2013年8月16日金曜日

まだまだ、ひぐらしの声が聞こえてきません。夏の終わりはずーっと先のことなのでしょうか。

 珍しく朝の3時に起床して温度計に目をやったら、なんと26℃でありました。昨晩、寝るときに窓を開けてみましたら、結構涼しかったのでエアコンは、やめにして、扇風機を1時間のタイマー設定して寝ました。昼間はエアコンの設定温度を28℃にしてありますので、それに比較すれば今朝は、かなり涼しいといったところでしょうが、ただ、湿度が72%ということですから、そのぶん、いくらか蒸し暑く感じるのでしょう。エアコンを使っていると除湿もやってくれますから、これでかなり涼しく感じるということはあります。
 お盆休みが終わろうとしているのに、まだまだ、ひぐらしの声が聞こえてきません。夏の終わりはずーっと先のことなのでしょうか。

 本日の洗濯は2回にわけておこないました。今日もお日様はやる気いっぱいでギラギラ熱くなっていますので、洗濯オヤジとしては、ウレシイ限りであります。朝から、なんとなくパソコンの前に座っているのが億劫だったので、洗濯は、パソコンから離れる、ちょうどよい口実になります。本日の夕食は珍しく5人全員揃うみたいなので、もう今からご飯を仕掛けておこうかとも思います。これも仕事を放棄するのには、なかなか良い口実であります。だって気持ちがのらないのに、ただパソコンにへばり付いているのは、苦痛以外の何ものでもないですから。こうして日頃からたくさんの逃げ道を用意してあるのであります。いやはや。

 そろそろUターンの車が増えてくるかと思いますが、きっと土日までまとめて休みっていう人も多いのでしょう。受け取るメールの数も極端に少なくなっていますので、まだ帰省先や行楽地から帰ってきていない人が多いのだと推測しています。
 さきほどテレビのニュースを見てましたら、当初の私の予想に反して、今晩からUターンラッシュになるそうです。そうなんです、たとえ日曜日まで休みを取っておいたとしても、ギリギリまで目的地にいるよりも、早めに帰宅して、自宅でレジャー疲れなり、帰省疲れを癒やそうと考えるのが普通でありました。以前の私もそうしていましたから。

【注:このブログは昨日書き始めたのですが、なかなか書き終わらなく今日になってしまいました。だから上の記述は一日遅れだということです。】

 ふと帰省した人たちは、ある意味幸福な人たちなのだと思ったのです。帰省したくても帰省できないという人々が案外たくさんいるのではないかということです。その理由のひとつは経済的な理由というものがありますが、それを除いてのことを思い浮かべたことがありました。
 里帰りしたくても、帰るべき実家が消えて無くなってしまった、なんてこともきっとあるでしょうね。何年か前までは両親が住んでいたけれども、二人共他界してしまい、両親の住んでいた家は売るに売れないし、都会では自分の家があるから、田舎の家まで管理するほどの経済的な余裕がなく、不本意ながら、そのまま放置してしまって朽ちるに任せてしまっていたりします。
 私の郷里は山形県の村山市というところの戸数700ほどの小さな集落であります。私は毎年のように帰省しておりまして、一見すれば自分が小さかった頃の集落とたいして変化がないように思われますが、そこには少子高齢化の波は例外なく押し寄せてきている事実がありました。実家の周囲には空き家がじわじわと確実に増えてきているのです。また時間の問題で半年後、または数年後に、確実に空き家になるであろうと思われる家も多数存在します。自分が郷里から逃げ出しておいて云うのもなんですが、なんでこんな事になってしまったのかと悲しい思いにかられてしまいます。
 空き家の中には親戚の人や知人が管理しているのかはわからないのですが、外見だけをみただけでは空き家とはわからないところもあります。また家も壊されて完全な更地になってしまったところもチラホラ見受けられます。まだ空き家でも普段管理されていれば帰省もできますが、放置されていれば、一日や二日でも、宿泊などはとてもできません。帰省している間中、掃除や補修に追われることになるでしょうから。
 東北の家には雨戸がついていないのが普通だと思います。「冬になって雨戸が凍って開かなくなるから」という理由を誰かに聞いたことがありますが、その真偽の程はわかりません。だから、たとえ空き家になっていてもサッシ越しに白いレースのカーテンが見えるだけですと、そこには、さも人が住んでいるようにみえます。しかし、夜になっても灯りがつくことは決してありません。最初は気にもしていないのですが、それが4,5日も続くと「あれ?あそこの中嶋さんちは、いつも留守だよね。どうしたの」と聞くことになります。「あれ、知らなかったのか、キヨシ爺さんが4年前になくなって、それからオヨシさんが一人で暮らしていたんだが、つい半年ほどまえに亡くなったんだよ。息子が横浜にいるんだけれど、仕事が忙しいらしくて、オヨシさんの葬儀が終わってから一度もきてないよ。」庭は近所の誰かが時々手入れしてくれているらしく、二人が生きている時とあまり変わりがないのが、一層の寂寥感をかきたてられてしまう。

 人がいなくなれば税収もなくなります。そうすると過疎の村の橋や道路は大丈夫なのかと心配になってきます。私のようにノーテンキにド田舎が好きでほっつき歩きを繰り返している者にとっては深刻な問題だと思うようになりました。自分の家の保守管理維持することだって大変なことであるということがわかってきた現在、過疎の集落の公共のインフラを保守管理維持する困難さを想像してしまうのであります。以前はこの橋の先に20軒の家があったのに現在は2軒で2名の住人しかいない、なんて具合であるのに維持するお金は同じようにかかるわけでありますから。行政にとっては負担が大きいのではないかと思うわけであります。これはかなり危ない状況なのではないか、迂闊に過疎の村を走り回れなくなるのではないかと思うわけであります。

 そろそろ旅に出る準備でもしようかと思うのだが、暑くてなにもやる気にならないからズルズル一日延ばしになっています。土日の二日間でまじめにやろうと固く決意しています。うーん、そうはいっても俺の固い決意ほどあてにならないものはないからね。ま、いいか。

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