2013年9月30日月曜日

9月も終わりですね

気がついてみたら、明日から10月ですね。ちょっと前まではアジくてアジくてしょうがないとボヤいてばっかしいたような気がしますが。本格的に秋に突入してしまいますね。秋どころか、もう冬が近づいてきています。私を取り巻く時間は絶句するほとの速さで流れていっているのですが、私のお絵かきの腕はどこかに停滞したままでいるのに少し焦りを感じてしまいます。
 焦ってはいけない、じっくりと腰を落ち着けて学習するのだと言い聞かせてはいるのですが、なかなかセルフコントールができないというところが本当のところであります。

 さきほど、リンゴを描くのはしばらくやめますと云っておきながら、その舌の根も乾かないうちに、またぞろリンゴを描いてしまいました。
新しく描いたのではなくて、以前に描いたものを合成してみました。これは簡単にできました。本当はこれに影をつければいいのですが、効果的なやり方がいまいちわかりませんので、保留ですね。そのうちにわかる時がくるでしょう。

こんどは青いリンゴだぞ

ようやく、青いリンゴが描けた。設定を変更することによって、もっともっと違う表現ができるようなのだが、  今の私に必要なものは、もっともっと基本的なもののようであることに気がついています。最も欠如しているのがベジェ曲線の扱い方であります。今これを徹底して体に叩きこまないと次の段階へは進めないようであります。

 リンゴの描き方は偶然みつけたものでありまして、これを利用すれば左右対称のもの、例えばコップだとか、パイプだとかは簡単に描けるのかも知れません。もっとやって見たいのですけれども、ここは初心に帰って線の引き方を徹底して練習することにします。よってこれ以降はリンゴを描くことは敢えて封印することにしました。

2013年9月28日土曜日

3分で描き上がった真っ赤なリンゴ

昨日は朝から思わず声を出して叫びたいような見事な秋晴れでありました。当然のことでありますが、洗濯物担当の私はオオヨロコビで庭駆けまわりした。
 朝から余りにウレシクてはしゃぎ回ったせいで夕方疲れてしまって、ちょっと一休みのつもりで横になったら、なんとグッスリと寝入ってしまいまして、目が覚めたら11時でありました。
 もう一度、寝直そうと努力してみたのですがどうにも寝られないので、そのまま仕事をすることにしました。なんだかすっかり生活のリズムが狂ってしまったようであります。
 先日、山形からリンゴが送られてきました。今年はじめてのリンゴであります。齧ってみると懐かしい秋の味が口いっぱいに広がりました。同時にシアワセもたっぷりと噛みしめました。

 仕事に飽きると、お絵描きソフトの解説動画をみます。それにも飽きると家事をやります。それに飽きたところでようやく仕事に戻ります。
 それに、映画鑑賞や、読書が入ってきたりするものですから、実にひとつのサイクルが長くなってしまう場合があり、一体何がメーンだっけと本末転倒になったりしてしまいます。遊びだか、仕事だか、境目のない遠近両用メガネのようになってしまいます。イヤハヤ

 Illustratorの解説動画を見まくっていましたら、このようなりリンゴを作成する方法がアップされていました。ちょっと不格好でありますが、これを作るのに、なんと3分でありました。もう少し曲線がそれらしいものにしたいのですが、パスの扱いがイマイチわかっていないものですから、偶然できたこのリンゴを取り敢えずアップしておくことにします。これ特別なことは何もしていないのです。半分の赤い楕円と茶色のヘタを書いて3D表示回転と指定したら瞬間に作成してくれました。
 なんということでしょうか。マイッタナー

2013年9月26日木曜日

恐るべしYouTube動画による解説

敢えて人物部分だけを書き出してみた。
超下手くそなのに懲りずにお絵かきに挑戦しているのでありますが、参考にしているのがYouTubeにアップしてある解説動画であります。
最初はPhotoShop関連を見ておりましたが、これがなかなか優れものが多いので驚いてしまいまして、それならばIllustratorはどうなのだろうかと・・・・・・。期待通りでありました。
素晴らしいので一言であります。画像関係の動画は言語はそれほど気になりません。大体どんな事ができるのかがわかればいいだけの話ですから。
インターネット上の情報は圧倒的に英語が多いのですが、それもそれほどの障碍にはなりません。画面上の動きを見ているだけでかなり参考になります。
英語版のものは神業的なものも多くて、「え--!!こんなこともできるのか」ともうひとつの芸術作品を見ているような気になってしまうものも多いのであります。
それで調子にのりましてPremiere Proではどうなんだろう、AffterEfectはどうだと見まくりましたが、どれもその出来は素晴らしいものばかりでありました。
お絵描きソフトをものにするためには、覚えなくてはいけない小技がたくさんあります。もちろん実際に自分で嫌になるほど使い込んでモノにしていかなくてはいけませんが、最初にどんな事ができるのかとか、どうすればこのような事ができるのかということを知らなければいけないわけであります。
YouTubeの動画はそれほど系統だっているものでもありませんが、断片的な知識を繋ぎあわせていくことによって、かなりの力を蓄えることができるということを知りました。
自分で笑ってしまうほど貧乏な私にとっては最適最上な学習方法だと思います。なにしろ最高の教材と講義が全部タダなわけでありますから、後は自分のやる気次第ということになります。

いやはや、それにしてもプロの物凄い世界を垣間見せて貰って本当に感激しそして感謝している次第であります。マイッタなぁ


2013年9月24日火曜日

キャンバスを回転させてみた。

元画像を右左反転させてみた。これまでこれができなかったのであります。一度ぐらいこれができたからといって、やらないでいたらすぐに忘れてしまうのであります。だから何度でもいろんなものでやって、いや、何度でもないです、何百回でもやって体に覚え込ませなければいけないでしょう。
 髪の描き方や服の描き方がまだ良くわかりません。ズボンとか長靴もそうですね。雲だってもう少し雲らしくならないかなと悩んでいます。
 ま、のんびりやることにします。

性懲りもなく、またお絵かきの練習です。

ちょっと一休み
何時間かかけてようやく、出来上がったのが左の絵です。久しぶりのフォトショップです。もう使い方はほとんど忘れていました。ほとんど初心者と同じだったので愕然としてしまいました。
 だからといって、いちいち紙の解説書を開く気にもなりません。そんな状態ですから、少しも進みません。何時間ディスプレイとニラミっ子していたでしょうか。ネットでフォトショップの使い方を検索していましたら、YouTubeにたくさんの解説画像がアップしてありました。
 やはりお絵描きソフトは紙の解説書より、動画のほうが百倍ぐらいにわかりやすいです。それから何時間か解説動画を見まくりました。
 元の絵は秋田で超原始的な百姓をやっていた時に、ちょっと働いてはながーい休憩を取り、ちょっと働いては、またながーい休憩をといった感じであったのを思い出して、かなり昔に書いたものでありました。
 なんのことはない、一日の大半が休憩だったような気がします。ヒローイ畑の真ん中で誰が見ているわけでもないので、それはそれでいい思い出であります。

