2016年4月25日月曜日

水仙と藤の花

寒かった日々が遥か遠くに感じられるようになったこの頃は、けなげな梅一輪を見初めたヨロコビや、待ち焦がれた妖艶な桜の群舞する姿に打ち震えた感動も遠い昔のことであったようにも思われてきます。陽射しはますます力強くなってきました。
わがままといわれてしまいますが、寒いのも嫌ですけれども、暑いのも嫌なのです。若い時には暑いだの寒いだのはまったく気にならなかったものでありますが近年はそのどちらも苦手なのであります。何をいわれてもそうなんですから仕方がないのであります。

先日「なめことサヤインゲンの味噌汁と」というブログを書きましたが、その後に、あれ?あれはサヤインゲンではなくてサヤエンドウだったのではないかと思ったのですが、なんとなくサヤエンドウが正しいような気がしてきたのですが結局よくわからないのでありました。

昨晩妻が藤の花が咲いているといった。7、8年前に秋田県で単身百姓の真似事をしている時に、市内で買い物を終えて農園へもどるべく山道を走っている時に周囲の山々に白ぽい花のようなものを認めたのです。傍らに乗っていた地元の知人にあれはなんだと訪ねると、別に珍しくもないように藤の花だというのです。
それまで見てきた藤の花というものは、公園の藤棚の上から綺麗に紫色の花のふさが垂れ下がっているものばかりであったので驚きました。知人に聞いた話では藤の木は近くの大木に巻き付いて成長し、最後には巻き付いた木を締め殺しにしてしまうのだそうであります。野生の藤の木というのは美しい花々の陰にそら恐ろしい陰謀を秘めた植物だったのであります。それはまるであの大陸の謀略国家のようであります。
以前は物珍しさも手伝ってTwitterなんかも盛んにやっていた時代だったので、その事をつぶやきましたら、さっそく男鹿半島に住んでいるという人から、男鹿半島にもかなりたくさんの野生の藤の木がありますよとリツイートしてきたので、こちゃあのんびりと野良作業などをやっている場合ではないと、農作業を時々手伝ってくれていたやっちゃんと二人で、仕事をほっぽらかして藤の花見にでかけたのでありました。
この事からも容易に推察できるでしょうけれども、まず理想は高かったのですが、とうてい本物のお百姓さんにはとても敵わない、いい加減な農業志願者だったわけであります。
そういえば、田んぼの一角に水仙を山のように植えたらさぞ綺麗たろうなと思いなけなしの財布をはたいて球根を10個あまり購入して植えつけたのです。それを散歩にきていた近所のおじさんに見られて、「なにをしているんだ」「この田圃全部に水仙を植えれば春先はきれいだろうなと思って」「おい、今から俺んちにきてみないか」というので、またまた野良仕事をほっぽり投げてノコノコとついていったのであります。
大きな屋敷を通り抜けて裏側にまわっていったら、そこには信じられないぐらいの膨大な量の水仙の花が咲いていたのであります。「こんなもの、なんの役にもたたんのに、わざわざこの状態にするってか?」私は目を疑ったし呆けたように口をあんぐりと開けて言葉がでませんでした。
それはそのおじさんが物心ついた時からあったそうです。あっても邪魔になるだけのものですから、一切手をかけたことがないそうであります。ほとんど野生化した水仙畑でありました。
この時期になりますと、秋田での百姓の真似事をしつつ放浪していた時期を懐かしく思い出してしまいます。それは初夏のまぶしい陽射しの下の風景画のようであります。

2016年4月24日日曜日

なめことサヤインゲンの味噌汁と

にわかに強い風が雨をともなって吹き付けてきました。そういえばここのところ天気予報をまったく気にしていなかったので今日は一日雨降りなのかと思ったが予想は見事にはずれたようであります。
今朝のにわか雨ではないのだが、唐突になめこの味噌汁と食べたくなった。ここ数ヶ月はかかりつけの医者に塩分を摂り過ぎるきらいがあるので、いっそ味噌汁はやめてしまったらと云われたのでほとんど食べていなかったのであります。
ご飯と味噌汁は対をなすものであるし、現在炭水化物を出来る限り摂取しない糖質制限食を実行している真っ最中なのだから迷わずやめることができたのであります。
それがどうしてもなめこの味噌汁が食べたい、それにサヤインゲンも入っていれば最強だなと思って、晴れ上がった空の下をトボトボとなめことサヤインゲンを求めてスーパーに向ったのでありました。
頭のなかがなめことサヤインゲンの味噌汁で満たされてしまうと、それはあたかも連想ゲームのように白い温かいご飯も突如浮上してきてしまって、かなりやばい状態となったのであります。
スーパーでサヤインゲンを物色していたら、長芋が目に飛び込んできました。温かいご飯に長芋を大量に流し込んでそのままガッシガッシとかき込む己の浅ましい姿が見えてきまして、三度までは打ち消しましたが、味噌汁と温かく白いご飯の誘惑にはどうしても勝てずに・・・・・。
それでもとこかに、いとも簡単に誘惑に打ち負かされた罪悪感というものがありまして、白いご飯は申し訳程度にして大量のヤマイモに生卵をかき混ぜて他のおかずには目もくれずに、サヤインゲンとなめこの味噌汁とともにガッシガッシと力強くかき込んで至極の幸福を味わったのでありました。

たまにはいいのです。あまりに抑制してしまえば精神にも異常をきたすのだからと盛んに自分にいいわけをしたのですが、このままズルズルと糖質制限療法が崩れてしまうのではないかという恐れもちょっとだけ頭を持ち上げてきました。
考えてみるとすでに異常者なのだから、それが異常をきたすということはいくらかはまともな人間になることではないかなどと愚にもつかない考えが浮かんできたことも確かなことでありました。

2016年4月23日土曜日

漂う風に五月の香りを感じてしまったのだけれど

ほんのちょっとだけ漂う風に五月の香りを感じてしまった今朝の心模様でありました。毎日作文だけは書かなくてはいけないなと決めてはいるのですが、どうしても気持ちがついていけなくて、ここのところはちいーとばっかしサボりがちであります。
作文が書けないのなら、読書の時間にシフトすればいいではないかという思いがよぎるのですが、心とか気持ちというのは、そうそう都合の良いようにできていなくて、なんとなく仕事にも身が入らないし、散歩にでる気にもならないのであります。
漠然となんの役にもたたないテレビで地震関係の番組を眺めていたが、どのチャンネルに移動しても間の抜けた内容になってしまっていました。もっとも何の役にもたたない私ごときがリアルに詳細な情報を得てもしょうがないことなのですが。
ま、そんな状態でなんとか気分転換をはかろうともがけばもがくほど、ずるずると蟻地獄に引きこまれていくような感覚を覚えてしまいます。しょうがないですよね。こういう時は、なすすべもなくてただ首をすくねて自分の内から強力怠惰菌が消え去ってしまうのをじっと待つだけのことであります。

