2016年6月19日日曜日

バロックとブルースと紅乙女と

昨日は、柄にもなく気取ってみたくて「休日の朝はバロック音楽から・・・」なんて思いついて朝からAmazonのプライムラジオでバロックチャンネルにあわせて聞きまくりました。聞いてみると意外なほど違和感がなくてすんなりと受け入れている自分にびっくりしてしまいました。
普通のクラッシック音楽よりもずーっと聴きやすいし、なんか昔から当然のごとく馴染んできたような錯覚に陥ってしまいまして、結局一日中聴きいってしまいました。
夕方になって晩酌をしながらも、灯りをぐーっと落として薄暗い中で聞くのもなかなか雰囲気があってオツなものでありました。チェンバロやオルガンの曲もいいし、きっと賛美歌なんでしょうねその荘厳な合唱曲も、別にキリスト教信者でもないのに目頭が熱くなってくるような気にもなってくるから不思議であります。
この馴染みやすさって、若いころにプログレッシブロックを聴いていたからなのかも知れないと無理やりこじつけたりしています。ELP(エマーソン・アンド・レーク・アンド・パーマー)とかピンクフロイドとか・・・ちょっと違う気もするけどクイーンあたりの楽曲の影響が大きいような気がします。なんだかかなり無理のある解釈のような気がしますが、これほどバロック音楽に惹かれるのはそのあたりにあるのだと無理やり納得させてしまいました。

ヤオコーで購入してきた「ごま焼酎紅乙女」が大好きで、これがあるとついつい杯を重ねてしまって結構ヘロヘロになるまで呑んでしまいます。ごま焼酎に酔って、バロック音楽に酔いしれて、そして仕上げはいつものブルースであります。最後にはやはりブルースギターの鳴き音を聞かないと一日が終わった気がしません。しまいには、渾然一体となってしまいバロックなのかブルースなのかわけがわからんようになってしまっています。なんだか、この二つって似ているような気がしてなりません。
「どこがー!」っていうツッコミが聞こえてくるようでありますね。今夜も紅乙女を呑もうっと

2016年6月18日土曜日

とうとう扇風機をだしましたとさ

休日の朝の音楽はバロックからと、普段はほとんど聞くことのないバロック音楽を流しております。私のクラッシック音楽についての見識は「ま、仕事をする上で邪魔にならないからいいよね。」などという程度でしかないのであります。
ちょうど今、バッハのトッカータとフーガが厳かに流れているのですが、聞いている本人はひとつも厳かでないのが困りものでありますけど・・・。

そうそう、昨夜は、とうとう扇風機をだしてきてしまいました。まだ一台しか動いていませんけど、これがどんどんと暑くなってくれば、家中から集めれば最高5台まで増設することができますけれども。「あのねぇ、いくら扇風機を増設しても本格的な暑さになったらほとんど意味は無いですけれども。」

お昼ごはんを食べてから、妻と二人で近くのホームセンターと業務スーパーとヤオコーに買い物に出かけました。車のエアコンは一年ぶりに修理したので快適であります。よくもまあ、この一年エアコンなしの車に乗っていたかと思うと不思議な気にもなってきます。
それはいいんですけど、買い物から帰ってきて家に入ったら、なんの迷いもなくエアコンのスイッチを入れていました。んー、さっきの扇風機5台増設はどこへいってしまったのでしょうか。
これはね、朝からずーっと自宅にいて暑いのも扇風機でしのいでいて平気だったものが、車に乗ってエアコンの快適さを知り、各店舗でもエアコンで涼んできたのですから、もう扇風機の世界には戻れなくなってしまっただけの話です。
私はある時から、暑いと感じた時には迷わずエアコンのスイッチを入れることにしています。熱中症のこともありますし、それでなくてももともと温かい頭をしているのに、それにちょっとでも外部から熱が加わればオーバーヒートするのは確実ですからね。

