2011年8月31日水曜日

Apple iPod classic 160GBの使い心地


 日曜日(28日)に茨城遠征から娘を車に乗せて帰宅したら、Apple iPod classic 160GBが届いていた。取るものも取りあえずに、梱包から出すのももどかしかったのですが、とにかくパソコンとの同期を行った。充電にもしかしたら時間がかかるかなと思ったが、最初から充電されていたのか、またパソコンとの同期に時間がかかったので、その間に充電されたのかはわからなかったが、同期が終了した時点では満充電の状態であった。

 さっそく居間の音響装置につないで聞いてみる。はいはい大変満足な状態でありました。ただ参ったのはユーザーインターフェースがシンプル過ぎてなかなか思い出せなかったのであります。その前に何年間か毎日のように使っていたにもかかわらずにです。ま、あれこれ弄っていたらすぐに思い出しましたが。こういうところにもアップルのデザインの良さが顕れているように思えます。

 使い始めて2日目にして、重大なことに気づいたというか、気づかなかったというか。そういえば最初に購入する時に一番気になっていた、ハードディスクの動作音でありました。使い出して2日目に思い出したということは、それまで何も気にならなかったということであります。
 因みにAmazonのカスタマーレビューには以下のような書き込みが目立ったし、価格.comのサイトにも多く見受けられました。
ちなみに160GBのipodclassicからは
完全にHDDが韓サムスン製に移行しているそうで
(120、80GBまでは東芝製も含まれていたようですが・・)
5世代ipod(HDD東芝製で、静か)を使っていた身としては
この「カチッカチッキュイーン」という独特のHDDの動作音が
音楽・動画再生開始時・再生中・曲選択中、むしろ何もしていなくても
鳴るのは非常ーに気になります。
 「カチッカチッキュイーン」の音は最初から覚悟をしていたのですが、これがまた不思議なことにまったく動作音がしないのです。様々に操作して、しまいにはiPodに耳をぴったりくっつけて見ましたが、HDDの回転音すら聞くことができなかったのです。これは不思議でありました。推測するにあまりの評判の悪さにApple社は、そーっと採用しているハードディスクを変更したのだと思われます。私にとってはこの上なく良かったことであります。

 また以前に使っていたJBL on station micro ホワイト ONSTATIONMICROWHTJを机の奥から引っ張り出して、電池を入れて聞いてみました。良かった、壊れていませんでした。車中泊用に以前購入してiPod classicが壊れるまで結構利用していたのです。値段を見てびっくりです。こんなに高いものを絶対に買うはずがないと思ったのです。Amazonの注文履歴を見ましたら、2009/5/30にSANYO eneloop ニッケル水素電池 単4形 4本パック HR-4UTG-4BPと一緒に購入して¥16,290となっていました。現在の値段が¥23625となっていますから、大幅な値上げですね。iPod classicに拘ったというのもこのスピーカーを使いたいというのもありました。かなり強力な音がでるところが気に入ってもいるのです。私の車中泊の強力なグッズのひとつでもあったのです。


 何はともあれ、これでまた旅に出かける楽しみが増えました。ワクワク

2011年8月30日火曜日

ブルーホークス 大洗町八朔祭 (1)(2)(3)











ブルーホークス ちょっとばかし、遅くなったけど。水戸黄門まつりでのパレード


 ビデオカメラでの撮影はまったくの素人であります。じゃあ、カメラの撮影はプロなのかと突っ込まれると困ってしまいますが。しかも3脚を持って歩くのが嫌いなのでいつも画像はブレてしまいます。さらにビデオの編集の専用ソフトを持ってないので、カメラについてきたおまけのようなソフトを使っています。
 それで最近ようやく、短いシーンをつなぎ合わせることができるようになりました。他には余計な部分をカットして欲しい部分の映像を取り出せるようであります。でもその作業を繰り返しやると本格的な専用ソフトでないので、このしょっぱい頭の中は大混乱してしまいます。それにそれ以外はなんにもできないようであります。ま、それでもいいかぁという世界であります。