草むしりという作業も結構過酷な作業でありましたけれど、私は結構好きでした。小さい椅子を用意してドッカと腰を降ろして、ラジオを聞くともなく聞きながら結構没頭してやっていた事を思い出します。
 夕方は早めに上がって、日帰り温泉に一目散です。一日の疲れと汗を綺麗サッパリと流すと手早く晩酌の用意をしなくてはいけません。どんどんと日が短くなってきていますから、すぐに夜の闇が迫ってくるからです。畑のド真ん中に暮らし始めた時には、水道電気ガスが無かったのです。一番苦労したのが電気がないということです。
 灯りといえばエネループのLEDランタンが2つと懐中電灯が1個しか無かったのですから、これはかなり心細いものがありました。だから小屋の中全体が見えるうちに全ての準備を終わらして、急いで晩酌に入らなければいけなかったのであります。
 夜の娯楽はiPodの音楽だけであります。ラジオもありましたが、古いやつで感度が悪くてNHK-AMしか入らなかったのです。たまにはいいですけれどもつまらなく昼間だけ流していましたが、とても聞く気にはなれませんでした。
 そんなものですから1週間に一度ぐらいは知り合いの家に行き全乾電池やその他充電機器を充電しに行かなくてはいけなかったのであります。当時サブバッテリーを置いたりソーラーパネルを設置するなどという発想は無かったのであります。
 季節はどんどんと進み、ストーブ無しでは過ごせないぐらいの寒さになった時に、昔ながらの石油ストーブというものはいいものだと感動したことを覚えています。ストーブの赤い火は照明代わりになるのです。またヤカンをかけて置けばいつでもお湯が使えるし、加湿器代わりにもなるのです。それに煮炊きにも使えるのです。ファンヒーターなんてものはダメですね。大体電気がなければ使えないシロモノですから。災害やアウトドアには使えないものであります。

 こうしてアップしてみると結構アラが目立ちますね。もうしばらくこの絵をいじくってみようかと考えています。本当はIllustratorも触ってみたいのです。同じ原画をIllustratorで描いたらどうなるのかというのも試してみたいと思っているのであります。今の私にはフォトショップもIllustratorも、わからないという点においては同じようなものですから。

2013年9月21日土曜日

日清戦争

本日はいきなり日清戦争まで進んでしまいます。
以下はウィキペディアからの抜粋であります。
日清戦争(にっしんせんそう、中国語:甲午戦争、第一次中日戦争、英語:First Sino-Japanese War)は、1894年(明治27年)7月(光緒20年6月)から1895年(明治28年)3月(光緒21年2月)にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる大日本帝国と大清国の戦争である。

これはどう解釈していいのかはわかりません。実質的にはこの日清戦争の終わりを持って朝鮮は大清国から解放されるわけであります。ただ欧米列強諸国にとっては大誤算だったでしょうね。いずれは侵略しようとしていた極東の小さな島国がいきなり牙を向いてきたのですから。しかもそれまで鎖国をし、ちょんまげを結っていた国ですからね。

日清戦争が始まった1894年(明治27年)にはローラはすでに27歳になっています。この年にワイルダー一家、ミズーリー州マンスフィールドへ移住しています。
因みに1885年8月25日、ローラ・インガルスとアルマンゾ・ワイルダー、ダコタ・テリトリーのデ・スメットで結婚しています。

  • 1895年(明治28年)3月日清戦争終わる
  • 1894年(明治27年)7月日清戦争始まる。ワイルダー一家、ミズーリー州マンスフィールドへ移住する。
  • 1867年(慶応3年)大政奉還 ローラ・エリザベス・インガルス、ペピンで生まれる。
  • 1861年 南北戦争はじまる。
  • 1853年(嘉永6年)黒船来航
  • 1836年(天保7年)1月10日、チャールズ・フィリップ・インガルス(とうさん)、ニューヨーク州キューバで生まれる。1月3日に坂本龍馬が生まれる
  • 1775年から83年 アメリカ独立戦争
  • 1760年代から1830年代イギリスの産業革命
  • 1600年徳川幕府始まる

2013年9月20日金曜日

農耕時代ならば、弓矢や刀に種子島で、今はしまいには原爆・水爆を出してきますからね

 最近は朝晩結構寒く感じられる時があり、ティシャツ1枚に短パンという夏のスタイルはそろそろ終わりにしないといけないようであります。本日も夕方まで結構忙しくてブログネタを何も考えていませんでした。それでも、何も書かないよりは何か書いておいたほうがいいだろうということで、打鍵しております。

 歴史をあまりに知らないということで自分のためだけに、せめて明治維新から現代まで浅く薄くと思い調べ始めたのですが、どうも人類にとってはイギリスから始まった産業革命がかなり重要なキーワードなのではないかと気になってしょうがなくなりました。現在の私達の生活のほとんどの習慣というか、文化というものは、この頃に形成されたものが大半を占めていることに今さらながら気付かされます。
 本題からかなり離れてしまいますが、単なる素人考えなのですが、産業革命の前に起きた農業革命というのも人類にはかなり大きな影響を与えているのではないかと思うのです。人類は最初狩猟採集生活だったのですが、それですと貯蔵が効きませんね。そうすると養える人間の数が限られてくるわけですね。それに天候や運にも左右されるわけでありますから、尚更のことですね。
 誰かが種を撒いて、植物を育てて、採取するというのを発見した時から人間が人間らしくなっていったのでしょう。この時代がおよそ3000年も続くわけであります。3000年って案外短いなと思うか、いやー長かったんだね思うのか。今の私には判断のつかないところであります。
 農業革命が起きてある程度土地に縛られるようになってきて国家というものが成立するわけであります。そして国家は軍隊を持つわけであります。軍隊なんてなんら穀物を生産しないわけですから、兵隊を養うためには、かなりの農業生産を行わなければならないわけであります。それで領土を争っての戦争が繰り返されるわけでありますね。それに王様だの貴族だのという贅沢極まりない輩も養わなければいけないわけであります。これは現代でもあまり変わりがないのだろうか。尖閣列島の問題もここらあたりが問題なのでしょうか。でもあんなところで米を作っても犬の餌にもならないと思うのだけれども。
 わかってます、わかってます、石油資源だとか、海産物だとか、防衛上も必要だとかというんでしょ。でも中国と日本が本気で戦う意味ってそれほどあるとは思えないのだけれどもね。双方の若者の大量の血を流し、大量の武器弾薬を消費してまで勝ったの負けたのって・・・・。なんだか変だと思いませんか。
 農耕時代ならば、弓矢や刀に種子島等で争うわけでありますから、それほど大きくて悲惨な戦争にはなりませんが、工業時代にはそうは行きません。しまいには原爆・水爆なんていう信じられない大量破壊兵器が登場してきますからね。そこのところをあまり熱くならずに考えて欲しいものだと願っているのですが。

2013年9月19日木曜日

アメリカ独立戦争と黒船来航・南北戦争を追加する。




  • 1867年(慶応3年) 大政奉還 ローラ・エリザベス・インガルス、ペピンで生まれる。
  • 1861年 アメリカ南北戦争はじまる。
  • 1853年(嘉永6年) 黒船来航
  • 1836年(天保7年) 1月10日、チャールズ・フィリップ・インガルス(とうさん)、ニューヨーク州キューバで生まれる。1月3日に坂本龍馬が生まれる
  • 1775年から83年 アメリカ独立戦争
  • 1760年代から1830年代 イギリスの産業革命
  • 1600年徳川幕府始まる

 昨日の年表にアメリカ独立戦争と黒船来航・南北戦争といずれもアメリカの歴史を付け足しておきました。今のところ中国は清という国でありました。朝鮮は李朝朝鮮という国で清の属国であります。朝鮮が清の属国であった時代はなんと1000年ほどであります。1000年ですよ。朝鮮は半島ですからね。巨大な中国の元では仕方のないことなのかも知れません。日本は周囲を海に囲まれていた地理的な条件によって、どこの国からも侵略はされていません。
上の記述は正しくないことに気が付きました。清が1000年も続くはずがありませんから、正しくは中国の属国であった時代が1000年もあったということですね。中国の王朝の名前を一々調べる気力は今のところないので、このぐらいにしておきたいと思います。
また朝鮮が清からの独立を果たすには、日清戦争まで待たなくていけないのであります。たぶん朝鮮は日清戦争から太平洋戦争終結までの期間を恨みに思い続けることになるのでしょう。このあたりはまだ詳しく知りませんので何も書けませんね。