震災発生時のブログでオスプレーを投入するべきだと書いたら、すぐさまに米軍から協力の申し出を受けて政府もただちに快諾しましたね。
自衛隊はすでにオスプレーを何機か持っているもんだと勘違いしておりました。バカですね。それにヘリコプター空母を横付けにして物資と医療施設に利用すべきだとも書いたのですが、日本にはヘリ空母なんて存在してないんですね。
でも何かで、ヘリ空母のようなものをみた記憶があったものですから「???」と思っていたのですが、なんとそれを「護衛艦」っていうんですね。だいたい私には「護衛艦」っていうものが何をするものかもわかっていないのですが、あれはどうみてもヘリ空母ではないですか。
「ひゅうが」っていったっけ、艦名は間違っているかも知れない。そのヘリ空母とオスプレーが連携して救援任務にあたっているではないですか、素晴らしいことだと思いましたね。もう少しこのあたりの事を勉強しなければいけないなと痛感しました。

大きな災害になりますと、全国から警察・消防・自衛隊が動員されますが、この組織の動員の仕方に興味があります。普段からそれほど余分な人員を抱えているわけでないのですから、通常業務もこなしながら、緊急時には全国から大量の人員を集めて投入しなければならないわけでありますから、かなり大変な事だと思います。
こういう事ってたぶん法律で決められているのでしょうけれどもそのあたりもまったくわかっていません。消防なんていうのは各自治体単位で組織されているわけでありますし、警察は都道府県単位ですよね。自衛隊は全国組織だとは思うのですが実際のことはまったくわからずであります。だいたいこれまでこんなことを考えてみたこともありませんでしたけど。

また、まったく性格の違う組織が被災地に集まってきての指揮命令系統ってのにも興味のあるところであります。もちろんこの緊急時に縄張り争いなんてことはやっていないことでしょうけども。
情報の収集・分析・計画・実行ってどうなっているのか、マスコミの情報からではさっぱり理解できません。地震学者を集めて役にもたたないデタラメ地震予測談義を延々とやっているだけであります。
警察・消防・自衛隊に加えて該当する自治体や医療関係・ボランティア等々も加わってくるわけであります。
できるだけ力の分散・重複を避けて、今一番やらなければならないこと、次にやらなければいけないこと等々と時間の経過とともに仕事も増えていくし、問題もより複雑細分化していくわけでありますから、現場での司令塔がより重要になっていくものだと思うのですが。

それから、支援部隊の食事はどうなっているの、寝る場所はどう確保しているのトイレは・・・・。救援に入っている人びとも公務員とはいいながらも、同じ人間だと思うのです。それを根性だとか愛国心だとかという言葉で片付けては決していけないことだと思います。

現地では信じられないことですけれども空き巣や強盗が発生しているということです。警察でいうと何課の担当になるのかわかりませんが、かなり早い段階で空き巣強盗対策担当刑事を密かに私服で配置しておく必要なのではないかとも思います。
この空き巣強盗集団は自衛隊の災害派遣よりも早く現地に潜入するという話を耳にしました。オレオレ詐欺なんかも私には信じられない話なのですから、そんなこともあるだろうなと思えてきます。

また多分これは機密事項だから決して表には出てこないだろうけれども公安の人員も配備されていますよね。これ以上書くとヘイトスピーチと云われそうですけど本当に油断がならない世の中ですからね。

2016年4月18日月曜日

八重桜と夏みかん

ここのところ、ぐうーんと気温があがってきました。特に今朝は室温が23℃もあり自分でも驚いてしまっています。昨日も一日中熊本の地震の様子をテレビでみていた。まだ避難所に入れない人もいるとか、食べ物や飲水が極端に不足しているという。気象庁は「今後の地震活動の展開は予測できない」というではないですか。心が痛い。

昨日の夕方、テーブルの上に見慣れない花が飾ってあった。「なにこれ?どうしたの?」と聞いたら八重桜の花がたくさん落ちていたの拾ってきたとのこと。「え?八重桜なんてどこにあった」「ほら、国分寺の隣のお寺さんの境内」ああ、そういえばあのお寺には数本の八重桜の古木があったのを思い出した。昨日今日と結構強い風が吹きまくっていたので、花本人はまだその木で咲いていたかったのだろうけれども、強制的に振り落とされてしまったのでしょう。
八重桜の花は大きな塊でボトンボトンと落ちてくることを知らされた。それを10個ほど集めて透明な硝子の器で飾れば、なんだか新種の花のように見えてしまう。
「それから、普通の桜の枝も落ちていたので拾ってきた、花はすぐに散ってしまうだろうけど」
で、最後の決めゼリフは
「夏みかんも落ちていたので、ついでに・・・・・・」「ひえーーー・・・・・」

夜が明けても、気温は上がり続けている。息子は本日より2泊3日のキャンプ旅行にでかけると云ってバイクに荷物を積み始めている。そうか、もうそんな季節になっているのかとあらためて季節の変わりの速さを実感する。彼のキャンプは本格的にテントを貼って野宿するやつである。私の場合は超軟弱でここ十年ほどはテントなど貼ったことがないので少々怖気づく。
若い時のキャンプは雨に祟られても、それはそれなりに楽しい思い出となるから不思議なものである。
こんな事を書いていたら、若い時に土砂降りの雨に降られてしまって廃屋の中にテントを貼って一晩過ごした時のことを思い出した。ここでは詳しく書かないけれども、それはそれはとても怖い思いをしたことを思い出す。あれ以来決して廃屋には近寄らなくなったのだ。別に幽霊をみたとかという話ではないのだが、後にも先にもあれほどの恐怖を味わったことはない。


2016年4月17日日曜日

日本を守ってくれている人びとに感謝です。

1時半ごろに目覚めたので、皆さんと同じく気になっていた熊本の雨の状況はどうなのだろうかと、寝ぼけながらもリモコンを探してテレビのスイッチをいれたが、どこの放送局でもテロップは流れていたが、さすがにLIVE番組はやっていなかった。
2時なるとNHKが地震情報を流すというテロップを発見してそのまま、「項羽と劉邦」の短編映画を見続けた。この状況での降雨はかなりきついと思うけど、天気予報では9時頃にはあがって、その後は晴れるらしいので、なんとかそれまで凌いで欲しいと願うばかりであります。
今日から自衛隊が2万人体制で支援に向かうらしいので、ほんの少しだけ安堵している。こういう時に頼りになるのは自衛隊・警察・消防・医療関係者の方々ですからね。国県市町村の行政に携わる方々の尽力も大変なものであることを付け加えておかないと片手落ちですね。ゴメンコメン頼りにしています。

