法は何か、企業家精神を発揮するには、いかに人を組織し、配置すべきか、その場合の障害、陥穽、誤解は何か、さらには、企業家の役割とその意志決定について述べる。

 企業化戦略の部では、現実の市場において、いかにイノベーションを成功させるかについて述べる。結局のところ、イノベーションが成功するかどうかは、その新奇性、科学性、知的卓越性によってではなく、市場で成功するかどうかによって決まる。


 企業家精神は科学でもなければスキルでもない。実務である。もちろん知識は不可欠である。本書はそれらの知識を体系的に提示する。しかし、医学やエンジニアリングなどほかの実務の知識と同じように、企業家精神に関わる知識も目的を遂行するための手段である。したがって、本書のような著作は実例による裏づけがなければならない。

 イノベーションと企業家精神に関わる私の仕事は、一九五〇年代半ばに始まった。まず最初に、ニューヨーク大学ビジネススクールの夜間セミナーを週一回、二年間にわたって受け持った。学生はほとんどがすでに仕事で成功している人たちだった。

 セミナーで議論したことは、彼らの実際の仕事において、あるいはそれぞれの属する組織において試された。また、私自身のコンサルタントの仕事において試され、確認され、洗練され、修正されていった。

 本書は、それらの観察、研究、経験のエッセンスである。実際にあったケース、すなわち戦略と実践における成功例と失敗例の両方を紹介している。組織名を出しているもは私のクライアントではなく、周知のケースであるかもしくはその組織自らが明らかにしたものである。私のクライアントの場合は、私の他の著書と同じように実名は出していない。しかしケースそのものはすべて実際に起こったものである。

 本書はイノベーションと企業家精神の全貌を体系的に論じた最初のものである。この分野における決定版ではなく最初の著作である。私は本書が嚆矢となることを望んでいる。

   カリフォルニア州クレアモントにて
                  ピーター・F・ドラッカー

目次

  • 第Ⅰ部 イノベーションの方法
    • 第1章 イノベーションと企業家精神
      • 企業家の定義
      • 変化を利する者
      • 企業家精神のリスク
    • 第2章 イノベーションの七つの機会
      • イノベーションとは何か
      • イノベーションの体系
      • 七つの機会
    • 第3章 予期せね成功と失敗を利用する(第一の機会)
      • 予期せぬ成功
      • イノベーションへの要求
      • 予期せぬ成功が意味するもの
      • 予期せぬ失敗
      • 分析と知覚の役割
      • 外部の予期せぬ変化
    • 第4章 ギャップを探す(第二の機会)
      • 業績ギャップ
      • 認識ギャップ
      • 価値観ギャップ
      • プロセスギャップ
    • 第5章 ニーズを見つける(第三の機会)
      • プロセス・ニーズ
      • 労働力ニーズ
      • 知識ニーズ
      • 五つの前提と三つの条件
    • 第6章 産業構造の変化を知る(第四の機会)
      • 産業構造の不安定性
      • 自動車産業の場合
      • 外部者にとってのイノベーションの機会
      • 産業構造の変化が起こるとき
      • 単純なものが成功する
    • 第7章 人口構造の変化を知る(第五の機会)
      • 人口構造の変化
      • 人口構造の変化はイノベーションの機会
      • 人口構造の変化の分析
    • 第8章 認識の変化をとらえる(第六の機会)
      • 半分空である
      • 黒人、女性、中流階級意識
      • タイミングの問題
    • 第9章 新しい知識を活用する(第7の機会)
      • 知識によるイノベーションのリードタイム
      • 知識の結合
      • 知識によるイノベーションの条件
      • 知識によるイノベーションに特有のリスク
      • ハイテクのリスクと魅力
    • 第10章 アイデアによるイノベーション
      • あまりの曖昧さ
      • その騎士道
    • 第11章 イノベーションの原理
      • イノベーションの原理と条件
      • イノベーションの三つの「べからず」
      • イノベーションを成功させる三つの条件
  • 第Ⅱ部 企業家精神
    • 第12章 企業家としてのマネージメント
      • 企業家のための手引き
    • 第13章 既存企業における企業家精神
      • 企業家たること
      • 企業家精神のための経営政策
      • 企業家精神のための具体的方策
      • イノベーションの評価
      • 企業家精神のための組織構造
      • 評価測定の方法
      • 企業家精神のための人事
      • 企業家精神にとってのタブー
    • 第14章 公的機関における企業家精神
      • イノベーションを行えない理由
      • 公的機関の企業家原則
      • 既存の公的機関におけるイノベーションの必要性
    • 第15章 ベンチャーのマネジメント
      • 市場指向の必要性
      • 財務上の見通し
      • トップマネジメント・チームの構築
      • 創業者はいかにして貢献すべきか
      • 第三者の助言
  • 第Ⅲ部 企業家戦略
    • 第16章 総力戦略
      • 総力による攻撃
      • 成功への道
      • リスクの大きさ
    • 第17章 ゲリラ戦略
      • 創造的模倣戦略
      • 柔道戦略
    • 第18章 ニッチ戦略
      • 関所戦略
      • 専門技術戦略
      • 専門市場戦略
    • 第19章 顧客創造戦略
      • 効用戦略
      • 価格戦略
      • 事情戦略
      • 価値戦略
    • 終章 企業家社会
      • われわれが必要とする社会
      • 機能しないもの
      • 企業家社会における個人
      • 訳者あとがき
      • 索引



