2012年9月12日水曜日

しつこくやっていれば重大な発見をすることもある。かもね

 完璧に近いご飯の炊き方をどうやらマスターしたようであります。一昨日と昨日に炊いたご飯は自分が理想とするご飯にかなり近かったような気がする。本日も炊いてみて様子をみることにするが、たぶん大丈夫だろうという気がする。
 自分の炊いたごはんを最上のものだなどと思い上がってはいない。世の中には上には上がおり、特にプロだと思われる人たちの造るものは、私達素人が造るものとは一線を画していると感じている。彼らプロには適わないまでも少しでも近づきたいと願っているのであります。
 その為には勉強もするし努力も惜しまない覚悟もしているのであります。そのほうが生きていて絶対に楽しいのであります。自分の持っている5感を最大限働かせて自分の頭で考えることがより大切だと思っているのであります。

 一時期は圧力鍋でご飯を炊いていたが、次第にそれが面倒に思われて、いつの間にか電気炊飯器で炊くようになっていた。
 それが今年の春頃から、再び圧力鍋で炊くようになったことは以前に書いたとおりであります。またひととおり圧力鍋でご飯は炊けるようになったのですが、わざわざ手間暇かけて炊いた割りには不満の残るものでありました。
 それは、抜群のモチモチ感はありますが、それが米一粒一粒が独立しているモチモチ感であったら許せるのですが、炊いた米全体がモチモチになってしまっていました。理想からすれば全体がパラリとしているが、一粒 一粒はモチモチとしている状態なのです。
 これをなんとかしようとかなり努力したのですができませんでした。家族はおいしいとお世辞だかなんだか知らないけれどいってくれますが、自分的にはまったく満足のできるものではありませんでした。水加減を変えてみたり、炊く時間を長くしたり短くしたり、水に浸しておく時間を工夫したりと散々悪戦苦闘を重ねましたがまったく改善されませんでした。

 それがひょんな事で劇的に改善されたのであります。どうせなら炊きたての暖かご飯を食べさせたいと思うのが人情であります。しかし、いつも食べるタイミングに合わせてご飯を炊くというのはかなり面倒な作業であります。それに私のところの家族の帰宅時間はバラバラでそれに一々対応することなど不可能なことであります。そこで考えついたのが炊飯は圧力鍋でやり保温はこれまでどおりに炊飯器でやるということでした。
 こうすればご飯の炊く時間を気にする必要がありません、夕方の都合の良い時間に炊いて後は電気炊飯器に放り込んで保温のスイッチを入れておけばいいのです。
 この方法は案外旨くいって大変満足のいく結果を得ることになったのです。そしてその副産物として、これまで願っていた全体がパラリとしているが、一粒 一粒はモチモチとしている状態を実現することになったのです。理屈は簡単なことでありました。炊き上がったら蒸らして、そして圧力鍋の蓋をあけて天地返しをやり余分な水分を逃してやるという一手間が必要であったのであります。 
 これはまったく気が付かなかった。気がついてみればなんだそんな事かというものですが、電気炊飯器はそんな事をしなくても良いように何度も実験を重ねてプログラミングがされているのだと思います。

2012年9月7日金曜日

私だけの理想郷 その6


 今月になって「私だけの理想郷」を何気なく書き続けてきた。そしてもう息切れを起こしてしまっている。その顛末を「結局、現在自分の住んでいるところが理想郷なのです。」なんていう「青い鳥」のような結末には決して持って行きたくないものだと思っています。ただ圧倒的に力が無いからその安易な結末が一番いいかなとも思ってしまっています。

 私は田んぼよりも畑のほうが好きです。と書くと余程農業が好きなんだなと思われかねませんが、それほど農業が好きだとはいえません。
 本当に農業が好きなら自分の近くに貸し農園がたくさんあるので、それを借りて家庭菜園をすでにやっていたと思うのです。それも考えないことも無かったのですが、必死にそれをやったとしても、どうも自分の中で家庭菜園に面白さを感じることはないだろうなと思ったのです。
 私の判断基準は実に単純でありまして、やって面白いか面白く無いかだけなのであります。

 早朝の散歩をしていると、毎日毎日出勤前のサラリーマンと思われるお父さんが一心不乱に土いじりをしている姿をみかけます。その畑は当然他の区画とは一線を画しています。こういう人こそ本格的に農業をやれば幸福になるのだろうと心から思ってしまいます。