1775年から83年にアメリカはイギリスとの独立戦争を行って、ようやく独立を果たしています。この頃はイギリス・オランダ・フランス等の列強諸国は東南アジアに進出をはかっており、アメリカはかなり遅れてアジアに進出の足がかりを求めて盛んに動いています。
この時代での各国の植民地を調査しておく必要があると思います。列強諸国というのはすべて白人の国家であります。日本はそのアジア情勢をみてかなり焦るわけであります。しかし、いくら焦っても幕藩体制ではどうしようも無いと気付き討幕運動に走っていくという流れになるわけであります。遠いイギリスというこれまで縁もゆかりも無かった国で起こった産業革命が徳川300年という幕藩体制を揺さぶり目を覚まさせるわけであります。

2013年9月18日水曜日

歴史認識のためのお勉強

 グンとすごしやすいというか寝やすい季節になってきました。今日も引き続き江戸時代の終わり頃から現代までの歴史の事を自分なりに調べて自分のためだけにアップしようかなと思っていたのですが、あたり前といったら至極当然の事でありますが、なかなか難しいのであります。それでも自分で思いつくだけの大きな出来事を羅列してみました。ただそれぞれの出来事の年を調べていないので、調べ次第にアップしていくことにしました。これまで一度もこんな作業をやった事がなかったので、それなりに勉強になります。
 以前に「大草原の小さな家」にハマっていた時に、日本では何時の時代に当てはまるのかに興味があって調べたのですが、”1836(天保7年)1月10日、チャールズ・フィリップ・インガルス(とうさん)、ニューヨーク州キューバで生まれる。1月3日に坂本龍馬が生まれる”となっております。ローラのとうさんと坂本龍馬は同い年なのでありました。こうやって自分の興味ある出来事と比較してみると歴史が俄然わかりやすくなってきます。
 イギリス(1760年)で起きた産業革命から70年後に龍馬もチャールズも生まれているのです。産業革命前と後では世界がガラッと変わってきます。それまでの農業を中心とした世界から工業を中心とした世界になって行くんですね。司馬史観では龍馬が明治維新での大きな役割を果たしていくわけでありますけども彼らが生まれてから31年後の1867年に明治維新が起こるわけであります。龍馬は明治維新を見ることもなく死んでいきますが、チャールズはまだ31歳ですから生きていますね。本当はこの時点でローラたちは何をやっていたのかを調べるとオモシロイのかも知れません。まだ旅をしているのかも知れません。
調べてみました。
 1867年2月7日、ローラ・エリザベス・インガルス、ペピンで生まれる。ローラは明治維新の年に生まれているのです。ですから、まだ旅には出ていないことになります。ニューヨークの近くの小さな森の小さな家で暮らしているのであります。

 それまでの日本は300年近く徳川幕府体制できたわけでありますが、その体制を維持できなくなって大政奉還となるわけでありますが、その原因にはイギリスの産業革命というものが深く関わっていることに気づかされます。本当はもっと深く産業革命の流れを追求すべきなのでしょうけれども、私にはそのような根気も能力も無いので、後で少しずつ追加するという形でやって行きたいと思います。
 現代の私達のライフスタイルの原型を形作ったのも産業革命以降ですから実に重要な出来事だったのだと思います。イギリスが東インド会社を設立して実質的にインドを支配したのはいつの時代だったのかも重要なキーワードになってくるような気がします。

【本日のまとめ】
  • 1867年(慶応3年)大政奉還
  • 1836年(天保7年)1月10日、チャールズ・フィリップ・インガルス(とうさん)、ニューヨーク州キューバで生まれる。1月3日に坂本龍馬が生まれる
  • 1760年代から1830年代イギリスの産業革命
  • 1600年徳川幕府始まる

2013年9月17日火曜日

歴史認識というけれど、私はまったく歴史など知ってはいなかったのです。

 最近良く聞く言葉が「歴史認識」というやつであります。これまで、あまり気にしたこともなかったのですが、あまりにひつこく云われるものですから、ちょっとだけ考えて見たのです。
そういえば中学・高校でも精々明治時代ぐらいまでの歴史しか学んでこなかったなと思ったのです。太平洋戦争に突入して敗戦濃厚な時期に、アメリカに無理矢理原爆を落とされて、あれよあれよという間に「鬼畜米英」を叫んでいたのに、いつの間にか米国の同盟国になって、東側と戦うとか戦わないなんて云っている間に東側が消滅してしまっていました。そして今や中国や韓国にヤンヤンと反日を叫ばれる立場になってしまったぐらいの知識しか持ちあわせていなかったことに気づきました。
 また唯一の被爆国だというのに、原子力発電所を日本中に建設しまくり、挙句の果てに爆発させてしまっています。そして、その原発を事故原因もまだほとんどわからないままに世界中に総理大臣がセールスの先頭に立って売りまくるというのですから、自分のほっぺたをつねってみたくらいであります。

 あれ?話がおかしな方向にいってしまったな。結論からいえば、私は歴史のことなんてまったく知っていないのではないかということであります。歴史といってもあまりに膨大ですから全部を理解することは不可能であります。せめて明治維新ぐらいから現代ぐらいまでの歴史を調べて自分なりに解釈してみたいなという思いにかられています。
 歴史っていうのは自国の歴史だけを羅列していってもあまり理解できないんですよね。自国の歴史に関係する国の歴史も並べていくと結構理解できるのではないかと思うのでそのあたりも簡単に集めてみたいと思っています。
 明治維新あたりからと書きましたが、明治維新って何年なんでしょうかね。まずはそのあたりからですね。
 とっても乱暴ですが慶応3年(1867年)の大政奉還ぐらいからを明治元年というみたいですね。中国は清の時代ですね。韓国は李氏朝鮮時代ですね。私はバカだから韓国はそのころ「朝鮮」という独立国家だったと思い込んでいたのです、そして朝鮮戦争を堺に北朝鮮と韓国に分裂したのかと思っていたのでした。国名も韓国ではなくて大韓民国というのですね。世界の近代国家で「大」なんて字がついているのは韓国だけだという記述をどこかで読んだ気がするのですが、本当でしょうか。
 だからって別になんてことないですけれどね。日本も昔は大日本帝国と言いましたからね。そういえば大英帝国ともいいましたね。あ、でもそれってかなり昔のことでありますけど。これは後から調べなくてはと思いますが、この「帝国主義」というものですね。「帝国主義反対!!」なんていう言葉もよく聞きますが、これもイマイチわかってはいないのであります。たぶん植民地主義と同意義なのかも知れません。実に曖昧部分であります。
 日本は徳川300年の体制を壊してなぜ明治維新なるものを起こさなければならなかったのかというところも調べてみる必要がありますね。ところでイギリスの産業革命はすでに起きていたのでしょうか。起きていたよね、だって確か黒船って蒸気船ですからね。あれが来航して日本は蜂の巣をつついた騒ぎになったのですからね。
 ここで今夏の四国旅行が活きてきますね。そうです、坂本龍馬が大活躍ですからね。でも坂本龍馬ってのは司馬遼太郎先生が発掘した人ですからね。そういえば愛媛ってのも司馬遼太郎先生は「坂の上の雲」で大きく取り上げていました。松山は今回はたんに素通りしただけのことだったのですけど。
 イギリスの産業革命1760年代から1830年代とありますから日本で1867年に大政奉還が行われたわけでありますから、かなり前の話なんですね。オランダやフランス、ドイツ等々の欧米列強が追随してきますからこのあたりの情勢も広く浅く知って置く必要がありますね。それに帝国主義がどうも絡んできそうですね。

本日のまとめ
  • 1760年代から1830年代イギリスの産業革命
  • 慶応3年(1867年)大政奉還

2013年9月11日水曜日

そうか昨日今日のやる気のなさは体調のせいなのかと・・・・

 うーん、昨日の「なにもかにも面倒で・・・・」というやる気のなさはどこからきていたのだろうか。本日はそんなことは無さそうであります。心の状態というものは、まったくあてにならないから困ってしまう。
 と、朝方書いたのですが、それ以降やはり体調がすぐれず、お昼すぎには、なんとなく熱ぽいような気がして布団を敷いて本格的に寝てしまった。明るいうちに本格的に寝いってしまうことなど滅多にないことです。目覚めたら薄暗くなっており、部屋の明かりをつけて、枕元の時計をみると「6時」であります。完全に寝ぼけていました。「もう、朝の6時か、そろそろ置きなければ」と、夕方の6時だと気づくまでは、それほどの時間を要しなかった。苦笑しながらノロノロと起きだす。
 そんなもんだから、ブログも書けず、お絵かきの練習などはどこか遠い世界に行ってしまいました。そうか昨日今日のやる気のなさは体調からきているのかも知れないと思い始める。

