2009年4月30日木曜日

ひろーいキャンプ場を独り占め

 キャンプ場の雪は見る見る消えていきます。豪雪地帯だから味わえるメリハリのある季節です。私の居住する千葉県は、季節のメリハリが乏しいです。ずるずるって春になり、ただただ暑いだけの夏になり、むりやり秋を探し、これが冬かい単に秋が呆けたんじゃないかいって感じです。その点桧枝岐は違います。責任のある季節を提供し続けてくれています。これからの季節は本物の春を味わうことができるでしょう。
 桜はまだ咲いていません。途中ではまだまだ桜の花が満開なところを目にしました。桧枝岐の山桜を目にしてみたいもんだとは思っているが、いつ咲くのか予想ができません。
 朝の目覚めには小鳥のさえずりで始まりますが、これが結構騒がしい。カメラに撮りたいと表に飛び出したがにわかヘッポコカメラマンには無理らしい。
 カメラに収めることができなかったが、なんとタープのなかに飛び込んできたのです。雀かそれ以下の大きさの小鳥です。捕まえるのもかわいそうだから外へ追い出すべく出入り口を大きく開け放してやったのだが、アイツどうも鳥目らしく内と外の判別がつかないようだ。ん?鳥目はあたりまえじゃないか。それに鳥目だとなぜ・・・・。ま、わからないがそういうことなのだ。すばしこくて可愛い鳥でありましたが、そのうちに晴れ上がった青空に向かって飛んでいきました。

 しかし、素晴らしい陽気であります。心が開放状態で体は放心状態です。吹く風もさわやかです。しばらくのあいだ川を見て過ごしました。花見や月見があるんだから川観があっていいのです。オゾンとマイナスイオンが降り注ぐなか大量の水量と音量に圧倒されてしまいます。
 人間ってこうしているだけで本当は幸福なんだと・・・。他に求めてはいけないのではないかという思いがよぎった。

 家をでてから何日になるのだろうか、非日常を求めて彷徨い始めたのだけれども、ある程度の時間が過ぎてくると、その非日常がただの日常になってきてしまう。そんな予感がずーっとしていた。

昼間あったかでぽかぽか陽気

 昨日も今日も昼間はぽかぽか陽気でとっても暖かいです。この陽気だと何をやっても気持ちがいいです。しかし、しかしです。夜は冷えます。たぶん氷点下になっているものと思われます。私は羽毛ではないですか、昨年購入してあまり使う機会がなかった高性能のシェラフと厚さと大げささだけが立派なシェラフをダブルにして寝ています。それでも心配だったのでペットボトル二つを湯たんぽにして寝ました。おかげで熟睡することができました。
 朝小便がしたくて目覚めたのですが、あまりに寒かったので起きだすのが億劫でしばらく我慢をしていました。しばらくすると太陽がテントにあたるようになりました。するとどうでしょう、みるみる内に温度が上昇してきて、テントの中は温室のように暖かです。あれほど冷え切っていたものが、まるで魔法にかかったように暖かくなるのですから、今更ながらに太陽のパワーの凄さに恐れ入ったのでありました。
 しばらくテントの中で体温が上昇するのを待って行動開始であります。ん?俺いつから爬虫類になったのだろうか。朝ごはんが終わると管理人の星さんがやってきて新しい桧枝岐のパンフレットと桧枝岐関係の書籍5冊ほど貸してくれました。その中には欲しかったけれど絶版になっていて手に入らなかった本が3冊ありました。いったいどこで手に入れたんだろう。これが不思議です。桧枝岐村にきて桧枝岐村関係の書籍を読み、桧枝岐七入オートキャンプ場のサイトを作っている。なんとも身も心も桧枝岐村に捧げているような気持ちであります。
 書籍を借りた時に、2DAYパスポートをいただきました。日付が4/30から5/1有効とあります。よーし、今日明日は温泉三昧だと張り切ったのですが、いくら3つの温泉入り放題だといっても、温泉に入るって結構体力がいるんですよね。でもこの2日で筋肉が悲鳴をあげていますからちょうど良かったたと思います。
 燧の湯は午前6時からですから午前中は燧の湯に入って、午後から営業のアルザの湯と駒の湯に行こうと思っています。2日続けて駒の湯に入ったからアルザの露天風呂中心に入りますか。それからこの券はミニ尾瀬公園・歴史民族資料館・テニスコート・レンタサイクルも無料になりますね。これ全部試したら俺死んでしまう。
 では燧の湯を目指して出発です。あ、そうそう今日も洗髪しても大丈夫かな?あんまり洗いすぎると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

2009年4月29日水曜日

ついに2連の大型テントを張り終えた

 管理人の星さんに頼み込んで無理やり手伝ってもらって40分ほどかかってついに張り終えました。張り終えてからも細々と結構忙しいのであります。今日の桧枝岐は暖かくてテントの中は暑くて長くはいられません。それでも夕方までには寝る準備を終わらしておきたいので汗をかきながらも必死です。
 一応準備を終えたので、農協にいって石油と石油ポンプを購入します。それから食料品も少量調達です。今回は一人ですから、毎日ちょこちょこと全て農協のスーパーで調達することにしました。
 いやー昨日もヘロヘロになりましたが、今日もクタクタです。私一人しかいないわけですから、全てのことを自分でやらなければいけないから当然ですね。
 たぶん明日には落ち着くことでしょうから明日は休養日にあてたいと思っています。あれ?何か変。休養しにキャンプにきているんじゃなかったけ。ま、とにかく明日は休養日です。

フリーデザイナーヒビャさんに公開コメント

 七入オートキャンプ場で検索したらにヒビャさんからコメントが寄せられていた。このブログのコメントわかりにくいから別記事としてコメントを書くことにした。

>ワタクシは5月4日からお世話になる予定ですが、ぽーさんはその頃も七入にいらっしゃるのですか??是非ともお会いしたです(*^_^*)
>車かオートバイか、その時の状況でセレクトして行くのですが、今回は車(足立ナンバーの白いハイエース)で行く予定ですので、見かけたら是非声かけてくださいませ!!