これまでずーっと自衛隊は鬼っ子扱いされてきたけど、最近ほんの少しだけスポットを当てられるようになって嬉しく思っているのは私だけではないはずだと思う。
それでも素人考えからすると後方支援も含めて自衛隊5万人体制ぐらいで徹底的な支援をやって欲しいと願っているのであります。
海には名前は忘れてしまったけど、ヘリコプター空母2隻も動員して、避難所兼病院船と活用すべきだと思うし、大型の上陸用のホバークラフトに重機を大量に積んで動員すればとも思うのだが・・・・。それから、それからいろいろといちゃもんを付けられていたオスプレーだって使ったらいいと思う。オスプレーも確か近くに配備されていたと思うのだけれども。
あくまでも素人考えだから、それぞれの諸事情というものがあるのも理解できるので、ここは専門家に任せるしかないのですが、結構歯がゆく感じてしまいます。自分では何もできないから、かえって強く思ってしまうのですけれども。


2016年4月16日土曜日

コンスタントに絵日記がかけたならと・・・・

昨日のブログに最近の晩酌は5日に1回ぐらいだなんて書いた。だいたい酒の事をわざわざ書くなんてことは呑みたい証拠でもあるとも書いた。それは当たっていたというか、その自分の言葉に誘発されたというか、ブログをアップしてすぐに何も考えずに焼酎のパックを手にしていた。なんとも呆れ果てた酒呑みでしょうか。
5日ぶりのお酒は格別においしくて、ついつい呑み過ぎてしまって、本日は二日酔い気味でありました。
テレビでは熊本地震をやっていた。なんと驚いたことに最初の地震よりも強い地震があって被害も格段に大きくなっているではないですか。こんなこともあるんですね。まったく油断がならないものであります。

終日重い頭を抱えて、地震の報道を見続けました。息子の知り合いのお父さんは広島から東京までオバマ来日のための会議に出席しており、広島に戻った途端に熊本の地震の現場にそのまま派遣されてしまい、自宅に一度も戻らずだったそうであります。頭が下がります。
そのお父さんのおみやげのおすそ分けに「生もみじ饅頭」なるものをいただきました。私は厳密な糖分制限でありますから、口にすることはできませんでしたが、実に美味そうでありました。
なんだか京都の八つ橋みたいですね。そのようなものがあることすら知りませんでした。

最近はまた下手な絵を描き始めました。糖尿病の合併症で目を悪くしてからは長時間ディスプレーの小さな文字を見続けるのがつらくて絵を描くことはやめていたのですが、大型のディスプレーを購入してからはそれほど苦にもならなくなったので、下手な横好きを懲りずに再開したわけであります。
以前にようやくのことで覚えたIllustratorの使い方をすっかりと忘れてしまっていて何も思い出せないことに愕然としましたが、簡単な鉛筆・筆ツールだけを使って描くことにしました。
必要とあれば、その都度検索してその方法を覚えればいいやという開き直りであります。
本当は数日前のブログにハナミズキがでてきましたので、ハナミズキを描きたかったのですが、どうもその白い花を旨く描くことができませんでしたので、花をはしょったわけであります。
そんな事を云わなければ誰もわからなことでしょうけれども、本当は絵日記を書きたいと思っているのです。今のところ自分の技量からして絶対無理ですから、とにかく自分で描いたものを稚拙であっても掲載するようにしたいと思っているのです。

2016年4月15日金曜日

ある日の糖尿病外来

誰かに背中をせっつかされるような生き方を放棄してから久しいような気がする。だからせっつかされるような人や組織からはできるだけ離れて暮らすようにしてきたと思う。
それでも時々は背中をせっつかされていると感じることがある。それは紛れもなく自分自身がせっついていることに気がつく。なんだかなぁ、どんなことでも結局自分自身に帰結してしまうというのが現実のようであります。

昨日の夕方にちょっとした疲労を覚えてうとうとしたと思ったら、どうもそのままぐっすりと寝込んでしまって目が覚めたのは日付が変わってからであった。
時々このようなことはあるのだけれども、目覚めた時は、まだ夕ごはん前のような気がしていたのだが、周囲の様子が違うので昨日から妙にいうことを聞くリモコンに手を伸ばしてテレビのスイッチをいれたら1時を少しまわっていることを認識したのでありました。
早い話がネボケていたのだが、時間の経過とともにネボケがたんなるボケに変化していったのでありました。
熊本では結構大きな地震があったらしいことを始めて知ったのだが、なにせまだ夜中と呼ぶにふさわしい時間なので、詳しい情報はそれほど流れてこない。あと数時間すれば夜も明けるだろうから、そのままテレビを消して仕事(らしきもの)に突入することにした。最近はどうもこれが仕事なんだか遊びなんだか明確な線引ができなくなってきて困るのだが、なんでも仕事としておいたほうが世間体が良いように思うのでそうしておくことにする。

最近は結構頻繁にブログを更新してきているのだが、なにせ人間的な中味が薄いので何を書いていいものかネタがまったく見当たらなくなってしまって困ってしまう。そういう余計な思いがちょっとでも頭をかすめてしまうとまったく書けなくなってしまうので、あえて無視することにする。

そういえば、以前は毎日晩酌をしなければ気がすまなかったのだが、最近は3日から4日は空けるようになってきているし、長い時は1週間ほどまったくアルコール抜きなんてことも珍しくもなくなってきている。だからエライとか健康的だなんていうつもりはまったくないのであります。だいたいここでアルコールの事を書くのはたぶん呑みたくなった証拠なのだと思う。普段はアルコール摂取のことをすっかり忘れさっているわけでありますから。

「アルコール消毒をしても大丈夫ですか?」
「はい、夕べ体内に大量のアルコールを注入して試しましたから、大丈夫です。」
「・・・・・」
月曜日に3ヶ月ぶりの糖尿病外来に行きました。端末に診察券を入れて外来受付を済ますと、そのまま採血室に向かいます。ここで採血と採尿を済ませないと基本的に診察はできないわけであります。
どうせ明日は病院で一日潰れてしまうのだから、呑んじまおうと思ったかどうかは忘れてしまっていますが、日曜日の夜に5日ぶりぐらいに呑んだのがいけなかった。調子にのってついつい呑み過ぎてしまって、一夜明けてもまだ完全に酔っ払った状態であります。気持ちが悪くて朝ごはんも食べずに次男の運転する車で病院に直行であります。
こんな状態で病院に行くのは始めてのことでありますので、今回の検査結果は最悪だろうなと覚悟を決めていました。覚悟を決めるのもなにも、他になすすべがないのですから成り行きに任せる他はないではないですか。文字通りにまな板の上の鯉ですね。
採血が終わると、紙コップを持って採尿であります。たぶん相当にアルコール臭が強いと思いほんの少しだけにしておきました。
以前に検査の人に血液と尿の分析が終わる時間を聞きましたら、最低でも1時間ということであります。このまま超混雑する外来の待合室に行くなんていう愚は避けて、駐車場の車に戻って待つことにする。
9時ちょっと過ぎに採血を済ませてから診察に入ったのが、なんと1時近くでありました。いつものことながら、この待ち時間の多さには辟易してしまう。私の場合は3ヶ月に一度の程度だし、定期的な健康診断のようなものであるからまだマシな方だとは思うけども。
「今朝は朝ごはんを食べてきましたか?」
「いえ、忙しくて食べてきませんでした」
「空腹時での血糖値がこの値であれば、良好ですね」
「ヘモグロビンエーワンシーの値も前回よりも0.1ポイント下がっています、他の値も概ね正常といってもいいです。」
これまで散々待たされたこともすっかり忘れてしまって、この3ヶ月間の人知れぬ努力が報われたようでほっと胸をなでおろしました。
最後に3ヶ月後の予約をとって検査結果が印刷された紙を渡されて終了であります。もうここまで回復したのだから、まる一日を潰しての通院はやめても良さそうな気もするのだが、この3ヶ月に一度の検査を目標にして糖質制限を実施しているのであります。そこに確かな数字の裏付けがないと、何もかもが自己流のズブズブの状態になってしまいそうで怖いのであります。
それに検査結果を元にして肝臓とか腎臓ほかの事も解説してくれますので、それも結構参考にして暮らすことになります。あんまり口にだしたくないのですが。これが一病息災というのではないかということであります。
なんで口に出したくないのかといいますと、もっと前にほんの少しの知識があれば糖尿病をこれほど悪化させることは無かったのです。それを怠っていたのですから返すがえすも悔しい思いになります。一病なんて、病に罹っていいことなんかひとつだってないのですから。