2013年9月10日火曜日

すべてが面倒に思えた一日でありました。

 夕方、またも、取り込み忘れてしまった洗濯物を慌てて回収作業をやっていると、最近ぐんと勢いの増した鈴虫の合唱のなかに、ほんの少しだけどひぐらしの鳴く声を聞くことができました。やっぱり物哀しい声でありました。秋めいてきた時節に聞くとより一層感慨深くなってなってしまいます。
 洗濯物は取り込み忘れ、毎日練習しようと思っていたお絵かきソフトは結局本日はサボってしまい、なんだ結局やったのは昨日ほんの1時間ほどのことでありました。明日は必ずやるぞと固く決意はしたのですが、はてさてどうなることやら。
 それに、このブログも書こうと思ったのだけれども何のネタの準備もしていなかったので、気が重いのであります。それでも、気を取り直して、玄米2合の精米をやり、圧力鍋に仕掛けて20分ほど水に浸して5分ほどで炊き上がりました。電気炊飯器に比べるとかなりの時間短縮であります。
 本当は久しぶりに「ヒーハーカレー」でも作ろうかなと思ったのだけれども、カレールーが見当たらないのでやめておいた。本日は何に対しても面倒な一日だったので、カレールーを買いに行くなんてのはもっともっと面倒に思えてやめにしておいた。
 ま、ご飯だけ炊いてあれば、他はなんとかするだろうと思い、ビールでも呑んで早めに寝ることにした。


2013年9月9日月曜日

写真の切り抜きはどうにかできた。

お絵かきソフトの能力が、しばらくやらないでいたら0に戻っていたことを深く反省しまして、またコツコツと1からやり直すことにしました。
 まずは写真のある部分を切り抜くことができるかということです。もうほとんど忘れていたのですが、単純にマウスで範囲指定をして、切り抜きを実行したらできました。
 写真加工では切り抜き作業って結構大事ですからね。
 ある写真から人物を切り抜いて、他の背景画像に貼り付けて合成するってのは、かなりの回数やってきたのですが、これもすっかり忘れてしまっています。散々やってきたのですから、そのうちに思い出すことでしょう。
上の写真からもっと狭い範囲を選択して切り抜いてみました。もっと極端に大きく切り抜いたほうが良かったかも知れない。
 トリミングと切り抜きの違いがまだ良くわかっていないのだけれども、こうして遊んでいるうちにわかってくるだろうと思う。
 とにかく毎日遊ぶことが大事だと思います。そして決して空白期間を作っていけないということも。

 これらの写真は本日アップした足摺岬の灯台から撮影したものを元
にして加工してみました。

毛布の暖かさが恋しくもなる季節です。

昨夜は雨が断続的に降り続けました。こうして一雨ごとに季節は確実に秋に向かっていきます。寝る時には毛布の一枚が欲しくなる季節になりつつありますね。これで夜が一段と寝やすくなりました。昼間は暑くても寝る時にも、その暑さが続いてしまうのはかなわないのでありますから。
 鈴虫が盛んに鳴く季節となりましたが、思い起こしてみれば、今夏はひぐらしの声をほとんど聞くことができなかった。お盆が過ぎて四国旅行から帰ってきたあたりから、あの物哀しいカナカナカナを聞くことができるかも知れないと期待を寄せていたのだが。
 どうなんだろうか、まったく虫の生態に詳しくないのだが、もうひぐらしの声を聞くには季節は進みすぎているということなのだろうか。そうとしたらちょっと残念な気がする。

 私が晩酌をやっている傍らで、妻が四国旅行で無料で配布されていた旅行地のパンフレットを広げて、「ああ!この足摺岬が案外良かったわね。」「桂浜の龍馬の像には感動したね。」と独り言なのか、私に同意を促しているのか判断がつかない調子で話をしている。もうあれから2週間も過ぎているのに彼女はまだまだ旅の空の下にあるのかと・・・・・。
 私は車も修理したし、秋にはどこに遠出をしようかということで頭が一杯である。すでに四国旅のことは果たして行ったのか行かなかったのかというぐらいに曖昧なものになろうとしていたのです。
 そうか、旅の楽しみ方ってのは後で、あそこは良かった、あれも食べたかった、この場所を逃したのが残念だったね。なんて具合に思いでに浸るってこともあるんだなと思って聞き流していたが
 「ねぇ、もう一度四国に行ってみましょうよ。」
 私は思わずのけぞってしまった。別に四国が嫌いで行きたくないわけではないのだが、行って帰ってきたばかりの時に、再びまた行ってみようという発想にはたまげた。でもそう云われてみれば、それも正しいような気になってくるから不思議だ。もう、四国は勝手知ったる我が家というほどではないが、一度大雑把に周っているから、今度はもっと、ずーっと旨く周れるぞというような自信が生じていることは確かであります。それも悪くはないなと思うのでありました。

 土曜も日曜も、そして月曜もほとんど変わらない生活パターンっていうのもなんだか味気ない気もするが仕方のないことでありますが、やはり月曜日の朝ともなりますと、なんとなく引き締まった気持ちになっているものなのです。いつまで続くのかはわかりませんが。

2013年9月8日日曜日

はるちゃんのうま煮ソバ

 やはり、朝早くからテレビは東京オリンピックで騒がしかった。予想があまりに的中しているので自分でも笑えてきた。テレビに映るのはバンザイ!バンザイ!!の一色で、よくあれだけ喜べるものだと感心してしまう。ま、カンケイないか。

 修理から戻ってきた車の試運転を兼ねて、松戸の珍来まで「はるちゃんのうま煮ソバ」を食べに妻とでかけた。先日、長男と二人だけで食べに行ったのがバレてしまったので仕方がなかったのであります。
 前にも書いたのだが、松戸の珍来は抜群に旨いほどではないのだが、ギリギリセーフで普通の味を保っている。ただ量は多い。最近はラーメン屋さんのラーメンもいいのだが、中華料理さんで出すラーメンに郷愁を覚えて食べたくなっているのであります。今回で2回めのうま煮ソバはもうそろそろいいかなと思っています。同時に珍来ももういいかなという感じであります。
 昔はああいう従業員が多かったよなって感じの従業員が松戸の珍来にはたくさんいます。なかには愛想が良くて感じのいい人もいるにはいるのだが、今では珍しくなった無愛想な絶滅危惧種のような従業員がいるのです。
 別に私は特段気にはならないのですが、あまりに社員教育ができていない様子を窺い知りまして思わず笑ってしまいました。
 田舎の食堂には良くいらしゃるタイプの人達です。これはこれである種のノスタルジーを感じて良かったですよ。皮肉でなくてマジで。

車上生活車 暁(あかつき)号 原案

久しぶりに画像ソフトをイジクってみて愕然としたのであります。あれほど練習してなんとか描けるようになっていたのに、まったく忘れてしまっていてセイゼイ文字を原画の上に載せることしかできませんでした。また、最初から学習のし直しのようであります。
 お絵かきだけは頭だけで理解してもダメなようであります。どんなことがあっても体が忘れないというぐらいに徹底して反復練習をして叩きこむ以外に道はないようであります。また、今日からやります。諦めない限り希望はあるのですから。今回は本当に油断しておりました。深く反省しなければいけないようであります。

