2012年10月28日日曜日

独りで旅にでかける前の心境は結構複雑

 今日は朝からノートパソコンを取り出してきて触ってみた。時々ディスクトップと同じように操作をして置く必要がある。そうしないといざ外を持ちだして使い始めた時に余計な作業を勝手にやりはじめてすぐには使えない状況に追い込まれてしまうからだ。一番頭にくるのは勝手にウイルスチェックをやり始めてなかなか終わらないのであります。次にWindowsのアップデートを初めインストールしてある各ソフトウェアのバーションアップであります。
 旅に出た時の初日はいつもこれらの事を勝手にやられてしまって、いつも頭に血が登っていたのであります。
 さすがの私にも学習能力は少しだけありますから本日一日かけてそれらの事を勝手にやらせておいて、自宅のディスクトップと同じ環境になるように各ファイルも同期をさせて置きました。これでいつでも旅には出られるのだけれども、なにせ先立つものがない。いくら車を利用しての貧乏旅でもそれなりにお金はかかるものなのであります。
 とは云いながらも、何故かカメラの準備をしたり、下着を揃えたり冬物の防寒着を引っ張りだしたりしています。極め付きは電気毛布も押入れの中から出してきました。ダウンの寝袋があればこの季節は大丈夫だとも思うのだが、備えあれば憂いなしというではないですか。

 独りで旅にでかける前の心境は結構複雑なものであります。普通の人よりはかなり旅慣れているし、装備も長い年月の中でかなりの失敗を重ねながらも最上と思われるものを用意はしていても、なんかつまらんことが不安になったり家でやらなければならない仕事を思い出したりと二の足を踏んでしまいます。これは本当に何百回も経験しているのに同じ思いになるものであります。

 一旦車に乗り込んで出かけてしまえが、そんな思いをしてことなど雲散霧消になってしまって、田舎の風景に溶け込んで流れるBluesやJazzに酔いしれることになるのですけれども。

2012年10月20日土曜日

無線LAN設置完了・久々の都内での呑み会・休まない娘

 無線LAN配備計画も無事に終了してやれやれの状態であります。と言ってもディスクトップはLANケーブルで繋いでいますので、何か変わったかと云われてもiPhoneが常時Wi-Fi接続になっているぐらいだし、ノートパソコンを使う時にLANコードを一々引っぱり出さなくて良くなったぐらいであります。
 現在ノートパソコンが2台ですが、近々息子のがもう1台増える予定だということです。またこれも近々のことでしょうけれどもタブレットPCも購入予定らしいのであります。子供たちのゲーム機器やスマートフォンの状況を把握しているわけではないからわかりませんけども、この無線LANによって恩恵を受けるのは私よりも家族のほうだということであります。

 本日は珍しく都内で呑み会です。高校の同級会であります。案内が来た時にすぐにその案内を捨ててしまったのであります。まったく参加する気持ちがなかったのであります。その高校というのはバリバリの男子校でありまして、集まってくるのは汚い野郎しかいません。そんなところにノコノコ顔を出しても面白いわけがありません。そんなところに無駄金を使うくらいなら旅にでたほうが何百倍か楽しめるのですから当然の選択でありました。
 ところがどこにもお節介な奴というものが数名おりまして、どこぞの呑み屋で集まって呑んでいるところから電話をしてきて無理矢理出席させられることになりました。しょうがないのでせめて2次会だけということにしてトボトボとでかけることにしました。

 今朝の一時ごろ目覚めたらまだ妻が起きていた。娘は帰ってきたかと尋ねると今日は学校に泊まりだよという。そうか金曜日は一晩中学校を解放しているので所属しているサークルの3DCGの作品作りに没頭している日でありました。
 いつも早寝早起きなのですっかり娘の帰宅時間のことなど忘れてしまっていました。そういえばしばらく娘に会っていないのでありました。土日祝日関係なしに学校に行っているようです。帰りは決まって終電のようです。たまに朝の7時頃顔を見ることもあるけど慌ただしくバタバタと出かけていきます。
 若いってのは本当に疲れを知らないのだとほとほと呆れてしまいます。しかし、そこまでどっぷりとパソコン漬けになってしまっていささか心配になってしまいます。

2012年10月17日水曜日

無線LANにしようとしたのね。IP電話が使えなくなるのに気づかなかった。タワケ

 我が家にもiPhoneやらiPodやらゲーム機等々のWi-Fiに繋がなくてはいけない小物がやたら増えてきたので遅ればせながら無線LANを導入したのであります。そこで


