2011年6月6日月曜日

ドラッカー 「経済人の終わり」

本書『「経済人」の終わり』は、一九三九年、ドラッカー二九歳のときの処女作である。「経済人」とは経済至上主義のことであって、経済至上主義は社会を機能させ人を幸せにするかとの本書の問題意識は、今日そのままわれわれのものである。ドラッカー思想の原点に位置づけられる名著である。

まえがき

本書は政治の書である。

 したがって、学者の第三者的態度をとるつもりも、メディアの公平性を主張するつもりもない。本書には明確な政治目的がある。自由を驚かす専制に対抗し、自由を守る意志を固めることである。しかも本書は、ヨーロッパの伝統とファシズム全体主義との間にはいかなる妥協もありえないとする。

 ファシズム全体主義がヨーロッパの基本原則を脅かす存在であることを知るがゆえに、私は、ファシズム全体主義革命についての通常の解釈や説明を受入れるわけにはいかない。それらのものは、表面的な現象の説明と解釈に満足している。争う余地のない事実を認めようとしないものも少なくなく、あらゆる種類の旧体制が自らの死を隠蔽するために陥った自己欺瞞を連想させる希望的観測にしがみついている。

 旧秩序の支持者たちが陥っているこの自己欺瞞は、彼ら自身の勝利よりも、むしろ新興の革命勢力にとって助けとなっている。

 したがって私は、ファシズム全体主義について、意味のある的確な解釈と説明が必要であると考えた。政治の世界と社会に偶然や奇跡は存在しない。政治と社会の動きには必ず何らかの原因が存在する。社会の基盤を脅かす革命もまた、社会の基盤における基本的な変化に起因しているはずである。人間の本性、社会の特性、および一人ひとりの人間の社会における位置と役割についての認識の変化に起因しているはずである。

 本書において私は、ファシズム全体主義を根源的な革命として理解し、説明した。しかも、歴史の唯物的解釈を全面的にしんずるわけではないが、分析は最初から社会的領域と経済的領域に限定することにした。

 物質は、それだけれでは人間社会の基盤とはなりえない。それは人間の実存を支える柱の一つにすぎない。しかも、もう一方の柱である精神よりも重要であるというこはないし、より重要でないということもない。これは、人間が動物の王国に属するとともに、神の王国にも属する存在であることによる。人間の成長とその変化は、社会活動や事業活動において現れると同時に、精神活動や芸術活動において現れる。すなわち、革命の分析には、精神的側面と物質的側面の分析が必要となる。

しかし現実には、そのような試みは、たとえ料理や性的儀式、軍事作戦や地図製作などと人間活動の些事にいたるまで網羅したとしても、人間そのものを見失うシュペンダーの悪夢に終わるおそれがある。

 一九世紀は精神的領域を物理的領域に奉仕させようとした時代だった。しかし、例えば、一三世紀以降の時代が物質的領域を精神的領域に奉仕させようとした時代だったことを理由として、一六世紀の宗教改革の淵源は物質領域にあることを分析しようとするならば、それはあまりにも回り道であって、無益な試みといわなければならない。同じように、今日の革命の分析を精神的領域から始めることも無益である。とはいえ、社会的領域における変化を対象とする私の分析が、全体像の半面にすぎないことには留意していただきたい。

 私の分析は、完成に近づきつつある自由世界において、イタリアのファシストが無視しうる雑音にすぎなかったヒトラー前のヨーロッパという平穏な時代に遡る。しかし当時でさえ、われわれの心の安寧がもはや現実のものではなく、いつ破局が訪れやもしれぬという切迫感があった。

 したがって、本書の分析は、ドイツにおいてナチスが政権を奪取したときには、事実上完了していたといってよい。事実、その後数年間の現実の動きは、私の分析の正しさを証明していた。しかも私はかなり正確に予測していた。こうして私の分析が単なる仮説以上のものであることが明らかになったとき、私は本書の刊行に踏み切った。

 しかし、ここにきわめて重要なこととして、予め断っておきたいことがある。それは本書がニューヨークにおいて、主としてアメリカ人を対象として書いたものでありながら、結論はそのままアメリカに適用されるべきものではないということである。アメリカの将来を左右する基本的な力が何であるにせよ、それらの力はヨーロッパのものとはまったく異なる。ヨーロッパの動きをアメリカに当てはめることは、ヨーロッパを理解するうえでもアメリカを理解するうえでも有害である。私の見解と結論がそのように使われることは私の意図に反する。

 最後に私は、本書の執筆にあたって、助言、批判、示唆を与えてくれた妻に謝意を表したい。彼女の助力と協力がなければ本書を書きあげることはできなかった。

 また原稿に手を入れ、助言と示唆を与えてくれたリチャード・J・ウォルシュ氏、および原稿の最終的な取りまとめにあたって惜しみなく時間を割き、助言をしてくれたハロルド・マンハイム氏にも謝意を表したい。
   一九三九年一月
       ニューヨーク州ブロンクスビルにて
                         ピーター・F・ドラッカー

目次

  • まえがき
  • 第1章 反ファシズム陣営の幻想
    • ファシズム全体主義への誤解
    • 新しい諸症状を分析する
    • 大衆心理の不思議
    • 管理ゆえに信ず
  • 第2章 大衆の絶望
    • マルクス社会はなぜ失敗したか
    • ブルジョア資本主義の約束不履行
    • 「経済人」の破綻
    • 秩序を奪われ、合理を失う
  • 第3章 魔物たちの再来
    • 世界大戦と大恐慌が明らかにしたもの
    • 魔物たちを追放せよ
    • 経済的自由を放棄する
    • ファシズム全体主義の登場
  • 第4章 キリスト教の失敗
    • キリスト教の戦果
    • 知的エリートとキリスト教
    • 教会は無力である
    • ファシズム全体主義に対峙できるか
  • 第5章 ファシズム全体主義の奇跡 ドイツとイタリア
    • ドイツとイタリアの国民性
    • 与えられた民主主義と獲得した民主主義
    • ムッソリーニとヒトラー
    • ドイツのナチズムとイタリアのファシズム
  • 第6章 ファシズム全体主義の脱経済社会
    • 産業社会の脱経済化という奇跡はなるか
    • 不平等を相殺する社会有機体説
    • 軍国主義による脱経済化
    • ファシズム全体主義経済の実体
    • 深刻化する資源の輸入問題
  • 第7章 奇跡か蜃気楼か
    • 戦争と平和
    • 聖なる戦いの末路
    • 反ユダヤ主義はこうして起こった
    • ブルジョア資本主義の化身としてのユダヤ人
    • 信条ではなく組織がすべて
    • 社会の規範を超越した指導者原理
  • 第8章 未来
    • 独ソ開戦に託された道
    • 独ソの利害は一致するか
    • 新しい秩序に基づく新しい力
  • 付録 
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