それと比較しますと、私の畑を見る条件は明らかに違います。上の写真はクリックして大きくして見ますと。右の木々の上にアンテナが見えます。そうです携帯電話の基地局であります。しかも2本も立っているのです。ひとつはdocomoでしょう。もうひとつはauかsoftbankなのでしょう。この畑では無線Wi-Fiがびゃんびゃん使えるということであります。それにこのあたりの人がそれほど頻繁に無線Wi-Fiを使うとは到底思われないのでいつもガラ空きの通信を使えるということが予測できます。このあたりの目の付け所がプロの農業者と違うところであります。
 この畑は現在山椒の木を植えてあるそうなのですが、どこに植えられているかは雑草が多くてわかりません。義弟はこの荒地に山椒を植えて幾ばくかの収益につなげようとしたのだそうですが、この目論見は見事に失敗しています。何故かといいますと、関東や東北では山椒を料理に使うという文化が希薄なのであります。山椒を使うといってもせいぜいうなぎの蒲焼にかける粉山椒ぐらいのものであります。それに山へいけば野生の山椒って結構みかけるのであります。秋田で百姓の真似事をやっている時に地元の人に教えられて結構山椒の木って多いと知ったのであります。それを切り出してきてスリコギを作って売りだしてはどうだろうかという話もでたのですがそれもそれほど面白そうではなかったので立ち消えになってしまいました。
 この畑はかなり広大です。土いじりを少しでもやった人ならわかると思いますが、たとえ40坪ほどの畑でも真剣にやろうと思ったらかなり大変です。特に機械力に頼らないとなると・・・・・。で、そこから上がる収益なんてものは話になりません。ここは少なく見積もっても300坪いやそれ以上の広さだと思います。ここで真剣に農業をやろうとしても無理です。農機具に金をかけて燃料に金をかけ肥料に金をかけ苗や種に金をかけ、指の骨が透けて見えるほど働いても収益はひとつもあがらないと思います。
 世の中というものは昔からそういう仕組になっているのです。私の話は間違っているかも知れません。やりようによってはやっていけると思っている人もいるかとも思うし、実際成功している人もいると思います。ただ現実の自分を重ね合わせて考えれば農業という単独の事業はなりたたないと思うのであります。

 自分の中でもどうやればいいのかはさっぱりわかりません。しかし、この畑の通信環境は抜群なのであります。自分でもバカな事をいっているなと思いますが、結構面白いのではないかと思うのです。ただそれだけなのですが。

100w相当/消費電力9W LED電球 E26口金/電球色 [LK-810-Y]

 昨日あたりから少しだけ涼しさを感じるようになりましたね。もう少しの我慢なのかも知れませんね。


 昨日LED100w相当/消費電力9W LED電球 E26口金/電球色 [LK-810-Y]を2個購入しました。明るさと値段を比較するとこれが一番安いように思われたのです。このランプは以前に車中泊用に購入して何ら不都合が無かったので、机のスタンド用にも追加購入したものです。そしてこの度居間の照明として使われていた白熱電球4個の器具の残り2個部分を追加したのです。
 どこのメーカーか良くわからないのですが、たぶん中国製だと思います。これで我が家のLEDランプは5個となりました。前に購入した値段を覚えてはいないのですが、大雑把に計算すれば1万円ほどになるでしょうか。これで元が取れるのかどうかはわかりませんが気分的な問題だと思います。毎月少しずつ買い足していって最終的には全てLEDにしてしまおうと考えています。
 これを一挙にやろうとしたらやらないほうがいいっていう金額になってしまいます。まだシーリングを購入していませんが、まだまだ高額で簡単に手が出せるような値段にはなっていないようであります。

2012年9月6日木曜日

私だけの理想郷 その5

 山形に帰省してから、どうも体調が悪くて一切の家事を放棄していたのだが、昨日からノロノロとやり出した。当然散歩もやっていなかった。まずは家事労働で体調を整えてから様子をみて散歩を再開しようと目論んでいるのであります。

 さて自分だけの理想郷としての好条件は揃ったのだが、私はそこで端と考えこんでしまった。一体何が好条件なのだろうか、そしてまず自分は何をやろうとしているのだろうかという疑問がムクムクと頭を持ち上げてきたのです。

 これまで車中泊を唯一の趣味として、いろんな場所をフラフラと気ままな旅をすることを生きがいにしてきた。そこで掴んだ哲学のようなものは、「決して一箇所に定住しない。決して土地にしがみつかない。」というものです。それは人生のかなり後半部分で得たものですから、その哲学に行き着いた時にはすでに住居を抱えると同時に大きな借金までも抱えこんでしまっていたのであります。それはそれで仕方のないことだと諦めることにしている。でも執着しないことによってより大きな自由を得るという確信を得たのであります。
 また無駄なものは一切所有しないという鉄則のようなものが生まれつつあったのです。無駄なものを所有しないから、その分自由に生きていけるだということを悟ったようなものなのです。といいながらも結構たくさんの無駄と思えるものを持っていますけれど。