エンジンを切ってサイドブレーキを引いて、対座シートにし終わると同時に、シュポっと音がして

 2週続けての旅でさすがに疲れてしまって、昨日は盗まれてしまっては困る電子機器類だけを車からヨロヨロしながら降ろして、その大半を昼寝をしたりしてゴロゴロと過ごしてしまった。昨日はヨロヨロゴロゴロな一日だったわけだ。
 何の予備知識もなしに、野営地「道の駅かつら」に行く途中にあるからという理由だけで立ち寄ったのが、写真にある「笠間日動美術館」であります。片田舎にある美術館であるから大した展示物も無かろうと思っていたのですが、入ってびっくりです。
 中でもフランス館の展示物には、驚くとともに圧倒されました。印象派のモネ、ドガ、ルノワール、ゴッホ、セザンヌ、親密主義のボナール、現代絵画を指向したマチス、ピカソ、エコール・ド・パリの画家シャガールとあり、なんでこれほど凄いのかという話であります。それにどこが日本・アメリカ館だったか記憶は定かではないのですが、アンディ・ウォーホル、サム・フランシス、ジャスパー・ジョーンズ、高橋由一、岸田劉生、佐伯祐三の絵まで展示されているのです。《画家の名前はウィキペディアより引用》
 私にとっては久しぶりの大ヒットでありました。また我が家からこの美術館に至る途中の風景が素晴らしくのどかな田園風景でありまして、こういう風景こそが茨城の良いところなのだと再認識したしだいであります。通常大洗町に行く場合は6号線をひたすら水戸まで走ります。今回はその手前の恋瀬橋というなんともロマンチックな名前の道の駅を過ぎたあたりから左に進路を切りました。そこからほぼ一直線で笠間市を目指しますが、その途中に展開するなだらかな丘陵を背景にした森や林や畑や田んぼの光景が目に心地良いのでありました。我が家から2時間あまりのところにこのような場所が存在することに限りなくほっとしてしまいます。
 その後城里町にあるホロルの湯という日帰り温泉に寄る。普段の日は800円という微妙な入浴料であるが、土曜日ということで、なんと1000円もふんだくられてしまった。入館した時間が午後4時でありまして、5時からは500円になるという。妻は待とうというのだが、その時刻になると私の頭の中の大部分を支配しているのは冷たいビールであります。まだ夕方の買い物もしてないのだ。だから独断と偏見でそのまま半ば強引に入浴に突入であります。温泉はなかなかいいです。清潔であるし、プールも併設されており、かなり大規模な施設でありました。もっとも温泉施設以外はなんにも見てないのですが。
 夕方の買い物はエコス城里店と決まっているのです。ここ以外は野営地「道の駅かつら」の周辺にまともなスーパーが無いことを何度も利用しているなかで知っているのであります。

 まだ夏休み中ということで多くの人が思い思いにテントを貼ってキャンプを楽しんでいました。到着した頃は日はどっぷりと暮れていましたが、エンジンを切ってサイドブレーキを引いて、呑み始めるまで3分というカップヌードル並の速さの準備であります。私が助手席を後ろに向きに回転させて対座シートにし終わると同時に、シュポっと音がして、「はい、お父さんまずは一杯」と妻にビールとコップを差し出されたときは、何故かおかしくて笑い出してしまいました。
 明日が今回の最大の目的である、大洗町で開催される「大洗八朔祭」で娘の所属するブルーホークスのパレードを観る予定なのであります。
 夏の終わりを感じさせて気温はグンと下がり、鈴虫の声も聞こえ、秋の気配を感じさせています。こうなってくると、あの夏の暑さも名残惜しいと思うのだから人間というものは実に勝手なものであります。
 娘にとっても学生生活最後の夏であります。来年になっても娘のいない茨城をわざわざ尋ねてくるのだろうかと、ウーロンハイを舐めつつ空を見上げたら曇っていてひとつの星も認めることはできなかった。

