2012年8月23日木曜日

ヨロコビのチャーハンなのだ


 いつも夜が明け切らない頃に家をでて散歩をする。具体的には鳥や蝉が鳴き始めるのを合図に活動を開始するわけだ。さすがにこの時間になると気温も申し訳程度に低くなりこれまでの闇を支配していた爛れたような空気が少しだけ引き締まったように感じる。そう感じるのも完全に太陽が顔を出してしまえばいつもの灼熱のグデグデな夏に戻ってしまう。
 そうなる前に散歩だけは終わしてしまおうという魂胆である。最近はどうにか1時間弱の散歩に耐えられる体力はついてきたと思っている。こんどはせっかくつけたこの体力を何とか持続しなければならないと躍起になっている。
 何をやるにしても一番先にくるのは体力だということを痛感しているのだ。だからかなり真剣に取り組んでもいるのだ。

 この予定された一時間弱の散歩だけをやれれば疲れ果てて、その日は一日中ダウンしても構わないぐらいの気持ちでやっている。

 それで最近少しだけ散歩には自信を持てるようになってきたような気がする。こうして少しだけでもいいから何か自分で自信が持てるように仕向けていくってのは大事なことだと思う。
 俺的には散歩もそうだが、毎朝の圧力鍋による玄米粥作りとか、夕食用の白米炊きとかを毎日続けることによって出てくる自信というものが大事だと思うようになってきた。
 それはなんであってもいいと思うのだ。他人にとっては取るに足りないようなことであっても自分にとって大事だと思えるものなら何でも構わないのだと思う。

 そういえばもう一つ懸案だったことがひとつできるようになった。これも俺の自信につながっていくことは確実だと思う。

 夏休みで必然的に、昼の間子供たちが家にいることが多くなる。普段の日の昼ご飯は自分の分だけ簡単に作って済ませているが、最近は子供たちの分も一緒に作ってやることが多くなった。逆に自分が疲れて作りたくない時は子供たちに作ってもらう。さながら合宿をやっているような気分に襲われる。
 子供たちを小さい頃にキャンプで煮炊きを鍛えたので基本的なものはそれぞれ作れるようになっている。小さい頃からキャンプに連れ歩いた利点はこんなところに現れている。

 で、その日は娘が中途半端な時間に台所にきたので、チャーハンを作ってやることにした。それというのもチャーハンでは試したいことがあったのだ。都合のいい事にちょうど余り物のご飯をタッパーに入れて冷蔵庫に入れてあった。
 試したいことというのは、予め炒り卵を作るのではなく、冷ご飯に直接生卵を溶いて混ぜ合わせてしまう。そうすれば米自体が卵でコーディングされてうまい具合に炒めることができるというものだ。かなり前に確かテレビ番組でやっていたものである。いつか試そうと思っていたのだ。
 でそれは旨くいったので、これからはチャーハンを作る時はこれでいこうと思っている。そこで思わね収穫があったのだ。それはフライパンの上の米の天地返しであります。その時はたまたま娘一人分のチャーハンであったから、分量も少なくそれが大きく貢献したのだと思ったのだが、フライパンを左手に持って手首を返して、炒めている具材を空中に放り投げてひっくり返す技である。これがどうしてもできなかった。と同時にどうしてもやれるようになりたかったのであります。これができるかどうかで、なんとなくプロとアマの違いのように感じられ、味なんかどうでも絶対に格好がいいと思う。これができないんだったら料理なんかやらなければ良いというぐらいに思いつめていたのであります。なななんと、これが別に意識しなくてもなんなくできてしまったのです。

 これは嬉しい。限りなく嬉しいです。それからこれでもかというぐらいに何度も何度もひっくり返してみました。そして娘をわざわざガス台の近くに呼んでやっと修得した技を何度も披露したのであります。
 当然その日の昼ご飯は全員チャーハンということになり、自分の手首が痛くなるほど何度も何度も天地返しをやり続けたのです。やっているうちに段々と高く舞い上がるようになって、同時に自分の高揚した気持ちもチャーハンと一緒に高く空中に舞い上がり続けるのでありました。
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