 いつのまにか理想郷の話が理想的な生き方の話になってきてしまっていますが、ま、たいした話でもないからそれでいいのだ。

2012年9月5日水曜日

私だけの理想郷 その4

 前回の話では水源が確保できないという話であったが、小さいけれど清水が湧いている池のようなものを発見した。この場所をもっと掘ってみれば簡単に井戸のようなものを作れるのではないかとも思った。
 注意深く観察して歩けば何か打開策というものはでてくるものだと思ったのであります。
 この写真が清水が湧いている小さな小さな池というか水たまりのようなところであります。草を刈って周囲をきれいにしてみないとどのようになっているのか判別がつかないけれども、飲料水は別にしても洗い物ぐらいはできそうであります。
 猛暑で雨がほとんど降らなかった今夏でも水が枯れていなかったというのは心強いものを感じます。

 さて話は1年前の秋に帰省した時にさかのぼる。いつものように兄弟が集まり宴会が始まった。ひょんなことから私の発見した理想郷◯山の話になったのであります。
 「その◯山に少しだけど畑を持っているよ」と義弟がいうのです。
 「まじに本当に持ってるの?」私はかなり驚きました。あのような場所にまさか私の親族が土地を持っているとは思いもつかなかったのです。
 「さくらんぼ畑と桃畑と、数年前に植えた山椒の荒れた畑とか数カ所持っているよ。もっとも忙しくて果樹の畑はほとんど手入れが出来ないから出荷するほどの果樹は取れないけどね。」
 「その畑、タダで貸してくれないかな?」
 「ああ、いいよ好きなだけ使っていいよ」
 「ひえーーー」偶然とはいいながらこんなことってあるんだと本当に嬉しかったのであります。

 それで今年の夏帰省した時にその畑を案内して貰うことになったのであります。数カ所の畑を妹に案内してもらい、どの場所も中々のもので、まだちょっと早いだろうと思われる桃を数個もぎってきたのであります。それを持ち帰って自宅で食してみたが、その味は予想に反して甘露でありました。
 義弟の所有している畑地の広さは数カ所に分かれているとはいうもののかなりの広さで少しだけなどという表現は適していないように思われたが、プロの百姓と素人の私の感覚の違いであろうと思われる。

 今夏唯一の水源らしきものは、義弟の所有している畑内にあることが判明しました。ますます話は面白い方向に行きそうなのでありますが・・・・・・。

2012年9月4日火曜日

私だけの理想郷 その3

 最近発見した自分だけの理想郷なのだが、ここに水場があれば最高なのだが、今のところ見つけられないでいる。きれいな水が豊富に湧き出ているところだったら文句はないのだが。アウトドアを続けていると豊富な湧き水を使って素麺を茹でて食べるということがいかに贅沢なことかを痛感することができる。

 何年か前に秋田市から20分ほど車で登った畑と田んぼに囲まれた山の中に半年ほど百姓の真似事をして暮らしたことがあった。
 最初の3ヶ月は電気も水もない状態であった。後の3ヶ月は電気だけはたくさんの電柱を建てて引き込むことができたが、水は相変わらず無くて近所の家からペットボトルでもらい水をするという生活を続けていた。
 今あの生活をやれと云われてもできないだろうと思う。自分でも良くあんな生活ができたなと不思議に思うと同時に感心してしまう。
 その時に強く思ったのはお昼に素麺を食べるということがいかに贅沢なことなのだろうということであります。麺類を食するには大量の水を必要とするのです。
 長い原子耐乏生活に見切りをつけて自宅に帰ってからは毎日のように麺類を食べ続けたのであります。またそれと同時に食器や調理器具を丹念に洗い続けたのであります。食器を洗うことを嫌がる人も多いのですが、ああいう生活をしていると水をフンダンに使って食器を洗うということに限りなく大きなヨロコビを感じるものなのであります。
 蛇口をひねれば、(自宅のは上下すれば)水が豊富に出てきます。おまけにお湯さえでてくるのですから感動ものであります。トイレにはウンコを流すためにも清水が用意されています。私達現代人は気が付かないうちにかなり贅沢な生活をまったく意識することなくやっているのです。