ほんの小さなことでいいから、自分の自信につながる何かが必要なんだと強く思っています。

2016年6月17日金曜日

職業が性格を縮めてしまったのかも

最近気がついたことがあるのです。よく呑んだ席などで、「あいつが悪いから会社が良くならないんだ」とか、「バカな政治家ばかりだ」とか「公務員は税金で良い思いをしている」などと他人(ひと)様のことを斬りまくる人っているじゃないですか。
その気持ちもわからんことも無いのですが、以前からスゴイ違和感を持っていたのです。もっとも小学生・中学生の通信簿に「落ち着きが無い・協調性が無い」などと一貫して書かれていた奴ですから、あまり他人(ひと)様のことに感心がないという性格だったのも確かなのですが。

では最近気がついたことって何かといいますと、それは毎日ゾンビプログラマーをやっていて思ったのです。プログラムの動かないことって絶対に他人(ひと)様のせいにはできないことだということです。
政治家が良くても、上司が良くても、公務員の態度が良くてもアホなゾンビプログラマーの書いたコードがタコならば絶対に動作しないということであります。そして、それを他人(ひと)様のせいにしたって何も問題は解決しないということです。
良いも悪いも全部が全部自分に帰結するということであります。それ以外なにもないということですね。

すべて他人(ひと)様のせいにして問題が解決するのなら楽でいいですけれどもね。俺なんかひとたび他人(ひと)様の悪口を云わせたら半端でない破壊力を持っていますから、毎日でも悪口をいいまくりますね。それで現在開発中の営業支援システムが完成するのであればですね。

長年因果な商売をやってきたから、妙に性格が小さく縮こまってきたのかも知れないとも思いますが、長年、自分の能力の無さをとことん見せつけられてきた人生ですからね。

プログラミングは年寄りの暇つぶしには最適です

久しぶりに朝からお日様がギラッとした顔をみせてくれました。日中はかなり暑くなりそうな予報がでていますが、なんといっても私にとっては洗濯日和なのがウレシイのであります。
タイミングよく回していた洗濯機がビィ-ビィ-と洗濯が今終ったよとの合図をウレシそうに周囲に告げています。ヨシヨシ今日は一発乾きだかんねと私もニカニカ顔になるのでありました。
そのニカニカ顔でふとカレンダーを眺めてみると、すでに金曜日でありました。私の時の流れはここのところ近来にない早いスピードで流れ去っているような気がしています。

というのも、昔取った杵柄ということでシステム開発を安請け合いしてしまい、年老いたゾンビ的にわかプログラマー化してしまったからであります。こんなにシンドイものであったら・・・・、などとぶつぶつ言いながらも時間を見つけてはコツコツと、思い出しながら四苦八苦の連続を重ねているわけであります。その昔、プログラマー30歳定年説というのがありまして、その説に従えばその倍も齢を重ねてしまった私の場合はそれこそゾンビプログラマーなわけであります。

それで最近強く感じることは、システム開発は私にとっては壮大な暇つぶしなんだなということであります。あ、この言い回しはちょっと大げさで、少し格好をつけていますね。言い換えると「プログラミングは年寄りの暇つぶしには最適」と表現したほうが、ズバリと言い表しているような気がします。
いくら時間がかかろうと、正しいコードを書けば動くわけであります。間違っていれば当然ぴくりともしないか、おかしな動作するわけであります。動かないというのは絶対に私が悪いわけであります。こういう格闘というのは劣化した頭の活性化には素晴らしく有効なのではないかと思うわけであります。
やりはじめた当初こそ、ほとんどの事を忘れ去ってしまっており、思い出すまで結構苦しい思いもしましたが、最近はかなりの部分を思い出してきまして、自分の思っていたとおりに動くようになってきますと、結構楽しくて時間を忘れて没頭してしまっている自分を発見したのであります。
それとともにこのシステムを使う人を驚かせてやりたいなんていうヨコシマな気持ちもでてきまして、なにかスゴイ仕組みはないものかなどと考えるようになってきてしまっているのです。
こういう事をやる人間のどこかには自分の力を自慢したい、人を驚かしたいなんていう気持ちが必ずあるものであります。そんな気持ちが湧いてきたことに自分でも驚いてしまってもいるのであります。
若い時に基礎をしっかりやっていて本当に良かったと思っています。この歳になってから、一からプログラムの勉強をしようなんて絶対に思わないですからね。

