2015年3月30日月曜日

良い天気だけど今日の散歩はおやすみ

今日は願ってもないほどの良い天気ですね。おそらく近所の桜も満開となることでありましょう。あれほど待ち焦がれた春も、こうして呆気なく過ぎ去っていきます。一抹の寂しさを覚えないこともないですが、こうして歳を重ねてきたのですから、また来年も満開の桜を見られるようにと願うことにします。

今朝はかなり早い段階で散歩の中止をきめていた。起きた時に散歩のことが頭に浮かんふと同時に憂鬱になってしまった。そんな時はあっさりと中止するに限るのだと思います。そうしないと、体の健康のためと思って続けている散歩が、心に悪影響を与えるようでは本末転倒になってしまう。休養も必要だとさかんに自分に言い訳をするのだが、その言い訳自体がすでに悪い影響だと思うのでありました。「よし!今日は歩くぞ!!」と心が叫ぶまではやめておこうと思った。

2015年3月29日日曜日

散歩をしていて今の時期が一番胸がわくわくする

いつの間にか、時計の針は5時を指そうとしています。あと30分ほどでお日様がほっかりと顔をだします。私はそれにあわせて、散歩にでかけます。今日あたりからもう少し距離を延ばしてもいいかなと昨日ちらっと思ったのですが、また5日目とあってそれは思いとどまることにした。ちょっとだけ体がシンドイ感じがするのです。しばらくの間あまり無理せずにできるだけ長い期間散歩を続けれることが大事だと考えたのでありました。
外に出た途端に桜の開花の様子が気にかかりました。ここ数日の散歩コースには桜の木が一本も見当たらないことに気がついたのです。急遽コースを変更していつも歩いていた公園のひとつを目指したのです。一足先にひと目だけでも今年の桜を愛でてみようと思ったわけであります。
途中、真白き木蓮に目を奪われました、コブシよりは大ぶりの花でその白さは心に突き刺さってくるような鋭さを持っていました。
散歩をしていて今の時期が一番胸がわくわくする季節だと思います。そして今朝の仕上げは七分咲きの桜が旭に照らされて無言で咲き乱れていました。
この一年生きていて良かったと心から思った瞬間でもありました。


あらたな購買意欲? アホか

暖かいですね。私のオツムも暖かいです。そんなもんだから、いろいろと考えます。読書・作文・体力つくり・整理・整頓・清掃なんてものを順次考えて、ヨタヨタだけどもそれなりに実行してきました。
そして、本日は、あまり踏み込んではいけないと思っていたけれども、料理にまで手を出そうとしています。
これまでだって、キャンプに行った時とか、気が向いた時は本当にたまーーにだけど料理のまね事ぐらいはやっていました。
こんどは料理を作ることを特別ではなくて、普通にやれるまで自分のステージをあげてみようかと思い始めたのです。どこまでできるかはわかりませんけど、やはり挑戦することは大事ですよね。


「死ぬほど沢山の本を読みまくる」というのが、ここ数ヶ月の私の目標のひとつでありました。実際は死ぬほどなんて読めませんけど、その目標に少しでも近づこうと努力を重ねてきました。
でも最近は、数量だけこなしてもしょうがないのではないかと思い始めたのです。できれば書評とまでとはいかなくても、小学生レベルぐらいの読書感想文程度は書くようにしないと、読んだ本を深く理解できないのではないかと思い始めたのです。

それというのも、電子書籍にしてから、何度も同じ本を読み返すようになりました。そこで驚くのは、つい最近読んだ本でもほとんど覚えていないなんて事が多すぎるということであります。
そこで考えついたのが、気に入った言葉とか難しい言葉等々をその都度メモを取ったらどうだろうかということであります。そうすれば、後に読書感想文を書くにしても資料として役にたつではないかと思ったわけであります。因みに「死ぬほど作文を書く」というのも私的目標のひとつでもあります。

メモ用紙はたくさんあります。それを用意したまでは良かったのですが、気づいてみれば私の周囲には筆記用具というものが1本もないのでありました。それでさんざん探しまわりましたら、サインペン1本とボールペン1本が見つかりました。
この万全の体制で再び読書の世界に入っていったのですが、どの筆記具もまともに書けないのであります。いやはやこれには参りましたね。

ここで、料理の話とつながるわけであります。今晩は久しぶりにもつ煮込みを作ろうと思いました。その材料を買いに出たついでに筆記用具を購入しようと思ったわけであります。
1階の食品売り場はとりあえずパスして、2階にある文房具売場に直行しました。自ら文房具を選んで買うなんてのは、何十年ぶりのことでしょうか。
どうせ購入するのであるのなら、少々値段が高くても書きやすいものをと思って探したのですが、試し書きができるわけでもなく、これまでの経験も無きに等しい私に取っては選択などできるはずもなくて。結局極細の筆ペンというやつを選びました。結果は大失敗であります。普段ボールペンすら握ったことのないものが、筆などというものは難しすぎて使えないのでありました。たかだか190円ほどのものですから、こんどはサインペンあたりを買ってきて試してみようと闘争心をたぎらせているのでありました。

たかだか筆記具ひとつで大げさな話だと思いますけど。私にとっては大事件なのでありました。

2015年3月28日土曜日

こんどは「第10次3S運動」をやることにしました。

今朝の本格的且つまともで且つ早足で且つ正統的な散歩50分は無事何事もなく終了した。4日目ともなるとさすがに余裕がでてきており、途中でもう少し距離を延ばすべきではないかとも思ったのだけれども、調子に乗りすぎて続かなくなってしまうというのはいつもの事なので、さすがに今回は抑えておいた。エライのだ。少しは学習能力が身についてきているのであります。
実際は50分もかからず、最初の日に比べたら10分ほど短縮しており40分ほど終了していたのでありました。明日あたりにはもう少し距離を延ばしてもいいのかも知れない。ほとんど疲労もしてないし、こうしてブログも書いているのでありますから。

「継続は力なり・・・」とは良く聞くことばではあります。食器洗いを始め台所掃除も毎日続けてきたおかげで、だいぶ様になってきました。最初はこれもかなり負担に感じていたのですが、仕事の合間の気分転換として捉えてひつこくやっていたら、知らないあいだに要領が良くなってきて、かなり手早く済ませてしまうことができるようになり、あっという間に終わってしまうようになりました。
そうなると気分転換としては些か物足りなく感じるようになり、次に手を出し始めたのが仕事場の整理整頓であります。整理・整頓・清掃はこれまで何度もやってきたので、大物の不溶物はほとんど処分されております。これまで体調の悪さもあったのですが、小者の整理・整頓・清掃には目をつぶってきました。こんどは第10次ぐらいになるのでしょうか、良く覚えてはいないのですが、ま、いいでしょう「第10次3S運動」をやることにしました。

正統な散歩4日目 成功するのか本当に心配であります。

ここ数日、朝起きた時から結構緊張している。それは今日の散歩ははたしてうまくいくのだろうかという不安がよぎるからであります。ようやく50分ほどを途中休むこともなく、また以前のようにヨタヨタ歩きでもなく完遂できるようになったのです。だからこそ心配になってしまうのです。
なんだか、散歩ごときで大げさなことを毎日のように書き続けているものだと思われる方もいるでしょうが、実際私もそう思っていることは確かなことであります。
本日は昼の公園のベンチを目指してのごまかしの散歩もやめて、早朝5時半からの正統な散歩に切り替えて4日目になります。ここまでの体に持ってくるまでに覚えているだけで3ヶ月ほどかかっているような気がします。他人からみれば実につまらないことに映るでしょうけれども、シアワセを感じる要因などというものは人それぞれであり、今のところ私が一番、幸福感および充実感を感じるのはこの1時間にも満たない朝の散歩なのであります。
だから、途中で、交通事故に遭ったり、体に異変を感じたり、急にやる気がなくなったりして挫折してしまわないかと心配になってしまうのであります。特に急につまらなくなり途中で投げ出してしまうなんてのはよくある話であったりしますから。
実際基本的に「まじめ」という言葉を持ちあわせていない、ウスラバカですから余計に心配になってしまうのでありました。

