2013年8月2日金曜日

先日隅田川のホームレスが多く住む河原に寅さんを見かけた気がする。

 今日の朝は特に涼しかった。むしろ寒いと感じるほどでありました。温度計をみると23度であります。今年は梅雨明けして4,5日間は猛烈な暑さに見まわれて、この夏は猛暑のなかを過ごさなければいけないのかと、少々ゲンナリして覚悟をしたのであります。それに反して7月中はグズグズ天気が続き、8月に入ってもそれほど暑いと感じることもない気候であります。なんだか、拍子抜けしてしまいました。
 本日の空模様もドンヨリとしていますので、洗濯物の乾き具合が心配になるところであります。あまり気分は乗らなかったが、いつもどおりに本日の洗濯物をようやく干し終えた。なんだか、それだけで大きな仕事をひとつ片付けたような気になって一休みであります。休みついでに、昨夜録画しておいた「カンブリア宮殿」と「ワールドビジネスサテライト」を、CMを飛ばし、倍速で流し見た。倍速で見る場合はなんとか音声が言葉になって聞き取れるので意味はわかります。3倍速、4倍速となりますと音声は出なくなってしまいます。つまらない内容であったら、その部分は躊躇しないで3倍速、4倍速で飛ばしてしまいます。最近のテレビを見るパターンはほとんどこのパターンになっています。
 そうでもしないと、録画してある番組はどんどんと溜まってしまうのであります。溜まった結果、結局一度も見ることもなく削除してしまいます。テレビ放送を実際の番組放映時間に合わせて視聴するということがまったくなくなりました。なんだか時間が限りなく勿体無く感じてしまうのであります。また自分で見たい番組は予約録画をしてあるのですが、それを見た後でまた見たくなるものがあると思って削除しないであったのですが、2度繰り返し見てみたいほどの番組などほとんどないということであります。ですから面白かった映画以外は、一度見たら躊躇いなくドンドンと削除してしまいます。

 以前であれば、例えば洗濯物を干すとか、食器洗いをするとかといった場合には、見ることもないテレビをつけていましたが、それすらもやらなくなりました。それは電気料金が勿体無いなどという意味ではありません。何気なく聞こえてくる番組の内容があまりにもくだらなくて腹がたってくるからです。最初の頃はそれでもリモコンを使って番組を変更していましたが、変更しても内容はそれほど違いがなくて、また腹をたててリモコンに手をやるということになってしまいます。
 洗い物をやっている時には濡れた手をいちいちタオルで拭かなければいけないので、それで腹立ちが倍加してしまうという悪循環に陥りますから、なら最初から見なければいいのだという結論に達してしまいました。

 ここでテレビは、クダラナイとか、面白く無いといっているのは、あくまでも私の個人的な感想であります。世の中そんなにオモシロイものばかりで溢れかえっていると、却って困ってしまうことになります。それに私がオモシロクないとは思っていても、世の中の大半の人はオモシロイと思っているわけであります。その証拠にテレビ局には膨大な広告費とか、受信料が支払われているわけでありますから。たぶん私の感覚がかなりズレているというのが正しいのでありましょう。

 こういった、ひねくれた人間は往々にして「村八分」に遭いやすいのであります。いや絶好の村八分のターゲットなのであります。まして、テレビはおろか、新聞すらも見なくなって10年以上たつわけでありますから尚更のことであります。

「あんな、くだらない新聞にわざわざ金を払うなんて、気が知れないよ。」
なんてことを、村の人がいる前で不用意に吐いたりしたら、命取りとなるのです。いくらつまらない新聞でも、それを毎朝配っているのは、あのハズレの長七とこの嫁なのですから。長七とこの嫁といっても、すでに65歳は超えてしまっています。肝心な長七もすでに他界しており、長七というのはすでに屋号になっており、実際は長七の長男の長吉の嫁のタネなのであります。長吉の嫁のタネが毎朝配達しているのは「毎朝限界集落新聞」でありますが、隣のオチメ集落の朝元あんちゃんの配達しているのは、全国紙の「ゴミ売り新聞」であります。人によっては3ヶ月に一回は購読する「毎朝限界集落新聞」と「ゴミ売り新聞」を交換したりしてバランスを保っているわけであります。集落のまとめやくの源五郎78歳は、昔から両方を購読して威厳を保っているわけであります。彼、彼女らは地縁、血縁関係と義理とでがんじがらめの中でなんの疑問も持たず、息苦しくもなく気の遠くなるような年月の間を生きてきたわけであります。

さて、その不用意に吐いたあなたの言葉はそれから1時間もしないうちに世帯数8戸人口14人の集落に瞬く間に伝わるのでありました。それも尾ひれあひれがついて針小棒大な内容に変貌して一人歩きするところが怖いとこなのであります。

テレビを見ない、新聞も読まないなんてことになると、その集落の人間を根本から否定することになります。ほとんどの集落の人間は少しだけ自給自足の年金暮らしなのでありますから、とにかく暇なのです。だから届けられた新聞は隅から隅まで読みますし、特にテレビ欄は目を皿のようにして見ます。どの家庭にも立派な50型以上の液晶テレビが備え付けられていて、日がな一日、テレビを見続けているのですから。茶飲み話のなかには、必ずNHKの朝の連ドラがでてきますし、大河ドラマに高校野球、相撲に、のど自慢にと、私だったら一切みない、いや、大っ嫌いな番組のオンパレードであります。
「けっ!お前らバカか、そんなクダラナイのを朝から晩まで見てるってか!?」なんて事を言ってしまったら、もう結果は目に見えるようでしょ。そんなところに住むもんではありません。いくら田舎暮らしに憧れていても、そこで生活してはいけません。地獄以外の何ものでもないと思います。

誰かが数日前に「フーテンの寅」さんの事を書いていましたが、寅さんはその事を誰よりも本能的に知っていたのです。だから、一定の場所に落ち着くことはしなかったのです。生まれ故郷の柴又帝釈天にだって長くいることはなかったのです。帝釈天だって、基本的には村社会なのです。たまに帰ってくるから、最初のうちは歓待されるけれども数日いると雲行きが変わってきます。都会にだって村社会は厳然としてあります。それは自治会であったり、ひょっとして貴方の勤めている会社であったりしてね。そして、学校でも会社でも「村八分」というイジメが蔓延っているのです。それが、あなたと私の住む日本であります。

 そういえば先日隅田川のホームレスが多く住む河原に寅さんを見かけたような気がします。寅さんはどこへいっても真ん中に座ってみんなに大切にされています。そこには屈託のない笑い声が響いていました。

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