2016年9月30日金曜日

再び日本海を眺めながら

あれ?男鹿半島って秋田市内からこんなに距離があったかなと訝しがりながらも、暗闇の国道7号線を北上し続けました。
以前に秋田市仁別の開墾地で百姓の真似事をやっていた時に5日間に渡って大潟村まで鶏糞を貰いに一日3往復したことがあったのです。男鹿市と大潟村は隣り合っていたような気がします。だから、その時に身に着けた距離感からいうとなんだか今回はとても遠く感じたのでした。
もっともその時は鶏糞をより多く開墾地に運び入れることが最大の目的であったので、頭の中は鳥のウンコのことで一杯であったから、周囲の景色はそれほど飛び込んでこなかったのは確かなことではあったのです。
その鳥のウンコもそんじょそこいらのウンコではないのであります。まさにそれは比内地鶏のブランドウンコなのであります。その貴重な鶏糞を好きなだけ持っていっていいというありがたい申し出に舞い上がってしまいました。また偶然にもタイミング良く、後、数日で廃車にしてしまうというボロボロの2トンダンプがあるとの話を聞きつけて交渉の結果、これも無料で借りるのに成功したわけであります。
不思議なものであります、これまで農業の経験などほとんど無かったわけでありますが、数ヶ月、土にまみれて這いつくばって汗を流していますと、自然、農業に対してどん欲になっていったのでした。
だからその時は、その距離からいって一日に2往復するのが限度だろうと云われたのですが、この機会を逃したら、この宝の山を手に入れるのは困難になるだろうと思い、かなり無理して一日3往復を5日間も強行したわけであります。
最初ダンプを借りられるのは3日間だけの約束だったのですが、無理を承知で平身低頭して後2日間延ばしてもらえないかと必死になって頼み込んだのであります。あの時は自分でも不思議なくらいに必死で懸命であった事を思い出します。
鶏糞にも熟成期間が1年ものとか2年ものというのがありまして、私が手に入れたのは確か3年ものだった思います。
3年ものともなればほとんど糞尿のきつい匂いが消えてしまっていますが、それでもかなり臭うことは確かなことであります。以前の私だったら絶対にそのような香りのする場所には近づかなかったでしょうが、これらのものがこれから育てる野菜の最高の栄養になるのだと思うととても良い匂いに思えてきて、まったく平気になっていったのであります。

男鹿半島を一周して再び国道7号線を北上し始めた時に、あの宝の山にみえた鶏糞熟成小屋を探してみたのですが、まったく見つけることができませんでした。

2016年9月28日水曜日

いつの間にか男鹿半島を目指します

旅行二日目の夜は海からちょっと離れて秋田市内の太平山にある公園で一泊しました。目覚めたのはまだ夜が明けるには3時間か4時間ほどかかるだろうという闇の中でありました。まだ行動するには早いとは思ったのですが、とりあえず次の目的地となんとなく決めていた男鹿半島を目指すことにしました。
運転席に座り、エンジンを始動させて何気なくガソリンメーターに目をやると、半分以下を指していました。うっかりして昨日燃料の補給を怠っていたのであります。このまま走っても楽々男鹿半島一周ぐらいは、できるぐらいの残量ではあるのですが、地方を走る場合は燃料には特別気を配らなくではならないのであります。
まして近年はカーナビにガソリンスタンドのマークがあっても廃業していたり、休業していたりという事態はままあることであります。男鹿半島に向かう前に燃料を補給することを決意して秋田市内を目指してみた。県庁所在地である秋田市でありますから、いい加減に走っていれば深夜スタンドのひとつかふたつはあるだろうと思ったわけであります。
最初は開拓時代に良く利用していた農協が経営するセルフスタンドを目指しました。もうすでに無効になっているだろうけれどもプリペイドカードに800円ほど残っているはずでしたが、まさか今回秋田まで遠征するとは思ってもいなかったので持ってきていません。おそらくこれからも使うことがないと思われるカードですが記念に取っておくことします。目指していた農協のセルフスタンドは残念ながら周囲の闇に溶け込んでしまっています。気を取り直して市街地を目指して走っていると前方にひときわ明るく自己主張をしているものが目に入りました。片側2車線都合4車線の道路の反対側にありましたが、まだ走っている車もほとんどない状態だったので無理やり進路変更を行い、なんたく24時間営業のセルフスタンドに潜り込みました。
燃料補給というのは結構面倒な作業であります。以前は自宅の周辺で車を使用する時はそれほど気にすること無く、残量計の警告ランプがついている状態などということも日常茶飯事でありましたが、あの3.11の東日本大震災を味わってから、できるだけ満タンに近い状態を保つことに心がけるようにしていたのであります。
ただ最近は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の例えどおりに、ついつい面倒になってしまい、なかなか不測の事態に備えることを怠りがちになってしまっています。それは燃料だけの問題ではなく、備蓄用の飲料水や非常食もおざなりになっている感があります。この機会にもう一度初心に戻って気を引き締めて行きたいと思ってはいるのですけれども。

なにはともあれ、とりあえず燃料を満タンにしてカーナビを男鹿市の代表的な場所にセットして準備万端であります。
妻はベッド状にした後ろの座席で寝袋に収まってまだまだ深い眠りのなかにありました。

2016年9月18日日曜日

基準は勝ち負けだけじゃないよね

人生勝ち負けだけの価値判断からすれば、あれは負けたんだろうかと思わないでもない。ただあの時の生活は実に楽しかった思い出ばかりなのであります。確かに広大な耕作放棄地を目にした時は、現実の厳しさをこれでもかと思い知らされたような気もしましたが。

2年間の百姓もどきの生活に見切りをつけて、4畳半の仕事場に籠もりきりになって、再びコードを相手にし始めた時には、どこかにほっとした気持ちもあり、ああー、これが俺の本来の姿だったんだなと安心した事も確かなことであります。
あの時の百姓もどき生活のなかで農業から得た収入は0でありました。燃料代やら肥料・種苗代それに毎日催す小宴会の酒食代等々すべて持ち出しになりますから大変な出費であったことも確かであります。
当然寝泊まりしている作業小屋にはパソコンを持ち込んで自分の食い扶持分は稼いでいたのです。そうでもしなければ素人が農業で身を立てるなんてことはとてもできたものではありません。

その日の夜は仁別にある大きくてかなり整備された公園の真ん中に陣取って、自分の胸のうちを妻には悟られないように、いつもよりも快活振る舞い続けて深い眠りの中に沈んで行ったのです。
これが今回の2泊目の夜のことでありました。
明日は男鹿半島を一回りする腹積もりになっていたのです。

2016年9月17日土曜日

もうこれ以上の感傷に浸っている余裕はなかったのです

まだ2016年夏休みの車中泊での旅を書き終えてもいないのに、去る9月12日から2泊3日で長野の旅に行ってきました。幼なじみのキクちゃんが是非俺も連れていけということで二つ返事で了解して旅立ちました。この話はいずれどこかで書くかとも思います。

話はまだ秋田市仁別あたりをうろついているのです。ここでは2年間のべ半年に渡りおよそ5000坪の耕作地を相手にして百姓の真似事をしていたのです。水道・電気・ガスなしのまったくもっと原始的なアウトドア生活を送ったわけであります。今考えるとジツに無謀としか言えないようなものですが、時々懐かしく思い返されるから不思議なものであります。
先にも書きましたが、妻が秋田の地を踏むのは初めてのことであります。ここまできたのだから、ドン・キホーテのごとく孤軍奮闘したこの地を是非見せたかったのであります。
メインの通りからはずれて一段と細い道に入り橋を渡り耕作地に入りました。
そこに広がっていた光景は無残としかいいようのない耕作放棄地でありました。本当はこの地に一泊して当時一緒に遊んだ近所の人たちを訪ねて酒でも酌み交わそうかとも思っていたのですが、そんな甘い考えは太平山の麓の谷に綺麗さっぱりと散っていってしまいました。

