2013年7月31日水曜日

壊れちまった洗濯機

 先日はビルトインガスコンロが壊れてしまい、やっとの思いで交換したばかりだというのに、こんどは、当初恐れていたとおりに、とうとう同じように13年ほど使った洗濯機が壊れてしまいました。と、云うことで本日は洗濯機を買い換えるまでの話になります。この文章は7月27日土曜日から書き始めたのですが、なかなか書けなくて本日の更新ということになりましたので、日付が少しずれているところもありますが、それはそれでいいということにしてあります。



近頃は、朝、起きると、まだ結構昨夜の酒が残っているなんていう場合が多いのです。これは、ちと、反省する必要があるのではないか、とは思ってはいるのですが、その反省は、なかなか素直に行動に出てくるということはないのであります。
特に、次の日が休みという場合には、ついつい呑みすぎてしまっています。明日は慣れない家事労働から晴れて解放されるという安心感がそうさせるのかも知れません。
そんなことで昨夜は金曜日の夜ということで、ついつい深酒をしてしまい、今朝は、いつもよりは、かなり遅い時間に起きだしまして、ぼーっとして昨晩収録しておいた経済番組などを倍速で流し見ていましたら、突然に襲いかかってくる妻の声がありました。
「お父さん、洗濯機の様子がおかしいのよ」
と、妻のいかにも私の二日酔いのバカ頭にはジツに面倒臭い言葉をイキナリ投げつけてくるのでありました。そんなことを、目覚めてすぐに、しかもズキズキ宿酔いしているウスラバカ頭に浴びせられても途方にくれてしまうだけのことでありました。
 それでも時間の経過とともに、薄皮が剥がれていくように、少しずつまともになっていく頭の中で、「洗濯機が使えないって?これは、もしかして大変な事態が生じたのではないのか。」という風に問題の大きさに気づいていくのでありました。
しかし、時間の経過とともに意識だけは覚醒していきますが、いかんせん体がまだ酩酊しているような状態でありまして、正直、まったく動きたくないのであります。動けないのであります。
「おーい、排水穴のところのホースを引っこ抜いて、ゴミが溜まってないか見て見ろ!」と姿の見えない妻にむかって叫びます。「誰がみるの?!」「誰がって、今、そこにはオマエしかいないだろう」
以前にも洗濯機が動かなくなった時にマニュアルを読んでいたら、「排水穴にゴミが貯まっていないかどうか、確認してみてください。」というのがありまして、その通りにやったら正常に動作した経験があったものですから、もしかしたら今回も、それかも知れないと淡い期待を持ったわけであります。
なんだかんだと妻がブータレていましたが結局ゴミは詰まっていませんでした。こうなればお手上げであります。私の推測するところによればどこかのセンサーか基盤がいかれてしまったのです。そうなると素人の私には完全にお手上げの状態となります。

 私は休日以外の日には毎日のように家事をしています。ここでは敢えて「毎日」とは断定してはいません。「私は毎日家事をしています。」なんて書いてもいいのですけれども、何かの折りに、このブログを家人に見られないとは言い切れませんので、ここは正直に書いておかなければいけません。基本的に妻が家にいる時は家事は一切やることはないし、月曜から金曜日の間でも気分が乗らなければ、まったくやらない事もあります。特に二日酔いの時などは結構サボってしまいます。こういう、あてにならない実にいい加減な家事手伝いなわけであります。
 それでも、洗濯だけはなんとかサボることなくやることにしています。そんなことで大人5人分の洗濯というのは結構大変なことだということは、理解はしているのであります。時には一日に2回、3回ほども洗濯機を回さなければいけない日もでてきます。洗濯機を動かすことはそれほどの労力を必要とはしませんけれども、問題は脱水の終わった洗濯物を干すという作業が結構大変だということを、最近になって、ようやくわかってきました。
 首筋は痛くなるし、背筋も腰も痛くなります。誰も見てはいないので時々休憩を入れて干しています。こんなところを人に見られたら、ジツに情けなくみっともない姿だと思うのですが、時間がかかろうが、休み休みだろうが結果的に午前中に全部干せればOKという風にしています。
洗濯をするという行為の中には、洗い、干し、そして最後に、取り入れて畳むというものがでてきます。畳む、これにアイロンをかけるなんていう、もうひと手間が入ることもあります。私の場合はアイロンをかけたことがないので畳むということで終わりになってしまいます。その後で妻が、必要なものにはアイロンをかけることになります。
整理・整頓・清掃が下手な人を観察していますと、洗濯をする行為のなかに畳むというのが抜けている人がたくさんいます。とにかく畳まなければ収納もできないわけですから、最初は雑でも構いませんので畳む練習をしてみてはいかがでしょうか。
ここで偉そうなことを云っていますが、独身時代の私の洗濯の方法にはこの畳むというのは入っていませんでした。干した洗濯物をそのまま床に山のように積み上げておいて、必要な衣類をその中から適宜探しだして抜いて使うという、当時はチョー合理的な方法だと思っていたのでありました。
後に少しは家事を手伝ってみようと思った時に妻から畳み方を教わったわけであります。これ、やったことのない人は馬鹿にしているでしょうけれども、やって見るとかなり難しく、しかも面倒なのですぐに音を上げてしまいます。これでもかなり練習を重ねてきたつもりなのですが、時々妻の洗濯物を畳む様子を見ていると、さすがに早く的確で綺麗な仕上がりになっています。私の10倍ぐらいのスピードです。あれを見てしまいますと、急激にやる気がなくなってしまうのですが、いつも気を取り直して、「俺は俺だ、これでいいんだ」と言い聞かせて仕事の合間に気晴らしのつもりで畳んでいます。
なぜ体調の悪い時でも洗濯をサボらないかといいますと、一日サボってしまいますと、容赦なく洗濯物が確実に倍加してくるからであります。それに天気のいい日ばかりではないので、雨が降った時のリスクも当然計算に入れておかなければならないのです。洗濯は午前中に干しておけば天候にもよりますがその日のうちに確実に終わってしまうからであります。まとめてやるなんてことは、独り者であったらまだしも、5人家族では、その処理する量が多すぎますから所詮無理な話なのであります。やれる時に確実にこなしておいたほうが却って楽なのであります。付きっ切りで作業をするわけではないのですから尚更のことであります。
 ちょっと話は少しだけ横道に行きましたけれども、「洗う」という行為が無くても、干す、畳むというのも大変な作業になるわけであります。もし、それに洗うという行為も手作業になるとしたら、一日の大半を洗濯することに費やさなければいけなくなってしまうのではないですか。もし、洗濯機がなかったとしたら、どれほど大変な作業だろうかと思うと気が遠くなってしまいます。

「昔、むかし、おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯にいきました。」

幼き頃には、なんの疑問をも持たなかったのですが、これっておばあさんにとっては結構きつい労働だったのではなかったかということであります。後に桃太郎が川から流れて3人家族になります。桃から生まれた桃太郎ということでありますから、桃太郎が生まれてから、毎日のように川に洗濯をしに行かなくてはいけなくなるわけであります。昔、むかしの話でありますから、紙おむつなどというものはありません、当然洗濯機なるものもなかったわけであります。桃太郎がこの世に生まれてからは、おばあさんには毎日過酷な労働が嫁せられることになったわけであります。

1950年代の頃に『三種の神器』なる言葉が登場しました。白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目が『三種の神器』と喧伝されたわけであります。確かに洗濯機とか冷蔵庫は家事労働に革命を起こしたといえるのかも知れませんね。それは、この年になって家事手伝いをやって見てその大変さを実感できることであります。これらを含めての家電製品は、あって当たり前の存在になってしまっていて、日常あまり有り難みを感じることは無くなってしまっています。余談になりますが、現代人は最低限、命をつなぐための直接的な労働が極端に少なくなってきているのだと思います。その分、暇が多くなってきたのです。自分が何に一番お金を使っているのかということを考えてみてください。食費や水道やガスや電気に費やすお金などというのは、問題にならないくらいの比率になっているのです。強引を承知でいいますと、その大半のお金を暇つぶしに費やしているのであります。なんとも贅沢な生活なのでしょうか。
山に芝刈りに行くおじいさんの仕事も重要なものだったと推測します。煮炊きに利用するのも芝だったろうし、お風呂に入るのだって必要だったろうと思います。ただ芝だけでは燃料としてはいささか心もとないので、薪も必要であったろうし、炭もある時期に大量に焼いて置かないと寒い冬は越せないものだったろうと推測するのであります。こうして考えてみると、おじいさんもおばあさんも毎日の生きていくための直接労働をしなくてはならなかったのであります。まだ元気なお二人ですから、40代から50代だと思います。もう少しすると年金が貰えるなんてことは決してありませんでした。毎日自分たちが生きていくためだけの労働をしなくてはいけなかったわけであります。
ただそれから十数年後に養子縁組をした桃太郎がどこかの島へ渡って略奪の限りを尽くして膨大な財宝を手に入れてきますから結構優雅な老後を送るわけであります。このあたりはちいとばかし羨ましい気がしないでもないのですが。

さて、我が家の壊れてしまった洗濯機をどうするかという話でありました。10万円以上は覚悟しなければならないのかと思ったわけであります。壊れた洗濯機は一体いくらで購入したのかを妻に聞いてみると、当時6万円近くしたということでありました。私の思っている10万円以上の洗濯機というのは、最近はやりのヨコ型で乾燥機がついているやつでありました。当然そういったものは却下であります。最低限の機能がついていればいいだけなのです。それに我が家の風呂場全体が乾燥機になっているのを思い出しました。しかも冷暖房機能までついているのです。これはどう考えたって過剰設備だと思います。この13年の間にこれらの機能を使ったのは、ほんの数える程度でしか無かったのでありますから。