2016年6月16日木曜日

まずは指を動かしてみないと何もはじまらないのだ

相変わらずマイクロソフトのデータベースAccessで四苦八苦しています。開発当初の思惑はこんなはずではなかったのであります。
昔とった杵柄でありますからほんの軽い気持ちで引き受けたのですが、自分の頭で思い込んでいることと現実には大きな開きがありまして、いくらその昔にはもっと大掛かりで複雑なシステムを作っていたのになんて云ったって、それはたんに年寄りの繰り言に過ぎないということを思い知らされてしまいました。
だから、結局一から勉強しなおしのような状態になってしまいまして、単純な仕組みそのものを組み立てるにも、いちいちネットで検索して試してみて実装するなんて事の繰り返しでありますから、まどろっこしくしょうがありません。

なんかいつも自分の頭のなかに厚い雲がかぶさっているような感じであります。
そうか、これが別の意味でクラウドコンピューティングなのだ、などと笑ってもみても、ひとつも楽しくありませんね。マイッタナ。

かなりの間、ネットでの仕事ばかりやっていたものですから、デバッグの方法まで忘れてしまっていて、いちいちメッセージボックスに値を放り込んで確認するなんていうバカな事をやっていまして、最近ようやくデバッグの方法がわかったという初心者もびっくりというなんともはやの状態でありました。

それでも最近はどうにか昔とった杵柄の感覚が蘇ってきたようで、自分の新たなアイデアなどを盛り込んでみようなどという気持ちがでてきたようであります。やはり、プログラマーは実際に指を動かしてコードを書いてみないと進歩はしないということですね。

最近は小さいシステムでいいから完璧なものを作るということが私の場合はとっても大切なことだと思いまして、システムの規模を極端に縮小しまして、ひととおりの機能を面倒がらずに織り込んでいこうと考えるようになりました。
もっとも、システムは小さく産んで大きく育てるというのが重要なことではないかと思いますけれども。

2016年6月13日月曜日

週のはじまりなのに気が抜けてしまいそうです

暗闇のなかに起きだしてすぐに、「ひょっとして雨か?」という思いがよぎるほど幽かな雨音が聞こえた気がした。まだ目覚めたばかりのことで足元も定まらないままに、ヨレヨレと階下の仕事部屋にようやくのことで辿り着いてはっきりとしてきたことは、それはひょっとしなくても完璧な雨音なのだということを知らされた。今は梅雨のまっただ中にいるわけだから格別驚くことではないのだけれども。

パソコンの電源を入れて最初にやることはAmazonラジオのサイトに跳んで音楽を流すことがおきまりになってしまっている。体調のいい時は、最初から「オール・ロック」なんていう威勢のよいチャンネルを選ぶこともあるのだが、今朝は起き抜けにロックではいささかゲンナリしてしまうので、ここは穏当に「ジャズ・ボーカル」などというチャンネルをチョイスする。こうして私の一日は「音楽の垂れ流し消費」という行為から始まるわけであります。

と、書いていて、そういえばクラシックってチャンネルを一度も視聴したことがないことに気がついた。そこで、ものは試しと「クラシック・室内楽」というチャンネルに変更してみた。
そして最初に流れてきたのが、驚いたのなんのって・・・・。これってけっして作って書いているわけじゃないんですよ。ここまで書くともうネタバレになっているかも知れないけれども、ここで流れてきた曲がなんとショパンの雨だれでありました。これ本当にホントだって。いやはや参ったね。