2015年3月27日金曜日

連続散歩50分を3日間 僕はエライのだ

どうやら、今日あたりから本格的に暖かくなるらしいと、どこの放送局でも触れ回っています。そうあって欲しいなと私も思っていますけど。
そうなってくると桜の見頃は来週あたりがピークということになりますね。これまで散々梅はエライと褒めそやしてきましたけれども、桜の豪華さ、艶やかさには負けてしまうと思わんでもないのですが、だいたい桜と梅を比較するところが間違っていますね。どちらもそれぞれに美しいのであります。

ようやく、まともに散歩ができる体になってきました。ブログをこの2日間サボりましたが、まともに歩けるようになったおかげで、その分疲れてしまって作文をしようという気が起こりませんでした。作文なんてのは、キーボードを押すだけの力があればできそうなものですが、どうもそうではないらしいのです。体が疲れた状態にあっては、面倒なことを考える力も失せてしまうようであります。
まともに散歩ができるようになったと云っても、せいぜい50分ほどのことでありますけど、自分の体をここまで持ってくるのに、本当に苦労しました。ただここで安心して中断してしまったら、すぐに元の木阿弥になってしまうのはわかり過ぎていることでありますけど。

最近は、公園までいって読書したり、作文したりという誤魔化しはやらなくて済むようになりました。体力ついてくるにしたがって、散歩に半日かけるのは勿体ないと思えるようになってきたのです。自分の心なんていうものは、そういうもんなんだなと、なんだか新たなことを発見したような気持ちであります。
どうせ体力つくりの時間は必要なわけでありますから、それならば早朝の人も車も少ないなかを歩いたほうが合理的と思うようになったし、一日の初めの元気のあるうちに済ませてしまったほうが基本的に楽だということで、5時半ぐらいから歩き始めるようにしました。

連続散歩50分を3日間続けて、ようやくブログも更新できたようであります。明日も頑張ろうっと

2015年3月24日火曜日

主婦には十二分に敬意をはらうことが大事なのです

フロアーには先ほど取り込んだ洗濯物が山のように折り重なっています。畳んで収納までやってやれば妻も喜ぶのだろうけど、どうもこれは苦手であります。だいたい畳み方が遅いですし、Yシャツのような形態の服を畳んでいると面倒でパニックになりそうになります。それにアイロンも使ったことがないですしね。
収納するにも、誰の服なんだかが判別がつかない物も多いし、収納場所の家族の区分けとなると、それこそまったくわからないのですから、これには手をつけないことにしております。干して取り込んだだけでも妻には凄い貢献をしているのだと自画自賛しておわることにしています。もちろん口に出してはいいませんけど。

過去の経験から云えば、家事は、なんでもかんでも自分でやろうとすると、必ず失敗しますね。だからやれるところから、少しずつ、控えめに、こつこつとやるのです。
そして、ここでオヤジどもが陥りやすいのは、たまに気が向いてやっただけなのに「どうだやってやったぞ」と偉そうにすることです。これも失敗の大きな原因であります。だって主婦の家事能力なんてものは、オヤジ共が気づかないでしょうけれども、ド素人のオヤジの数倍、いや数十倍の能力を持っているのであります。しかも、しかもですよそれを毎日淡々とやり続けているのであります。
これは驚嘆に値します。だからね、たまに家事を手伝ったからって決して大きな顔をしてはいけないのです。


少しだけ主婦感覚になってきたかな

4時近くになって、今朝干した洗濯物の乾き具合が気になる。どっちにしても日が傾きつつあるのだから、取り込まなければいけない。こうなってくるとかなり主婦の感覚に近づいてきたのではないだろうか。
洗濯物を取り込んだら、晩酌のための簡単なつまみを用意することにする。あまり遅くなると、まったく作る気が失せてしまうから、ここはなるべく早く準備しておくに限るのであります。これは主婦感覚というよりも、キャンプの時の感覚ですね。

車中泊やキャンプにでかけた時には、午後の2時から3時を過ぎた頃から、まずは買い物する場所や、日帰り温泉を探し始めることになります。どちらが先かは、その時の状況にもよりますが、とにかくこの2つを早めに済ませておかないと安心できません。時に寄っては午前中でどちらかが済んでしまっている場合もありますけど。
今はいたるところに大型のスーパーやコンビニがありますし、日帰り温泉も探すに困らないほど林立していますから困ることはありません。そうそう、その前に宿泊する場所も探しておかなければいけませんが、これも道の駅やキャンプ場がこれでもかというぐらいにありますから、なんら心配する必要はないのであります。
ただ宿泊地は、まだ陽のあるうちに確認しておいたほうが安心ではありますけれども。そして夕御飯も真っ暗になる前から、準備をはじめゆっくりと余裕を持って呑み始めるのであります。当然音楽は、つきものであります。iPhoneから小さい音量でラジオを流すなんてのも結構オツなものでありますが、大概の場合は電池式の外部スピーカから流します。これが我が家にとっての最高の贅沢なのであります。

前にも書きましたが、日常とメンバーが変わらないのに、なぜか会話は弾むのであります。おそらく屋根や壁を取り払った環境にいるからなのでしょうね。時には息を呑むような夕陽であったり、夜景の凄さであったり、迫り来る闇の恐怖等々がそうさせるものだと思います。

何が一番大事なのかということもないのでは

昨日桜が咲いたというのに、北国ではまた冬に逆戻りだそうです。こういうのを花冷えというらしいのです。関東も木曜日ぐらいまでは寒さが戻ってくるとはいうけれども、北国の寒さと比較したらなんでもないことだと思う。どことなく故郷に対して後ろめたさを感じてしまうのは、私だけではないだろうと思います。

今日も順調に家事労働・読書・作文・お絵かき・そしてお仕事を、細かく分割して続けています。別にローテーションを決めているわけではないのだけれども、やはり洗濯物を干すというのが最優先されてしまいます。この季節干す時間が短くなってしまうと夕方までは乾かない可能性があります。それでは絶対に避けたいのです。乾かない分を部屋干しするなんて面倒でしょうがありません。懇親の一発干しであります。
後は適当に気分のままに作業を進めていきます。まだいい加減な体力でありますから、立っている時間が長いと、腰から背中にかけて疲れてきますから、その時には休憩をかねてパソコンの前に座ります。
こうなってくると、自分の一日のなかで何が一番重要なのかがわからなくなってきます。これまでは、自分の仕事が何を置いても大事だと思い込んでいました。でも本当にそうだろうかと思うようになってきたのです。ま、簡単にいえば、それほど重要な仕事をやっているわけでもなく、忙しくもないと云ってしまえば、それまでのことでありますけれども。
自分でも笑ってしまいますけど、人が生きていくのに、一体何が一番重要なのかという話になっていくのであります。金が必要だという人もいれば、仕事が重要だという人もいれば、食わなければ死んでしまうじゃないかという人もいます。
早い話がその語るレベルによりますよね。だから全部必要であるし、それらが決して独立して重要なわけではなく、すべて連動しているということだと思います。
うーん、今回はなんとなく、これだという結論にいたりませんでしたが、ま、こんなもんでしょう。

「Kindleの日替わりセール毎日1冊 本日限りの特別価格 」



いつも朝起きだすときまったように、録画してあったテレビ東京のWBSを数時間遅れで見るともなしに観ています。テレビ番組で毎日のようにみるのはWBSだけになってしまいました。それすらもみるのを忘れて、何日経った後でみることもあります。そのWBSによれば昨日東京でも桜が咲いたそうであります。
ついに開花予報が、開花情報に変わった一日でありました。これから1周間から10日ほど、テレビでは決まりきった映像が、これでもかと流されることになりますね。もっとも例年と大幅に違った映像が流れるというのも、それはそれで困った状態なのでしょうから、あまり好ましくないことなんでしょうけれども。

さて本日もいつものように、「Kindleの日替わりセール毎日1冊 本日限りの特別価格
」をよせばいいのにチェックしてみました。本日のおすすめは、なんとダメな文章を達人の文章にする31の方法 なぜあなたの文章はわかりにくいのか?文章の書き方が分かる本(横組版)とあります。こういうタイトルは私を異常に刺激してしまいます。最近は毎日のようにブログを更新して感じていることズバリなのでありますから。
ただ以前にも、なんとかまともな文章を書けないものかと悩みに悩んで数冊の類似する書籍を読み漁ったのでありますが、その結果は惨憺たるものでありました。どう惨憺たるものかは、現在このブログをみれば一目稜線のことでありますけれども。
ひとつも上達しなかったのはいいとしても、それらの書籍を読みこめば読みこむほどまったく文章が書けなくなってしまったのでした。私の場合は旨い文章を書くとかなんとかの以前の問題ではないのかと、悩みは益々深みに嵌っていったような気がします。

ただ本日はその値段199円に惹かれましてクリックしてしまいました。後でやめておけば良かったかなと後悔しきりであります。


2015年3月23日月曜日

炭水化物0生活 たまには寿司も喰いたいよー!