を注文したまでは良かったのですが、これを使えばIP電話が使えなくなってしまうのでありました。梱包から出して交換作業をしている時に「ところでこの電話線どこへ繋ぐの????」ってことにようやく気がついたのだ。
 それで調査した結果(もっと前に調査しろよ)IP電話を繋げられるルーターはNTT東日本でしか販売してなくてということになった。
それで急遽NTT東日本に電話したら、内蔵カード型と外付けのアダプターがあるという外付けは買い取り型で6000円ほどだという、どちらが飛距離が出るのだと聞いたら外付けということになってそれに決定した。後2日ぐらいでくるそうであります。

 ところで新品の無線ルーターがまるまる余ってしまうことになった。誰か安く引き取ってくれないだろうか。いやはや

2012年10月16日火曜日

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)

 最近マスコミのいうことを信じることが無くなってしまった。特に3.11以降その傾向が顕著になってきているように感じる。マスコミは権力の批判者であるなどというが、それはまったくの嘘デタラメな類だと思ってもいる。そして権力の批判者であったことなど何時の時代にもあったためしが無かったのだと確信している。
 ネットが無かった時代なら案外素直にマスコミの垂れ流す嘘デタラメな報道を真に受けていたような気もする。だからといってネットを信じきっているわけでもない。早い話しがより一層疑り深くなっているということなのだろう。


 この本7月25日に購入したのにまだ読み終わっていない。ようやく3分2ほど読んだだけである。中味が面白くないから進まないのかといえば、その逆なのであります。あまりに面白くて勿体無くてなかなか先へ進めないのであります。
 以前にもどこかに書いたけど私の読書の仕方は、一挙に読み飛ばしてしまうやり方なのです。とにかくスピードが大事で量だけをどんどんとこなしていくというまったく無味乾燥な読書なのでありますが、この本だけはその読書方法を変更せざるを得ないようなインパクトを与えてくれたような気がします。

2012年10月15日月曜日

ガソリンの備蓄はしてますか?

喉元過ぎれば熱さ忘れるとは良くいったもので、最近ついついガゾリンの買い貯めをサボることが多くなってきました。あの震災直後にガソリンがまったく無くてかなり苦労したことを忘れそうになってしまいます。少なくても常にゲージの半分以上は入れておくようにはしているのですけれどもね。
 ガソリンを入れるというのは結構面倒なもので以前ならタンクをカラカラにしておいて、まとめて入れるという方式を取っていたのですが、3.11以来はさすがにそれは避けてはいますけれども。普段は本当に車に乗らない生活をしていますと、一回乗ってもほんの少ししかガソリンは減りません。そこで一々補給しておくのも面倒なものですから、まだいいか、まだいいよなって感じで先延ばししてしまいがちであります。さすがに別の容器に買い貯めまでする気はないのですけれども、いつも大目な量をタンクに入れておくというのは必要なことだと思います。皆さんはどうでしょうか。

2012年10月13日土曜日

木犀と彼岸花と秋桜の頃なのだ

 散歩をしているとなんともいえない金木犀良い香りがどこからともなく漂ってきます。そうかいつの間にかそういう季節になったのかと毎年思ってしまう。
 私の勘違いなのかも知れないけれども、郷里の山形には金木犀なる樹木はなかったような気がする。だから上京してはじめてこの香りを見つけた時には何か異国の地にきたような思いに囚われたことを今でも思い出す。果たして郷里に金木犀が今でもないのか、元々無いのかは未だに不明であります。
 金木犀が大木になるというのを知ったのは始めて木犀の存在を知ってからかなり後のような気がする。それまでは庭に植えられている小ぶりな植木ぐらいのものしか知らなかったのだが、ある時に7,8メートルもあろうかという大木に小さな黄色花を大量につけてギャインギャインと芳香を放っている様を目の当たりにして、あまりの意外性に恐れをなしてその場でうなだれてしまったのでありました。

 木犀が芳香を放つ季節になると、曼珠沙華が咲いてもおかしくないと思うのだが。別名彼岸花ともいうのだが、名前がかなり抹香臭いのだが、私の好きな花のひとつであります。これも郷里山形ではほとんど見たことがない花であります。広い田んぼのあぜ道に真っ赤な彼岸花が一輪咲いている図などは、なんだか印象派の絵を思い起こさせてしまうのだが、後になって群生している彼岸花を知って一輪のものもいいが、群生しているのもなかなかのものだと思ったものである。

