2016年5月31日火曜日

5月のおわりに

今日は5月の最終日であります。今月こそは心あらためて、まじめにブログを書き続けようと固く決意していたのですが、どうも私の固い決意というものはまったくあてにはならないものらしく前半から崩れに崩れてしまいとうとう5月も終わりを迎えたわけであります。
こうとなればお決まりでありますが、6月にはまじめに更新をやり続けてようと固くカタク決意するのでありました。そうはいってもネタがないのだから困ってしまうのでありました。

数カ月前にずーっと空き室だった隣のテラスハウスに新たな家族が二組も同時に引っ越してきました。一組はまだ生まれたばかりの赤ちゃん一人の若い夫婦のようであります。もう一家族は小学校3年生か4年生の元気な女の子のいる家族です。
どちらのご家族の家族も顔を見たことがないのですが、時々聞こえてくる赤ちゃんの元気な泣き声や、女の子の外で遊ぶ声が聞こえてきて、その昔自分の子供達が幼かった頃のことを思い出させてくれまして、懐かしく思い出してしまいます。やはり自分の人生にとっては子供のいる生活ってのは他に代えがたい幸福な生活だったんだなとシミジミとしてしまいました。

これまで淹れていたコーヒの味がやたら濃く感じられてコーヒの粉の量をこれまでの三分の二まで減らしてしまった。それで別に薄いとも感じないのだから、味覚まで老いぼれてきたのかも知れないと思ったが、一日に呑む量が多いのだから、これでいいのだと無理やり納得させてしまったのだ。

Amazonのプライムミュージックにラジオというジャンルが追加された。これがなかなかいいのであります。ジャズという分野で流しぱなしにしておけば一日中ジャズが流れていますから邪魔にもならないし、余計なおしゃべりも一切ないので仕事をするにはちょうどいいのであります。

2016年5月27日金曜日

いやはや、なんとなく

いやはや、なんとなくまた長い間ブログ更新をサボってしまっていました。毎日ほぼ代わり映えのしない日常を送っているわけですから、そうそう書き込み事もありませんし、別段世の中に不満があるわけでもないですから基本的に情けない書き込みになってしまうのは必然的ですからね。

そうそう、最近のテレビを賑わせている東京都知事の舛添要一さんには笑ってしまいましたね。あの言い訳会見には笑いが止まらなくなってしまいました。
でも、人の噂も七十五日とかいいますからね、そのうちにあのまんま居座ってしまうような気配ですね。最初の頃はオモシロカッたのですが、やはりワタシ的には飽きてきてしまいました。ご愁傷さまであります。

朝から勢い良く降り続けていた雨が10時過ぎて少ししたころに静かになった。東の空からなんとなく明るさが見えてきたようであります。
サクラレンタルサーバーでRubyOnRailsが動作するという記事を見かけたので、環境構築のやり方を追ってみた。確かに動作するにはするようだが、スタンダードのレンタルサーバーでは動作が遅くてどうにもならないらしいということがわかった。
専用サーバーを借りるほど資金がないので、余っているサーバー部分で実験を繰り返すことにしてひとまず実践での運用はペンディングとすることにした。それにしても世の中は確実に進歩しているということであります。いつかは安価にWEBアプリケーションを運用できる日がくるような気がした。

2016年5月16日月曜日

なんだ?なんだ?なんだ??