洗濯機が壊れたのが判明したのが7月27日土曜日の朝であります。これが普段の日であったらもっと慌てていたのですが、全員休みということで月曜日までに洗濯を終わらせばいいだけの話であります。しかし、先にも書きましたが、まだ二日酔いであまり動きたくありません。そこで近くの大型家電販売のヤマダ電機テックランドを検索して電話かネットで注文して、すぐに持ってきて貰えないかを交渉することにしました。
洗濯機不在期間を限りなく0に抑えたいと思ったわけであります。またなんで大型家電店に目をつけたかといいますと、使えなくなった洗濯機を、またしても手間暇をかけて捨てに行かなくてはいけないのは、いささか面倒だと思ったわけであります。家電屋さんであれば、配達と同時に引き取って貰えるから、余計な手間をかけなくて済むではないですか。
近年は大型家電店はショールームと化しており、実際に手に取って確かめて、購入はより安価なネットでするというパターンが増えているということを良く耳にするようになりました。それはよくわかります。私も同じようなことを、ちょくちょくやっていますから。それでも白物家電ごときで家電屋さんに足を運ぶのが面倒だという思いがありました。しかも普段の日ならまだしも、土日なのであります。当然混雑していることが予想されます。もう、洗濯機ごときで胸がときめくということなどありません。

ヤマダ電機に電話をした結果は、世の中そんなには甘くはないということです。届けてくれるのは4日後とのことでありました、それも一度店舗に足を運んでお金を払わなければいけないとのことです。そんな事は実店舗ですから当たり前のことでもありますけれども。
仕方がないから、ネットでも調査してみました。結果はいつものごとくAmazonに注文するということになってしまいました。品物はHITACHI(日立) 全自動洗濯機 [白い約束] NW-R701-W(ピュアホワイト) 洗濯・脱水容量7kgに決定しました。
このブログを書くために先ほどAmazonで同じ品物を調べてみますと、値段が35,165円(税込)となっております。私が購入した数日前が、28,800円(税込)となっており、頭の中が???の状態であります。この数日間でなんと6,365円も値上がりしてしまっております。販売店も私が購入した「家電専門店まいど」ではなくて「EC-JOY」になっております。今回は安い時点で購入できたから良かったものの、これが逆であったら腹がたったでしょうね。何も意識していなくても6,365円も違ってくるわけでありますから。こんなことって実際にあるんですね。
発送日が最短でも8月3日となっておりました。7月27日土曜日時点でのことであります。なんと当初恐れていたとおりに洗濯機がない空白期間が一週間も続くことになるのであります。これは数回はコインランドリーに足を運ばなければ、収拾がつかないかも知れないと覚悟したしだいであります。
ま、実際に店舗に足を運ぶこともなかったからヨシとするかとアキラメていたのであります。注文したのは午前中のことでありましたが、夕方にメールに目を通してみますと、なんと午後2時には発送しましたとありました。それに明日の日曜日には着くということであります。やってくれますね、「家電専門店まいど」さんのその処理の素早さに本当に感心しました。
ということで注文した翌日には新品の洗濯機が到着しまして、子どもたちに設置を命じてメデタシ、メデタシとなったわけであります。ただ壊れた洗濯機を家電リサイクルセンターに持っていかなければいけませんけれども。料金は2,520円とのことです。家電屋さんに頼むとそれよりは1,300円ほど高いようです。ただ手間暇とガソリン代を考えればどちらが得なのかはわかりませんけれども。

思わぬ出費で今夏の旅行の行き先がまた自宅に近くなってしまった。仕方のないことであります。やれやれ。

2013年7月30日火曜日

動物園に行って、考えてみたこと!? written by Keiji

数年前から動物園に1年に一回は行っている。子供もいないのによく行くネ。と、思うでしょうが、無料券が入手できるからだ。人気の動物は見る人も多くて、なかなか良く見られないことが多い。オラの好きな動物はライオン、キリン、ゾウやシマウマではなく、オオアリクイやヤブイヌ、バク、タスアニマデビルなどだ。動物図鑑を見て、よく知らない動物の記述を読むと、さらに興味をそそる。大人になっても図鑑は面白いから、子供から借りて見て下さい。でも、動物園に行くと檻や掘りがある広場などで見る動物達は、寝ているか歩き回っているいることが多い。動物らに聞きたい。あんたらはそれでいいのかと?? 皆、もし動物が喋れるなら、と想像したことがありませんか? お前バカか、何だそれは、どこにそんなヤツがいるんだ。と思うでしょうが、ここにいます、バカなオラだ、10年前から動物が喋ったらどんなことを話すのかを想像してみた。もう、読まない、面倒み切れない(見てもらったこともないけど)。バカはバカなりに考えているんだ。

  そこで、動物に聞いてみた。アッ、ここからは、空想&幻想のネームです。まずはゾウさんに、ネッ、あなたは自分で鼻が長いのを知っている、身体も大きいことも。と、ゾウさんは真摯に答えてくれる「はい、鼻が長いのは生まれつきなので分かっていますヨ。身体が大きいことも、たまに自分でもてあますこともありますが、意外にも苦労はないですネ」と答えてくれた。何だ、自分で自分を分かっているのか、人間だって自分が分かっていないヤツが多いのに感心感心。次はキリンさんだ、お~い、キリンさんあなたは首が他の動物と比べると長いことを知ってしますか?キリンさんも笑顔で答えてくれた。だって口元がゆるんでいたんだ(うそですヨ)。「えっ、分かっていますとも、この首は便利なんですヨ。私は草食なので他の草食の仲間が食べられない、高い葉っぱを食べることができるから。自分の姿はもちろん、着ている服の柄もいいでしょ。お気に入りヨ」と、ふう~ん、キリンさんも分かっているのか。でも、服じゃなくて毛皮でしょと突っ込むと「あなたはそう言いますけど、私達には立派でおしゃれなブランドの服なんですヨ」だってさ。じゃ、次は誰(動物ネ)に聞こうかと園内を歩く。
今度はカバさんに聞いてみた。ネ、カバさんそんなにも太ってて大丈夫なのかと。カバさんは大きな口を開けながら首を振ってくれた「俺たちは水の中にいることが多いから、こんな身体でも楽勝で生きて行けるんだ。宇宙にいるような気分で移動ができるんだ、それに草食だから水辺には草がイッパイ生えているから、ラクちんなんだ」と、カバさんも自分というものを自覚していた。園内の動物に話しかけていたら、いぶかしげに飼育員さんが見ている(うそですヨ)。動物に話を聞くのは最後にしようと思い、ゴジラさんに聞いてみた。ゴジラさんそんなに怖い顔をしていても何で平気なのかと。ゴジラさんは軽くドラミングをしながら答えてくれた。声は優しかった「ん、こんな顔っていいますけど、あなた達の仲間にも、私が驚くような方が結構私を見ていますヨ」だって。さらに「あなた方は子供を虐待したりするでしょ、私達の仲間は子供は宝だから皆で育て、メンドウをみるんですヨ」と、ゴジラさんは世相にも詳しかった(うそですヨ)。皮肉にも聞こえた答えだったが、本当のその通りだ。動物の親は、どんな種類でも子供を大切にし育てている。一部の親が育児放棄や虐待をしているのは事実だ。前にも書いたがベビーカーの件にはガッカリした。混んでる公共機関に乗せるのは、事情があるからだ。病院やお母さんの都合。毎日そんなにベビーかーと遭遇するのか? 混んでいても皆で詰めてスペースを空けて、可愛いチビッ子を笑顔で見ればいいのだと思う。賛成の人は挙手願います。

いけない、動物園のネームだった。園内の動物は寝ていることと、歩き回っていることを前述したが、本当にそう、思いませんか?それでいいのかと思うが、動物たちにも都合ってもんがあるのだろう。シロクマなら夏は暑いので昼間は寝ていたい、カンガルーは何もやることもないし、敵に襲われることもないから寝ていてナンボだと思っているのか?? でも、動物園の動物たちは偉いと思った(思うことが多いな)。グテグテしながらも生産的なことをしていた。入園料があるので、寝てても歩き回っていてもお金が入り、餌が貰えるってことだ。数年前に旭川の「旭山動物園」に行ってみた。ユニークな動物の展示・見せ方で人気の園内。でも、人が多すぎてゆっくり見られなかった。テレビで見た方がいいのかとも感じた。アッ、オラは寝ていてもそれだけだ。一銭にもならないことを自覚した。セミの声を聞きながらの夕暮れでした。チャンチャンです。

written by Keiji

これって、ナ~ンだの巻です!! written by Keiji

 また、ふざけたタイトルでごめんなさい(誰も怒っていないけど)。
砂金・ハブ・オパール・オートキャンプ場・セスナ・巨樹・ホタテ・イセエビ・角拾い・冬虫夏草・焼酎・足尾・ガーネット・林道・滝・山・海・釣り・火グルマ(オラの家かぁ)・ガーネット他多数。きりがないのでこのくらいにして前述の脈絡もなにもない用語、と思ったでしょ。以下、少しこれから書きますネ。

●砂金:全国で砂金がとれる所がある。オラが最初に行ったのは岩手県・陸前高田の金山。そこには山を管理する人がいた。坑道からちょろちょろと流れる沢から、砂と大小の石をすくい、砂だけを残し底の浅い30センチほどの皿を回しながら水に戻すと、アラ不思議キラキラ光る小さな砂金が見つかる。金は比重があるので金だけが皿の底に残る。このやり方は「わんがけ」と呼ばれる、一番シンプルな方法だ。砂金はとれたが、一攫千金とはいかなかった。当たり前だ。その後、山梨県・茨城県などにも行った。砂金がとれる場所は、川の上流に金山がある、かつて金山だった、地名に金という文字があるなどが有望なところなんだ。