そうかヒビャさんもきますか。楽しみにしています。私はたぶんすぐにわかります。炊事棟の近くに大げさな2連のテントを張っています。たぶん。いや張る予定です。たぶん
見かけても笑わないでくださいよ。あーーあれがひとり玉砕したテントかなんて。

因みにヒビャさんのブログはこちらフリーデザイナー「ヒビャ」が思ふことになります。
思えば七入オートキャンプ場では随分たくさんの方と知り合いになれました。今朝も25年ほど通っているという親子の釣り人とお茶を呑みました。昼からも横浜の常連さんで留三郎小屋を利用している方がくるそうです。この方ひたすら酒飲んで本を読んで帰るのだそうです。ん、似てるかも。

テント張りでひとり玉砕する。

 昨日温泉にいってそのままビール呑んで車中泊で寝るって書きましたが、まだ4時だし明るいし時間は結構あるからもったいないなと思ったのがいけなかった。
 キャンプ場に戻って、車の荷物を全部おろして重いテントを引きづり出して張り始めた。やはり事前に自宅近くで試し張りをしておけば良かったがついつい億劫でやらなかった。
 張り始めて格闘すること3時間。結局どんなことをしても一人で設営することは無理だということを思い知らされただけだった。

だれかーーー!ダジゲデー!!。もう精も根も尽き果てた。

 もう日はすっかりと落ちてしまいかなり焦る。キャンパーはオープン前なので誰もいない。出した荷物を車に積みなおすのもこれまた大変なので、炊事棟に退避させることにしたが、これも大仕事。出したり、おろしたり、しまったりで大方の体力を使い果たしてしまった。
 明日管理人の星さんに泣きついて手伝ってもらうことにした。二人ならなんとかなるだろう、3人なら万全だけども。

 しょうしょう焦りながら駒の湯に向かう、8時を少し過ぎていたが、9時まで営業とのことで、そのまま露天風呂に直行であります。首まで湯にどっぷりと浸かり山々をながめる。これまでの疲れがどっと出てくるのがわかる。
 風呂での長湯は嫌いだが温泉の長湯は大好きなのだ。しかし冷たいビールが頭をよぎる。となると矢も盾もたまらず、急ぎ再びキャンプ場に引き返す。

 ようやくハードな一日が終わろうとしている。月が出ていたが山の向こう側らしく車から見えない。

2009年4月28日火曜日

尾瀬 桧枝岐村七入オートキャンプ場4月28日

 これから駒の湯に入ってきます。途中木賊温泉も頭に浮かんだんだけれども、あそこは体が洗えないので今日は駒の湯にします。もちろん朝風呂は木賊温泉です。とりあえず写真だけアップしておきます。
 外気温は10℃ぐらいです。たぶん朝晩は0℃近くに下がると思われます。今からテントを貼るのもかったるいので、本日も車中泊になると思います。

 桧枝岐村にきたらとにかく温泉です。温泉からあがったら勿論ビールです。シアワセのひとときですね。



おだやかでいい天気です。

 昨日まで風が強くて体感温度は低く感じられましたが、今日はおだやかで暖かくていい朝であります。ホームセンターが開くまで一仕事であります。今回はこれまでおざなりになっていた動画処理にじっくりと取り込んで見ようとFlashの解説書2冊ほど持ってきました。ま、なんでもそうなんでしょうけど、画像だのお絵かきだの動画だのってなってくると感性というものを除けば我慢と忍耐に尽きるということになりますね。
 どこへも逃げられない環境ですからじーっと学習するしかありません。通信こそ遅いものの持ってきたノートパソコンの処理速度はそこそこのものですからそこそこの作品を創り上げることができるのではないかと期待しているのですがどうなんでしょうか。
 動画を作成するのに一番適しているのはロボットではないかと思っています。この場合人間でもいいのですが。たとえば歩く動作を表現することを考えてみると、基本的には右足・左足が交互に動くわけです。それに手も左右動作させます。これをそれぞれひとコマづつ描いていっても成立しますが、それでは面倒でしょうがありません。そこで左右の手足を4つの部品として作成するわけであります。もちろん胴体も頭もつくります。これらもそれぞれ動けば申し分ないのですが、そこまで作りこむ自信がまだありません。とにかく歩いているような動きをひとつ作って、用意した背景を動かすという風にしてみようかと思っています。
 最初から造りこまず、線だけの構成でいいですね。それでどのように構成すればいいのかを手探りでやってみるということにします。このあたりはやっておかなければいけないところだったのですが、面倒だし根気のいることだから先送り先送りになっていました。

 話は変わって忘れてきた銀マットを買い求めようと昨日目にしたカインズホームへきてみたが、どうも10時からの営業らしく1時間ほど待つことになったので、駐車場でPCで作業を始める。パソコンを使えば1時間なんてあっというまですから、待つことは全然平気であります。付属しているガソリンスタンドでついでに入れることにしたが、値段が112円とちょっと高いがどうせそんなに入らないのだからと入れたら2円ほど値引きしてくれたのでまあまあの値段になった。28.57ℓで3,143円だから3日間遊んでここまで移動した値段としては安いもんですね。

ようやく開いたのでさっそく中に入ってみる。広いね。おれんとこのホームセンターの3倍はあるような気がします。5月が近いというのでアウトドア用品も置いてありまして、さっそく銀マットのL版をゲットしました。この辺の人はたぶんアウトドアなんてやらないのでしょう。商品の種類も少ないし数も申し訳程度しか置いてありません。その点自宅近くのホームセンターにはこれでもかというくらいに置いてあります。面白いですね。
 ま、とにかくこれで天幕生活が味わえるというわけです。めでたしめでたし

やはりどこか抜けているのです。

 旅にアクシデントはつきものであります。そのアクシデントを楽しむぐらいの頼もしさを身に着けるために旅にでるというのもいいんではないかと思っています。昨日はカメラとパソコンをつなぐUSBコードを忘れてしまったことを書いた。

 2009年4月23日のキャンプの準備という日記のなかに銀マットの威力について力を必要以上にこめて延々と書いている。
 なんていうことだ、その銀マットをそっくり忘れてきてしまった。あろうことか今朝目覚めるまで気づかなかった。今回は大げさなキャンプをすることを決めていたので大げさなテントとタープまで用意したのに銀マットがなければテントの中で寝ることなんてサバイバルゲームじゃないんだから絶対にできない。まして桧枝岐はまだ冬である。いくらストーブを持ち込んでも下からの冷気を抑えなければならない。
 解決方法は2つある。テントの中に寝ないでいつもどおり車中泊をするか、銀マットを手に入れることだ。幸運なことに宿泊地は買い物をするには何も困らないというロケーションである。途中の4号線沿いにかなり大きなホームセンターが点在していた。確かカインズホームってのもあったと思う。まずはそこに行ってから考えよう。
 なんで気がついたかといえば、今回は大げさなキャンプをやるにしては随分荷物をコンパクトに抑えられたなと例のごとく自分で自分を褒めようとした瞬間にかさ張るはずの銀マットがないことを発見したのであります。

2009年4月27日月曜日

やはり忘れ物をしていた。

 なんで出てくる前に気づかなかったのであろうか。って気づいていたら忘れ物にはならないのだ。
 下妻の道の駅の写真をアップしようして、気がついた。パソコンとカメラをつなぐUSBコードが無いのであります。
 家をでるまえに自宅のPCに繋いであるUSBコードは確認していて、これは絶対に持っていかないと写真の画像処理に支障をきたすなと思っていたのです。
 こういうもんですね私の人生は。どこかちょっとだけ間が悪いのです。