雨だれごときでのけぞってしまったバカタレは、そのバカを懸命に隠して今日もプログラミングをやりつづけるのでありました。
うーんなんだかな




2016年6月12日日曜日

ただボーゼンとしていた日曜日

昨日は久しぶりに、にわか洗濯男に変身したことを書いておきましたが、自分でも意外だなと思うのは「変身!食器洗い男」であります。この突然変異は自分で思うのも不思議なくらいに、かなり長い間続いていているのです。もちろん毎回全部の食器を洗っているわけでないのですが、二日酔いしていない限りは、ほぼ全部、しかも結構手を抜かずに洗い続けているのであります。

その昔、単身秋田のド田舎で、ガス・水道・電気なしの生活を半年ほど体験しまして、敢えなく挫折して我が家に帰り着いた時に一番に感動したことがあります。
それは蛇口をひねれば大量の水が惜しげも無く出てくることでありました。秋田ではもらい水でありましたから、貴重であります。食器を洗うのにも無駄にはできませんでした。だったら紙の食器を使えばいいではないかという話になりますが、私は住民登録をしていませんから堂々とゴミを捨てることもできなかったのであります。
だったら燃やせばいいではないかとなりますが、昨今はちょっとでも焚き火をすれば、すぐに誰かが駆けつけてきて厳重注意という事になってしまいます。ましてゴミを燃やしているなんていう事になれば・・・・。
その不便な生活を半年ほど経験した後に、水のありがたさを身にしみて感じるようになったわけであります。それ以来、洗濯とか食器洗いに大きなヨロコビとシアワセを感じるようになったことは確かなことであります。
もともと私はヨロコビやシアワセを感じるのに随分と安上がりな人間なのでありますけど。

そのかなり昔に小学生頃の通信簿には担任が必ず書き込んでいた言葉が、「落ち着きがない、協調性がないと」いうことでありました。
「なぁにを云ってやがるんだい、トンチンカンな事を書きやがって・・・」なんて当時は思っていたのですが、この歳になってみれば全部当たりすぎるぐらいに当たっているなと、当時の担任の先生方の眼力にはほとほと感心してしまいます。
この落ち着きがないというのは、三つ子の魂百までものことわざ通りに、今でもまったく変わりはありません。それどころか、最近は集中力もどんどんと失われてしまって落ち着きのないジジイになってしまっています。
そんな状態でプログラミングなるものをやっているものですから、ちょっとした壁にぶつかったりしますと元来の落ち着きの無さを存分に発揮するようになるわけであります。普通ならその越えるべき壁の原因をじっくりと調査するわけでありますが、もう切れてしまってじっとディスプレイの前に座っていることすらできなくなってしまって、台所に行って食器洗いなどをやったりしますが、すでに洗う食器が無ければ、急に掃除を初めたり、それもやった後では、やたら歩きまわったりするわけであります。
だから食器洗いを毎日、毎回続けているといってもその動機が結構怪しいものがあるわけであります。だから壁にぶつかる回数が多ければ多いほど私の周囲はどんどんと片付いて清潔になっていくという一概に単純にヨロコベないという状況にあるわけであります。

妻が仕事を休んで主婦でいる場合は、そうそうアカラサマに彼女の領域を荒らすわけにもいかず、ただ呆然として周辺をウロウロすることになるわけであります。そのような状態が本日日曜日の一日でありました。なんともはや

2016年6月11日土曜日

Accessの感動した隠れ機能2つ

久しぶりの洗濯日和でありました。それなりの洗濯量がありまして、せっせと洗濯物を干しました。こういう日は洗濯をしていても楽しいものであります。と書きますといつも洗濯をしているように思われますが、今日は何ヶ月ぶりかに洗濯男に変身したに過ぎないのですけれども。

