2013年8月31日土曜日

車中泊者を超えて車上生活者を考えてみよう。

 「のんびりと読書でもしながら旅をしてみたいな」または「旅をしながら仕事をしたい」などとノマド的な願望を持つ人も多いかと思いますが、それはこれまでの経験からいえば車中泊では無理なのではと思うのであります。
 だって車中泊というのはとても忙しいもので、読書とか仕事とかをやる時間的な余裕はとてもないものだからです。現に今回の6日間の四国旅行でも一度も読書などはしてこなかったのでありますから。本はいつもどおりに恐怖感にかられて結構分厚いやつを3冊ほど持ってはいったのでありますが。

 読書をするとか特に仕事をするとかといういわゆる仕事脳と、旅して遊びまわるという脳は明らかに違うものではないかと思い始めているのです。以前には旅をする時にはノートパソコンを必ず持って行っていました。それは旅先で仕事をするというものでありました。サブバッテリーを導入したのも車のエンジンをまったくかけないでも2週間程度はパソコンで仕事ができる体制というものを構築したかったのであります。そしてその環境も整えて旅をしていました。
 その結果からいえば、パソコンを持ち歩くというのは、自分に対するまったくの言い訳でしかなかったということであります。だって一歩自宅を出てしまえばそこは天国であります。楽しくて楽しくてしょうがないのです。そんな状態の時に陰気臭くパソコンに向かってコードなんて書いていられますか。私はまったくダメでありました。だから、最近はノートパソコンなんてものは持っていかなくなってしまいました。そんな無駄で余分な道具は邪魔以外の何ものでもないのですから。

 そこで私は考えましたね。1週間やそこいらの旅では車中泊になりますから、仕事にじっくりと取り組むなんてことはできないけれど、1年や2年という長期の旅となればどうでしょうか、こうなれば仕事をしなければ干上がってしまいますからやらざるを得なくなります。そうなると状況はガラッと変わってくるわけであります。1年以上の旅を車中泊だけで通すことはできません、そうなってくると車上生活者という事を考えなくてはならなくなってきます。車上生活者となると装備の面でもかなり考えぬかれたものでなければいけません。
 車上生活の事を考えるとなんだか胸がワクワクしてきます。だからといってこれから車上生活を実践するというわけでありません。パーチャルな車上生活を考えていろいろな生活の方法やどういった装備があれば長期的な旅ができるのかを想像していきたいと思っています。
 この試みは成功するのか失敗するのかはわかりませんがやって見る価値はおおいにあると思っているのです。

 これはあくまでも想像上のことなのですよ。くれぐれも誤解なきように・・・・・。

四万十川ブランドの話しを再び

 ちょっと長い文章を書こうとしますよね。なんだいきなりこの書き出しは。ま、とにかく文章を書いたとしますよね。それで大抵の人は推敲なるものをしますよね。この推敲ってやつが大の苦手なのであり、私にとっては大問題なのであります。
 この推敲なるものを重ねていきますよね、そうすると最初に自分が言いたいことから、意に反してどんどんとかけ離れていってしまうのです。そしてしまいには最初にいいたかったこととまるで反対の結論になってしまったりすることは結構あります。これって本当に自分のオツムが弱いんだなって思う瞬間なのであります。
 まだ、最初に何かいいたいことがある時はいいのです。何もない時は本当に困ってしまいます。何もないのだから、推敲するもなにも元がないのですからね。
 そんな時はとにかく何かを書くのです。
 「今日は何も書くべき材料がありません」
 「そんなこといったって、何かあるでしょ。今日は暑いとか寒いとか」
 「では、今日はとっても暑かったです。」
 なんていう具合に一人会話を書いていき、そのうちに何か偶然にでてきた言葉にオヒレアヒレをつけて無理矢理作り上げて行きます。でもそういうのはやっぱりオモシロクもない辻褄合わせの文章になっている場合が多いように思います。いずれにしてもブログを書いている時はヒーヒーいいながら書いていることは間違いないのであります。

 それで四万十川というブランドについてなのですが、最初まったくわからなかったのですが、四万十市とその隣に四万十町という似たような紛らわしいのが二つ並んでいるのであります。それで四万十市の中にも四万十町というのが存在しているということなのであります。もうこうなってくると四万十川というブランド名の仁義なき取り合いでありますね。最初に四万十川を知ったのは野田知佑と椎名誠の著作物からですからね。彼ら二人の銅像か記念碑か文学碑ぐらいはたててやってもバチはあたらないような気がしますが。もっとも断られてしまうかな。
 四万十市でも四万十町でもいいですけれども、高知県内のスーパーに行きますと、あるわ、あるわ、四万十納豆・四万十豆腐・四万十卵・四万十米・四万十おむつ・四万十ふんどしと四万十ブランドのオンパレードであります。私達の頭のなかには日本一の清流四万十川というのが刷り込まれているからか、四万十ブランドの食品をいくつか買い込んできまして食べましたけど、それが結構旨かったのであります。四万十川で取れた川海苔ってのが豆腐にも納豆にも入っておりました。

 わが町市川市はなんの取り柄もないから、市川市・市川町・市川村なんてものが隣り合って存在するなんてことは決してありませんからね。でもこれって四万十だけのことなんじゃないだろうか。日本にこんな市区町村名ってあるのでしょうか。誰か教えてくださいね。

わからない人にはまったくわからないだろうと思うこの写真の凄さ

わからない人には、この写真に写っているものが、どれほどスゴクてしかもバカバカしくて、そしてその仕組が、どうなっているのかがまったくわからないということです。
 この光景が今回の旅で一番印象に残ることでもありました。
 四国の旅で初めてこのブログにアップする写真であります。予備の電池と充電器を忘れていった話はなんどか書きました。四国旅での写真は合計400枚ほどありますが、使える写真がほとんどないのです。というのも、まさかカメラの交換電池と充電器を忘れていったとは気が付かなかったので、妻には仕事の代わりだと思ってジャンジャン写真を撮りなさいと厳命しておいたのです。
 妻は変なところが素直なので、尾道に着いたころからまじめに忠実に任務を実行していったのであります。本当にひっきりなしにシャッター音をカシャカシャと響かせていました。
 「おい、おい、いくらなんでもそれは撮り過ぎではないか?」と思わんでもなかったのですが、これも彼女にとっては写真のいい勉強になるかも知れないと思ったので、そのまま放っておいたのでありました。
 充電器を忘れていかなかった場合はそれは正しい判断でありましたけれども、忘れていった場合は限られた枚数しか撮れないわけでありますから、かなり厳密に種々選択して撮影しなければいけなかったわけであります。よって彼女の撮った写真はほとんど使えないものばかりでありました。
 忘れてさえ行かなかったら2,3万枚は楽に記録できる容量を持っていますからなんとかなったのですが。
 それでも私の撮る写真が優れているとは決して思わないのでありますけど、やはりそこはどこかが違うのです。それに何も考えずにシャッターを押し続けたものですから似ている同じような写真が何枚と無く続きます。何万枚か撮ればそのうちの1枚ぐらいは使えるだろうと思っていたのですが、結果残念ながら一枚も使えるものがありませんでした。
 だからといって私が撮った数少ない写真の中この写真が優れものだなんて決していうものではありませんからね。

 この写真は足摺岬の灯台がある駐車場で撮ったものであります。確か北九州ナンバーのかなり大きなハイエースであります。写っているのは家庭用エアコンの室外機であります。この場所に駐車して何気なく見渡して目に入ってきたのがこの光景であります。これほど驚いたことはありません。これまでほとんどカメラを手にしていなかったのですが、慌ててカメラを持って撮影しました。
 写真を撮ってからそーっと近づいてみました。エンジンはかかっていませんが、なんと室外機は稼働していたのです。これは実に不思議な光景でありました。他に発電機が動作している様子もありません。無音でファンが回っているのです。
 では電源はどこから取っているのでしょうか、これは確かめたわけではありませんが、私の想像でありますが、恐らくサブバッテリーから取っているものと思われます。
 しかし、ここで一つの疑問が生まれます。サブバッテリーでどれほどの時間家庭用のエアコンを動かせるものかということです。電気に詳しい人だったら、バッテリーの容量から消費電力を計算してすぐに稼働時間を割り出せるのでしょうけれども、電気の知識が皆無な私にはさっぱりわかりませんでした。
 家電用のエアコンを車につけてしまうという発想は前から知っていました。それはキャンポングカーの後ろに室外機を備え付けるという発想のキャンピングカーを見たことがあるからです。でも、その時はホンダのガソリン用発電機を別途つけて発電機を動作させてエアコンを動かすというものでした。今回のように無音でエアコンを動作させるというものと発想がまるで違います。

 これはあの時勇気を出して聞いてみれば良かったと今頃悔しがっているのであります。聞くは一時の恥聞かぬは末代の恥といいますからね。返す返すも悔しくてしょうがありません。

四万十川(しまんとかわ)は超ブランドなんですね

 笑ちゃうよ。わけがわからずに笑ちゃいました。高知県に行けばわかりますが、高知県では四万十川はもはや超ブランドになっているんですね。四万十市にある道の駅に一泊しました。なんていう名前だったか忘れてしまいましたけれども。ここできっちりと調べて書けば物書きの端くれになれるかも知れないのですが、どうも面倒で調べないところが成長しない原因のひとつでもあるのでしょう。またこのブログでは、ここんとこは四国の旅のことを書いているのですから、しまなみ海道からいきなり四万十川でもないだろうと思うのですが、途中途中の事柄を系統だって書くなんてことは、やはり自分にとっては面倒なことなので端折ることにします。またそのうちにどこかで唐突に思い出したら書くかも知れません。
 あのよくあるでしょう食べ物屋さんの食い物を写真に撮って詳細に味や雰囲気を丁寧に説明しているブログやSNS、それはそれで別に嫌いではないのですが、それがどうしたっていう感じですね。同じように「道の駅」の写真を掲載して説明しているやつね。これも隔靴掻痒な感じがして、やはりそれがどうしたという風に思えてしまいます。やるならもっと徹底して詳細に調査して書いてくださいということですね。そんなことを云ったら何も書けないではないかということにもなってきますけどね。もっともこのブログに比較したら何十倍も有効なものだと思いますけど。それでもそれがどうしたってことに私(わたし)的にはなってしまうのです。
 最近一番辟易したのが、SNSで昔キャンプ地で知り合った方が毎日奥さんが作ってくれる弁当の写真を撮ってコメントを入れているのです。そうするとそれを見ていたお仲間が「いいね」なんていうボタンを押すのです。あれには参りましたね。そーっと彼を含めたグループを自分の仲間から外して置きました。
 あんなそんなにも美味そうでもない弁当を毎日しかも強制的に見せつけられるこちらの身にもなってみなさいということです。仮に美味しそうな弁当でも同じです。ん!?べ、べ、別に僻んでいるわけではないですよ。それがどうしたという世界ですよ。それから、もっと気持ちが悪いのはその記事に対して「いいね」というボタンを押す数人のお仲間です。これも薄気味悪いです。超ワガママな私にとっては耐えられない世界であります。
 SNSとかTwitterはコミニュケーションを取るのに便利だという良く聞きますが、私が古いからなのでしょうけど、「道の上ナウ」なんていう文や人様が何を喰っていようがほとんど興味がないし、そんなものに付き合ってまでのコミニュケーションなんていらないと思っています。煩わしいだけのことであります。
 それよかも、名も知らない日帰り温泉の露天風呂で名も知らないジイさんとしょうもない世間話を互いのシワシワになったフグリをぶら下げて甲羅干しをしながらのんびりと話をした方がなんぼか有用なコミュニケーションになると思います。あと人が撮った写真をシェアするなんてのも嫌ですね。それも自分が何も関係していない人の写真をですよ。ああいう感覚が私には理解できないところです。
 こんなことを書くから嫌われてしまうのですよね。でもいいんです。なにもそこまで自分を曲げてまで迎合する必要がないのですから。村八分にされて孤独でもいいではないですか。くたばる時は誰でも独りぼっちですから。

 ん!?、ところで標題の「四万十川(しまんとかわ)は超ブランドなんですね」って中味はどうなったの?
 それがどうした。(苦笑)

何年かぶりに高速道路なるものを走りました

 何年かぶりに高速道路なるものを走りました。高速道路はどこまで走っても風景が同じだからつまらないし、料金が高いから極力利用しないようにしていたのですが、さすがに四国旅行でたった6日間の時間しか取れないのでは、全部の区間を一般道路を走るってことは体力的に無理がありました。そこで四国までの往復はすべて高速道路を使い、四国では一切高速道路を使わないという方針で出かけました。
 久しぶりの高速道路は首都高を除いて気持ちがいいですね。それに、パーキングエリアやサービスエリアがある一定の間隔で配置してありますから一般道路にはない、守られているという安心感があります。これは初めて感じることであります。だから、高速道路はゆりかごのような感じがしました。
 食事・睡眠・排泄・燃料補給なんていう基本的に必要なものは全て揃っていますから、何も考える必要がありません。ナビに目的地を設定して有料道路優先モードにしておけば、何も考える必要がありません。
 それに超長距離ですからレースのような運転をしようとは最初から思いませんからね。自分と同じようなペースの車を見つけたらその車の後にピッタリと張り付いて運転すればいいのです。相手がブレーキをかければこちらもかける、相手がスピードを出して追い越せばこちらもそれに続きます。
 よく、車間距離をあまり取らないでピッタリと前の車にひっついて走っている車を見かけますが、これは疲れると思いますよ。
 充分な車間距離を取っていれば相手が急ブレーキをかけてもこちらは余裕で減速すればいいだけの話であります。あんなせせこましい走り方をしていたら、いくら高速道路だとしても疲れてしまって最後まで体力が持たないだろうとは思いますよ。近距離だったらいいですけどね。
 楽するには自分と同じようなペースの車を早めに見つけることですね。それは自分より遅い車ではダメです。これには合わせるだけで疲れます。それに遅い車ほど余分なプレーキを頻繁に踏む兆候があります。
 このブレーキを頻繁に踏むという車も極力避けなければいけません。なんでそんなところでブレーキを踏まなければいけないのか本人に直接聞いてみたいような気がしますけど。
 それからオートマですとエンジンブレーキの効きが悪いということもありますが、エンジンブレーキは多用したほうがいいと思っています。だってボタン一個で済むわけですからね。急な下り坂だったら、シフトダウンしてもエンジンブレーキを使ったほうがいいと思っています。今の車は性能がいいですから、そうそうブレーキがイカれるということも無いとは思いますけれども、転ばぬ先の杖ですよね。ひょっとして彼らは基本的にエンジンブレーキの使い方を知らないのかも知れないとさえ思っています。 長距離運転をやる時はいつもこのコバンザメ走法を使っていますから、疲れが少ないのであります。
 それから、一般道を走っている場合は常に2個か3個先の信号を意識していることですね。それは基本的には信号でいちいち止まらないということです。信号の青の間隔に合わせて走るということです。
 これらの運転の旨いのは長距離トラックですね。大型のトラックが一々赤信号で止まっていたら、まともに走りだすまで時間がかかりますから、どの程度前に赤信号になったのかを見極めてかなり前にスピードを落としまして青になるタイミングを見計らってスピードをあげていきます。
 私もそれを見習っています。赤信号になったばかりの時は潔くきっちりと止まるしかありませんけれども。これやってみると信号のシステムって結構車の流れに合わせて作られているのが良くわかります。特に町中ではそれがよく理解できます。だから一区間だけをスピードを出して走ってもすぐに次の信号に捕まってしまいます。そうなると、次から次へと信号で止まらなく行けなくなってしまうという無限地獄に陥ってしまうことになりますから要注意であります。

2013年8月30日金曜日

昨日はブログをなんとなくサボってしまいました。

 別に確たる理由はなかったのですが、なんとなくブログをサボってしまいました。ま、ブログを書かない日、または書けない日というのはこれまで何度もありましたから別にどうってことはないのですが。
昨日はギャオで無料の紺碧の艦隊全30回を見続けてしまいました。まだ後10回分が残っていますので、続きを本日見たいと思っています。
 これアニメだけどストーリーがなかなか良くできていましてオモシロイのであります。中味が40分ほどありますから、単純に40分×30回=1200分でおよそ20時間は見続けなければいけない計算になります。連続してずーっと見続けるのは不可能ですから、3日間は本気を出して見なければいけないということになります。この番組は確か今月一杯でオシマイになるので今日と明日で見終わらなければいけないわけであります。

 ここ数日気温が下がってきていまして過ごしやすかったのですが、今日はまた暑さが戻ってきたようであります。気温が下がってくると、また旅に出たくなってきます。そんな気持ちを知ってか知らずしてか
「旅行楽しかったね、こんどはどこへ行こうか・・・・」とか
テレビのニュースを見ていて
「高知いったよね、一週間前はちょうど高知にいたんだよ」
なんていう風に妻が話しかけてくるものですから、なお一層心が掻きむしられてしまいます。
 もう以前のように一年の半分ぐらいが旅の空の下なんていう、ほとんど病気のような世界には戻らないような気はしますが、こればっかしはわかりません。

2013年8月28日水曜日

車中泊での私の愛する道具たち

 車中泊で使う道具類のほとんどは、日常生活で使っているものがほとんどあります。だから、よほど注意をしていないと、いざ旅たちという時に、どこか日常の暮らしの中に紛れてしまって、忘れていく可能性が大きいのであります。
 今回はカメラの予備の電池と充電器を見事に忘れていってしまいました。普段は旅で使う道具は本棚の決められた区画にひとまとめにしてあります。出かける時は、24時のジャックバウアーが使っているようなズタ袋のなかに何も考えずに押し込むだけでいいようにはしてあるのです。今回はたまたまカメラの予備電池の充電をしたままコンセントに差し込んであったのです。
 とはいうものの旅を重ねるごとに余分な道具は可能な限り削ぎ落としてきましたので、現在では、それほど多くはありません。そのほとんどは、小型の電子機器やそれに付随する小物類が圧倒的になってきました。
 十数年前は大型のテントやタープに椅子、プロパンガス炊飯器、それに小型の発電機まで持っていったのですから、あの当時と比較すればその量は20分の1ぐらいまで減ってきていることは確かであります。その分だけ横着になったと云ってもいいのかも知れません。
 なにか日常の生活に必要な道具を買う場合に、まず一番に考えるのは、その道具がアウトドアで使えるか使えないかというものであります。なにせ自分でも笑ってしまうほど貧乏でありますから、日常で使う道具とアウトドアで使う道具を分けて2つは買えないわけでありますから、自然とそういう発想に行き着いてしまうのは必然的でありました。
 中には無駄なものも数多く買っています。やはり実践してみないと、それが有用なのか無駄なのかという判断がつかないからであります。耳かきや爪切りなんていう小物も案外必要なのです。これらのものは百均で揃えました。一々持ち歩くのも面倒なので、車に積みぱなしになっています。
 成功したと思われるものの中に電気カミソリがあります。普段はジレットの3枚刃だか5枚刃の安全カミソリを使っていますが、毎日、日帰り温泉に入るとなると、換えの下着と垢すりとタオルとそれにカミソリととなると結構揃えるのが面倒くさいものなのであります。そこで考えたのが充電式の電気カミソリであります。これだと暇な時にちょちょっと顎に当てれば終わってしまいます。長い運転の合間にもちょちょっとして髭剃りは終わってしまいます。温泉では体も頭も2回洗いを励行しておりますから、髭剃りが抜けただけで大分時間短縮になります。これだけでも大助かりであります。
 なんだそんな簡単な道具だけなのかと云われそうですけれども、そんなものですよ。簡単ついでにもっと簡単な道具を紹介して置きます。それはタッパーウェアです。これは特に一人旅をしている時には必需品となります。道の駅では産直の野菜などを売っていますが、私が必ず買うのは漬物であります。これは一人で食べきれない量であります。ですから、食べきれないからと捨ててしまうのはいかにも勿体無いものであります。大概の場合はビニール袋に入っていますから、そのままクーラボックスに保存するのも大変であります。そんな時に役に立つのがタッパーウェアであります。その他のおかずの余りものをタッパーウェアで保存しておけば実に便利なものであります。3個ほど持っていけば大抵の場合間に合ってしまいます。
 ついでのついでだから、もうひとつ、それはスーパーのレジ袋であります。旅の長さにもよりますが、10枚ほど持って行きます。もう経験者ならおわかりですね、そうですゴミを捨てる時に使うのです。途中で買い物をするからレジ袋は間に合うのではないかと思うでしょうけれども、家庭ごみでは無いのですから、決められた曜日に貯めておいて捨てるなんてことはできません。常に頻繁にゴミは捨てなくてはいけないのです。基本的に車の中には常にゴミは置かないというのが鉄則であります。そうしますと、途中の買い物しただけのレジ袋では当然間に合わないということになるのです。
 ついでのついでのついでに、もうひとつのアイテムです。それはハンガーです。服はハンガーに吊るしておいたほうが整理が楽だという結論に達したのです。最初衣服関係は畳んで重ねてしまって置きましたが、これは居住空間を狭めてしまうし、必要なものを出すのにも面倒です。物というのは下に重ねて置くよりも、壁に吊るしておいたほうが整理整頓にもなりますし、使い勝手のいいものなのだということを発見したのです。いつも5個ぐらいのハンガーを用意して行きます。
 ここからはおまけです。荷造り用のビニールのヒモなんてものも持っていくといいでしょう。それを張り巡らせて洗濯物を干したり、お風呂用のバスタオルを干したりするのに便利であります。また、エンジンを完全に停止している場合には乾電池式のランタンを吊るしておくと真上から灯りとなって、結構快適に過ごすことができます。