 さて図にあるのは車上生活車 暁(あかつき)号の最後尾の部分であります。普段はこの姿を見ることができません。なぜなら全体が幌で覆われているからです。幌で全体を覆うことによって防水に神経を尖らせる必要がないという利点もあります。
 また、生活臭も覆い隠せますし、他の人に無用の警戒感を抱かせることもないように思われます。一見すればまじめな運送屋が汗を流して働いているように見えるからであります。
 サブバッテリーは2トン車ですと、ボディ下に結構埋め込むスペースがあるのを町の駐車場に行って運送屋さんの車で確認してきました。最低でも4個ほどのバッテリーをぶら下げるスペースがあるようであります。4個もあればかなり長期間、間に合うように思っています。足りなかったら床下収納部分に何個でも設置できます。いかに大量の電源を確保できるか否かが車上生活を快適に行えるかの成否を握っているような気がします。

 これは一度実車を元にして原寸でベース画を描いておく必要があるかも知れませんね。今回の落書きは何も考えずにこんな感じかなと思って書いただけでありますから、実装するとなるとかなりの箇所に矛盾が生じてくるような気がします。結構難しいですね。
 どこかで実寸を表示している車の図面を手に入れなければいけないかも知れません。

たまたま日曜日だっただけの話

 夜中にトイレに起きて、時計を見ると1時近くでありました。さすがにまだ起き始めるのには、いささか早いだろうと思い、2度寝を決め込む。最初はなかなか寝付かれなかったが、次に起きたのが4時近くで、こんどは迷わず起床することをきっぱりと決断する。最近インストールしたばかっしの、ボブ・ディランの2枚組CDTell Tale Signs: Bootleg Series 8 (W/Book) (Dlx) [Deluxe Edition, Import]を家人に怒られないように最新の注意をはらい静かに流す。これがまたいいのです。しばらく何もしないで聞き惚れる。ここしばらくはこのアルバムにハマるかも知れない予感。

 猛暑の時は設定温度を28℃にしてエアコンを回して、涼しいなと感じていたのだが、朝方ちょっと暑いかなと思って温度計をみたらなんと26,1℃でありました。ジジイになってしまって温度の感覚が狂ってしまったのかと苦笑しながらも扇風機の微風スイッチに手が伸びた。あれ?湿度はどうなんだと、あらためて温度計に目をやったら73%もありました。エアコンは除湿を一生懸命にやってくれるから設定温度が高くても、涼しく感じられるのだろうと一人合点した。

 昨夕ディラーから修理し終わった車を、まだ一度も試乗していない。ハンドルのギアボックスがいかれてしまって不具合を起こしていたのだが、そんな車で2000km近くの四国旅行を敢行したために、まだ新しい前輪2つが内側のワイヤーが出てしまってオシャカになってしまった。そのタイヤもついでに取り替えた。高くついた四国旅行であった。普段からのメンテナンスがいかに大切かが身にしみた一件でありました。ディラーの工場長にあの車でよくそれほど走れましたねって呆れられたけど、昔はもっとひどい車も平気で乗り回していたのだからどうってことない。なんてことを書くと周囲からは非難轟々の雨嵐が吹き付けてくるので、ここでは書かない。ってもうすでに書いているではないか。こういうのをバカという。

 すでに5時になったのでTwitterを開いてみると、東京オリンピックの開催が決まったようです。これからは永遠にマスコミが馬鹿騒ぎをするのかと思うとウンザリする。あの猪瀬のドヤ顔をこれ以上みたくないなと思うが、賢い東京都民の皆さんが選んだのだから私に文句をいう資格はないので、せいぜいリモンコンをクルクル回しにして、なるべく見ないようにする。これで益々テレビを見なくなるだろうなと思う。まったく私には関係のないことではありますが、せめてイスタンブールでやってくれれば良かったのにと思う。もともとオリンピックなんてものをまじめに見たこともないので、どこか他所でやってくれと思っているだけの話なのですが。

2013年9月7日土曜日

車が修理から上がってきた。

 ここのところ確実に涼しくはなってきていますね。エアコンのスイッチを入れる機会も格段に減ってきたような気がします。ややもすると扇風機も回っていない時が多くなりました。
 昨夜はそれほど酒量を超すこともなく、おかげで本日は平和な休日になりました。メデタシメデタシであります。昨日は乾いた洗濯物が山のように重なっているのを見て、最初からタジロイでしまって畳むの放棄したのですが、その嫌になるほどの洗濯物の山を妻は30分ほどで何事もなかったように片付けてしまった。恐るべしであります。私は自分の役に立たない姿を、まざまざと見せつけられてしまって、かなり意気消沈してしまったわけであります。やはり俄(にわか)主夫ではそれほど役にはたたないものなのだと自覚したしだいであります。
 午前中にホンダが車を取りに来て、夕方には部品を取り替えてすべて旨くいきましたの電話をもらってほっとする。それでダメだったら2次的な修理をやることになっており、その修理をすると20万円近く費用がかかると云われていたので一挙に緊張が解けてしまった。本日から安心して車中泊ができる環境になったわけであります。といってもまったく出かける予定はないのですが。

 今日は格別の話題が思いつかないのでありました。四国旅をやっている途中で道の駅が掲載されている地図があったほうが便利だということになって、道の駅インフォメーションで探したのですがひとつも見つけることができませんでした。
 東北とか、北陸だと道の駅の一覧表になった地図が結構用意されていて、各道の駅で無料で配られているのですが、四国では作られていないらしく結構真剣に探しましたけれどありませんでした。道の駅検索ツールも持っていたのですが、これが案外面倒です。そんなものより一枚の地図上に書いてあるヤツのほうが数倍使い勝手がいいのであります。
 道の駅で探して見つからなければ、本屋さんで購入するしかありません。コンビニも数点覗いてみたのですが、ありませんでした。さて、都会では大手の本屋さんが撤退してしまって中々探すことができません。地方だったら益々探せないだろうなと思いながら、あまり期待をしないで走っていました。
 最初は「古本・CD・DVD買取ります」という看板の本屋さんはたくさん見つかりました。やっぱりね、ああいう本屋さんには地図なんて売ってないものだと思いながら、ものは試しということでブックオフに入ってみましたが、予想したとおりに置いていませんでした。ま、しょうがないかということでアキラメていたところ、あったのです、それが結構大きな本屋さんでありました。
 中に入ってみると見かけよりも、もっと広大で、なんだか嬉しくなってしまいました。おっとアブナイ、ヘタするこの本屋さんに半日でも一日でも居続けてしまいそうな気がしたので、他の本をなるべく見ないようにして、店員さんに道の駅が載っている本はどこにあるのかを聞き、それを手に持って一目散にレジに向かいました。
 最近は本を購入するのはネットだけになってしまって、本屋さんのなかを徘徊するということがまったくなくなってしまったので、本当は時間をかけて丹念に他の本も物色したかったのですがそれをやっていたら四国なんてほとんど回れなくなってしまいますので断念しました。
 それで、それ以降結構ちゃんとした本屋さんというのが気になりながら走ったのですが、それが結構あるんですね。それもかなり大型の書店が。都会よりも地方のほうがなぜか大型書店が多いように感じたのは気のせいでしょうか。結構な距離を走り回っていますから、ひょっとしたら錯覚なのかもしれません。

2013年9月6日金曜日

次に車を買うのなら、2トントラックのワイドボディーでセミロング

 夕方、陽が陰ってきてから、洗濯物を取り込むことを忘れていたことに気がついて慌てて取り込みました。取り込んだ洗濯物はいつになく多くて山のようにでありました。それを畳むような気力は、すでにありませんでした。
 明日は妻も休みだからということで知らんぷりを決め込んでしまいました。今日はなんだか知らないけれど洗濯機を3回もまわしたのでありました。お天気は朝のうちはどんよりとしていて、途中で雨でもこぼれてくるような雰囲気もありましたが、お昼すぎにどうにか持ち直したようであります。
 なんとか今週もようやく終わりであります。今夜は呑み過ぎないように注意しないとね。ふーん、また出来そうにもないことをホザイていますよ。