本日はこれといった目立った成果物がないのだけれども、いつしか日も沈み、いつもの夜が訪れようとしています。もう少し頑張り用もあったのかも知れないけれど、何ヶ月か前の自分と比較すればかなりましになったのではないかと自分で慰めてみたりもします。

これから簡単なつまみを用意して、独り静かに晩酌を楽しみ、おそらく家族が帰宅する前には深い眠りのなかにいることでしょう。そしてまた家族が深い眠りのなかにある時に独り起きだしてゴソゴソとなにかをやり始めている。これがいつものパターンであります。気がついてみればこのパターンが定着しちゃっていますね。いいもわるいも、これが一番楽な生き方なのですからこれでいいのだと思います。たぶん。

糖分と炭水化物を一切口にしないという食生活を続けています。これはやってみるとかなり難しく、研究の余地がなりあります。最近はかなり慣れてはきていますが、ごはんもうどんも、パスタも食べたいです。これは泣き言であります。
炭水化物の80%は糖質です。後の20%は植物繊維であります。炭水化物を食べれば2時間以内に糖分になって、体に吸収されてしまいます。人類が誕生してから700万年です。炭水化物を食するようになってからは、せいぜい1万年しかありません。まして精製された糖分を大量に摂るなんてことはここ数十年だけの話であります。これでは現代病と呼ばれる病気が蔓延してくるのは当然の話しであります。
狩猟採集だけの食生活だけでは、多くの人口を養うことはできませんでした。そこに栽培するという人類最大の革命が起きたわけであります。麦と米が代表的な作物でありますね。ではそれらのものを大量に摂取していても現代病が蔓延しなかったのはなぜなのかといえば、現代とは比較にならない労働量があったからです。まして、精製された砂糖なんてものはなかったのであります。
現在読み進めている、山岡荘八の徳川家康は食生活には格別気を使った人であります。白米などというものはほとんど口にしなかったし、麦飯をまぜこんだものを食べていました。白米よりは玄米のほうが、同じ炭水化物と云いながらちょっとだけましなのは、植物繊維が大量に含まれているために糖分の摂食が遅くなるという点であります。

しかし、寿司も食いたいし、カレーライスも食いたいし、天丼、牛丼も食べたいなぁ。いかんいかんこんな風に書いているとすぐにも挫折してしまいそうだ。


歴史をまじめに勉強してみたいと思っています

以前にもどこかに書いたのだが、最近は歴史というものに興味がでてきました。以前に時代小説が好きだと書いたのですが、確かに時代小説も好きなのでありますが、歴史小説というものにも興味があります。

最近は嫌中論とか嫌韓論なるものが大流行であります。そのなかの数十冊を読んでもみました。確かにそれらの中には納得できる事もたくさんあったような気がします。しかし、それら数十冊の本だけで納得してはいけないような気がしてきたのです。ま
た私の周りには左翼系の人もいますし、右翼系の人もいます。それぞれの言い分を聞いています、それぞれになるほどなとも思います。でも私の中には、本当にそれだけの話しであろうかという大きな疑問が存在するようになったことも確かなことなのであります。
これはやはり、自分の頭で徹底的に考えてみるべきなのではないかということになったわけであります。それには、歴史を知らなければならないような気がしてならないのであります。歴史書というのは書く人の立場によって大きく違ってくるものだと思います。だからこそ、できるだけたくさんの歴書を読んでみる必要があると思いいたったわけであります。
人の言葉の受け売りではなくて、自分の頭で考え、自分の言葉で話せるようになるまでは、寡黙であるのが一番のような気がします。
そうはいってはみたけれども、しょっぱい頭ではどこまでできるかはわかりませんが、最初に頂を見てしまってはやる気も失せてしまいますから、これも最近の手法である小分けにして実行するようにしたいと考えているのです。

思い出してみると、はじめて歴史小説に出会ったのが、司馬遼太郎の「国盗り物語」だったと思います。果たしてこれを歴史小説というのかどうなのかはわかりませんけれども。それからは一連の司馬遼太郎ものを読みふけりました。「坂の上の雲」・「龍馬がいく」等々としばらくの間、司馬遼太郎の歴史の世界にどっぷりと浸かっていたわけであります。
それと同時に吉川英治のものにもハマりましたね。「平家物語」・「宮本武蔵」等々であります。そして今ふたたび、Kindleを購入して「平家物語」がKindle版であるのを発見して購入して読みました。なかみはほとんど忘れてしまっていたので、新しく読んだのと同じぐらいですね。
そしてまた、懐かしい本を発見したのです。それが山岡荘八の「徳川家康」であります。これ全部で何巻あるのか、まだ調べていません。どうせ読むと決めたのですから、何巻あろうが関係ありません。ただただ愚直に読み進めていくだけの話でありますから。ようやく13巻目まで読み進んできました。先はまだまだ遠い気がします。


やたら工事が多いのは年度末だからか

沈丁花の花も、いつの間にか満開になっており、匂い立つような芳香を四方八方に放っております。

最初に高い山の頂を見上げてしまうと、登る気が失せてしまうので、最近は何事も小分けにして行うことにしている。そして、さきほど小分けにした散歩に行ってきた。20分ほどと思ってでかけたのだが、20分で戻ってくるとなると、いくらの距離を歩くこともなく、それを3回も繰り返すというのは結構面倒なことになる。
結局40分ほど歩いて帰り着いた。結構いい運動にはなったと思う。理想からいえば午後からも同じような距離を歩くことができればいいのだが、たぶん今日はこれで終わりかも知れないと思う。とにかく、歩くには歩いたのだからという達成感が先にたってしまっているのだから仕方がない。

自宅の路地の入り口付近で建て替え工事をしていたアパートが完成に近づいてきており、ガス会社や水道会社それに電気工事会社の車両が道を塞いで、必死に工事を行なっている。この外部とのインフラの接続が終われば完成となるのだけれども、決して駅に近いわけでもないこの場所にはたしてどれだけの人が入居してくるのか興味津々であります。実際私の自宅の前のテラスハウスという名前のアパートは5軒分まるまる空いているのであります。

工事で思い出したが、散歩の途中やたら道路工事に出くわしてしまった。最近はおおげさにガードマンを配置しており、その誘導がへただと却って邪魔になってしまう。そうなんだ、役所は年度末だから、予算を消化しなければいけない時期になっているのでありました。まだこんなことをやっているんですね。その工事が正しいのかどうなのかの判断など私にはつくわけもないのだから、別に批判するわけでもありませんけども。

散歩の前に台所の掃除および食器洗いをするかどうか、迷ったのだが家仕事はいつでもできる。機会を逃してしまえば、散歩にサボってしまう危険性があったので、エイヤァと掛け声をかけてでかけた。よって、これから仕事の合間を縫って家事労働をすることになります。

おはようございます。今週もよろしく・・・・

雨戸をあけるまで、今日の天気がまったくわからない。面倒で6時過ぎるまで開けずにいたのだが、やはり今日の天気が気にかかるので開け放してみたら、元気そうな太陽がちょっとだけ顔をだしていた。週の始めから良い天気だとなんとなく気持ちが違う、と、いってはみても夕方いや昼ごろには、そんなことはすっかり忘れ去っていることでしょうけれども。

テレビの天気予報から流れてくる情報は意に反して、また冬が戻ってきて、木曜日ぐらいまでは寒いのだそうです。こういう天気予報ほど当たらないで欲しいと思うのだが、最近の天気予報は案外信用するにあたるものだからそうなんでしょう。これも今日の夕方ごろまでには忘れさっていることでしょうけれども。