 よくも、これほどつまらない道具の紹介を次から次へとしたもんだと、我ながら呆れてしまいます。でもこんな小さな気付きが旅を快適にするかどうかの別れ目となるのは確かであります。なにもお金のかかる立派なものなんてほとんど必要はないのであります。何よりも自分の頭で考えた創意工夫こそがアウトドアの楽しみなのであります。そしてそれらが実生活に活かされればなお結構なことだと考えるのでありました。

四国の渇水の危機を救ったのは私です。

 本日もこの上もない洗濯日和りであります。こういう日はなんとなく嬉しくて小躍りしたくなってきます。セッセセッセとたくさんの洗濯物を干しました。「ムフフ、君たちいくら逆らっても、この天気では2時間もすればすっかり干上がってしまいますからね。いいかげんに観念して素直に干されていなさい」なんて口ずさむのでありました。
 暑かったこの夏も四国旅行から帰ってきたら、グーンと温度が下がってきまして、かなり過ごしやすくなってきました。私が期待したとおりの展開であります。それから、四国の人はこの私に感謝してもらいたいとも思っています。渇水の危機にあった四国に大雨を運んでいったのは、紛れも無くこの私なのですから。

 四国旅行の前半4日間はどうしようもないぐらいのかんかん照りでありましたが、後半2日間は、一転してとんでもない大雨に襲われました。これがまた、これまで経験したことのないぐらいの大豪雨なのであります。バケツをひっくり返したなんていう表現がありますが、そんなもんではありません。ドラム缶10本ほどをサイドスローで一挙に投げつけられたような感じであります。あまりの凄さに呆れて笑ってしまいました。
 いくら天気予報を聞いても、一向に良くなる兆候はありませんでした。その時はまだ徳島県に入ったばかりでありましたが、まだ香川県には一歩も足を踏み入れていませんでしたので、急遽予定を変更して香川県の温泉のある道の駅を目指しました。大雨の中を走っても仕方がないので一日温泉でのんびり過ごすことにしたのです。ちょうど良い休暇でありました。

2013年8月27日火曜日

多々羅温泉で地元のジイさんと小一時間ほどダベル

 四国に渡るのに最初からしまなみ海道を目指しました。ひとつには、広島に少しだけでも足を踏み入れることができるということ、ふたつには、しまなみ海道の評判が良かったことであります。尾道から、確か6個ぐらいの島々をつなぐ巨大な橋を渡って愛媛の今治に到着しました。このコースは大正解でありました。
 どこまでも青い空と青い海にぽっかりと浮かんだ白く丸い雲が、パステルカラーの緑の島々が、巨大で高い橋の上からみるとジオラマを見ているような錯覚に襲われます。小さな船ぶねが音もなく浮かんでいます。こんな風景は生まれて始めてみるものです。
 例えていえば、ジブリの世界の外国だか日本だか、未来なのか過去なのかという虚構が織り交ぜられて、一見すると本物世界に近いようなアニメという詳細な描写力の虚構をおりまぜた不思議な世界が展開されるのでありました。
 でも、そこはジブリの世界でもなく紛れも無く現実の瀬戸内海の島々であったのであります。おだやかな瀬戸内海の風景の中に巨大な建築物がどっかーんと存在しているという風景は、なんだか映画を見ているようでありました。
 本当のことをいえば、もうここだけで良かったのです。四国に行こうなんていう気持ちはかなり失せていたのです。できればこの島々を残りの5日間をかけて堪能したいという思いのほうが強かったのであります。しかし、同行二人ですから、それは許されません。私は泣く泣く愛媛県に向かったのであります。

 もうひとつこのコースで良かったのは平山郁夫美術館であります。なんという島の名かはわかりませんが、この美術館はなかなか良かったです。結局この美術館には3時間ほど滞在することになりました。もともと平山郁夫は好きだったのですが、本物の絵を見たことがなかったのです。聞けば平山郁夫シルクロード美術館というのが私のホームグランドである、長野にあるとのことであります。我が市川に住居があった東山魁夷さんの美術館は市川にあるのですが、それよりも大きな東山魁夷美術館も長野にあるというのを小耳にはさんだことがあります。今年の秋の旅行は、この二人の美術館巡りをメーンにして長野を旅してみたいと思ったのであります。
 しまなみ海道去りがたくいつまでも抵抗を試みて多々羅温泉しまなみの湯なる日帰り温泉にも入ってしまいました。なんと値段が300円という破格でありました。ここはシャンプー・石鹸がついていませんでした。そこは旅慣れていますので、持参したものを使って事無きを得たのであります。お風呂の中には地元のおじいさん一人だったのであれこれ地元の情報を仕入れることができました。これは私の得意技であります。
 後に「ほら!あそこに見えるドーム型の大きな建物があるだろ、あれはスポーツセンターなんだよ、あそこにも温泉があるんだけれども、プールを利用した人が対象だから温度が低くいのが難点なんだよな」とかとさも以前から知っているように妻に説明してやったらびっくりしていました。一時間近く爺さんとダベっていましたから、たいしたことのない情報なるものをたくさん知りました。やはり温泉は地元の人の話を聞くには最高の場所でありますね。
 やはり旅をしたら、地元の人とも、旅している人とも話をするというのはジツにいいことです。これがないと旅の意味がないといってもいいのかも知れないと思っています。
 きっかけがないと中々難しいことですけれどもね。

「88-88」というアヒルナンバーがやたら生息してました。

 「88-88」これ何だと思いすか?そうです、ダック引っ越しセンターです。ちゃうちゃう、車のナンバーです。今回の旅でやたら目についたのが「88-88」というあひるナンバーです。最初に気がついたのは妻です。私は真剣に運転していますから、そんな余裕がありません。今回の旅で少なくても10台以上見かけました。いつの間にか、私達夫婦の間ではアヒルナンバーという名称に定着してしまいました。「みてみて!!またアヒルナンバーがいたよ」「あ、本当だ、忙しいんだよ引っ越しが!」
 一番笑ったのが東名高速で、隣の車線を走っていたのがアヒルナンバーが2台続いていたのです。最初は前方の1台を発見したのです。その後ろに関係ない車が続いていまして、いつの間にかその後ろに、なんともう一台アヒルナンバーがきたのです。あれは笑ってしまいました。自分と同じアヒルナンバーが前を走っていたら、どういう反応するのか興味津々でありましたが、残念ながらその結末を知ることはできませんでした。
 昔「・・-・1」というナンバーが目につきましたが、これも多すぎてあまり気にならなくなりました。これ本当かどうか知りませんが、「・・-・1」というナンバーはヤクザナンバーだと聞いたことがあります。
 これ本当なのかな俄には信じられません。昔の東映映画のヤクザであったら、目立つことをしたと思いますが、現代のヤクザ屋さんは決して目立つことをしませんからね。企業舎弟なんて言葉があるように経済ヤクザが台頭してきてますから、こんな子供だましの示威行為なんてしないようにも思われますけども。そのあたりは世界が違うのでまったくわかりません。
 次に流行るナンバーは何かしら、結構興味ありますね。

車中泊者の仁義

 妻が唐突に「四国ってキャンピングカーで旅している人が少ないね。」というのです。そんなことは気にもしていなかったのですが、そう云われてみれば確かに少ないです。
 それに車中泊で旅をしている人も少なかったような気がします。夏休みも終わりの時期だからかとも思ったのですが、普段でも結構見かけるキャンピングカーや車中泊者は極端に少なかったような気がします。いつもは必ず少なくても4,5人とはお友達になるのですが、今回は話をしたのが一人だけでありました。
 それはそれで私にとってはいいことなのです。私の車中泊の歴史は半端でなく長いです。昔はほとんど車で寝泊まりして旅する人なんていませんでした。それが最近信じられなく多くなってきたのです。それはそれでいいのですが、中には極端にマナーの悪い人がいます。一番に腹立つのは駐車場にゴミをそのまま捨てていく連中です。
 車中泊には車中泊の仁義というものがあります。自分が一晩お世話になった駐車場を決して汚してはいけないのです。仕方がないので捨てられているゴミを拾って、ゴミ箱に捨ててきます。だって、駐車場にゴミが溢れていたら、他の車中泊者も同じように見られてしまいます。そのうちに道の駅での車中泊禁止なんてことにもなりかねません。
 最近、道の駅でもゴミ箱の置いてないところも出てきました。そういう時はゴミを車に積み込んでゴミ箱を探します。コンビニやスーパーさんには申し訳ないのですけれどもそっと捨てさせて頂きます。その変わりといってはなんですが、何らかの買い物をすることにしております。とんだところでバカどもの尻拭いをするはめになってしまいました。
 もうひとつ気になるのは、道の駅で堂々とテーブルと椅子を出して飲食しているのです。そんなことをやりたかったらば、キャンプ場を使えばいいのです。道の駅はキャンプ場ではないのです。なんか大きく勘違いしているようであります。

 車中泊者は絶対に目立ってはいけないのです、そおっとどこからともやってきて、そおっと静かに旅立っていくのです。それが車中泊の礼儀というものであります。おおぴらにやりたかったらオートキャンプ場を使えば済む話であります。旨く組み合わせて使いこなして行くことが車中泊での旅をより快適にしていくのです。他の人に不快な思いをさせる旅なんてロクなことはありません。いずれそれらの行為が全て自分たちに跳ね返っていくのです。

忘れ物は、カメラの予備電池と充電器一式 四国の旅

 今回の旅でも、やはり忘れ物をしました。カメラの予備電池と充電器一式であります。四国の道は全般的に狭くてカーブがやたら多いのです。それに、なんだか住んでいる人は誰もセッカチのようで制限速度50kmのところを60kmで走っていても、後ろからジャンジャン煽るのです。だから危なくて妻には運転させられません。そんなもんだから、妻にカメラを渡してオートでいいからジャンジャン撮るように厳命しておいたのです。この旅の予定枚数は3万枚だ!なんて言っていたのに、400枚ほど撮った時点で電池を変えようとして、予備電池と充電器を忘れてきたことに気がついたのです。それは、まだ四国の旅が始まったばかりのしまなみ海道での出来事でありました。
 それから一転して、恐る恐るの写真撮影であります。ビデオを撮るなんてのはとんでもないことでありました。これは痛恨のエラーであります。仕方がないので妻のiPhoneで撮らせました。私もiPhoneを持って行ったのですが、どうもそれで撮る気は起きませんので、パスしました。
 ま、完全に上手くいく旅なんてのは、そうそうありませんからこれでいいのだと思います。それに旨く行かなかった旅のほうが思い出には残るものであります。これって負け惜しみではありませんよ。

四国から戻りました。

 朝一番に空模様を確認して、洗濯物を干し始めた。行動は完全に日常生活に戻っているが、心はまだまだ上の空ではなくて旅の空であります。昨日帰宅してまだ間がないので、旅の興奮からまだ醒めてはいないのであります。
 昨日、四国一周の6日間の旅から帰ってきました。軽く1500km以上は走ったでしょうか。これで本州の太平洋側では広島県は尾道まで、日本海側では福井県永平寺及び東尋坊まで足あとを残したことになります。関西までいけば、島根とか鳥取などの日本海側の山陰地方は案外近いのだということを実感しました。
 九州まで行く途中に山口県も通ることになるでしょうから、九州の帰りに島根とか鳥取を通るってこともできるでしょう。すぐには無理でしょうが、いつかは通ってみたいと思っています。だからどうしたという話であります。
 旅に出る前に散々迷ったのは、四国に行くのか、それとも大好きな北海道にするのかという話でありました。これまで散々徘徊した北の国も確かに魅力的ではあるが、西の国も一度は見て置かなければいけないのではないかということで向かったのでありました。
 まだ疲れが取れていないので、ブログは追々書くことにします。とりあえず四国旅行からの無事帰還の報告まで

2013年8月20日火曜日

今晩か明日早朝に出かけるというのに、まだどこへ行くかを迷っているのです。

 吹く風にほんの少しだけ秋を感じています。とは云っても、まだまだ結構暑い日が続いていますけれどもね。これは多分にして私の希望的な観測に過ぎないのかも知れません。
 昨日はディラーでちょっとした不都合な事が発覚して車の整備に結構な時間を取られてしまいました。それにしても今度の工場長は面倒見が良いのに感心してしまった。そんなことなら、もっと早くから準備をすればいいのにとは思うのだが、いつもギリギリになるまでやらないのは多分私の性格なのでしょう。

 とにかく今日中に旅の準備を終わらしておかなければ、と少々焦りに似た気持ちで荷物を積み始めた。昨年の秋に新潟・秋田・山形をまわって以来の旅なので、すっかりその段取りを忘れてしまっている。
 いやはや、車と家の往復をするだけで汗だくになってしまう。だから少しずつ運んでは休み、少し運んでは休みをゆっくりと確実に繰り返しました。
 やっている内に段々と準備の仕方を少しずつ思い出してきて、旅の荷物も案外ひとつのところにコンパクトにまとめてあったりして、ほんの1時間ほどで終わってしった。これは軽く今日一日かかるかも知れないなと思っていたので、ちょっとだけ拍子抜けしてしまった。
 考えてみると、車中泊をやり始めた頃の道具はかなり大掛かりの重装備でありました。移動手段が車だからというのもありますが、あれも足りないかも知れない、これも欲しいという具合にどんどんと過剰装備になっていったのです。そのうちに旅の回数を重ねるにしたがって、これとあれは切り捨てて、これはもっと小さいものをという具合にどんどんと余分なものを削ぎ落としてしまってシンプルになってきたのです。
 基本的に寝る場所は、すでに準備してあるわけですから、後は食事だけの問題であります。食事は日本中にコンビニ・スーパー・ファミレス・ファストフードと揃っているのですから何も困ることはないのであります。ただ出来合いの食事だけで全部済ませてしまうと結構わびしいものがあるのです。
 だから、食事を自分たちで作って食べるというのは贅沢なことなのです。それで全部出来合いの食事にする気にはなれず、ゆったりと時間をかけて自分たちで食事を作って味わうという時間を必ず取るようにしてあるのです。そりゃあ食事の内容が貧しいのは日常生活と同じでありますけれども自然の中で食べるのは贅沢な味がしますから、すごい幸せを感じる時でもあります。
 こんなに切羽詰まってきたのに、まだどこへ行くかを決めかねて迷っているのであります。ただこの迷いって車中泊だからできるかなり贅沢な迷いなわけでもあります。逆にいいますと行き先をまったく制限されていないというわけであります。

ひょっとしたら、家を出発してもまだ迷っていたりしてね。うーーん

2013年8月19日月曜日

旅の準備だ

 「旅の準備をするぞ!」と何度も堅い決意をしていたにも関わらず、たんに暑いからという理由で、日一日と先延ばししていたのですけれども、いよいよ、ごまかしが利かなくなってきたのです。まずはディラーに車を持って行き、12ヶ月点検とオイル及びエレメント交換をやってもらうことにしました。長距離を走るわけでありますから、事前に整備をしておくのは当たり前の話かな。
 この時期に12ヶ月点検があるというのは、2年に一度の車検もあるわけでありまして、その他に任意保険の切り替えもこの時期であります。これって夏のレジャーにお金がかかるというのに、金銭的に、かなり苦しい状況に追い込まれるということであります。なんでこんなに重なるようにしちゃったのか、今となっては不明であります。こんど車を買い換える時は冬にしておかないと苦しくてしょうがないもんね。

 点検を待っている間に今評判になっているNーBOXがショールムにあったので、触りまくる。実際にエンジンをかけて路上を走ったわけではないのですが、乗り心地は良さそうです。運転席に座ってみると普通自動車に乗っているのとなんら変わらない感覚に襲われます。経自動車は進化しているんですね。驚きました。これで4輪駆動でターボチャージャー付きであったら、きっと快適だと思いますね。シートアレンジもバッチリでありました。

 この時点でもまだ行き先を迷っているのであります。さあ、どうしたもんかな。どっちにしても旅の準備だけはやっておかないといけないのだけれども。
 旅にでてしまえば楽しくてしょうがないのだが、出る前の準備が結構大変で、煩わしいものであります。結構本数があったはずのカセットボンベを、どこへしまったかわからなくなってしまったり、LED電球をつけるための電気コードとソケットが見当たらなかったりしています。そのうちに見つかるでしょうけれども。
 今一番悩ましいのは寝袋を持って行くべきか行かざるべきかということであります。このクソ暑いのに寝袋は必要ないような気もしましたが、これはやはり持って行くべきだろうなと考えなおしました。たとえ使わなくても、備えあれば憂いなしだろうということで、夏用のペラペラと薄いヤツを用意しました。北海道に行くのであったら、もうダウンの寝袋でも用意していかないと危ないですけれどもね。
 非常食の入っている箱を物色していましたら、富山で買ったパックごはんが出てきました。たぶん、以前に富山のスーパーで買い物をしている時に安かったから、買い置きしていたのだろうと思います。最近富山には毎年のように行っていますから。というよりも北陸に行くときに必ず通る県ですからね。近年、富山県はなんだかジツに親しみのある県になってしまいました。今年は太平洋側を走りますから、行けませんね。ゴメンゴメン。
 非常食は旅に出た時に極力消費するようにしています。そうしないと賞味期限切れになってしまいますからね。それで、また補充しておきます。旅先で見つける場合もあるし、近所のスーパーで見つける場合もありますけど、常に補充することに注意を払っているつもりであります。
 もう少し頑張って準備を進めましょうか。なんにもやっていないと妻に怒られますからね。

2013年8月17日土曜日

師匠と弟子がくるくると入れ替わった懐かしい時代

 本日は珍しく朝から一日中ジャズを聞いておりました。私がジャズを聞くようになったのは、ここ10年ぐらいのことであります。それまで聞くのはロックとブルースだけでありました。若い時にはそれでもいいのですが、齢を重ねてまいりますと、まだブルースは良いとしても激しいロックは、長い時間は疲れて聞き続けるのがつらくなる時があります。やはり、ここらでジャズなんていうジャンルに手を出すべきではないかなどと考えていました。しかし、取っ掛かりがありません、どこから入っていけばわからないのでありました。誰か身近にジャズを趣味にしている人でもいれば取り敢えずその人を師匠にして擦り寄っていくのが一番簡単なのです。しかし、残念ながら私の周辺のどこを見渡しても、ジャズを趣味にしているような人は一人として見当たりませんでした。
 師匠は以外なところから現れました。それは私の一番上の息子、すなわち長男でありました。それまでは、自分で購入したロックとかブルースのCDを貸してくれていましたが、ある日から、コツコツとジャズのCDを買い集めて私に聞けと持ってきはじめたのです。
 私にとっては渡りに舟でありますから、そのたびにパソコンに蓄積していきました。今では相当のジャズの曲数が入っています。それから時々長男からジャズといわず音楽全般のレクチャーを受けることになりました。音楽に関しては長男が私の師匠筋になってしまいました。実際口にだして云わないけれども、感謝しているのです。素晴らしい世界をひとつ私に与えてくれたわけでありますから。
 いいんです、自分より優れたものを持っている人は、たとえ息子であろうと、妻であろうと、年下であっても女の人でも年を召した人でも、私にとってはすべて師匠なのであります。



 ふと、これまでの自分の師匠という存在を考えてみました。もっとも私の師匠は自分が勝手にそう決めてしまっているだけの話でありますけれども。
 一番面白い師匠はパソコンの師匠であります。私がパソコンにのめり込んでいった時は、まだパソコンの出始めてあり、パソコン教室なるものはありませんでした。数少ない専門誌を、難解なコンピュータ用語を理解できないまま読み漁って手探りで覚えるしかない時代でありました。
 だから、ちょっとでも自分よりも知識がある人はすぐに師匠でありました。そして私も誰かの師匠にもなれました。しかし、その師匠と弟子の関係は頻繁に逆転した時代でもあったのです。私が弟子に対して何かを教えたとします、でも一週間後には、弟子であった人があらたな技術を覚えてきて、私に教えてくれたのです。
 あの頃はみんなパソコンの技術や知識に対して貪欲であったし、真摯でもあったと思います。だからあの頃に知り合った仲間とは今でも付き合いがあります。あれから、それぞれの使う言語やツールが違っていきましたけれど、いつも心のどこかに戦友でもあり同士なんだという気持ちがついてまわっていることも確かであります。