2016年4月14日木曜日

私の糖質制限食事は鶏のエサもどきなのだ

画像と本文は関係ありません
白いハナミズキの花が咲き始めていますし、たんぽぽも咲いているのをみました。新しい黄色がかった緑葉っぱが勢いよく樹木を覆い始めてもいます。まだ時々肌寒さを覚えることもありますが、関東はほぼ春の様相です。

いつもの平均的な起床時間2時半に目を覚ます。いつもだったらテレビのスイッチを入れて昨夜のテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」の録画を視るともなく流すのであるが、リモコンが二つもあるにもかかわらず、いくら電源のボタンを押してもまったく反応しない。ふたつのリモコンを両手に持って同時に押してみたり、交互に連続打ちしてみたり、斜めから46度方向から押してみたけれども、依然としてだんまりを決め込んでしまっている。
テレビ側のボタンを押してスイッチを入れてもいいのだが、リモコンに配置してある操作ボタンの機能すべてが兼ね備えているわけではなく、特にハードディスクの録画内容をみる操作はどこにもないのであります。テレビの操作はリモコンをとおしてやるのが前提になっているようであります。この合理化にたいして別に不満があるわけではないのだが、それならば是非ともテレビ側が壊れないことを前提にして欲しいものであります。
毎朝の習慣だからWBSをみようとしただけで、是非とも視たいとか、絶対に視なければいけないというわけのものでもないから、テレビが私を無視するのならば、この際私もテレビを無視することにした。
私が小さかった頃に比較すると地上波の番組を視る割合は極端に少なくなってきたし、日によってはまったく視ないなんてこともあるのだけれども、ネットをみたり、DVDをみたり、VTRをみたりとTV本来の役割から大きく離れてきてはいるのだけれども、そのディスプレーの役割は逆に大きくなってきているような気がします。いつまで、この不便さに耐えられるかですね。リモコンが効かなくなったからといってテレビそのものを買い換えるなんて・・・・・・。どう考えたってバカな話ですよね。

どうも長時間無音でいるのに慣れていないので、いつもは明け方近くにメインのパソコンのスイッチを入れるのだが、音楽を流すために早めに立ち上げて、プレイリストの「朝に聴く奴」なんてものを久しぶりに選んで流しておいた。
いつもどおりにポメラを立ち上げてテキストで日記を書いたり、作文を書いたりをする。どうせテキストファイルなんだからパソコンで書けばいいではないかと思うかも知れないが、ここはあえてキングジム デジタルメモ ポメラを絶対的に使用しているのであります。確かにパソコンの大画面で作文したほうが快適なのだが、旅にでたり外へ出た時に手軽に利用できるのはポメラなのです。フタを開ければ1秒もかからずにすぐに入力できる状態になる便利さは他に代えがたいものがあります。だから普段からポメラでの打鍵入力に慣れておかなければならないのであります。
私はこのようにして常にアウトドア生活に備えて訓練を重ねているわけであります。(それほど大げさなものか?)
テキスト文字しか入力・編集できないし、ネットに繋がっているわけでもないジツに原始的な道具なのですが、もうしばらくバージョンアップもやってないし、おそらく私が持っているポメラが最後の製品になるだろうなとは思っています。スマホやタブレットで代替になるような気もするのですが、なにせキーボードがないと作文ができないようなバカ頭になっているものですから、もう新しい事に挑戦する気も失せてしまっています。まだ新品も売っているようなので今のうちに購入しておこうかなと考えないでもないのですが・・・・・・。

晩ごはんはほとんど食べる事がないので、別に意識していたわけではないのですが、いつしか一日二食になってしまっているようであります。ですから、早朝の2時、3時に起き出しますと朝ごはんまでの時間がかなり長く時には腹が減ってしまって仕事にならない時もあります。最近は柿の種から始まった豆類を間食に食べるという新技を覚えました。
そこで後1時間もすれば朝食ということだったのですが、ここで苛々するよりも間食しようと思い、小皿を出してきて、ピーナッツ・カシューナッツ・クルミ・ジャイアントコーン等々を調合しました。調合というよりも袋に多く残っているものを中心に小皿に入れてかき混ぜただけの話でありますが、それをやっている途中で、「あれ、これって鳥の餌を作っている時に似ているな」と急速に幼いころに鶏の餌を配合してやっていた時を思いだしてしまいました。
「俺っていつの間にか鳥の餌を食うようになってしまったのだ」と急に悲しくなってしまいました。実際この鶏のエサもどきを食していると、本格的な朝ごはんとか昼ごはんが、かなり少なくなってしまって糖質制限するにはかなり効果的なのは確かなのでありますが、なんだかやるせない気持ちになってしまいます。

2016年4月12日火曜日

あなたの主食を角砂糖に換算すると何個分?