毎日Kindleの「日替わりセール」をチェックしていることは先に書いたのだが、最近は自分が好きそうでない書籍が紹介されているとほっとしてしまいます。これが自分の好きそうな本であったりすると、朝から散々迷ってしまうのであります。最近の読書は往時に比較するとかなりスピードダウンしており、ついつい購入してしまった書籍が山積みになってもいるのです。こうなってくると、これらの書籍を生きている間に果たして読みきれるのだろうかと思ってしまうのであります。いっその事、毎朝のチェックをやめてしまえばとも思うのだが、そうなればなったでなんか独りだけ損をしているような気になるので始末がわるい。困ったもんであります。
また以前のように何かも放り出して、ただただ読書をする、一日中本を読み続けるという生活をせざるを得ないかなとも思うのだが、「仕事の手も抜けないし・・・」「体力づくりも今やめるわけにはいかないし」「お絵かきの練習も始めたし」「せっかくブログも書けるように・・・」等々と、それができない理由が山のようにでてきてしまいます。
なんの事はない、単純にそんな生活に今戻りたくないだけなのであります。勝手なものであります。

2015年3月22日日曜日

パケットブログ 本日4本目であります

午後になると、みるみる気温が上昇し、おそらく今年一番の暖かさだろうぐらいになっていった。これまでは、早く暖かくならないかなと待ち焦がれていたのが、こんどはあまり暑くなって欲しくないなと、手のひら返しのワガママな願望に変わっていきました。

本日は珍しく家族全員が家にいるはずなのですが、それぞれの部屋に閉じこもっていますから静かなものであります。ということは、三度の食事の心配をすることがないことを除けば、私自身はいつもの生活と何ら変わりないのであります。

昨夜はかなり早く就寝したせいもあって、一時ころから起きだして、仕事をやったり、読書をしたり、散歩をしたりとやるべきことをやってしまっており、午後からはやることもなく面白くもないテレビを眺めていました。というか、もう集中力が続かなかったのであります。それにブログも小分けにして3本も書いていますしね。本当はここでもうひとがんばり、読書でもできればやや本物なのでしょうけれども、もうこれ以上は頑張れませんね。ちょっと頑張ればすぐにメッキが剥がれてしまうところが自分らしくていいなぁ、なんて開き直るのでありました。

そういえば妻とは一緒にいる時間が多くなったのですが、ほとんど会話らしい会話を交わしていないことに気がついた。別段仲が悪いとか喧嘩をしているとかというのではないのですが、改まっての会話なんてのはないしね、なんとなく話さないですね。
これが旅やキャンプにでかけると結構話すのだから不思議な気がします。たんに場所が移動して変わっただけなのに会話が成立するから不思議であります。そろそろ暖かくなってきたのだから、夜のあまり冷えない場所にでも車中泊の旅にでかけるのも悪くはないかなとも思っています。

なあに、場所なんてどこでもいいのです、日帰り温泉だけあれば互いに慣れたもんですから。少ない予算で徹底して楽しみ術だけは知っているのですから。こう思えるようになったのも大量が戻ってきた証拠なのだと思います。それほど目に見えて改善されたわけではないけれども、努力した分は確実に還元されていることだと思います。
無理にでもそう思わなくてはね。やってらんねえよ。

パケット方式でブログを書いていますよ

最近は6時前からでも明るくなっているし、気温も高くなっているので、早朝の散歩を始めても良いかなと思い、本日は6時ちょうどに犬を引きずりながら散歩にでました。バカ犬は車が怖いらしくてトラックなどが近づいてくるととんでもない方向に馬鹿力で逃げようとするから危なくてしょうがないのです。だから引きずると表現はぴったりなわけであります。
早朝の散歩はいいですね。車の通りも少ないし、人通りもないし、のんびりと歩くことができます。他所様の庭の花々もじっくりと鑑賞することもできますからね。昼間の公園行脚もいいのですが、それに加えて早朝散歩も習慣化しようと思っています。

最近実行していることは、なんでも小さくして、その小さいものを積み上げていくということであります。なんだかわかりにくい説明でありますが、たとえば散歩ですね。一日一時間を歩こうとすると大変なことですし、今の私に到底無理な話であります。そこで30分ずつ2つに分けるということを考えます。一気に1時間は無理ですけども30分ずつ2回ならばそれほど負担になることでもありません。
それを毎日続けていれば、一気に一時間の散歩も無理なくできるようになるという理屈であります。まるでインターネットのパケット通信のような感じですね。大きなデータを一挙に送信しようと思えば回線がつまってしまいますが、データを小分けにして送信すればスムーズに目的の場所に届くというわけであります。

一見巨大なプログラムに見えても、その内実は小さなプログラムや関数の集まりから成り立っています。それの応用ですね。

最近はそのパケット方式をこのブログにも応用しています。長い文章を書こうとしても私のしょっぱい頭では、とうてい書くことができません。そこで、一日に何回かにわけで思いついたことを短く書いていくという方式であります。これ3日ほど前からやっているのですが、そうすると何も構えることなく、気負うこともなく、素直な気持ちでスラスラ書くことができますね。もともと中味なんてほとんどないブログですからこれでいいのだと思います。

体力つくりは立つことから始めよ。なんちゃって

以前から自分の体力のなさをこのブログで嘆いてきたのですが、一番だめなところってのがわかってきました。それは腰から背筋にかけてであります。ここが弱いと基本的に立っていられないということを理解しました。人間のもっとも人間らしいところは2足直立歩行ができるということでありますが、腰から背筋が弱っていますと、長時間立っていることもできないし、歩いても腰から背中が疲れてしまって散歩もままならないということであります。

確か昨日だったと思うのですが、案外食器洗いが好きだというような事を書きました。その食器を洗っていて感じたことなのですが、台所に立っていて、散歩をして疲れてきた時の腰から背筋にかけての感覚が一緒だったのであります。あれ?これは基本的に同じ痛みではないかということに思い至ったわけであります。
私の体力つくりは基本的に歩くことに重点を置くことにしています。しかし、現在の状態では立つことから始めなければいけないのではないかということです。私の日常はほとんどの時間が机に向って椅子に座って過ごすということであります。慣れというのは恐ろしいもので、この姿勢が一番楽なのであります。だいたいこのあたりから考え違いをしていたのです。健康を保つためにはできるだけ立っていなければいけないのだと思います。
立っていれば自然歩きに変わります、歩くことから走ることに移行していくような気がします。私はまず、立つ練習から始めなければいけないという結論に至ったわけであります。

ある日、見るともなしにつけていたテレビから「キッチンエクサイズ」という言葉が聞こえてきました。これまで漠然と考えていたのが、家事労働によって体力をつけられないかというものでありましたから、瞬間で引きつけられました。内容は私が思っていたものとはかけ離れていましたが、この言葉だけは使えるなと思ったしだいであります。
私の場合は家事をやりながら、他の運動と組み合わせて体力をつけるなんてものではなくて、家事そのものが、考えようによっては重労働以外のなにものでもないのであります。だから、できるだけ家事をやってみるというものでありました。

今回はなんとなく尻切れトンボになってしまいましたが、もっとまとめて後を書いていきたいと思っています。
結論を先に述べれば、食わなくいいものを大量に摂取して、それを削ぎ落とすために、高価な健康食品を購入し、運動器具を購入し、スポーツジムに通い、コンクリートの壁面を見ながらひたすら走る。なんていう行為は実におろかなものではないかということに結びつけていきたいのですが。どうでしょうか

昨日と今日の違いとは

「昨日と今日はどこが違うというのだろうか」なんて時々思ったりもしますが、今の時期は散歩にでてみると、その違いを実感できますね。それは昨日咲いていなかった花が見事に咲き乱れていたりします。
ユキヤナギの見事な白や山吹の黄色等々、「等々」としたのは、他にもたくさんの春の花々が咲いているのですが、悲しいかな花の名前を知らないのでありました。毎年そんなことを書いているような気もしますが、何年たっても覚えていないのですからどうしょうもないですね。

昨日と今日の違いは他にもありました。急にパソコンから音声がでなくなった事はすでに書きましたが、こんどはマイクから音が拾えなくなってしまっていました。どうも私の一日の違いなんてのはこんなことばっかしであります。
できれば、目覚めてみたら、大金持ちになっていたとか、ぐーんと若返って体力も比較にならないぐらいについていたなんていう違いであって欲しいと思うのですが、なかなかそうはいかないようであります。

