2011年8月22日月曜日

旅は好きだけど、都会は苦手だ

 旅から帰宅して、すぐに日常という生活が始まった。周囲には、いつまでも旅気分ではいられないからね。という気分が濃厚に漂っている。だから、いつもよりはちょっと遅めの目覚めとなったけど、周囲はじっとりとした闇のなかであった。 体には旅の疲れが纏りついているようで、多少重く感じられるが、まだまだ旅の興奮が残っているせいかさほど気にはならなかった。
 5時近くになってようやく夜が明けようとしていたが、蝉の声はまったく聞こえない。代わりにこれまで蝉に押されて聞こえなかった鳥たちの囀(さえず)りがたくさん聞かれた。
 雨がしのついてる。気温は22℃と4日前がまるで嘘のようである。体は日常に置かれてしまっているが、思いはまだまだ旅の空の下にあるようだ。

 できれば人里離れたところだけをひっそりと隠れるようにして旅したいと思っている。大都会の間際に住んでいながら、地方の小さな都市でも踏み入れた途端にドギマギしてしまって、一種のパニックに陥ってしまう。都市そのものが恐怖の対象なのかも知れない。それでも今回はいくつかの地方都市を走り抜けなければならなかった。できれば目をつぶって過ぎ去るのをじっとして待ちたかった。しかし、そうすると車はひとつも前に進まないわけだから、一生その都市のなかにいなければいけないから、冷や汗がじとっと背中を伝い流れるのを我慢して通り過ぎた。ヨカッタ三重県民とか愛知県民にならなくて。

 そのなかでも夜の東京がいちばんに怖かった。国会議事堂から霞が関・六本木・渋谷と闇に林立するビルはさしずめ物言わね巨大な化物の群れに見えてくる。一般道をカーナビの誘導に従いながら走るのだが、行けどもゆけども恐れている都会から抜けだせずに、かなり焦る。
 これまで西へいくのを阻害していた原因のひとつに、この怪物どもの群れなす東京を必ず抜けていかなければならないところにあった。これが出発前から気持ちの底をぐったりとさせてしまうのだ。神奈川に入ってその恐怖と嫌悪感に変化は認められなかったが厚木を過ぎたあたりから、ようやく自分の恐怖度が平常値に戻るのが感じられた。やれやれと安堵感が広かる。
 夜が明ける前に静岡は抜けたかった。これがいかにアホな考えだったのかを後で知らされる。都内を抜けるのも一苦労であったが、静岡というところも広い県なのか縦に長い県なのか日本地図全体を眺めてみたいとわからないが。機会があったら、この静岡という場所をじっくりと見てやろうと決意した。私の住居からさほど遠くもなく、長野・山梨とならぶ面白県なのではないかと思った。

 静岡には何十年来の付き合いになる友人がいる。だからなのだろう、妻に静岡の自慢話をしているのである。考えてみたら、妻も彼の一家とは面識があり、良く知っていたのである。その1時間ほど前に東京をこれでもかとボロクソにしていたのが、静岡に入った途端の手のひら返しが、彼女にはよほどおかしかったのだろう。
 妻は一言「それってtsubakiさん一家が住んでいるから、そういう話になるわけ?」「ああ!そうか、tsubakiさんを知っていたんだっけ」なるほどこの単純頭はとうに見破られていたわけである。それから二人で大笑いであった。

 あんなにいっぱい静岡を褒めまくったのに行きも帰りも富士山は一度も顔を出さなかった。残念
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