2011年8月27日土曜日

今日は茨城で車中泊の予定です。

 気温も昨日の雨からグンと下がってきました。夏用の寝袋を忘れないようにしないと、寒いかも知れない。と書いてすぐに用意した。書くだけ書いて忘れるっていうことはあり得るからです。自分の住むところは結構暑さが酷いのでついつい寝具を御座なりに扱ってしまい、現地では思わぬ寒さに震えたなんてことは1度ならず2度3度あるのです。こんなに暑いのに寝袋なんて必要あるのかって思いが頭のどこかにあるからでしょう。
 地方を旅していていつも思うのは、昼間の暑さは都会と変わりがなくても、朝夕夜がグーンと冷えるということです。私のところは日がどっぷりと落ちても、昼間のどんよりとした暑さがそのまま引き継がれて一晩中気温が落ちることがないなんてことが常なのですが、地方の大気はそれとはかなり違うのだということを忘れてはいけない。だから、わざわざ旅にでるという理由のひとつでもあります。

 三重・和歌山に旅する前にオイル交換とバッテリーの交換をやった。これで3万円である。最近はタイヤが気になる。かなり摩耗してきている。まさか1本2万円はしないとは思うが、ざっと8万円近くはかかってしまうだろう。ああ、それからカーナビが使い物にならなくなったので新たに交換しておよそ6万円である。なんだか家電が壊れるときと一緒のような気がしてきた。家電ってのは不思議なことにテレビが駄目になると、冷蔵庫、エアコン・・・・・と次々に同じような時期にまるで相談したように駄目になってきてしまうことがある。今、車がそれと一緒だ。普段は車をほとんど使わない。最近は買い物をするのにも使わなくなってしまった。だから1ヶ月の燃料代が0円なんていうのはザラにある。しかし、しかしだ車は使わなくても銭喰い虫だと思う。車検・税金・保険とかかる。仮に駐車場を借りていたらその家賃も上乗せされてしまう。また息子が免許を取ったので任意保険を21歳未満不担保にしたら、いやはやの値段に跳ね上がった。これで来年娘が免許を取りたいといいはじめた。そうなると全年齢担保になる。もう今からその値段に戦々恐々としている始末である。おそらくメン玉が飛び出る値段になるだろう。

 よって車は都会生活者にとってはかなり贅沢で無駄なシロモノに思えて仕方がない。地方では車は必需品だ一人一台なければ生活そのものが成り立たなくなるだろう。


 今回の旅は特段忙しくない旅の予定だ。明日大洗町の祭りでのブルーホークスのパレードを見て、そのまま月曜日から3日間の休みになる娘を自宅に乗せてくるだけのことであります。しかも、そのパレードは午後3時からとのことだから、かなりのんびりできそうです。予定しているのは笠間の日動美術館と城里町にある日帰り温泉に入ることだけであります。久しぶりにのんびりと過ごすことにする。

2011年8月26日金曜日

とうとう我慢できずに Apple iPod classic 160GB


 一年程前に愛用していたiPod classicが壊れてしまって、我慢を重ねていたのです。もっともiPhoneやiPod shuffleがあったのでそれで代用していたのですが、やはり大容量160GBの魅力に勝てません。
 現在私の音楽ファイルはかなり集めたつもりでも、13000曲で80GBほどですので、全部入れたとしても(当然入れますが)半分にしかなりません。
 自宅では最初ノートパソコンに1テラバイトの外付けハードディスクをつけて、外部スピーカーに流していたのですが、それが段々と面倒になり、スピーカーの8mの延長コードを伸ばして仕事部屋のメインのパソコンにつないで聞いていました。これも次第に煩わしくなってきていました。

 そして極めつけは今回の関西方面遠征では持っていく音楽が少なくて辟易したのであります。これはそろそろ四国九州遠征に備えて買わなければいけないのではないかと思い。清水の舞台から飛び降りたのでありました。
 iTurnesによれば一日24時間連続して聴き続けても全部聴き終えるには40日間かかるそうですから、四国九州遠征には大きな力となることでしょう。
 ただ気になるのは、どのカスタマーレビューをみても、ハードディスクの音がキューンキューン鳴るのだそうです。これが結構耳障りだとありました。それは私も気になるところですが、やはり大容量160GBの魅力には勝てません。そうなると私の選択肢はこれしかないことになります。