 群生しているといえば秋にはやはりコスモスの花でありましよう。小春日和のおだやかな秋の日に少しだけ色づいた山々を背景にコスモスの花が群れ咲いている光景を目にするのは奥会津方面にキャンプに行った時だったりする。キャンプをするにはいい季節だと思う。それほど寒くもなく過ごしやすい時であります。でもフクシマや北関東にはまったく出かける気にならないのはいささか寂しい。なあにまだ信州や信濃が残っているではないか。ちょっとだけ出かけてみるかな。

新型ポメラを外部ディスクとして使うと超便利

 私の大好きなポメラでありますが、最近出かけることもなくなり活躍する機会がグンと少なくなっているのであります。普段はパソコンの前に座っているのでメモや日記のためにワザワザポメラを立ち上げるというのも面倒です。新しくなったポメラはメモだけでなく、本格的に文章を編集することも違和感なくできるようにはなっていますが、パソコンの大画面で編集する快適さには及ぶべくもなくポメラである程度書いた文章の最終の仕上げは当然パソコンで行うことになります。

 ポメラとパソコンとの接続はUSBケーブルになります。ファイルのやりとりは通常のファイル操作で行います。通常はポメラのテキストファイルをPCのハードディスクにコピーもしくは移動してからPCのエディタを通して行なっていました。

 で、ある時気がついたのです。これってファイルのやり取りが普通にできるということは直接ポメラ側にあるファイルを編集できるのではないかと。私の感は当たっていました。通常の外部ディスクにあるファイルと同じように編集できたのです。これは便利であります。一々PCとポメラでファイルのやり取りをすることが無いのです。USBケーブルでつなげばすぐにポメラ側のファイルを編集することができるのです。

 そこでひとつの問題がありました。それは編集したファイルが保存できる場合とできない場合があったのです。最初どうしてこんな事になるのかわかりませんでした。様々な実験を重ねた結果、ポメラ本体で使用状態になっているファイルをいくらPCで編集保存しても、ポメラ側の排他制御によって反映されないということです。
 ですからポメラ側にダミーのテキストファイルをひとつ用意しておいて、PCで使う場合はポメラ側ではダミーのテキストファイルを編集状態にして置くのです。そうすると編集したいテキストファイルは編集保存が思いのままできるようになります。
 これは便利です。いつも使うメーンのファイルをポメラ側に置きっ放しにして置き、ポメラ単体で使う場合はUSBケーブルを引っこ抜けばそのままポメラで編集できてしまうのでありました。

 ただし、このような使い方はポメラのマニュアルのどこにも書いていないので、あまり勧められた使い方ではないのでしょう。もしやるのであれば自己責任にてお願いします。

 そしてこの使い方のもっと無精なことを考えついたのです。パソコンのスイッチを切るときには、ポメラも「外部ディスクの安全な切り離し」なんてことを一々やって物理的にUSBケーブルも外していたのです。取り付ける時もPCが立ち上がってからUSBケーブルをつないでいました。これも毎日の事となると結構メンドイのであります。

 ある時ポメラが接続されているのを忘れていて、そのままPCのスイッチを切ってしまっていて、立ち上げる時も忘れていてスイッチを入れたら何事もなく使えたのであります。いつの間にかポメラがPCの普通のディスクとして使っていたのでありました。それをやりはじめてすでに1ヶ月ほどになりますが、ポメラ本体の電気を使用するのが少ないためか、まだ一度も電池交換をやったことがありません。これは超便利であります。

まずますポメラが好きになってしまいました。まだ新型ポメラ発売のアナウンスはありませんが、でたらすぐに購入するだろうなと思うのです。すでに3台のポメラを所有しているのにもかかわらずにですよ。その3台は全部使えるのです。壊れたから購入したわけでないのです。好きになるというのはこういうことなんですね。オタクの気持ちが少しだけわかったような気がします。

酒量がグンと減った話 テレビの見方の話 です。

 酒を呑まない日がグンと増えてきた。自分でも信じられないことだ。これが果たして良いことなのか、悪いことなのかの判断はにわかにはできない。呑んでも缶ビール1本だけなんていうのも珍しくなくなった。まったく呑まないというのも珍しくなくなってしまった。
 だからというのではないが、「いつもは控えているのだから今日は呑むぞ!」なんて思いながら呑むとテキメン翌朝は頭が痛くて集中力が無くなってしまう。酒量をコントロールするのは誠に難しい。
 お気に入りの音楽を聞きながら呑むのが好きなのだが、これは酒量を過ごす最大の原因になるというのがわかってきた。いつの間にか酒に酔い音楽に酔ってしまうから相乗効果でドンドンと深みに入っていってしまう。
 家酒に慣れてしまうと、わざわざ出かけていって店で呑むというのが面倒で仕方なくなってしまう。それは呑み屋にもよるのだが最近はどうしてもという時以外はフラフラと出かけるということがなくなった。これには小遣いが減らないという効用もあるみたいだ。店で呑むとどうしても気が大きくなってしまい、呑み過ぎたり他の客を誘って他の店にハシゴしたりとなっていつもはケチケチして暮らしているの私にとっての大金が一夜にして消えてしまう。悪い癖である。