これをアップしてから貼り付けたアマゾンのCMバナーを何気なく見ていたら、ロープライス¥1となっているではありませんか。そうか中古であれば1円で買えたのか。このアルバム結構気に入っているのですが、CDが1円ってのは初めてですね。中古本は1円で結構購入していますけれども。
ただこのバナーも変化しますから、1円というのは私が貼り付けた時点だけの話ですからね。売れ切れてしまえば、3,692円で購入するしかないでしょう。しかし、驚いたよね。

2013年8月16日金曜日

まだまだ、ひぐらしの声が聞こえてきません。夏の終わりはずーっと先のことなのでしょうか。

 珍しく朝の3時に起床して温度計に目をやったら、なんと26℃でありました。昨晩、寝るときに窓を開けてみましたら、結構涼しかったのでエアコンは、やめにして、扇風機を1時間のタイマー設定して寝ました。昼間はエアコンの設定温度を28℃にしてありますので、それに比較すれば今朝は、かなり涼しいといったところでしょうが、ただ、湿度が72%ということですから、そのぶん、いくらか蒸し暑く感じるのでしょう。エアコンを使っていると除湿もやってくれますから、これでかなり涼しく感じるということはあります。
 お盆休みが終わろうとしているのに、まだまだ、ひぐらしの声が聞こえてきません。夏の終わりはずーっと先のことなのでしょうか。

 本日の洗濯は2回にわけておこないました。今日もお日様はやる気いっぱいでギラギラ熱くなっていますので、洗濯オヤジとしては、ウレシイ限りであります。朝から、なんとなくパソコンの前に座っているのが億劫だったので、洗濯は、パソコンから離れる、ちょうどよい口実になります。本日の夕食は珍しく5人全員揃うみたいなので、もう今からご飯を仕掛けておこうかとも思います。これも仕事を放棄するのには、なかなか良い口実であります。だって気持ちがのらないのに、ただパソコンにへばり付いているのは、苦痛以外の何ものでもないですから。こうして日頃からたくさんの逃げ道を用意してあるのであります。いやはや。

 そろそろUターンの車が増えてくるかと思いますが、きっと土日までまとめて休みっていう人も多いのでしょう。受け取るメールの数も極端に少なくなっていますので、まだ帰省先や行楽地から帰ってきていない人が多いのだと推測しています。
 さきほどテレビのニュースを見てましたら、当初の私の予想に反して、今晩からUターンラッシュになるそうです。そうなんです、たとえ日曜日まで休みを取っておいたとしても、ギリギリまで目的地にいるよりも、早めに帰宅して、自宅でレジャー疲れなり、帰省疲れを癒やそうと考えるのが普通でありました。以前の私もそうしていましたから。

【注:このブログは昨日書き始めたのですが、なかなか書き終わらなく今日になってしまいました。だから上の記述は一日遅れだということです。】

 ふと帰省した人たちは、ある意味幸福な人たちなのだと思ったのです。帰省したくても帰省できないという人々が案外たくさんいるのではないかということです。その理由のひとつは経済的な理由というものがありますが、それを除いてのことを思い浮かべたことがありました。
 里帰りしたくても、帰るべき実家が消えて無くなってしまった、なんてこともきっとあるでしょうね。何年か前までは両親が住んでいたけれども、二人共他界してしまい、両親の住んでいた家は売るに売れないし、都会では自分の家があるから、田舎の家まで管理するほどの経済的な余裕がなく、不本意ながら、そのまま放置してしまって朽ちるに任せてしまっていたりします。
 私の郷里は山形県の村山市というところの戸数700ほどの小さな集落であります。私は毎年のように帰省しておりまして、一見すれば自分が小さかった頃の集落とたいして変化がないように思われますが、そこには少子高齢化の波は例外なく押し寄せてきている事実がありました。実家の周囲には空き家がじわじわと確実に増えてきているのです。また時間の問題で半年後、または数年後に、確実に空き家になるであろうと思われる家も多数存在します。自分が郷里から逃げ出しておいて云うのもなんですが、なんでこんな事になってしまったのかと悲しい思いにかられてしまいます。
 空き家の中には親戚の人や知人が管理しているのかはわからないのですが、外見だけをみただけでは空き家とはわからないところもあります。また家も壊されて完全な更地になってしまったところもチラホラ見受けられます。まだ空き家でも普段管理されていれば帰省もできますが、放置されていれば、一日や二日でも、宿泊などはとてもできません。帰省している間中、掃除や補修に追われることになるでしょうから。
 東北の家には雨戸がついていないのが普通だと思います。「冬になって雨戸が凍って開かなくなるから」という理由を誰かに聞いたことがありますが、その真偽の程はわかりません。だから、たとえ空き家になっていてもサッシ越しに白いレースのカーテンが見えるだけですと、そこには、さも人が住んでいるようにみえます。しかし、夜になっても灯りがつくことは決してありません。最初は気にもしていないのですが、それが4,5日も続くと「あれ?あそこの中嶋さんちは、いつも留守だよね。どうしたの」と聞くことになります。「あれ、知らなかったのか、キヨシ爺さんが4年前になくなって、それからオヨシさんが一人で暮らしていたんだが、つい半年ほどまえに亡くなったんだよ。息子が横浜にいるんだけれど、仕事が忙しいらしくて、オヨシさんの葬儀が終わってから一度もきてないよ。」庭は近所の誰かが時々手入れしてくれているらしく、二人が生きている時とあまり変わりがないのが、一層の寂寥感をかきたてられてしまう。

 人がいなくなれば税収もなくなります。そうすると過疎の村の橋や道路は大丈夫なのかと心配になってきます。私のようにノーテンキにド田舎が好きでほっつき歩きを繰り返している者にとっては深刻な問題だと思うようになりました。自分の家の保守管理維持することだって大変なことであるということがわかってきた現在、過疎の集落の公共のインフラを保守管理維持する困難さを想像してしまうのであります。以前はこの橋の先に20軒の家があったのに現在は2軒で2名の住人しかいない、なんて具合であるのに維持するお金は同じようにかかるわけでありますから。行政にとっては負担が大きいのではないかと思うわけであります。これはかなり危ない状況なのではないか、迂闊に過疎の村を走り回れなくなるのではないかと思うわけであります。

 そろそろ旅に出る準備でもしようかと思うのだが、暑くてなにもやる気にならないからズルズル一日延ばしになっています。土日の二日間でまじめにやろうと固く決意しています。うーん、そうはいっても俺の固い決意ほどあてにならないものはないからね。ま、いいか。

2013年8月14日水曜日

ボブ・ディランのDesireという、私のここんとこのお気に入りのアルバム

 「街を走る車が極端に少なくなっているよ」と仕事から帰ってきた長男が云った。私は終日引きこもりのようにパソコンの前に張り付いているので街の様子を窺い知るすべがないのであります。街が喧騒なのか静寂の中にあるかなんてこととは一切関わりなく、なんのためにもならない文章などを書き散らして毎日暮らしているわけであります。
 毎夜音楽をかけて酒を呑んでいます。酔っ払ってくるとどうしても聞きたくなる曲があります。それはボブ・ディランであります。ディランは私にとって演歌であります。本当は歌詞の内容がわかっていればもっといいのですけれど、なにせ英語はさっぱりわかりません。ディランであればなんでもいいのですが、最近の私のお気に入りのアルバムはDesire (Reis)というものです。このアルバムを聞くとどんどこと酔っ払ってしまっています。



少しは歌詞の意味がわかったほうがいい。いや何を歌っているのかを知りたいと思い検索してみましたら、下のような訳詞がみつかりました。なんだか、知らなかったほうがいいような、やはり知ったほうが良かったような複雑な気持ちであります。語学力のない哀しみをしみじみ感じたしだいであります。

姉上様
Oh, Sister

姉上、あなたに身をまかせたいのです
他人のようなそぶりはなさいますな
父上はそのようにはなされなかった
危うさにお気づきなさいませ

姉上、弟をお忘れとは信じられません
優しくしていただいてよろしいはず
この世界に決意を同じくし
慈しみ 従いましょう神の思し召し

ともに育ち
ゆりかごから出てふたりみまかるまで
召され再び生を受け
神秘のうちに贖われた

姉上、あなたの門をたたくとき
あらぬほうをみては不幸を造ります
寄せる海も岸まで 時さえ尽きる世の常
明日は届かぬ身かもしれませぬ


ジョーイ
Joey

ブルックリンはレッドフックの生まれ 生年不詳
アコーディオンが子守唄
仲間を選ぶと必ず少数派
お天道様の向きがそっちだそうだ

ラリーが年長 ジョーイはずっと下
あだ名はクレイジー・ジョー またの名をつむじ風小僧
博奕と呑みで食ってるという噂
マフィアと警察の隙間が居場所

ジョーイ ジョーイ
裏街の親玉 泥道の少年
ジョーイ ジョーイ
どこのいざこざで命を落とした

抗争だとか違うとか
訳知らずが騒いでいるだけ
ラリーを潰す策略に腹を据えかね
あの夜弾丸除けになろうと報復に出た

夜明けの大抗争 通りに人の姿はなく
ジョーイと兄弟たちの手痛い敗北
覚悟の上で5人を人質に引き揚げ
このしろうとたちを地下室に隠した

震える5人の人質に男が言う
ここを爆破する 不良のエディソンをうらめ
ジョーイが腕を突き出し 爆弾は俺達には似合わない
元の暮らしができればそれでいい

ジョーイ ジョーイ
裏街の親玉 泥道の少年
ジョーイ ジョーイ
どこのいざこざで命を落とした

警察は追求した「スミスさん」呼び名はていねい
共犯の容疑だが 主犯が誰かは問題でない
何時だ 判事がジョーイに聞く
あと5分で10時 刑は5年以上10年以下

アッティカ刑務所に10年 ニーチェとライヒを読んだ
独房入りは殴ったときに1回
黒人とは仲良くできた わかっているから
世の中の下積みの苦労を

71年いくらかやつれて街に戻った
ジミー・キャグニー風の貫禄の着こなし
なじんだ仕事に戻るつもりでボスに掛け合う
復帰するんだ取り分を返してくれ

ジョーイ ジョーイ
裏街の親玉 泥道の少年
ジョーイ ジョーイ
どこのいざこざで命を落とした

晩年銃を持ち歩かなかったのは本当だ
こどもたちは知らない方がいい いつも言いながら
生涯の宿敵 クラブハウスへ乗り込み
レジの金をさらって クレージー・ジョーだ 覚えておけ

ニューヨークの貝料理屋での狙撃事件
フォークを口に運ぶときに敵が見え
テーブルを盾に家族を守り
よろめきながらリトルイタリー街に逃げた

ジョーイ ジョーイ
裏街の親玉 泥道の少年
ジョーイ ジョーイ
どこのいざこざで命を落とした

ジャクリーヌとカーメラの姉妹 母のメアリーの嘆き
親友のフランキーが言ってた 眠っている 死んではいない
ご老人のリムジンが墓地に戻るのが見えた
救えなかった息子への最後のはなむけだろう

日は落ちて冷えたプレジデント街 ブルックリンは喪に服し
古い教会での追悼ミサ この街で生まれた
いつの日か神が守護の光で満たすときまで
彼を殺した罪に救いはない

ジョーイ ジョーイ
裏街の親玉 泥道の少年
ジョーイ ジョーイ

ハリケーン
Hurricane

夜の酒場にとどろく銃声
階段を下りたパティ・バレンタイン
血の海にバーテンダー
皆殺しだわ どうしましょう
ハリケーンの話はこうして始まる
官憲が負わせた罪は
とんだ濡れ衣
この囚人の手の届くところにあった
世界チャンピオン

パティが見た3つの死体
怪しく動く別のひとりはベッロ
俺じゃない 両手を挙げて
レジの金を狙っただけだ うそじゃない
逃げるやつらを見た 口ごもりながら
警察を呼んだほうがいい
パティが電話をかけ
赤いライトを点滅させて警察の出番
ニュージャージーの夜の熱の中

そのころ離れた別の街角で
仲間と車を走らせていたルービン・カーター
ミドル級のランキング1位
これから起こるごたごたを知るはずもなく
検問で車を停めさせられた
前にもあったしこのときも
パターソンの街ではいつもそんな風だ
あんたが黒人なら大通りには出ない方がいい
騒ぎに巻き込まれたくないなら

前科者のアルフレッド・ベッロには相棒がいた
ベッロとアーサー・デクスター・ブラッドリーはおずおずと
話によると逃げた二人はミドル級の体つきで
白い車はよその州のナンバー
パティ・バレンタインはただうなずく
おい、まだ息があるぞ と警官
病院へ搬送された被害者は
何とか目は見えるようだし
犯人の顔は覚えているそうだ

朝の4時にルービンは引きずり出され
病院へ連れて行かれ病室に
ベッドからまだ見える片方の目で見上げ
なんでこいつを連れてきた 人違いだ
ハリケーンの話はこんな調子だ
官憲が負わせた罪は
とんだ濡れ衣
この囚人の手の届くところにあった
世界チャンピオン

4か月経ち黒人街に火がついた
ルービンは南米で興行の試合
アーサー・デクスター・ブラッドリーは相も変わらず泥棒稼業
警察は奴をしめつけ口を割らせようとした
酒場のできごとを思い出せ
逃げた車を見たんだな
法律のご厄介になりたいか
逃げていったのはボクサーだろう
いつから黒人の味方になったんだ

はっきりしないんだ とアーサー・デクスター・ブラッドリー
お前のような貧乏人にめぐったチャンスだ
モーテルの盗みのネタも上がってる 仲間のベッロもしめあげるか
監獄に戻りたくなければいい子でいろ
それが社会のためってもんだ
あのろくでなしが大手を振ってますます増長する
ケツに火をつけてやったほうがいいんだ
あいつが3人殺したことにしちまおう
紳士のお里が知れるってとこさ

パンチ一発でどんな相手も倒せるのに
ルービンはそんな話は嫌いだった
それが仕事 金のためだ と言う
役目が済んだら好きなようにする
どこか天国みたいなところがいい
流れに鱒が光り薫る大気
小径で馬を駆る
その彼をやつらは監獄に入れた
人間をネズミに変える実験所

ルービンの持ち札は読まれていた
裁判は汚れた豚のお祭り 勝ち目はなかった
判事が認める証人はスラムの酔いどれたち
白人の傍聴人にとっては過激な武闘派
黒人の傍聴人にとっては変わり者
引き金を引いたのはあいつと決めて疑わない
証拠の銃は発見できないのに
地方検事は彼を犯人と断定し
白人だけの陪審は同意した

ルービン・カーターへ不正な判決
第一級殺人罪 何を証拠に
ベッロとブラッドリーの明白な偽証
それに興味本位で書きたてた新聞
これだけの男を
阿呆どもの思うままにさせたのは誰
罠に落とされたのは明らかなのに
ああこの国に生まれた恥辱
ここでは正義は勝ったもののためにある

悪人たちは上着をはおりネクタイを締め
マティーニ片手に眺める朝の太陽
ルービンが仏陀のように座る3メートルの独房
生ける地獄の無垢の男
ハリケーンの話はこんな調子だ
話はまだ終わらない 疑いを晴らすまで
失った時間を取り戻すまで
この囚人の手の届くところにあった
世界チャンピオン


アイシス
Isis

5月の5番目の日 アイシスと結婚した
じっとしていない性格だから
髪を短くして脇目もふらず馬を飛ばした
未知の荒野が俺の行く先

闇と光の高き所
境界は街からここまで続いていた
杭を見つけて馬をつなぎ
洗い場で服を洗おうとした

門口の男が手を組もうという
一目でわかるできるやつ
うまい話があるそうだ
金はないと話すとかまわないと言う

出発はその夜 極寒のノースカントリーへと
毛布をやると話し始めた
行く先を聞くと4日には戻れるところだそうな
そんな間抜けを誰が言うんだか

ターコイズだろうか 金塊だろうか
ダイアモンド それとも世界一のネックレス
いくつもの谷を通り信じられない寒さを耐えた
アイシスはきっと 俺のむこうみずに呆れたろうよ

言ってたっけ いつかばったり出会って
また一緒になれば 前とは違う暮らしが待ってる
しっかり捕まえて 仲良くするだけでいい
もっといいことを言ってたはずだが忘れてしまった

氷に埋もれたピラミッドを見つけた
ミイラを探すぞ とあいつ
掘り出せばいい値が付く
やつの目的がその時俺にもわかった

風はうなり雪は荒れ狂った
夜通し削って明けても削った
やつが死んで祈った とりつかないでくれ
心を決めたさ 一人でもやり通すと

墓所に忍び込むと棺は空
宝石もなく何もなく 乗せられたか
相棒へんに最初から愛想良かったが
もうけ話に浮かれて分別無しもいいところ

遺骸を墓へひきずって
穴に投げ込みおおいをかぶせ
ちょっと祈って心をいやし
アイシスめざして馬で戻った 好きだと言うんだ

川辺の草原で彼女に逢えた
疲れと眠気で目を開けられず
東から近づくと日光が目を射した
ひとしきり彼女を恨んで馬を進めた

「どこにいたの」と聞くから「普通のところさ」
「かわったわ」というから「そんなには」
「帰ってこないのかと」「むりもない」
「もう行かないのね」「そりゃそうだ」

アイシス アイシス 神秘の子
あなたへの愛と無鉄砲が一緒に住んでる俺の心
今も忘れないあのときの微笑み
あれは5月の5番目の日 細かな雨の降る日


モザンビーク
Mozambique

モザンビークで時を過ごすのが好きだ
晴れわたった空は透き通った青
どのカップルも頬寄せダンス
一週間か二週間いられるととっても素敵

かわいい娘がモザンビークにはいっぱい
楽しい恋愛の時間もたっぷり
顔を合わせるとロマンスの話
君がほしがるチャンスがごろごろ
挨拶だけでひらめくことも

ふたり並んで海原を見ながら
伸ばした手を彼女の手に重ね
秘めた思いを囁く
神秘の国での魔法のできごと

モザンビークを去るときがくれば
砂浜と海にさよなら
ふりむいてなごりの流し目
こんなのはここだけの気持ち
晴れた心の愛すべき人たち
モザンビークの陽の当たる浜辺

どこのいざこざで命を落とした

幸男ちゃんと近所のハル君がきました。

 一昨日の話であります。以前にこのブログに書きましたが、ビルトインガスコンロを組み込むのを、手伝ってくれました幸男さんと、近所のハル君が拙宅に訪ねてきてくれました。ハル君とは2年ぶりぐらいの再会であります。懐かしくて、少しウルウルしてしまいました。元気そうで一安心であります。
 幸男さんは一週間ほど前の夜中に腎臓結石で救急車で病院に運ばれたのだそうです。あれは痛いのです。って私がなったわけではないので、本当の痛みはどうなのかはわかりませんけども。数年前に妻がそうなりまして、救急車を呼ばないでくれと懇願しましたが、有無を言わせず救急車を呼びました。
 と、いうのも以前にかなり反省しなければならないことがあったのです。ある夜のこと小学校の教員をやっている従姉妹から電話があり、ギックリ腰になってしまったというのです。さっそく駆けつけてみるとかなり痛そうな様子であります。
 そこで彼女は妻と同じように救急車は呼ばないでくれというのです。それで、次の日に病院に連れてってくれれば良いというのです。翌朝さっそく訪ねていき病院に連れていこうということになったのですが、痛みは相当のもので、私一人ではとても動かせそうにありません。
 また部屋がエレベーターなしの四階で、おまけにその階段が狭いという最悪の条件なのでありました。私は散々迷った結果救急車を呼ぶことにしました。救急隊員は3名きまして、彼女をタンカーに載せて狭い階段をたくみに操作して運んでくれました。
 私が前の晩に判断して救急車を呼んでいれば、彼女は無駄な痛みに苛まれて一晩苦しまなくて済んだはずなのです。それに一般外来で病院に行った場合はまた痛みを堪えて順番がくるまで待たなければならないということになってしまいます。なぜか女の人は我慢強いらしく、救急車を呼ぶのを嫌がりますが、私はあれ以来深く反省しまして、何の躊躇いもなく、救急車を呼ぶことにしています。