アウトドアでの最高のごちそうは、カレーライスやバーベキューではなくて、麺類を食べることなのです。この事を知っている人は特級のアウトドアマンなのであります。
 中々条件の合う場所が見つからないので滅多に使うことはないのですが、茹でた麺類を洗うためのザルだけはいつも車に放り込んであるのです。
そういえば最近やったことがないな。
 水であったらなんでもいいというわけではありませんよ。放射能マミれなんてのは番外ですからね。こんなささやかな私の楽しみすらも原発村の奴らは奪ってしまった。
 山から豊富に湧き出てくる清水なんてのを発見したら、いくらスーパーが遠くても麺を買いに走りますね。それだけ価値のあることなのだとわかっているのであります。

 3,4日ぐらいの車中泊では、さほど水のことは心配することはありませんが、10日以上のアウトドア生活となりますと、水源の確保は必須となってきます。その水源を発見できないことが私のトップレベルの別荘地になっていないのであります。もっとも車で3分ほど走ったところに妹が経営する美容室があるので、そこで貰い水をすればなんていうことはないのですが。

2012年9月3日月曜日

私だけの理想郷 その2


さて、7年ほど前に散歩をしていて偶然に見つけた私にとってはユートピアのような秘密の場所でありますが、今回妻と娘に見せるために再び訪れました。
 そこの地名は〇〇山といいます。山と云っても、それほど急ではなくなだらかな丘陵が折り重なって続いているようなものであります。
 おまけに道は舗装までされています。これは農道なのか私道なのか市道なのかも私にはわかりませんが、なかなかのものであります。
 「な、静かでノドカでなかなかいいだろう」
「この傾斜の仕方なんかは最高だね」
「あそこにあるのはさくらんぼの木だね。ほら、まだ桃が収穫されずに残っているよ」
「あれは林檎の木だね。まだ収穫には早いね」
などと自慢げに二人に盛んに話しかけるのでありました。私のいつもの癖で、その風景や場所が気に入ってしまうと、もうそこは自分の物になってしまっているのであります。だからこれまで旅したところのお気に入りの場所は私の物なのです。それが方々にあるものですからシアワセなのであります。

 フクシマにも私のお気に入りの場所が5箇所ほどあったのですが、それが原発のために全てダメになってしまいました。当時はあんなに近くに原発があったのも気が付かずに結構な頻度で利用していたのです。特に飯舘村周辺は気に入っていました。それというのも山形に帰省した時には、まともに高速道路や4号線を使うことがつまらなく思えて、福島市から太平洋側に抜けて走るのが好きだったのです。そしてあの高原地帯と呼んでもいいような場所を発見したのでした。そこにはのどかな里山の山村風景が展開していたのです。
 一度は山の中で若い美女独りを拾って物の怪ではないかとビビったこともあったのです。確かその顛末をこのブログにも書いたような気がします。
 ま、失ってしまったものを今更嘆いてみても仕方のないことですから、フクシマの私の秘密の場所は全て捨てることにしました。もう一生足を踏み入れることはないでしょうね。

2012年9月1日土曜日

私だけの理想郷

 9月に入っても暑さはちっともその手を緩めてはくれない。私の勘違いか記憶違いかも知れないけど昔はお盆を過ぎると急速に秋めいていったような気がするのだが。そんなことを愚痴ってみても誰の責任でもないのだからしょうがないことだけれども。

 7,8年前のことだけれども、約2ヶ月ほど初秋の郷里山形に滞在したことがありました。別にやることも無かったので毎日4,5時間かけて散歩をしていたことがあります。今の自分とは違ってまだまだ体力のあった頃のことでありました。それでも毎日4,5時間歩くというのは結構きついもので、最後には腰に痛みが走ってしまい、中々回復しないというアクシデントに見舞われてしまいました。
 その時の散歩で偶然に発見したユートピアのような場所があります。具体的に地名を上げてもどれほどの影響があるのかはわかりませんが、それはとにかく当分の間自分だけの秘密にしておきたいので敢えて云わないことにします。言っても絶対にわからないとは思いますけれども。
 そこは盆地の中に離れ小島のようになっており、小高い山々が少しだけ続いています。
 その山はすでに開墾されつくされており、さくらんぼや桃・梨・りんごの果樹の畑や家庭菜園のようなのどかな畑地に覆われているのです。

 幹線道路からは大きく外れているので、その山に畑を持っている人以外はほとんどやってこないから、いつ行っても聞こえるのは鳥の鳴き声ぐらいなもので世の中から完全に隔離された別世界のようなところであります。

 そこを妻と娘に見せてやりたいという気持ちが湧いてきまして、今回の帰省中に連れて行ったのでありました。そこを発見した時は秋ということで木々の葉っぱは幾分紅葉を始めておりましたが、今回はまだ暑い夏真っ盛りと云っても良いような状況で、自分でもちょっと心配でありましたが、以前に私が感じた通りのユートピアそのものの風景を展開しておりました。