2016年4月25日月曜日

水仙と藤の花

寒かった日々が遥か遠くに感じられるようになったこの頃は、けなげな梅一輪を見初めたヨロコビや、待ち焦がれた妖艶な桜の群舞する姿に打ち震えた感動も遠い昔のことであったようにも思われてきます。陽射しはますます力強くなってきました。
わがままといわれてしまいますが、寒いのも嫌ですけれども、暑いのも嫌なのです。若い時には暑いだの寒いだのはまったく気にならなかったものでありますが近年はそのどちらも苦手なのであります。何をいわれてもそうなんですから仕方がないのであります。

先日「なめことサヤインゲンの味噌汁と」というブログを書きましたが、その後に、あれ?あれはサヤインゲンではなくてサヤエンドウだったのではないかと思ったのですが、なんとなくサヤエンドウが正しいような気がしてきたのですが結局よくわからないのでありました。

昨晩妻が藤の花が咲いているといった。7、8年前に秋田県で単身百姓の真似事をしている時に、市内で買い物を終えて農園へもどるべく山道を走っている時に周囲の山々に白ぽい花のようなものを認めたのです。傍らに乗っていた地元の知人にあれはなんだと訪ねると、別に珍しくもないように藤の花だというのです。
それまで見てきた藤の花というものは、公園の藤棚の上から綺麗に紫色の花のふさが垂れ下がっているものばかりであったので驚きました。知人に聞いた話では藤の木は近くの大木に巻き付いて成長し、最後には巻き付いた木を締め殺しにしてしまうのだそうであります。野生の藤の木というのは美しい花々の陰にそら恐ろしい陰謀を秘めた植物だったのであります。それはまるであの大陸の謀略国家のようであります。
以前は物珍しさも手伝ってTwitterなんかも盛んにやっていた時代だったので、その事をつぶやきましたら、さっそく男鹿半島に住んでいるという人から、男鹿半島にもかなりたくさんの野生の藤の木がありますよとリツイートしてきたので、こちゃあのんびりと野良作業などをやっている場合ではないと、農作業を時々手伝ってくれていたやっちゃんと二人で、仕事をほっぽらかして藤の花見にでかけたのでありました。
この事からも容易に推察できるでしょうけれども、まず理想は高かったのですが、とうてい本物のお百姓さんにはとても敵わない、いい加減な農業志願者だったわけであります。
そういえば、田んぼの一角に水仙を山のように植えたらさぞ綺麗たろうなと思いなけなしの財布をはたいて球根を10個あまり購入して植えつけたのです。それを散歩にきていた近所のおじさんに見られて、「なにをしているんだ」「この田圃全部に水仙を植えれば春先はきれいだろうなと思って」「おい、今から俺んちにきてみないか」というので、またまた野良仕事をほっぽり投げてノコノコとついていったのであります。
大きな屋敷を通り抜けて裏側にまわっていったら、そこには信じられないぐらいの膨大な量の水仙の花が咲いていたのであります。「こんなもの、なんの役にもたたんのに、わざわざこの状態にするってか?」私は目を疑ったし呆けたように口をあんぐりと開けて言葉がでませんでした。
それはそのおじさんが物心ついた時からあったそうです。あっても邪魔になるだけのものですから、一切手をかけたことがないそうであります。ほとんど野生化した水仙畑でありました。
この時期になりますと、秋田での百姓の真似事をしつつ放浪していた時期を懐かしく思い出してしまいます。それは初夏のまぶしい陽射しの下の風景画のようであります。
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