 あれ?なんの話だっけ、そうそう幸男さんとハル君の話だった。幸男さんは、以前ビルトインガスコンロの組み込みをやっていた時に、台所の手元灯が壊れているのを覚えていて、それを交換しようというのです。私もいつかやらなければと思っていたのですが、電気関係はまるで弱いので一日延ばしになっていたのです。結果からいえば大助かりでありました。製品を梱包から出して、コンセントに差し込めばそれでOK、などという簡単な電気製品ではなくて、少し配線をしなければならなかったのであります。しかも、ブレーカーを探して電気を遮断しなければなりませんでした。一人でやらなくて本当に良かったと、そっと胸をなでおろしたのでありました。
 手元灯を治すと決まったら善は急げとばかりに、寸法を測り、なぜか近所のハル君も一緒に3人で松戸にあるホームセンター「ユニディ」へと走りました。途中で妙に車が混んでいました。普段渋滞などをしているのを見たことがない道路なのです。
 忘れていました、お盆だということを。お盆だというと田舎者の私は、すぐに高速道路の帰省渋滞だけを思い浮かべるのでありますが、そこは八柱霊園に続く道であったのであります。そうだよね、田舎者でない人達だってお墓参りをするのであります。お盆の時は東京の人だって熊本の人だって、北海道の人だって全国的にお墓参りをするのでありました。「うーん、俺はまだまだ見識が浅いな」と深くうなだれて反省するのでありました。
 それで、「ユニディ」の帰りに昼飯を喰っていこうということになって、途中の「珍来」というラーメン屋さんに入りました。珍来はそれほど美味いというラーメン屋さんではありませんが、一般的に量が多いのです。幸男さんは昔から大食いであります。最近はどうなのかわかりませんが、以前は軽く私の2倍の量は胃袋に入れていました。私は散々迷った末に味噌ラーメンを頼みました。危うく「大盛り」と云ってしまいそうなのをぐっとこらえました。どうも昔の癖で食い物屋さんに入ると、なにも考えずに「大盛り」といってしまうのです。しかし寄る年波には耐えられず、なにげなく注文したその「大盛り」に四苦八苦することが多くなってきたのです。
 幸男さんはというと「タンメン」でありました。ほう!彼も、一応普通の人並みになってきたんだなと思ったのですが、「餃子」を追加といったのです。ムム!ここの麺類は量が多いのです。それに餃子ときました。持ってきた餃子をみますと、あのラーメン安売り後楽園餃子の2倍はあろうかという代物であります。私は頼んだ味噌ラーメンに四苦八苦しておりました。モヤシがやたら多くてなかなか麺に辿りつけなかったのであります。幸男さんは順調にタンメンをやっつけていましたが、餃子を2個ほど残してダウンです。私とハル君に餃子を食わないかというのですが、私もハル君も、それぞれ自分の注文したものと悪戦苦闘中でありまして、とてもそんな余裕はなかったのであります。最後には彼が全部を征服してしまいましたけれども。
 ここでハル君の注文したのが、なんというか、隠し技というか、「桂馬」の不可解な動きと申しますか、いきなりのシンコペーション攻撃といいますか、後頭部をビシバシっと殴られたような衝撃を感じるものでありました。彼の注文したのが、なんと「ウマニソバ」だったのであります。私はありきたりの味噌ラーメンをすすりながら、隣のハル君の「ウマニソバ」をチラチラと横目で眺めて、旨そうだよな「ウマニソバ」と心から悔しがったのでありました。今ではグッと少なくなった町の中華料理屋さんあたりに行かないかぎりは「ウマニソバ」なんて滅多にお目にかかれないものです。ようし、今度は「ウマニソバ」だけを念頭に置いて珍来に行ってみようと固く固く心に誓うのでありました。

 帰宅してから30分ほどで、台所の手元灯は完成しました。が、スイッチの位置がわかりません。ヒモがついているわけでもなかったのです。購入する時は測っていった寸法だけを気にしていて、性能とか機能なんて、ひとつも気にしていなかったのです。スイッチはすぐにわかりました。センサーがついていて手をかざせばスイッチが入ったり切れたりするのでありました。なるほどね、洗い物などをやっていると手に洗剤がついていたりすると一々手を拭くのは面倒ですからね、その点センサーであれば手をかざすだけでオン・オフができるわけですから便利といえば便利なのでありました。夕方妻が帰ってきて手元灯が点くのには感激したようであります。そして、こうのたまうのでありました。「やっぱりさぁ、一家に一人は幸男さんが必要だよね」普通ならば怒って当然なのでしょうけれども、私は妻の意見に深く同意するのでありました。

2013年8月13日火曜日

いつから「冷やしラーメン」が山形の郷土料理になったんだい 俺は少し怒っているかも

 連日、暑い日が続きます。この時期は北海道を除いて、どこへ逃げても暑いものであります。東北だからって涼しいだろうな、なんて考えたら大間違いであります。盆地である我が郷里山形などは暑いなんてもんではありません。近年こそ埼玉や高知に暑さ比べでは負けていますけれど、それまでは日本一の暑さを誇っていたのですから。これまで何度騙されてきたのかわかりません。
 ただ、朝晩は気温がグンと下がりますから、暑くて寝付かれないなんてことは、少ないような気がします。その点関東では夜になっても一向に気温が下がりませんから、どうしても寝不足になってしまいます。
 この暑さから逃れるには北海道に行くか、標高の高いところに行けば確実に涼しくなるのです。できれば800メートル以上であれば申し分ないのですけれども。そして近くに温泉があって、あまり観光客などはこなくて静かなところなんていうのが理想であります。そんなところで、のんびりと避暑なんていうものをしたいものであります。

 どこかのテレビ局が山形の「冷やしラーメン」を取り上げていました。「冷やし中華」ではなくて「冷やしラーメン」なのであります。山形では「冷やしラーメン」なるものはいつの間にか一般的になっており、大概のラーメン屋さんにいくと置いてあるのは知ってはいたのですが、未だ食べたことが無かったのであります。

 そこで「冷やしラーメン」とはなんぞやと調べてみました。ウィキペディアをみますと、
 「冷やしラーメン(ひやしラーメン)は、山形県の郷土料理。日本の麺料理の一つ。」とあります。
 ひえーーー、いつから山形県の郷土料理になってしまったのだろうか。それも俺になんの断りもなく、まだ俺様が食したことがないのに郷土料理だってか。うーーんなんだか故郷に軽く追い出しを食らったような気持ちであります。
以下ウィキペディアの冷やしラーメン解説からの抜粋です。
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【概要】
その名の通り冷たいラーメンであり、スープも麺も冷たく、氷を浮かべることもある。冷やし中華とは異なり、通常のラーメンと同じようにたっぷりのスープに麺が浸されている。スープは醤油味が一般的で、冷やし中華のように酸味は強くない。なお、北海道では「冷やし中華」のことを冷やしラーメンと呼ぶ。

【歴史】
発祥の地は山形県山形市の栄屋本店で、常連客の「夏には冷たい蕎麦を食べるんだから、ラーメンも冷たいのが食べたい」 という言葉を聞いたことが店主の阿部専四郎の心に残り開発の切っ掛けになった。1年間の研究を経て1952年の夏、冷やしラーメンとして発売した。

【現状】
主に山形市内のラーメン店で、夏場の季節限定メニューとして供されるが、通年販売している店もある。近年はメディアに採りあげられる事により知名度が上がり、県外のラーメン店やコンビニエンスストアでも販売されるなど、全国的な広がりを見せている。
東洋水産や寿がきや食品では、インスタントや生めんの冷やし中華を「冷しラーメン」という商品名で全国販売(沖縄を除く)している。海外に出店しているラーメン店では、同じ麺を使用していることから、「冷やし中華」をCold Ramenという名称で出しているケースが多い。
新潟駅の立ち食いそば店には、中華麺にメンマ、チャーシューなどといったラーメンの具材をトッピングし、そば・うどん類と同じ鰹だしの冷しつゆをかけ、薬味として練りわさびを添えたメニュー「冷しラーメン」がある。
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 驚いたというか笑ったというか、日本冷やしラーメン協会まで、すでにあるんですね。なんだか悪い冗談の世界のような気もします。

 さて、これまで何度となく冷やしラーメンなるものを食する機会があったにも関わらず、なぜ、食べなかったのかということです。まずは山形は「ラーメンの消費量日本一」ということを知ったのは、つい最近のことであります。
 当然ラーメンのレベルはかなり高いものとなっております。帰省するたびにラーメンは必ず食べます。当然それは旨いからです。それで、いつも食べるラーメンは頑なに醤油ラーメンであります。
 初めての店に入った時も最初に頼むのは醤油ラーメンであります。醤油ラーメンが美味ければ、その他のメニューも大概間違いのないものだと信じているのです。帰省するたびにラーメンを食べるとはいっても、そうそうラーメンばかりを食べているわけではないので、これまで食べて美味いなと思えるラーメンをやはり食べたくなります。それらのラーメンを食べることを楽しみに帰省しているといってもいいぐらいであります。そこにいきなり「冷やしラーメン」なるメニューを見せられても、脳細胞は以前に食べたラーメンの味で締められているので、それを断ち切ってまで別のラーメンに切り替えることができないのであります。だから一緒に行った知り合いが「冷やしラーメン」を食べている姿を見ても、「ケッ!本当のラーメンの旨さを知らない、可哀想なやつだぜ」という具合になるわけであります。
 とは言っても、今度帰省したらば、機会があったら一度ぐらいは試してみてもいいかなとは思っているけども、わざわざ「冷やしラーメン」を食べに行こうぜという風には決してなりませんね。

2013年8月12日月曜日

酷暑の上海におけるビールと枝豆に関する一考察 by 牧の原

日本では甲府で40度を突破したことがニュースになっていますがこちら上海は数週間前から連日のように40度前後の気温が続いています。これは140年ぶりと聞いていますが、この中国でどこまで正確に記録をつけているのか怪しいものではあります。(現在の中国においても、中国の気象庁はほとんど38度以上の数値を発表しません。発表すると法律に従って外で仕事をしている労働者に酷暑手当を払うか休業にしないとならない、という理由で)
黄金城道
どうしても、この写真を縦にすることができません。

多分中国上海からの送信だったからでしょう。
よって、皆さんは顔を横にしてみてください。
とはいえ、まぁとにかく暑い、むしろ熱い。路上を熱中症で倒れた老人がアスファルトの熱で大やけどしたとニュースになっているぐらい熱いです。(この国では助けた人が助けられた人から加害者の濡れ衣を着せられて大変な目にあったりするので、基本的に路上で人が倒れていても見て見ぬふりをする人が多いのです)
昨日もシーツを洗って干したら1時間後にはバキバキに乾燥し、布団を3時間干して取り込もうとしたら、あまりの熱さで取り込めなかったりと大変でした。

そのような酷暑の日曜日、12時半からの中国語教室に間に合うように外出したのですがその暑さたるや、普段耳障りな音で鳴く中国のセミすら絶え絶えと数匹が呻いている程度で、普段は人通りで賑わう「黄金城道」という、なんとも金ピカ趣味の名をもつ歩行者天国もサッパリ人通りがなくホント白昼の死角のように虚ろな静けさを醸し出しているのでした。(ちなみに私住まい近くの道路の名前ですが、紅宝石道(ルビー通り)、藍宝石道(サファイヤ通り)、銀珠路、金珠路とハデハデです)

これだけ暑いと日暮れ後のビールがすこぶるウマイと思われるかもしれませんが、税法上の問題なのかよくわかりませんが、ビールのアルコール度数が日本に比べて概ね2%程度低く、喉ごしスッキリ、スーパードライですら気の抜けた発泡酒のような体たらく、ぜんぜんスッキリしないのです。だいたい、こんな陽気で二日酔いにでもなったら熱中症と脱水症状の合併症でマジに命に関わりそうでもありますが。
そもそも夜の7時に33度、明け方4時でも30度の上海で、窓を開けて蚊取り線香の香り混じりの涼しい風で寛ぎながらビールに枝豆、なんてことは絶対にないわけで、基本線、窓を締め切った室内で冷房を最大限効かせて近くの日系コンビニで仕入れたスッキリしないスーパードライとグニャっとした歯ごたえの枝豆で暑さから逃れるほかないわけです。

と、おもむろに美味くもないビールも飲み飽きて、ふっとNHK『朝イチ』で見た「美味しい麦茶の入れ方」を参考に、麦茶パックを皿上の熱湯で1分間蒸らし、その後1時間1リットルの水に漬ける方式で作って飲んでみました
いやぁ美味しい!甘露です。
コクを出すために少しインスタントコーヒーを混ぜても良いらしいのですが、私にはこのままでも充分。子供の頃にガフガフとガブのみした麦茶の味が出ておりました。

この歳になってビールより麦茶などと思うとは夢にも思いませんでしたが、考えてみれば50年生きてきてダントツの一番に暑い夏を経験している所ですから、色々なことで夢にも思っていなかったことが起きてもなんら不思議ではないわけです。

ということでこの週末は一念発起、自分で茹でた塩気たっぷりの枝豆とコクと旨味たっぷりの麦茶で暑気払い、というなんとも健康的な生活と相成りました。

2013年8月11日日曜日

廃品回収業者が壊れた洗濯機を、ひとつも悪びれずに9,800円で引き取るという顛末

 今年から本格的に始めた糠漬けが順調であります。おかげで毎食おいしい旬の漬物を味わっています。キュウリやナスは定番で旨いですけれども大根というのもかなりいけますね。大根が旨いのであればと先日ニンジンを放り込んで見ました。旨いかどうかはまだ食べていないのでわかりません。今密かに考えているのは、ニンニクとか生姜それに鷹の爪を入れたらどうなるかということです。別に直接食べなくても結構隠し味になるのではないかと想像するわけであります。食欲のないときも漬物があると結構助かりますね。

 さて、洗濯機が壊れてしまって、新たに買い換えたことは先日書きました。ネットで購入したのですから、壊れた洗濯機は当然引き取って貰えませんでした。と、いうよりも後日購入先からのメールを良く読んでわかったのですが、注文して発送するまでの間に、壊れた洗濯機を引き取り希望する旨をメールすれば引き取って貰えたらしいのです。そのメールを読んだのが不覚にも新しい洗濯機が届けられた後でありました。
 洗濯機をどこで購入するかを見当している時に、近くのヤマダ電機テックランドに電話して聞いたのは引取りは可能で3,800円のリサイクル料金と引き取り手数料が必要だということでありました。それはそれで納得のいく話でもありました。

 それで、壊れた洗濯機は処理するのが面倒で、そのまま庭に放置されておりました。すぐに処分しなければ、整理・整頓・清掃の原則に反することになるのですが、ま、そのうちにやろうとは思っていたのです。
 自分で処分するには、郵便局に行って、家電リサイクル料金2,520円を支払って、リサイクルセンターに自ら持ち込まなければなりません。これは一度やってますから、慣れたものであります。

 そこへ、先日はあれほど待ってもこなかった、廃品回収業者がやってきたのです。さっそく呼び止めました。
 「洗濯機持っていってくれますか。」と問うと、「動くのですか?」「いや動かないから処分したいのです。」そうしましたら、運転席からノートのようなものを持ちだして、「9,800円ほど費用がかかりますけど・・・・」と、なんら悪びれることなくノタマウのであります。即座に「なら、結構です、とっととお帰りください」と申し上げますと、「6,000円で、どうですか」と大幅なダンピングを始めたのです。「あれー?家電リサイクル料金って知らないの?、リサイクルセンターに直接持ち込めば2,850円で済むんだよ。それにさっきは無料でお引き取りしますって聞いたような気がするんですけど」「うーん!それは壊れていない場合ですね。」「わかりました、自分で持っていきますからいいですよ」「ならば4,000円でどうすか?」「ふーんヤマダ電機での引取り料金が確か3,800円だったからなぁ」「ま、いいか、運送賃を上乗せしての料金だと思って3,700円だったら、今すぐにこの場で払うよ」「わかりました、それでいいです。」
 かくして私は2,850円に850円の上積みで処分することができました。しかし、これ本当の値段を知らなかったら結構高い料金を支払っていたことでしょう。しかし、それにしても最初の9,800円という値段は、あまりに法外ですよね。それでもたぶん支払う人はいるのでしょう。手間暇を考えたらそれでもいいよと考える人もたくさんいることだと想像します。
 実をいいますと、私の家からリサイクルセンターは結構遠いのです。行徳の塩浜というところへ行くか、船橋まで行かなければなりません。往復のガソリン代や手間暇を考えたら大助かりだったのであります。
 ということで、我が家には今のところ処分しなければいけない、大型ゴミはなくなりスッキリした状態に戻りました。メデタシメデタシ

酷暑と大渋滞の中でも、帰省できる人が羨ましい

 昨日から帰省ラッシュが始まっているようですね。子供が小さかった頃は、まさに大渋滞の中を帰省していましたが、最近はほとんど渋滞の中を走るということは無くなりました。
 誰だって酷暑で渋滞のなかに飛び込んでは行きたくないです。しかし家族全員で、まとまって行動するとなると、休みの関係から、どうしても、そうならざるを得ないのであります。また、お盆の時は他の人達も帰省してますから、久しぶりに会いたい人もでてくるというわけであります。
 我が家では、いつしか家族がまとまって移動するということはなくなってしまっています。おかげで酷暑のなか大渋滞の中にも飛び込むこともないということであります。これはこれで、なんかちょっぴり寂しいような気がします。
 それで、なんで車で帰省するのかといいますと、田舎は車がなければ、なんにもできない場所なのであります。運転することのない電車やその他の交通機関を使って帰省しても、都会のように交通機関が発達していないわけであります。路線バスだって一日に2本なんてことになっていたりします。それでも、まだあればいいほうで、すでに廃止になっている路線なんてものが多くて話にならないのであります。田舎に住むということは、古くても新しくても、軽でも普通車でも、どんなものであっても動く車が必須なのであります。
 だから帰省先に車なしで行った場合には、実家に貼り付けになってしまって買い物にすら行けない事になってしまいます。だから無理してでも酷暑で大渋滞を覚悟して車を使うことになります。実家の周りが、それほどオモシロイものに囲まれているかといいますと、田圃と畑以外になんにもなかったりして、それがいいんではないかなどという人もいますが、そう感じるまでは相当の年月を必要とするものであります。まして小さい子どもたちが一緒となるとそうもいきません。すぐに飽きてしまいますから。
 それでも、お盆に帰省するっていいなと思います。なんか羨ましい気がします。お正月とお盆に帰省するってそれなりのエネルギーを必要としますけれども、なんども言いますが、ジツに羨ましい限りであります。

2013年8月9日金曜日

青い鳥を探しに旅に出ています……。小鳥のことネ written by Keiji

幼き日のことだ、本で青い鳥を見つけると幸せになれると書いてあった。そんでオラは青い鳥を探しに行った、チャリでネ。お前はそんなに不幸だったのかと思うでしょうが、ことのほか不幸でもなかったが、ことさら幸せでもなかったんだ。まぁ、そこそこってヤツだ。探しに行った場所は市川から松戸を越え、江戸川沿いに流山付近まで、雲を追いかけながらチャリをこいだ。一所懸命にだヨ。春の懐かしい思い出だ。なかなか見つからない、青い鳥は。見るのは茶色のヒバリや田んぼにいるシラサギばかりだった。バカなオラもさすがに考えた、簡単に青い鳥が見つかったら、世の中の皆が幸せになり、幸せ笑顔の”変”なヤツでいっぱいになることを。小学生時代のお話でした。