2011年6月2日木曜日

大草原の小さな家 Going West(西部への旅)1

 むかしむかし、今のおじいさんおばあさんが、まだ小さな子どもだったり、赤ちゃんだったり、もしかすると、まだ生まれてもいなかったころでした。とうさんとかあさんとメアリーとローラ、そして赤ちゃんのキャリーは、ウィスコンシン州の「大きな森」にあった小さな家をあとにしました。高い木立の間の、切り開いた土地に、ひっそりと、住む人もないままおいてきぼりにしました。その小さな家を、馬車で旅立った日から、誰も二度と見ることがありませんでした。


 ローラたちは、インディアンの住む土地へいくのです。
 とうさんがいうのには、いまではこの「大きな森」に住んでいる人が多すぎるのだそうです。ローラも、よく、とうさんの斧とはちがう、キンキンひびく斧の音をきいたり、とうさんの鉄砲では銃声がこだまするのをききました。小さな家の前をとおっていた小道は、もう広い道になってしまいました。ほとんど毎日、ローラとメアリイは、あそぶのをやめて、その道を車輪をきしませながら、ゆっくりとおっていく馬車を、目をまるくしてながめるのでした。
 野生の動物は、こんなにおおぜい人間がいる土地には、住まなくなるのです。とうさんも、やはり、住みたくないのです。とうさんは、野生の動物が、あんしんして住んでいられる土地がすきなのでした。暗い森かげからのぞいている子ジカやかあさんジカや、野イチゴのしげみでイチゴを食べている、ふとったものぐさなクマをみ見るのが、とうさんはすきなのです。
 冬の夜長に、とうさんは、西部の国のことを、かあさんに話していました。西部では、土地がたいらで、木がなく、草は、たけ高くのび、よくしげるのです。そこでは、野生の動物たちは、果てまで見えないほど広い牧場にでもいるように、自由に歩きまわり、食べたいだけ食べられるのです。そのうえ、まだそこに住みついてアメリカ人はいないのです。インディアンだけが、住んでいる所なのです。
 冬もおわりのころのある日、とうさんは、かあさんにいいました。「かあさんが反対しないのがわかったから、西部を見にいくことにきめたよ。ここの買い手がついたし、いま売れば、けっこういい値だんになる。あたらしい土地での暮らしをはじめるのにも、じゅういぶんなものが手にはいる」
「まあ、チャールズ、もう出発しなけりゃならないんですか」かあさんはいいました。まだまだ寒さはきびしく、このあたたかい家は、とてもいごこちがいいのです。
「ことしいくつもりなら、いますぐ出発しなければ」とうさんはいうのです。「氷が割れてからでは、ミシシッピイ河はわたれないからね」
 というわけで、とうさんは家を売りました。牝牛も子牛も売ったのです。ヒッコリイの枝が弓形にまげて、幌を張る枠を何本もつくり、馬車の荷台にしっかりむすびつけて、かあさんも手つだって、白い麻の幌を、その上にかけました。