これは紛れも無く自分の敗北の後であります。これ以上この地にとどまって感傷にひたるほどの神経を持ちあわてないので、自然に無口になり、「さて、今晩のネグラを探そうか」と重い口を開いてボソリと告げると「あれ、今晩はこの場所に泊まるんじゃなかった?」と妻が怪訝そうに尋ねてくる。
「いや、もっといい場所があるから」と無言でもときた道を引き返すのでありました。

2016年9月10日土曜日

秋田大学医学部附属病院近くのマックスバリュが懐かしい

海沿いをひた走っていた国道7号線から離れて秋田市街に入った途端に恐れていたとおりに道に迷ってしまいました。もちろんカーナビにはがっちり目的地を指定してあったにもかかわらずにでありました。中央部にかなりおおがかりなトンネルがあり、そこは何度か通ったことがあったのですが、そのトンネルに入りそこねたのであります。まさかこんなに早くトンネルが現れるとは思ってもみなかったので慌てふためいたわけであります。
こうなるとカーナビはしばらくの間、そのトンネルの入り口に誘導するためだけの案内をし始めますから煩わしくしょうがありません。いくら秋田市街とは相性が悪いといっても、なんどか走り回った道でありますから、その内に見た覚えがある景色も出てくるだろうし、それをきっかけにして連想ゲームのように視界が開けてくるだろうと高をくくってヨタヨタと走り続けました。

10分ほど迷走したでしょうか、そこに確かに見覚えのある高いマンションのようなビルが現れました。あれは確か秋田大学医学部附属病院かもしくはその近所にあるビルではないかと思ったのです。とにかくあのビルに向ってさえいけば、もうナビに頼る必要もなくなるわけであります。

あの懐かしいビルの近くにあるマックスバリュには毎日のように買い物にでかけていましたし、隣のホーマックというホームセンターには農作業に関する鍬やスコップ等々を購入しにきていたのです。もうこの時点で道に迷うということはなくなりましたし、ナビの案内も不要のものとなったわけであります。
すでにこの時点で今夜の食料は確保してあったのですが、あまりの懐かしいのでマックスバリュに立ち寄ることにしました。私はこの店で生まれてはじめて自分でレジ精算をやったのであります。自分で購入した商品にバーコードリーダーをあてて合計額がわかったら、じゃらじゃらポケットに入っている小銭を何も考えずに放り投げておいて、残額を確認してあらためて紙幣を差し込むわけであります。これ私のようなズボラな人間にはジツに向いている機会だと感心したわけであります。

2016年9月9日金曜日

待てば海路の日和あり・・・

昼食を食べたり、おみやげを物色したり、日帰り温泉でさっぱりしたりしていたら結構な時間になっていました。駐車している車に戻ってコーヒーを呑んで電子ブックをながめたりしていましたら、雨が小ぶりになってほどなくしてところどころに青空がでてきました。
この時の時間が午後の3時頃だったと思います。雨がこのまま強く降り続いているようなら、この場所に泊まるのも悪くはないなと思っていたのですが、青空が見えるようではそうはしておれません。一応最終目的地と決めている「男鹿半島」までは少しでも距離を稼いでおきたいところであります。
そうと決まれば行動に移るのは早いです。カーナビの目的地は秋田市仁別の代表的な場所であります。そこは私が延べにして約半年間開墾に精を出していた農地のある場所であります。
ある程度の買い物も済ましておりますし、日帰り温泉に入りましたので後は夕方になってから晩酌をして寝るばかりなのですから、ただただアクセルを踏んでハンドルを握っているば本日の仕事は終わりであります。ん?いつの間にかドライブが仕事になってしまっているのは何か変でありますが、ま、この際細かいことは拘らないことにしておきましょう。

この象潟の道の駅では以前鍋の材料となる魚を買ったり、刺し身も購入した記憶があったのですが、店舗にあたる場所を大幅に拡張する際に、普通の魚屋さんはきれいさっぱりとなくなっていました。名物の岩牡蠣というものを提供しているお店が3つほどありましたが、ふーん秋田って岩牡蠣が名物なんだって、この時はじめて知った次第であります。

秋田市内に到着しました。本当はナビなんていらないぐらいなのです。なぜなら国道7号線をただただ北上しているだけなのでありますから。ただ秋田市内に入ると話は違ってきます。
その昔、知り合いから軽自動車を借りて市内を走り回っていましたら、完全に方向感覚がおかしくなって、どうしても知り合いの家に戻れなくなってしまいましたのです。
あの時は正直焦りまくりました。大きなスーパーの駐車場に車を入れて、そこの奥さんに電話をしてスーパーの名前とか特徴を告げましたら大笑いをして迎えにきてくれました。
その場所は、知り合いの自宅から何百メートルも離れていなかったのであります。土地勘がないというのはそういうもんだのであります。あれ以来カーナビのついていない車に乗る時は怖気づくようになってしまいました。

2016年9月7日水曜日

いつも拍子抜けするのは温泉です

日帰り温泉に入る時に拍子抜けする事があります。今回のように駐車場が満車状態の場合であります。あんまり混んでいるような温泉にはできるだけ入りたくないものであります。でも旅先ではまた違う温泉を探すというのも面倒なものですから、仕方がなく決死の覚悟で入浴セットを詰め込んだレジ袋を持って突撃していくわけであります。
うーん、この書き方では決死の覚悟が伝わりそうにはないですが、ま、とにかく必死な形相で向かうわけであります。湯殿は芋洗い常態化と思いきや、閑散とした状態で体から力が抜けてしまうなんてことがよくある話であります。

この時の象潟の道の駅の展望風呂もそのような状態でありました。4階までエレベータで上り、チケットを自動販売機で購入していざ鎌倉の気分で突入していきましたら、実際に風呂に入っているのは二人でありました。
高台から雨にけぶる日本海をみながら結構大きな湯船に体を沈めます。露天風呂こそありませんが、なかなかの温泉であります。
なかには5脚ほどの椅子が用意されており、体があったまったらその椅子に腰掛けて呆けるようにして海を眺めて過ごします。
サウナもついていますが、私はあの熱さが嫌いなので余程のことがないかぎり入ることはありません。まして水風呂なんて冷たいので大嫌いです。って、子供のようですね。ミストサウナぐらいだったら入らないこともないのですけれども。

何か温かいものを・・・そんな気温でありました

どしゃ降りの雨の中ですから、できるだけ本館に近い場所に駐めたかったのですが、なんだか知らんのですが駐車場はメチャ混み状態であります。
ま、こういう時に考えるのは誰しも同じような事なので、このまま降り続けるようであったら、この道の駅で時間を潰して一晩泊まってしまうというのも有りだなと思い直して、宿泊しても煩くないようなかなり端っこを探して駐車した。
とりあえず、トイレに行って、昼食をとって温泉に入っておみやげを買ったりしていれば結構な時間になってしまうだろうと思ったのだ。そのうちに天候が回復してきたらまた7号線に戻って秋田市内にある私の開墾現場に向かえばいいだけの話でありますから。こういう気楽さが車中泊の良さであります。
温海の道の駅に寄った時にみたパソコンの画面の天気情報では雨雲がかかっているのは山形と秋田あたりだけらしかった。つまり私たちの周辺だけが雨模様だったわけであります。そうそうこの象潟の道の駅も第一級の道の駅でありますが、途中で寄った温海の道の駅もかなりのものでありました。がそれは後の機会に