そんでもって、立秋が過ぎたというのに毎日が強烈な暑さだ。この暑さの中、心配になることもある。シロクマやペンギンさん達は元気なのかと? 夏バテはしていないか、熱中症は大丈夫なのかとかネ(スポーツドリンク飲んでるかネ)。動物の心配よりもお前だろって、はい、ボッサ~は暑くてもクーラーなんか(なんかって言うな)つけないでも平気だもん。それに、居間にはクーラーはないから、昭和に買った扇風機がオラの毎夏の友達だ。んで、小鳥のネームだったネ。前編は飼っていたこと、野鳥も飼ったことと、ひどいことをしたネーム。後編は、大好評のもしも喋ったらシリーズの野鳥編、第3の巻という構成だ。いいでしょ、そこで掛け声が「サトー屋、待ってましたー」の声が……。また、鳥と話して、ああだこうだと、ごたくを並べてウソばっかり、言うんだろう? んなもん俺は聞かない、私っだって聞きたくないヨ、暑いんだから。って、チト待ってヨ、ブログは聞くもんじゃネエべさ。見て、読むもんでしょが、と言ったとこで聞く耳を持たない方々に、言ったところでしょうがない。このプログの90万人の楽しみにしている人に発信だ(うそですヨ)。 オラは小さい頃から、小鳥を飼うのが好きだったんだ。小学生の低学年から、最初はジュウシマツだった、皆が知っているスズメ半分ぐらいの大きさの小鳥。犬や猫嫌いな母もなぜか、小鳥は買ってくれた。何でだかは?、聞いたこともない今も。オスとメスの2匹を買った、それと飼うために必要なケージの鳥かご、餌入れや巣も。ジュウシマツの巣は藁(わら)で作ってある。全部で2500円ぐらいだったような?? 小さな箱に入れられた、2羽のジュウシマツを早く鳥かごに入れてあげないと、と思っていた。家に帰り、鳥かごや巣、餌入れを用意し、箱からケージに放すと、うれしそうに「チィ、チィ」と鳴いていた。見ていると動きも機敏で(当時はこんな言葉知らないけど)、忙しそうにしていた。メンコイ、めんこいなぁ。毎日世話をしていたんだ。餌のヒエとアワ、水も毎日あげてネ。オラはハスッパで雑で、メンドウなことは嫌いだけど、こういうことには真剣になるタイプなんだ(何だお前のそのタイプってのは?)。と、思っているでしょうが、弱く小さなモノ(動物・鳥)には優しいんだ。数週間経つと、巣に入ってばかりの1匹が(メスだ)が。数日経つと、雛が生まれていた。オラは驚いた、そっと、巣を見たら口のでかい、お化けみたいな(見たことないけどナ)頭がでかい2センチほどが5匹。せっせと夫婦(鳥ネ)が巣の雛に餌をあげている。感心感心、なんて思いながら毎日、観察をしていた。母も「5匹だね、大きくなったら近所の欲しい人にあげようね」と、何だ、家で飼わないであげるのかよっとオラ。さらに「増えてきたら始末におえないでしょうしょうが」と、始末におえないとは、何でだ、それに言葉の語尾のしょうがって何だ。あんたは(母ネ)新潟県の田舎育ちのハズだべ、と思った。あいも変わらずにドライというか、沈着冷静、氷の発言をする母だと。無事に巣立ちも終え、ジュウシマツは近所でも、欲しいという言う人が結構いて、みな里子に貰われていった。ジュウシマツを飼ってから3年ほど、今度はセキセイインコが欲しくなり、母に交渉。これもすんなりとクリアだった!子供心に何で、簡単に買ってくれるのか不思議だった。セキセイインコの巣は木で出来ている、これも購入。アッ、セキセイインコの嘴(くちばし)の上が青いのがオス、茶色がメスなんだ。チト豆知識ネ。数日経つと巣の穴の横を齧っている、何しているのか? まさか、腹が減って食べているんじゃないだろうと思った。餌は毎日十分に、水浴びが好きなのでお水も毎日、甲イカの骨も下げている。セキセイインコはカルシウムを食べるんだ、だから甲イカの背骨? を吊るしておくのが飼う秘訣なんだ。ペットショップで売っている。でも、よく観察をしているとセキセイインコの夫婦(オスメスだよ)って仲良しなんだ。いつも嘴を合わせてチューばっかしているんだ。オラも結婚した頃、カミサンにその話をして、オラ達もセキセイインコみたいにチューしようヨ。って言ったら「気持ち悪いからヤメテくれない」だって、冷静に言われた。そして数日経ったら、巣には卵が4つ。雛も孵り夫婦でセッセッと餌を運んでいた。じゃ~ん、って感じで、巣から出てきたチビッ子インコのメンコイこと、メンコイこと。そこで、オラはインコの世話から、雛の誕生までを、夏休みの宿題にしたんだ。イラスト(画)と文でネ。先生にほめられて、優秀で金の花丸をもらったのが、ガキの頃の一番の自慢なんだ。その後は、50数年になるがほめられたことは一度もない人生だ。

鳥を飼うことが楽しくてしょうがなくなったオラ。次に飼ったのは野鳥だった。メジロ、ウグイス、シジュウカラ、カワラヒワなどネ。日本野鳥の会の人が読んだら卒倒しそうだけど、当時は野鳥を飼うことは大丈夫だったんだヨ。今は野鳥を飼うことは禁止されているし、輸入許可書があれば1羽だけってOKもあるが。それで、飼っているだけじゃなく、捕ってもいた。日本野鳥の会の方々、昔ですからネ。50年前の話だから、怒らないで下さい。捕る方法はカスミ網と落としと呼ばれる籠だ。カスミ網は秋にセイタカアワダチソウの咲く、広い場所に仕掛ける。5間(9メートルほど)の網を3ヶ所に、1日に数回、かかっていないか見回りに、よくかかったのはカワラヒワやウグイス、モズなんかだった。モズは飼わないので放す。そして、カワラヒワは小鳥屋に売るんだ。1羽500円だった。なかなか、いい小遣いになった。でも、ひどいことをしていたと今は大反省している。カスミ網の販売は禁止されている、使った人は立派な犯罪で前科がつくから、今は絶対にやってはいけない行為だ。落としは飼っているメジロの籠の上に乗せる、メジロが囀(さえず)ると、仲間(メジロ)がやって来る、籠の中には柿やミカンが置いてある、上(天部分)をあげてあるので中に入り止まり木に乗ると、上(天)が閉まるっていう仕掛けなんだ。一度に3羽も捕れたことがあった。メジロは売らないで、欲しい友達にあげたんだ。ネツ、ひどいよね自然に飛んで、幸せにしていた鳥の自由を奪うなんて。ここでまたまた、大反省です。日本野鳥の会の皆さん、昔の話ですから。時効になっていますから。あと、ウグイスは捕ってから、2~3日は餌も食べずに、落ち着かないので風呂敷をかけた籠で飼う。落ち着いてくると、餌(スリ餌)と水をあげると、だんだんと人になついてくるんだ。お正月に”ホ~ッホケッキョ”と鳴かすためには、夜でも電球を入れて明るくする。そうすると、朝夜が分からなくなり、正月ぐらいから鳴くんだ。皆、ウグイスはホ~ッホケッキョと、いつも鳴いていると思っていませんか? 12月ぐらいまではチッ、チッという鳴き方で地鳴きって言うんだヨ。そして、春になってくると皆が知っている、ホケキョと鳴くんだ。ウソじゃないからネ。でも、3月ぐらいになったら飼っていたウグイスささんは放してあげたんだ(偉いでしょ)。バカ、放すなら捕るなよって。はい、それには私も異議なし~です。

これからは後編。つまらん「お前の書いていることはつまらん」。って、大滝秀冶さんみたいに怒らないで読んでネ。今回、アポが取れたのはメジロさん、ヒヨドリさん、カワセミさんです。他にもとったが、ハクチョウさんは海外へ旅行、ツバメさんはお盆で田舎へ里帰り、他にもあたってみたけど、海や高原、別荘へなどと忙しいんだってさ(うそですヨ)。◆最初はメジロさんに、何を聞こうかネ。ウグイスと間違えられるかと、いつも忙しそうに餌を食べている。ってことにした。おはよう、メジロさんいるかい?。庭木に挨拶をすると、スッと飛んできた「呼びましたか? これから仲間と朝ご飯を食べに行くんですヨ」と、朝ご飯はミカンらしい「はい、本当に私達はウグイスさんと間違えられることが度々ヨ。目の周りが白いからこの名のに、失礼しちゃうわ」だって。たしかにネ、きっと皆は和菓子のうぐいす餅を想像するんじゃないかな? あれってメジロさんの色に近いし、それにウグイスさんは茶色で地味。でも鳴き声はいいけど。そして「いつも忙しそうって、猛禽類(ワシ・タカなどネ)や猫さんなんかに襲われないように、2秒ごとの周囲の確認は当たり前なの」そんことも分からないのかとも付け加えた。う~ん、人間も含めて動物は食事と排泄行為をしていると時が、一番隙があるもんな、オラもトイレで何も考えないで集中してるし、メシ食ってる時も美味しいネ、なんてホザイテいるモンな。確信をついた答えにメジロさんに感謝だ。小笠原にはメグロもいるんだヨ。目の周りが黒いんだ。何か山手線見たいでしょ(これ本当)。◆次は、ヒヨドリさんに聞こう。何にするか?何でいつもうるさいのかと、メジロさんをいじめるのかにするか。ヒェーヨ、ヒェーヨ、ピー、ピーョロロって言っているな(鳴き声ネ)「何ダベナ、うるさいとは何を言うんだ、俺たちは昔っからこの声ダべさ。変な言いがかりつけるな」と、ちと不機嫌そうだ。訛りもあるしどこの生まれなんだろうか? もう一つの質問には「メジロさんをいじめるって、別に俺たちはいじめていないぞ。勝手にメジロさんが逃げるんだヨ。でも、餌を見るとどうしても押しが強くなるのは習性ってヤツだな」だって。ふーん、いじめいていないんだ。勢いとその大きさに(メジロより2倍ほど大きい)たじろくのかと思った。◆最後はカワセミさんに聞いてみよう。何でそんなにド派手な服を着ているのかだな? カワセミさん帰ってるか「はいよ今、魚を捕って帰ったとこ。何か用ですか。ド派手とは心外なことを、これは普段着です。毎日、嘴で羽を掃除していますので、きれいなんです。私達は(カワセミね)、と言うより鳥全般がきれい好きなんです。水浴びだってするでしょう。だけど、この色が結構目立っちゃってネ。公園なんかじゃ、人に見られて緊張するし、中にはサインを(うそですヨ)なんて、とんでもないことを言うジっちゃんもいるのよ。でも、年寄りって暇そうでうらやましい」って。何だ、水に飛び込んで魚を捕っているだけかと思ってたら、世の中のことも知っていたんだネ。偉い、偉いだ。

 鳥の仲間は写真の3羽の番(つが)いは、同じような姿だが、だいたいはオスのほうが派手というかきれいだ。人間と違うね、人間は女性が着飾って、お化粧をして美しく見せるでしょ。鳥は逆で、きれいな姿でメスにアピールするようになっているんだ。目立つようにネ。また、木のてっぺんや梢で鳴いているのは、自分の縄張り(陣地)をアピールするため。カッコーなんてのはその典型。木の高いてっぺんで気持ちヨサゲニ鳴いているように見えるけど、オラ~の陣地だ、オラ~の陣地だ他のヤツクルナー、クルナーってアピールをしているんだ。春に開けた畑や、草原で甲高い声で「ケッケーッ、ケーッ」と、恐ろしげな声で鳴くのはキジのオス。初めて聞いた人は何だか分からないで驚くと思うけど、オスが縄張りを主張している鳴き声なんだ。近くに茶色で地味な、オスより小さいメスがいるから来年の春になったら観察してくんなしょ(その頃には忘れているか?)。あと、豆知識:家やキャンプ、アウトドアで雨がかなり降って、鳥の声が聞こえてきたら小振りがやんでくる証拠だヨ。カラス、スズメ以外の野鳥は雨が嫌いなのか、やんでくると鳴き声が聞こえ、外に出たり見たりするとやんでることが多いから(本当だよ)。今回は飼い鳥と野鳥のネームでした。雲ひとつない午後の日。1点はイメージフォト。

written by Keiji

2013年8月8日木曜日

真夏の夜のスキヤキなのだ!

 昨日は、低いところに位置する日枝神社の鎮守の森から、結構強い風が、ひっきりなしに、びゃーびゃーと吹きつけてきて、エアコンなしでも結構過ごせました。こんな感じでこの夏が、終わってくれれば、なんぼウレシイかと思いますが、きっと、そういうわけにはいかないのでしょうね。
 と昨日のうちに書いておいたら、本日は予想していたとおりにアジィのでありました。午後からはパソコンでの仕事があったので迷わずにエアコンをいれてしまいました。この分でいくと今月は、ずーっとこんな感じの暑さが続くのでしょう。
 余りにアジィのは嫌なんですけど、洗濯物を干す身としては、この天気は、このうえもなく嬉しいことですね。これまでとは乾きが違います。本日はいつにもまして洗濯物が多かったのですが、たまたま休みだったアンちゃん二人に命令して3人で干しました。この機会を利用して、ちゃんと干し方も伝授しておきました。干すときに叩くなり、引っ張るなりしてある程度皺を伸ばしておかないと仕上がりが違いますからね。

 もう市川の梨の直売所は、どこもかしこも店開きしているようであります。私が贔屓にしています、近所の直売所も店開きをしていました。今日は珍しく車を使って買い物に出かけましたら直売所の前に車が止まっているのを見かけたものですから、ひょっとしてと見てみたわけであります。
 梨が出まわり始めますと、急速にお盆が近づいてくるわけであります。そしてお盆が終わりますと、ひぐらしが鳴き始めたりしまして、同時に吹く風の色が変化してきて、秋の気配がそーっと忍び寄ってきたりするのであります。と、いう状況は十何年か前だったら、そうだったような気がしますが、最近はいつまでも残暑なるものが鎮座ましまして、「今年は、いつまでも暑いね!」と、互いに交わす挨拶が普通になってきているように思います。
 家族の休みにあわせて出かける旅やキャンプは、どうしても夏休みを利用してのこととなります。夏休みはお盆の季節でもあります。
 これまで旅先やキャンプ地での買いだしでは、様々な地方のスーパーマーケットに立ち寄ってきました。そうしますと、この時期、どこのスーパーでも「お盆セット」なるものが売りだされているのを目にします。そこには、昔懐かしいお盆のセットであったり、「へえー、この地方では、こんなものを飾るんだ」というようなものがあったりで、非常に面白いです。
 ここまで書いてきて、そういえば自分の近所のスーパーではそのような「お盆セット」なるものに、とんとお目にかかったことがないような気がします。ま、ここでの話は地方のスーパーでということにしておきましょう。
 場所は忘れてしまいましたが、砂糖を固めて花の形にしたお菓子をセットで売っていました。落雁というのでしょうか、詳しいことはわかりません。これは懐かしかったです。何十年ぶりかにお目にかかった、そのお菓子を余程購入しようかと思ったのですが、家族は誰も食べないだろうと思い、やめておきました。
 スーパーというのは、外見は全部同じように見えますし、イオンのような大きな会社のスーパーは売っているものも全国全部同じと思い込みがちでありますが、実際に入ってみますと、もちろんお馴染みの商品もたくさん陳列されてありますが、その地域、地域に合わせた特徴的な商品も、数多くみかけることが多いです。それらの地域特有の商品を眺めているだけで結構楽しめるものであります。
 車中泊での旅ではスーパーマーケットに立ち寄るのも一種のレジャーになってしまいます。普段私はスーパーに買い物に行くことは滅多にありません。できるだけ自分で買い物に行ったほうが運動にもなるからと思ってはいるのですが、生来の怠け癖が顔をだしてしまって、ついつい買い物を家族に頼んでしまいます。
 また、今日こそは買い物に行こうなんて思っている時に限って「オヤジ!買い物に行くけど、なんか買ってくるものがあるか?」なんて聞かれてしまうと、先ほどの決意はどこへやらとなるわけであります。

 旅先では午後の3時過ぎになりますと、スーパーマーケットと日帰り温泉と寝グラを探し始めます。晩のビールとおつまみがあればそれだけで安心でありますし、一日の汗を流してしまえば、後は、好きな音楽を流して、通常は目にすることのない風景を楽しみながら、冷たいビールで乾杯して、心ゆくまで晩酌を楽しんで寝てしまいます。寝グラを決めるのは必ず明るいうちにしています。明るいうちに周囲がどうなっているのかをできるだけ把握しておくことにしています。
 暗くなってから、慌てて寝グラを決めてしまうと不安でしょうがありません。ま、滅多なことはありませんけれどもね。
 早い話が夕方、まだ明るい時から一杯やりたいというだけの話でもありますけれども。
 車中泊をやり始めた頃は、結構無理なスケジュールで走り回っていたこともありました。到着した時はすでに日付が変わる頃で、暗闇のなかで適当な宿泊地を見つけられずに、静かな村外れで寝ました。翌朝目を覚まして見渡したら、静かなわけであります、なんと、そこはかなり大規模な墓地の真ん中だったのであります。また海にキャンプに行って暗がりのなかでテントを張って大宴会をやって、翌朝起き出したら、そこは農家の庭先であったなんて、笑うに笑えない話ばかりであります。だから夕方はかなり早めに寝る準備だけは整えてしまっています。
 旅先では必然的にかなり早く寝てしまうことになります。朝の早いのは普段からの習性でありますから、これは仕方ありません。コーヒーを呑んで一息いれたら、すぐに次の目的地に向かって走り出します。いつも妻はぐっすりと寝込んでしまっています。朝は車も少なく走りやすいです。このときの走りで一日の予定する大半の距離を稼いでしまいます。午前3時から走り始めたとしても朝ご飯の食べる8時頃まで走ったとして5時間は走れるわけでありますから、妻がようやく起き出してきて、どこにいるのかが理解した時には大概は驚いてしまうわけであります。

 初めの頃は旅先でスーパーに買い物に行くのは妻だけでありました。私は車に残り、インターネットをやったり、明日の予定を立てたりと別行動を取っていたのです。ところが、毎回、妻の帰りが遅いのです。スーパーに入ったら少なくても1時間はでてこないのです。たまたま遅いだけの話なのだろうと気にもしていなかったのですが、コンビニに大した買い物をするわけでなくて寄っても、なかなか出てこないのです。
 ある時、あまりにもスーパーからでてこないので、痺れを切らして様子を見にいってみました。おつまみを2つか3つ買うだけのなのに小1時間ほど経つというのに、買い物かごにはなんにも入っていないのです。怒り心頭に達して店に入っていったのですが、その空っぽのカゴを見た瞬間に、もう呆れてしまって力が抜けてしまいました。私だったら5分もかからない買い物であります。
 なんどかそんな事がありまして、晩酌をしながらその理由を聞き出しました。その理由は私にとっては驚きのことでありました。
 普段の日は忙しくてゆっくりと買い物をする暇がないので、時間を気にせずのんびりと買い物をするのが嬉しくてしょうがないというのです。そうか、そんな事を考えたこともなかった私はかなり反省したしだいであります。それに、地方のスーパーはじーっと観察していると、結構見慣れないものが置いてあったりして面白くてしょうがないというのです。
 妻の話を聞いてからはスーパーでの食料品調達もレジャーのひとつなんだと思うようになり、買い物にもできるだけつきあうようになっていったのです。でも私がついていくと、余計なものを買ったり、値段を無視した男の買い方をするものですから、すこし嫌みたいであります。でも車にひとりぽつねんとしているのも結構イラつくものですから金魚のうんこよろしくついていくことにしています。
 たしかあれは新潟で立ち寄ったスーパーだったと思います。私は酒売場で焼酎を物色していた時です。隣にきた30代の主婦が、日本酒のコーナーに並べてあった同じ銘柄の日本酒2リットルを20本ほどを、脇目もふらずにドカドカという感じでカートに入れたのです。これには驚きましたね。生まれて初めて目にする情景であります。最初、なにが起こったのか理解できませんでした。
 「この酒は、かなりおいしい酒なんですか?」と思わず口にだしていたのです。普通スーパーで買い物をしていて見知らぬ人に声をかけるなんてことはあり得ませんよね。それほど私は本当にオドロキかつ動揺していたのであります。
「旨いのかどうかは知りません、私は呑まないから。」「???????」
「うちの舅が買ってこいっていうもんだから、このスーパー遠いので、まとめ買いしたんですよ。」
「なるほど、よほど旨い酒なので、買い占めたのかと思ったんですよ」
しばし、二人で大笑いしたのでありました。

 いつも行っているキャンプ場や旅先には、いつの間にか、我が家の御用達となったお店も結構あります。やはり使い慣れている店というのは、どこに何があるかわかっているものですから、安心感というものがあります。
 ある日ルンルンといった感じでその店を目指していったら、
「あれ・・???????なんだかいつもと様子が違うぞ」
「あれ?今日は休みなのかな?」
 駐車場には車は一台もとまっていません。なんとなく胸騒ぎがします。車をおりて近づいていきますと、その胸騒ぎがあたっていました。窓ガラスから透けてみえる店内は空っぽであります。それも昨日や今日閉店したという感じではありません。このあたりには他にめぼしいお店はないのです。あんなに繁盛しているように見えたのに。本気でがっかりもしたし、寂しい思いにとらわれてしまいました。
 こういうお店がすでに3軒ほどあるのです。私の好んで旅するところは大概はドのつく田舎です。年々過疎化が進んでしまい営業的に成り立たなくなってしまうのでしょう。そこに住んでいる人にとっても大問題だと思います。高齢化が進んでいる現在、買い物難民は深刻な問題なのだと思います。ガソリンスタンドも姿をどんどんと消していきますが、この二つは本当に住んでいる住人とっては大問題だと思います。

 最近旅していて目につくのは大型のショッピングセンターであります。私の住んでいる周囲にはほとんどありません。おそらく土地代が高いし、それほど大規模な土地を確保できないからだと思います。その点地方はいくらでも広大な土地はありますからね。核となるスーパーにホームセンター・クリーニング店・ゲームセンター・100円均一ショップ・各飲食店・レンタルビデオ屋・ファションセンター等々名前を上げたらきりがないほどであります。もうその場所に行けばなんでも揃うってやつであります。これは便利ですよね。
こういうところでは、妻はスーパーへ、私はホームセンターに行くのです。この、地方のホームセンターというのも、なかなか面白いところなのです。都会では絶対に売ってないような品物が結構あるのです。たとえば直径2mぐらいの丸いプラスチックの桶なんてものを発見しました。漬け物をつける時に使用するみたいであります。
また、野菜の苗や種は本格的なものが種類も豊富で大量に売られています。たぶん、家庭菜園を営む人もたくさんいるだろうし、本物のお百姓さんも買いにくるのでしょう。私の近くのホームセンターには野菜用の苗なんてものは申し訳程度にしか置いてなくてがっかりした覚えがあります。餅つき用の杵とか臼なんてものが売られているのを目にしたこともあります。案外高くて驚いた覚えがあります。