昨夜はかなり早い時間に寝てしまったので、当然目覚めも早くなってしまいました。晩酌をしてしまうと、それ以上起きている意味がなくなってしまって、すぐに寝てしまいます。またこの晩酌の量もどんどんと少なくなってきてしまっています。どうもこれは最近の食生活改善運動からきているような気がします。
以前は晩酌時にそれほどおかずなり、つまみを摂らなかったのですが、昼ごはんの量も少なく抑えているので、夕方になると腹が減って仕方ありません。以前は定刻になると酒呑みたくて仕方がなかったのですが、今は、とにかくエザを食わなければしょうがないのであります。
最初に腹を膨らませてしまいますから、それから酒を呑んでもひとつも旨いと感じないのであります。そのうちにアルコール以外で腹が膨らんでしまいますから必然的に酒が呑めなくなるといったことであります。ま、このほうが健康にはいいのかも知れませんが、生粋の酒呑みにとってはいささか寂しいような気もします。

2015年3月21日土曜日

Kindleをジブロックに入れて風呂に入って読む

なんというマヌケな話でしょうか。
昨日からPC接続のオーディオの音がでなくて困っていたのでありました。音がでなくなってみてわかったのは、結構一日中PCの音源を使っていることであります。radikoでinnta-FM を聞いていたり、iTurnesで音楽を流していたり、それらは代替が効くのでなんとかなりますが、PCでLINE電話をしたり、Skypeで会議をしたりとやっているのです。この2つも、もちろんスマホで代替が効くのですが、いちいち手に持ってやっているのが面倒です。
パソコンであればカメラに向って他の仕事をやりながらも会話ができますので楽であります。それにWiFi経由でなくて直接ネットにつながっていますから、回線状態が悪いのは相手のほうだということが即座に判明します。

2日間に渡って原因を調査していたのですが、解決できませんでした。ふと気がついてパソコン側の音量調整をクリックしてみましたら、なぁんとああーた、ミュートになっているではないですか。
参ったね、これにはやられました。私以外はこのパソコンは触りませんから、何かの拍子に触ってしまったのでしょう。まったく心当たりがありませんけど。

本日は休日ということで、昼風呂にでもと思いました。Kindleで読書するようになってから、風呂のなかでも、のんびり読書を楽しむことができないかと思案していたのです。ある時にKindle用の防水カバーというのを販売しているのを発見しました。これはいいねと思ったのですが、なにせ値段が高くて考え込んでしまいました、
何気なく評価の欄を読んでましたら、こんなに重いのだったらジブロックに入れて読んだほうがよほど読みやすいと書いてありました。私は、ヨロコブと同時に驚きましたね、世の中には面白い発想をする人がいるんだなと。
さっそく手頃なジブロックにKindleを入れて読みました。快適であります。これで充分であります。
評価を書いてくれた方には感謝であります。

食器洗いと洗濯と仕事の相関関係?

ようやく、昨夜使った食器と鍋釜を洗って所定の位置に納めました。本当のところをいうと食べ終わったらすぐさまに洗って拭いて所定の位置に納めるのが理想なのですが、どうも夜は晩酌をしてしまいますから、酔っ払ってそんなことをする気にはならないし、それと同時に食器を洗おうなんていう行為事態が、頭のなかには無いのであります。

嫌だなと長年思い込んでいたもので、やってみると案外好きだったなんてことがあるようであります。そのひとつが、食器洗いであります。常に家にいて仕事をやっているわけでありまして、その仕事の大半がパソコンを前にして固まっているわけであります。それでも以前は、台所がいくら汚れ物の山になっていても、洗ってやろうなどという気にはなりませんでした。というか、まったく目に入ってこなかったのです。仕事の合間にコーヒーを呑みたいと思い台所にいっても、使ってないコーヒーカップ一個があれば事足りるわけであります。わたし的はそれでなんの違和感など持ってはいませんでした。

いつごろから、食器洗いをやるようになったのかは、今となっては判然としません。ただ気がついてみれば率先して食器を洗うことをやるようになっていたのです。もちろん私は主婦ではありませんから、常に自分の責任と義務によってやっているわけでありません。そこは生まれついての我儘という性格から逃れられるわけでありません。気の向いた時だけの話ではありますけど。

それと同じような事で、洗濯物を干すというのも、結構好きですね。これも気の向いた時だけの話ではありますが、快晴の空の下に大量の洗濯物を干し終わった後の爽快感にはたまらないものがあります。

そして、これらの行為をコンスタントにやっている時って、仕事も旨く行っている時が多いようだということに気づいたのは最近のことであります。おそらく、なんらかの関係があるのではないかと思い始めています。

パソコンを立ち上げたらKindleの本日の「日替わりセール」をチェック

昨日「明日はどんな日が待っているのだろう」と書いてパソコンを消したのだが、それから数時間たって、待望の明日が今日になってしまった。昨日と何ら変わらない今日であります。

パソコンから音がでない問題はまだ解決していない。パソコンをデスクの下に置いてあるので潜って調べるのが面倒なだけなのですが。これまであまり気にもしてなかったが、パソコンから音がでないというのは案外寂しいものであります。今日こそはどこかの時点で徹底的に調べなくては。

いつソメイヨシノが咲きだしてもおかしくない季節になりました。来週からまた寒さが戻ってくるとは云ってますが、それほど寒くもならないだろうとタカをくくっていますけれども。

パソコンを立ち上げてすぐにやるのはメールのチェックでありますが、最近はそれに加えてKindleの本日の「日替わりセール」であります。手頃な値段なのでついつい購入ボタンを押したくなるのですが、購入した書籍を読む早さが全然追いついていないのが悩みのタネであります。
最近は歴史に強くなろうと意識しているのであります。特に近現代史あたりを重点的にと思っているのでこの昭和史【合本版】には惹かれてしまいました。
しかし、こんなに購入してしまって、いったいいつ読むのでしょうか。

2015年3月20日金曜日

明日はどんな日が待っているのだろうか。

結局夕方まで、どんよりと曇った空模様は、一度もからりと晴れることはありませんでした。表に干した洗濯物はなんとか乾いているようでほっとしました。どうも明日もそれほど洗濯日和ということも無さそうであります。
家が仕事場だと、常に洗濯物とか食器洗いだとか、掃除のことが頭から離れません。物は考えようでありまして、これらの家事労働は適当な気分転換になっており、仕事にはいい影響を与えているような気がします。
これが毎日会社に通う生活だったら、慣れの問題もありますけど、とても長時間の仕事にはついていけないような気がします。そのぶんだけ甘いと云われることは確かですけれども、それでいいのです。のんびりと好きな仕事だけ選んでおこなうのはこの上もないシアワセだと思っています。たまには、やりたくない仕事もありますけれども。
見るともなくつけていたテレビからオウム真理教の地下鉄サリン事件のことが流れていました。あの頃私はまだサラリーマンでありまして、事件が起きた場所はいずれも馴染みのある場所であり、かなりショックを受けたことは確かでありました。
あの年は、阪神大震災があり、地下鉄サリン事件があり、そして関係はないのですがWindows95が発売された年でありましたから、記憶力に乏しい私にでも良く覚えているのです。
仕事が終わると毎晩3次会ぐらいまで呑み歩いていたことも思い出しました。帰宅するのに一回タクシーを使ったら、それが癖になってしまって困ったことも思い出しました。
社会的には不幸な時代だったのでしょうけれども、個人的には結構シアワセな時代だったんだなと思えます。
さて、明日はどんな日が待っているのだろうか。

どんよりした空模様をみて、上海のスモッグを思い出した

朝の天気予報だと、曇り時々晴れだったような気がするのだが、一向に晴れ間が見えませんね。天気予報を信じて洗濯物を外に干したのだけれども、多少弱いけど風があるし、温度も高めだから夕方までには、たぶん大丈夫だと確信しています。
このどんよりとした空模様を眺めていて、2月に行った上海の空を思い出した。そのスモッグ模様は日本の高度経済成長期には当たり前にあったと云われるが、私はその頃は東北の寒村におり、一度も体験したことがなかった。生まれてはじめての上海のスモッグは、もう笑うしかないほどの凄さで、3泊4日の滞在で本当に良かったと胸をなでおろしたものであります。

午前中にお得意さんからPCのLINEで連絡があったのだが、音がまったくでない。これはおかしい、昨夜もPCで音楽を聞いていて、何ら問題がなかったのに。こちらの声は聞こえているらしいので、スマホのLINEでかけ直して事なきを得た。
いろいろ調べてみたが、まだ音のでない原因がわからない。こりゃあ困ったぞ。知らないで何かリモコンのスイッチを触ったのかも知れない。こりゃあ購入してから始めてマニュアルを開いて読まなけれないけないかも知れない。うーん面倒くさいな。