出る時に散々迷った末に持ち込んだ2本の傘が、この時ばかりはおおいに役に立ちました。まずは何か腹にいれないと空腹では苛立ってきていけません。数年前に立ち寄った時よりは魚屋さんや食堂の部分が増築されておりしかもかなり立派になっておりました。それに食べ物屋さんの数も増えていました。ピザ屋さんとか、焼き鳥さんなんかも増えています。
他のお客さんが食べているラーメンなんかがとても旨そうに見えたのですが、そこは糖質制限食をまじめに実行している手前ぐぐっと我慢をしてとろろ蕎麦の温かいのを注文しました。まだ夏ですから当然冷たいものを注文したくなるものですが、なにか温かいものを欲しがるような気温であったのです。まだ9月にもなっていないのに東北の秋はもうすぐそこまできていたのであります。

妻にとっては初めての秋田入りです

旅に出る時に持っていくかどうしようかと悩むのは椅子とテーブルと書きましたが、もうひとつ悩むものがありました。それは傘であります。今回も荷物を積み込んでいる最中に悩みましたが結果的に2本の傘を積み込んでおきました。この傘を1本にするか2本にするかというところでも迷ったわけであります。なかなか私たちバカ夫婦の旅は苦悩に満ち満ちているのでありました。
傘2本だけといっても狭いワンボックスのなかでは結構邪魔になるわけであります。それにでかける前から雨を想定するというのもなんだか嫌なものがありますからね。

さきほど立ち寄った道の駅鳥海は山形にあるのか秋田なのかがわからなかったのでちょっと調べてみました。山形の遊佐町にあるんですね。正式には「道の駅 鳥海 ふらっと」という名でありました。調査ついでにホームページにリンクを張っておきます。
そうか手を抜かずにこのように丁寧に調査してリンクを貼っておけばいいんですね。これまでの旅行記にもこうしておくべきだったと思うけど、生来不精ですからね。ま、いいか。
道の駅鳥海が秋田であったなら、妻にとっては初めての秋田入でありますと書こうと思っていたのですがすんでのところでやめておいて良かったであります。

雨の勢いは衰えることをなく遠慮会釈もなく空から流れてきます。ようやく日本海を見下ろすほんの少し小高い場所に道の駅象潟が見えてきました。この雨にもかかわらずと云って良いのか、この雨だからと云って良いのかはわかりませんが、思いの外駐車場は満車状態であります。
ここでも面倒がらずに検索してみました。ただしくは「道の駅象潟ねむの丘」といいますね。今の今まで知りませんでした。
確か4階に展望風呂が日本海を見渡すような感じでありました。その日は26日フロの日ということで通常350円の入浴料が300円ということでありました。こういうこじつけならいくらこじつけて貰ってもいいですね。
新潟から東北にかけての日帰り温泉の入浴料が異常に安いように感じました。都合4回ほど利用しましたが最高に高くて380円だったと思います。1箇所を除いてボディシャンプー・洗髪用のシャンプーがついてのことであります。これまでの経験からしますと400円以下の入浴料ですとシャンプーがつかないというところが多かったと思います。自然入浴料が400円以下の場合は用心のために携帯用のシャンプーを持参することになります。
福島県の道の駅喜多方だったのですが、まともな入浴料だったにもかかわらず、シャンプーも何もない状態で体を洗わないででてきた悔しい思いでがあります。こういうのは絶対に忘れないもんですね。
なんであんなに安いのか推察してみますと、おそらく日帰り温泉が乱立しているために値段は底に張り付いたままになっているものと思われます。私ら車中泊族のためにどうか潰れないであって欲しいと願うばかりであります。

2016年9月6日火曜日

妻に、にわか百姓をしていた農地をみせてやろう

とりあえず男鹿半島をナビに打ち込んだのだけれども、その前に私が数年前ににわか百姓をやっていた辺鄙な農地をみせてやろうという思いがでてきました。しかし、そこは慣れない秋田市街をクネクネと走らなければ行きつけない場所であります。
そこに行くには絶対にナビの設定をしないと私には行き着く自信がありませんでした。7号線を単純に北上すれば男鹿半島に行き着くことができますが、せっかくきたのですからね。しかし、その住所がわかりません。地元の人にとってはナビなどなくても簡単に行き着ける場所だと思います。なぜなら、そこには「ザブーン」というかなり大きな日帰り温泉があり、植物園があり、スキー場があり、キャンプ場があり、整備された広大な公園のあるところのほんのちょっとだけ手前のところなのです。
今思えばiPhoneのSeriに聞いてみれば良かったのです。それは後の祭りであります。秋田に住み着いた時に思ったことは、秋田というところは案外アイヌ語が語源となっている地名が多いということです。だから北海道で耳にしたり目にした地名が結構多いと感じだのです。これは多分にして私の個人的感想で学術的な見解ではありませんから。例えば秋田市内に旭川なんていう地名があります。それから今は失念してしまいましたが、そのような地名が数か所あって印象に残っているのであります。
それらの事を思い出していましたら、連想ゲームのごとく、「仁別」という言葉を思い出したのであります。別ってつく地名って北海道にも結構ありますよね。「悲別」なんてのはドラマで使った架空の地名か。とにかくナビで秋田市仁別と入れましたら、例のごとく「代表的な場所」がでてきました。
そして、その代表的な場所が先ほど説明した屋内温泉プール付きの日帰り温泉「ざ・ぶーん」だったのであります。

まだ、大雨の中「道の駅象潟(きさかた)」を目指して必死に目を凝らして国道7号線をひた走っているのでありました。

とうとう叩きつけるような雨が降り出しました

酒田市街をなんとなくといった感じで通りすぎてしまって、鳥海山が見えてきても良い頃だと思ったが、朝から曇り気味だった空も今にも降り出しそうな気配が濃厚となっており、鳥海山の影も形も認めることができなかた。
文字通りに鳥海という道の駅の案内看板がでてきたあたりから、本格的に降りだしてきました。この道の駅には確か産直野菜や海産物を販売していたような記憶があり、寄ってみることにした。それはどうも私の記憶違いのようで野菜は売っていたが、海産物といってもおみやげ用のものしか販売されていなかったので、妻は産直野菜と果物を仕入れたらしいのですが、二人旅の時はそのような買い物にはまったく興味がないので店舗の物色はまったくやらなかった。
まだ、ゆうべの埼玉夫婦の焼酎湯水攻撃のダメージが残っており、元気は回復していなかった。まだお昼をちょっと過ぎたあたりなので、長くこの道の駅に逗まっているのはいかにも勿体無い気がしたので先を急ぐことにした。

しばらく走っていたら、雨は益々激しくなり、バケツをひっくり返したような状態になってきました。その時に思い浮かんだのは象潟(きさかた)という道の駅であります。晩秋に一人で東北をうろついていた時に、そこでかなり安く魚介類を購入したことを思いだしたました。その時は秋田の日帰り温泉に入った後だったので、そこに展望露天風呂があったのですが、入ることも調査することもしなかったのであります。
とにかくこんな叩きつけるような雨の中を走り続けてもロクな事がないので、その道の駅で昼食を摂り、温泉に入って休憩をとることにしました。

この時点でなんとなく最終目的地は男鹿半島あたりだなという思いが出てきていました。今年の夏休みは関東近県の日帰り温泉をウロチョロと巡って終わりだなと思っていたことが、いつの間にかとにかく日本海の沈む夕日を眺めて一杯やり、波枕で眠りに落ちてしまうというものに変わり、妻に男鹿半島をみせてやりたいというものに変節していたのでした。