 しばらく走っていたらなんと比較的大きなコジマ電気があるじゃないですか。さっそく入って店員さんにカメラを見せてUSBコードを探してもらうが見つけられませんでした。

こらSonyよもっと汎用的なコードを使えよな。バカ

 いったんは諦めましたが、運転している時に閃いたのです。さすがです、只者ではありません。誰がって?、この私がですよ。
 その閃きというのはAir"Hをパソコンに差しているカードアダプターの形状です。たぶんこんなものは独自仕様なんかにしたら経費がかかってしょうがないだろうから汎用的な物を使っているかもしれないと直感が閃いたのです。
 これは試してみる価値がありと思いつつ走り続けると、昨日とおんなじ70kmほど走ったら昼前に西那須野に到着した。
 4号線を左に折れていくと一気に桧枝岐村へ向かう道路となる。本日は昨日よりもかなり早いがにしなすの道の駅に住みつくことにする。それで早速試してみるとドンピシャリでありました。おかげでリアルに写真をアップすることができます。
 写真の整理整頓って結構大変なのです。撮った写真をその都度処理して整理整頓してしまえば一番楽なのですが、溜め込んだ写真を整理整頓するとなると容易なことではありません。これまでただたんにハードディスクのゴミと化している写真がいくつあるかと思うとぞーっとしします。

 このあたりの地名が以前からわからなかった。塩原町なんだろうか那須町なんだろうかがわからずこれまで過ごしてくたのだ。別にこのようなことを詳しく知らなかったといっても私の人生に重大な衝撃を与えるなんていうものでないからいいのだけれども。
 でも気になるからネットで検索してみると道の駅の住所が「栃木県那須塩原市三島5丁目1番地」とありました。これ以前からなのだろうか最近の市町村合併に寄ってこうなったんだろうか、やはりこれも検索してみるしかないだろう。
 いつ合併したのかまでは調べ切れなかったけど、どうも黒磯市(くろいそし)、西那須野町(にしなすのまち)塩原町(しおばらまち) の2市1町が合併したようだ。なるほどね。
旅先でネットが繋がるというのは、こういう調べものの時も便利ですね。ネットが繋がるといえば旅に出たのを知って結構メールをくださる方が多いのです。まだ珍しいからメールをくれるのだけれども、返信メールを書いたりなんだりで結構忙しいのであります。
下妻の道の駅で大阪ナンバーの車中拍者を見かけたので声をかけた。この車は私より前から駐車して寝ている様子で人事ながら随分長く寝ているなと思っていたのです。結構年配のご夫婦だったので一年中旅しているのか聞いたらなんの事はない、このゴールデンウイークだけだそうです。一応仙台を目指すといっていました。
 ずうずうしく車の中を見せてもらったら後ろの荷室に自作の簡単ベットがあり、その下に荷物を置くだけの簡単なものでしたが、これで充分だと感じました。
 アウトドアをやりたい、全国を旅したいと考えそのためにはキャンピングカーが必要と長年コツコツ働いてためるか、借金をして高価なものを手に入れるかしても、すでにそこで力尽きてしまい、お金がないから旅にでられないなんてのはどこかが変ですよね。
 拘らなければすぐにでも旅に出て楽しむことなんてなんでもないことなんですよね。

おお!なんだかんだでもうすぐ5時になりますね。この周辺はスーパーからコンビニからホームセンターにファーストフード店が多いので便利です。そろそろ買い物に行かなくちゃ。

ダラダラズルズルノロノロボケボケ旅の始まり

 随分前から仕事の合間にダラダラと旅の準備を続けてきて、昨日の午後あたりになって、もうこれ以上なにも準備をするものがないなという状態になった。本当はもっと考えれば不備なものは沢山あるのだろうけど、それ以上考えたくなくなった。夕方に晩酌をやって目覚めたら出発ということでも良かったのだが、すっかり準備が整った様子をみた妻の目が、「早くでかけろ、何をモタモタしているのだ」といっているように思えてそのままずるずると出てきてしまった。
 今回の旅の始まりはダラダラのズルズルというダラズル旅となってしまった。3時過ぎに出たのだが、まったく力の入らない運転でこれまたノロノロと一般道を走しる。よってここにもうひとつノロが加わってダラズルノロ旅となったのであります。
 2時間も走ると道の駅下妻まで2kmの看板が目に入ったのでちょっと早いけど今夜はここに居座ってしまおうと決める。
 下妻って「しもづま」と読んでいたが「しもつま」と読むのが正しいようだ。別になんの特徴もない、普通の道の駅であります。夕べはかなり早く眠りについたので夜中の2時ごろには目覚めるかなと思っていたのだが珍しくぐっすりと寝込んでしまったようで7時近くになってようやく目を覚ました。
 以前に車中泊をやるときは車のカーテンを四方びっしりと閉めないと落ち着いて眠れなかったものだが、慣れというものは恐ろしいもので、気がつけば、まったくカーテンなど閉めておらず、あろうことか車のロックもしていなかった。もうかなりボケが入ってきているのかも知れない。
うーーん。こうなるともうひとつ付けてダラダラズルズルノロノロボケボケ旅となってしまうな。

2009年4月26日日曜日

七入オートキャンプ場で検索したら

 時々「七入オートキャンプ場」と入れて検索してみることにしています。今朝方も何気に検索して見ましたら。フリーデザイナー「ヒビャ」が思ふことさんのサイトを発見しました。以下引用です。

七入オープンまで

4月24日 金曜日

長期連休の度にお世話になっております、檜枝岐村のキャンプ場「七入オートキャンプ場」、いつの間にかホームページができておりまして、1日からいよいよキャンプ場オープンのようでございます。

しかも去年、ワタクシが渓流で釣りをしている時の写真が使われておりました。かなり、嬉しいです。

今年はレースがございまして、最初の土日は檜枝岐で過ごすことができずちょっと残念ではございますが、まぁまだ登山もできませんし、林道も抜けられないと思いますし、9月にまた連休がございますし、まぁ2泊できればいいかなと、自分で自分に言い聞かせております。

今回はテンカラの準備が間に合いませんでしたので、ルアーと餌釣りでイワナさんを狙おうと思うのでございますが、雪代はどんな具合なんでしょうかね。

檜枝岐の季節はまだ冬でございます。川もまだまだ冬でございます。まだテンカラにはちょっと早いかもしれません。やはり檜枝岐でのテンカラ本番は6月か7月ぐらいからでしょうかね。