2011年8月25日木曜日

三洋電機 Gorilla SSDポータブルナビゲーション 7V型 NV-SD741DT 到着

三洋電機 Gorilla SSDポータブルナビゲーション 7V型 NV-SD741DT ¥ 57,011
 午前中に着いたので、いろいろ弄ってみた。何も難しいことは一切なくて、普通のカーナビです。まだ車に積んで試したわけでないから、なんとも言えないです。家庭用電源につないで試そうと思ったのですが、最初スイッチがわからず散々探しました。それでもわからず、とうとう取説を見てしまいました。ありました。ありました上部に目立たないようにありました。
 今度の週末にまた車中泊で茨城に行くので、そのルート設定をやってみました。途中で笠間にある日動美術館に立ち寄り、その後温泉にいって、道の駅かつらへ、そして大洗町というように設定してみました。設定したルートを保存して、シミュレーションをやって見ました。超簡単でありました。実際に走ってみないとその性能の良し悪しはなんてもいえないのでその部分のレポートは後にします。
 値引きが5000円ほどあったので、それで外部GPSアンテナを注文しました。カスタマーレビューを見てみますとほとんどの人が必要ないといってますが、なんとなくです。

 ワンセグチューナーはほとんど使い物になりませんね。少なくても自宅で試した限りでは。別にこれはいいんです。別売りのアンテナも売っていますが、いらないです。もうウスラバカなテレビはとっくの昔に捨てましたから。音楽や映像も聴けたり観ることができるようですが、それも無視であります。

 車載固定のカーナビと比較していいところは、自分の部屋に持ってきて、じっくりとルートの設定やシミュレーションができるということです。HONDAの純正ナビはそれができませんでした。だから、車に乗り込んでから設定をしなければいけない煩わしさがありましたが、こんどは何日も前からあらかじめネットやその他の情報を参考にしてルートを設定し、シミュレーションをやって完全にルートを設定しておいて、ナビを車にポンと載せればすぐに出発であります。

 ただ残念なのは日帰り温泉のデータがあったらと思います。そうすれば現地で周辺検索をすれば近いところから順番に表示してくれますので、いちいち情報を集めなくて済みます。車中泊者には必須の機能だと思うのですが。この情報があるナビってのは現在あるのだろうか。たぶん今のところはネットで検索するしかなさそうである。

2011年8月24日水曜日

クーラボックス

静岡に住む旧い友人tubakiさんからコメントがありました。以下tubakiさんのコメントを引用します。
こんにちわ。
慌ただしく通り過ぎたようで残念です。
機会があればぜひお寄り下さい。

ぽーさん高評価のクーラーボックスが気になります。我が家もキャンプ用に持っているのですが、ビールが冷たいのは初日だけで2晩目の夜はぬるくなるので別途買い求めるか川などで冷やすなどしています。
ぜひ製品名、型番とか写真など掲載して頂ければ嬉しいです。

 以前のブログを調べてみました。2008年8月14日の書き込みになるんですね。ここには書いてないですけど、北海道を独りで1ヶ月ほどぶらついていたのですが、その時にビールを冷やしておくというだけで、毎日のように、スーパーやコンビニで氷を買っていたのです。最初は溶けた氷を飲料水や炊事用にすればいいやと思っていたのですが、それがドンドンと水の入ったビニール袋が増えていって処理できなくなっていったのです。だから水を抜いてビニールの袋だけにして置いたのですが、北海道って奥地に行くとコンビニにゴミ箱が置いてないのです。コンビニどころか、どこにもゴミ箱なんて無いのです。そしてコンビニも姿を消してしまうのでありました。
 都会と思われる周辺のコンビニには普通にゴミ箱は置いてありますけど。いくら大空と広い大地といっても、それ等のゴミを捨てるわけにはいかないので、どんどんとビニール袋が溜まってしまって、ほとほと困り果てたことを思い出します。
その頃はクーラボックスなどどれも同じだと思っていたのですが。

持っているクーラボックスがとっても情けない
クーラボックスをついに買ったぞ!