日本の男は総じて照れ屋であるし、素直ではないのだ

昨日自宅を出て新潟県あたりをうろついていたのだが、ずーっと良い天気で日本海の色もさわやかな色でありましたが、県境超えて山形県に入ったあたりから空模様はアヤシクなりつつあった。

まだカーナビの目的地は「酒田市の代表的な場所」に設定してあった。この「代表的な場所」とはどこなのかといいますと、いつも途中で設定し直してしまっているので最後まで走ったことが無いのですが、たぶんここでは酒田市役所を指しているのだと思います。
別段、酒田市役所に行きたいわけではないので、そろそろ設定を変更しておかなければいけないのだが、今回はこれといって最終目的地を決めているわけではなかったので困ってしまう。
そうだとりあえず庄内平野から眺める鳥海山を妻にみせておこうとだけ思った。
私は秋田でお百姓さんの真似事を少しだけの期間やっていたことがあるので、結構庄内地方を走り回っていたので妻よりは詳しいのであります。

あれはいつの頃だったか定かではないのですが、春の田植えの時期にたぶん秋田に向っていたのだと思います。庄内平野は昔から日本でも有数な米どころであります。それらの広大な田んぼが田植え前の代かきも終わり、満々の水をたたえて大きな鏡のようになっています。
そこに、まだところどころに雪をいだく雄大な鳥海山が、映っているのです。広大な鏡のような庄内平野に雄大な鳥海山が逆さ富士よろしく逆さ鳥海山となっている光景は今も忘れることができません。
おそらくもう2度と見ることはできないでしょうけれども、せめて鳥海山ぐらいはみせてやりたいなと思ったわけであります。

ある時、妻と同じような旅をやっている時に
「お父さんは、いつも一人であっちこっち走り回っているけど、ああ、こういう景色を妻にもみせてあげたいなと思ったことはない?」
と妻に聞かれたのですが、
「そんな事思ったこともないなぁ」
「・・・・・・・・」
などという会話をしたことがあります。その時はいつも自分だけ気ままに無目的に徘徊している後ろめたさもあり、それに多分に照れもあったから、そっけない返事になってしまったが、本心は違います、「うわー、スンゴイ景色だな、これをアイツにみせてやったら感動するだろうな」と幾度も思ったことは確かです。
しかし、日本の男は総じて照れ屋であるし、素直ではないのですから仕方のないことであります。

2016年9月5日月曜日

イオン系の店はあっちこっちにあるのでした。

そういえば、今回の旅行ではマックスバリュという大型スーパーが目につきましたし、3回ほど利用したかも知れません。
東北にはマックスバリュが多いのかも知れません。最近はイオン系のスーパーが増えていると感じます。伊勢志摩・南紀あたりを周った時はイオンの本拠地が近いせいもあって当然目につきました。北陸・中国あたりでも目につきました。
自分の住んでいるところでもちょっと考えつくだけで3店舗ほどあります。イオンの力をまざまざと見せつけられる思いであります。
旅先では買い物もひとつの娯楽であります。本当は地元資本のスーパーが面白いのですが、それはなかなか探し当てることはできません。どうしても国道添いの目についた大型スーパーを利用してしまいます。

また北海道独り旅の時の話になりますが、独り旅ですから手っ取り早く買い物ができればいいわけですからコンビニを利用することになります。どの店に入るかというと、やはり馴染みのあるチェーン店ということにどうしてもなってしまいます。
セブン-イレブンとかファミリーマートとかローソンとかですね。私の頭のなかはまだまだ都会の感覚から抜け出すことができません。
それは賑やかな都市でも小都市でもそれらの店はあります。しかし、今はそのコンビニ事情がどうなっているかはわかりませんが、都市を離れてしまいますと、私の知っているブランドのコンビニなんてのは目にすることができなくなります。
おそらくコンビニの場合はその流通の利便性を考慮して面で展開していきますから、遠く離れた過疎の町に1店舗だけを出店するなんてことがないからでしょう。
都会から離れていくにしたがって、目についてきたのがセイコーマートというコンビニであります。それまでも目には入っていたのですが、どうもわざわざ入る気にはなれませんでした。
もう、そのセイコーマートぐらいしか店舗自体が見当たらなくなって入るしかなくなったのです。そこで恐る恐る入ってみました。
そこはコンビニというよりもミニスーパーのような感じで、惣菜は充実しているは野菜や果物やお米まで売っているではないですか。
私のように車中泊をして旅する人間にはぴったりのお店でありました。なんでもっと早く入らなかったのかといささか悔やんでもみました。
皆さんも興味がありましたらセイコーマートを調査してみたら面白い事実がたくさん見つかると思います。もっとも最近はセイコーマートのマートを外してセコマになったらしいのですが、それは元来のコンビニの形態から脱皮する宣言のようであります。

先日家族でセイコーマートが話題になりまして「そういえば大洗の町でセイコーマートを見かけたよ。どうしてあんなところにポツンとあるんだろう」と私が話しましたら、長男が「それは簡単な理由だよ、苫小牧からフェリーでくるトラックの空きスペースを利用して商品を運んでこれるからさ」という話でありました。

単なるウスラバカ旅でもそれなりに勉強になるところはあるというお話でありました。

旅に出ても糖質制限食は崩せません

まだ鶴岡市の海沿いのMaxValueの駐車場で朝食を摂っています。妻が肉類を中心とした惣菜を仕入れてきたので簡単に食事を終わらせてしまおうという魂胆なのであります。

糖質制限食を取り入れた時から、野営の時の食事が随分と簡単になりました。糖質制限食というとわかりにくいですが、早い話が炭水化物をできうる限り摂取しないというものであります。よってお米や麦でできているパンや麺類等を完全にシャットアウトするのです。私はこれで重度の糖尿病から逃れることができたのであります。こんなに簡単な方法で3度の食事のたびに打っていたインスリン注射や血糖値測定もやることがなくなりました。
かかりつけの病院ではもう通院の必要はありませんとまで云われました。しかし、それでは不安が残ります。よって4ヶ月に1回だけ通院して尿と血液の検査だけをやってもらっています。
以前は、月に1回の検査でしたが、その間隔が次第に伸びてきて現在の間隔になったわけであります。
確かに月に1回の通院はそれなりに面倒なものがありましたが、1ヶ月を目処に食生活に注意を払えばいいので精神的には楽なものがあります。それが4ヶ月に1回となりますと順調にいっているのかどうなのか結構不安なものがあります。
もともと炭水化物大好きなわけでありますし、白いご飯に味噌汁に漬物があれば大満足な人間でしたから。糖質制限食に切り替えますとエンゲル係数が上がりますが、合併症の恐ろしさを考えると背に腹は変えられないわけであります。
病院では糖質制限食を奨励しているわけではありません。むしろその逆です。糖尿病が悪化して入院生活をしていた時の食事は、「え?これが入院食なの」と驚くほどの量が出てきました。それも特別なメニューというわけでなく、普通の食事であります。
最初の頃は退院してからの食事の参考にしようと全部の食事をスマホのカメラで撮っていたのですが、これはなんの参考にもならないとすぐにやめてしまいました。
病院の治療法は普通の食事を与えておいて、それを大量のインスリン注射で抑えてしまうというやり方でありました。
私はその治療法に大きな疑問を持ち、関係する書物を買い集め糖質制限食療法に行き着きました。それをやりはじめて1ヶ月ほどで絶大な効果が現れました。それから徐々に医者には内緒でインスリンの量を少しずつ減らしていったのです。それで3ヶ月ほど経過した時点で一切のインスリンの投与をやめたのです。もちろん医者には内緒であります。
半年ほどたった時点で医者は「そろそろインスリンはやめて良いかもしれませんね」と云ったので、「実は先生、もう3ヶ月ほど前から一切打っていないのです」と告白したのです。
それは先生も気分を害したのでしょう、もう完全に治ったからこなくていいよと絶縁宣言されてしまったのであります。
糖尿病なんてものは一旦かかったら完治するわけはないと思っていたので、必死に頼み込んで現在の4ヶ月に一回の検査となったわけであります。