 朝まだうす暗いうちに、かあさんは、メアリーとローラをやさしくゆり起こします。暖炉の火とロウソクのあかりで、かあさんはふたりの顔や手をあらい、髪もとかし、寒くないように身じたくをさせました。長い赤いネルの下着の上に、毛のペチコートを着せ、毛の服を着せ、毛の靴下をはかせます。その上に外套を着せると、ウサギの毛皮でつくったフードをかぶせ、赤い毛糸あみのミトンをはめさせました。
 小さな家のなかのものは、何もかもみんな馬車に積みこみました。ベッドとテーブルと椅子のほかは。とうさんが、いつでもまたあたらしいのをつくれるので、もっていかないでいいのです。
 地面にはうすく雪がつもっていました。あたりはしんかんに静まりかえり、寒くて暗いのです。うす闇に、黒くつっ立っている裸の木立のむこうには、凍りついたような星が光っていました。でも、東の空はあかるんでいて、灰色の森のなかから、じいちゃんとばあちゃん、おじさんやおばさんやいとこたちをのせた、馬車や馬のランタンの灯が見えてきました。
 メアリイとローラは、布人形をしっかりだきしめたまま、口もきけないでいました。いとこたちは、ふたりをかこんで立ったまま、ただじっと見つめています。ばあちゃんとおばさんたちはみんな、ふたりを抱きしめてキスをし、さよならをいっては、また抱きしめてキスをしました。
 とうさんは、馬車の自分の座席から手をのばせばすぐとれるように、幌のうちがわの、枠のいちばん高いところに鉄砲をぶらさげました。弾丸いれの皮ぶくろと、火薬のはいった角もすぐその下にさげます。ヴァイオリンをいためないように、枕の間にていねいにおさめました。
 おじさんたちは、とうさんをてつだって、馬を馬車につけてくれました。いとこたちは、メアリイとローラにキスをしてあげなさいといわれて、お別れのキスをふたりにしてくれました。とうさんはまずメアリイを、つぎにはローラをだきあげて、馬車のいちばんうしろにつくってあるベッドにすわらせます。それから、かあさんが前の座席によじのぼるのに手をかし、ばあちゃんがせのびをしてキャリーをかあさんに手わたしました。とうさんは、はずみをつけて馬車にとびのると、かあさんの隣にすわり、ぶちのブルドックのジャックは馬車の下にもぐりこみました。

電源ユニット ANTEC 環境に優しいGREENカラーの高効率650W電源 EA-650-GREENに決定


 紆余曲折がありましたが、このユニットを採用することにしました。ただこの時点で「環境に優しいGREENカラー」何が環境に優しいのかさっぱりわかってはいないのでありますが。ただただ動作してくれることを願うしかありません。

電源ユニット (玄人志向 電源 80PLUS Bronze 630W プラグイン KRPW-P630W/85+)は保留だ



ひでりんからメールでの回答があった。
動作的には問題ないですが、
玄人志向とは、またリスキーなメーカーを選びますね(^^;
ここは、何もない場合は良いですが、何かあっても基本的にサポートはなく
自己解決が前提のメーカーだと思ってください。
うーんネットでは評判が良かったのだが、ここは素直に師匠のいうことを聞いておいたほうが無難だろうということで保留にしています。

電源ユニット (玄人志向 電源 80PLUS Bronze 630W プラグイン KRPW-P630W/85+)はどうだろうか?

 スイッチが入らない状態のパソコンが1台ありまして、自分用の予備のパソコンが1台も無いというのはいささか心もとないので、復活させることにしました。いざとなればノートパソコンも家族が使っているパソコンもあるのですが、どうしてもディスクトップで自分用にカスタマイズされたものがあれば、心の平安を得られるのではないかということであります。
 なぜスイッチが入らないのかの原因を考えますと、スイッチ部分の接続不良とか、マザーボードがいかれたなんてこともあるでしょうが、とりあえず電源ユニットを疑ってみて交換してみることにしたのです。
 とはいうものの、いつもどおりにド素人のワタクシでありますから、どんな電源ユニットを購入していいのかまったく判らずであります。そこで師匠であるひでりんにSkype電話をして聞いたら「500Wぐらいだったらいいんじゃない、それに5、6000円程度で売ってるよ。」のお応えでありました。それでネットで検索しましたら、このぐらいが妥当ではないかと思ったわけであります。まだ購入していません。あんまし、高いのは予算上かなり問題があるのでございます。

 この後ひでりんにメールでもして「ブログを見て!この電源でどうだろう」って聞いて、GOサインを貰えばこの件はめでたく落着であります。

 さてこれでめでたく落着しなければ、マザーボードを疑ることになります。マザーボードを取り替えるということになると、同時にCPUも購入しなければいけないわけになるのであります。んでもってメモリーだって買わなければならないわけであります。ひえーーーー!!こうなったらほとんど全部交換ってことじゃないですか。

 どうかそうならないでと天に祈るばかりであります。