なんだか旅のことを書いていたら、旅に出たくなりましたね。震災前だったら一年の半分ぐらいは旅の空の下だったのですが、これだけ放射能を撒き散らされた空の下でアウトドアでもあるまいっていう気になってしまって、まったく出かけなくなってしまっています。
それに福島は私のお気に入りの遊び場だったので余計ショックであります。特にあの原発ある周辺はすごくお気に入りだったのです。不思議なことに東海村よりは、原発のことを意識していなかったのです。もう一生行くこともないでありましょうけれども。

2013年8月7日水曜日

いつもいるのに、いぬ(犬)ってかぁの巻 written by Keiji

  また、ふざけたタイトルを書いて。もしも犬がしゃべったら、何かを書くんだろう? って、違うもん。今回はチャンとした犬のネームだ。あなたは犬派か猫派か? なんていうのがあったよネ。犬か猫か、どっちが好きかってことなんだけど、そんなこと聞かれたらオラは答える、チト考えたフリをして。「はい、私は犬でも猫でもないです。ヤギ派です」って。他にも、俺はヘビ派とか、私は魚派とか、う~んロバ派かな、っていう人もいるかも(いないか)。でも、実家の庭が草がぼうぼうで、かるのもメンドウで暑いしそのまま放置していたら、厳格な母が「あんた、暇なんだから庭の草取りをしなさい」なんて、言うから、蚊が多いからマラリアにでもなったら大変だし、バアにも迷惑かけるからとかなんとか誤魔化した。でも、家に帰って来て、ふと頭をよぎることが……。そうだ、あの庭の草をなくすにはヤギさんを飼えばいいんだと。餌もいらないし、小さな小屋でも建ててだ。庭の草がなくなれば、近所にはいくらでも草が生えている。それに、犬の散歩よりヤギさんの散歩の方がインパクトがあるべ、と思った。早速、兄に☎を「草取りにヤギを飼うのはどうかネ。3万ぐらいから売ってるヨ(ネットで調べたもん)」と、出た兄は軽く「お前、またバカなこと考えているな。ヤギなんか飼ったらバアちゃんが何ていうのか、分かってんでしょ」だって(これ本当です)。確かに兄は冷静だ。母は動物が苦手だった。5月の連休にオラが内緒で、小さな水槽とメダカ5匹を買って、母に、これから可愛い5匹のメダカの世話をしなネ。と言ったら「お前はバカか、自分の世話も出来なくてヘルパーさんに来てもらっているのに、真っ平ごめんだヨ」だって。言ってることは正しいけど、メダカの世話だヨ。水換えはオラが、と言っていたのに、思っていた反応だった。でも、メダカさん達は、夏バテもせずに元気に水槽の中をスィ、スィと泳いでいます。親までもオラのことバカ呼ばわりだ。バカを生んだのはお前だろう、と言おうとしたけど100倍返しの言葉が返ってきそうなのでヤメておいた。でも、リードを付けて近所を、ヤギさんを連れて散歩したら面白いと思いませんか。犬よりも大きいし、普段あまり見かけないから、会った人の反応もどうなのか? 「あら、珍しいワンちゃんネ。種類はなんていうの?」って、ヤギと思わずに犬と間違える、オバちゃんなんかもいそうな気がする(いないか)。

そこで、犬のネームでした。オラの家にも小学生から高校まで犬を飼っていた。13年間で5匹ぐらいだったかな? 代々、名前はコロに決まっていたんだ。親戚からもらったコッカ・スパニエル以外は全て雑種だ。今や雑種はミックスなんて呼ばれているけど、それは柴やシーズなどのミックスのことで、なんらかの血筋(血統)がある犬でしょ。オラの飼っていた犬は、雑種の雑種でネイティブな本当の雑種。毛の柄も黒と茶、白と茶とかで耳がたれて、尻尾も丸い中型までの犬だ。でも、人なっつこいので飼うにはラクちん。当時は餌もみそ汁と残りご飯少々、みそ汁の出汁には煮干しを使っていたからOKなんだヨ。たまに、アジのひらきやサンマをあげると、ちぎれるほど尻尾をふって喜んでいたんだ、オラみたく分かりやすい性格なんだ、雑種犬は。でも、悲しいこともあった。いつのまにか子犬が生まれて、段ボールに入れたりして子犬を見ているとメンコイ(可愛い)んだヨ。可愛くて学校から帰ると、すぐに子犬を見るのが日課だったんだ。数日たったある日、段ボールもなく子犬もいない。オラは母に聞いた「子犬どうしたんだ」と、母が「あっ、子犬は保健所の人に持っててもらったヨ」と、その言葉を聞いて悲しくて、悲しくて夕ご飯も食べられなかったんだ。そんな簡単に言うなよ、と思ったが、母のドライな性格は88歳になる、今年も変わっていない。この時は、普段あまり感情を表に出さないネーちゃんも一緒に泣いてくれたんだ。何匹もの犬を飼っていたが、今でも犬に悪いことをしたなと思うことが……。高校2~3年の頃だった、飼っていたコロは歳もとってきて、散歩もいやがっていた。庭に繋ぎぱなしだった。学校から帰り、コロ元気かと声をかけると「ワン」と、小さな声で鳴く。数日後、クォ~ン、クォ~ンと鳴くので、どうしたのかとリードをハズしてあげたんだ。丘の林のほうへ走って行った、それから2~3日しても帰って来なかったんだ。待っていたんだけど。コロは自分で死ぬ場所を見つけて、オラ達に迷惑をかけないようにと、自分(犬ネ)で決着をつけたんだと思った。その時のことを思い出すと、今でもダメだウルウルしてネ。でも、犬は可愛い、自分に正直に生きているような気がする。うれしければ尻尾をふって、怒ってる時は牙を出して吠える、分かりやすい動物だネ。オラは人間以外の動植物は大好きなんだ。昆虫も花も木もネ。猫のチト好きなとこは、逃げても途中で立ち止まり、必ず1回振り返り見るところだ。逃げるならサッサッと逃げればと思うが、違うんだよネ。今度、猫と会ったら追うふりをしてみて、その行動を確認して下さい。面白いから。カミサンの実家の近所に、2年前から犬がやってきた。種類は忘れちまったが、ヒツジを追う牧羊犬だ。その犬には来た時から軽く挨拶はしていたんだ。3日前、奥さんが庭にいたのでオラが犬、かまってもいい? と聞くと「大丈夫、怖くない」と、オラは全然平気ですヨ。だって1回も吠えられたことがないしと。まずは、拳を丸めて低姿勢に、犬の反応を見る、拳の臭いを嗅いで下でぺロリと舐めました。ここまでくれば大丈夫。撫でてあげると、うれしさのあまりお腹まで見せて喜んだ。「私だって、そこまで出来ないのにスゴイのネ」だって。この犬は中型犬だけど、人のゆうことを聞くようにつくられた犬種だから、人間には絶対服従するようになっているんだ。でも、犬って不思議。嫌いな人はすぐ分かるようだ、なかなかなつかないことが多い。カミサンは犬が苦手なので、犬も分かるのかカミサンの近くにはいかないことが多い。今、住んでいるとこはペット禁止だ。飼ってみたい犬は、アラスカン・マラミュートと甲斐犬かな。また、犬を飼ってみたいと思った、夕方でも気温が高い日でした。今回もイメージフォトです。

written by Keiji


誰もが記憶にある風景があるような気がする。それを、ふと思い出すことも……。 written by Keiji

毎日、毎日あぢい日が続き、ゲリラ豪雨だとかで大変な今年の夏。何だか、2011年の3月11日からおかしくなったような気がする。自然全般(天候)も人もだ。東日本大震災があってから、「ひとつになろう日本」「絆」「いつまでも忘れない」「がんばろうニッポン」などなどの、標語? のように言葉や文字などで見かける機会も多いし、野球選手やサッカー選手のユニホームやヘルメットにも書いてある。今回の災害(地震・原発)で日常の普通の当たり前の生活が奪われた東北と関東の人達。自然災害はどこでも、いつでも起こり得ることだ。原発はどうなのか? 今まで連綿と長い間稼働し、福島県は関東に電力を供給してくれていた。東京電力は安全・安心ですって、メディアやマスコミ全般を使いアピールしてきた。数10億円にもなる広告費というより、タイアップ広告だ。数年前に、そんなに安全なら原発を東京へと、言っていた人もいた。今回の震災でちっとも安全じゃないのが、バレちゃったネ。メディアやマスコミも多額の広告費を貰っていたのに、お得意の手のひら返しだった。この国のマスコミや記者達は、おとなしいと思う。ニシンの会じゃなかった「維新の会」だか何だかの石原慎太郎にバカにされて(つまんないこと聞くなとかネ)、返答も出来ない。情けないぞ、石原ぼんぼん太陽の季節の慎太郎も公僕なんだから、だまっていないで言い返せ、家族とせがれも税金で食っているんだから。と思う。それで、火力などではコストがかかるから、再稼働をすることに電力会社はやっきだ。首相の胃があまり丈夫じゃない安部もやっきだネ。でも、安部の広島平和式典の原稿読みはおかしかった。改憲したいと思っているヤツがのうのうとウソを言っているように思えた。原稿を書いた官僚ももうちっと考えてかけヨ、っと思った。オラは考えた、再稼働をする北海道・東北・東京・中部・関西・四国・九州電力会社の方々は、原発の近く、2キロ圏内に家族で住む、関係者の家族も住むようにする。理想の職住接近ってやつだ。交通費も通勤ラッシュもない。広大な土地があるので、その中にスーパーや銀行はもちろん、保育園や小中学校も、おしゃれな奥さんには美容室もある、ほかにも生活の全てが歩いて出来る、クルマはなくても日常生活にはなんの支障もなく過ごせるんだ。年老いたご老人にはホームもあるので、安心安全な暮らしが保障されている。なんて、再稼働が始まったら、どうなるんだろうなと夢を見た。固定資産税は?


  箱モノはどうする? 何てことは考えなかった。まだ、終わっていない壊れてショボイ状態の、福島原発の尻(ケツ)も拭いていないのに、原発を海外に輸出して造ったり、再稼働をすることに疑問を感じたから。でも、オラはひとつになりたくないし、がんばろうって言われても、お前だと言い返す、絆と急に言われても、知らない他人と無理に絆はつくりたくないゾ。と、思っているんだ。でも、3・11の震災は忘れない、忘れることが出来ない。仮設に住んでいる方々、放射線などで避難をしている方々、早く前のいつもの日常の普通の生活に、戻れますように。国もしっかりやれよ、税金を払っていて何もやっていないのは、新宿・歌舞伎町の「ボッタクリ」の店と同じだ。国会議員のあんたがた、本当に真剣にやれヨな。年に約2150万円ぐらいの歳費、税金(血税)をもらっているんだからネ(他にもいろいろと、海外視察なども税金だ)。っとだ。数年前まで政治には金がかかるっていってたクセに、最近は言わないような、金がかかるならやらなきゃいいべ、と思っていたら、倅や娘にやらせているからな(歌舞伎界の梨園か)。いい稼業なんだと思う、政治屋は。あ~ぁ、疲れただヨ。

アッ、風景のネームを書かないとイケナイ。ぽー編集長にまたまた、叱られる。この歳になって叱られることってないからネ。50歳を過ぎてから、奥さん以外に、叱られたことがある人がいたら、会ってみたい。で、理由を聞いてみたいと思う。何のことで叱られたのかと。皆さん、記憶に残っていて、急に思い出したりする風景・景観ってありませんか? オラはあるんだ。生まれ育って34年間過ごした、東京から川を越えれば、すぐ千葉県の町ではなくて。幼き日に、連れて行ってもらった?(連れて行かれただ)両親の実家だ。父は山形県、母は新潟県、小学校に上がる前に上野から汽車(SLだ)に乗って行ったんだ。最初は、新潟県の和島村(市町村合併で今は長岡市)へと、何も知らない純粋無垢なオラだ。上越本線から乗り換え、支線へ乗る、何だか分からないけど、子供心に、随分と遠い地に来たような気がした。着いたとこは、大きな川と田んぼの脇には50センチほどの湧水路が流れていた。見たこともない川と景色だった。小さな流れは田んぼに水を流す、水路だったんだ。んなことは、高校生になって知った。夕ご飯は、母の久々の帰郷とのことで、ゼンマイの煮物、サバ焼き、エゴ(海藻をこねて作る)、刺身(甘エビ、タイ、貝)などなどがテーブルに並んだ。日本海に近いので、海の幸が並んでいた。翌日の早朝、オラは起きて家の裏から北方面を見た。田んぼが広がる彼方に、山が見えた。自分が育った景色とは違い、広~い彼方に見えたのは「弥彦山」だった。子供心に、こんな風景があるんだと思い、驚いたんだ。翌日は、母の実家をあとに、父の実家の山形県へ。父の実家も、田舎でしたとさ。周りは田園、田んぼだぁ~。酒田市から内陸部へ5キロほどの所へ、広~い田んぼの中に家は2軒だった。もちろん親戚。家には牛、馬がいたんだ。本当だから。小さいオラもたまげた、家に牛さん、馬さんがいて仲良く一緒に住んでいるんだから。でも、この時代(49年前)は、それが普通で農家の人達は大事に、大事に、育てて農耕をやって働いてくれている、と聞いた。今や、ヤンマー・クボタなどのメーカーのトラクターなどの機械化が当たり前だけど、当時は馬さんや牛さんが農耕をやってくれていたんだ。馬も牛も大切に育てられている、というか家族と一緒。優しそうな眼差しを今でも思い出すこともある。翌日、オラは小さい時から早起きだったんだ。朝起きて、裏庭から見た山が不思議でしょうがなかった。夏なのに山には白いモノが、それは鳥海山の残雪だった。と、知ったのは中学の頃だった。田んぼの遠くに、雪を抱いた山を見た時は、本当にビックリだった。両親の古里で見た、幼き日の風景が今でも記憶に残っている。何でなのか? 自分でも真面目に考えても分からないんだ。

 そしてもう一つ、忘れられない景色はと言うと。北アルプス・前穂高岳の東の奥又白池なんだ。学生時代に北鎌尾根から穂高まで岩を登り、縦走して雪渓を下りてここでキャンプをした。東には前穂高岳と峰々が、眼下には上高地、遠くにも山々が望まれた。こんな天国のような(見たことないけど)とこがあるんだと、驚いたもんだ。ここには数回、岩登りに行った。数年前に山の仲間と酒を飲んでいた時に、オラが死んだら奥又白池に散骨をしてくれって言ったら。お前が先かどうかは分からないけど、生きていたらやってやる。「でも、奥又へ行けるかどうかだぜ」って。ここへ行くには、上高地から入り、5時間ほどの急登を行かなくちゃダメだった。仲間もオラもジイさんだからネ。でも、本当にいい場所なんだヨ。ここに行くだけの山登りを今もしたいぐらいだ。ふと思い出す風景の場所だ。天晴天気の午前中でした。

written by Keiji

2013年8月6日火曜日

お盆も近いので、死んだらどうなるのかを考えてみたヨ!? written by Keiji

何だヨいきなり、何ですか縁起でもない。って、思うでしよう。でも、皆さん、一度は考えたことありませんか? 生まれてきたのなら、人は必ず死んでしまうってことを。またまた、変なことを書こうとしているんだナ。本当に他に考えることが、あるだろうその歳なんだから、って思うでしょうが、好きなんです、変なことを考えるのが。です。亡くなる原因は、それぞれの人が違う。当然だ、皆が一緒なら地球に住む人類はとうに滅びている。オラは幼い時から母に「姿、形があるものはいつか壊れるか、無くなるもんだよと」言われて育った。母がなぜ、そんなことを言うのか分らなかった。小学生の頃、少しヒネくれていた同級生が「知っているか、俺たちいつかは死ぬんだぜ」と、いきなりオラに言った。その話、まだ生まれてきてから10年も経っていないのに、ショックだった。2~3日、鈍感なオラも考えた。死んだら旨いご飯が食べられない、紙芝居も見られない(近所に週3回ほど来ていた)、テレビも見られない、犬のコロとも散歩もできないなどと悩んだ(悩むことは小さいことばかり)。でも、そんなことは遠い先のことだべさと思い、元気に過ごしていた。高校生の時か、突然にオラが死んだらどうなるのかと考えた。突然にだ。人が生まれ死ぬ時は、潮の満ち引きに関係するなどといわれている。そんでもってだ、天国と地獄があり、生きていた時に立派な行いや、他人に親切、ウソをつかない、いつも笑顔で優しい人だったなどの人は天国に、その反対の人間は地獄にと……。小さな時に見た絵本? にはイラストで天国と地獄が描いてあった。天国はきれいな花々が咲き乱れ、皆が笑顔であったような、地獄は怖い顔の閻魔がいて、行いが特に悪いヤツは熱湯の釜に入れられたり、槍や刀で刺されたり、切りつかれる画だった。なしてそげな絵本と、思うでしょうが見ちゃったんだ。それじゃ、今の政治家はやっぱりもう一つの方が確実だべナ。そしてだ、死んだら生まれかわるとも言われている、本当か? 動物や植物などとも、そんじゃ、また本人にかわったどうするのか? 考えたことある。あるわけないよネ。だってせっかく人生1回きりをリセットしたのに、またそれかヨって、思うもん。いいこと、悪かったこと、辛く悲しいこと、笑顔でバカ笑いしたこと、皆で飲んで楽しかったこと、すごい風景を見て涙流したことはいいけど、それ以外のなどなど、が、もう一度しなさいって言われたら「イヤ、それは勘弁して下さい」っていう人が多そうだよネ。動物にかわれるなら、オラはナマケモノとコアラが絶対、だって忙しくなさそうで、寝たり食べたりしながら日長すごし、敵に襲われることも少なそうな感じがする。動物園で見ていても、そうだもん。他の動物、鳥や魚も含め、餌を探すのに苦労をして、敵に襲われないかとビクビクして生きているように思う。他に生まれかわれるなら、ひっそり山深くに生えている巨樹(木)だ。ナラやブナ、イチイやカツラの木になりてい。希望が叶うならだけど。皆は何に生まれかわりたいかを、聞きたいもんだ。


  人の死には色々と考えさせられる、お前また考えたのか? はい、歳若き頃、60歳前以下ぐらいまでかなぁ、不幸にも事故や病気、不慮の事故で亡くなった場合。その人の家族や友人、知り合いは必ず思い出す。家族なら毎日でも、知り合いなら年に数回、そしてあまり親しくなった知り合いも3年に1回ほど、95歳まで生きて老衰で亡くなった場合はどうかと考えると、むしろ「長生きしたね、したんだ」と言われ、家族親戚は年ごとの供養はしてくれそうだが、友人や知り合いは忘れそうな気もするもんだ。人の死は、どんなことでも悲しい出来事で人生の一大事(本人は分からないと思うが)。家にも小さな仏壇があった、盆の8月13~14日、近所の住職が来てお経を唱えてくれた。15~20分ぐらいだ。この時期、どこの坊さんも大忙し、檀家以外にも頼みがあれば来てくれる。その間の苦痛だったこと。その頃は、家には墓が無かったので迎え火、送り火は省略。仏壇前に回る盆提灯、ブドウや梨、マクワウリなどと、キュウリの馬、ナスの牛などが供えられていた。母に「果物は絶対につまむな」と、言われていたが、普段こんな果物は盆の時だけ。ブドウは分からないように、下から食べていたんだ。盆が終わると、海には土用波がきて海水浴もお終いになる。あと2週間ほどで夏休みも終わり、また学校かあっと、寂しくなった。お盆っていい日本の風習だ。世界の国々にも、似たようなものもあると思うが。年に一度、ご先祖や亡くなった人を思い出し、供養をする。これがあるのなら、オラはいつ死んでも安心だナ(うそですヨ)。