 四国旅でも気がついていたのですが、車のハンドルの調子が悪くて、しょうがないので明日ディラーに持って行ってもらって修理することになりました。もう12年ほど乗っていますからね、これからあっちこっち壊れてくるのでしょう。ただ普段はほとんど乗っていないので、走行距離はまだ10万キロには達していないのであります。今の車だったら軽く20万キロは走れるのではないかと思ってはいるのですけれども、どうなるかはわかりませんね。
 今度買うのであれば、もし許されるのであれば、2トントラックのワイドボディーでセミロングがいいなと思っているのです。多分大反対されるでしょうけれども。それで、2メートルぐらいの高さの幌を被せるのです。そうです、「大草原の小さな家」に登場してくる幌馬車ですね。
 ワイドボディというのにも意味があります。私の身長が1,8mありますから、なんとか2段ベットを横にして入れたいのであります。入らなかったら縮めてもいいのですが。床下は60cmほど上げて全面収納庫にします。半分を畳敷きにし、残り半分をフローリングにします。本当はロングボディでもいいのですが、あまり大きいと街場のコンビニに入れなくなりますからセミロングなのであります。それだけのスペースがあれば、発電機から冷凍庫から流し台から全部置くことができます。屋根は全面ルーフキャリアにして、ソーラパネルを4枚ほど設置できるようにします。それから水タンクも設置します。これで快適な車上生活が送れると確信しているのであります。外観は運送屋さんのように絶対に目立たいようにするのです。絶対に目立たないというのが車上生活者の鉄則なのであります。
 なんで冷凍庫なのかといいますと、発電機を使わなくてはいけない時に冷凍庫に2リットルのペットボトルを3本ほど入れて冷凍してしまうのです。それをクーラボックスに入れて冷やせばいいのです。常時冷蔵庫に電気を使うといのは避けたいと思っているのです。ソーラ発電の威力次第ということですね。サブバッテリーを6個ほど設置するのであれば、家庭用の冷蔵庫を置くということも考えられますけれども。
 外観は幌でもいいのですけれど、内側に家を作っても良いような気もします。家というよりも部屋ですね。その時は周囲はウレタン断熱パネルを使って冷暖房効果が上がるようにして、家庭用のエアコンを設置するのです。室外機を設置する場所ももちろん確保します。その時はプロパンガスのボンベも20kgのやつを2本立てます。プロパンガスボンベは5kgまでが室内で使用してもいいという法律があるのです。家の外に置くのであれば20kgボンベでも可能なわけであります。また発電機も室外に設置すれば、走行中も発電することが可能となるわけであります。
 この計画は、かなり実現性があると思うのですが、このようなことをやっている人にお目にかかったことがありません。それに妻には大反対されるのが目に見えるような気がします。それほどお金もかからないし、実用的だしいいと思うのだけれども、皆さんはどう思いますか?。

 こうして私の妄想はどんどんと膨らんでいくのであります。

2013年9月5日木曜日

車上生活は大草原の小さな家から大きな影響を受けたのです

 昼ごはんはいつも自分で作って食べているのだが、最近ネタ不足でもあるし、張り切って料理をする心境でもないので、昼ごはんを作るのが面倒に思われて、近くのスーパーに昼ごはんを買いにでかけた。弁当でもなんでも良かったのだが、480円で見た目は結構良さげな寿司が売られていたので、それにした。自宅に帰ってからおもむろに食べたてみたが、まずくもなく、それなりで満足でありました。この満足のなかには自分で作らなくて良かったという気持ちが半分以上込められている話であります。

 「大草原の小さな家」は私に大きな影響を及ぼしました。何年か前に古本で全冊と関連本を集めました。分類からすれば児童書に分類されて、小学校3年生ぐらいでも楽に読みこなせるものであります。版権の違いなのか二つの出版社から翻訳本が出版されています。うーんこの説明はわかりにくいですね。シリーズとしては確か10巻ほどあるのですが、その半分が違う出版社で違う翻訳者であったのです。最初そんなことは知らないで同じ出版社の奴を集めようと躍起になったのですが、最初からそのように出版されていたのですから到底無理なこととわかったのは、かなり後になってからの話であります。
 NHKで時々放映されるテレビドラマはチャールズ・インガルス役(ローラのお父さん)の人がなんと脚本・監督・出演をしているのだそうです。これも後になって知りました。
 それでこのドラマが放映された時はアメリカを二分するほどの大論争になったそうであります。その脚本があまりにも原作と違っていたために起こった論争であります。それは頷けますね、むしろ原作とドラマは別物と割りきっていたほうがいいような気がします。私は原作のほうがドラマよりは何倍も好きですけれども、「大草原の小さな家」を知ったのはテレビドラマですからなんともいえません。
 最初はニューヨーク近くにあった小さな森から、西部の広大な農地を求めて、一家5人と一匹で幌馬車に揺られて旅することから始まるのですが、これこそ車上生活の見本みたいなものであります。読み進めていって気になるのは、旅するときの資金の問題であります。いくら私のように自分で笑ってしまうほどの貧乏人が、ケチケチの車中泊でのたった6日間の四国旅であっても、それなりのお金はかかっているわけであります。まずは燃料代ですね、それから往復の高速料金は基本的にケチることはできませんからね。
 インガルス一家の旅は最初は2年間ぐらい続くのであります。旅をしなくても一家5人と一匹が食べて行くのにはそれなりの資金がなければいけないわけであります。
 時代は明治維新ちょっと前のことであります。アメリカは西部にフロンティアを求めて鉄道建設も始まっていました。先住民のインディアンとの戦いも少し収まりつつあった時であります。乗り物は2頭だての幌馬車であります。高速道路もまだありませんから当然料金もかかりません。馬ってのは実にヨロコバシイ乗り物なんだとここでウスラバカは気づくのであります。だって水とそこいらに生えている草があれば済む話でありますから。うーんこれに参ったね。現代の私にはとてもマネのできないことでありますから。
 では生活費はどうしたのかといいますと、チャールズは猟師ととしての腕もいいのです。肉は食料に皮はなめして小麦や他の必要な食料との物々交換なのであります。丹念に読んでわかったのですが、その他はアルバイトなんですよ。大工としての腕もいいので、家造りを手伝ったり、家具作りをやったりして糊口をしのぐわけであります。西部鉄道の管理人をしている時代もあったりします。チャールズは農場経営をやりたくて大草原に分け入っていくわけでありますが、農業ではそれほど成功していないのです。残念ながらインガルス一家はかなり早い時期に消滅してしまって、今はその子孫は一人も残っていません。
 前世の俺はひょっとしてインガルス一家の誰かだったのではないかと思っている今日このごろなのであります。

ソーラ発電キットなるものを発見した

 朝から雨模様で洗濯ジイさんとしては、昨日から天気予報をまったく見ていなかったので、いささかたじろいでしまった。仕方がないので部屋干しにして、扇風機を最大の強にして回し続けておいたが、午後になってしばらくしたらお日様さんが顔をだしたので、慌てて外に全部の洗濯物を出しました。なんとかそれで夕方には乾き上がったようであります。明日はどうなんだろうかとチラッと心をよぎるが天気予報を確認するのが面倒だったのでそのままであります。明日の天気がどうであろうが、そんなこととはお構いなしに洗濯はしなくちゃいけないわけでありますから。