2016年9月4日日曜日

辺鄙な場所にあるMaxValueで買い物です

「あっ、MaxValueがあった」と妻が声を上げたのは7時をちょっとまわった頃だったと思う。すでに新潟を後にして山形に入っていた。「MaxValueは確か24時間営業よ」と私の知らないことをいう。それならばとハンドルを右に切り、こんな場所には不釣り合いなほどの大きなスーパーとホームセンターが併設してある駐車場に入った。
だだ広い駐車場に数台の車が認められたので営業はしているのだろうと思う。昨夜は思わぬ来客が2組もあり、まだ旅を初めて一日目ということで食料のストックも少なかったのだけど、それでも歓迎の意味で持っていた食料を全力出ししてしまったので、朝食分は何も残っていなかった。
旅の鉄則として最低でも一日分の食料はストックしておくべきだと思っているのです。できれば2日分ぐらいがいいかと思っているのです。

北海道を独り旅している時に、素晴らしいロケーションの場所がありました。そこは高台で3方を海に囲まれて広大な芝生張りの公園になのです。北海道はこういう信じられないほど贅沢な場所がふんだんにあるから病みつきになってしまうのです。
そこにやはり独り旅をしている青年が、すでに椅子とテーブルを出して呑み始めていました。「ここ素晴らしいね」「でしょう、私も気に入ってしまってしばらくのんびりしようかと思っているんです」「旅は道づれといいますから、今晩ご一緒していいですか」「どうぞ、どうぞ」
その時には、まだ夕方の買い出しも終わっていなくて、そろそろ買い物をしなくては思っていた時なのです。そこには立派な不釣り合いなぐらいに立派な日帰り温泉もあったのであります。
「じゃあ、お言葉に甘えてご一緒させていただきます。その前にちょっと食料を調達してきます」
といって出たまでは良かったのですが、あんた北海道を舐めてはいけませんよ。いけどもいけどもスーパーなんてひとつも見かけることがありませんでした。
結局、2時間ほど走ってようやく小さなスーパーをみつけて冷たいビールと食料を調達したのですが、北海道の道を2時間走るということは200kmほど離れてしまったということであります。
もう、戻る気力はどこかに失せてしまっていました。
だからこういう場合に備えて、酒は当然としても乾き物でもインスタントものでもなんでもいいから最低一日分はストックしておくべきだと思うのです。災害の非常食と同じですね。
羅臼の道の駅でお会いした車中泊の神様と呼べるご夫婦の哲学はもっと徹底していました。最低でも1週間は常に持っているのだそうです。その神様夫婦は軽のワンボックスなんですけれど、3電源の冷蔵庫を積んでいるのです。「3電源とは:バッテリー・家庭用電源・LPガスです」その神様は一年中全国を旅して周っていて気に入ったところで1週間でも1ヶ月でも居続けるのだそうです。
だから最低でも1週間分の食料を持ち歩くのだそうです。
私にはそれほどの時間の余裕はありませんのでせいぜい1日か2日分ということになります。

さてそのMaxValueはかなり辺鄙なところにありますから、さすがに24時間営業ではなくて朝の7時から10時までとのことでありました。
私は昨夜飲み過ぎたせいでお店に入っていく元気もなかったので車に残ってラジオを聞きながら周囲を眺めていました。
なんとそこにはタクシー乗り場があり、2台ほどのタクシーがドアを開けてお客さんを待っているのです。お店からお客さんが出てくると運転手さんがトランクを開けて丁寧に荷物を積み込みます。これは地方ならの光景ですね。買い物弱者のために行政とタクシー会社とスーパーの3つ巴で協力しあっているのでしょう。やるね山形県
そしてしばらくするとまた新たな発見をすることになるのです。それは庄内交通のバスであります。小型の黄色いコミュニティバスのようなものが駐車場内のバス停に横付けするのです。おお、やる時はやるもんだね庄内交通とイオン見なおしたよ。

さっきから気になってはいたのですが、空模様がどうも怪しいけど、ま、車だしそれほど気にすることはないか、もう少しで酒田市の代表的な場所だからね。

ねぐらは明るいうちに 2

独り旅の時はすべてにおいていい加減で適当なのですが、妻と一緒のときはそうもいきません。せめて安全と思われるねぐらを選択するのは私の努めだと思っているのです。あまりにおかしな場所に宿泊していると警察に職質される場合だってあります。私の行くところはおまわりさんなんてほとんど見かけるところではないので一度も職質なんてされたことはありませんけれども。自転車で旅する人なんかは結構職質されるようであります。
北海道ではほとんどそのような事はないのですが、本州では旅館や民宿を利用しない旅人なんてのは乞食同様に思われてしまうのでしょう。これは仕方のないことだと思っています。
最近は道の駅がどんどんとできてきて、旅はしやすくなってきましたが、寝る場所はできるだけ道の駅でないところを探します。トイレや産直野菜とおみやげを購入する時だけ利用します。道の駅ってのは夜中でも結構出入りがあって煩いものなのです。よほどの事がないかぎりは避けるようにしています。山の上の頂上にある駐車場とか、鄙びた漁村の海の見える駐車場とか、とにかく丁寧に探してみると結構あるものです。

自分でいうのもなんですが、静かで景色が良くてという場所を探すのは天才的だと思っているのです。実際そうやってこれまで探した秘密の場所ってのはたくさんあります。
やはり、そういう場所を探すのは明るいうちに捜さないと見つからないものであります。

暗い時にどうでも良くて泊まったところがとんでもない場所っていう極め付きがもう一つあります。この時は晩ごはんを確か外食したのです。もう時間もかなり遅くなっていました。妻も子どもたちも後ろのベッドで熟睡しています。そんな時独りで運転していてもつまらないのでどこか静かなところに車を寄せて、一杯呑んで寝ることにしました。
結構外は寒くて窓を開けると冷気が容赦なく車内に流れ込んできます。エンジンを掛けぱなしにして酒を呑み始めました。冷えきった空にこぼれ落ちてきそうな満天の星であります。星というのはなんで見る場所によって一つ一つの粒があんなに大きくみえるでしょうか。
満足するほど酔ったのでエンジンを切って、子どもたちのところにいって誘い込まれるように眠りに入りました。

静かな朝です。静かなはずです、そこは大きな村はずれの墓所であったのです。昨夜はまったく気づかなかったのですが墓地の中央を走る道の上だったのであります。別にそれで変な夢をみたとか何か得体の知れないものがでてきたなんてことはなかったので、どうということは無かったのですが、私はすぐにエンジンをかけてそこからそーっと離脱しました。
だってこんなことが家族に知れたら、「お父さんとは二度と旅には行かない」なんて騒がれだす可能性もあるわけであります。こういうことは隠密裡に済ましておくに限ります。

もうひとつは、かなり怖い話なのですが、ここでバラしていいものかどうか迷うものでありますがよしておきましょう。
旅にでてテントや車に泊まるというのは最初は結構不安になるものであります。大概の場合は思い過ごしから自分の不安を不必要に増長させてしまうきらいがあります。私の書いた不適切の言葉でそれらに輪をかけるような事があっては申し訳ありませんからね。