またあの清流の清らかな音につつまれながら、凛とした空気の中で釣りができると思うと、ワクワクしますなぁ。


>しかも去年、ワタクシが渓流で釣りをしている時の写真が使われておりました。かなり、嬉しいです。

うわーーー良かった!メッチャ怒られるかと思いました。


尾瀬 檜枝岐村七入オートキャンプ場 実川で岩魚を釣る
From 七入オートキャンプ場 0


 しかしどの写真だろうかと考え込んでしまいました。昨年は七入オートキャンプ場のホームページを造ろうと思ったのが遅かったので取材が追いつきませんでした。だから最初から意図して写真を撮ったわけでなかったので使える写真が少なくて苦し紛れに無断で掲載してしまいました。今年はそのような事がないように使うだろうと思われる写真についてはきちんと事情を話して了解を得てから掲載したいと思います。

検索の話ついでに「オートキャンプ場」でgoogleで検索しますと、183番目ぐらいですね。やはりこの「オートキャンプ場」というキーワードは激戦区ですね。ここでトップページに来るようだったらかなりのインパクトがあるのですが、力まだまだ及ばずですね。

 「七入オートキャンプ場」での検索の話に戻りますが、怪しい面々隊の高橋会長とか友人の牧ノ原さんが動画をYouTubeに投稿してくれたり、ブログで紹介してくれているので、その効果は絶大ですね。それらの動画がまた他のサイトからリンクを貼られていたりして・・・・・。

 高橋会長及び牧ノ原さんありがとうございます。心から感謝いたします。これからもよろしくお願いいたします。

いざ七入オートキャンプ場へ

 いつ旅立つか悩んでいるのです。途中で道筋の取材もしたいし、那須塩原方面で買い物事情の取材もしたいと考えているのです。特に塩原にある「スーパーあさの」は念入りに写真を撮りたいし、ついでに買い物もしたいと思っているのです。ところがこの「スーパーあさの」は月曜日が定休日なのです。以前に何にも知らないで立ち寄ってがっかりした覚えがあります。
 ただこの周辺は結構スーパーマーケットがありまして助かった覚えがあります。それにしても「スーパーあさの」の魅力には代え難いのでありますが。帰りに時間に余裕があるときは必ず立ち寄って自宅用の食材を買って帰ります。
 同じ塩原でも、塩原温泉街に入ってしまったら、絶望的に食料品のお店はありません。ここでは何度も痛い目にあっています。ここはあくまでも観光客が主体の温泉場だから仕方ないことでありましょう。以前は奥会津まで入らないで那須塩原あたりで野営して遊ぶことが多かったのです。この周辺にはたくさんの優れたキャンプ場が揃っていますし、温泉の数も多いですから結構楽しめます。それに観光牧場なんかもありますから小さい子供がいる人にとってはお薦めのスポットであります。
 このぐらい大きな町なんだからまともなスーパーの1軒ぐらいはあるだろうと思い散々探しましたけど無駄でありました。昨年も塩原温泉街から買い物にきていた主婦の方に尋ねたら、塩原温泉街にいったら何も買えないので、時間はかかるけど来た道を戻って「スーパーあさの」に行きなさいと教えられたくらいです。

 余談になりますが、その時におばちゃんが、これからどこまで行くのと聞いてきたので、「檜枝岐村まで」と応えると、「いやーーーー、そんな遠くまで行くの!」と驚いていました。
 私の感覚すれば、塩原はもう桧枝岐村に着いたも同じところなんですよね。ここから約100kmです。のんびり田舎道山道を運転していると生き返った気持ちになります。特に塩原温泉街を抜けると開放感でいっぱいになります。この気持ちも詳しく取材して置かないと。

 あ、それから塩原温泉街はタイミングによりますが、土日は渋滞に巻き込まれる場合がおおいです。特に塩原の道の駅あたりから温泉街を抜けるまでが鬼門になります。
 最近は塩原の道の駅から直進する片側2車線の道路が完成しました。以前はここはT字路になっており、右折した先にまた信号があり、それを左折しなければなりませんでした。ここがネックになって大渋滞を引き起こしていたのです。また温泉街に至るクネクネした狭い山道も、拡幅されたり、直線化したりを行ってきたので以前ほどではなくなったとは思いますが注意が必要です。特に日曜日の午後からの上りは、観光客が一斉に那須塩原インターチェンジを目指しますから。

 だからといって日光市内から抜けようとしては絶対にいけません。ここに踏み入れたら地獄であります。ピタリと停止した車は絶望的に動かなくなります。逃げ道もありません。それに比べれば塩原温泉の渋滞なんて可愛いモノです。

 日曜日に出ると肝心な「スーパーあさの」が翌日は定休日ということで悩ましいんですよね。もっと早く走れっていわれそうですが、そういうのは好きじゃないんですよね。日程に限りがあるからとただただ目的地を必死になって目指すなんて事は金輪際やりたくないのです。もっともっと道中を楽しまなくてはね。
 それこそお金の無駄遣いに思えてしょうがないのであります。ま、今日一日じっくりと考えてみるか。

運転免許試験場のヨシオ

私の若い頃は、って急に年寄りじみた語り口になってしまったわい。とにかく俺が若かったころの話であります。私といってみたり俺といってみたりワシであったりとここらあたりの統一性がいまいち取れてないが、あえてかまわず話をすすめることにするのだ。

その俺の若い時は免許収得年齢の18歳になったら当然のごとく男はすべからく運転免許を取るということが暗黙の取り決めであったのよ。とにかく免許証を持ってないと一人前の男として認められなかったわけなのである。

現在と違って出会い系サイトだのブログだのプロフだのってものを想像することさえできなかった時代なのでありますから、携帯電話を持っていれば女の子にもてるとか、ワシラ遊びには困らないケンネなんてことはまったくなくて、だいたいにおいて携帯電話もパソコンもインターネットも影も形もなかったし、こんな風になるなんて想像もつかなかった時代であったわけでありますから、尚更運転免許証が必要だったのであります。なんかかなり強引な結論づけだけど、ま、とにかくとりあえず、そういう事情ってものが背景としてあったわけであります。

とにかく車が運転できるということは男として世の中とキッチリ勝負するための最低限の必須アイテムでもあったわけであります。しかし、免許証と車を持っていれば誰でももてたかというと・・・・・・。

ま、そこらへんの細かい事情にはこれ以上突っ込まないでいたほうが我が身のためでもあるからモテるモテないの話はこのぐらいにしておくことにしよう。

現在はどうなのかといいますと都会と地方ではかなりその様子が違うように思います。自分の息子たちをみていますと、車に興味はないことはないけど、ワシラの時代とはかなり違っていて、どうしても免許が欲しい、いますぐ欲しいゼッタイほちい、車がホチイなんていう切羽詰まった状態はまったく見受けられませんね。

とりあえず就職するためには、ま、一応取っておいていいかなぐらいのことしか感じていないようであります。もっとも都会で自家用車を所有するというのはとんでもなくお金がかかりますから、そこいらあたりを冷静にかつニヒルにはっきりムダと割り切ってもいるようでもあります。