本日は土曜日なのに珍しく家には誰もいないので、普段となんの変わりのない一日でありました。久しぶりに暖かいごはんに味噌汁という日本の正しい朝ごはんを食べようと思ったのであります。うーんちょっとわかりにくいですね。それを思い立ったのは昼ご飯まえの事でありますから、お昼ごはんに正しい日本の朝ごはんを食べようという話であります。
まずはご飯を炊かなくてはと思い立ちお米を探したのですが、どこにもその米が見当たらないのであります。そうか、この2年余り極力炭水化物を摂取しない食生活を続けていたものだから、家族もつられてしまって白米を食べない習慣が出来上がってしまっていたのであります。
今日の今日までまったくその事に気づかなかったというのもオメデタイ話であります。以前なら何はなくてもお米だけは家にあったのですが。
というわけでありますから、頭のなかは正しい日本の朝ごはんに満たされていたのですが、米を買いに行くのも面倒だったわけでありますから断念してしまいました。
ならばせめてソーメンでも食べたいなと思ったのですが、これは絶望的であります。絶対に麦でできているウドンやソーメン・冷や麦の類などあるわけがないのでありました。
しょうがないので買い置きしてある「韃靼そば」を茹でて食べました。蕎麦にもたくさんの小麦粉が入っているのはわかっているのですがいくらかはGI値が低いということであります。

奮闘しているAccessの話なのですが、ウン十年前からすればかなり進歩しているんだねということを二つ書いておきたいと思います。と云ってもその二つとも偶然に見つけたものでありますけど。
そのひとつは「ふりがな」機能であります。これは以前からあった機能であります。たとえば「名前」のフィールドに入力しますと自動でふりがなとふってくれるというものであります。
「やまだたろう」と入力して変換しますと「山田太郎」となってふりがなのフィールドには自動で「やまだたろう」と入力されます。これは結構便利なのであります。
ある日なにげなく名前のフィールドに「山田太郎」コピペしましたら、どうじにふりがなのフィールドに瞬時に「やまだたろう」と表示されたのであります。これには驚きましたね。何を貼り付けても結構正確にふりがなをふってくれるのでありました。うーん

もうひとつの発見は、テーブル定義をやっていてフィールド名を間違えて「seledt」なんてつけてしまった場合に、テーブルの定義を元にして、フォームやレポートやクエリーが作成されます。
こういう間違い良くあることなんですが、それを「select」などと一文字訂正したならば、これを元にして作成してあるフォームやレポートやクエリー全部の該当箇所を訂正しなければならないものだと思っていたのですが、これがなんと関係している箇所を自動て全部直してくれているのであります。これはジツにありがたい機能であると感心したしだいであります。
もっともこのような機能って前からあったのかな、知らないのはもしかして私だけだったりしてね。

2016年6月10日金曜日

皆でやろうよデータベースAccess

ウン十年ぶりかにマイクロソフトのデータベースAccessを使用してシステムらしきものを作っています。もともとAccessを使ってシステムを組んだことが無かったものだから、ほとんど一から勉強をしながらの作業となってしまっています。ただひとつ救われるのは多少はリレーショナルデータベースの概念がわかるということでありましたが、いざやり始めたら四苦八苦の連続でありました。
素人さんにも使って貰えるシステムを作るってことは、多少の知識があったからって、まったく役にたたないってことだけは身にしみて理解しました。大事なのは良質なユーザーインターフェースであったり、理解しやすい作業の流れだったりしますから結構細かい小技を身につけていないとダメだということですね。これがまた大変なことであったりします。
こんな事ぐらいは絶対にできるはずと思っていても、どうやったらいいのか皆目見当もつかず途方にくれる毎日でありましたが、苦しみながらも毎日触っているとなんとかなってくるものだということも実感するようになってきました。

その中で気づいたことのひとつは、Accessではクエリーという便利なSQL文を視覚的に生成してくれる機能があります。ところがこれが結構くせ者でありまして、最初は超便利に使っていたのですが、システムが次第に大きくなるにしたがって、クエリーの数も増えてきまして、どのクエリーがどのフォームで使われているのかが段々とわからなくなってきたのでありました。
命名の仕方が悪いというのも原因のひとつでありますが、更新クエリや追加クエリーのアクションクエリの類までそのまま実行させていたから尚更のことであります。
そういえば、以前はこんなやり方をやっていなかったなということをようやくの事で思い出しました。クエリーをSQL文にしてプログラム(VBA)のなかに埋め込んで使っていだのです。そうすればクエリーがやたら増えていくという事も防げるわけであります。
そうだそれがいっとういい方法だと思ったとこまでは良かったのですが、肝心のSQL文がどこに書き込まれているのかがさっぱりわかりませんでした。
それはクエリー画面の一番下の右端に小さなアイコンがひとつ出ているだけの話でありました。いやはやそれを見つけるまで半日以上かかってしまいました。