 最近の事だが、テレビはニュース番組意外に直接見ることがほとんどなくなってしまった。昨年やむなく購入した液晶テレビは思いの外良くできていて、外付けの1テラバイトのハードディスクをつけたら録画ができるようになった。それを最大限利用している。以前のVTRのように録画予約の面倒くささもなくなり、配信されている番組表から見たい番組を選択するだけで見終わったらじゃかすか削除していくだけであります。そしてCMの部分をどんどん飛ばしたり、つまらないと思う部分も飛ばして見る。そうすると録画でなくテレビを見ているとリモコンに手が行って無意識にCMやくだらない部分の早送りしようとして、はじめて、あ!これはライブだったと気がついて苦笑するのであります。また録画してあった番組でも意に反してつまらない番組だったりするとなんの躊躇いもなく削除してしまう。すでに垂れ流された番組を無条件に見るという時代は終わったし、CMも見なくなってしまったのです。
 むしろ私の場合は垂れ流された番組をそのまま受け入れているのはラジオであります。極力CMとしゃべりが少なく音楽の多いところを選んで流し放しにしています。これまで外遊びのためにラジオは3台ももっているので仕事部屋にひとつと居間にひとつおいて仕事をやっている時はもちろん家事労働をやっているときも流しています。別に聞き惚れているわけでありません。
 音楽に聴き惚れるのは晩酌の時だけであります。うーんこれをやると酒を飲み過ぎてしまうという弊害はあるのですけれども。

2012年10月12日金曜日

涙の親子鍋



一般的に親子鍋というらしいのです。名前からして実にわかりやすいですね。親子丼を作るものです。これ以前から欲しかったのですが、なかなか買えなかったのです。ホームセンターなんかに買い物に行って目の前にあるのにどうしても手がでなかったという不思議なシロモノなのでありました。それほどの決意をして買わなければいけないような値段でもないのだけれども、また今度にしようということで買うことはしなかった。
Amazonで購入した日付をみると2012/9/12となっています。購入してからちょうど1ヶ月になったわけでありますが、まだ一度も使っていません。居間のテーブルの上に飾ったままになっているのです。親子丼なんてのは作ろうと思えばそれほど難しいものではないと思うのですがなぜか1ヶ月あまり手をつけていません。今度の週末あたりに家族に振る舞ってやろうかなと思っています。
この鍋で作りたいのは親子丼もそうですが、煮カツ丼ってのも作りたいと思っています。そういえば煮カツ丼?カツ煮丼?ってのもウン十年食ってないような気がする。
購入してから1ヶ月あまり放おって置かれるようなものだから、欲しいと思ってもなかなか買えなかったのだと思います。

この文を書いていてふとそうだ今晩あたりに試してみようと台所に行ったら、妻が圧力鍋のなかに大量のモツ煮込みを仕込んでいた。圧力鍋に凝りはじめたきっかけが、友人のIが作ってキャンプに鍋ごと持ってきたことだったのです。これがまた寒い夜に体が温まってこの上ないごちそうだったのを今でも覚えていますね。モツ煮込みがあるのなら何も他のものを作らなくてもということでまた親子丼を食するのは先延ばしになってしまいました。

寒い季節になると鍋というのが急速に復活してきますね。鍋は簡単でいいですね。これを多用するようになると急速に料理人魂というものが減退していきますね。いいのいいの、あたしゃ元々料理人なんかじゃないですから。

2012年10月11日木曜日

論理的でない文章

 あれほど「アジイ!アジイ!!」と叫んでいたのが、一転して「サミュイ、サミュイ」と呟くようになってしまった。なんかこの変化があまりにも性急過ぎてついていけないように感じてしまう。そしてあの「アジイ!アジイ!!」と叫んでいたことがバカバカしくなってしまいます。