まとめて読むならこちら
クラーボックス

 余談になりますが、クーラボックスに使う保冷剤にもかなりの性能の差があるらしいです。この頃に調べてわかったのです。暇があったらネットで検索してみてください。この最強のクーラボックスと最強の保冷剤を組み合わせますと、ビールなどは凍ってしまうほどの性能だそうです。ビール凍られると困るのでまだ試したことがありません。最近はやらなくなったのですが、道中呑むために缶コーヒを冷凍して持っていったことがあるのです。それで途中呑もうとしてもクーラボックスが強力なためにひとつも解けてなくて頭にきたことがあります。安いクーラボックスを使っている時は少しでも冷そうとやっていたことなのですが、それはまったくやらなくなりました。
 また私の持っているのは、ちょっと大きすぎだと思っています。もう一回り小さいほうが扱い易いと思います。かなり前の話なので今はもっと性能の良いのが出まわっているかも知れませんので調査してみてください。釣具の上州屋あたりに寄って店員さんに「この中でいっとうエライ!クーラボックスはどれだ!?」って尋ねてみるのが一番の早道かも知れません。釣具屋さんには40から50個ぐらいのクーラボックスが鎮座ましましております。間違ってもホームセンターで買ってはいけません。あれはただの発泡スチロールでできたたんなる箱ですから。見た目で騙されてはいけませんよ。ただ呆然とするほど安いですけれども。
 釣具屋さんというのは結構アウトドア用品として使える、しっかりした、面白いものが転がっていますから、時々顔をだしてみるのも面白いですよ。もとい、釣りそのものがアウトドアでした。^^;

★ tuabkiさんへ
電話番号がどこかへ紛失してしまいました。メールで教えてください。^^:po@crowner.co.jp

三洋電機 Gorilla SSDポータブルナビゲーション 7V型 NV-SD741DT なんで安くなってるの 逆に気持ちワルー

三洋電機 Gorilla SSDポータブルナビゲーション 7V型 NV-SD741DT ¥ 57,011


 ようやく注文していたカーナビを出荷しましたのメールがAmazonから届いた。25日は届くらしい。それからほどなくしてヤマトからのメールも届いた。これは初めてのことである。 「↓こちらから、時間帯・配達日のご希望を承ります。」というものであった。当然指定されたURLを辿って午前中の配達を指定しておいた。宅急便もなかなか手が込んできていると思った。
 Amazonのメール内容に不思議なことがあることに気がついた。それはカーナビの値段である。

1 三洋電機 Gorilla SSDポータブルナビゲーション 7V型 NV-SD741DT, ¥ 51,800

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小計: ¥ 51,800
配送料・手数料: ¥ 0
合計: ¥ 51,800
とある。???
購入する時にサイトで確認したのは以下の値段である。
三洋電機 Gorilla SSDポータブルナビゲーション 7V型 NV-SD741DT ¥ 57,011
 なんと¥ 5011円も安くなっているではないですか、これは私が間違えたのかとリンクを辿って確認したが、サイト上の値段は¥ 57,011で間違いがないのです。うーーんなんでなのかさっぱりわからない。これは安くなっているから文句のつけようはないのですが、仮に高くなっていたらどうだろうか。怒り心頭に達してクレームをつけることになるだろうと思う。安くなったからいいけど、なんだか割り切れない気持ちになっている。どこかにその説明があればいいのだけども、どこにもその理由は書いていない。
 実はここで注文してから、調べたら他のサイトでは49000円代で売られていたのを発見したのです。ちょっと悔しい思いもしたのですが、いつまでもそんなものを引きずっていてもしょうがないと思い忘れていたのである。

 因みにこの製品は製造終了らしいです。パナソニックがサンヨーを吸収合併したのと関係があるのかどうかはわからないのだけれども。

2011年8月23日火曜日

旅を快適にするのも、整理整頓清掃である。

 どうやら年をとると疲れは遅れてやってくるらしい。昨日はさほどではなかったのだが、本日は完全に駄目だった。しようがないので午後から百均にいって、旅行中にあればいいなと気づいた物を買いにいった。