しかし、地方での事情はまったくもって逆パターンになっておるようでありま。運転免許を取るのはしごく当たり前のことで高校を卒業したらすぐに自動車学校に入学するというコースが敷かれているのです。大学入学準備や予備校の選択準備、就職活動や会社訪問なんかよりも最優先させなければいけないのが自動車学校の入校手続きなのであります。このあたりの事情はワシが青春していた時と実によく似ているわけであります。

すこしだけ違うのは、以前は高校をでてすぐに免許証を取るのは男だけだったのですが、現在は男女を問わなく等しく免許証収得にいっきに向かうのであります。

ま、このあたりの事情はワタシの青春していた時代とはかなり違うのであります。今はとにかく生活というものがかかっておりまして、とにかく、田舎では車の運転ができなければ一人前とは認められないのは昔と違わないようなのであります。というのも公共交通機関がほとんど全滅している状態での田舎暮らしは何をするにも車がなければ生活が成り立たないのであります。

車はゾウリでありゲタでもあるのです。車がゾウリやゲタであったら、ゾウリ屋で車は売っているのかなんていうツッコミはなしですよ。ですから一家に車が4台なんてのは別に珍しい光景ではなく、5台6台なんてのはしごく当たり前のことなのであります。このあたりもワシの青春していた時と違って女の子もおばあちゃんもすべからく自動車運転免許保有者とあいなるわけであります。

ですから、リヤカーとか一輪車とか自転車で間に合っている時代からの住居に代々住んでおって、最近どうにも駐車するスペースが取れなくて引越しを余儀なくされたなんていう笑えない話は山形県の村山市あたりにはゴロゴロ転がっているのであります。

そりゃあそうでしょう、兼業農家を営む海老名忠則(仮名)は農業用のトラック2台とトラクターに6人家族それぞれの自動車6台分の駐車スペースに悩みそれに来客用のスペースも2台から3台ぶんぐらいは欲しいなんて思ってしまったのが運のつきで、いやはやどうにもこうにもここに進退きわまれりといった状態に突如として陥ってしまうわけであります。しょうがなくもっともっと駐車スペースの取れる引越し移住を余儀なくされてしまったなどという笑えない本当の話なのであります。

私が始めて運転免許を手にしたのは郷里の東北山形でのことです。高校卒業してすぐに当然のこととして自動車免許試験の練習を開始したのであります。当時はまだ一発免許なんてのは当たり前のごとく挑戦する人が多かったのです。自動車学校に行くのは50パーセントで無認可の個人で教えている隠れ個人教習所に行くのが30パーセントで残りの20パーセントがどこにもお世話にならずに自分で練習して挑戦していったのであります。

でそれでも一発免許の壁は厚くて私は運良く7回ほどで合格しましたが、知り合いの中には15回20回それも合格できずに、隠れ個人無認可教習所で10回ほど受験してもダメで結局自動車学校に入り直してようやくやっとの思いで免許証を手にしたなんていう涙無しでは聞けない話もそこいらにゴロゴロと転がっていました。

話はますます横道に反れていきますが、はじめて運転免許の試験に行っていた頃のことを思い出してきたので、話のそれついでにもうひとつ番外編を。大体運転免許を取る時期なんてのは同年代の連中は同じころなので小学校中学校の同級生などと試験場と会うことも多いのです。そのなかにヨシオという小学校時代からの同級生の顔がありました。


ヨシオは懐かしげにもう何回受験にきているのかと聞いてきました。

ワタシ:「もう今日で6回目なんだよ結構メげているよ」
ヨシオ:「俺なんかもう15回目だよ、6回ぐらいなんだい」


その後よもやまの世間話をしたような気がするが次の言葉に私はギャフンとなったのであります。


ヨシオ:「しかし、俺なんて学科さえ受かってしまえば実技は一発なんだけどな・・・・」



ワタシ:「・・・・・・汗;」




それまでわからなかったがヨシオは学科試験だけで落ち続けてすでに15回目なんだということであった。彼は生来のホラ吹きであったのを思い出した。自分の実技は素晴らしく見事であり、その腕はレーサー並であるようなことを永遠と話続けたのであります。私はその後3回ぐらい挑戦してめでたく運転免許試験場にさよならしたので、その後のヨシオのことはまったくわからずではありますが・・・・。

その後のヨシオはあれから30数年の間受験しつづけて現在にいたり、まだ学科試験に合格せず、会う人会う人に学科試験に合格さえすれば、俺の実技の腕をもってすればと言いつづけているらしい。

なんてことはないよね。いやそんなことのないように祈るばかりであります。この話結構怖いな。

2009年4月25日土曜日

車中泊の神様

 昨日夕方のNHKで車中泊の紹介番組がありました。また時々軽自動車のキャンピングカーが話題に上ることも多くなりました。私は2年ほど前にアウトドアの達人でありまた車中泊の神様と呼んでもかまわないようなご夫婦に出会いました。
 場所は羅臼の道の駅であります。
 私はすでに道の駅の水産物を扱っている店で刺身を買ってきて一杯やっている時でありました。神様夫婦は遅れてやってきました。それで15分ほど作業をやっていたかと思うとテレビをつけてのんびりとくつろいで一杯やりはじめたのです。そのくつろぐ姿はただもんでないなと感じました。これはここで酒なんか呑んで居る場合ではないと思いカメラを片手にさっそく取材開始であります。
 取材なんて恰好いいこといってますが、なんのことはないビール片手にダベリにいったに過ぎないのでありますが、なんとなく取材なんていったほうが行きがかり上よさそうな気がして。ま、そんなことはどうでもいいのですが。
 このご夫婦一年の大半を全国を回って旅しているらしいのです。この時期は9月の中旬でありますが、そろそろ今年の旅も終わりということで本拠地の北海道に戻ってきて自宅がある釧路まで帰る途中だったららしいのです。

 今年はどこに行ってきたのですかと尋ねると四国に行って、千葉の房総が長かったというのです。えええええ、それって私の地元じゃん。特に保田っていう漁港が気に入って住み着いていたのだそうです。地元の漁師さんと仲良くなり毎日新鮮な魚を貰って天国のようだったというのです。それに近くに無料の温泉もあって離れがたかったといっておりました。