●オパール:んなもん、日本でとれるわけねえべさ。と??オパールならオーストラリア・メキシコ有名な産出地日本でも石川県・長崎県でもとれるらしい。オラが行ったのは福島県の宝坂というとこ、鉱物好きには有名な場所だ。字名からしてとれそうな感じがするでしょう。この山は個人所有なので許可がいる、数年前は入場料を払って入山ができた。今はもうやめているらしい。オパールの原石は大仏様の頭のように凸凹としている。30~40センチほどの岩に数個ある3センチほどの凸をタガネでとり、ハンマーで割るとアタリだと遊色と呼ばれる赤や緑、オレンジに輝くオパールが出る。ほとんどは色がない白いハズレの石が多い。それでも小さなオパールがとれた。
山の持ち主宅には大きく美しく輝く、大きなオパールが数個あった。

●ガーネット:日本名はザクロ石。ザクロの粒のように深い赤(紅)から付いたらしい。1月の誕生石でもあるんです。日本でも数ヶ所とれる場所がある。長野県の和田峠(旧道)を流れる沢は有名なスポットだった。過去形なのは、今では採取が禁止されている。また、茨城県筑波山の北にもあった。ここも現在は入山禁止になっている。
金など宝石などと景気のいいネームを書いたが、次からはガラッと変えて……。

●ハブ:ハブってハブ空港?それともあのハブかい?って思ったでしょう。はい、あとの気づきが大正解。あの蛇のハブの話です。初めての沖縄で、ワクワク気分で行けると思っていたが……。沖縄に棲息する世界でも高ランク?の毒をもつハブ。ハブ獲り名人の同行で山に入った。水辺を好むと言うので渓流沿いを探す。2月だというのさすが沖縄だから汗がでる、冷や汗だった。探したり、獲ったり、見つけたりしても出会わない方がいい相手だネ。ということを来てから気づいた。事前に名人からレクチャーを受けていたので、長靴、首にタオル、帽子。ハブは人が近づいてくると体温をキャッチし、動脈を狙って襲ってくることが多いらしい。首に巻いたタオルは動脈を守るため。でも、名人はその時もっと怖い話を続けた「長靴も牙はとおすさぁ、噛まれたらカナヅチで連続に殴られた痛さが24時間続くさぁー」だって!!沖縄の人の優しい言葉だったが、話を聞いたあとは明日が来なけりゃいいのに、と思っていた。夏休みの最終日みたいな気分。臆病&小心者もんのオラ。運よく!?ハブは捕れなかったが、用意のいい名人は麻の袋から2メートルほどの、でかいハブを持ってきていた。
そんな気を使わないでいいのに、と思っていたら「尻尾をもって触ってみるさぁ」だって、持たなくてもいいですよ。と言ったら「持たないとダメさぁ、記念になるからネ」オラ初めて沖縄に行ってハブを触って来たぞ~。言ったところで、せいぜい酒飲み話の数分だ。聞いた知り合いが、それでどうしたと言うだろう。あまりにも激しくススメルので持ってみた。腰が引ける。でかい、数秒するとハブがくねくねとしてきた。名人が「ダメさぁー・上下に振らないと咬みつかれるさぁ」恐ろしかった。だから持たなくていいさぁ、って言っていたのに。2泊3日だったが、食事と寝ている以外はハブ獲り同行だけでした。やれやれの沖縄初訪問だったさぁ~。

●セスナ:小型飛行機、単発エンジンで4~5人を乗せて飛ぶ飛行機だ。セスナにはアラスカで乗ったことがある。タルキトーナの町は北米最高峰のマッキンリーの麓、麓と言っても遠いけど。この町にはブッシュパイロットと呼ばれる人々が多く、観光飛行や山(マッキンレーやハンターなど)に登るためのベースキャンプまでを客に送り迎えをすることを生業にしている。アラスカではタクシー代わりににも利用されている。腕もよく氷河や湖、河、広い草原などでも客の要望に出来る範囲で答えてくれるプロだ。前に書いた故・星野道夫も撮影の時に世話になっていた。でも、取材は1ヶ月以上も続く。人の気配がしない所に届けてもらい、来月の何日に迎えに来てくれと約束して、ウィルダネス(人間の手のついていない大自然・人の気配がしない自然かなぁ)に1人で撮影をする。おい、そんな簡単な約束で本当に来てくれるのかと思ってしまう。アラスカのジョークにあるらしい、7月に送った客をオレは忘れていたヨ。みたいなブラックジョーク。オラ達の乗ったセスナはパイロットを含め、5人乗り。パイロットの親父さんが乗る前に「犬は平気か?」と聞いた(もちろん英語でネ)。小型犬を操縦席の左に座らせ、いよいよランディィング。何だか紙飛行機みたいにチャッチイ飛行機が飛ぶのが不思議だった。見事、氷河にランディング。車輪の代わりに大きなスキーのようなモノが付いている、河や湖の時はフロートが車輪代わりになる。周囲の景色を1時間ほど堪能して、無事に帰還した。その時オラは思った、単発のエンジンが止まったらと。でも、眼下に見えるのは草原のツンドラ地帯だ。ジャンボなどの大型のジェット機と違い、紙飛行機みたいなこれなら取りあえず、突然墜落はしないんじゃないかとネ。オッと、アラスカの話じゃなかった。数年前に小型機を操縦したことがある。というフリーのライター&編集者とのことだ。待ち合わせ場所に行き、首都高~中央道を走り、調布の飛行場へ。ここからは八丈島などの定期便が就航されている。30代と思われる爽やかそうな青年パイロットが待っていてくれた。講義とゲームセンターにあるような機械で飛行のシュミレーションを1時間30分ほど受ける。乗る飛行機は30数年前の機種。やはりオラには、紙飛行機見たいに見えた。操縦席にパイロット、左の座席にはそのヤツだ。オラは後方のシートで写真を撮る役。「今日は天気もいいので湘南方面に行きます」とパイロット。眼下にはアラスカと違い、密集した住宅や建物が広がる。オラ、ここで心配になった。ここでエンジンが止まったたらと、不時着が出来る場所がないことを!!それでも飛行は続く、眼下には横浜から湘南の海岸、江の島も見える。1時間の飛行を終え帰りにパイロットが「○○さんは操縦の経験があるんですよネ」と「はい、タイでエアープレーンの操縦をしたことがありますヨ」だと。ヤツが言っていたのはグライダーに小型のエンジンを付けた飛行機だった。また、パイロットがその言葉に驚かないで操縦を変わると言った。オラは後方から、お願いだから辞めてくれと言った。調子のにって20分ぐらいの操縦をしていた。迎えに行った時に、胸騒ぎとイヤな予感が当たった。でも、無事に着陸(パチパチ)だった。金輪際、小型の飛行機は日本では乗らないと誓った。スットコドッコイの体験でした。

●足尾:ここにはキャンプや遊び、取材で何度か行ったことがある。かつて銅が多く採掘されたので「足尾銅山」として日本の経済をささえてくれた。しかし、銅を製錬するさいに出る煙や汚水が人々を悩み続けさせた。400年以上も続いた銅山は閉鎖され工場跡が残っている。煙で周囲の山々は草木も生えず、下流の渡良瀬川には鉱毒水が流れたことで農民を苦しめた。そこで、おかしいゾ、ダメだこんなことに黙っていたら。と、異をとなえたのは立派で天晴な偉人・田中正造先生だ。詳しく書くと、あまりにも重く辛く、長い話になるので、詳しくは本で読んでネ。今では周囲の山にも木々が生え、ボランティアの植樹によって再生されている。作家の故・立松和平さん「わっペイ」さんも尽力をつくした1人なんだ。渡良瀬川の下流にある、広大な渡良瀬貯水池は鉱毒の水を浄化するために出来た池なんだヨ。今では熱気球の大会が開催されたり、遊ぶ人で賑わっている。今チトブームなっているのが、廃墟・廃線・廃村
などの出版物。ネット関係でも多い。渡良瀬川沿いには鉄道ファンに人気の高い、わたらせ渓谷鐡道が走っている。春から夏にはトロッコ列車も走る。古(いにしえ)の銅山を紹介する施設や駅の温泉などと、見どころも多いので出かけてみてちょうだい。


●焼酎:焼酎の話って何だい??まさか、酒飲んでバカやった話じゃないだろうネ。と思ったでしょ(誰も思っていない)。焼酎の酒造メーカーに行ったことです。そのメーカー名は、皆が知っている霧島酒造。鹿児島県にほど近い、都城市にある。んで、そこに行って何をするんだ、と。はい、焼酎が出来るまでを見て、聞いて、撮って不特定多数の人に知らせて下さい。っていうこと。オラは2回ほど行った。午前中と午後は工場をくまなく歩き、工程を見て聞いて、メモしたり、写真を撮ったりする。昼が楽しいのは食事の時に焼酎が出ることだった。昼から酒が飲める、こんなユルク楽しいことはない。夜になれば広報の方や、役員さんとの歓談会。このメーカーの社員達は若く明るく、元気がある。役員が「こいつはサーフィが好きで働いている、この子は酒好き」などと紹介してくれた。明るく風通しのいい会社だと思った。
名物料理を食べ焼酎のお湯割りを飲むんだけど、細かい話は一切なし。天国のような気分。焼酎には原料に麦・米・イモなどいろいろなモノが使われる。九州はイモ焼酎で有名な所だ。使う原料のイモはコガネゼンガンという品種。様々なイモを試し、栽培したが、このコガネセンガンが最高の出来の焼酎になるらしい。九州には大小の焼酎酒造メーカーがあるが原料はこのイモとのこと。スーパーでもたまに出回るが白いサツマイモなので分かるはず。翌日は観光名所巡り、昼にはイセエビ・ウチワエビと刺身などの魚介類の昼食。ここでも、焼酎は当然に用意されていた。こんないいこと、週に一回でもあれば幸せになれるのに、と思いながら午後4時頃、羽田に着くユルク美味しい話でした。