今日も後30分ほどでお昼であるが、腹が減ってきた。例のごとく「それは錯覚だ」と自分に言い聞かせている。笑ちゃうよね。



Kindleの「日替わりセール毎日一冊本日かぎりの特別価格」

おはようございます。今日の天気はどうなんでしょうか、さきほど雨戸をあけましたら、どんよりとした曇り空でありました。曇ってはいても暖かいですから、ほっとしてしまいます。最近は、毎日天気のことが気になっています。別に外で仕事をしているわけではないのにね。
昨日は散歩を休んでしまいましたので、今日こそはと思ってはいるのですが、本音をちょっとだけ披露させていただきますと、うーん今日もこのぶんで行けば休みになってしまうかなと、あんまし、乗り気ではないのでありました。

ここ当面の自分の目標のひとつにしていたのが、できるだけたくさんの本を読むというのがあるのですが、その目標を掲げた頃は実際に必死になって読み続けていましたが、最近は落ち着いてきたのか、当時の勢いはいつしか失せてしまっています。
ここのところは、ただ読むだけではなくて、書評らしきものを書くべきではないかとも思い始めています。これは結構危ない考えだと思います。基本的にぼんくら頭しか持ちあわせていない私に書評などは書けるべくもなく、せいぜい書けたとしても小学校の頃に夏休みの宿題に書いた読書感想文程度のものだろうとは思いますが、それを意識した途端に読めなくなってしまう可能性は大有りになってしまうことは予想がつきます。

最近目覚めてパソコンを立ち上げると同時におこなう作業はKindleの「日替わりセール」であります。「毎日一冊本日かぎりの特別価格」で提供されております。近所に書店もなく読める本を選択できる機会が限定されているなかでは、結構魅力的なサービスであります。300円とか500円ぐらいの価格ですから、ついつい購入してしまいます。
いつか一人旅にでもでたら、のんびりと読もうかなと思ってはいます。

2015年3月19日木曜日

レスポンシブWEB制作・「錯覚だった」にならないようにと

あたらしいサイトの構築をやりはじめました。時代ですね最近はホームページをパソコンで見る人も少なくなり、その大半はスマホであります。
それでもパソコン・タブレットで視聴する人を無視するわけにもいきません。全機種のスマホ画面に対応させることはできませんが、おおまかにでも、スマホ・タブレット・パソコンにそれぞれ対応させなければなりません。これがまた大変な作業になるわけであります。
それぞれの画面の大きさにあわせて、3つの画面を作るという手はありますが、そうすると手間が3倍になってしまいますし、商売用だからと割りきってしまえば、それも有りなんでしょうけれども、更新するにも絶対に3箇所を更新しなければならなくなります。作りぱなしにしてほとんど更新しないサイトならばそれでいいのでしょうけれども。
そこで、一つのサイトで、内容は一緒でもスマホ・タブレット・パソコンそれぞれに違う画面を表示する仕組みが必要になります。これ、簡単なようですが、一番最初の構造を定義する時が一番大変なのであります。もうまるで終わりのないパズルであります。
今回のサイトは、主流がスマホという事ではじめての挑戦であります。いやはや試行錯誤を重ねてようやく4日目にしてなんとか構造ができたような気がします。
それこそ「錯覚だった」なんてことにならないように祈るだけであります。

それは錯覚だ!

ここ半年あまり、炭水化物を極力摂らないという食事をやっています。これにはだいぶ慣れてきたのですが、最近はそれとともに一回の食事の量をできるだけ減らすようにしているのです。これはなかなか慣れません。
そこで、以前は腹を抑えるために、炭水化物以外のものをおやつとして食べていたのですが、これは案外面倒であります、だってそのための食品を別途用意しなければいけないし、それをやると何のための減食なのかがわからなくなります。
そこで考えだしたのが、食事前に腹が空いてきますと、強く声にだすようにして、自分に言い聞かせています。

「それは錯覚だ!」

これが意外に効くのです。本当に効いてしまいますから、自分でも驚くやら呆れるやらです。それで今朝の食事の量も結構少なくて、1時間ほど早く食べたために、お昼に30分ほど残すところになって、腹が減ってきました。そこで・・・・・・。

「それは錯覚だ!」

を連発して飢えをしのいでいるわけであります。本当はすべてにおいて錯覚かも知れませんね。

羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶

独りキャンプだと思って、暮らしてみる

春が近づいてくるとともに夜明けも早くなってきます。以前は6時半ごろに雨戸をあけても、まだ薄日さえささない時があったのですが、最近はかなり明るい状態になっており、一日ごとに雨戸を開ける時間が早くなってきたような気がします。
今日は、天気予報通りに朝からどんよりとした空模様であります。今日一日は小雨が降ったりやんだりということでありました。久しぶりに自宅に引きこもっての仕事になりますね。筋肉の痛みもあちこちにでていますから、ちょうどいいのかも知れません。
今日から、久しぶりに台所の大掃除を数日かけてやろうかなと思い立ちました。別に掃除にかかりきりになるというわけではなくて、PC作業の合間に気分転換を兼ねて体を動かしてみようかという目論見なわけであります。こんな、ちょっとした作業も私のように弱り切った体には結構いい運動になるのであります。散歩代わりの運動ですね。
さて、まずは自分で食べた朝の食器洗いからですね。ん?これって独りでのキャンプでの作業ではないですか。そうそう、そう思ってやれば同じ食器洗うのでも楽しくなってきます。

2015年3月18日水曜日

がんばろうなんて思っているうちはまだまだですね。

体力つくりというのは思っていたよりは、かなり困難だということがしだいにわかってきました。それに比較すると体力を落とすということは簡単ですね。それこそ何もしなければそれですむわけですからね。
体力つくりと似ているのは、整理・整頓・清掃ですね。これも地道に毎日意識してやらなければ、その成果は見えてきません。いや、最初のうちは見えます。ビフォーアフターの関係ですからね。しかし、これも何もやらなければ、たちどころに元の木阿弥に帰してしまいます。

明日もがんばらなければ

2015年3月17日火曜日

自分の足だけをたよりに旅してみたいという幻想

ちらほらと桜の花便りも聞こえてくるようになりました。ようやく冬にも別れを告げることができるのでしょうか。
朝から外遊びには最高の天気でありましたが、午前中はパソコンに張り付けにならなければいけない仕事があって、残念ながらでかけることができずに、昼食後にいつもの装備でいつもの公園を目指して出かけました。
土日と休みを取ったにもかかわらず、どことなく体が重くて、調子が悪かったであります。こんなはずではなかったと思いながらも、急遽目的の公園を一番近くに変更したのですが、そこのベンチはすでに全部ふさがっており、仕方がないので2番めに遠いところへと・・・・・。
やっとの思いでたどり着きました。いつもなら、陽当りのいいベンチを探すのですが、昨日までと違うのは日陰で涼しいところから埋まっていました。
ふく風も、これまでは寒さの原因だったのですが、今年はじめて風が心地よく感じました。

歩いて旅することはないでしょうけれども、仮に自分の足だけで旅したら、これらの電子機器の電池を考えると3泊4日ぐらいが限度かななんて考えていました。
そういえば長男が昨年購入していた、小さいソーラパネル発電機があったな、こんど借りて試してみるのも悪くはないなと思ったのです。でも良く考えたら、Pomeraはエネループだから予備の電気を持っていけば解決するのが、充電しなければいけないのはiPhoneとKindleだけど、Kindleは1回の充電で一日30分使って8日間となっていますから、問題はiPhoneの充電だけになりますね。こう考えてくると1週間ぐらいの旅は充分可能かなと思えます。
しかし、近くの公園まで歩くだけでへろへろしている私が、自分の足だけで1週間も旅するなんてのはとても無理な話ですから、まったく心配する必要はない話でありました。

2015年3月16日月曜日

今日も公園ですごしました

一日のうち午前中は外仕事をやっているものだから、最近心なしか日に焼けてきたように感じる。外仕事といっても、野良仕事をやっているわけではありませんけど。本当は畑仕事なんかもいいなぁと思ってはいるのですが。近所の公園3箇所ぐらいに体調や気分にあわせて散歩を兼ねながら歩いていって、適当なベンチを探して、エディタを開いてサイト作りをやっているのだけれどもね。
細かい設定や、面倒なプログラムは自宅のパソコンでしなければならないけれど一日中ディスプレイの前にへばりついているよりはずーっと気分がいいし、環境を変えると新たな気分になって、仕事が捗るような気がします。