なにはなくても、こうしてゆっくりと散歩できればシアワセなのだ。なんて書くといかにも人生に満足しているんだ、なんて自分自身が錯覚してしまう。
いくら歳(よわい)を重ねてきてもそんなことは決してなくて、自分に都合の良い時だけ悟ったような事を思ったり、書いたりしたりもするけれども、それは錯覚であり、大嘘を自分についているだけのことなんだということに気がついた。
そしてそんな自分がとても恥ずかしくなってしまった。

どうも調子に乗りやすい性格はなかなか治らないらしくて、先週はどんどんとエスカレートしてしまいかなりの距離を毎日のように散歩しつづけて週末は完全にダウンしてしまい、なさけない二日間を過ごしてしまいました。
今日も散歩に行こうかと思ったけれども、まだまだ疲労だか筋肉痛だかが渾然として残っていたので一日中家にこもって過ごしました。なんともなさけないとは思うのだがしょうがないですよね。

土日はほとんど寝て過ごしたのだのに、昼ご飯を食べたらまた眠気が襲ってきてウトウトしていたら遠くで家電が煩く鳴り響いている。家電なんてのはロクな内容のものではないから面倒がっていたら、私以外は誰もいないはずなのに、誰かが応対しているのであります。
なんだ?俺もとうとう来るべきところまできてしまったかなとノロノロと後ろを振り返ってみたら、そこには次男が受話器を持って応対しているのであります。
なんだ?なんだ?と怪訝な顔を向けると、彼の彼女も一緒でありました。いやはや、とんでもない耄碌姿晒してしまいました。
うーん「なんだ?」が随分と多い人生じゃな。

彼女は数ヶ月前に府中から自宅近くに引っ越してきたばかりで私の家にくるのは2回目であります。それから3人で夕方まで雑談をして、暗くなってから二人で引き上げていきました。たまには雑談も楽しいものであります。それにしてもまだまだ筋肉痛であります。

2016年5月12日木曜日

秘密の計画を実行する時がきた

久しぶりの穏やかな朝でありました。なんと昨日まで吹き荒れていた嵐と呼べるほどの激しい風もぴたりと鳴りを潜めていたのです。それどころか文字どおりに五月晴れと呼ぶにふさわしい青空が一杯に広がっていたのです。
とうとう月曜日から密かに温めていた例の計画を実行に移す決意をしたのであります。などと書くと並外れて大それたことをやりそうな雰囲気になってきますけれども、それはほとんど期待はずれに終わってしまうことでありましょう。

最近の私は自分の身の回りでできることや出来事を材料に、できるだけお金をかけずに目一杯楽しむことに生きがいを感じようとしているのであります。
だからこれまでの自分であったら見逃してしまうような、なんでもない事に無理やり価値を見つけたり、屁理屈をつけてさも意義のあることにでっちあげることに心血を注いているのでありました。
たとえば、普段は見逃している小さな昆虫などを大写しに撮影するとそこには神秘的な色の組み合わせやデザインを発見したりするものです。それと同じように毎日代わり映えなく流れている日常の一コマに焦点を合わせてみると、そこには人間共通の普遍的なテーマが潜んでいたり、腹を抱えて笑ってしまうようなユーモアやペーソスが潜んでいたりするものです。
それは以前からわかってはいたのですが、現在の私の作文力ではとても手に負えるものでもないのは確かなことであります。ただそれを理想として日々研鑽を重ねていこうと考えてはいるのであります。

さて家人がそれぞれの職場に出かけていったのを見計らって、さっそくその計画とやらを実行に移すことにした。なんのことはありません、連休中に妻と出かけた公園に行って、読書をしたり作文を書いたりすることだけの事なんですけれども。
いつの頃だったか忘れてしまいましたけれども、何年か前にも公園を移動オフイスにして仕事をしていた事があったのを思い出しました。その時にはきちんとノートパソコンを持ち歩いていたのであります。今はその時よりもずーっと年をとってしまったので、そのような元気はどこかに失せてしまっています。ですから持ち込むのはポメラとキントルとiPhoneだけであります。移動時間も含めて3時間ほどでは本格的な仕事などはできっこないのはその時の経験からわかっているのです。