 何で、こんな遊びをしているのか?世の中舐めているんじゃないかと、読んで不愉快になった方もいるでしょうが、これって仕事だったんです。行って、見て、聞いて、写真を撮り、その後に地獄の入稿が待っているんだヨ。週刊誌・月刊誌が誌面を飾るのは、編集部員の努力、フリーのライター・カメラマン、ロケから帰ってたら、写真を現像しセレクトして大・中・小とメインの画を選び、レイアウトをするデザイナーに渡す。昔なら2~3日後、今や写真もデジカメ、ネーム(文章のことネ)もPCなので1日ぐらいで上がってくる。レイアウトが上がったら、文字数(ワード)と行数(ライン)が決まり、それに合わせてライターが書いて仕上げる。皆が読む雑誌はそんな風に刊行されているんだよ。発売日の5日前や1週間前には印刷されて上がってくる(出版社によってまちまち)。全国に配本しないとイケナイからだ。それでギャラはいくら貰えるのかと?出版社によって違う、有名で大きく皆が知っている出版社のギャラは高い、中の出版社はそこそこは普通だな。小さな出版社は安い(低い)。専門分野の雑誌社は比較的安いかな、です。今、出版の業界は元気がない。売れないから、広告が入らないの悪循環になっている。皆がもっと、本を買ってくれたらと思うが。これを書いていて、読む人は買わないのかも!?と思った、暑い夏の昼下がりだ。

written by Keiji

2013年7月29日月曜日

雲と遊んだ、幼き日の夏休みの思い出!? written by Keiji

  夏休み、何といい文字、言葉の響きなんだろう。夏休みが始まると、一生続けばいいと思っていた。でも、幼き日のオラは夏休みにいい思い出はなかった。小学高学年から病弱で、プールや激しいスポーツなどは医者にとめられていた。低学年の時の遊び相手はアリやカブトムシ、クワガタと、飼っていた犬のコロだ。何だか暗いジイさんのガキの話じゃないかヨ。と、思うでしょうが、中学~高校で性格も考え方も変わった、変えた。体力もつき病気も治り、元気いっぱいの少年になった。でも、幼き日の夏休みはオラには苦痛の期間だった。同級生たちは海や高原、山に出かけていたようだが、オラの両親は共働き。
今や死語になった?「鍵ッ子」といわれるガキだった。鍵ッ子ってなんだと思うでしょ。小さい子供が鍵を持たされる、兄弟・親が帰っていなくても、いつでも家に入れるように鍵を預かること。次男坊や次女の役目だ。ヒモを結び首にかけ無くさないようにしていた。当時、市川周辺でプールや海が近い所は「船橋ヘルスセンター」と「谷津遊園」だった。今では巨大なショッピングモール・ららぽーとと京成バラ園になっている。その頃住んでいた家から早朝、20分ほど歩くと、クヌギやナラの樹があり、カブトムシやクワガタが面白いほど、売るほど捕れた。でも昼間、行ってみると何事もなかったように昆虫は捕れなかった。午後になると積乱雲(入道雲)が空をおおい、冷たい風がふいてくるとビックリするような雨が降る夕立ちがいつものパターンだった。1時間ほど雨宿りをしていると美しい虹がでることも。雨が降っているときは、畑の土の臭いと、草木の緑の臭いを子供心に感じていた。農家や果樹園(おもに梨)をやっている同級生は手伝いを、オラにはなにもない。かといって、勉強や夏休みの宿題もする気は、もうとうにもなかった。

夏休み、何といい文字、言葉の響きなんだろう。夏休みが始まると、一生続けばいいと思っていた。でも、幼き日のオラは夏休みにいい思い出はなかった。小学高学年から病弱で、プールや激しいスポーツなどは医者にとめられていた。低学年の時の遊び相手はアリやカブトムシ、クワガタと、飼っていた犬のコロだ。何だか暗いジイさんのガキの話じゃないかヨ。と、思うでしょうが、中学~高校で性格も考え方も変わった、変えた。体力もつき病気も治り、元気いっぱいの少年になった。でも、幼き日の夏休みはオラには苦痛の期間だった。同級生たちは海や高原、山に出かけていたようだが、オラの両親は共働き。今や死語になった?「鍵ッ子」といわれるガキだった。鍵ッ子ってなんだと思うでしょ。小さい子供が鍵を持たされる、兄弟・親が帰っていなくても、いつでも家に入れるように鍵を預かること。次男坊や次女の役目だ。ヒモを結び首にかけ無くさないようにしていた。当時、市川周辺でプールや海が近い所は「船橋ヘルスセンター」と「谷津遊園」だった。今では巨大なショッピングモール・ららぽーとと京成バラ園になっている。その頃住んでいた家から早朝、20分ほど歩くと、クヌギやナラの樹があり、カブトムシやクワガタが面白いほど、売るほど捕れた。でも昼間、行ってみると何事もなかったように昆虫は捕れなかった。午後になると積乱雲(入道雲)が空をおおい、冷たい風がふいてくるとビックリするような雨が降る夕立ちがいつものパターンだった。1時間ほど雨宿りをしていると美しい虹がでることも。雨が降っているときは、畑の土の臭いと、草木の緑の臭いを子供心に感じていた。農家や果樹園(おもに梨)をやっている同級生は手伝いを、オラにはなにもない。かといって、勉強や夏休みの宿題もする気は、もうとうにもなかった。

 今日する(出来る)ことは明日にしようと、思っていたからネ。それは今でも変わらない、変えてなるものか。と、夏休みと雲のネームを書かないとダメだ。厳しく、怖い鬼編集長のウスラバカのぽーさんからダメ出しがくる、アブナイ、あぶない。夏休みの小学校時代は、どこにも連れて行ってくれなかった親を恨んだこともある。仕事も忙しかったが貧乏で小金も無かったから、今思えば当然の事だったと知ったのは高校の頃。夏休みが終わり始業式が始まり、同級生の皆が日に焼けていた。オラだけ日に焼けていないので、皆が不思議な顔をしていたのを思い出す。でも、出かけられなくても、金がなくても勇気づけてくれたのは空を見たときの雲だった。流れる雲は自由そうで、どこにでも行けるんじゃないかと思った。あの雲の上に乗れたらどんな風景が見えて、楽しいことが沢山あるんじゃないかと。雲は朝、昼、夕と表情が変わる。一瞬のうちに姿、形(表情)が変わってしまうもの。それだけに雲を見ていると楽しくて飽きない。その時からオラは雲のように自由になるんだと思っていたが、人生は思い通りにはいかない、自由ほど自己管理が大切なこと。思い通りになる人生があったとしたら、人は面白くなく生きていくのがつまらないと思う。思い通りにいかないから人は生きていけるのかとも。今でも、夏休みと聞くと幼き日の不遇の頃を思ってしまう。じゃ、今はいいのと問われればそこそこだ。身の丈にあった生活と人生だ。それに夢に描いていた、ずうっと~夏休みだもん。ここ数年一年中、空を見て写真に撮っている。カット数は5000を越えている。皆も辛い時、悲しい時、楽しい時も下を見ないで、顔を上げて空を見てみよう。金もかからないし、気分もよくなり、楽しい時はより楽しくなるヨ。

P.S.:冬の早朝の日の出は、オーロラのような色になることも……。見てね~と、
すっとこどっこい!?

written by Keiji

釣りはいいよ、楽しい~ぞー!だ!? written by Keiji

  釣りを初めて体験したのは10歳の頃、地元の市川市を流れる川(国分川)には鮒・タナゴが棲んでいた。日曜日には近所の悪ガキ達と先輩(上級生ネ)らと川で遊んでいた。イカダを作り川で遊ぶヤツもいた。当時の市川は魚を釣ったり、獲ったりするにはいい所(自然がいっぱい)。江戸川が流れ、行徳周辺は秋になればハゼ釣りが楽しめるような所(今でも秋には新聞に掲載される)。ひねもす、日がな一日中、朝から夕方まで釣りを楽しんだ。高校時代に、初めてルアー釣りがあるというものを知った。教えてくれたのは同級生の新井君だった。「佐藤知っている、これをでイワナやヤマメが釣れるんだぜ」と、ブローチみたいにきれいなキラキラしたルアー(擬似餌)を見せてくれた。ゲッ!こんなおもちゃみたいなもんで本当に釣れるのかよ。言うと「それが、釣れるんだよ」と、親父みたいな言い回しで答えた。オラに釣りの別の世界を教えてくれた友人だった。友人の新井君は24歳の若さでこの世を去った。病気は血液の白血病と聞いた、入院をしている時も見舞いには何度か行った。通夜と告別式に参列したが両親の悲しみの姿が辛かったヨ。

 亡くなる数ヶ月前にも釣りがしたいと言うので、神奈川県・箱根の芦ノ湖へとクルマで数度一緒に釣りに行った。その頃の新井君は薬(抗がん剤)のせいで、髪の毛は無くなっていたんだ。高校時代に知り合い、大学も一緒、四ツ谷に住む新井君は都会の、かなりかっこいいシティボーイ(旧い)だった。海外のアーティースにも詳しく、荒木町のバーなどでいつも飲み、オラを誘ってくれた。音楽や画、本にもにも詳しく、酒の楽しみ方などなど、千葉県の田舎者のオラには眩しいような存在だった(合掌)。ヤバい、新井のことを書いていたら、ウルウルしてきた。でも、心の中にはいつも新井がいるんだ。歳とともに涙腺が弱くなってシャナイ。7月に観た映画『奇跡のリンゴ』をカミサンと観た時も、上映時間の半分ほどから鼻水と涙でグショグショだった。イケマセンネ。オッ!!釣りの話だった。

