2015年4月21日火曜日

これを称して私は「作務」というのです

たまにはルーチンワークもいいもんですね。自動処理を組むにはファイル数にしては手間がかかるような気がして、しょうがないから面倒でもひとつひとつ手作業でやる決意をして臨みました。
久しぶりのルーチンワークであります。てもやってみると結構気分的には仕事をやった感が大きくていいもんですね。

昔、秋田の山奥で百姓のまね事をやっていた時に延々と草むしりや、スコップと鍬で畝作り等をやった時のことを思い出したました。これらの作業はやる前には、「嫌だな、機械でなんとかならないかな、誰か代わりにやってくれないかな・・・」なんて考えたものでありますが、やってみると案外面白くて体はそれなりにきつかったのですが、精神的には晴れ晴れしていましたね。
それに自分の肉体だけでやった仕事が目に見える形で残るというのはある意味自分だけの感動であります。
もっとも草むしりなんていうのは、これから夏に向っていくと雑草の生命力はすさまじく、私のノロノロ作業では追いつかなくなっていくのですが。話は唐突に家事労働に飛びますが、これも草むしりに似ていると思います。取っても取っても新たな雑草が次々に生えてきます。永遠にキリがないようにも思われます。食器洗いだって、食事を食べれば常に発生するわけであります。掃除だってやろうと思えば一日中やり続けたってこれでいいという事がないわけであります。

確かに世の中には、一般的に大きな仕事と思われることをこなしている人も立派ではありますが、誰にも見向きもされなり、草むしりとか食器洗いをコツコツこなすシアワセってものが確実に存在するのだという事を、かなり歳を取ってからわかってきたわけであります。

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