 知らなかったなあ、保田は館山に行くとき何度も通ったところだけども降りて見たことが無かった。
 「私らこうした生活が好きで、もう20年近くやっています。だからといって家が無いわけじゃないんですよ。ちゃんとした庭付きの一戸建てがあってね。そこにこの人は露天風呂をつくたんですよ」
 オモシロイ!面白すぎる。
 「それでね。露天風呂の脇にこの車を駐めてね、その車の中で同じように暮らしているんですよ。」
 ありか!そんな生活ありか。じゃあせっかくの家はどうしてるんだろう
 「息子夫婦とか孫がしょちゅうきて別荘代わりに使っているよ」
マイッタ参りました。
 拡大写真をみると軽自動車用のバッテリー3個が積まれています。なぜ軽自動車用なのかというと値段が安いからなのだそうです。また電気炊飯器が積まれているのにも驚きました。当時インバーターなる存在を知らなかったから、どうやったら電気炊飯器や電子レンジを車の中で稼働させるのかまったくわからず、狐につままれた気分になったものです。
 また、かなり大きなスリーウェーの冷蔵庫が積まれております。スリーウェーって、電気とガスは理解できるけど後はなんだろうか。家庭用電源ってことかな。神様の車には最低でも1週間なにもしなくてもいいぐらい過ごせる食料を積んであるそうなのです。気に行った場所がまったく人家がなく商店も無いっていうのが多いのでそうすることにしているのだと。

 また、写真には写ってないけれども、屋根にはソーラパネルが載っていて太陽光発電で充電しています。電気炊飯器でご飯を炊くときは目的地に着く時間を見計らってスイッチをいれるのだそうです。そうすれば走行中の発電によって電気の無駄遣いを極力防ぐことができるというのです。
 道の駅で宿泊しない時はもっと派手な照明なのだそうですが、道の駅では遠慮して小さな蛍光灯でありました。
 収納棚等の設計やアイデアは全部奥さんでそれをホームセンターや100鈞で材料を集めてきて造るのは旦那さんだそうです。それで奥さんが気に入らないと何度も作り直しをさせられると旦那さんは泣いていました。
 細部を丁寧に見ると確かに素人の日曜大工の域を出ていませんが、なんども、何度も改良を重ねているせいか見るからに使い安さを感じ取ることができました。
 因みにこのテレビは向きを変えられるようになっており、車内で見るときはくるっと反対側にワンタッチで動くようになっておりました。
 旅行中は1000万円は超えるだろうなと思われるキャンピングカーも見かけました。そこまではしなくても800万円とかすくなくても500万円以上はするだろうなってのも沢山走っていました。しかしこの神様達のように工夫をすれば実にわずかな投資でアウトドアをそして旅を楽しむことができるということを教えられました。


 次の朝私はこの神様に教えられた川北温泉に向かうために別れを告げにいきますと、もうすでに食事を終えた二人は後ろのベットに二人仲むつまじく座ってテレビを見ていました。二人は私と反対に知床峠のずーっと手前にある熊ノ湯温泉に行く予定なのです。そこで5日ほど滞在したら自宅に向かうという話でありました。

 もうすぐ5月です。この神様達もすでに行動を開始しているかも知れません。できるならもう一度会ってみたいなと思っています。きっと旅の空で偶然出会えるかもしれませんね。

出かけられない理由は何もない

 七入オートキャンプ場がオープンする5月1日までに1週間を切ってしまった。昨日侑子さんから「御池までの通行止めも解除されましたよ」という電話をいただいた。

 同時にほとんどの準備は終わった。出かけられない理由(わけ)なんて何ひとつない。我が愛車は、ただ出発を静かに待っているだけであります。
 どんなに周到に準備を重ねても、万全だということは決してない。体一つあれば何とかなると開き直ることだ。そうしなければいつまでたってもエンジンをかけアクセルを踏むことはできない。

 また七入オートキャンプ場の留三郎小屋を拠点にして遊び回っている怪しい面々隊の隊長から私の心を見透かすようなメールがきました。

> 今回は、一緒に山菜・釣りを経験してみませんか、なかなかたのしいですよ。
> 丸1日となるとキツイので半日とかで・・・・道具は、用意します。
> 今のところ、面々のヨーダもOK・・・3名ぐらいかなー。
> また、会えるのが愉しみ!!

とあるではないか中でも次の一文は強く心を揺さぶった。
> 丸1日となるとキツイので半日とかで・・・・道具は、用意します。

 そうなのだ、毎日キーボードを相手にだけ生活している当方としては、マルキシ体力に自信がない怪しい面々隊の足手まといになることだけが心配なのであります。ま、そこはなんとかなるだろうと開きなおることにした。

「開き直りだけが人生だ!」なんてね

これまで冬眠をしていた関係者は一斉に桧枝岐村を目指し始める。これを啓蟄という。

2009年4月24日金曜日

ロビンソンクルーソー他

 ここのところ新刊本をほとんど読んでいないことに気づく。2週間ほど前に読み終わったのがロビンソン・クルーソー 岩波文庫上下2冊であります。本棚を見回していたら埃をかぶってありました。たぶん一度は読んでいるのでしょうが、ほとんど覚えていなかった。

 勿論ロビンソン・クルーソーは子供の頃に何度も読んでいます。だから大雑把な話の中味は理解しているつもりでありました。でもそれは子供用に端折ってあり原作とはおよそほど遠いものであることはいうまでもありません。

 当初岩波文庫であることに恐れをなして、読もうか読むまいかしばらく躊躇していたのです。というのも同じ岩波文庫の森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)を読んだときにその翻訳の難解さに辟易した覚えがあるからです。ま、物は試しだと思ってページをめくったら、どうやら俺のボケ頭でもなんとか理解できるようだったので読み始めました。
 これ上下2部に別れていますが上のほうが一般に理解されている無人島で一人で20年ほど暮らしていく話であります。20年だか30年だったかはもう忘れています。ただ自分が思っていたのは7年か10年ぐらいの無人島暮らしだと思っていたけど。それよりもずーっと長い期間であったことが印象に残りました。
 下のほうはその長い無人島暮らしから解放されてイギリスに戻ります。それからまた船に乗ってアジアのほうに行くんですね。そして中国から蒙古そしてロシアへと陸路旅して話しなのであります。
 それぞれに面白かったですが、やはり「上」の無人島生活のほうが面白かったです。大抵の場合ロビンンクルーソーと言えば「上」のほうの話を連想するのも頷けます。
 この2冊をほぼ1ヶ月ほどかけて読んだのですが、私が一番感動したのは、これはまったくのでっち上げでデューホーの空想の産物だということです。嘘デマカセでこれだけの内容の濃い作品を作り上げたということに驚異を感じるのであります。
 先に紹介しました森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)はまったく歯が立たなかったのですが、以前にも紹介した小学館のアウトドア月刊誌ビーパルに連載されていたものを単行本化したウォールデン 森の生活はなかなかの名著であり名訳だと思います。


 翻訳というのは翻訳する人にもよるでしょうし、翻訳された時代背景も色濃く反映されるものだと今更ながらに教えられた気がします。「森の生活」は他にも違う翻訳物が出版されていることを最近知りましたがこれ以上追求するつもりはありません。
ウォールデン 森の生活はすでに4回目の読書に突入してしまいました。今回の七入オートキャンプ場でも暇な時は読み続けることだろうと思っています。いや、自然の中での素朴な暮らしをしている場所では絶対に読むべき本なのだと確信している。今から楽しみであります。
なんども飽きることなく読み返せる本に出会えたとことは幸せなことだと感謝しています。