  釣りは海・川・湖とエリアもさまざま。釣るための道具や仕掛けも全て違っている(メンドクサイ)ゲッ、なんて思わないで。世界各地に釣り好きはいる。開高先生のエッセイでベトナムに取材に行った時、空爆があるにも関わらず釣りをしていた。こんな非常時でも釣りして、と思ったのか。その後、開高先生は釣りにはまり『オーパ』などの写真・画の素晴らしい本の作品を残してくれた。とりわけ、日本の釣り具、とりわけ竿は世界で一番。これほどまでに繊細かつ、いい竿、リール、鈎はない。と、思っている。ここ5年ほど、オラがハマっているのは小鮒とタナゴ、それと渓流での釣りだ。釣りは早朝と夕方が勝負。釣り用語で、朝マズ(ヅ)メ・夕マズ(ヅ)メと呼ばれている時間帯がいい。じゃ、マズ(ヅ)メッて何だろうと思うでしょ。はい、この用語には諸説あるような、時間の間をつめる、時間、時間の間(ま)を言うのでは? 何だかよく分からない用語だが、要するに魚は朝と夕方に餌に飛びついて(反応)釣れるのネ。ぐらいの認識だ。魚も人も同じ生き物? 朝飯食って夕飯を食べるということじゃん。と、思うでしょうが、魚はオレらより偉い、おやつなどの間食はない(別に偉くないけど)日中の明るい日は渓流の岩陰や岩の間に隠れている。フムフム、暗くなってきた、まだ日が明けないないからと、自分がアブナイめにあわないように身を守るために活動しているんじゃないかと、だってオラがイワナやヤマメだったら、日中の天気のいい日に身をさらしながら餌を食べに……、ってことはしないもん。だから天候の悪い日や曇り日和に、釣れることが多いのも事実。

そうなんです、釣りは早朝と夕暮れが一番のベストタイム。そこで、何で釣りにキャンプがいいかというと、時間は不規則、朝早くと夕方遅くまで楽しむ遊び。民宿や旅館に泊まっていたらメンドウこのうえない。時間も行動も、自己責任で遊べるキャンプ泊や車中泊が最高なんだヨ。写真は2年前に行った岩手県のタイマグラのキャンプ場。禁漁近い9月なのでオラ達だけだった。渓流沿いの川はイワナの宝庫。朝から晩まで2泊3日の釣り旅を堪能した。釣りはフライ&ルアー釣り。夜中、テントからトイレに出ると星がまたたき、天の川も見えた。しばらく星をみながらか川岸寝ていたら、友人の先輩も起きて星も見ながら感動をしてたのを思い出す。釣りには時間が自由に使えるキャンプが最高。海釣りはキャンプ場も少ないから、車中泊がいい。この道の専門家はこのブログを立ち上げているウスラバカのぽーだ。車中泊にはこだわりと経験もつんでいるからネ。釣りはジイッと気の長いヤツがいいんじゃないと思うが、釣りはセッカチ、気が早いヤツがいい。何故かと言うと、30分ほどしてアタリ(魚の反応)がないと、仕掛け、鈎、餌などと疑問に思い釣ろうと努力?考えるからと言われている。あなたの住んでいる海や川、湖などで釣りをしてみて。人生が変わることもある。釣りはそれぐらい面白く、奥深い遊びなんだ。是非にゼヒに釣りをやってみて下さいナ、でした。パチパチ。

written by Keiji

2013年7月28日日曜日

ニッコウ・ケッコウ、ヤッホーだ! written by Keiji


  なんだよ、ふざけたタイトルで、それもカタカナ表記ばっかりじゃないか。と、思ったでしょ。本文の出だしもカタカナばっかりだ。まぁ、固いことを言わないで(誰も言っていませんが)。人生は笑いながら、楽しく愉快に過ごし、若い時の苦労はお金を払ってもしたくない。を、もっとうに今まで生きてきました。世界中の人に問いたい、若い時の苦労は金を払ってもしろというが、苦労をするのに金を払う、私は払った、オレも払ったと言う人がいたら名乗り出てほしい。それで、どうだった?のかを聞きたいと思う。冗談じゃない。人生は楽しむためにあると、国民の多くが思っているイタリア人が聞いたら「何のことだ?そいつはおかしい。バカか?」と言うような気もする。誰がこんな言葉か訓示、ことわざ? か何か知らないが……。どうでもいいことを随分と書いてしまった。ごめんね、ゴメンネ~です。

今回は栃木県・日光です。社寺は世界遺産に登録され、海外からの観光客も多く訪ねる。日光に初めて行ったのは、小学六年生の1泊2日の林間学校だった。まばゆいばかりの陽明門、愛らしい眠り猫、見ざる、言わざる、聞かざるなどを見て、感動も何もなかったのが思い出だ。大人になってから何度か行ってみたら、彫刻の素晴らしさや色付けの丁寧な仕事した職人(匠)に感動した。でも、どこの国でも偉いさん(権力者)なら、贅沢三昧・勝手気まま・やりたい放題が出来るのかとも思う。それが人々の大切にされているモノでもネ。日光の社寺は今、共通拝観料でもめているらしいが、うまく話し合いが出来ればと願っている。維持をしていくのは大変に金がかかると思うが、どちらも宗教法人なんだから、でしょう?

いけない、イケナイ、日光のネームだった。日光駅を過ぎ、神橋の手前にはクラッシックな「日光金谷ホテル」がある。オラの新婚旅行先は日光だ。今や海外に行くのが当たり前のようだけど、オラ達は日光。泊まったのは金谷ホテル右手の別館、猫足のバスルームの部屋だった。ディナーのオーダーはもちろん、名物・金谷風虹鱒のソテーコース。味付けが独特で川魚が苦手な人でも食べられそうな逸品だ。その後、再び訪れたが本館の部屋はビジネスホテルよりも快適と思えなかった(無料の宿泊券だったので当たり前か!?)。明治に建てられ130年以上の歴史あるホテルなので、コーヒーラウンジでランチなどを楽しみに訪れるのもいいかも。雰囲気や装飾に圧倒されることマチガイなしです。神橋、東照宮を過ぎるとうねうねカーブが連続するいろは坂だ。第1と第2、上り、下りの一方通行、カーブが48あるのでこの名がついた。古くは下り専用になっている第1いろは坂は対面通行だった。バスはカーブですれ違う時にガイドさんが降り、バックするバスの安全確認をしていたのが懐かしい思い出だ。

しばらくカーブを過ぎると、右手に明智平、さらに走ると左手に中禅寺湖が見えてくる。信号を右折すると華厳の滝、左折をすると奥日光方面。湖畔の土産物を過ぎると、湯川から流れる美しい滝、竜頭滝。竜の頭のように見えるからついたと言われるが、何度見ても分からない?? さらに進むと眼前に広がる湿原&草原の戦場ヶ原。ここの良さはいつ来ても変わらない景色があるからだが、国立公園だから当たり前と思っているアナタ。それでも変わっていく観光地もあるゾ。右手には赤沼茶屋、奥には開拓で拓かれた集落がある。奥日光は北海道と同じように梅雨がないという。標高が高いせいか(約1400メートル)頬を過ぎる風も爽やか~だ。何度も来て飽きない場所。朝起きてカミサンと日帰りで行くこともたびたびある。ハイキングコースもよく整備されているので。親子連れハイクにも最適。夏のシーズンに開かれるキャンプ場は中禅寺湖畔に数ヶ所ある、設備の整ったオートキャン場と違い、昭和の風情が味わえる、これがキャンプだべな、と思わせる魅力あるキャンプ場だヨ。戦場ヶ原の歩き、見た後は国道120号を走り右折をすると光徳牧場だ。白樺やダケカンバの緑に囲まれた道、左の車窓から草を食む牛が見られる。さらに行くと光徳牧場へ到着。おススメは牛乳とアイスクリーム、濃厚な乳の味に驚くことマチガイないかネ。ウインターシーズンは歩くスキー(XCカントリースキー)楽しめる。豆情報:夜や早朝にはシカが見られる確率が高い、無料のサファリパークのようだ。過去にキツネも目撃したこともある。
 旨いもんを堪能した後はさらに右折し北へと、竜頭滝を過ぎ、最終の目的地は湯ノ湖湖畔の湯元温泉。小学校の修学旅行で初めて訪れ宿泊した場所。朝一の体操の時にカッコーが鳴き、周囲の山の谷の残雪を見てワクワクしたのもいい昔の思い出。帰路は金精峠を越えて群馬県から関越道からのコース、来た道を引き返すなら帰りは高速を利用しないで下道で帰るのいい。今市市から続く巨木の杉並木に心安らぐ。宇都宮は餃子、東に行けば佐野ラーメンなどと、安くて美味しいモノが食べられる。日光はいつ訪れても裏切らない観光地。
 避暑を兼ねて出かけて下さいネ。今回のネームはチト短めでした。めでたし、メデタシ!

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「うだつを上げに」旅に出てみたら!?  written by Keiji

  高年齢の母が住む実家から2週間ぶりに自宅に帰り、ボッサー&ボッケーとしながら(いつもだけど)夕方に缶ビールを飲んでいたのは、1年前ほどのことだった。20分ほどし缶ビールを半分ほど飲んだ後、不思議と思いだした言葉が出た。「うだつが上がらない」という言葉。何だ、ナンだと思いキーワードの「うだつ」を調べてみた。ネットじゃなくて、活字が好きなので辞書でネ。「うだつ」:いい境ぐうになれない、隣の家との境に造る装飾を兼ね備えた防火壁のこと。などと書いてあった。最後のオマケに書いてあるような、お金持ちしか上げられないから「うだつが上がらない」ということも……。チト気になるが。

 フムフム、諸説あるように理解したが、防火壁は無視、興味を持ったのはいい境ぐうになれないこと、ということだった。それじゃ、今までのオラじゃないかと思い50代後半のジイさんは、うだつを上げるために旅に出ることにした。理由は単純、うだつとやらを見てみようじゃないか?だ。防火壁のうだつは千葉県・佐原、埼玉県・川越市などでも見られるが、街並みの規模が小さい。もっと調べると、西日本にはうだつの上がっている街並みが数ヶ所ある。しかし、関東から浜名湖を越えて行くのは、かの詩人・萩原朔太郎先生の『旅人』の中の一編「ふらんすに行きたしと思えどもふらんすはあまりにも遠しせめて新しき背広をきてーーー(以下略)」と書いている。