 いつもだったら旅先で現地調達してしまうのだけれども、今回はなにせ耐久レースのように時間に余裕がない旅だったので、帰宅してからの後回しにした。
 百均では小さなカゴ2つとクッションで出来ている袋の様々な大きさなのやつを10個ほど買ってきた。様々な電子機器をそれぞれに入れて格納しておけば、互いに傷がつかないし、常に使うやつ、時々使うやつ、ほとんど使わないが念のため持っていくやつなどに分けて収納することにしている。これまでは暫定的に段ボールの箱に入れていたのだが今回の旅でランク付けができたので、それにあわせて収納することにした。
 旅先に持っていく電子機器や道具は普段でも使っているものなので、自分の仕事場に置き、ランク付けに従ってカゴにいれて、車の置く時のレイアウトに似せて置き、常に入れ替えをして、より使いやすさを追求することにする。こうして置けば旅に出るときはそのカゴを一挙に車に積み込むだけで済み、忘れ物もなくて済む。これを旅にでる時だけまとめ始めると案外大変なものなのであり、忘れ物も当然多くなってしまう。

 食料品も同じようにしている。ほとんどは現地のスーパーで調達してしまうのですが、災害に備えて備蓄している非常用の食料と水の賞味期限が迫っているものをできるだけ車中泊で使ってしまうことにしている。特にパックのご飯は安い時に買いだめしておき、旅をする時に朝ごはんでできるだけ使ってしまうことにしているのです。こうして置くと備蓄の食料は常に新しくなっているわけであります。当然立ち寄った現地のスーパーで備蓄する品物が安かったらそこで調達して次回の旅の時に使うわけであります。だから備蓄してある食料品は茨城県で調達したものが多くなっています。最近茨城県ばっかしに行っていたものですから。今回は茨城県で調達したものを和歌山県で食べているわけであります。

 車中泊での旅を快適にしているのが、かなり前に購入したクーラボックスです。これはそのあたりのホームセンターで売っているような安物ではないです。釣具屋へいってその中で一番保冷効果のあるものを購入しました。6面真空パネルで覆われているものです。値段も良かったですが、この威力は半端ではないです。自宅からペットボトルに入れて凍らした水が4日たっても完全には溶けなかったぐらいです。だからビールなどは常に冷たくて、妻がいうには自宅の冷蔵庫で冷やしてあるのよりおいしく感じるというのだが、俺にはただのビールにしか感じなかったけれども。
 だから自宅の冷蔵庫と同じように使えますから、食料品がまったく無駄になりません。これはビンボー旅行者には欠かせないアイデムであります。購入する時はあまりの高価さに散々迷いましたが、これは本当に買っておいて良かったと思う品物です。この超貧乏な今だったらたぶん買えないと思います。ただちょっと大きかったかなと思います。結構邪魔になります。

2011年8月22日月曜日

三洋電機 Gorilla SSDポータブルナビゲーション 7V型 NV-SD741DT

まだまだ旅の話は続く。

 治ったと思っていたカーナビは肝心なときに黙りを繰り返した。「オノレ!!オノレ!」と呪文のごとく繰り返し、なんとかカーナビのご機嫌を取り結ぼうと必死であった。こんな時のためにiPhoneにNAVCOなるiPhoneアプリを大枚6000円も費やして入れておいたのが、これも知らない土地でいざ実践させてみると、まったくの役立たずであった。
 途中よほど大型家電量販店に寄ってポータブルナビを購入しようかと考えた。何度か大型家電量販店を見かけたのだが、そういう時に限って正常に動作しているのである。駄目なら駄目ではっきりしていただければ、こちらも覚悟がつくというものだが、悪女の深情けなのかこの古女房はなかなか往生際が悪いのだ。
 どうにかこうにか帰路について、国道1号線に出た時はほっとした。後はナビなしでもなんとか帰りつける自信があるからだ。都内はナビ無しでは面倒なので、首都高を使うことにした。正常に動作していてもすでに心は決まっていた。帰宅したら一番にネットで検索してポータブルナビを購入しようと。もう決して騙されないと思った。これから四国九州への長旅にでるかもしれないからだ。いくら安くても全体の大まかなルートぐらいはわかるだろうと割りきった。本当はお金が無いのだけれども。