糖質制限療法の辛いところは、つまるとこ主食を持たない持てないところにあるのです。糖質制限療法の本質は基本的に穀物(炭水化物)の摂取を抑えるところにあります。もちろん直接砂糖を始めとする糖類は決して口にしてはいけないのはわかりますよね。デザートは別腹なんてのはとんでもないことであります。

出典は失念してしまいましたが、あるサイトには以下のような換算が掲載されていました。

角砂糖(1個4グラム)

  • 6枚切りの食パン1枚=角砂糖 約8個
  • 白米飯1膳・素うどん1玉=角砂糖 約14個

上記の数字はどこまで正確なのかはわかりませんが、おおよそそんなものでしょう。私も糖尿病で入院してから、その数字を知って驚いたのであります。

炭水化物は消化されると即座にブドウ糖に変換されてしまいます。そして直接エネルギーとして使われるわけであります。余った分を膵臓から分泌されるインスリンが脂肪に変換して体内に蓄積するわけであります。
ところが血糖値が高いというのは、インスリンの分泌量が少なくて血液中のブドウ糖の処理が間に合わなくなるわけであります。それら処理されない糖分が体内のあらゆる血管にべたべたと漂うわけであります。それらのジャブジャブベタベタの糖まみれの血液が血管を傷つけ神経を傷つけまくるわけであります。最後に尿にまじって出されるわけです。だから糖尿病といわれる所以であります。
インスリンの分泌量が極端に少なくなっているか、もしくはまったく出てない状態なわけですから、基本的に糖分を摂取しなければいいわけであります。
私はこの1年半あまりの間に試行錯誤の七転八倒を繰り返しながら糖質制限療法を続けてきたわけでありますが、それは原始人に戻るということなんんだなということに気がついたのであります。
縄文時代にはすでに稲作がなされていた説もありますが、ここでは弥生時代から稲作が始まったことにしまして、縄文時代の狩猟採取生活に逆戻りすることなのだと気がついたのありました。
実際にピーナッツだくるみだカシューナッツだ柿の種だ、ん!?柿の種は炭水化物だった。肉だ魚だと
探しまわって食べているわけであります。

そう考えますと農耕文明というのは人類にとっては素晴らしい大発明だったということがわかります。安価で大量の穀物を生産できるようになったので人口は爆発的に増えてきたという事であります。安価で安定して量の穀物を手に入れられるようになってから戦争も大掛かりになっていったわけであります。兵農分離などと普段はたんなる穀潰しの兵隊を養えるようになっていったわけであります。
では米食中心であった江戸時代から明治・昭和にかけて糖尿病が少なかったのはなぜだろうという疑問にぶつかるわけでありますが、それは現代よりははるかに運動量が多かったのです。それに食生活も現在よりははるかに貧しかったからなのだと推察するのであります。このあたりはどうでもいいことでありますけれど。

毎日毎日、たいして体も動かさずディスプレーの前にへばりつき大量のメシを喰らい、毎夜、ビールだ日本酒だ仕上げにウィスキーだと散々飲み食いしたあげくに、仕上げにラーメンだなんてことを続けていたら意図的に自分の体を壊しているようなものであります。趣味はなんですかと問われると「大量のアルコール飲酒」とこたえるようではね。どうにかしていましたね。

さて、ここで冒頭の主食を持たない持てない苦しさの話に戻ります。糖質制限療法を始めるまでの私の主食は、主にご飯でありました。昼はほとんど麺類でありますから、米と麦であったのです。
現在極力米と麦類を食べないようにしていますので、毎日食べるものには本当に苦労してしまいます。

逆に考えますと、いかに米と麦というものは主食として優れものであるのかということがわかります。その優れた特質のひとつにいくら食べても飽きないというところがあります。
本気で糖質制限療法を始めた時は、「肉だ!肉だ!とにかく肉だ!!」とにわかに肉食男子に豹変して食べ続けたのです。その結果、もう肉は食いたくないし、見たくもないとなったのです。そうした食べ物は数えきれないほどあります。卵に豆腐にチーズにとひとつもしくはふたつかみっつの種類のものを食べ続けると飽きてきてしまって、もう見たくもない状態になってしまいます。その点ご飯は優秀であります。毎食、毎日、食べても飽きるということがありません。それに味噌汁と漬物があれば実に簡単に安価に済ませてしまうことができます。これからの一生あのご飯と素麺・ラーメンの主食には戻れないというとかなり寂しいものがあります。

そうそう、これもぜひ書いておかなければと思いますが、ごはんとか麺類を食べないと、どうも腹が落ち着かないというか、満腹感がないというか、ドッシリ感がないというか、体に力が湧いてこないというか・・・・。ま、だいぶ慣れてはきましたけれどもね。

2016年4月10日日曜日

テレビ(REGZA)のリモコンが二つも

以前にも時々書いていたのですが、どうもテレビのリモコンがだんまりを決め込んでしまって、不自由を極めていることであります。その原因がテレビ側にあるのかリモコン側にあるのかの見極めがつかないのであります。
同じ場所でボタンを押しても、まったく反応しない場合とそれまでのだんまりがなんであったのかと思うほど快適にこちらの意志を反映してくれたりする。リアルでテレビ番組をみる機会はほとんどなくなってしまってはいるのですが、ネット動画とかDVDとかVTRを録りためてあるHDDとかをひとつのリモコンで操作しているものだから、結構困ってしまうのであります。

そんな時に息子が断言するのだった「そんなもん悩んでいるより、リモコンの製品番号をAmazonで検索をかければいいではないか」と。

なるほどな、新品のリモコンでやってもだんまりを決め込むようだったら、これは明らかにテレビの受信側に問題があると判明するではないかと思い、さっそく「CT-90376」と入力しましたら、一発
で出てきました。どうでもいいことなのですが、この商売の旨さに、買物ページの作りの見事さに関心してしまいました。この場合そんなところに関心している場合ではないのですが。
翌日の朝にヤマト便でくだんのリモコンが届けられました。さっそく単4のエネループを2本入れて試してみました。
なあんだ結局リモコンが悪かったのかと思うほど素直に忠実に私の思うがままに動作してくれるではないですか、これにてリモコンの問題は一挙に解決となりました。

と、書ければこのブログも成立しなかったのですが、新しいリモコンを始めて使用した時にはたまたまテレビ側の受診部分の機嫌が良かったに過ぎなかったのであります。「なぁんだこんなことなら、もっと早く購入するんだったな」なんて思ったのもつかの間、音声を少し下げようと思って新リモコンを押したのですが、うんともすんともいわないではないですか、「あれ???」カーっと頭に血が登ってしまい、たちまちコノヤロー状態であります。古いリモコンと新しいリモコンふたつを持ってダブル攻撃であります。
いやー、参りましたね。結局テレビ側の不具合である事が判明しました。判明したからといってどうってことないのですが、これからメーカーのサポセンを探して電話をして尋ねなければいけないようでありますが、これも面倒な話で、いつになったらまともなテレビになるのかはわからない状態であります。
テーブルの上には役に経たない同じようなリモコン2個が並んでいます。これって結構悔しいですね。

2016年4月8日金曜日

糖尿病およびその予備軍と呼ばれている方のために

買い物に行きたいのだけれども雨が結構激しく降っているみたいです。「うーん」いくらでもない買い物をするために、わざわざ車を使うなんて馬鹿らしく思えて、そのうちに上がることを期待してしばしの間待つことにした。
その雨はお昼過ぎても一向に止む気配はなくて、夕方になれば風も強くなってくるとのことであります。とうとうしびれを切らして車ででかけることにしました。