最初の頃は結構つらい作業でありましたが、少しずつ小技を身につけてきましたら段々と楽しくなってきました。なんだか毎日ゲームをやっているというか、パズルをやっているような気分であります。

ガンバレ マスゾエくん!!

梅雨らしく昨日までは雨が降っていましたが今日は梅雨の晴れ間ということで結構良い天気のようであります。梅雨という季節はそれほど嫌いではないですね。結構しっとりとして緑がますます色濃くなっていく季節ですからね。ただこれが3ヶ月も半年も続くとなるとたぶんウンザリしてしまうのでしょうけれども。

先日コーヒーメーカーのスイッチの部分が調子が悪くて新しいものを注文してしまったと書きましたが、実はこれが本当に悩ましいことになっております。新しいコーヒーメーカーが到着したのですが、これまで調子が悪かったスイッチが皮肉なものでまったくの正常な状態に戻ってしまいました。
せっかく届いた新しいコーヒーメーカーはダンボールに梱包されたまま仕事部屋の奥深くにしまい込まれてしまっています。正常に動作しているものをわざわざ捨てる気にもなれませんし、なんとなく今回は失敗したのかなと思わんでもないのですが、当然口には硬いチャックをしております。

そういえば、何日か前のブログにも書きましたが、東芝のREGZAというテレビのリモコンの調子が悪くて原因がわからないので、新しいリモコンを購入して試してみればリモコン側が悪いのかテレビ側が悪いのかの判断がつくと思ったのであります。
これがまた不思議な現象でありまして、初めの頃は新しいリモコンが調子良かったのですが、途中で新しいリモコンが調子悪くなったので古いリモコンではどうだとなって試すとサクサク動作するのです。こうなってくると二つのリモコンを交互に使い分けるという涙ぐましい努力を重ねてきたわけなのですが、最近は新しいリモコンにはまったく反応しなくなりまして、古いリモコンがサクサク調子がいいのです。混迷はますます深まるばかりであります。
最近ではテレビそのものがパソコンを繋いで映画やYOU TUBE等の動画を視るだけの単なるディスプレイ化していますのでそれほどの影響が無いのが少しは救われるものなのですが。

その本来のテレビとしてはあまり役に立たないテレビを最近は舛添君の大活躍を視るのが楽しみで久しぶりにワイドショーなるものを楽しく拝見しています。こういうのはジツに面白いですね。できれば舛添さんには任期満了まで頑張って欲しいものだと願わずにはおられません。

2016年6月6日月曜日

梅雨入りしたら、コーヒーメーカーが壊れてしまった。

もうすでに梅雨入りしているという。早いのか遅いのかの判断がつかないけれども梅雨入りしているというものを、どう文句を云ってみたってどうなるもんでもないから、ああそうなんだと云うしかないよね。

とうとうコーヒーメーカーが壊れてしまったようだ。スイッチを入れても連続して通電しなくて、ずーっと抑えていないとダメなのであります。ここ数日それでも我慢して使っていました。電気の知識があればすぐに直せるようだけれども、ガキの頃に感電してから電気が怖いのであります。
当然Amazonで調べたら、ドリップするだけのものだったら結構安いものがあったので迷わずに注文してしまいました。

コーヒーを淹れるたびにスイッチを押さえているなんて馬鹿なことはできませんからね。今さらのことなんですけれどもAmazonって単なる場所貸し屋なんですね。ただこれまで長年使ってきて酷い目に遭ったこともないので結構信用はしていますけれども。それから、こちらの情報を登録してありますから、他のサイトでまた一々情報をインプットするのが面倒だし、怖いような気もするので結局Amazonを使い続けることになってしまうようであります。旨いこと考えているもんであります。