でも、ひと言だけ、「どんな事があっても廃屋には泊まるな!」であります。

今夜のねぐらは明るいうちに・・・・・

遅めの出発といっても6時ちょっと過ぎだったぐらいだと思います。私たちの旅のパターンは午前中にできるだけ距離を稼いでおいて、午後からはその日の状態により前後しますが、日帰り温泉を探して入浴して、次にスーパーを探してその日の晩酌のおつまみを調達し、まだ陽のあるうちにその晩の寝床をきめて後はのんびり過ごし、夜はやることもないので早めに酒を喰らって寝てしまうというジツに単純なものであります。
寝床を明るいうちに探しておくというのは、夜中になると暗くてなかなかいい場所を見つけられないということがあります。今回は初めての場所でないからだいたいの見当をつけることができますが、大抵の場合は初めてのところばかりですから、自分がどんな場所にいて周辺がどのようになっているかを把握しておかないと結構不安なものであります。

かなり前の話になりますが、会社の同僚10人ぐらいで房総の御宿というところにキャンプにでかけました。会社の仕事が終わってから出発したものですから到着した時はかなりの時刻になっていたのです。別にキャンプ場を予約していったわけでなく、適当な場所があったらそこにテントを貼って酒喰らって寝ようというジツにいいかげんで杜撰としか言いようのない計画だったわけであります。
今は、どうかしりませんが房総なんていうところはジツに辺鄙な場所でありまして、街頭などというものはほとんどなく日が落ちれば漆黒の暗闇のなかで海の近くらしいというぐらいしかわかりません。
昼間の仕事の疲れと空腹と早く酒呑みたいという複合条件が重なりましてロクに周辺の調査などすることもなくテントを張りまして、とにかく、冷たいビール、ビールとなります。疲れた体にひとたびアルコールが入りますと、若さも手伝い元気になります。そうなると手のつけられない大宴会に発展していくのがバカ集団の常であります。
当時カラオケなどというものは影も形もなくて、男同士の宴会となるとアカペラの唄の合唱となるのが正しい姿なのです。少なくても私はそう思っていました。
そのバカ集団のなかに漁師あがりもしくは漁師の小倅などというのが数名おりまして、またこいつらは唄が抜群に旨いのであります。おもに民謡でありますが、ほとんど私の知らない漁の唄でありますが、声もとおるし聞いているとまるで自分も漁師になったような錯覚さえ覚えてしまいます。
「あいずだよ、あいずだよ、くじらのあいず」
最初に聞いた時に福島県の会津地方の唄かとおもったけど「合図だよ、合図だよ、鯨の合図 燈明崎からのろしがあがる・・・」そうです、森という男だったけど和歌山の漁師あがりでありました。
しかし、あいつが唄う唄はしみじみいい歌でありました。
ま、そんな調子で大騒ぎして、翌朝当然二日酔いでありますけど、テントの中で日がかなり高く上がっているのを確認して、宿酔いの頭をかかえておそるおそるテントから顔をだしてみると、そこは、ななんと人さまの大きな屋敷の中であったのであります。
このバツの悪さは今でも思い出すたびに顔が赤らんできます。それから今さら遅いとは思いますが、そうーっとなるべく物音立てないように海岸のほうに数十メートル移動していったのであります。

「へえー、で、どこからきたの?」「みなみぎょうとく」

最初は焼酎の水割りをきちっと正しく作って呑んでいたのですが、埼玉からのご夫妻の旦那さんが頻繁にビールのごとくドボドボ注ぐものだから、だいぶ酔が回っていた私はだんだん面倒になってしまい、気がつけば焼酎をそのまま口にしていました。

大分夜も更けてきたころに軽のワンボックスがやってきました。見るともなく目をやると、いきなり駐車場にドーム型の大型目のテントを張り始めました。どうも若い夫婦のようであります。駐車場にテントを張るという行為はこれまでほどんど目にしたことがなかったので驚きました。
それよりも驚いたのは、夫婦で交わす会話であります。英語と中国語ぐらいなら、内容はわからないけれども判別はつきますけど、彼らの言葉は皆目見当がつかないものでありました。
こうなってくると私の興味の対象は埼玉夫婦からいきなりテント張り夫婦に移っていくのでありました。酔った勢いに背中を押されるような形で、「こんばんは」と声をかけて見ました。そしたらきれいな日本語で「こんばんは」と返ってくるではありませんか・・・・。
あとはお決まりのパターンであります。10分後あたりにはそのいきなりテント夫婦も椅子と酒を手にして私たちのテーブルに座って旧知の仲のような雰囲気で宴会を続けていたのです。
本当はその情景をここで描写すればいいのでしょうけれども、その筆力がありませんので簡単に書いておきます。
「さっきの言葉は何語だい?」
「あれはポルトガル語」
「へえー、だったら日系のブラジル人ですか」
「ぴんぽーん」
「へえー、で、どこからきたの?」
「みなみぎょうとく」
「え!?みなみぎょうとくって市川の?」
「そう、千葉県のね」
いやはや、今日はなんていう日なのでしょうか、一組は埼玉のご夫婦で二組が市川の夫婦なんですから、ご近所同士まるでつるんで出かけてきたような感じであります。
もう日本に住んで20年だそうです。日本国籍も持っており、名前が太郎というのだそうです。また6ヶ月の赤ちゃんもおりまして、名前を猛(たけし)と命名したそうであります。
それが、長年溶接工していたのですが、最近いきなり10名ほどがリストラされてしまったそうであります。それでも暗い雰囲気はひとつもなく逆に逞しさを感じてしまいました。

そんなこんなで結構盛り上がっていたのですが、次の朝はそれぞれの目的地に向って早めに旅立ということで、お互いに「よい旅を」と挨拶交わしお開きとなりました。
今こう書いていて疑問がひとつ湧いてきました。日本在住20年にしてはどうみても20代のご夫婦だったなということです。だから子供の時に移住してきたのだろうと思います。ま、そんな事はどうでもいいか。

翌朝は二日酔い気味で起きだした時には二組のご夫婦の姿はありませんでした。事故らないでとにかく良い旅を続けてくれることを、ウスラボケ頭で祈るのでありました。

さてこの時点でまだ1日目を終えたばかりです。本日も含めて残り4日であります。もうそこに私の郷里山形がありますので、とりあえず山形県酒田市代表的な場所をナビを入力しておきました。



2016年9月2日金曜日

そこまでは聞いていないって

まだ旅の一日目の話でありますが、あっちこっと脱線するものですからなかなか先には進まないのでありますが、これでいいのです。だってたかだか新潟へ車で行っただけの話ですからたいして面白い話なんてあるわけがないのであります。

埼玉のご夫婦は昨年自営していた焼き鳥屋さんを畳んで隠居生活に入ったのですが、どうも仕事をしていないと落ち着かない、そこで昔からやりたかったアウトドアをやってみようと思い立ったということであります。そういえば車はワンボックスのビカビカ新車であります。これまで四国を1ヶ月ほどかけて周ってきたそうです。
他にも近くを泊まり歩いたそうなんですが、こんな風に見知らぬ人と和気藹々と酒を呑み交わしたことは始めてだそうです。あまりに感激してくれるもんですからなんだかこそばゆくなってしまいました。

私の経験からいいますと、夫婦で旅するとどうしてもそうなってしまうのです。だってまったく寂しくないわけですから、日常の家庭生活がそのままに外へ飛び出した状態になるわけです。当然他所の人とはまったく会話を交わす必要がないわけですから必然的にそういう状態になってしまうのです。普通の人はそれが旅だと思っているのです。