うんで、2年前の5月の連休に青森県の下北半島に旅した。目的は観光と低山登り、満開の弘前のサクラ見物。と、ユルい計画でしょ。恐山の近くは行ったことがあったが、寄らないでいた。なぜか恐ろしそうな景色の写真を見ていたからだ。この時はあえて行ってみた、高野山と比叡山と三大霊場の一つだ。境内に入ると異様な風景が広がった、荒涼とした草木も生えない地だった。血の池地獄や無間地獄などの名がつく場所、賽(さい)の河原などが点在していた。周囲は硫黄臭が漂い、下北の人は「死ねばお山(恐山)に行グ」と言うとも。ここは7月中旬は終わったが、10月の中旬の体育の日までの土と日曜、月曜日の「秋詣り」が開催されて、死者と話が出来る(口寄せ)、イタコ様によって亡くなった肉親や友人の言葉が知りたい参拝者で多くの人が訪れるとこだ。でも、ここの風景を見て、どこかでも見たことがあると感じたんだ。考えたり、思ったり、感じたりと、忙しそうで何よりだネ。って思ったでしょう? 別に思ってないか。全国にある「賽(さい)の河原」と呼ばれている所。亡くなった子供が両親の供養のために、石を積んだり、塔を作ったりするとこらしいが、すぐに鬼に壊されるところなんだって。恐山は奥尻島に行った時に見た、賽の河原の何10倍もの荒涼とし、何かが漂っている、物の怪か死者の霊か、信心深くないオラもチト背中に寒気が走った。その後は弘前城の満開のサクラを見て、岩手の低山に登り帰路に着いた。でも、死んだ人と会話が出来たらいいネ。どんなことを教えてくれるのか? 居心地と生活は? 遊べることは? 金はいるのか? とか、忙しくないの?とか、聞きたいことが沢山あるような気がする。そんなバカなことを考えた、青空が広がる夕方です。

written by Keiji

2013年8月5日月曜日

ちょっと、あの丘のさきまで

 天気予報が予想したとおりに、昨日は結構温度が上がってきました。ただ、まだまだ猛暑というほどのことはなくて、エアコンを使うほどのことではありませんでした。家自体は風通しが良くて、窓を開け放しておけば、鎮守の森から這い上がってくる緑色の風が、かなりの勢いで吹き抜けていきます。だから、ちょっとだけ扇風機の助けを借りればそれで済んでしまうということが多いのです。
 それでも、猛暑となるとそうはいきません。そんなに甘くはありません、そういう時って風も吹かないし、全体に暖められて、淀んだ空気がどんと居座ってしまい、決して動こうとはしなくなりますからね。そんな時には決して頑張りません。別に我慢比べをやっているわけでありませんから、すぐにエアコンのスイッチを入れてしまいます。入れたら最後決して消すことはありません。夜になるまでそのままであります。それでも設定温度は27℃から28℃にしてあります。それに扇風機を併用します。エアコンと扇風機を組み合わせて使う方法はかなり効果的な方法だと思っています。
 そうやって、一日中、部屋を閉めきってエアコンと扇風機に頼ったところに、こもっていると、外の様子がまったくわからなくなってしまいます。ひょっとしたことで表に出てみたら表のほうが涼しかったなんて、たまにあったりします。これはしょうがないですよね。そうしょっちゅう表に出るわけにもいきませんから。

 そうそう、昨日、山形から葡萄が送られてきました。今年初物であります。ただで貰っておいてなんですが、確かに甘くておいしかったです。その時に思ったのは果物には流行り廃りが厳然としてあるということであります。デラウェアという品種の葡萄知ってますか?。透けたような薄い茶色でかなり小粒な葡萄であります。粒が小さいからとにかく食べにくいのです。それに吐き出した皮がツバが付いていて汚らしく感じてしまいます。
 昨日だったかな、近所の梨農家が作る葡萄が抜群に旨いと書きました。巨峰を初め、4種類ぐらいの品種がありますが、それらのどれもが粒が大きく食べやすいのであります。それに当然甘さもみずみずしさも充分であります。自分で金を出して葡萄を買いにいったならば、絶対にデラウェアなどを手にすることはないでしょうね。と、部外者であるウスラバカは勝手なことを言っているのだけれども、果樹というものは1年や2年で変更できるものではないという事も理解はしているのでありますが、商品を選ぶのはあくまでも消費者であるという事実ですよね。だって農家はあくまでも消費者に売るために生産しているわけでありますから。やはり、何年か先の消費動向というものを、厳しく見極めておかなければならないということなのでしょう。かなり、難しいとも思いますが。
 もう少し後の季節になりますが、ら・フランス(西洋なし)なる果物が送られてきます。食べてはおいしいのですけれども、自分ひとりでは絶対に食べたくない代物です。なんでかといいますと、皮をむくのがかなり面倒なのです。妻にでもむいてもらうならば食べてもいいですけれども、自分で皮をむいている姿を想像しただけで敬遠したくなってしまうのであります。いやはや、デラウェアと、ら・フランス(西洋なし)には申し訳ない言葉を吐いてしまったかな。ゴメンゴメン

 まったく家事から解放された土日の2日間は、瞬く間に終わってしまいました。家事仕事もそれほど嫌いではないから、仕事の気晴らしと思えば、適度に体を動かすこともできるので、結構有意義なことだと思っています。ただ、ただ、ひたすらパソコンの前にばかり、へばり付いていたからといって、いい仕事ができるとは限りません。
 特に最近は集中力というものが、あまり持続しなくて、ちょっと複雑なことを考えなければいけない時などは、すぐに逃げ出したくなってしまいます。そのような時は、すかさず席をたって台所にいって、10分も食器を洗ったりします。
 そうしますと、かなりの気分転換になるらしく先ほどのパソコンの前から逃げ出したい気持ちはすっかり消えてしまっていて、新たな気持で現在難解と思われるものに立ち向かっていけるようであります。
 これは昔から気がついていたのですが、人間の頭というのは、同時にいくつもの事を考え続けることができる、というマルチタスク仕様になっているということです。だから、その場で解決できないような処理にぶつかった時に、苦しみながら考え続けても、答えが見つからないことなんて結構あります。
 それが散歩をしている時に突然思いついて解決したり、ご飯を食べている時に浮かんだりと、まったく違う行動をしている場合でも、頭はひとつのことを無意識のなかで考え続けているような気がします。
 だから仕事の中に洗濯物干しとか、食器洗いだとかの、まったく別次元のもののタスクを、交互に織り込んでいく手法というものは、あながち間違いではないような気がするのですが。
 ほぼ毎日、ブログではない、私的な日記を書いています。ブログをまったく書かない日、まったく書けない日々でも、この私的な日記は、ほぼ毎日書き続けています。誰にも見せないものですから、何を書いてもいいわけですし、句読点がデタラメでもまったく気にする必要もないし、前後の文脈が矛盾していても気にしてはいません。時にはその日記からブログのネタを持ってくる時もありますが、基本的には誰にも決して見せないものであります。日記ってのは本来そういうものですけれどもね。
 ブログは書けば書くほど自分のバカさ加減を広く公開しているような気がして、時として滅入ってくることもあります。それでも、できるだけ正直に自分のバカを晒していこうと努力を重ねます。人間はズルい生き物です。特に私はそのズルさの塊のようなヤツでありますから、どんなことをやったって、自分を取りつくってしまっています。そんな自分に気がつくと、たまらない嫌悪感を持ってしまいます。そうすると自然ブログは書けなくなってしまうのです。
 と、書きながらも、この内容にも、なんとなく自分のアザトサを感じてしまうのでありました。
 その点、私的な日記はいいです。まったく取りつくっていないかというと、そうでもないようです。自分で書いて、自分に取りつくっている部分を多々みかけてしまいます。これには笑ってしまいますけれども。ま、それも、ありのまま自分だと思うことにしています。
 その日記に、毎日その日にやらなければいけない家事労働のリストを書き込んでいます。毎日やる家事労働ですから、毎日同じような内容になってしまうのですけれども、それでも毎日、次の日にやる家事労働のリストを書き込んでおきます。終わったら「OK」とか「完了」とか「半分終了」なんて書き込んでいきます。まったくそのような文字が書き加えられない日もあります。そういう日は大概の場合、ひどい二日酔いで死んでいたりしています。でも、まったく気にしてません。日記でもあり、予定表でもあるのですね。そうだここで云おうとしているのは、そんなことでは無かったのだ。
 布団畳む・布団を干す・食器を洗う・生ゴミを処理する・・・・・・。なんていう毎日同じようなリストを書いておかないとどういうことになるかといいますと、その一日が終わってみますと、リストを書かない日の半分のこともやれていないということであります。
 だから、前日には少々面倒でも、その日にやり残した仕事や、毎日のルーチンワークである決まりきった家事の内容を書き示すのであります。
 プログラムであれば、一度書いて実行させれば、毎日この時間にこれをやれ!なんて命令させれば済むのでありますが、ヨレヨレのポンコツ人間にはそのような高級言語はさっぱり理解できないのであります。だから、毎日のように、いや半日ごとにコマンドを書き込んでやらないと、すぐにメモリーがクリアされてしまい、まったく動作しなくなってしまうのでありました。それでも、その都度コマンドを書き込んでやれば動作するんだから、ヨシとしなければいけないのかも知れません。

 先日隣の家が外壁の塗装工事を始めたという話を書きましたが、足場を組み立てるのに、確か、午後の2時頃から初めて6時頃で終わっていますから、4時間ほどで家全部の足場を組み終えたわけであります。すごいスピードだなと感心しています。じーっと観察していたわけではないですから、何人がかりでやったのかはわかりませんけど。
 実は、つい最近まで、個人で足場を購入しようかなと考えていたことがあるのです。そうなると足場の組み方をどこかで学ばなければならないだろうとバカ頭で考えていたのです。まだ調べていませんけれどもネットのどこかに足場の組み方なんてのが、ないかなと思っているわけであります。これは私のまったくの推測ではありますが、家一棟ごと足場を組むだけで少なくても20万円から30万円位にはなるのではないかということです。それを3回やれば100万円ほどの金額になってしまいます。
 ならば、そのお金を使って足場1棟分そのものを自前で持ってしまったらどうだろうかということです。毎日少しずつなら時々手伝ってもらいながらも結構組めてしまうものではないかと考えたのであります。今のところ全体を足場で囲って何の工事をやるっていう具体的なことは思いついては、いないのでありますけれども。確かに職人さんはスゴイですけれども素人だって、ちょっと研究すればできることはたくさんあると思っています。それでどうしてもできない事だけを頼めばいいだけのことだと考えるのであります。
 隣の家の外壁はモルタル塗りですから何年かに1回は、外壁を洗浄してペンキの塗替えをしなければなりません。だから、これからも何回か足場を組んで同じような作業をしなければいけないのだろうと思います。私の家は、現代的な乾式工法ですから、そのような手間暇のかかる工法はひとつも用いていません。お風呂だってユニットバスを工場から運んできてクレーンで吊って、ドンと置いて終わりであります。建築で一番お金のかかるのは人件費なのです。だからいちいち乾くのを待って作業をするなんていう部分を極力省いてしまうわけであります。もっとスゴイのになると、各部屋をユニット化してしまって全て工場で作ってしまい、現場では積み木細工のように重ねて終わりというのもあるみたいであります。友人の話によると、朝出勤するまえに、工事の人が集まっているなと思っていたら、夕方帰宅したら、一軒の家が完全に完成した形で建っていたそうであります。私から云わせれば、それこそ私の理想に近い建築工法だと思います。でもその工法を良く考えてみると、自分でも笑ってしまうほどの貧乏人の発想であることも確かであります。



まだ、四国旅行にいけるかどうかはわからない状態なのですが、今年がダメ出会ったら来年に予定を変更しても一向に構わないということで、少しずつ研究だけは続けることにしました。まずは地理の勉強はやっておいたほうがいいということで、「GIGAマップルでっか字四国道路地図
」なるものを購入して暇な時に眺めています。脈絡なく適当なページを開いて眺めていても、結構自分の頭のなかに、四国全体の地図の線が結べるようになるもんなんですね。これには少々驚いてしまいました。新しい発見であります。
 冊子になっている地図もいいけども、一枚で四国全体がでているのも欲しいです。ただAmazonでは見つけることができなかった。神田の本屋街にある地図専門店にいけば簡単に見つかるだろうと思うけど、この暑さの中でたった1枚の地図を求めてでかける気はまったくありませんね。でも1枚ものの地図2セットは欲しいですね。一枚には詳細なメモを書き込んで、もう一枚は壁に貼って、毎日眺めていれば結構雰囲気が盛り上がってくるような気がします。

山メシに悩んだあの頃、じゃあ今は……!? written by Keiji

 昨日のぽーさんのブログを、暑くてけだるい午後にカミサンの実家で読んでいた。スイカと果樹、キャンプと旅、そして一番いいところ観察しているなと思った、山好きの食事の記述。ゲッ! と思わず、面白いをクリックしていた。スイカも甘かった~です。その山の食事をズバッと書かれてしまったので、正直に白状(書く)します。簡素という文字がぴったり、簡単気軽に時間もかからず、でも、山の食事を知らない人が見たら。それだけなの?と疑問に思い頭に?????ぐらいのハテナがつくはずだ。

40年ほど前の山へ行った時の食事の話。また、そんな過去のことかって思うでしょうが、60年~80年初頭の頃の山は若者で溢れ、中高年の登山者はまれだったんだ。この頃、私は友人3人と社会人山岳会に入っていた。20人ぐらいの会。当時は、3人寄れば山岳会と比喩された。夏には長期間の合宿がどこの会でもあり7~10日間ほど、もっと長く会員が入れかわりひと夏、などと合宿する会もあった。私達の会は、学生と社会人の混成の会。会長をはじめ4人の社会人、私達は金はないが時間はたっぷりある4人パーティ。長野県大町市から黒部ダムの下降路から黒部川へ。ダムには黒部川沿いに登山道があるので道が整備されている。上流は上廊下(かみのろうか)、下流は下廊下(しものろうか)と呼ばれている、どちらかというとベテラン向きのコースかな。会の山登りのスタイルは岩登りがメイン。岩壁を登攀(とうはん)して自己満足と達成感を味わう会だった。今回の合宿の目標は黒部川沿いにある、別山近くにある大タテカビン(不思議な名)と呼ばれる岩壁だった。ここを選んだ理由は、谷川岳・剱岳・穂高岳などの有名な山はほとんど登られ、ハクを付け、会の実力を示すため、まだ誰も気づいていない山域のこの場所を選んだ。バリエーションルートってやつネ。初日は内蔵助平の出会いでキャンプ。ここでの食事は豪華だった。味噌に漬けた(腐らないよう)牛肉を焼き、黒部川で冷やしたワインなどだった。翌日は2班に分かれて壁に登り、どちらの班も事故なくベースキャンプに下りた。この日の食事もなかなかだったが、メニューは思い出せない。焚き火を囲んで、充実感で皆が高揚していた。社会人メンバーは仕事があるので帰路へ。暇あり、金なしの学生組は翌日から雪渓を登り、立山~槍ヶ岳~穂高岳への縦走を計画した。期間は何日になるかは、おおよそで5泊ぐらいか? 適当だった。岩登りと違い歩くだけだから、と思っていたのだ。

2歳上の先輩4人で早朝にベースを出て、真砂沢の雪渓を登る。その時、メンバーのYのパック(ザック)には昨夜残った、25センチほどのチャシューが紐で吊るしてあった。中に入れるよりも、雪渓を吹く風は冷えているからと。2時間ほど登り、Yのパックを3人で見るとチャシューがなかった。皆が驚いて1時間ほど下り探したが、どこにも転がっていなかった。本人も、皆の落胆は大きかったが、しょうがないネ、でお終い。でも、これからの食料事情を考えると一番豪華な食料だった。岩登りには必要なグッズが多い、ロープ(ザイル)・ハンマー・ハーケン(独)・アックス(ピッケル)・ハーネス(安全ベルト)・ヘルメットカラビナ(ロープを通す環)など、登る時に身につけるとガチャガチャ音がするので「ガチャ」なんて呼ばれる。他にも、スプーンやフォークは武器、タバコはモク、遭難者の遺体はオロク、落石はラク・ラ~ク、危ない箇所はショッパイ、山や斜面を横切るはトラバリ、岩場で動けなくなるはミシンを踏むなどとの用語がある。この時は、4泊以上の岩登りの場合、道具は金属モノがほとんどだ。他にも雨具やツエルト(簡易テント)、ヘッドランプ、最低限の食器、ホイッスルと小さなナイフ、防寒ウエア(薄いセーター)などの装備が加わる。40Lのパックに収めるには、重さを削らなければならいモノが出る、一番の軽減が食料だった。その頃の主に食べていたのは、アルファ米というフリーズドライの白米、他にも牛飯、鶏飯などがあった。小さな肉のようなものが少しと、そのような味だった。アルファ米は独特の臭い、香りじゃない。がして、最初のうちはそれなりに食べられるが、5日目ぐらいには苦痛になることもあった。でも、食べ盛りの年齢なので考えずに食べていた。そしてもう一つの問題が、これらのドライ食品は一度加工(炊いて)してから、製品となる。そうなんです、腹もちがが良くない。消化がいいので、朝食べると2時間後ぐらいには腹が減ってくる。山用語でシャリバテと呼ぶ。また、野菜などは長期なので持ってはいけない、味噌を付けたキュウリをかじる夢を見たこともあった。たらふく食べる銀シャリなんかもネ。途中、雨に降られて2日ほど立山で停滞してから縦走を始めた。先輩と3人、腹減ったが合言葉。鷲岳を越え鳶山、薬師岳を越えてキャンプ地の薬師峠のキャンプ場に着く、そこで皆、考えた。この場所はここから他の山へ登る登山者が多いことに。はい、ゴミ捨て場(当時はあったんだ)に。ありました捨てられたり、残したりした野菜類が。私達は食べられるようなモノを集め、よ~く洗ってから見つからないように食べました。美味しくて、おいしくて、タマラナカッタ。ここで、1泊してからこの先をどうする? 縦走するか? と先輩と3人で協議する。皆の意見は一致していた、この先を行っても3~4日かかるので、下りようと。この時に食べたものは、他にもインスタントラーメン、クノールスープ、干しブドウ・バナナ・パイナップル・ピーナッツなどの日ごとに分けた子袋のレーション(行動食)、何日かは餅(重いので沢山持てない)などだった。山小屋にもある程度の菓子やインスタント品は売っていたが、金がないので買えなかった。昔のスープは今のように、子袋に分けてなかったので不便だった。粉は顆粒ではなく、すぐにダマになり味も粉ぽかった。使ったストーブ(小型コンロ)は、燃料はホワイトガソリン使用のホェーブス(小)、当時は「ブス」と呼ばれていた。調理時間は20分ほど、この頃は山に5日以上入るといつも飢えていた。家に帰ってくると、1週間ぐらいは食べても食べても満腹感がなく、食べすぎて口の横が痛くなった。今だから白状すると、バス停に下りてゴミ箱を見ると二つの弁当が。はい、臭いを嗅いでから4人で分けて食べてしまった。本当の話です。

それでは今は、4年前に雑誌のドライフードの企画で、食べて感想を書いたことがあった。パスタやリゾット、ニュメン、梅ワカメご飯などだった。どれもシャレたパーケージで食べてみた感想は、やや塩辛いが旨い~だ。塩分が多いのは山では塩分補給も大切だからと感じた。ドライフードの種類も多い、おにぎりやウナギ茶漬け、おこげスープなどなど、どれもお湯を注げば数分でできるものばかりだ。味も昔のようにイヤな臭いもしない、全てが、そのような風味に仕上がっていた。行動食も高カロリーのモノが何種類もある。ぽーさんが書いていたように、長期間の保存ができるので災害時にも最適だ。でも一つ気になることは、価格が高いということか。登山用具店で売られているドライフードは、押しなべて高価だ。今、スーパーでも同じようなドライフードやレトルト製品などが数多く売られている、その中から山にあった食品を選ぶのがいいかも? 私は日帰りや1泊程度の山なら、コンビニを利用している。おにぎりや小さなカップ麺、甘い菓子パン、レトルト食品などを買うことが多い。今の山小屋は生ビールや生ケーキ、焼き鳥、煮込みなどとメニューも豊富。個室にベットの部屋もある。時代が変わるっていいと思うが、やっぱりお金がないとネ!? また、簡単飯は山好き以外、渓流釣り好きも簡単に済ますことが多い(こちらは釣り時間が大切だから)。でも、山から下りてきて、テントを張り30分ほどで飯も終わり、近くのキャンパーの焚き火の網からいい香りがすると、本当にうらやましくてしょうがなかった。ぽーさんの文章で思い出した山メシの話でした。ちと湿気の含んだ風が吹く日です。

written by Keiji

2013年8月4日日曜日

窓の外にはスイカ売り

 昨日ようやく北陸・東北地方が梅雨明けしたらしいです。まだ梅雨明けしてなかったことに驚いてしまいました。関東地方も来週あたりから猛暑になるらしいです。8月ですから、暑いのは仕方ないことです。暑くならなければ却って心配になってしまいます。ここのところ、涼しくてエアコンどころか、扇風機すら、ほとんど使っていなかったのですが、いよいよ使わなければいけない時期のようであります。

 夏は旬の野菜や果物がおいしくて嬉しくなってしまいます。先日は山形から尾花沢スイカ12個ほど送られてきましたし、山梨から桃一箱に、千葉の長生からメロン2個をいただきました。もう少ししますと、おいしい千葉県の梨が出まわってきます。果樹王国山形の生まれでありますが、千葉県の梨は本当においしいです。それに近くの梨農家が作っている葡萄も驚きの美味しさであります。最初、千葉の市川でなんで葡萄なのかと訝しく思ったのですが、食べてみるとそんな疑念など、どこかへぶっとんでしまう旨さであります。これには脱帽しました。
 楽しみなこと、この上ない季節であります。12個のスイカはにわかスイカ屋になって車に積み込み、隣近所、知り合い、友達に配り回りました。配達作業は、結構大変でありました。「スイカは、いらんかね、尾花沢のスイカはおいしいよ」と配りまわって、延べにすると、軽く一日はかかってしまいましたね。
 でも皆んなに喜んでもらえたのは嬉しかったであります。生産者は義理の弟であります。彼の言葉によりますと、今年は天候不順だったので、スイカの各産地の出荷が重なってしまって値崩れを起こしたらしいです。いつもの年は各産地の順番が重なることがなく値崩れもしないようなのであります。農業もなかなか難しいですよね。そういえば和歌山のスーパーに買物に行ったら、「尾花沢スイカ」が売られていまして、びっくりしたことがあります。