 ソーラ発電キットなるものを発見した。写真はたまたまヒットしたやつを掲載しただけであります。他にもたくさんのキットが発売されているのを知る。なぁんだこれらの製品を使えばいいだけのことではないかとちょっと安心する。
 値段もそう高くない。別に売電しようとも思っていないし、家中の電力を賄おうとも思っていないのであります。将来車上生活する時のために実験をしてみようと思っているだけの話であります。果たして現在持っているサブバッテリーシステムでパソコンをどこまで連続動作をさせることができるかというのが一番の課題なのであります。必要とあれば増強しなければならないだろうけれども実際に生活をしてみなければ見当がつかないのであります。
 メールチェックやネットサーフィンをするだけなら、それほど大げさな電源を必要とはしないだろうけど、大量の画像処理もするし、動画編集なんてのはあたり前だし、プログラミングも普通にやるとなると家にいる時と同じぐらいの環境が欲しくなるのであります。
 車中泊で1週間ほどの旅行であれば、まったくそんな事を考えなくてもいいのだが、最短でも2,3ヶ月、最長で2,3年周期の車上生活となるとそうはいかない。それにスキャナーやプリンターも必需品となるだろうから現在自宅で使用している環境にできるだけ近づけなくてはならないだろうと思っている。早い話しが現在の4畳半の仕事部屋をもう少しコンパクトにして移動することを考えているのであります。
 車上生活はもろに生活空間の移動なのであります。モンゴル草原をゲルに住みながら移動して放牧の仕事をしている遊牧民を参考にしているのであります。向こうはゲルという簡易ハウスを使用しているが、こちらは車を家として使用するだけのことであります。
 最近の遊牧民の生活必需品はソーラパネルに衛星放送受信用のパラボラアンテナみたいであります。当然液晶テレビも備えていますね。なんだか羨ましくなってしまいます。前世はモンゴル人だったかのかも知れないと本気で思う今日このごろであります。

 これまで、数えきれないほど車中泊で旅をしてきましたが、行く先々でキャンピングカーで旅をしている団塊世代に遭遇します。半分以上羨ましいなと思わんでもないけれども、あれは1年ほどしたらきっと飽きるだろうなと思うのであります。
 そのペースにもよるだろうけれども半年もすれば楽々日本一周ができてしまうと思う。退職金の大枚をはたいて高価なキャンピングカーを手に入れて最初はワクワクドキドキだろうけど、それも最初だけの話だと思う。少なくても私はそんな生活にはすぐに飽きてしまうと確信していますし、もう散々車だけで旅を続けてきているのでわかるのです。
 私の場合は旅はどうでもいいでのです、たんに生活する場をちょっとずつ変えるというところにあります。ですから自立した電源のシステム構築が成功の大きなカギを握ることになります。これらのシステム構築は自宅で数々の実験を重ねることができるのであります。それらをやってみようと思っているだけのことであります。
もちろん遊びであります。

2013年9月4日水曜日

デンヨー・プロパンガス・インバーターエンジン発電機/AC100V850W。DC12V/8.3A/GE-900P

 明け方近くに雨が降ってきた。昨晩は窓を全開にして寝たので雨音が枕元で聞こえる。普段なら起きる時間なのだが雨音を聞きながら寝るのも久しぶりだと思い、惰眠をむさぼることにする。日中はまだまだ暑いけどこうして確実にすこしだけ秋が深まったことを感じることができた。

 先日友人の幸男ちゃんとハル君が来訪した際に松戸の「珍来」でハル君はうま煮ソバなるものを注文して喰っていたのが、とても旨そうだったと書きましたが、それをどうしても食べたくてチャンスを狙っていたのです。
 長男が本日は休みということでお昼に誘って、松戸の珍来に行きまして、念願のうま煮ソバを食べてきました。珍来は全般的に量が多いので覚悟をしていたのですが、やはりかなりの量でありまして、おまけに片栗粉でとろみをつけてありますので、アジくてアジくて今回も麺に辿り着くまでに四苦八苦しましたが、念願であったうま煮ソバは完食しました。結構旨かったであります。
 「ハルクーン、とうとううま煮ソバ 喰ったどー!!」


 このような発電機を発見しました。一番最初に発見したのは違うメーカーのものでありましたが、ひょっとしてデンヨー社のものはないだろうかと検索してみましたら、奇跡的にあったのであります。5kのガスボンベが別売りになっていますが、このガスボンベ4年ほど前に購入してあったのです。当時の値段は忘れてしまいましたが、確か中味のプロパンガス込で15,000円ほどだったと思います。
 知り合いの燃料やさんから購入したので、かなり安かったと思います。それでこのボンベを秋田で百姓をやっている時に持って行きまして炊事に使っていたのですが、途中でガスがなくなってしまって、秋田市内のガソリンスタンドで充填して貰ったら足元を見やがって4,000円ほどふんだくられた覚えがあります。これはカセットガスと違って火力も強いので家庭用のガスレンジと同じように使うことができて便利であります。
 キャンピングカーなどではこのボンベを2本つけて片方のガスが無くなったら、充填してもらうという風にしているようであります。ただ風の噂では、このボンベに充填してくれるガス屋さんがいなくなったということを聞きます。どうなんでしょうか。
 この発電機を採用するかどうかはまだ未定であります。というのも、ガソリンか軽油であれば手軽に入手できますが、旅先でプロパンガス屋さんを探すというのもシンドいような気がします。
 それに燃料系は分散しておいたほうが無難なような気もするのです。一時期オール電化というのが流行りまして、私も一時期本気でそれを考えましたが早まらなくて良かったと思っています。
 現在は電気と都市ガスと非常用にプロパンガスというように分散するようにしています。その他にも5升炊きのプロパンガスの炊飯器も持っているので、災害時は隣近所にいつでも炊き出しができますし、ラジオは3個それにテント3張りにタープ2張りに寝袋に大量のブルーシートにと災害時に力を発揮するものをかなり持ちあわせていることに気づきます。その他にもランタンが10個に充電式の乾電池数十個にテレビも映るサブバッテリーも1個ですからね。もっと数え上げればまだまだありますね。炭だとか、七輪だとか、そうだ銀マットってのもかなりの枚数持っているな。
 今ではほとんど使わなくなってしまったものばかりですが、これほどの資材を持っているのは近所に誰もいないでしょうから、恐らくかなり感謝されることだと思います。
 そうか、これにソーラ発電にガソリンか軽油使用の発電機を持っていれば完璧に近いものになりますね。

 車上生活の事ばかり考えていたのですが、そうじゃなくて災害時にもかなり役に立つことばかりだったのだとこの瞬間に気がついたのでありました。

2013年9月3日火曜日

東電と政府の脅かしから逃れたいのですが

 モバイルハウスでの生活を想像する過程でインフラのひとつである電力の自給ということを少し考えた。そして、日常の生活でも、せめて電気の呪縛、いや東京電力からの呪縛から解き放されたら、どんなにか嬉しいことだろうかと考え始めたのでした。せめて私一人でもそれができたなら、世の中をみる目が違ってくるのではないかと思えてしょうがないのです。でも、家族の中で比較してみても私ほど電力の恩恵にどっぷりと浸かって生活をしているのはいないのでありました。

いつもいつも、
 「お前らワシラが作った電気を使わなければいきなり文明から取り残されてしまうんだぞ。」
 「お前らの生殺与奪はワシラ東京電力を初め電事連が握っているんだぞ。」
 「原発が稼働していないし、石油の値段が上がっているから、電気料金の値上げは当然だろ。嫌なら使うな、嫌なら原発を稼働させろ」
 「これこれ、頭が高いぞ、東電様のお通りだーい。」

 と毎日毎日脅かされているのが正直辟易してきているのであります。

車上生活ではなく「モバイルハウスでの生活」とすると聞こえはいい

 車上生活というとなんだかホームレスの延長のように捉えられてしまいそうなので、「モバイルハウスでの生活」という言葉をでっち上げてみました。なんだって物はいいようですからね。この言葉で都合が悪いようでしたら、もっと違う言葉をでっちあげようかと思っています。いいですよね「モバイルハウス」ってのは。
 現代生活において電気の占める割合というのはかなり大きいものだと思います。自分の仕事をするにも電気が必要ですし、通信設備も電気を必要としています。情報の収集や冷暖房も電気を必要とします。
 一部は電気でないものと代替をすることも可能ですけれども、現代においてはそれは却って厄介なことになってしまいます。例えば暖を取るのに薪ストーブを使うとすれば、肝心の薪をどこで購入するのかという問題になります。もし仮に薪を安価に手に入れられたとしても、それは嵩張ってかなりの重量になってしまいます。それに燃え残った灰をどのように始末するのかというのも問題になります。
 キャンピングカーなどではFFの石油ストーブやガソリンを燃やすストーブを取り入れていますが、これとてファンを回転させて排気ガスを外へ排出させるために電気を必要とするわけであります。