ある時発作的に独り旅にでかけた時があります。私の生活は基本的に朝から晩までパソコンの前に座っており、へたすれば一日中口をきかないなんてことも珍しくないのです。それでその旅をしている最中にある事に気がついたのです。どこへ行っても家で仕事をしているニート状態だということであります。仕事部屋が単に車の中に移っただけの話なのです。これではいかんのではないか、これでは旅に出た意味はないのではないか、と強く思ったのです。

そこで勇気を振り絞って誰でもいいから話しかける決心をしたのです。普段はプログラムコードだけを相手にしており、人と話すの本当に苦手なのであります。「こんにちは」のひと言が出てこなくてかなり苦労したことを覚えています。
最初に会話に成功したのは日帰り温泉の露天風呂のなかであります。「こんにちは、地元の方ですか」地元の人であればこの周辺の情報根掘り葉掘り聞き出しますし、他所から来た人ならばその人の住んでいるところの情報をできるだけ詳しく聞き出すことにします。
だいたい、休日でもない普通の日に日帰り温泉なんかにのんびりと浸かっているのは基本的に暇な方が多いのです。
「姉の嫁ぎ先がなぁ、あまり良くなくってな苦労したと思うよ。その姉がな、昨年ガンでなくなってしまってな」
そこまでは聞いてないって、「で、その姐さんの嫁いで行った先はどこなの?」必要ないって、そんな情報と思っていてもなんだか相手が話したそうなのでこちらも引くに引けなっくなってしまったこともたくさんあります。「それがな、千葉の船橋というところなんだよ」「あれ!俺その隣の市川というところからきたんだよ」「え!あんな遠い所からわざわざ」「で、何しにきたんだ」何しにきたんだと問われても明確な応えなどあるはずもなく困ってしまうのであります。



「北海道の風景は大雑把すぎて・・・」と若い女ライダーはうそぶいたのです。

20分ほど経ったころにようやく、それぞれの椅子と呑みものを持ち席についてあらためて簡単な自己紹介などをやり、旅談義に花を咲かせることになったのであります。
こういう時の話というのは結構有意義なものが多いのでおろそかにしてはいけないのであります。それぞれが実践してきた生の情報ですからあたり前の事でありますけれども。あれ?そういえばおじさん夫婦の名前を聞くのを失念していました。ま、それでいいのです。これまでの経験からしてもう2度とお会いすることはないのですから。

話によると埼玉県から今朝旅立ってきたらしいです。こうなると辿ってきたコースは私たち同じになってきます。そしてここからが違います。これから秋田の男鹿半島を周り、青森の竜飛崎へ寄り、青函フェリーで北海道に渡り、約1ヶ月間かけて一周する予定だということであります。これは本格的な車中泊による旅人ですね。
これまでなんども北海道を周りましたが、いつも1週間から10日ほどの日数しか取れませんでしたから、北海道へ行くまでの道中を楽しむという発想が湧きませんでした。新潟港から苫小牧へ行った一人旅の時だけ1ヶ月ほどをかけましたが、その時ですら、全面的に頭のなかを支配していたのは北海道だけでありました。

そうそう話はまたまた脱線してしまいますが、新潟港から北海道へ単身北海道に向った時にカー・フェリーのなかで男女二人のライダーと一緒になり、夜のふけるのも忘れて酒を呑みながら話し続けたことがあります。男のライダーの方とは苫小牧まで一緒しましたが、若い女のライダーは翌朝6時に秋田港で下船して東北旅行にでかけていきました。その時の女ライダーの話には興味をそそられました。
「なんで北海道でなく東北旅行なの?」「北海道は好きで好きで、アルバイトをしながら3年ほどいたんですよ」私はこの時に延べ日数にして1ヶ月ほどの滞在時間でありました。いやはやこれは筋金入りの北海道大好き人間だなと思ったわけであります。
「3年もね北海道にいると、最初は好きだった北海道の風景が大雑把にみえて嫌になるんですよ。だから今回はちまちまとした東北の風景のなかに身を置いてみたくなったんですよ」
なるほどな、感じようによっては北海道の風景はどこへ行っても大雑把なのかも知れないと思ったけれど、私はそのおおらかで大雑把な風景に憧れていたわけですから・・・・。そして今でも結構憧れているところはあるのです。

旅に必要なのは「常に整理・整頓・清掃」です

私どもの設営は簡単に済んでしまったのですが、おじさん夫婦のほうはかなり待っても準備ができません。後で聞いた話によると、道具が沢山有りすぎていつも探しまわらなければならないのだそうです。
うーんそれは私たちがキャンプをやり始めた当時の状態と酷似しています。今でこそ道具は厳選されてシンプイズベストのスタイルになりましたが、このスタイルになるまでウン十年の月日を重ねてきた結果に他なりません。
「じゃあ、寝る時なんかもっと大変でしょう」と聞くと「そうなのよ、寝る場所を確保するに一苦労するのよ」と奥さんが応えます。これは決して笑い事ではありません。一番最初に約1週間ほどの北海道旅行に出かけた時にはまさしくその状態であったのです。
大型テントに大型の自立型タープ、ガス炊飯器、ホンダの発電機等々と家財道具一式を詰め込んみ、それに親子5人ですから、まさにギュウギュウ詰めの状態であります。
それでキャンプ場に着けば毎回大型テント・タープを組み立てご飯を炊き、味噌汁をつくりと今考えれば信じられないほどの労働量です。それでその場所に数日間いるのであれば納得できますが、夜が明けるかどうかの時に、朝食を摂って、すべての住居を取り払い撤収であります。
それで夕方に別の目的地に着けば再び設営であります。本当にバカでしたけれども、若くてパワーもあったなと我ながら感心してしまいます。

現在は基本的に足を伸ばしてゆるゆると寝られることが一番重要なことだと考えています。その為に外に荷物を出すということもやりません。寝る時も全部の荷物が車の中に収まるということも重視しています。目覚めたらすぐに動き出せる状態に常にして置くというのが鉄則になっています。
基本車の中はスカスカの状態にしておくという主義です。とは云っても着替えやら簡単な炊事道具やらで、荷物自体は結構な量になってしまいますけど。

だからこそ、出てくる時の準備で悩んだのは椅子とテーブルなのであります。

また重要なのは製造業ではないのですけれども、「常に整理・整頓・清掃」なのであります。私が運転している時には妻が後ろの座席で荷物等の整理・整頓・清掃をやります。もう次にやることがわかるわけですから、それに備えておくわけであります。こういう時も荷物が少ないとすぐに終わってしまって観光に専念できます合理的なわけであります。

椅子とテーブル持ってきて良かった

お日様さんが水平線の彼方にすっかりと沈み込んで夕陽の残照が少しだけ残っている時にカメラをぶら下げてしぶしぶといった様子で帰ってきました。地方での夕暮れは太陽が沈んでしまえば急速に大気の温度をさげていくものであります。
それぞれのトアを大きく開け放しておくと日中とは打って変わって涼しい海風が通り抜けていきます。本格的な闇が訪れるまでにはまだまだ時間がありそうです。

これまで駐車していた車のほとんどはいつの間にか姿を消しておりました。この時点で留まっている車のほとんどは車中泊者であります。数えてみると私の車の他に1台しかありませんでした。