以前に「朝から鍋」なんてことを書いたのですが、他にも「朝から餃子」とか「朝からシュウマイ」なんてことをやっています。餃子とかシュウマイというのは皮に小麦という炭水化物が使用されているから、あまり好ましい食べ物ではないのですが、それを厳密にやりますと本当に食べるものが限られてしまい、食べたくもなくなります。ヘモグロビンエーワンシーが正常値を示すようになってから、すてに1年以上経過していますから、最近は少しだけ緩めるようにしています。

糖質制限療法を始めた当時はかなり厳密に実行しており、「朝から焼き肉」とかたまご・チーズ・豆腐・納豆等々以外は口にしないなんてことをやっておりました。
それらを厳密に実行したお陰で3ヶ月ほどで、大量のインスリン投与地獄から逃れることもできましたし、主治医からは、通院すらすることがないほど改善していますという言質を得るまでになったのであります。
それでも、同じようなものばかり食していると精神的にもへたってきますから、何か他にないものかといつも探し続けています。

最近試しているのは、間食にナッツ類を食べるということであります。これまで間食というものはほとんどやった事がなかったのですが、最近はなんだか知らないけれども1回の食事の量が少なくなってきて、しばらくするとちょっとだけ小腹が空くという状態が頻発するようになりました。そんな時に、ピーナッツとかカシューナッツを食べると空腹感がなくなるので、余計なストレスを与えるより、時間外に腹が減ったら、ボリボリと食べるようにしています。
間食にナッツ類をボリボリ食らうに至るにはそれなりのきっかけがあったのであります。最初は「柿の種」であったのです。
ある時仕事に夢中になっており、昼ごはんを逃してしまったのであります。


糖尿病の場合は高血糖に気をつけますが、本当に怖いのは低血糖であります。低血糖になりますと意識を失って倒れてしまう危険性がありますから注意しなければいけません。私も退院した当時の処方箋にはブドウ糖が入っていました。低血糖になった場合はそれを舐めて血糖値を上げなくてはならないわけであります。私の場合は一度も低血糖の経験をしたことがありませんので、いつしか処方箋からブドウ糖が消えてしまっていました。一番効果的なのは炭酸入りのシュースやコーラだそうです。それらがない場合に備えて飴玉とかブドウ糖を持ち歩くわけであります。



ご飯はダメ・麺類ダメ・パンダメ・なんでもダメダメダメでは腹がへって死にそうだといってもすぐに食べられるものなんてありません。そんな時に目に入ったのが誰のものかわからない「柿の種」の小さな袋だったのあります。
本当は良くないんですよ。柿の種ってあられ(炭水化物)ではありませんか、ピーナッツはいいんですけれどね。
ただ腹がへっているから、そんなことも云ってられないし、面倒だったので食べたら結構うまいではないですか、その時は小袋ひとつしかなかったのですがそれで夕食まで持ったので、それに味をしめて時々買ってくるようになりました。

時々「柿の種」を空腹を覚えた時に食べるようになったのですが、どうもピーナッツの量が少ないような気がしてしょうがないのであります。
ここで亀田製菓を始めとする製造メーカーに「ピーナッツの量があまりにも少ないんじゃないか」なんて文句をつけるわけではありませんよ。だって商品名が「ピーナッツ」となってないわけですから、あくまでも「柿の種」なわけでありますから。

その昔ラジオから良く流れていたのが「暗いと不平を言うよりも、自ら灯りをつけましょう・・・」などという、どこかの宗教団体のフレーズをにわかに思い出したのであります。
そうだよ、ピーナッツが少ないと不平をいうよりも、これにピーナッツを足せばいいじゃないかと思いたったのでありました。ここに「柿の種大幅ピーナッツ増量」なるブランドを確立したのでありました。

「うーん、我ながら天才的な発想だな」なんてしばらくの間だけど満足していたのですが、どうせならこれにカシューナッツなんていうシャレた名前のものも入れてみたらどうだろうということになって、さっそく実行に移しました。かくして「柿の種大幅ピーナッツ増量+カシューナッツ」などという新ブランドが誕生したわけであります。
ししてしばらくしたら「業務スーパー」でミックスナッツなんてものを見つけましたので、それも増量しました。こうなってくるとなんでもあり攻撃であります。
かくして「柿の種大幅ピーナッツ増量+カシューナッツ+ミックスナッツ」なる新新新ブランドが誕生したわけであります。

それにアーモンドも加えました。うーん、これをやっているときりがないな。
そして昨日見つけたのが「無添加たべいりこ」という小魚を干してあるやつでありました。これはしかし、いりこの割合があまり多いとあまりおいしくないのでおまけ程度が適当だということも発見したのでありました。

これらを皿に混ぜあわせて入れて仕事の合間にポリポリ、ぼりぼりやっていますけれども、これが実に具合がいいのです。通常は朝と昼にしか食事を摂りませんが空腹で気が狂いそうだなんてことはほとんどありませんし、中間にちょっとつまんでいるわけですから、食事の量も極端に少なくなってきています。
これをやる前は、こんな少ない食事で大丈夫かなという不安が先にたってしまい、余計な分まで食べたりしていましたが、腹が減ったら「あれ」を食べればいいのだからと、余分な量は食べなくなってしまったのであります。

糖尿病の食事療法で敗退するのは制限があまりに多いからです。カローリーを抑えろだの、アルコールを控えろだの、何するな、かにするなと、そんな事できるわけがありません。できなかったから生活習慣病なるものになっているわけであります。
今でこそ、結構旨く食事をコントロールができるようになってきていますが、最初は絶対に無理だと思いました。私が入院した病院は食事制限はほとんどありませんでした。むしろそれまで自宅で食べていた量よりも多いぐらいのものでありました。
最初はスマホで食事を撮影していたのです。それは退院してからの食生活に役立てようと考えたのであります。しかし、それは3日と経たないうちにやめてしまいました。だってそれは普通食だったのであります。
これはあくまでも私の推測にしか過ぎませんが、この病院では食事制限なしの普通食を与えて、その分をインスリン注射で補うという、実に荒っぽい一生インスリン地獄から抜け出せないようにするというものだと感じました。
そこで独自の治療法を考えだすことにしました。糖尿病という病名なのだからまずは糖分を極力摂取しない、そのために炭水化物も極力摂らない、蒸留酒であったら呑みたいだけ呑む、カロリーなどは一切気にしない。かなり大雑把な方針でありましたが、これが正解だったと思っています。
これまで長く続けて習慣を変更するなんてのは、かなりの苦しみを伴うものであります。無理して一時期やれたとしても続くものでありません。できる範囲で少しずつコツコツが正しいと思います。

それから精神的に追い込む事も重要です。
糖尿病の合併症関連の話を聴いたり、書籍を読み漁るのです。そこには視力を完全に失った話や手足が腐っていく話、両足切断した話、腎臓透析をやらなければいけなくなった話等々を読みまくり自分に恐怖感を与えるのです。
糖尿病の症状って重症化しないと目にもつかないし、自覚症状だってまったくないゆでがえる症状なのであります。むしろ目につく状態、病状が顕在化したら、それはすでに手遅れの状態であると思ったほうが無難だと思います。