 大きな森の小さな家 (大草原の小さな家)も自分の本棚にあったものを引っ張り出して先日読み終えたものです。最近はいろんな本が自分の本棚にあるのを知って驚いている。て、いうか自分買ってそして読んで、本棚にしまっておいて、そのほとんどを忘れているというかなり危ない状態であります。
 この大きな森の小さな家 (大草原の小さな家)はNHKで繰り返し再放送された「大草原の小さな家」の原作であります。テレビドラマもなかなか良いできでしたが、原作も映像とは違った味わいがあってなかなか良いと思います。これも七入オートキャンプ場で読もうと車に積み込みました。

シリーズ1として8枚組のDVDがでていますね。シリーズがいくつあるのかは調べていませんが、最初の頃の「大草原の小さな家」がたまらなく好きですね。倉本聰が「北の国から」を造るとき理想としたのが、大草原の小さな家 シーズン1 [DVD]だったようですね。かなり長きに渡って造り続けましたが、スタッフがそれぞれに出世してエラクなってしまって途中で力尽きてしまって大草原の小さな家 シーズン1 [DVD]を超えることは出来なかったみたいです。

次の航海の準備は終わったか

車への積み込み作業はどうやらほぼ完了したようであります。思ったほど量は多くなくて、ひと安心といったところでしょうか。もっと工夫をすればコンパクトにまとめ上げられるような気もしますが、今回はこれでいいことにしましょう。回数を重ねることによって徐々にこなれていくものだと期待したいところであります。
 案外うまくいったと思っていたのですが、この他に着替えをいれたバックと銀マットロール3個を載せなくてはいけないことを思いだした。ま、そのぐらいならなんとかなるだろうと思う。

 後ろから見ると結構スカスカの状態であります。家庭用のガスコンロも旨い具合に収まったので、この状態で簡単な料理ができそうです。たぶんやらないでしょうけれども。お湯を沸かすぐらいのことはやってもいいね。他にカセットガスコンロを持っているので道中はそれを使うことになるでしょう。
 左側の座席を倒すとぎりぎりですが一人が寝られるスペースも作ることができました。このスペースが作れなかったら現地に直行するしか選択肢が無かったので意義あるスペースであります。

 助手席はパソコンで仕事ができるスペースを確保しました。それで肝心なのはいつでもどこでも冷えたビールが取り出せるように、6面真空パネルを採用した強力クーラボックスを運転席の真裏に配置しました。ビール好きのキャンパーにとっては高性能のクーラボックスは必須アイテムです。ホームセンターあたりで売られている安物を決して買ってはいけません。きちんと釣具屋さんに出向いてまっとうなモノを手に入れるようにしてください。5万円も出せば大丈夫です。

 家庭用の延長コンセントも準備を終えました。これも車中泊には必須アイテムとなります。車には100V100Wの電源がありますが、そのコンセットの位置が後部ドアを開けた右側にあります。それではあまりに使いにくいので延長ケーブルで運転席側まで持ってきています。これで携帯電話・ノートパソコン・iPod・一眼レフカメラ・エネループの充電をします。これが無ければ長期の車での旅行はできません。

 なんとも邪魔っ気なのがポリタンクです。これ現地で石油ストーブを使おうと思って積み込みました。写真では見えないけれど当然昔ながらの電源を必要としない石油ストーブも積んだのです。それに5升炊きのガス炊飯器に4リットルの圧力鍋・・・・・。うーん書き並べるとあまりにも大げさすぎる装備だ。

「ジョン・F・セバスチャン・万次郎」と呼ばれていた犬

 偶然に我が家の愛犬だった「ジョン・F・セバスチャン・万次郎」の写真を見つけたので、なんの意味も無いけどここに掲載しておこうと思った。
 この写真はなんだか瞑想しているようだな。そうか万次郎は瞑想犬だったのかも知れない。迷走犬というのは結構多いが瞑想犬というのはなかなかいないよ。

 娘が小さかったころにこのジョン・F・セバスチャン・万次郎を散歩に連れていって見知らぬおばさんから

「あら!かわいいワンちゃんね。名前はなんていうの?」と問われて、たどたどしい口調で
「じょん えふ せばすちゃん まんじろうでーーす」とやって大爆笑になったことは一度ならずもあった。

 懐かしい思い出であります。

 この犬は私が江戸川を散歩していた時に偶然に見かけて、

 「おい、おまえノラか?」
 「・・・・・」
 「オレンチについていくか?」
と、問いかけたのでした。

そして、私の前を歩いて時々振り返って私をみるものですから
 「そこを右」だの「左」だのと冗談のように命令して歩いていたら、本当に家まできてしまったのです。これは本当に本当の話です。(なんかいつも嘘書いているみたいだな)

 しかし、犬に右左がわかるのかな。人間の知り合いの牧ノ原なんていうのは、車にのっていて、どっちに行くのと問うと右左逆の指示をするときがあるかならな。

「牧ノ原くーーん。君がごはんを食べる時に箸を持つ手が右だよ」

なんていちいち教えなけりゃあならないんだから。

 人間の知り合いの牧ノ原君と比較しなくても、つくづく賢い犬だったと今更ながらに思います。車が大好きで何時間車の中にいても嬉しそうにしておりました。良くキャンプだとか実家への里帰りだとかには連れていきました。


 嗚呼そうそう、雷が極端に恐い犬で、遠くの方で少しでも雷鳴がなると、もうパニックになってしまって、下駄箱の下とかどこでも潜り込めるところがあれば頭だけでも隠そうと潜り込んで震えていました。日頃はかなり賢い犬なので、その姿が情けなく思われ「おい、お前犬だろ。そんなんじゃ恥ずかしいではないか」と一生懸命正しい犬に矯正しようと努力しましたが最後までダメでした。考えて見れば犬だろうが人だろうが牛だろうが恐いモノは恐いのであり、正しい犬のありかたなんて、私が勝手に思いこんでいたに過ぎないので、彼にとっては迷惑このうえない話だったのかも知れません。

 今は玄関の脇にあるログハウス風の犬小屋の中にジョン・F・セバスチャン・万次郎の姿はありません。

 犬を飼うというのは結構大変なことであります。何が大変かというと朝夕2回の散歩であります。これをやらないとウンコ・オシッコを絶対にやらないのです。自宅からかなり離れないとそのまま我慢をしてしまいます。それを見て見ぬふりはできませんからしょうがなくて散歩に出なくてはいけません。
 ビニール袋と移植ベラを持って出かけます。これを持ってないとイチャモンをつけてくる馬鹿がいるのでしょうがありません。一日や二日の話だったらいいのですが、一日に最低2回一回40分以上を365日やりつづけなければいけません。
 良くやり続けたなと感心してしまいます。今はそんな元気は失せてしまって、もう生き物を飼うつもりはない。