ノートパソコンを持ち歩いてもいいのだけれども、購入当初は車中泊だけを想定していたので、かなり大きくて重いし、立ち上げるのに時間もかかるということでまだ外には持ちだしていません。それに外はかなり明るいので、液晶ディスプレイが見えるのだろうかという危惧あります。あまり、大げさな装備ですと気軽に散歩気分で出かけるのも億劫になりますからね。
その点、エディタ機能だけのPomeraは蓋をあければすぐに文字打ちができるし、白黒画面ですから、外の明るさに負けてディスプレイが見えないということもありません。あくまでもテキストエディタなので、実際に動作させてプログラムを検証するということはできませんけれど、なんのことはない、私の仕事の大半はテキストエディタでの文字打ちだということだということでなんてことはないですね。
BGMと社員同士の連絡はiPhone一台があれば事足ります。なにせ公園のベンチでテレビ会議まできるのですから、これはつくづく凄い環境になったもんだと思ってしまいます。
今のところお金がないので手は出してないのですが、タブレットPCにしたら、それ一台ですべて間に合ってしまうのではないかと思いますね。
タブレットが仕事場であり、遊び場になってしまうということですね。なんだか放浪癖のある私にはうってつけの時代がやってきたような気がします。
因みに、この作文は須和田公園のベンチで書きました。

2015年3月15日日曜日

あの山の向こうまで

あの山の向こうまで、歩いていきたいのだけれども、この状態ではとても出かける勇気はない。しょうがないことです。ここまで歩けない状態にしてしまったのは、すべて自分のせいなのですから。
だから、せめて近くの森までは歩けるようにしなければと・・・・・・・・・。

食生活を大はばに改善してしまったら、どうも晩酌が進まなくなって、これは困ったと思っていた。別に酒が呑めなくなることで困ることではないのだが、長年の習慣だからしょうがないのです。
それにしても、ちょっとばかし寂しいなと思っていたのであります。

あの山の向こうまで、自分の二本の足だけを頼りに行ってみたいと思い、毎日体をいじめていたら、なんだか晩酌が旨くて、ここ2日ばかりは調子にのって呑み過ぎてしまった。もう一生酒が旨いと感じることがなくなってしまうのかというのは、とんだ危惧であったようです。

2015年3月13日金曜日

公園のベンチでうとうと・・・・・

朝、起きた時から疲れが蓄積しているのは感じた。しかし、この陽気で散歩にでないのは犯罪だ!なんて思えてきてスニーカーの靴紐を結び直しまして、「エイ!」という掛け声と伴に玄関をでました。
この2日ばかりは、かなり冷たい風のなかを、公園のベンチに居座り、読書と作文に勤しんできたのです。今日のようなぽかぽか陽気をどれほど待ち望んできたのか・・・・・。
行き交う人々の表情がとても幸せそうに感じ、たぶん私も私なりのシアワセな顔になっているんだろうなと思いました。

お気に入りのベンチに座って、いくらもしないうちに眠気が襲う、この気持の良さには決して抗らえるものではありません。いつしか私はうとうと、この世の春を満喫しつつ、心地良い眠りに落ちていったのです。

2015年3月12日木曜日

私の小さな小さなアウトドア生活

昨日よりは風の冷たさは和らいだようであります。買ったばかりのショルダーバッグを引っさげてとぼとぼと散歩であります。
これで風さえなかったら最高の散歩日和なんだがなと思いながらも、周囲の色づいた花々を愛でながらできるだけゆっくりと歩きます。
昨日の散歩の残骸である筋肉痛が襲ってはきたけど、それは最初のうちだけで全身が温まってくるにしたがっていつしか消え去っていきました。
どうせなら、昨日行った公園よりは、もっと遠いところを目指してみようと、できるだけ速度を抑えてペース配分を考えながら、文字通りにとぼとぼヨロヨロといった感じで歩き続けました。

はためにはどう見えるのだろうか、かなりみっともない格好でヨボヨボな感じの徘徊老人にみられているのだろうか、などと余計なところに気を回しながらも歩き続けます。
こういう時は都会のありがたさを感じる、周囲に見知った顔などは、どれひとつなく、いくらみっともない姿で歩きまわっていても何も気にする必要はないのでありました。

昨日の公園よりは数十倍ほど大きなところです。それだけに人の数もおおく、走っている人や早足の人、のんびりぶらぶらの老夫婦等、世の中の暇なサンプルをすべて集めた様相であります。

私は陽当りのよいベンチを見つけて、その昔、百均で購入したウレタンの簡易座布団の上に腰掛けて、iPhoneで昨日編集したばかりのお気に入りの音楽を聞き、Kindleでひたすら読書であります。いつの間にかこのKindleには100冊を超える書籍がたまってしまっています。常に読んでいるのは3冊ぐらいであります。それ以上だと、前回読んでいた内容を思い出すのに手間取ってしまうので、3冊ぐらいがちょうどいいような気がします。
読書にあきるとぼーっと公園の風景に目をやってふく風を感じたり、空に浮かぶ雲の形を楽しんだりしています。そしておもむろにPomeraを出して作文をします。
だいたい、これらを繰り返していますと、あっというまに午前中は終わってしまいます。

私の小さな小さなアウトドア生活ですね。今のところこれが一番気に入っています。

2015年3月11日水曜日

せめて、歩けるぐらいの体力は

金曜日に公園に出かけて以来、天気のほうがいまひとつだったし、結構寒かったのでまた引きこもり生活をつづけていた。
しかし、いくらなんでもこれ以上歩くことをサボっていたら、またちょっと歩けば全身筋肉痛なんてことになりかねないので、今日は多少寒くても歩くことを朝から決めていた。
それに2日ほど前に安物だけど散歩用のショルダーバッグを購入していたので、その使い勝手も試してみたかったのであります。これまではポシェットを使っていたのですが、これだと本格的に散歩をして、公園で音楽を聞きながら、読書をしたり、作文をしたりして時を過ごすとなると少々小さすぎて使いづらかったのであります。
忘れ物がないように、なんども確認しながら新品のショルダーバッグに、iPod・iPhone・Kindle・Pomera・簡易座布団を詰め込んで出かけました。もとより寒いのは覚悟していましたが、寒くて耐えられないようだったら散歩だけにして帰ってくるつもりでありました。
本命となる公園ではなかったのですが、途中の小さな公園のベンチに座って、バックからKindleだけを取り出して10分ほど読書をしましたが、陽射しは暖かいのですが吹きさらしの風は、やはり冷たくて、そそくさと読書をあきらめ最終目標となる公園に移動しました。
その公園には結構な大木があり、それが防風林の役目を果たしており、最初の公園とは比較にならないくらいに暖かで快適であったのです。
結局帰宅したら、午後の1時を過ぎていました。さて明日はどうなるのでしょうか。

2015年3月6日金曜日

公園の陽だまりのベンチでべちゃくちゃと

昨日は散歩を最初からサボろうと思っていたのですが、あまりにも散歩日和なものですからついつい釣られてしまって、電子書籍のKindleをポケットに忍ばせてでかけました。心配した筋肉痛も最初だけは痛かったのですが、体が慣れてくるにしたがって気にならなくなったので調子にのっていたのですが、途中からやはりきつくなってきたので、いつもの公園に向かいました。
もっと暖かな季節ですと、木陰が涼しくていいのですが、まだ3月のはじめとなりますと陽の当たる場所が恋しいです。
陽だまりのベンチにひとり腰掛けて読書をしていましたら、中年のおじさんが「お邪魔させてください。ここが一番陽のあたるベンチなものですから・・・・・」
これがきっかけでそれから小一時間ほど、あれこれとおしゃべりをしてきました。おかげで名前こそ知らないけれども、あのおじさんの半生を知ることができました。
こういうのって、これまで散々日帰り温泉で鍛えてきましたので得意なのでありました。
内容をここに書くのはちょっとだけはばかられますけど。

