2013年8月6日火曜日

お盆も近いので、死んだらどうなるのかを考えてみたヨ!? written by Keiji

何だヨいきなり、何ですか縁起でもない。って、思うでしよう。でも、皆さん、一度は考えたことありませんか? 生まれてきたのなら、人は必ず死んでしまうってことを。またまた、変なことを書こうとしているんだナ。本当に他に考えることが、あるだろうその歳なんだから、って思うでしょうが、好きなんです、変なことを考えるのが。です。亡くなる原因は、それぞれの人が違う。当然だ、皆が一緒なら地球に住む人類はとうに滅びている。オラは幼い時から母に「姿、形があるものはいつか壊れるか、無くなるもんだよと」言われて育った。母がなぜ、そんなことを言うのか分らなかった。小学生の頃、少しヒネくれていた同級生が「知っているか、俺たちいつかは死ぬんだぜ」と、いきなりオラに言った。その話、まだ生まれてきてから10年も経っていないのに、ショックだった。2~3日、鈍感なオラも考えた。死んだら旨いご飯が食べられない、紙芝居も見られない(近所に週3回ほど来ていた)、テレビも見られない、犬のコロとも散歩もできないなどと悩んだ(悩むことは小さいことばかり)。でも、そんなことは遠い先のことだべさと思い、元気に過ごしていた。高校生の時か、突然にオラが死んだらどうなるのかと考えた。突然にだ。人が生まれ死ぬ時は、潮の満ち引きに関係するなどといわれている。そんでもってだ、天国と地獄があり、生きていた時に立派な行いや、他人に親切、ウソをつかない、いつも笑顔で優しい人だったなどの人は天国に、その反対の人間は地獄にと……。小さな時に見た絵本? にはイラストで天国と地獄が描いてあった。天国はきれいな花々が咲き乱れ、皆が笑顔であったような、地獄は怖い顔の閻魔がいて、行いが特に悪いヤツは熱湯の釜に入れられたり、槍や刀で刺されたり、切りつかれる画だった。なしてそげな絵本と、思うでしょうが見ちゃったんだ。それじゃ、今の政治家はやっぱりもう一つの方が確実だべナ。そしてだ、死んだら生まれかわるとも言われている、本当か? 動物や植物などとも、そんじゃ、また本人にかわったどうするのか? 考えたことある。あるわけないよネ。だってせっかく人生1回きりをリセットしたのに、またそれかヨって、思うもん。いいこと、悪かったこと、辛く悲しいこと、笑顔でバカ笑いしたこと、皆で飲んで楽しかったこと、すごい風景を見て涙流したことはいいけど、それ以外のなどなど、が、もう一度しなさいって言われたら「イヤ、それは勘弁して下さい」っていう人が多そうだよネ。動物にかわれるなら、オラはナマケモノとコアラが絶対、だって忙しくなさそうで、寝たり食べたりしながら日長すごし、敵に襲われることも少なそうな感じがする。動物園で見ていても、そうだもん。他の動物、鳥や魚も含め、餌を探すのに苦労をして、敵に襲われないかとビクビクして生きているように思う。他に生まれかわれるなら、ひっそり山深くに生えている巨樹(木)だ。ナラやブナ、イチイやカツラの木になりてい。希望が叶うならだけど。皆は何に生まれかわりたいかを、聞きたいもんだ。


  人の死には色々と考えさせられる、お前また考えたのか? はい、歳若き頃、60歳前以下ぐらいまでかなぁ、不幸にも事故や病気、不慮の事故で亡くなった場合。その人の家族や友人、知り合いは必ず思い出す。家族なら毎日でも、知り合いなら年に数回、そしてあまり親しくなった知り合いも3年に1回ほど、95歳まで生きて老衰で亡くなった場合はどうかと考えると、むしろ「長生きしたね、したんだ」と言われ、家族親戚は年ごとの供養はしてくれそうだが、友人や知り合いは忘れそうな気もするもんだ。人の死は、どんなことでも悲しい出来事で人生の一大事(本人は分からないと思うが)。家にも小さな仏壇があった、盆の8月13~14日、近所の住職が来てお経を唱えてくれた。15~20分ぐらいだ。この時期、どこの坊さんも大忙し、檀家以外にも頼みがあれば来てくれる。その間の苦痛だったこと。その頃は、家には墓が無かったので迎え火、送り火は省略。仏壇前に回る盆提灯、ブドウや梨、マクワウリなどと、キュウリの馬、ナスの牛などが供えられていた。母に「果物は絶対につまむな」と、言われていたが、普段こんな果物は盆の時だけ。ブドウは分からないように、下から食べていたんだ。盆が終わると、海には土用波がきて海水浴もお終いになる。あと2週間ほどで夏休みも終わり、また学校かあっと、寂しくなった。お盆っていい日本の風習だ。世界の国々にも、似たようなものもあると思うが。年に一度、ご先祖や亡くなった人を思い出し、供養をする。これがあるのなら、オラはいつ死んでも安心だナ(うそですヨ)。


うんで、2年前の5月の連休に青森県の下北半島に旅した。目的は観光と低山登り、満開の弘前のサクラ見物。と、ユルい計画でしょ。恐山の近くは行ったことがあったが、寄らないでいた。なぜか恐ろしそうな景色の写真を見ていたからだ。この時はあえて行ってみた、高野山と比叡山と三大霊場の一つだ。境内に入ると異様な風景が広がった、荒涼とした草木も生えない地だった。血の池地獄や無間地獄などの名がつく場所、賽(さい)の河原などが点在していた。周囲は硫黄臭が漂い、下北の人は「死ねばお山(恐山)に行グ」と言うとも。ここは7月中旬は終わったが、10月の中旬の体育の日までの土と日曜、月曜日の「秋詣り」が開催されて、死者と話が出来る(口寄せ)、イタコ様によって亡くなった肉親や友人の言葉が知りたい参拝者で多くの人が訪れるとこだ。でも、ここの風景を見て、どこかでも見たことがあると感じたんだ。考えたり、思ったり、感じたりと、忙しそうで何よりだネ。って思ったでしょう? 別に思ってないか。全国にある「賽(さい)の河原」と呼ばれている所。亡くなった子供が両親の供養のために、石を積んだり、塔を作ったりするとこらしいが、すぐに鬼に壊されるところなんだって。恐山は奥尻島に行った時に見た、賽の河原の何10倍もの荒涼とし、何かが漂っている、物の怪か死者の霊か、信心深くないオラもチト背中に寒気が走った。その後は弘前城の満開のサクラを見て、岩手の低山に登り帰路に着いた。でも、死んだ人と会話が出来たらいいネ。どんなことを教えてくれるのか? 居心地と生活は? 遊べることは? 金はいるのか? とか、忙しくないの?とか、聞きたいことが沢山あるような気がする。そんなバカなことを考えた、青空が広がる夕方です。

written by Keiji
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