  そこで、オラは「うだつを見に行きたいと思えど、西日本はあまりにも遠し」なので、せめて新しいTシャツを着て、うだつを上げる旅に出た。行先は岐阜県の美濃市~郡上市~高山市へと。夜、カミサンが帰ってきて、「明日、うだつの上がる旅に出る」と言ったら、軽く驚きもしないで「はいはい、上がってないから、上がるように見て来なさい。気をつけてね!」だって。思いつきの旅にクルマは最高の友。翌日の早朝5時に出かけた。京葉道~首都高~中央道へと走らせる。早朝なのでクルマも少なく、単独の長距離運転は安全運転がかなめ。天気も良く気分も最高!車窓から右手に諏訪湖をチラ眺めし、名古屋方面へと。駒ヶ根IC付近からは、左に南アルプス、右には中アルプスの眺めがいいのでお気に入りのルートだ。今回の旅でうだつのほかに興味をそそるモノがある。美濃は周辺は陶器の名産地、前から欲しかった志野・織部焼きを買おうと計画した。この地の陶器も栃木県・益子焼、茨城県・笠間焼と同じように、メインは日常使いの作品が多い。一番欲しかったのは織部焼の艶っぽい緑の皿だ。道の駅の店内、近くの「織部ヒルズ」には数多くの陶器が売られている。小皿・豆鉢など2000円ほど数点を買い、うだつの町へと急ぐ。

  長良川沿いの国道156号を走る。車窓から垣間見える長良川の清流が美しい。このルートは遊びやロケで何度か走ったことがあるが、町や観光名所には寄ったことがなかった。♪フンフン♪などと鼻歌を歌いながら走っていると、いよいよ第一目的地の美濃市に到着。市内のトイレ完備・無料の駐車場にクルマを止め、いよいよ「うだつを上げる」べき町内を歩く。ビックリギョウテン有頂天!!その町には見事にうだつの上がった家並みが、当たり前のように建っていた。どの家も数百年の歴史があるという、その家に普通に町の人達は暮らしていた。華美に装飾された土産物屋などもなく、穏やかにひっそりと日常をおくっているのだ。昔は読む気もしなかった時代小説だが、ここ数年前から好きになり、山本一力先生の作品を全て読んでしまった。その時に「美濃和紙」の記述が多いことを思い出した。美濃和紙は1300年以上を誇る地場産業なのだ、紙すきの体験ができる施設もある。アッ!数ある山本先生の作品の中で『まとい大名』が一番好き(4回も読んだゾ)。機会があったら読んでみてソンはない、と思うけど。うだつの上がった町並みを見たあとは、郡上へと向かった。少しうだつが上がったような気がしたが、気のせいか!!

長良川の上流、郡上八幡は水の都、鮎釣りで有名な吉田川、小駄良(こだら)川の支流が町に流れる。郡上八幡城も町のシンボルの一つだ。水がよければソバ・豆腐・酒が旨い。また、この地で有名なのは川ガキの飛び込みだ。吉田川の橋の欄干から飛び込む姿をTVなどで見たこともあるのでは、郡上八幡で生まれた男なら一度は飛び込まないと大人になれない、とも言われているらしい。オラはここに生まれなく良かった、だって泳げないんだもん。この町も歴史ある家並みが続くが、住民は普通に住み、生活をしていた。行き交う子供たちに挨拶をすると、皆返してくれる。ジっちゃん&バっちゃんも皆が笑顔で返してくれた。感動した!!どうしてこんなに社交的なのかと思ったら。郡上で超有名な「郡上おどり」のせいかと感じた。郡上おどりは7上旬~9月上旬まで開催され(開催は毎日じゃない)、国の重要無形民俗文化財に指定されている。8月のお盆の期間中の4日間は徹夜踊りと呼ばれ、夜通し踊るとのこと。ゲッ、まるでバブルの頃の六本木かと思うが、400年以上も続いている楽しいイベントだなんだ。その踊りに参加は自由、踊りを知らない人には教えてもくれる。なんと懐が深い郡上八幡の人々、子供たちやお年寄り、住民が部外者を優しく迎えてくれるのは郡上八幡の誇りだと感じた。郡上八幡は見どころも沢山、優しい町の人に会いに旅してみて。と、ここで終わりそうだが、マダマダ。飛騨高山と古川町が残っていました。

郡上八幡からさらに北?西?か。マァ、体制に影響もない(当たり前だ)。このまま、高山を経由して一気に自宅へ帰ろうかと、思ったが。まだまだうだつは中途半端で上がっていない。高山で1泊して朝ドラのロケで有名になった古川へと向かうことにした。宮川近くのホテルを予約し、夕暮れの町を散策する。何度も来ているとこなので軽く歩くと、アジアからの観光客が多いことに気づいた。言葉で台湾・中国・韓国からの人々が多い。夕ご飯は名物の飛騨牛のステーキだもん、と思いメニューを見たら2500~3000円。ドヒエーッと思い、オーダーしたのは1800円のハンバークセット&生ビール。こんな機会はないんだから「ドーンとステーキでも食べるんでしょ」とメールの返信がきたカミサンに笑われそうだが、小心者のオラはオーダーだ出来なかった。貧乏が身についているので、贅沢は素敵とはイカナイ、敵なんだよネ。これじゃ「うだつも上がらない」ような気がした。

 翌日は早朝6時から町を散策し撮影、観光客もいなくて静かな佇まいを感じる町並み。宮川沿いの名物の朝市を冷やかしてホテルへ帰る。朝食を食べ、最後の目的地の飛騨古川へと向かった。本日も天気もよく気分も上々。白壁土蔵の瀬戸川沿いと古い町並みが懐かしい。数年前の秋祭りに来てから、この町を好きになった。高山ほど賑やかさがないところ、徒歩で散策するには最適な面積だからかなぁ?朝ドラで有名になった和ろうそく店は観光客で混んでいたが、町はいつもどおりの風情だった。町を流れる瀬戸川にはコイが泳ぎ、のんびり・ゆったりするにはいいところだ。一度、見て・感じて・体験して下さい、この町を。

 そろそろ旅も終り、高山市内から安房峠道路を抜け松本IC~長野道~中央道~首都高~京葉道を走り午後5時頃に自宅へ帰った。夕方カミサンが帰ってきて「アラッ、帰ってきた。それでうだつはどうなったの?」と聞く。「何だか少しは上がったみたいだけどネ」と夕食を食べて就寝。翌日「オッ、うだつが上がったような感じがする」と思ったら、気のせいであった。一番肝心なお金がない。金がなければうだつも上がらないのだ。今でも旅の前と同じ「うだつは上がって」いない。トホホの旅だが楽しかったゼヨ。

written by Keiji

2013年7月26日金曜日

祝!「森の農業法人」設立記念ブログ

7月の中頃から農園経営に乗り出しました。
「プランター5つぐらいで何が農園経営だい!」と怒られそうでありますが、それは作者の虚言癖のなせる技だと笑ってやってください。
農業経営に乗り出すと同時に、「森の農業法人」なるものも立ち上げました。と、いっても私と妻の二人しか社員はいないのでありますけれども。またどこかに戸籍謄本と書類を届けたというような事ではなくて、勝手に私が名乗っているだけのことであります。そこは、やはりこういう場合には雰囲気というものが何よりも大事なのであるということを理解していただきたいと思います。

我が農業法人の理想は結構高く、無農薬の有機農法を目指すということになっております。しかし、まだ一度も使用したことはありませんが、余りにも葉っぱが虫に食われるようであれば、ちょっとぐらいだったら家庭用の殺虫剤ぐらいは使ってもいいかな、などという実にいい加減な農業法人なのでもあります。
それというのも、昨年の春にシソの葉の苗1本80円ほどを合計5本ほど400円を購入して植えましたら、一度たりとも、素麺の薬味にも使うことなく、すべて虫に食われて全滅するという、とてつもなく大きな被害にあっているからなのです。
やはり、農業は自然を相手にしてのものですから当然リスクというものを背負うわけでありまして、それなりの覚悟はしていたのですが、さすがに全滅したのには妻と二人で一週間ほど泣き暮れてしまいました。

妻は失った400円を惜しんでのことでしたし、私は素麺の薬味に使えなかったことだったので、同じ農業法人に属してはいても、その意識はかように違うものだと知り、ガクゼンとした事を思い出します

そんなこともありましたから今年は同じ失敗は繰り返さないということで、散歩の途中で、自生していると思われる道端のシソを妻と二人で手分けして、少しずつ引っこ抜いてきては6本ほど植えてあります。
やはり、なんですねぇ、自然に生えているものというのは強いですね、今のところ虫に食われることもなくスクスクと育っているのであります。今年は食べるのを遠慮して、来年また生えてきたら、少しずつ何かの薬味としていただこうと思っているわけであります。これは楽しみなのであります。
やるね!我が「森の農業法人」

さて、我が「森の農業法人」は循環型農業というものも目指しております。簡単にいうと家庭で出る生ゴミを肥料にして自家製の野菜を育てるということであります。その中でも特筆するべきなのは精米する時に精製される米糠(ぬか)を使っているということであります。ただ現在我が家での米の消費量というのは極端に落ち込んでいまして、肥料としての効果がどれほどあるのか、甚だ疑問に思う所ではありますけれども。

また基本的には直植えではなくてプランターを使った農業であります。と、言うのも家を建てる時に、まさか農業をしようなんていう考えは、露ほども持ちあわせてなくて、周囲の草むしりをやるということを嫌って、家の周囲も猫のひたい程の庭も全てコンクリートで覆ってしまったのです。
もし花木を育てたいなんて気持ちが出てきた場合は、全てプランターを使えばいいという、ジツに合理的な考えに基づいていたからであります。実際これまでプランターに花を植えて楽しんできたのは確かなことなのです。
しかし、今回は花を植えるようなプランターでは大きさと深さが足りないと思い、野菜用のプランターを購入しました。プランターといえども野菜用となれば、買えば4000円以上はするのであります。それを少なくても5個は購入しましたから、これまでの投資額は2万円にはなりますね。こうして振り返ってみると結構なお金を費やしていることになります。ま、天下の農業法人の初期投資なんだからしょうがないのかな。