万次郎 お前の写真載っけてやったからな。

2009年4月23日木曜日

植えて楽しむ


 これまで妻がチマチマと花卉を植えて楽しんでいた。長年やっているけど、その腕は一向に上がらない。私も興味がないではないが特別にやってみようなんて気にはならなかった。それがどうしたわけか、長男が最近観葉植物を購入して楽しむようになった。サボテンまで買ってきていた。私はそのサボテンのピンクと黄色の小さな花を眺めて、植物っていいもんだなと感じるようになってきた。

 そこで先日、長男と一緒にホームセンターにいって、薬味用ネギと紫蘇(しそ)とパセリを買ってきた。
 これこれ、なんかそれって食えるものばっかしじゃない。私が選ぶとどうしてもこうなっちゃうんだよね。これこれさっき「植物っていいもんだなと感じるようになってきた」ってのは鑑賞するとか愛でるとかというのではなく、食えるってことかよ。やれやれ

 でもね、これからは昼ご飯は圧倒的に素麺とか冷やしウドンとか蕎麦なんていうものが多くなっていくんだからね、その時に植えてるネギをちょっとちぎってくるとか、青じそを1枚もってくるとかしたらいいと思いませんか。以前に住んでいたところはその点申し分なくて庭にはタケノコが生えてくるし、蕗の薹や蕗、紫蘇や栗やドクダミと育てているわけじゃなかったけど生えていて随分重宝したものであります。

 その夢よ再びというわけであります。農業は究極のアウトドアだ!なんてほざいている割には、植物の育て方なんてまったくわかっていないのです。近所の庭を見ると見事としかいえないような花々を咲かせている人が大勢いますね。
 どちらかというと、自分ではやらずにそれらの見事な庭を散歩して眺めて歩くというのが好きなのであります。でもこれからは少しは勉強してみたいと思います。

 地方を車で走ってますと田舎の集落で道路沿いに丹誠込めたお花畑を見かけることがあります。いいですね心が和むと同時にこの集落の人々は平和に幸福に暮らしているんだろうなと羨ましく感じられることがあります。心に余裕がなければ決してそんな手間暇のかかることってできないですからね。

キャンプの準備

 銀マットの威力に気づいたのはかなり前のことです。それまでみんながキャンプで銀マットを使っているから、何気なく真似して使っていたに過ぎませんでした。それにその頃は子供達も小さかったのでキャンプに行く季節は暖かい時期ばっかりを選んでましたから、銀マットのすごさなんて別段感じることがありませんでした。

 あれはたしか晩秋に奥会津の紅葉を見ようと2家族で出かけたときであります。その時はすでにかなりの寒さを予感できたのでテントの用意はしていかず、すべて車中泊ということでありました。
 夕方になりご飯を食べようとなりました。予想どおりに辺りはかなり冷え込み寒いです。しかし、それぞれの車に閉じこもって食べるのもなんだか味気ないということで、表に出て一緒にということになりました。
 その頃はまだキャンプをやり始めた頃だったので椅子もテーブルも用意していませんでした。そこで立って食べるわけにはいかず、何故か私は銀マット1枚だけを持っていっていたので、それを敷いて座ったのです。
 何も期待してたわけでは無かったのですが、座って見てびっくりです。地べたの冷えを遮断してくれるだけでなく、暖かさを感じたのです。これには驚きました。あの発見以来銀マットを買い足しました。そんなにびっくりするような値段ではなく、ダメになればすぐに買い換えてきたのです。
 どこで見たのかど忘れしてしまいましたが、東北を訪ねた時にコタツの下に銀マットを敷いていたのを発見して、これはかなり効果があるだろうなとおおいに納得した覚えがあります。聞いたところによるとその地方のホームセンターには普通にコタツの下敷き用ということで売られているということです。

 今回大げさキャンプの準備をしていて思ったのですが、確かに銀マットは驚異的に暖かくて助かるのでありますが、ひとつ欠点があります。それは嵩張るってことです。重くは無いので荷物の上に放り投げておけばいいのですが、私の持ってるのは900円ぐらいの安物ですから丸めるしかなく、これが3つともなると。邪魔でしょうがありません。ここはひとつエアマットなるものを試してみるのも悪くはないかなと思う今日この頃であります。

 キャンプの準備はかなり進みました。といっても仕事の合間にきまぐれに道具を引っ張り出してきて、点検をしたり入れ替えたりをしているだけですから、のんびりしたものです。それに体力がないから一気にとはいかない個人的な事情もあるのです。ひとつ運んでは仕事をしたり、読書をしたりと誤魔化します。
 それにある程度まで積み込みが終わったと思ったら別の大物の荷物が登場してきまして、このままでは狭い荷室に収まらないなんていう問題がでてきます。そうなるとこれまで積んだ荷物を下ろして積み替え作業をやり直すということもやらなくてはいけませんから、結構疲れます。

 道具類はこれまでの揃えたものを積む場所を考えて積み込んでいけば済むのですが、悩ましいのは食料品であります。何を持っていくかを考えるだけで頭が痛くなります。普段から料理なるものを作っていてレパートリーが広いっていう人なら何等悩むこともないのでしょうけれども。なにせ3つぐらいの料理ぐらいしか作れない情けない男でありますから。
 そこでここは考えないことにしました。米・味噌・醤油の基本食料と調味料だけを積み込んで、後は全て現地調達ということにすることにした。
 キャンプ場に着くまでの道中はコンビニとファミレスだけにしようと思っています。今回は荷物が多いのでいちいち作るなんて面倒でしょうがありません。そう考えると随分と気が楽になります。
 この一文を書いていてキャンプをやり始めた頃を思い出しました。何も無いところに行くということは、食料品をがっちり持っていかなければ餓死してしまうのではないかという恐怖心があったのです。
 人間1日や2日喰わなくても死ぬなんてことは決して無いのにどうしてもそう思ってしまうのですね。だから出かける前に近所のスーパーに行ってあれもこれもと過剰に食料品を買っていたのです。それから酒もそうですね。酒が途中で足りなくなったらどこでも調達できないからと思ってやはり過剰に積み込んでいました。当時はコンビニはほとんど無くてまして田舎ではほとんど見かけることはなかったので、より過剰に反応したのだと思います。
 もはやコンビニに行けばアウトドア生活に必要な食料品は全部揃ってしまいます。逆にいうと、都会生活者はコンビニによってアウトドアと似たような食生活を送っているともいえます。
 もっともどんなアウトドア生活をするかによってだいぶ違ってきますけど。何にも縛られないのだから、日がな一日燻製を作ったり、山菜を採ってきて料理をしたり、岩魚や山女を釣って焚火料理を堪能したりと、食の贅沢に凝るというキャンプもいいですね。ちょっとだけやって見ようかなとも思っています。