2016年6月3日金曜日

素晴らしい日本をタビしたいんだけなんだ

今朝も順調に丑三つ時あたりにノロノロと起きだしたのですが、結構寒さを感じてしまって、面倒くさがりの私でも、さすがにTシャツ一枚では心もとなくて納戸にいって長袖のYシャツを引っ張りだして羽織りました。

昼の間、いくら暑くても朝晩が涼しければかなり楽なのですが、たとえ昼の時間帯に灼熱地獄であったとしても日が落ちれば涼しくなれば結構耐えられるものなのですが、ここ市川ときたら昼の暑さがそのまんま夜にも持ち込まれてしまうのは敵わないものがあります。

先日車のエアコンを一年ぶりに修理した話を書きましたが、そのエアコン壊れたのが昨年のお盆に休みに入る一日前でありました。場所は境港のちょっと手前だったと記憶しております。休み前ということで修理を断念してそのまま旅というか、放浪というか、場所を移動しての湯治というか、ま、基本的にはいい加減な私の日常を山陰もしくは中国地方にまで持ち込んだだけのことなのでありますけれども。
残す日程はあと3日だったか4日ほどであったのですけれども、エアコンのない車での旅はさぞ灼熱地獄との闘いになるだろうと覚悟をきめていたのですが、四方八方の窓を開け放して走れば風も結構はいってきてそれほど不快でもなかったのであります。
ただ周囲の車がビシっと窓を閉めきって涼しそうに走っているのをみると、結構恥ずかしいものがあるにはありました。特に交差点なんかで信号待ちしている時などは周囲から怪訝な光線を必要以上に浴びせられているような気がしてなりませんでした。それでも半日ほども走っていますとまったく気にならなくなってしまうものであります。

以前は、といいましてもウン十年も前のことでありますが、お盆を境にして狂ったような暑さは急速にその勢いを弱めていきまして、心なしか秋色の風が時折りそっと吹いてきたり、ひぐらしが哀愁をおびて鳴きはじめて過ぎ去る夏を惜しんだような気もします。
近年はお盆が過ぎてもいったいいつになったら涼しくなるんだろう、もしかして永遠に涼しい地上はこないのかも知れないと思ってしまうほどアジイ世界になってしまいましたけれども。
山陰もしくは中国地方の気候がそうなのか、たまたま昨年だけの話であったのかは判然としないのでありますが、旅に出る前に比べればお盆休みに入り格段に涼しくなってきました。なんといっても朝晩が涼しく感じられ車中泊でも熟睡できたのでありました。
エアコンが壊れる前はなんとなく萩を目指していたのですが、修理屋さんですったもんだしたりで時間を結構使ってしまったので、行っていけない距離でもなかったのですが、別段走り屋のユキオの真似をする必要もなかろうと最終は出雲大社あたりにとどめ、松江あたりをウロチョロして必要以上に暑いだろうと思われる太平洋側を避けて元来た日本海側をヨタヨタと家路についたわけであります。

エアコンの修理もしたし、さて今年はどこらあたりをうろつこうかと考えているのであります。北海道・東北・北陸・近畿・四国あたりを一応通り抜けたことにはなっているので、さていよいよ九州あたりにと思っていた矢先に、熊本地震でありました。別に車中泊で日本一周したからといっても別段とうってことないのですが、やはり心残りはありますけども、こればっかしはその機会が巡ってくることをじっくりと待つことにしました。

2016年6月2日木曜日

まだまだ大丈夫です。

朝晩が肌寒く感じるこの頃であります。ティシャツの上に一枚羽織るかどうかは思案のしどころですが、いつも面倒でそのままの格好で過ごしているから、それほどでのことでもないのでしょう。