 今年からぬか味噌漬けを密かにやっています。別に密かにではなく、堂々とやってもいいのだけれども。米糠は毎日精米していますから豊富にあります。実際は最初にぬか床を作る時以外はほとんど必要はないのですけれども。そのぬか床を大きなタッパーに入れて、冷蔵庫の野菜室に収納してあります。以前は常温でやっていて、なんどか腐らしてしまったことがありますが、この方法ですと案外旨くいくみたいであります。
 毎日、今が旬の、キュウリや、ナスや、カブや、大根を少しずつ入れて、毎食楽しんで食べております。基本的に醤油が好きなので、あまり塩を入れて、しょっぱくしないようにして、ちょっとだけ醤油を垂らして食べるのが好きなのです。
 最近、ようやくぬか床が、発酵してこなれてきたようで、おいしくなりました。毎日かき回してやろうと思っていますが、いつも忘れてしまって、妻がマメにかき回しているようであります。私は東北生まれの田舎者ですから、野菜をサラダで食べるよりも漬物で食べるほうが好きなのであります。夏から秋にかけては露地物の野菜が安く手に入りますからぬか漬けを漬けるには最高の季節であります。
 トマトを貰う機会が結構あるので、味噌汁に入れて食べたりしています。これって結構いけますね。イタリアンの味噌汁であります。湯むきするのが面倒なのでヘタだけ取って、ぶつ切りにして、そのままぶっ込んでしまっています。またカレーライスに入れても旨いです。この時は面倒臭がらずに一応湯むきをすることにしています。

 アウトドアでは、料理の上手い人は俄然尊敬されます。だから私も尊敬されようと頑張ってはみたのですが、なかなか思ったようになれませんでした。釣り師の方は魚が捌けますからね、そうなってくると圧倒的に尊敬の眼差しを集めてしまうようであります。魚が捌けるというのは自動的に一段上の位に昇ってしまうわけであります。
 以前に銚子港の防波堤に10人前後で釣りにいったことがあります。もう忘れてしまいましたが、その時はほとんど釣れなかったと思います。しばらくしたら、仲間の一人が銚子の市場に行って結構おおぶりなメジマグロ3本を買ってきたのです。
 どこで用意してきたのか、まな板と包丁もあり、紙皿に紙コップに醤油にわさび等々を取り出して捌きはじめたのです。防波堤の上ですから水がありません。そうしたら、血を一滴も流すことなく見事な刺身にしてしまったのであります。血を流してしまえば当然水で洗い流さなければならなくなるわけです。その手際の良さに全員唖然としてしまったのであります。そこからは、当然釣れない釣りなんかは、やめにして、延々とした宴会に突入していったことを思い出しました。
 またある時は千倉の海岸にキャンプに行きました。そういえば若い時のキャンプする場所は、海ばっかりでした。最近は海は暑いので、ほとんど行かなくなってしまっていますけれども。そのキャンプ仲間に元漁師という人が二人いました。また鹿児島の海で小さい頃から魚を獲って遊んでいたというのが一人いました。彼らは銛を持って海に潜っていって大量の魚を獲ってきたのであります。なんだかこのような番組が最近ありましたよね。でも彼らは半分プロのようなものですから、いちいち「トッタドー!!」なんて叫びません。その時に捕獲した魚の中に、生まれてはじめて、黄色と黒のまだら模様の見るからに気持ち悪そうな、ウツボなるものをみたのです。すでに頭は潰してありました。これは結構獰猛で、食いつかれたら指の1本など軽く持っていかれるので、すぐに頭を潰しておく必要があるのだそうです。こんなもの食えるのかと思ったのですが、何の躊躇いもなく、胴体をぶつ切りにして味噌汁に入れてしまったのです。これがまた、油ぽくって旨いんだよね。あれ以来干物にしたウツボは和歌山の友人宅で、一度だけ食べたことがありました。山育ちの私には知るよしもないのですが、海の近くにはウツボを食べる文化があるみたいです。しかし、あんなおいしいウツボは食べたことがありません。もう私には、海そたちの彼らは、神様みたいな人たちでしたね。もうだいぶ昔に、バラバラになってしまって連絡はつきませんけれども、できるなら、もう一度彼らに会ってみたいなと思う、とてつもなく頼もしい男たちでありました。
 キャンプでのそれぞれの料理の仕方を観察していて、ひとつ気がついたことがあります。本格的な山登りから入った人の食事というのはジツに簡素なものであることが多いということです。登山家からみれば「けっ!」っていう目で見られているファミリーキャンプから入った人は、結構凝った本格的な料理を作る傾向にあるということであります。
 どちらもヨーク観察していると勉強になります。山登りの人は、少しでも時間が惜しいと思うのか、手をかけずに、すぐに食べられるものを用意してきます。その中には珍しくて、一般ではあまり手に入らないようなものもあります。彼らの愛用している食事というのは、災害時の非常食に適していると思います。私は軟弱なファミリーキャンプから入ってきましたから、彼らの食事を見て、旅する時にはああいうのでいいんだよなと真似させて貰っています。それよりも簡単なのは牛丼屋や回転寿司屋に入ることですけれども。普段はほとんど外食などしないのですけれども、旅している時は、結構回転寿司を喰っている回数が多いと思います。座ればすぐに廻ってきて食べられるから簡単です。

 最近、家の中のいろんな器具が壊れてしまって、思わぬ出費が重なってしまっています。電化製品等はほとんど同じ時期に購入してますから、同じ時期に重なって壊れてしまうのでしょう。これも仕方のないことです。そんなもんで、今年の夏休みは、なんとなく四国地方を旅してこようかと思っていたのですが、ガソリンも値上がりしてますし、その計画はかなり厳しい状態になっています。なにせ我が家は、自分で笑ってしまうほどの貧乏なのであります。
 それでも昨年は日本海側の福井県の永平寺まで行きましたし、一昨年は太平洋側の和歌山県まで行きました。そうです、もう少しで、もうちょっと頑張れば本州をぐるりと囲い込めるほどまでになっているのであります。だからどうしたと云われてしまうと、それまでの話ではありますけれども。
 そこで今年は広島まで足を伸ばして、しまなみ海道なるところから四国に渡って、ぐるりと廻って帰ってこようかと思っていたのであります。なにせ笑ってしまうほど貧乏なのですから、この計画、どうなるかは、まだ、まったくわかりません。無理なようでしたら、大好きな長野あたりにしておいたほうが無難だとも思っています。

 笑ってしまうほどの貧乏であるならば、それに見合った旅の仕方が、あるのではないかと考えたのであります。これまでの旅は、まったく計画なるものを建てないで、それこそ行き当たりばったりの旅ばっかしでありました。それでは、同じお金を使うにしても、あまりに勿体無いのではないかと、考えたわけであります。旅に出る前に資料を集め研究し、ある程度の計画を建ててみてはどうだろうかと思ったのです。そうすれば、旅の前にシミュレーションとしての旅を楽しむことができるわけであります。そして旅の後では写真やVTRや集めた資料を元にして、ドキュメンタリー映画を制作するわけであります。そこに、ドキュメンタリー映画を作る楽しみと、それを時々VTRで見る楽しみが生まれます。そうすれば、同じお金で4回も旅を楽しむことができるのではないかと思ったのです。

 初めて家族で、北海道旅行をした時の話でありますが、その時もまったく計画を建てることもなく大洗港からフェリーに乗ったのです。あの時は夏休み期間中なのに、奇跡的にフェリーの予約が取れたのでした。それから数回、家族での北海道旅行に行きましたが、一度もフェリーの予約が取れたことがありません。だから青森まで高速道路をひたすら走り続けて青函フェリーのキャンセル待ちをするのです。これが結構時間がかかるのであります。同じようにキャンセル待ちをする車が溢れかえっていますからね。ま、それはそれでいいのですが。

 大洗港からサンフラワーに25時間も乗っていますと、苫小牧港に到着しました。
「うわーー!!ついにやってきたぞ北海道!」までは良かったのですが、当時、北海道に対して、なんの知識も持っていません。道路標識をみれば、「札幌」だの「函館」だのと聞き覚えのある地名は出ていますが、地理というものがまったく頭に入っていないのですから、フェリーから降りて100メートルも走ったら、たちまち迷子になってしまったのであります。
 関東や東北でありましたら、横浜方面とか埼玉方面とかの標識をみれば、大体行く方向がわかりますが、初めての北海道ではそうは行きません。当時はカーナビも装備してなかったので迷子になるのは当たり前の話であります。
 そんなもんですから、北海道での初めての大仕事は、コンビニを探しだして北海道の地図を買うことでありました。これは今回行こうと計画している、四国についてもいえます。四国の中にある、県名さえもあやふやなのであります。それにその県がどのあたりにあるかも良くわかってなかったのであります。この状態でいきなり四国にいったら、最初に北海道に行った時のように迷子になってしまうなと思ったわけであります。
 ただ当時と状況が違うのはカーナビも装備してますし、インターネットも繋がるので、そう心配することでもないのですけれども。香川県、徳島県、愛媛県、高知県の位置関係ぐらいは把握しておいたほうがいいですよね。
 関西・四国・九州方面の県の位置関係というのは、かなりアヤフヤなものであります。大阪・兵庫・岡山・和歌山・奈良あたりの位置関係も、相当にいい加減なものであります。九州となると、まったくデタラメにしか覚えていないのであります。いちど行ってみれば、かなりわかってくるのですけれども。
 そこでできるだけ綿密に計画を練るようにしたのですが、やはり私のいい加減な性格が災いしてしまって、ある程度は、やって見たのですが、これは結構面倒で、しょうがないということで、簡単に挫折してしまいました。
 調べれば調べるほど、なんだか、もう四国に行ってきたような気持ちになってしまいます。同時にあまり心がときめかなくなって行くような気もします。だからあんまり無理して調べることは、やめにすることにしました。とは、書いたけど本当は香川に行ったら、うどんを喰って、徳島では阿波踊りを踊って、一太郎の開発元のジャストシステムの本社を見て、高知では龍馬の銅像を見て、四万十川で泳いで、愛媛では、愛媛では何をすればいいんだろうか?ま、いいか。となると、なんだか最初から予定に縛られてしまって、絶対にそこに行かなくはいけないようになってしまうのが嫌なのかも知れませんね。
 妻はどちらかというと私とは正反対であります。彼女はできるだけ有名な観光地を数多く訪問したいのであります。逆に私はというと、観光地などには、極力近づきたくないのであります。四国の内陸は急峻な山が多いそうです。そこには寂れてしまった山村が数多く点在しているとのことです。私はそういう風景に限りなく惹かれてしまうのです。そういう場所に首までどっぷりと浸ってみたいという思いにかられてしまうのであります。
 ま、いずれにしても旅するまでにはもう少し時間があるようなので、少しは調べてみようと思っています。

2013年8月3日土曜日

もう少しの間だけ隅っこにおいてください

 昨日は朝から涼しかったのですが午後6時になっても、気温が26.7度、湿度が57%であり、かなり涼しい一日だったと思ったわけであります。一昨日から隣の奥さんから外壁の塗り直しをするので、2,3日煩いかも知れませんので、よろしくお願いしますと挨拶がありました。昨日の昼前に工事屋さんの現場監督が訪ねてきて昼から足場の工事をしますのでよろしくとの挨拶がありました。2時を過ぎたあたりから工事が始まったのですが、いやはや、笑ってしまうほど煩かったです。足場の工事なんて、それほど時間のかかるもんでもないと思い、じっと我慢しました。いや、我慢するしかなかったのですが。普段は車の通る音すら、ろくに聞こえないほど静かなところですから、格別煩く感じたのでしょう。

 地方から都会にでてくると、身よりも何もなく、かなり心細く、そしてたまらなく寂しく感じるものであります。故郷には、ボロ屋とはいえども、それなりにやすらぐ家もありますが、ぽっと出の田舎者にはそんなものはありません。地方から出てきた当座は会社が用意してくれた4畳半一間で共同便所の安アパートでありました。その時、なんかのおりに、デラシネとか根無し草とか、という言葉が頭をよぎりました。その後、縁があって結婚もし、子供もできて、家も持ちました。それでも自分の頭から離れないのは「根無し草」という思いであります。たぶんこの思いは死ぬまで消えることがないように思います。
 私が高校を卒業するまでに、3人の身内の葬式を自分の家から出しました。ご先祖様が庄屋であったとか、名主であったとかという名門ではなかったのですが、それなりに大勢の人々が悔みに駆けつけてくれる立派な葬式であったことを思い出します。それは村社会であったから成せる技であったのです。村社会では冠婚葬祭こそ命であったのです。冠婚葬祭をないがしろにするというのは自らを抹殺するに等しいことだったのであります。
 翻って今、私が死んだならば、身内も含めて10人ぐらいしか集まってこないような気がします。ほんの数えるほどの期間しかサラリーマンをやったことがなかったし、会社経営なんていったって、所詮フリーの凡庸なプログラマーでしかなかったわけでありますから、当然といえば当然のことであります。
 決してそれが寂しいなんていっているわけではないのです。それもサバサバしてなかなかいいのではないかと思うのであります。ついでにいえば、死んだ時につけられるなんだかわけのわからない戒名なんてものもいらないなと思うわけであります。実家の宗教は曹洞宗でありますが、別に私が曹洞宗というわけでもないから、あのお経を上げる坊さんもいらないなと思うわけであります。それから「何何家の墓」というのもいらないなと思うわけであります。墓の維持管理にかける金が勿体無いなと思うわけであります。遺骨なるものは、どこぞの海か山か原っぱにばら撒いてしまってくれれば、本当の自由を得られるような気がしてしょうがないのであります。このような事を真剣に考えてる私などは絶対に地方の村社会などには住むことは許されないことなのであります。うーん、どうも昨日から村社会のことを書いていて、私こそが「村八分」にふさわしい奴だということが確実だという気がしてきたのであります。

 若い時からアウトドアに憧れていまして、それで究極のアウトドアは農業だ、なんて方向に変質していきまして、いつしか、どこかの地方で田舎暮らしをしてみたいなんていう、甘い夢を膨らませるようになっていました。それは私のような人間は、絶対にやってはいけないことなのだということがわかってきたのです。今、都会の片隅でひっそりと息を潜めて暮らしているからなんの問題も表面化しないで、自分勝手に振舞っていられるだけの話であったのです。

 何年か前に秋田で百姓を志して半年ほど私にとっては理想のアウトドア生活をやっていた時に知り合った、仙人のような佐々木の爺さん。今考えてみると彼は完璧にイジメにあっていたのです。それこそ村八分に等しい扱い受けていたことを思い出しました。まだ佐々木の爺さんはそこに住んでいますから具体的な地名をあげることはしませんけれども。その集落は6戸ほどの小さなところでありました。そこに入植する前に、その一体のボスだという人のところに挨拶に行きましたら、そのボス爺さんは「絶対にあの家には近づいてはいけないよ」というのでありました。初代面の人間にのっけから不思議なことをいうボス爺だなと思ったけれども、別に私に直接関わってくることでもないので聞き流していました。6世帯10人の中の一人と40万人の中の一人では目立ち方が違い過ぎますからね。たくさんの多様な人々のなかにいればいくら私のような奇行の持ち主でも息苦しくはないのではと気がついたのであります。やはり、地方は旅してまわるところで住む所ではないということを固く肝に銘じたわけであります。

富士山がブームだけど!? written by Keiji

  前にも少し書いたが、今回も富士山のことを書きます。今回のネームは真面目にです。じゃあ、今までのは不真面目だったのかと、問われれば、そんなことはない。読んで、写真を見た方の個人個人の気持ち(感性・個性)のことだから。今年、世界文化遺産に登録されてから、富士山はその後、多くの登山者、観光客が押し寄せている。押し寄せるという表現が、賑わうよりも適切な気がする。でも、富士山を登る。は、今年始まったことじゃない。山好きの女子「山ガール」軽い響きの呼び方だ。ポップ・ビビットなウエア、目立つカラーのパック(ザック)、ツバ広ボウシ、トレッキングシューズ(登山靴)など5年前ぐらいからだ。高尾山、丹沢山周辺、尾瀬などを軽く体験した20代後半~30代の女子(山ガール)。次に登りたい山は富士山だった。その頃から、ツアーバスが沢山運行していた。以前、中央高速のPで、バスから降りる多くの山ガール&バスも目撃した。皆、富士山からの夜行日帰りのバスだ。そして、今年の世界遺産、自然遺産ではなく文化遺産というのが、富士山の不幸だと思う。なぜなら、自然遺産なら立ち入り禁止や、登山規制が出来る、青森・秋田県にまたがる白神山一帯は規制がかかっている。魔法のような世界遺産という言葉・文字。地元は観光客が来て潤うので、登録を願う地方も多くある。その中で、密かにならなければいいと、思っている人もいるだろう。こんな場所を登録をされ、いきなり多くの人が来るのは嫌だ、と思う人も。しかし、絶対的な多数決で全てが決まる世の中だ。そこで、反対しても誰も聞かない。富士山に登る意味、それは登る人まちまち。当然のことだ、日本一高いから、いつも遠くから見ていたから、死ぬまでに一度登ってみたかった、世界遺産だから、友達に誘われたから、奇麗な山だから、何となくマスコミが報道してるし、などと様々な気持ちで登っているのだろう? それでは、富士山に登ってどうだったのか、数年前に登ったので感想を……。

  富士山の登山口は4つある、一番登りの時間が少ない富士宮登山口にした、その分勾配がきついとガイド本に書いてある。7月下旬、日が変わる頃、都内から高速道でクルマで走らせ、早朝4時に五合目に、クルマを止め仮眠。朝起きてみると、すでに駐車場はクルマで一杯だった。ぐっすり寝たので体調もいい。9時頃からから登り、六合目付近からは草木もなくなり、火山岩の砂礫と岩の登りが続く、多くの登山者が登っていた。人の後をついて登れば山頂か、などと思った。七合目付近から急な登りになった、ルート脇には高山病か? 寝ている人を多く見かけた。ただひたすら登るだけ、眼下を望めば景色が見られるが、それほど感動することもなかった。八合目を過ぎるとさらに急な登り、下を見ると多くの登山者が山頂を目指し登って来る。4時間30分ほどで、火口の浅間大社奥宮が祀られている、富士山は古くから信仰の山だ。

多くの登山者はここでお終いにする、が山頂(3776メートル)はここから約300メートル登り(45~1時間)、かつて測光所があった剣が峰だ。この時にここまで登る登山者は70~80パーセントぐらいだったので、山頂は比較的空いていた。山は自己満足と本人の達成感。でも、富士山に登って来たと聞いたら「剣が峰」まで行った? と私は聞いてみる、一応。下山中も登って来る登山者が多い、皆小屋で泊まるのか?午後2時40分ほどで五合目に着いた。登って下りた感想は、よほどのことがない限り二度と登りたくない。だ、これは私の感想だが、山の持つ楽しさがない、樹木や花、歩くたびに変わる景観などが富士山を登っているときにはない、登り、下りてお終いと思った山だった。富士山は登るよりも見る山だとも思う。カミサンにも聞いてみたら「ちっとも登りたいと思わない」と、きっぱり。今年の富士山は山登りができるテーマパークみたいだと思う。ここでアドバイスを、登るなら五合目で最低5時間以上過ごし、山が初めてなら泊まることをおススメする。山は逃げないが気力と体力は無くなってくる。登りたい人は、早めの決断と自己責任で楽しんで欲しい。5年前から登っていた山ガールの次の目標の山は、標高第2の南アルプス・北岳(3193メートル)と、富士山が1位なのは知っていても2位の山を知る人は少ない。自慢じゃないがこの山にも4回ほど登った。バットレスと呼ばれる岩場があり、クライマー(岩登り好き)は必ず登る山。20代から登り、50代には日帰りで登ったが、今では懐かしい思い出だ。今やそんな気力も体力もない、50代からの加齢は若い時の1年が5年ほどの気力、体力が落ちるような気がする。北岳は6月~8月には高山植物が咲き乱れ、登山者も少なく自分だけの山登りが楽しめる。富士山のように簡単には登れないが、登山経験者と登ることをおススメする。小屋で1泊すれば、よりこの山の魅力が分かるはずだ。写真は春の富士山、初春の白馬岳、黒姫山から遠望した北アルプスです。では、みんな山が待っているヨ、よい登山を楽しんで下さい。

written by Keiji