2016年4月7日木曜日

病院のシステムが少しだけ改善されていたのだが

久しぶりに青空をみたような気がします。暖かい陽射しの中にこの世の春を謡うような満開の桜の花の下を、ちょっとだけ散歩してみました。思いがけずに最高の花見日和に遭遇したようであります。

昨日は4ヶ月に一度の眼科外来の日でありました。半端でない待ち時間には今さらながらに驚かされ、辟易しました。待ち時間は以前とほとんど変わらないのですが、4ヶ月に一度と間隔が伸びてしまっているので、もう以前のような切迫感がありませんから、より長く感じられてしまいます。
眼科の診療には、事前に瞳孔を開く薬が処方されます。これが問題なのです。これを点眼されてしまいますと、光の調節ができなくなり、持ち込んだ電子ブックの文字を読むことができなくなってしまいます。そうなると最悪であります。ただひたすら混雑する待合室の椅子にじっと座って待つしかなくなってしまうわけであります。10分に満たない診療を終えて外へでると瞳孔が光の調節ができなくなっているわけですから、外界はただただ強烈な白い光の乱舞であります。しばらくのあいだその場所に立ちすくんで画像がある程度形をなしてくるまで立ちすくまざると得なくなります。
それは帰宅してからも続きます。仕事をやろうとしてもディスプレーの小さい文字の判別に苦労してしまいますから夕方までほとんど仕事ができないという始末であります。
で、結局一日をわずか10分にも満たない眼科診療のために費やすことになるわけであります。ま、これも身から出た錆でありますから、誰に文句を言えるわけではないのですけれども。

ただ今回は病院のシステムで少しだけ改善されている点を発見しました。以前であれば医師の診察を終えれば、再び待合室に戻り会計に持っていく書類を待たなければなりませんでした。これも時によっては15分から20分ほどかかっていたのです。
それが診療中に医師が電子カルテに必要事項を入力してしまい。次回の予約も打鍵してしまいますと、必要書類が印刷されてプリンターから吐き出されます。それを会計に持ち込めば済んでしまうのであります。
ここで私は「おおー!少しはあたり前の事を考えたではないかと」旧態依然の病院システムの変貌に感動し、ヨロコビ勇んで会計所に行ったのでありますが、なんとそこには信じられないほどの人間が行列をなしていたのでありました。これをみて愕然としました。
まさかとは思いますけど、医師がプリントアウトしたデータを再度別のシステムに入力し直しているなんてことはないですよね。私は「うーん」絶句して黙りこんでしまいました。もっとも一患者がそんなことを考えこむ必要はないのですけれども、すでに診療科目は医師のもとで決定されているわけでするから、健康保険請求分とか自己負担分などというのは瞬時に計算されているはずであります。いくら処理量が多くて計算に時間がかかるといっても眼科から会計まで歩いて行くのに1,2分ですよ。いくらなんでもと・・・・・。
医師が一度入力したデータは徹底的に利用し尽くすのが原則だと思います。すべてオンラインになっていればレセプト管理から経理処理、税部処理、経営計画等々まですべて一貫してできるわけであります。それに今流行のIT技術を応用すれば、余計な事務処理部門・管理部門の合理化が達成できるし、将来的には税理士だっていらなくなるわけであります。
それに蓄積されたビッグデータを利用すれば、待ち時間が平均2時間で診療時間が10分足らずなんてことは解消されるはずであります。医師が足りないのであれば、管理部門を合理化して浮いた資金を優秀な医師や看護師を得る資金に回せるわけであります。
しかし、あの予約システムってのはなんなんでしょうかね。あんなもん1ヶ月も稼働していれば破綻しているのは誰の目にだって明らかなはずなのに、それを知りつつ何年も続けているというのは、なにか私たち素人にはわからない権益のからくりでもあるのではないかと疑ってしまいます。
ま、しかし、まだまだオマヌケなシステムだなと苦笑してしまいましたが、それでも少しは改善されているわけでありますからヨシとしなければいけないことでしょうね。



 

2016年4月6日水曜日

経験を積めばシンプルにならざるを得ない

まだまだ桜の花は持ちこたえていますね。私のところはちょっとだけ高台にあるので、そのせいもあるのかも知れません。などと書いておいて、外へでたら地面は散った花びらで覆い尽くされていたなんてことはあり得る話ではありますが、前線はかなりの勢いで北へ向っていることは確かであります。
このわずかな時期だけ「来年の春もこの美しい桜が見られたらいいな」と思います。花の散った後は大急ぎで若葉で身をまとってしまいますから、そんなことを思ったことも忘れてしまって日常に埋もれて暮らすことになってしまいますけど。

朝から珍しくコルトレーンを静かに聞いています。齢を重ねてきますと、大きな音がだんだんと苦手になってきますね。以前ならハードロックを爆音で聴き続けていても心地よさを感じていましたが、最近は大きな音を流し続けていますと、耳も疲れますが心もぐったりしてしまいます。たまには大きな音で聞きたいないなと思っても20分もしますと自然とリモコンに手が伸びてしまっています。ま、そのほうが近所迷惑にもならず平和な時を過ごすことができていいのですけれども。

車中泊での旅するのは私および家族は年季が入っています。もう40年近く続けていますからそのノウハウの蓄積も半端なものではありません。と自慢したいのですが、経験を重ねるごとにドンドンとシンプルになってきたので道具的には、基本できるだけ身軽にという結論に達したわけであるわけであります。もっともこの40年間に家電関係も大きく進歩してきたので大げさなものを持ち歩かなくても済むようになったことも確かなことであります。
例えば音楽を聞く場合でも、夕方酒を飲みながら音楽が聞きたいとなるわけであります。なんにもそんなところまで行っても静かに過ごせばいいではないですかなどと云われてしまいますが、そういう考え方もありであります。ただそれが長期になると話は違ってきます。北海道旅行は10日間ほどで3年連続で出かけました。そうなるとこれはいけません。最初は大型のカセットデッキを持ち込んだり、次にはCDラジカセと変わっていきました。最近はスマホだけになっています。装置も小型化してますが、そのソースもほとんど目にすることがなくなってきています。CDやカセットテープにしても狭い車内に持ち込むとなると結構邪魔になるものであります。
近年は妻と二人だけの旅が常態化してしまっています。子供らは子供らでそれぞれオートバイを駆使したり、彼女とでかけたりとそれぞれの旅を楽しんでいるようでありますけれども。
妻と二人で紀伊半島に出かけた時に、珍しく夕ごはんが遅くなってしまって、普段なら音響から照明もきちんと準備してから宴会を始めるのですが、とにかく疲れていたし、いつも晩酌の時間から大きくずれてしまっているものですから、頭のなかはとにかく「おちゃけのみたーい」でいっぱいでありますから、そそくさと呑み始めてしまいました。
ひとごこちしますと、やはり音楽が欲しいと思ったのですが、酔も手伝ってそこはかなく面倒くさい。そこでiPhoneを取り出してスピーカーなしで流してみるとこれがまたいいのです。iPhoneだけの音なんていうのはたかが知れているのですが、これがまた外の静けさとマッチしてなんともいえない雰囲気を醸し出すわけであります。そうかこんなもんでも充分に満足できるものだということを知ったわけであります。
暗い中でぼそぼそと、何を食べているのかもわからずの食事は嫌だなと思って、いつもはLED電球60ワットほどのものを用意してありますが、その時はやはり面倒で非常用のランタンひとつだけでありました。車の室内灯よりも暗いぐらいのものですが、無用に明るいよりもこれも周囲の闇とマッチしてなかなかいい雰囲気であります。焼酎のグラスがどこにあるかがわかればいいだけの話でそれで済むのだという結論に達したわけであります。