 照明をLEDランタンからロウソクや石油ランプにするということもありますが、狭い車内で裸火を扱うということはかなり危険であります。やはり電気を使ったほうが安全でありますし、各機器も安価にどこででも手に入れることができるのが便利なわけであります。

 だから「モバイルハウスでの生活」とはとにかく独立した電力を手に入れるということが最初の課題となるわけであります。理想とすれば同じ場所に留まって、1ヶ月ぐらいの間、24時間パソコンを立ちあげぱなしにして仕事ができるということなのです。この際冷暖房のことはあまり考慮しないことにします。なぜかといいますと、暑い夏には冷房の必要のない高い場所か、北海道あたりにいるということにします。逆に寒い時期には本州の暖かい場所に移動しているということを前提にするからであります。
 またそれでも耐えられない時には自宅に逃げ帰って冬眠をしてしまうということでありますから、そう深刻に考える問題でもないような気がします。

 そこで昨日到着したのが停電・アウトドア対応 独立型太陽光発電と家庭蓄電であります。モバイルハウスではどうしてもソーラ発電は必需品なのではないかと思い研究してみることにしました。
 結構薄い本なのでありますが、電気関係がまったくわからない私にはかなり難解なものであります。一度パラパラとめくっただけで、こんなもの買うんではなかったという後悔の念が押し寄せてきました。それでも、自分でも笑ってしまうほどの貧乏な私が1050円もの大金を投じたのですから、なんとしてでも理解しなくてはいけません。もう少し電気のことを勉強してみたいと思います。

「新」とつく高速道路はオソロシク快適でありました。

 お早うございます。本日も朝からカラッと晴れ上がりまして、絶好の洗濯日和であります。でも一日中暑そうな予感がしています。空を見上げてみますと、雲の位置が夏よりも一段と高く感じられて気分だけは秋の空であります。

 今回の四国旅行では何年かぶりに高速道路を使ったのでありますが、新とつく高速道路は素晴らしいですね。今回は新東名と新名神の二つの新しい高速道路を走りましたが、車線もかなり広く、路側帯も車線と同じか場所によってはそれよりも広く取ってあり、路面も新しいのでデコボコがまったくなく走りやすかったです。
 またトンネルも特筆するべきものがありました。まずトンネル自体が広く高さも充分にとってありますから、まったく圧迫感を感じないのであります。従来のトンネルの2倍かそれ以上の広さと高さに感じました。それにトンネル内の照明も明るいので走りやすかったです。従来のトンネルに入るとその狭さと暗さからかなりの緊張状態に陥るものでありますが、新東名・新名神とも快適に走らさせていただきました。
 ああいう快適な高速道路でこそ、妻に運転して貰えば私の疲労は半減するのですが、妻は怖がってどうしても運転するとは云わないので、仕方なしに全行程を自分で運転することになりました。一般道路よりかなり道幅が広く少なくても2車線以上、ところによっては3車線の道路はスピードこそ70kmから80kmを出さなくてはなりませんけれども急カーブがあるわけではないので運転しやすいことこの上ないものと思うのですが、どうしてもわかって貰えません。
 それにスピードを出すのが怖いのなら一番左の車線をのんびりと走ればいいだけの話です。そうすれば勝手に後ろから別の車線を使って追い越していってくれますから、これほど楽なものはないと思うのですが。
 むしろ、田舎の一般道のほうがよほど危ないです。片側一車線であれば、制限速度から10kmオーバーぐらいで走っていても後方にビッタリとついて煽られます。これって関西特有なのかなとも思います。こちとらは観光できているわけでありますから、別に先を急ぐ必要が、ひとつもないのであります。
 むしろ40kmぐらいでのんびりと風景を楽しみたいのであります。そのためにきているわけですからね。ある時からハエのように後ろにピッタリとひっついてくるアホ共をまったく気にしないことにしました。
 完全無視を決め込んだ途端に快適なドライブを楽しむことができました。あれで追突されたら、追突するほうが悪いですからね。その時は元示談屋の本領を発揮してフンダくれるだけフンダくってやろうかなとも思ったのですが、そういうワルは関西の方が一枚も二枚もウワテでありまして、当たり屋なんていうのはほとんどが関西から関東・東北に出向いてきて荒稼ぎをしていくのでありました。
 それから、トンネル内でライトを点けないという車が多いということです。田舎のトンネルは照明のないところが多くて真っ暗になってしまっているところでも、ライトをつけないのです。せめてスモールライトぐらいはつければいいのにと思うのですが、ライトをつけると何か損をするとでも思っているんでしょうね。「トンネル内ではライトをつけましょう」なんていう看板は完全無視であります。確かに一々ライト点けたり消したりするのは面倒だし、消し忘れも結構しますからね。ま、好きにしてください。

2013年9月2日月曜日

電気を自給するには・・・

 北国ではもうすでに夏休みが終わっていますが、南の国でも夏休みが終わりましたね。9月に入ったのですからさすがに猛暑もじょじょに衰えていくことでしょう。と書いてはみたけれど、相変わらず暑い日が続いています。本日も午後からは我慢できずにエアコンを入れてしまいました。それでも、稲刈りの話題などがテレビに流れてきますと、そうか秋は近いのだからもう少しの我慢なのかも知れないななんて思ったりもしています。

 車上生活を考えた場合に最初に考えなければいけないことは、自立したインフラということです。特に電力は絶対に自給しなければならないのです。現代の生活においては電気というエネルギーは無くてはならないものになっているのです。それは車上生活においても同じことだと思います。だから同じインフラとはいいながらもいかにして電気の自給をはかるかということが重要だと考えているのです。
 現在の私の車中泊での電気の装備は、ほとんどのものが電池で動作するもので占められています。何か道具が必要になった時には、それは電池で動くのかどうかのかというのが大きな判断基準になっているのです。電気カミソリやノートパソコンや電話等は内蔵電池で稼働します。普段は車の移動中にすべてコンセントにつないで充電してしまいます。だから常に満充電になっております。
 それ以外のものは全て充電式電池動作するようになっています。電池は元サンヨー電気のエネループですけれども。これ等の電池も走行中に全て充電するようにしています。テキスト書きに使うポメラ・LEDランタン・ラジオ・音楽用スピーカー等々ですね。

 車中泊での1週間ほどの生活では、これで不足することはないのですけれども、車上生活となるとこれでは容量が足りなくなってくると思われます。そこで何らかの方法で電気を自給する方法を考えなければならなくなってくると思うのであります。太陽光パネルをつけるのか、発電機を使用するのか、2つを組み合わせるのかという話になっていきます。これが当面の研究課題であります。

2013年9月1日日曜日

朝からダラダラと録画したままになっているビデオを見ました

 9月になってしまいましたね。夏休みも終わりですね。宿題はちゃんと終わらせましたかね。って私にはまったく関係ない話でありました。今日は日曜日ということで、朝からダラダラと録画したままになっているビデオを見まくっておりました。というのも録画用のハードディスクドライブの残りが30%を切ってしまっていますので、余分な番組を削除する必要があったからであります。
 久しぶりにテレビ三昧の一日でありました。なんとか残り40%まてもってきたので、本日はこれにて終了となりました。ああ、ちかれたびーであります。
 人様の作ったものを何も考えずに受動的に見続けたおかげで、面倒なブログを書くという作業がどうしてもできなくて、今日はこのぐらいにして明日また頑張ろうかなと思います。
 ではでは