公園までゆっくりと歩いて15分から20分といったところでしょうか。通勤通学時間が終わっていますので、のんびりと風景を楽しみながら歩くのも楽しいものであります。ただこれも見慣れてくるとどうなんでしょうか、いつもの光景ということで何の感慨ももたなくなるのでしょう。
公園についたら、道路よりも空いております。これまでは休みの日だけでしたので、結構家族連れなんかもいたのですけれども、それぞれが職場や学校に行ってますのでがら空き状態で願ってもない状況であります。
11時頃まで公園で過ごして、引き上げであります。途中スーパーに寄って買い物を済ませます。これまではこのスーパーに買物にくるのが散歩でありましたけれども、これまでの約2倍から3倍の距離を歩くことができるようであります。
当然素麺売り場は避けまして、ピーナッツだのミックスナッツだのを中心に買いまして帰宅したわけであります。

月曜日から密かに決意していた割にとんだ腰砕けの秘密計画でありましたが、これでいいのだ。

2016年5月11日水曜日

とうとう細くて白い柔肌の誘惑に負けてしまったと

なんか家の近くにウグイスが住み着いているらしくて、この連休中は毎日のようにウグイスの鳴き声を聞いて過ごしました。それも春先のへたくそな鳴き声ではなくて、きっちりと「ホーホケキョ」という正調ウグイス節というものでありました。
そういえば、今年はまだ寒さが厳しく残っていた梅の花の時期にはウグイスの鳴き声を聞かなかったような気がします。
ウグイスの声を聞くと夏に深い山に入り込んで野宿をしている時を思い出してしまいます。私にとっては正調ウグイス節は深い山の中で聞く「ホーホケキョ」なのであります。だから妙に旅心を誘われてしまってそれを抑えるのに四苦八苦してしまいました。
と書いてからそういえば今日は聞いていないなと思った。行き遅れたウグイスもあまり長居をしてはと思い直して山を目指したのだろうかと少し寂しい気持ちになっていたのだが、昼ご飯を食べ終えた頃に正調ウグイス節が聞こえてきて一安心であります。

仕事とはいえども一日中システム開発をやっているわけでもなく、やれと云われても最近は集注力が続かず、すぐに他の事に心が移ろってしまいます。
それならば2時間ほどは外へ出て緑の中の公園にオフイスを移動させてしまって仕事をするのも悪くないなと思いました。
今日こそは緑深い公園にでかけて仕事をやってみようと決めていたのですが、ここ数日はなんだか風の強い日が多いようで、本日も朝から空が大荒れしている音が聞こえてきます。
こうなってくるといけません、さっきまでの決意は急速に萎えてしまって、何も今日是が非でも行かなければならないというものでもないからと早々と公園移動オフイスの無期限延期を決めてしまいました。
こうなればせめて近くのスーパーに散歩をかねて買い物にでかけました。麺売り場で気がついたのですが、これまで隅っこに追いやられていた、ソーメンや冷や麦が、これからは俺たちが主役だかんねと言わんばかりにドーンとかなり広い場所を占めていました。
「うーん」私は大量のソーメンや冷や麦を前にして唸ってしまいました。糖尿病を悪化させる前は、ソーメンや冷や麦は健康食だと思っていたのです。糖質制限食を知ってからは、これらのものほど体に悪いものはないことを知ったのであります。
し、しかしだ、ソーメンは旨いんだもんね、このところはかなり頑張って炭水化物を摂ってはいないので少しぐらいは許されるだろうと・・・・・・。
少しだけだかんね。といういことで揖保乃糸一束だけ茹でて食べました。いやはや、この喉越しはたまりません。まじに涙がでてきました。
結局、もう一束ぐらいはいいだろうと・・・・・・。これはかなりヤバイ状況であります。この勢いでいったら購入してきた一袋全部を食ってしまいかねません。さすがにこれまで我慢に我慢を重ねてきた努力を無に帰すことになりかねませんから、ようやくのところで思いとどまりました。
最近は白いご飯の誘惑に負けるようなことが無くなったのですけれども、これから夏に向っては麺類からの誘惑が大敵となってくるわけであります。