写真は居間の東側の窓と南側の窓に夏の涼しさを求めてゴーヤを8本ほど植えています。これ春先に購入したのですが、購入単価を忘れてしまいました。確か200円まではしないけど、そこそこの値段だったとは思います。それが、結構育ってきていまして直射日光をほど良く遮ってくれています。そろそろ食べられるとも思いますので近々試してみようと思っています。

我が「森の農業法人」に栄あれ!!この話まだまだつづく、かも

2013年7月25日木曜日

山で出会えると、怖い動物・うれしい動物と高山植物! written by Keiji

登山や野外で遊んでいると、野生動物に会うことが多い。なかには会いたくないツキノワグマ、北海道のヒグマと一大事になる動物もいる。春や秋に山や野外で遊ぶ時には鈴や話し声などで、人間がいますから気づいてネ、と思わせることが大事。ここ数年、地方の町にクマが出没している。春と秋、夏の北海道の山に登っていると緊張しながら歩いていることも度々。ヒグマはアラスカで会い、ツキノワグマは7月上旬、富山県・薬師岳を上った帰りの道路で見た。小さな中型犬ほどの小熊がクルマの前方を横切り、樹林帯に入った。カメラを出して向かったが、すでに逃げて撮影は出来なかった。が、クルマに戻り落ち着いたら、小熊がいるならメスの親グマがいると気づき恐ろしくなった。

 野生動物の親子連れはクマ以外も、アラスカではムース(ヘラジカ)の親子に遭遇した場合、ヒグマより怖いといわれている。大きな体長で殴る&蹴ると襲うらしい。一度、子連れではないがメスに追いかけられたことあった。写真を撮ろうとムースのエリアまで近寄ったからだ。その大きさに似合わず、駆けるのが早かった。今では懐かしい怖い思い出。子供を守ろうとする野生動物は、ことのほか母性本能が強いのか? 人も見習はなければイケナイネ。

 今まで山に登って遇った動物は、オコジョ(20センチほどのイタチの仲間)、シカ、キツネ、ビーバー、ラッコ、ライチョウ、ナキウサギなどなど。その中でもカモシカが面白い。北沢峠から仙丈ケ岳の登山口から30分ほど樹林帯を登っていた時に、何かが前を横切った下を見ながら歩いていたので何だ~。と、思って3メートル左を見るとカモシカがいた。3~4回会っているが、共通している習性を感じた。驚くことに素早く逃げないのだ。「ホッホ、オーイ」などと声をかけると立ち止りジイッ~ト見る。手を「パン、パン」と叩いても、すぐには逃げない。    何だ、ナンダと思いながら、逃げない、動かないから写真を撮るのも余裕しゃくしゃく。写真は山梨県甲府・昇仙峡の荒川ダム近くの低木はえる斜面で会ったカモシカ。この時も声をかけながら連写でシャッターを押した。ネッ、オラがいうのもなんだけど、トボケた表情をしているような!?
 こんな習性(ボッサー)だから角(擬似餌のルアー)や肉、毛皮目的で乱獲され、絶滅の危機になった。今では特別天然記念物に指定され、一切の捕獲はできないので、増えて植林の被害も懸念されている。とぼけた風貌?のカモシカは愛すべき動物だと思うな。

 山に登る目的は達成感と自己満足、いい景色と降りてきて登った山を仰ぎみて「オッ、あの山に登ってきたのかぁ」と感じる時。他にも6~8月は高山植物が見られることだ。厳しい自然に初夏~夏に一斉に咲き誇る花は可憐で美しい。高山植物の名称には意味がある。北海道はエゾ、信州ならシナノ、最初に見つけられた山で発見されたならハクサン○○、その山にしか咲かない固有種なら岩手県の山はハヤチネ、日本の第2の高峰北岳に咲く花はキタダケ○○、タカネ○○などとも付けられている。ヘロヘロになり、登って稜線や山頂で高山植物を見ると、心が安らぐ「ざまぁー見ろ」(誰に言っているんだか?)と、思ってしまう。苦労があればご褒美もある、山は登りも下りもある。まるで人生と一緒じゃないかと。

 花の種類はカタカナ表記が多いが、漢字にすると、何となくイメージがつかめる。ヨーロッパアルプスに咲くエーデルワイスの似た花は日本ではウスユキソウ(薄雪草)、ハクサンフウロ(白山風露)などと。写真の花はコマクサ(駒草)花弁が馬の顔に似ていることから。花好きには高山植物の女王などと呼ばれる。それなら王は何の花だと思うが、聞いたこともない。コマクサは自然条件が厳しい場所の砂(砂礫・されき)地に単独種だけで群生する。北海道~本州中部の高山地帯で見られるんだ。写真の後方が通常の色、アップは比較的珍しいシロバナコマクサ。
 山は非日常に出会える場所。今年の夏から山デビューをおススメします。自己責任で楽しんでネ……。

written by Keiji

サイクリング、サイクリング♪「ヤッホー、ヤッホー」♪だぁ~!! written by Keiji

自転車がここ数10年、大ブームになっている。自宅から比較的近い、江戸川沿いのサイクリングロードは週末になると、派手なウェア&ヘルメット、ビビッドカラーの自転車に乗る人が多くいる。でも、最近は自転車のことをバイクと呼ぶ。ゲッ!! バイクはバイクで「ホンダのスパーカブ」はどうするんだと?と、思うが世の中の言葉や体制には逆らうことはできない。今回の参議員の選挙みたいダ。皆がイイと? と思うならこれから、何があっても文句は聞きたくないと、オラは思う。

 アッ、終わった選挙の話じゃない。チャリ・自転車(以下・バイク)の話です。バイクは55年前の中学から好きで乗っている。欲しくて、欲しくてゴルフ練習場の打ちっぱなしでバイトをしてやっとためた資金と、親に出してもらったお金。当時で15万円。メーカーの出来あいのチャリではなく、生意気にもオーダーで組んでもらった。現在のチャリのフレーム素材はカーボン・アルミ・チタンなどが使われているが、オーダーしたフレームはクロモリというスチール素材。この素材のフレームが3年前ほどからブームになっている。細身のフレームと工作がしやすく、自分仕様に変えられるのが魅力なのかも知れない。去年、ニュースになったノーブレーキのシングルピストのほとんどがこの素材だ。

 街乗りでノーブレーキのチャリに乗るのは、効きもしないクルマに乗るのと同じ。競輪の選手たちが使用しているのもクロモリ素材。公道に出て、走りの練習をする時は当然、ブレーキを装備している。競輪選手が公道でブレーキを装着するのは以前から当たり前のことだ。なぜブレーキが無くても止まることが出来るのか?シングルギアのチャリは、漕いでいるいる時は、リアギアはフリーにならない。車輪が回り続け、スピードを制御しようとするなら脚力で止める(漕ぐのを止める)。毎日訓練をしてチャリを走らせている競輪選手のように、にわかピストチャリに乗ってもスピードの制御は無理なことだと思う。罰則が決まって良かったかも?この国は法律でしばられるの好きなようだと、30年前から感じている。ベビーカーの問題も、国レベルで話すようなことじゃないと思うが……。

 イケナイ、チャリの話だった。画のチャリ左は「スポルティーフ」と呼ばれる旅自転車。フレームやパーツは違うメーカーで組んである。旅チャリはフランス・イタリアの部品で組むことが多い。イタリアはレース仕様、フランスはのんびり旅使用のパーツが多いのが特徴。ハンドル・サドル・ディレラー(変速機)タイヤ・スポーク・ステムなどなど、全て自分の好みでチョイスする。25年前にオーダーした愛車(25万円)ぐらいだったような。右手のチャリはホィールが小さいミニベロと呼ばれる小径のチャリ。本体価格よりも、友人からもらったフロントのカーボンホィールだけで買える部品を付けている。他にもブレーキやもろもろ換えたら、ウン10万になってしまった。

 でも、街乗りやサイクリングロードを走るのもいいけど、旅をするチャリがいいネ。クルマのリアラゲッジや輪行(電車やバスに乗せる)も、自走する距離が少なくて快適なチャリ旅になる。

 本当に道楽っていうものは恐ろしい、チャリもウン万円~ウン百万円まであるから
ネ。クワバラ、くわばらです。

written by Keiji

ご家庭内でご不要になりました・・・・ようやく来てくれました。待ち焦がれていたのであります。

来た!やっときました。とうとう来ました。

「ご家庭内でご不要になりました、電気冷蔵庫、電気洗濯機、パソコン、その他ご不要になった家電製品・・・・」

かなりくたびれた軽トラックに、同じように疲れ切ったおじさんが乗り込んで、ヒシャゲ声をあげてやってきます。
いつもは、「ウルサイな!、早く余所にいってくれないかな」と、思っているのですが、今回は、いささか事情が違います。待ちこがれていたのであります。もうすでに、4ヶ月近くも、じりじりしながら待ち続けていたのであります。
待っていないときには頻繁にやってきては、私の惰眠を邪魔するのだけれども、こちらが待っている時は、それを見透かしたかのように沈黙を守り続けるのですから、まことに質が悪いのであります。

私はその時にパソコンに向かって仕事をしていたのですが、すぐに表に飛び出して、なんどか声をだして呼び止めたのですが、からかうように止まる気配が、まったくありません。私は少々焦りながら走って追いかけました。
まさかねぇ、いつもは煩いだけの廃品回収トラックを、必死になって追いかけることになるとは思ってもいませんでした。廃品回収トラックは、一体何を目的に廻ってきているのだろうかと思われるほど、周囲にはまるで無頓着に、あろうことか私を完全に無視して走り去って行くではありませんか。信じられない。

