2011年9月4日日曜日

熊野大社で倒れ込む。那智の滝だけにしとけばよかったのに

 この一文を書き終えたあとで、もしかして、これらは妻が仕組んだ日頃のうっぷんを晴らすための謀略でなかったのではなかったかと。いやいや、よもや妻に限ってそのようなことはあるまい。すべて自分の思い過ごしてあると思い直した。うーん・・・・・・。

From うろんな日々
 那智の滝を近くで見たまでは良かったのだが、それからがいかんかった。調子にのって本殿のほうまで登ったのだ。大概の観光客は那智の滝を見た後はそのまま、そそくさと帰ってしまうのだ。まだ朝早かったので、そんなことはまるで知らずに、ここまできたからは登るのが当然と考えたのが最大の誤りであった。妻は最初から登るものだと決めつけているようであった。

 もう力尽きてしまって、このベンチで肩で息するようにしていたのですが、妻がカメラを向けるのを素早く察知して平然とした形にしたのだ。まったく油断ならないのだ。当然、この場所に登り着くまでにも少なくても10回以上は、そのあたりの階段に座り込んだ、いやへたり込むといったほうがいいようだ。倒れ込むといってもいいかな。
 運良く登り降りする観光客がいなかったので、恥も外聞もかなぐり捨てて、「もう、ここで野垂れ死にしてもいいけんね。これ以上は一歩だって登らんかんね」とブツブツ怨念の言葉を呟きつづけていたのである。
From うろんな日々
 那智の滝を間近で見るにも駐車場からかなりの距離の坂を降りなければならない。降りたら必ず同じ距離分を登らなければならないというのが、世の中の常識のようである。その常識とやらをすっかり忘れてしまっていた。この往復の登り降りだけで、一日分のエネルギーを使い果たしていたのに、どうも妻の積極的な野次馬根性に引きずり込まれて正しい判断を失ってしまったようだ。
 滝壺から生還してきた時点で頑強に本殿への登山を拒否すれば良かったと思っている。どうもこのあたりの意志薄弱さが自ら災いを呼び込んでいるようである。
From うろんな日々
 しかし、滅多に観光旅行なんてやらない身にとっては、昨日の伊勢神宮詣ででも思ったのだが、結構な体力を必要とするものだなのだと。
 独りで車中泊の放浪をやっていると、まず絶対に観光地などには近づかないものなのだ。とにかく人のいないところだけをこっそりと目指し続けるのだが、同伴者がいる場合はそうはいかなくなってしまう。ま、こういう旅もたまには面白いものだが。
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