 論理的に文章を組み立てるというのはあまりにも難しすぎて自分にはとてもできるものではないと泣きを入れてしまう。やればやるほどボロボロに崩れ落ちてしまう。その残骸をみて、自分のバカさ加減にただただ呆然としてしまう。
 「俺は理系じゃないから、論理的な文章なんてとても書けないんだよ」なんて嘯いて見るが、これってなんか変?。文章を書くのは文系なんじゃないか、そうすると俺は理系でダメ、文系でもダメってことにならないか。思わず「うーーん」と考えこんでしまったが、頭の悪い奴がいくら考えこんでみたってどうなるもんでもないことだけはわかった。

 「親父、買い物にいくけど、何か用事はないか?」家族は親切で言ってくれるのだが、そうすると俺の密かな目論見が簡単に瓦解してしまうのだ。
 密かな目論見というのは意識して体を動かさないとどんどんと退化していくので食料の買い出しはその都度やることにして少なくても一日一回は近所のスーパーへ歩いていくというものであった。そうすれば朝のまとまった散歩にプラスして歩くことになるではないかというものである。ところが生来の怠け者であるゆえに、家族に声をかけられた途端に「おお!それでは、あれとこれとそれを買ってきて・・・・」なんてことに簡単になってしまう。

 論理的でない文章はまだ続く。郷里で買い物に行くとなると車で行くしかない。だから車のない人は生活にかなりの支障をきたすことになる。ここで自宅から歩いていけるスーパーを数えてみた。少なくても5軒はあるのである。それにドラッグストアーが2軒である。案外あるものである。ところが気軽に入れるコンビニが見当たらないのである。以前には2店舗ほどあったのだがいつの間にか消えてしまっていた。ファミレスがかろうじてガスト1店舗あるのでこれはこれで重宝する。普段はほとんど使うことはないだが。

2012年10月9日火曜日

3連休は長時間DVDを見続けました。

3連休であったのだが、どこへも出かけず。ただ家で過ごした。そういえば初日から息子が借りてきたDVD「24」シーズン4を12枚をただただ見続けた。1週間ほど前にシーズン3を12枚見たのだけれども、見始めるともうやめられなくなってしまって、しまいには妻も引き込まれるようにして一緒に見た。
1枚に2話はいっていて、1話が1時間ぐらいあるのだろうか、そうするとタイトルどおりに24時間ほどかかることになる。
最近はDVDを鑑賞するにも体力を必要とするのである。聞いたところによると、このシリーズは8まであるそうだ。やめてくれ。もう俺の目に入らないようにして貰いたいと思う。
シーズン3から見始めたのだがシーズン1と2も見るかというので、丁寧にお断りした。かなり前に「プリズン・ブレイク」というDVD全シリーズを一挙にみたのだが、あの時もハマってしまって、フラフラになってしまった。

今は無料の動画サイトGyaoで「大漢風 項羽と劉邦」を毎日1話ずつ見ている。これは何年か前にGeoだったかTutayaだったか失念したが借りてきて一挙に見た覚えがある。それを現在毎日1話更新でやっている。このぐらいのペースがちょうど良い。
中国の歴史映画つながりで、同じ動画サイトGyaoで大秦帝国-QIN EMPIRE-を一話ずつ見ていたのだがあまりの面白さに配信を待ちきれずに1話240円だったかで残りの50話ほどを金を出して一挙に見てしまった。それをまだGyaoでは一話ずつ無料で配信を続けている。ちょっと勿体無かったかなとも思うけども続きがみたくてしょうがなかったのだから仕方がないのだ。
大秦国というタイトルにはなっているが、始皇帝が統一する話ではなくて、それのずーっと前の春秋戦国時代の秦の話であります。法整備による国の運営に至るまでの話であります。この時の制度が戦国時代から秦が脱却して始皇帝が統一する礎を作るわけであります。
そして時代は飛んで「大漢風 項羽と劉邦」はその繁栄を極めた大秦帝国が衰えてしまい、その後の国盗り物語になるわけであります。中国の歴史はなかなか分かりにくいです。それに同じ国の名前がいろんな時代にでて来たりして頭の中は大混乱します。でもこのあたりの歴史のつながりが少しだけ理解できたような気がします。