2015年3月5日木曜日

避けてはとおれない筋肉痛なのだ

昨日は暖かで良い天気でありました。その陽気に誘われて1ヶ月ぶりぐらいに散歩にでかけました。ちょっとだけにしておけば良かったのですが、ついつい調子にのってしまいまして、かなりの距離を歩いてしまいました。
その結果は、今朝方目覚めた時から全身筋肉痛というものに現れてきておりました。実に単純でわかりやすい私の体であります。いやはや。
今日あたりから、また一転して天気はあまりよくないそうなので、これ幸いに筋肉痛が鉾を収めるまでの引きこもり生活に入りたいと思います。そうしている間に、筋肉痛もやわらぐことだと期待しているわけであります。

ここひと月あまり、24時間読み続けられますか、という具合に読書を続けてきましたが、ここにきてさすがに疲れがみえてきたようであります。ちょっと気がつくと内容が頭に入ってきておらず、たんに字面だけを追っているような時が多くなってきました。
ふと気がつくとあれ?どういう内容だってけ?とページを後退させて、再び読んでどうにか理解するなんてことが多くなってきています。これもそろそろ少しの休憩が必要になってきたようであります。自分の体もそうですが、同様におつむの中味もなかなか単純でわかりやすい構造のようであります。

ここんとこの目標は大量の読書をするというものでありましたが、その目標は私なりに達成しているように思われます。そしてもうひとつ目論んでいたのが、大量の作文をするというものでありましたが、これは、まったく達成していません。それはこのブログに現れていますけれども。
文を書くということは読書するよりははるかに難しいものですね。自分のバカさ加減をどの程度までさらけ出すか、どのあたりで留めておくかという、自分とのせめぎあいになってしまうからであります。
自分としてはできるだけ正直に自分をだしていこうとは思っているのですが、本質的には自分のなかのどこかにいい格好したい、自分をより良く見せたいという本能のようなものが強く働くからではないかと思っています。
それよりもなによりも、表現力に大きく欠けるということもあります。うーん、ここまで書いてきてもっと大事なことに思い当たりました。表現力とか技術力とかの前に、何かを表現したいという根本的なものが見当たらないということでありました。これが一番の問題といえば問題なのでありました。

なんだか、本日の書き込みも自ら迷路の中に落ち込んでしまったようであります。

2015年3月3日火曜日

今度はすこしだけ体でも鍛えますか

3月に入って、なんとなく気持ちの上では春なんですけれども、結構冷え込む日もまだまだ多いですよね。
今朝はどんよりとした雲が垂れ込めており、お昼近くから雨が降るとの予報もでています。昨日からキャンプに出かけている息子Bはどうしているだろうかとニヤニヤしているのです。
ここは早めに簡単な朝食を済ませて雨が溢れてくるまえに装備を撤収してしまうのが正解かなと思うのですが、どうなんででしょうか。ま、雨に降られて散々な目にあうのも一興ですけれどもね。

この陽気ではさすがに外に遊びに出ようとは思えない年になってしまいました。あえて外にでなくても、読書したり、仕事したりと遊ぶには困らないですからね。ん?仕事も遊びなのかって?そうなんです。
いつの間にか仕事は遊びのひとつになってしまっていて、ちょっとでも面白くなさそうなものは絶対に引き受けなくなってしまいましたね。気の進まない仕事ほどやっていて辛いものはないですからね。そんな生意気な態度ですから、仕事のほうもなかなか回ってはこないですけど、それでいいんです。楽しけれりゃそれでいいんです。

つい最近まで24時間読み続けますの勢いで読書をやってきたのですけども、最近はそれもいささか辛いなと思い始めてきました。それに変わってなんとなく今度は体を鍛えなくてはと思い始めています。鍛えるといってもそうそうハードなことはできませんから、歩くことぐらいですけれどもね。
ただこれも近所をただ歩きまわっていると、飽きちゃうんですよね。しかもたんに歩くことだけが目標にしていると結構つらいものがありますからね。

2015年3月2日月曜日

私のアウトドア精神は「シンプル イズ ベスト」に尽きます

3月になってからは、毎日ブログを更新してます。と云ってもまだ2回だけのことでありますけど。でも毎日更新は事実ですから、こう書いても間違いではないですね。

まだ3月に入ったばかりだというのに、息子Bは朝から1泊2日のアウトドアにでかけて行きました。若いっていうのはいいですね。まだ冬も終わっていないうちにからアウトドアにでかけていくのですから、あきれてしまいます。
数日前から、その準備がはじまり、私はなにも口出しすることもなく、ただながめていたのですが、いろんなキャンプ用品を新規に購入しておりました。
超ベテランの私からすれば、それは無駄なものだとか、それはこういうものにしたほうが使い勝手がいいとか、喉元まで出かかりましたが、それはグッと呑み込みました。
私の持っている道具類も貸してくれと言われれば気持ちよく貸してあげました。ただ最近はアウトドア用品の管理は私の手を離れて息子Aがやっていますので、自然、息子Bは息子Aに聞くことになります。
少しだけ経験の深いAはやはりアドバイスというか、助言とかを云いたくなるのでしょう。私はAにそっと耳打ちして余計なことを一切云わないで協力だけしてあげなさいといいました。

キャンプに行こうと思い立った時から、すでにそのキャンプは始まっているんですよね。今回はあの道具を試してみようとか、この道具を新たに購入してみようとか。また衝動買いした道具を試してみたくて、わざわざキャンプを計画したりするものです。失敗したらしたでそれはそれでいい思い出になるし、いや、むしろ旨く行った時よりも失敗した時のほうが、笑い話となっていつまでも残るものであります。それを知ったかぶりして邪魔してはいけないと思うのであります。

息子たちのやろうとしていることには一切口出しはしませんが、彼らが購入するアウトドアグッズというものには結構興味がありますね。最近の私は「シンプル イズ ベスト」の精神が揺るがないようになっていますけど、彼らの斬新な思考で購入する道具はなかなか面白いものがあります。それらに対しては、根掘り葉掘り質問することになります。
以前はキャンプ道具にお金を注ぎ込んで集めるのは私だけだったのですが、いつの間にか私の懐が一切傷まないことになりましたが、それはそれで寂しいことでもあります。

午前中は結構寒くて、こんな陽気のなかでのキャンプはどうなんだろうかと思ったけれども、お昼すぎには願ってもないキャンプになりましたね。もちろん寝られないぐらい寒かったら、それはそれでいいことなのですけれども。

2015年3月1日日曜日

Aさんと久しぶりの日本での朝食会

ふふふふ、予定通りというか、あたりまえというか今日から3月になりましたね。これからはそれほど肩透かしをされることなく、本格的な春にむかって歩み続けていくことでしょう。なんとなく固く縮こまっていた体から力がぬけていくような感じがします。
などと手放しで油断をしていると、ちょっとした寒波がやってくるとダメージも大きいからちょっとは警戒する心も残しておかなければいけないのかも知れません。

本日は、上海に単身赴任をしていた駐在員Aさんが、日本に戻ってきたので久しぶりの朝食会であります。そういえば、2月に上海で朝食会を頻繁にやっていたので、そういう意味では久しぶりでもないんですけどね。それにSkypeを使って結構だべってはいるのでありました。
朝食会などといっても近所のファミレスで朝ごはんを食べて、ドリンクバーでコーヒー呑んでひたすらダベるだけのことでありますけどね。

とは云っても最近私は思うところがあって、糖質制限食なるものを実行していますので、普通の飲食店では食べられるものがほとんどないので、あらかじめ朝食は食べていくことにしますけど。
ま、それほど厳密に制限しなくてもいいのですが、せっかくこれまで続けてきたものですから、ここで崩したくないというものがあります。特に私の場合は意志が極端に弱いので、なし崩し的に簡単に崩壊してしまう可能性が大きいのであります。ここらあたりは自分を良く知っていますね。ことほそ左様にあてにはならない奴のなのであります。

自分とは違う世界に住んでいる人とダベるのは楽しいとものだと思います。私のように意識しなければほとんどの時間を自宅だけに引きこもってしまえる人間にとっては特にそう思います。もっといいなと思うのは酒を酌み交わしながら、知り合ったばかりの見知らぬ人とヨモヤマ話をするのは尚更いいですね。もっと贅沢をいえば、そこは野外であって、焚き火がときおり烟(ケブ)って目をしかめながら、火の面倒をみながらも、
「ま、そうはいってもなぁ、世の中そんなもんだよ」
「ま、ま、ぐっといきなよ、あんましさ、小さなことにこだわってもつまんないじゃない」
なんて感じでさ、夜は深い闇のなかに、なにもかも包み込んでいくのでありました。

なんていうのがいいですね。