2016年5月8日日曜日

私の野外生活は40年で原点に戻ったのです。

鬱蒼とした木々に囲まれた公園が歩いていける程度の近くにあるというのはシアワセだとシミジミと思う今日このごろであります。
この歳になると、公園であればなんでもいいというわけではなくて、やはりそこには木陰ができるベンチがそこそこにあるということが大事なのであります。ようやくの思いでそこにたどり着き早くどこかに座りたいと思っても、日陰になっているベンチにはすでに人影が認められるなんていうぐらいにがっかりするものはありませんからね。
「そうか、そうかそこはすでに確保されてしまったか、ゆっくりと5月の風と光を楽しんでくださいね」なんて優しい気持ちで他のベンチを探すという余裕が必要とされるのであります。

ということで昨日に引き続いて、本日も妻と二人で公園散歩であります。これでこの連休中はなんと4回目となります。この公園にはテーブル席がひとつだけありまして、大抵の場合は空いていますから、そこにどっかりと陣取り、iPhoneで音楽を小さく流し、電子ブックで読書をしたり、テキストエディタ専用のポメラで文章を書いたりとゆったりとした時間を過ごして帰宅するだけのものであります。
本日は昨夜ちいとばかし呑み過ぎてしまったものですから、ベンチにそのまま横になって昼寝であります。これがまた気持ちがいいのであります。5月の木漏れ日が結構まぶしいのだが帽子をすっかり顔に被せて、遠くから聞こえてくるブラバンの練習音などを耳にしながら夢の中でありました。
どのぐらい寝たのだろうか目を覚ましてみると、妻はなんと家計簿をつけていました。なんだかこの光景にはソグワナイような気もするが、それぞれがそれぞれの時間を過ごすのだからこれでいいのだと、用意してくれたコーヒーを一口呑んだ。

そもそも私たちのアウトドアの原点は野外でインスタントコーヒーを作って呑むことから始まったのです。これがなぜかおいしくて、次はカップラーメンを・・・・という具合にどんどんとエスカレートしていったのです。そのうちに同じような家族が集まりだして遠征するようになりました。
最初は椅子もテーブルもなくてダンボールの箱がテーブル代わりであったのですが、これでは単なる貧乏人の夜逃げみたいだと誰かが言い出して、せめて椅子とテーブルぐらいは揃えようということになりました。確かに椅子とテーブルがあるとかなり格好がつくものだと関心した覚えがあります。
最終的には張るだけでも一苦労する大テントに大型のタープに発電機まで揃えるようになりました。それから子どもたちが成長して一人抜け二人抜けするうちにテントも小型になり、最小限の道具だけになり、最後にはテントを持ち運ぶことも面倒になり、車中泊だけで済ますようになりました。

ランタンとブタンガスのコンロだけの野外生活から始まった野外生活も40年近くたち、また原点の近くの公園でのコーヒを呑むというものに戻ってきたような気がします。

2016年5月7日土曜日

緑色増す公園にて

朝から風の吹き荒れる音は聞こえていたのだけれども数日前よりはかなり弱めだと感じていました。そういえばこの連休中は結構風の強い日が多かったような気がします。
今日は妻と二人、午前中に近くの公園に出かけていって木々の緑の中で読書をしたり、音楽を聞いたりと、のんびりと過ごすことに決めていたのです。
外に出てみると思いのほか風が強く帽子が時々飛ばされるようになった。それでも目的の公園の周辺にはかなり大きな木で覆われており、相当に怒り狂った風でも防いでくれるものと信じて歩き続けました。
思ってたとおりに空のてっぺんのほうでは相変わらずひゆーひゆーとあちこちで渦巻く風の声は相変わらず聞こえてはくるものの、公園のなかでは5月のそよ風が肌を優しく撫で回しては去っていきます。