普段の生活でそれほど会話のある夫婦だとは思わないのですが、こういう特別な環境に置かれると違ってきます。妻も滅多には口にしない缶チューハイに口をつけているせいもあり、よもやま話に花が咲きます。
気がつけばおじさんが一人、木材を模したコンクリート製の手すりに身を寄せて、海を眺めています。これはタイミングだけの問題なのですが、そのおじさんと偶然に目があってしまったので、反射的に会釈をしたのです。
そしたら、思いもかけない元気な声で「こんばんは」と返ってきたのです。そこから会話が続き結局離して駐めてあった車を私の車の傍まで移動してきました。
どうせなら、一緒に酒呑みでもしようという話になりました。そうなるとこちらは手慣れたもので準備するのは半端でなく早いのです。
というのも毎回こういう旅では見ず知らずの旅人と一組か二組と一緒に大宴会になってしまうというのを経験しているのであります。

旅の準備するときに椅子とテーブルを持ってでるかでないかで結構迷っていたのです。長野や山梨あたりの近場だけで過ごす時には必須アイテムでありますが、長距離を走るとなると椅子とテーブルは結構邪魔なものなのであります。
この時こそ持ってきて良かったなと思ったことはありません。もっと遅い時間になるとこの4人にもう一組の夫婦が加わることになるのです。


2016年9月1日木曜日

とうとう太陽も観念したように沈み始めました。

昼間のうちにはどれほどの権勢を持ちあわせているのかと思われるほどのパワーを発揮していたお日様さんもようやく、その衰えをみせながら海原に沈み始めました。

私は、静かに杯を傾けながら明日のことなどに思いを馳せています。妻は、どこへ行ったのやらカメラを手にとって出て行ったきり、お日様さんが完全に沈むまで戻ってきませんでした。

この時になぜだか、滅多に聞くこともない加山雄三の「夕陽あかーく、地平のはーて」というフレーズが突然に頭に浮かんできて、無性に聞きたくなったのであります。
それまでJAZZオンリーのBGMだったのですが、どこかのプレイリスト入れていたことを思い出して加山雄三を探し始めたのです。旅に出るときはいつもiPadClassicを持参します。大体5万曲近く入っていますから、どんな長旅でも大丈夫なのですが、最近このiPadClassicも疲れてきているみたいでディスプレイの文字が薄くなってしまっていて読みにくいのです。それでなくても緑内障の手術をして視力がかなり低下していますから尚更のことであります。こういう時に妻がいれば簡単に探し当てられるのですが、肝心な時はいつだってこの調子であります。だんだん腹がたってきたのですが、ようやくの思いで探し当て流しました。
「夜空を仰いで」とか「旅人」とかなかなか、このシュチュエーションにあっているではないですか、危うくなりかけていた私の気持ちも、以前のシアワセなものに変わっていったのでありました。
こういう時の酒は本当に旨いですね。旅に出て一日目に迎える夜ですから結構興奮気味でありますから、クイクイとお酒が進みます。


感動や感激は伝染るもんなんですね


国道7号線で新潟市内を駆け抜け雄大にゆっくり流れる阿賀野川を渡ってほどなくして左折して7号線と並行するような感じで走る国道に入ってからは左側の窓には常にと云ってよいほど日本海を眺めることができます。
その頃から妻の様子が違ってきたように感じます。「見てみて!海だよ海・・・」まるで初めて海を見たようにはしゃぎ始めたのです。「うるさいなぁ、さっきから見ているよ」
思い起こしてみたら、去年だって長野から糸魚川を抜けて北陸の日本海を右にみながら島根まで走り抜けたのです。もっとも福井までは以前にも足を延ばしたことがあったので、そこまでは高速道路を使い、そこからが国道8号線で走り抜けたので、これほど近くに海の近くを走ったわけではありませんでしたけれども。
隣で「いいねぇ、いいねぇ、素晴らしいね」を連発されますと、本当のところそれほど感動していたわけではないのに、なんとなく自分にもそのワクワク感が移ってきたように感じます。感動や感激というものは連鎖するものなのだということを実感したわけであります。
それからどんどんと北上していき、笹川流れに近づいて行きますと、妻はますます逆上的に興奮していくのでありました。

かなり前の話になりますが、徳間書店で地図を出版するという話があり、その調査をウスラボケのけー坊と一緒にアルバイトでやったことがあります。その時の調査範囲は宮城・山形・新潟だったように記憶しています。
その時に笹川流れに差し掛かり、ウスラボケのけー坊が云うには「ユキオあんちゃんはこの笹川流れが好きでわざわざここを目指してくるんだよ」と云ったのです。「へえーこんな所にわざわざくるんだ」「うん、アニキも結構変わっているからね」などという会話を交わした覚えがあります。
その後も2度か3度この場所を通った覚えがあるのですが、その時も仕事がらみであったり、自宅を目指してのついでであったりしたので心の底から風景を楽しむという雰囲気では無かったのであります。
今回は思いの外妻が感激してくれましたので、自分でもその気になって景色を楽しんでみるとその良さがじわじわと理解できるのでありました。

道の駅笹川流れに到着しました

最初は仮の目的地だったはずの「道の駅笹川流れ」に到着しました。それは新潟県の北のはずれにある村上市にありました。以前にそんな道の駅があったかなと思ったことを書きましたが、到着してみたらそこは何度となく通ったようなところでありました。それは道の駅というよりも、ローカル線の駅といった風情で気にもとめずに通過しただけのところでありました。実際なんとか本線という鉄道の駅も兼ね備えていたのです。
その狭い駐車場に車を駐めてはみたのですが、そこから海が見えるわけでもなく、潮騒の音を聞きながら深く眠りに陥るなんてい雰囲気でもありませんでした。
その手前にそれほど大きな場所ではないけれども、海が一望に見渡せて、しかもトイレもあり、洗い物をするための水道までついているパーキングがあります。「おっ!ここがいいね」といって車を駐めてみたのですが、この場所よりも、目的地にしてある「道の駅笹川流れ」のほうがいいかも知れないので、見るだけは見てみようということで車を進めたのでした。
あの貧弱な道の駅を見てからの決断早かったのであります。もときた道を戻ること1kmほどでしょうか、夕陽が見渡せてなるべく静かな場所を選んで駐めました。
夕陽が日本海に沈むまでは、小一時間ほどはありましょうか、それでも本日の予定はすべて終了してしまいましたから、後はちょっと早いけど妻と二人で旅行初日の小宴を張ることにしたのです。
妻の宴会の準備の速さには私も舌を巻いてしまいます。おそらく10分もかからないものだと思います。
真ん中の椅子をワンタッチで前に倒すとテーブルになります。私は助手席の椅子をグルント後ろにまわして対座にします。後はクーラボックスの中からおつまみと酒をだせばそれで終わりなのであります。今夜のメーンディッシュはお刺身の盛り合わせであります。
いつの間にか今回の旅の目的のひとつに日本海の採れたての新鮮な魚を食べ歩くというのがあったのですが、世の中そんなに甘いもんではありません。スーパー以外の魚屋さんと見つけることができませんでした。本当は海の近くの道の駅で野菜のように魚介類を売っているところを期待していたのですが見つけることはできませんでした。だから今夜のお刺身は途中で寄ったイオン系のスーパーで購入したものであります。

何年か前に次男坊と二人で富山あたりを車中泊で旅をしたことがあります。「お!この刺し身ウマイネ、さすが富山だよね」「それカナダ産って書いてあるけど」「・・・・・・・」「お!この牛肉さすがにウマイネ、さすが富山だよね」「それ、オーストラリア産って書いてあるけど」「・・・・・・」

空には今にも落ちてきそうになっている満天の星であります。周囲は漆黒の闇です。暗いランタンの灯のしたで父親と息子などというものは、それほど話題があるわけでなく、時折りボソボソと言葉を交わしながら切りなく酒を呑み続けたことを思い出します。
そのうちにまあるいお月様が顔を出してかなり下の方にあるダム湖にもほっかりと浮かびました。