「いってきまーす!」「ただいま!」なんていう元気のいい近所の女の子の声が時折聞こえてくる。近くに子どもたちの声が聞こえるというのはなかなか気持ちのいいものであります。他人(ひと)様のお子さんなのですがほんわりとした気持ちにさせられてしまいます。
今朝もたまたまリビングに座っていたら、元気のいい声が聞こえてきましたので、カーテン越しに覗いてみると、黄色帽子に赤いランドセルの女の子(ちびまる子そのものだ)が弾けるようにして学校へ走っていきました。唐突にまだまだ日本は大丈夫だという思いが湧いてきました。

同じ声の話なのですが、朝の5時近くにウグイスの声もときおり聞こえてきます。もう正調ウグイス鳴きでありますから、ひょっとしたらもう山に向かうことを断念してしまって、ここいらに住み着く覚悟をきっかりと決めたのかもしれない。またしても、まだまだ日本は大丈夫だという思いが湧いてくるのでした。

「ウチの紫陽花も咲き始めましたよ」と妻がいう。ん?俺んちに紫陽花なんてあったけかなと思っていると「昨年、私が挿し木をしたものですよ」という声が返ってきた。そうか私のまったく知らないところでそんなことをしていたのかと、少し見なおした。

今日のブログは夜も明けない時に書き始めて、なかなか筆が進まず、今日はこれまでだなとあきらめるまで半日もかかってしまった。ま、そんなもんですよね。ではでは

2016年6月1日水曜日

6月のはじめに

昨年の一番暑い夏の盛りに妻と二人で島根の出雲大社まで出かけました。これこそ文字どおりに青天の霹靂といいましょうか、鳥取と島根の境目あたりの日帰り温泉に浸かって、さてどこまで走ろうかと考えていた矢先に、どうも車内が涼しくならないのであります。
どうやらエアコンのスイッチが入らなくなったようなのです。まだ3日ほど旅程を残した時点で、進むも灼熱地獄戻るにも地獄のどうにもならない状況に追い込まれてしまいました。
境港あたりで修理屋さんに駆け込むも明日からお盆休みになってしまうのでどうにもならないと云われてしまいました。

うーん、これは困った。コマッタ、マイッタ。進退窮まるとはこういう状況をいうのだということを実感した次第であります。
この際あんまし関係ないんだけど、「オートバイにはエアコンはついてないがあんなに着込んで旅を楽しんでいるではないか・・・・・。」
まったく関係ないけど、「昔はエアコンなんてついている車などなかったのだ、だいたい最近の日本人は軟弱過ぎるのだ・・・・。」
「せっかくここまで来て戻るというのか・・・・。」「戻るといったって、かなり遠くまできてしまったているし、暑さは同じじゃないかい」
頭のなかはほとんどパニック状態でありまして思考は虚しく堂々巡りをくり返していくのでありました。

いつものことでありますが、私の旅は別に目的地が明確ではないのであります。家を出てから、なんとなく今回は西に行ってみるかとか北に向かうかなどというジツにいい加減なものであります。走っているうちにこれもなんとなく山口あたりがいいんではないか、などといった具合であります。そして途中で必ず大型書店探しが始まるのであります。これがなかなか見つからなのであります。ようやく見つけたそこそこの本屋さんで旅行ガイドとかそのあたりの地図を手に入れないと、いくらスマホ・パソコン・カーナビがあっても暗中模索の状態のなかで走り回るようなことになってしまいます。そこでいつものごとくようやく手に入れた旅行ガイドと地図を眺めて萩あたりがいいのではないかなどとと思っていたのであります。

パニック状態の堂々巡りを512回ぐらいまでは数えていたのですが、それ以降は数えきれなくなってしまって、結局一応目的というか目安というか山口県の萩あたりを目指したのでありました。

なんだか前フリだけが長くなってしまいましたが、本日のブログでいいたかったことはですね。先日その壊れていた車のエアコンを一年近くたってようやく治したというそれだけの話しでありました。
無用に話を引っ張ってしまって、スマン、スマン