陽射しの下のベンチでは暑くて少しも我慢できそうになかったので、日陰のベンチに落ち着いてそれぞれの電子ブックKindleを開いて読書であります。
この電子ブックは最初自分専用で購入したのですが、いつの間にか妻に横領されており、仕方がなくもう一台を追加購入したものであります。妻は職場に行くときもどこかに買い物に行くときも肌身離さず持ち続けていますので2つに正解だったと思います。まさか妻がこれほどハマるとは思っても見なかったことであります。
もっとも購入した電子ブックは共有できるのでこれはこれで合理的かとも思いますが、それぞれに読む本のジャンルが違ってきますので必然的に冊数は増えていくことになります。今では200冊近くを持ち歩いていることになりました。また調べていないので持ち歩ける冊数はどのぐらいまでかはわからないのですが、小さな図書館程度は大丈夫だという話はどこかで見たような気がします。
それが一杯になればクラウド側にあるデータを引っ張ってくるようになるのでしょうけれども、これはこれで時間がかかりそうで厄介だなとは思うけれども、たかだか200冊前後ではそう心配することもないだろうとは思っていますけれども。
公園にはバラ園もありまして、一部の赤いバラは咲き始めておりました。5月のバラとはいえどもまだ5月に入ったばかりですからね。それでも少しだけ咲き始めた薔薇の近くに寄っていきますと薔薇の香りが苦しく感じられるほどであります。(ん?「薔薇の香りが苦しくて」このセンテンスを思い浮かべる人は相当に古いのだ)

帰宅してからは、パソコンに向って作りかけの営業支援システムというデータベースシステムをやり続けています。得意先の営業の方法を見ていて、これは是非とも営業支援システムを構築しないと無駄が多いし、データの収集・分析が不可能だと強く感じたので、基幹業務システムと連動させるべく始めたものであります。
世の中というものは、もうパソコンの無い家が珍しいぐらいに浸透しているのに、システム化というものがまるでわかっていない会社というものは多いものであります。
Excelが使えるといえば、それはもう上等の部類に属します。ただその実態はちょっとだけの関数を使える程度でして、関数の概念もわからず、業者に組んで貰った数年前のシステムに無理やり自社の業務をあわせているにしか過ぎず、帯に長しタスキに短しの状態であります。
もっと酷いのは、単なるワープロ清書機としてだけ存在し、請求書等をその都度ワープロで作成して送付しているという信じられないほどの無駄をやっていてなんら疑問にすら思わないところもありますね。これウソでもホラでもないんですよ。実際に見てきた現実であります。ほんとうにびっくりぽんであります。
世の中ビッグデータだのAIだのディープラーニングだのと騒がれている時代においてこれですからね。ま、そのほうが雇用を生むからいいのかも知れませんけど。

2016年5月5日木曜日

そういえば祝日に日の丸が見当たらなくなって久しいね

グワーングワーンと空が吠えていたのは、昨日と一昨日でありました。そんなこととはまったく関係なく周囲の緑は日一日と濃くなっていくような気がします。
その昔には祝日には日の丸の旗をあげるのが普通だったような気がします。幼かった頃にはどの家の軒差しにも日の丸の旗が掲げてあったような気がします。
最近はまったくそのような光景を目にすることがなくなったような気がします。この現象っていつごろから始まったのでしょうか。
もっとも自分の家にも日の丸の旗なんてまったく見当たらないのでありますが、だいたい日章旗なるものはどこで買えばいいのだろうか、昔はどこで買っていたのだろうか?いくらどの家にもあったとはいえ、消耗品ではないのだからそんなに売れるもんではないから、旗専門店なんてものはなかったんだろうなとは思いますけど。
旗だけを買ってもそれをぶら下げるというか、括りつけるというか棒のようなものもないとダメですよね。そうそう旗竿ですね。
うーんやっぱりやめておこう。私だけが祝日に日章旗を掲げたらかなりの変わり者と思われるか右翼だと思われますからね。日本ってなんだか変てこりんな国なんですよね。
そうかオリンピックの時だけは別におかしくないのか。うーんなんだかな。