中国には行きたくないけど、中国の歴史は結構好きですね。

2012年10月7日日曜日

ボロボロヨレヨレな文章って俺そのものなのだ

 ちょっと長い文章を書く必要があって冷や汗を流しなから作業を続けています。書きなれていないものだから、最初と最後の辻褄があわなかったり、言い回しが途中で違っていたり、その矛盾を訂正すると今度は他の文脈と齟齬をきたしたりと、推敲すればするほどボロボロなものになっていくのはかなり参った。
 文は人なりというけど、このボロボロヨレヨレな文章って俺そのものだなと妙に感心してしまった。そんなところに感心してしまっているものだから、一向にその作業は進まず途中で投げ出してしまいたくなっているのであります。
 投げ出しては見たもののやらなければならないのは変わらないわけでありまして、再び心を新たにして挑むのだがまた同じ現象に襲われてしまって、しまいには自分は何を言いたかったのかさえわからなくなってくる始末であります。


2012年10月4日木曜日

どういう風にケジメをつけるかが問題なんだよな

 その場では一言も発してないことを持ちだしてきて罵倒され続けられるのには参った。それに対して百倍ほどの反論はあるのだけれども、その結果は徒労に終わることが予想されるので、ここは黙るしかない。
 たとえ私を罵倒した人間を論破して勝つことができたとしても何ほどのこともない。そういう人間を相手にするだけエネルギーの無駄であることをこの年になってようやくわかってきたからなのだ。
 以前の私であったなら、頭に血が上り、理論(口)で勝てなかったら暴力を行使することさえ持さなかったに違いない。ところが最近は行使するほどの暴力はすっかり衰えてしまって相手に簡単に逆襲されかねないのである。
 これは笑い事ではない。若いころは喧嘩は強かった。そして相手を暴力で叩きのめす研究を常に続けていた。愚かなことにそれが男の強さだなんて思い込んでもいたのである。おかげで何度となく警察のお世話になったこともある。愚かさはそれに拍車をかける、それが男の勲章だぐらいに思い込んでいたのである。小心もののなせる技である。
 物事には必ず2面性があるということがわかってきた。少なくとも表と裏があり、それに諸要素が加わり斜めだの、上だの下だのと条件が重なり、どれが真実かなんてわからない場合のほうが多いし、ひょっとしたらどれも真実かも知れない。
 彼の罵倒する言葉を聞いているとマスコミが垂れ流しぱなしのことを鵜呑みにして、安ぽい訳のわからんようなコメンテーターの発言よろしく責めてくるのである。こういう類の奴を相手にしてはならない。彼はすでに見切られていることを自覚してないのだから。
 60歳周辺の老人は実に切れやすく危険なのである。ワイドショーの事件を見ていてもそうでしょ。ようやく体力の衰えに気が付き愕然とするのはわかるのだが、残りの人生に対して自分のなかでまだ処理ができていないのだからかなり始末が悪い。
 誰しも普段から自分の生き死にのことを考えているわけではない。でもそろそろ旅たちの準備を始めなければいけないのではないかと思う。
 その準備というのはなにもどこの葬儀社を使うとか墓はどうするかとかという話ではない。そして宗教の話でもない。いくつまで生きるかは神のみぞ知ることではあるが、自分の人生のケジメということを考えはじめてもいいのではないかと思っている。

なんていうことをたまには考えるのだが、どうも性根が座ってないものだから、相変わらずのうろんな日々を送るのみなのだが。

2012年10月3日水曜日

10月になりましたね

また、更新をサボり続けてしまいました。そしてお叱りの電話を受けてしまいました。

「なんでもいいから書け」
「誰も立派な文章など期待してないから、書け」
「・・・・・・・」
「とにかく書け」
「うーーーん」

そして、私はまたしても考えこんでしまって書けなくなってしまうのでありました。結局内容は何も期待されていないということなのですね。しかし、しかしだよ、何も期待されていない文章を書くというのもなかなか難しいもので・・・・・・・。
かと言ってなぁ、何かを期待されている文章なども最初から書けないのはわかっているので、これまた考えこまざる得ない状況が現出してくるわけでありまして、はい。

9月は最初の頃は今月こそはまじめにブログを書くぞと強く決意して臨んだのでありますが、それは最初の頃だけでありまして、段々の尻つぼみどころか、途中からぷっつり状態になってしまいました。
ブログなどは書かなければこれほど楽なものはないなと思いつつも、いざ止めようかなと思う結構寂しいという感情が湧き上がってくるものでありまして、なんだかわけのわからない世界に迷いこんできてしまいます。
それで9月の後半には「来月こそはまじめにブログを書こう!」などと鮫脳頭で強く決意したにもかかわらず、もう3日になってしまいました。
優柔不断・意志薄弱という私の性格の良いところがモロにでてしまっています。
ま、今日はこんなところでいいかな。

書いたぞー!! →K2殿