本日は経験を積めば積むほど持道具はシンプルになっていくという教訓でありました。

2016年4月4日月曜日

一般常識としてもう少し歴史のお勉強を

きっちりと正真正銘の4月になっておりました。さすがに暖かくなりまして「寒くてどうにもならない」なんていう何ら意味のないボヤキも口からついて出ることもなくなったのでしょう。たぶん
現在午前3時12分ですけれども、室温がなんと21℃もあります。まだ寒い時のまんまの服装ですから暑さを感じて上着を一枚脱ぎました。
歳をとると暑いんだか寒いんだか自分の感覚があてにならなくて、ちょっと暑いなと感じて、本当に暑いのかと温度計をみたわけであります。ま、そんなもんです。

私も生まれて始めて、この高齢を体験しているわけでありますから、若い時にはわからなかった、たくさんの発見をするといったわけであります。急にこのフレーズが思い浮かんでどこかで使ってみたかったのですが、こんな言い回しは誰にもあてはまることで大したことではなかったというのが今になってわかりました。
話はちょっと違うが、ガキの頃にあんな大人にだけはなりたくないなと思ったことは一度や二度ではなかったはずなのに今では、あんな大人ってなんだっけと想い出すことすらできない始末であります。忘れているぐらいだから、一番なりたくない大人になっていたり、世の中の嫌われ者のジジイになっているのかも知れません。しょせんそんなものであります。
萌え萌えの四月ともなれば、ピカピカの1年生や新入社員の皆さんが期待に胸膨らませて、それぞれの職場や学校へと通い始めますね。私にはあまりにも昔のことで、ほとんど思い出せない事柄になってしまっていますが、その時の期待と不安がまた少し記憶しております。頑張って欲しいものであります。
そうそう昨日ようやく宮沢賢治傑作選をようやく読み終わりました。これ読み終わるまで結局一年近くはかかったような気がします。途中なんども挫折してしまって、放り投げては、また気を取り直して読み始めるの連続でありました。
放り投げるといっても私の場合は電子ブックですから、投げたら壊れる可能性大ですのでそのようなことはできませんけれども。
それにしても宮沢賢治は難解でありました。その内容はほとんど理解していないことを吐露しておかなければいけないでしょう。ほとんどが童話なんですけれどもね。なんとも情けない。

社会・政治・思想等々の事はあまり書きません。と言うよりもこのしょっぱい頭には、あまりにも難しくて書けないのであります。決して興味が無いわけではないのです。むしろある方だと思います。そのために、なるべく沢山の文献を収集して教養を深めようと努力もしています。しかし、それをやればやるほど世の中複雑怪奇過ぎて軽々に論評など言えなくなってしまうというのが正直な気持ちであります。世の中決して善と悪とか、天使と悪魔、右翼と左翼、赤と黒なんていう風に単純に二分できるものではないし、むしろ二分されるような単純話こそ疑ってかかるべきだと思うようになってきています。
また、政治家で汚職だとか、利権だとかの話がマスコミに載ったりすると、その裏にあるのはなんだろうかなんて穿っている考えるような体質になっています。
また困った事に、もし私があの政治家の立場だったら、やっぱり自分の懐を温めるために同じような事をやっていたかも知れないななどと思ってしまっているわけであります。正直そういう権力をもったら不正もやるかも知れないし、周囲にエバリちらしていたりするかも知れないなどと考えるわけであります。幸か不幸か今まで一度もそのような立場に立ったこともないので後ろに手が回る機会がなかったのでありますが。

最近は歴史というものに俄然と興味が出てきまして、なんとか自分なりに歴史を勉強してみようと思っているのですが、なかなか進みません。先日Youtubeで宮脇淳子さんの題名は失念してしまいました、歴史というのはラテン語のHitoryきていてある出来事の物語だった。それが英語で物語Storyになったという話がありました。
この言葉を聞いて胸にストンと合点することがありました。私たちは学校では日本史にしても世界史にしても歴史というものを学んでこなかったのです。私たちの学んだというか、学んだつもりになっていたのは、単なる年表だったのであります。
私が乏しい歴史の知識を少しだけ蓄積できたのは、全部小説を読んでの事だったのであります。あれは物語として面白いからその時代背景やら、登場人物の相関図や風俗等々まですーっと覚えられるわけであります。その小説が正しいかどうかを疑ってみる必要はありますが、同じような時代の小説を数冊読めば乱暴な話ですが多数決で、おおよそそんなことだったんだろうなということがわかってきますね。また、とんでもなく違うっていうのも「なるほど、こんな解釈の仕方もあったのか」と結構感動するものであります。
泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」は黒船が日本にやって来た時の狂歌ですけれども、これで日本は大騒ぎしたと私たちは思い込んでいますが、実際は違うようであります。それほど当時の日本人はバカではなかったようであります。このあたりは丹念に文献あたってみますと結構新しい発見があって面白いところであります。

10年ほど前だったと思いますが、NHKでなんども再放送した「大草原の小さな家」の日本語の原作を読みました。これはテレビドラマとは内容が違っていて驚いてしまいました。原作本とあわせて関連本も購入できるものはすべて購入して読んでみました。今はこの点非常に便利になっています。原作本も含めてほとんどが絶版になっていますので古書を購入するしかないのですが、ほとんどの関連本を簡単に揃えることができたのであります。
あ、そうだ話はそこにあるのではなくて、主人公(作者)のとうさんチャールズが生きていた時代は日本の何時代なのだろうかと大きな疑問を持ったのです。そして驚いたのがなんと坂本龍馬と同じ年に生まれているわけであります。どうも私の頭の中では日本史と世界史がうまくリンクしていないのであります。世界史というのは日本とは遠くかけ離れたファンタジーの世界のように思っているところがあるのでありました。

そういったわけで一般常識としてもう少し歴史のお勉強をしておかなければいけないと思ったわけであります。