今年の3月頃から一大決心をして大規模な整理整頓に着手して4ヶ月ほど経ちました。ようやく目につく大型ゴミや大型家電の処理は終わったのでありますが、最後に残ったのが1台のディスクトップパソコンと1台のノートパソコンであります。これを捨てる場所が近くに見当たらないのであります。まずは市の大型ゴミの処分する所でもパソコン関係はまったく受け付けてくれません。家電リサイクルセンターなるところも受け付けてくれません。なんという不便なシステムなのでしょうか。受付窓口をひとつにしてくれればどれほど楽かと思います。
仕方がないのでインターネットで「パソコン処分」等で検索すると送料届け手先負担で送ると無料で引き取ります。という業者が結構な数が出てきます。これまで、やったことがないので、ちょっと不安にもなりましたが、最終的には、これを利用するしかないなと覚悟していたわけであります。それでも、いつもは煩わしいぐらいに頻繁にやってきていた軽トラの廃品回収車を待っていたのでありました。
パソコンの次に問題になるのは古るタイヤの処分であります。最近長男が古い原動機付きバイクを購入してきては修理して新品同様に仕上げてしまうという趣味に取り付かれてしまっています。休みの日には朝から晩までというか夜中まで油まみれになって作業に没頭しています。
それはそれでいいのですが、困るのは古るタイヤの処分であります。古るタイヤだけはどこも引き取ってくれません。原チャリのタイヤですから見た目も強くは感じません。そこで思いついたのは、そのタイヤを切り刻んで一般ゴミで捨ててしまおうと思ったのであります。
これはやってみて驚きました。ゴムはなんとか切れるのですけれども、中に入っているワイヤーが曲者でちょっとやそっとでは切ることはできません。基本的に切り刻むなんてことは、素人にはとても無理だということを理解したのであります。
ガソリンスタンドやバイク修理屋さんと親しくなって処理を依頼すればいいのでしょうけれども、最近給油に利用しているのはセレフスタンドばかりだし、修理屋さんともほとんど付き合いがないので困ってしまいます。これはお金を払ってでもいいから持って行ってくれればいいのですが。

汗だくになりながら、ようやく呼び止めることができた、廃品回収トラックに肩で息をしながら、パソコン2台といつの間にか増えていたDVD再生機器を積み込み、ダメ元でいいからと思い、「そこにある、古るタイヤも持って行ってくれないかね。」と訪ねると、しばらく考え込んだ末に「持っては行くけれども、お金かかるよ。」「ふーん、それでいいよ。いくらぐらいかかるんだい。」「タイヤは目方だからなぁ。」「6本か?」「全部で600円ほどだね。」
私は間髪を入れずに、たまたまポケットに入っていた千円冊を手に取り、「これにて商談成立!」と叫んで相手に千円冊を握らせて「これでいい、これで頼むよ」と、相手の反応を確かめることもなく、強引に束ねてあった古るタイヤを掴むとトラックの荷台に放り投げたのでありました。

この10年ほどの間に何度か試みては敗退した、大規模な「整理・整頓・清掃」事業でありますが、ここでようやく今回完結することができました。こういうものはまとめてやろうとすると、かなり大変だということを実感しました。それでも、物理的にもスッキリしましたし、何よりも精神的にけじめがついたようで、かなりスッキリしました。
「整理・整頓・清掃」にはその他に習慣性というものがつきます。また清潔というものもついて総称して5Sと言うのだそうです。習慣性というのはこれから重要な要素だということを実感します。だから今回終わったというわけではなく、癖がつくまでやり続けなければいけないということなのであります。

あれからしばらくして、少し安心していましたら、無数の小物類が、まるで生命を持っているかのように動きまわってしまい、整理・整頓・清掃上、あってはならない場所に平然と横たわっているようになりました。まったくもって油断ならないのであります。こういう小さなほころびが重なって崩れていってしまうことは、これまで何度も経験していることであります。
基本的には出してきたものは必ず元に戻すという、実に単純で簡単なことなのですけれども、これがなかなかできないことなのです。できるまで練習を重ねればいいことなのです。

2013年7月24日水曜日

巨樹に癒やされる。神が宿っているのか!? by Keiji

長沢谷のカツラ
東京都・奥多摩町は本当に東京都なのか?と、思うほど自然が溢れている。って、ことはド田舎ってことでもある。でも、自然に囲まれている奥多摩は20代からひんぱんに遊びに行っていたフィールド。青梅線に乗り「しろまる駅」で下車。トコトコ歩き、多摩川を越え山の中腹に。そこには関東のクライマー(岩登り好き)が集まり、練習する「越沢バットレス」というゲレンデ(岩壁)があった(この文字で反応した方はかなりの山好きだ)。

 社会人山岳会にいたので、いつも行くのは土曜日の夕方。酒を飲んだりバカ話をしながら、ヒマラヤやヨーロッパの山の話をしながら夜を過ごした。翌日からは、50メートルほどの壁(岩壁)を攀ったり下ったりしながら海外の山や剱岳・谷川岳・北岳バットレスの岩壁の話で盛り上がった。練習も終わり、夕方は駅近くの食堂でビールとモツ焼きを食べさらに、山への熱い思いを話したりしながら……。

 そんな奥多摩には、幹の周囲が3メートル以上もある巨樹が、891本ほど点在していることを4年前に知った。あらら!!
 若いころは樹や植物には何の興味のかけらもなかったが、年齢を重ねると目的以外のことにも興味が出てくる。奥多摩町の巨樹はクルマで行けば簡単に見られる樹もある。891本を全部見るには何年もかかるが、奥多摩駅近くにもあり、駅を右手に信号を右折~日原(にっぱら)鍾乳洞手前を左折、オオダワ林道のダートを40分ほど走ると、オラが好きなこの画の「長沢谷のカツラ」の樹がある。
 このルートは、東京都最高峰の雲取山の最短登山口にもなっている。頂上までは3~3時間30分ほど。山好きには有名な、小屋主・新井新太郎さん(通称・新ちゃん)が迎えてくれる。今は息子さんが小屋を守っている。この樹に会うといつも、手をあわせ「今日もイヤなことがないようにお願いします」と、おじぎをしながら通過することにしている。巨樹は神々しくて神がやどっているような”気”を感じる。

 皆が住んでいる神社仏閣にも樹齢を重ねた樹があると思う、巨樹ってそんな癒やしの存在なのかな!?と、思う今日この頃。

by Keiji

2013年7月23日火曜日

ワスレナグサ(勿忘草)が好きだ!星野道夫を偲びつつ by Keiji

勿忘草
 ここ数日、夏風邪を引いてグデグデしていました。グデグデしているのは風邪を引いていなくてもいつものことですが。


 オラの大好きな花。ワスレナグサの話を……。ワスレナグサはアラスカの州花。北海道では今頃の季節、どこでも咲いているポピュラーな野花だ。
 花言葉は
「いつまでも私を忘れないで」と、ちと恥ずかしい!? 気もするが、小さな濃いブルーの花弁が愛らしい。

 アラスカというと極北の地。70年代と80年代の後半に旅をしたことがある。でも、ワスレナグサは見たことがなかった。

 アラスカの広大な風景・動植物・この地に暮らす人々を撮り、文章で表現してくれた故・星野道夫(敬称略、以下道夫です)がいた。
 その画は優しく、アラスカの魅力を表現している。アラスカってどんなとこだろうと、一言で言うと「ナンも無い」街のアンカレジ・フェアバンクスから、クルマや鉄道で1時間ほど行けばムース(ヘラジカ)やカリブー(トナカイ)が見られる。あとは樹木と草原が広がる北の大地だ。と思っていたら、なかなか奥深くアラスカの景観と様々な物語を写真(画)と文章で表現してくれた星野道夫。

 出身が千葉県・市川市なので数回、写真展をやりボランティアで参加した。数ある写真集と単行本を装丁&デザインをしているM氏と飲んでいた時の言葉が印象に残っている。数年前は写真はフィルム。出版物の写真はポジ(スライド)で撮る。
 スリーブといって各コマごとに連続し、マウント仕様にはしない。6コマが連続している36カットで仕上がってくる。作品を見ながら本のデザインをしている時にM氏は道夫に聞いてみた。
「ネ、このカットのあとの画はないのか?」と、
その言葉を聞いた道夫は「はい、あんまり嬉しくてシャッターを押すの忘れていました」と。カメラマンがシャッターを押すのを忘れる!! と驚いたが、道夫の写真はアングルにこだわらずに、アラスカという自然を自分の見たままを表現してくれていることに気づいた。
 もちろん撮る画もいいが、こんなにも文章が素晴らしいフォト&文筆家はなかなかいないと納得した。残念ながら1996年・8月、ロシア・カムチャッカ半島でTV取材のロケの時にヒグマの事故により亡くなった、享年43歳。

 星野道夫の本は小学館文庫『アラスカ風のような物語』他、文春文庫からも刊行されています。是非読んでアラスカと亡くなった1人の作品を感じて自分だけのアラスカの物語を感じて下さいネ。

 星野道夫のことは、アラスカの州花のようにいつまでも忘れない……。




keiji

2013年7月20日土曜日

富士山だけが山じゃないよ Keiji

またブログをサボっていましたら、Keijiさんがとうとう業をにやして、写真と文章をメールしてきました。根が不精な私は大喜びで、そのまま掲載することにしました。シメシメ
Keigiさんまた投稿よろしくお願いします。


北海道・トムラウシ山
 富士山が世界遺産になってから世間では大騒ぎになっています。日本一標高が高い山で、すぐに秀麗な姿が分かるのはサスガです。でも、登ると意外に、単純で登って下るだけでも、「オレ・ワタシあの山に登ったんだ」と言えるのが皆が知っている富士山の魅力なんでしょう。が、あまたある日本の山にも標高は低くても魅力ある山がいっぱいあります。
登山好きに「富士山登った」って聞くことは余りないような……!気もします。
でも、富士山を初めて登って山好きになるならいいです。添付の画は7前に登った北海道・トムラウシ山です。数年前に中高年が遭難して話題になりましたが、それはそれはいい山で自己責任で遊ぶには山は最適なフィールドです。富士山に初めて登ったら、次の「自分の山」を見つけるのもいいですヨ。



次の投稿を、またお願いします(汗)