三洋電機 Gorilla SSDポータブルナビゲーション 7V型 NV-SD741DT ¥ 57,011


 もっと上位機種が欲しかったのだが、ビンボー旅人にとってはこれぐらいの値段が限界であった。いろいろ調べてみると、やはりサイドブレーキに連動させなければならないらしい。これは現在のホンダの純正ナビも同じだ。走行中はルートの変更さえできない。実に不便である。カー用品店などにいくと1万5千円ほど出すと解除してくれるらしいが、下の部品をシガーソケット電源とナビの中間に噛ませればナビを騙してくれるらしいので、迷わず同時に購入した。


またゴリラはタッチパネルなので液晶を保護するために、保護シートを同時に注文した。この保護シートってのは本当に必要なのかといつも疑問に思うのだ。もし別売りの保護シートが必要ならばメーカーが最初からそのための措置を取ってなくてはいけないのではないかと。液晶の機器を購入すると必ず購入しなければいけないような気になってくるから不思議だ。それでもそんなに高いものではないからと以下の製品も同時に注文した。また騙されたような気がしないでもない。


本日注文して、カーナビ騙しと液晶保護シート2つは夕方に届いた。しかし、肝心なカーナビはなんと、
出荷準備中
お届け予定日: 2011/8/25 - 2011/8/29
となっていた。週末にまた茨城方面に出かけなければならないだが、間にあうか間に合わないか微妙な日にちである。

旅は好きだけど、都会は苦手だ

 旅から帰宅して、すぐに日常という生活が始まった。周囲には、いつまでも旅気分ではいられないからね。という気分が濃厚に漂っている。だから、いつもよりはちょっと遅めの目覚めとなったけど、周囲はじっとりとした闇のなかであった。 体には旅の疲れが纏りついているようで、多少重く感じられるが、まだまだ旅の興奮が残っているせいかさほど気にはならなかった。
 5時近くになってようやく夜が明けようとしていたが、蝉の声はまったく聞こえない。代わりにこれまで蝉に押されて聞こえなかった鳥たちの囀(さえず)りがたくさん聞かれた。
 雨がしのついてる。気温は22℃と4日前がまるで嘘のようである。体は日常に置かれてしまっているが、思いはまだまだ旅の空の下にあるようだ。

 できれば人里離れたところだけをひっそりと隠れるようにして旅したいと思っている。大都会の間際に住んでいながら、地方の小さな都市でも踏み入れた途端にドギマギしてしまって、一種のパニックに陥ってしまう。都市そのものが恐怖の対象なのかも知れない。それでも今回はいくつかの地方都市を走り抜けなければならなかった。できれば目をつぶって過ぎ去るのをじっとして待ちたかった。しかし、そうすると車はひとつも前に進まないわけだから、一生その都市のなかにいなければいけないから、冷や汗がじとっと背中を伝い流れるのを我慢して通り過ぎた。ヨカッタ三重県民とか愛知県民にならなくて。

 そのなかでも夜の東京がいちばんに怖かった。国会議事堂から霞が関・六本木・渋谷と闇に林立するビルはさしずめ物言わね巨大な化物の群れに見えてくる。一般道をカーナビの誘導に従いながら走るのだが、行けどもゆけども恐れている都会から抜けだせずに、かなり焦る。
 これまで西へいくのを阻害していた原因のひとつに、この怪物どもの群れなす東京を必ず抜けていかなければならないところにあった。これが出発前から気持ちの底をぐったりとさせてしまうのだ。神奈川に入ってその恐怖と嫌悪感に変化は認められなかったが厚木を過ぎたあたりから、ようやく自分の恐怖度が平常値に戻るのが感じられた。やれやれと安堵感が広かる。
 夜が明ける前に静岡は抜けたかった。これがいかにアホな考えだったのかを後で知らされる。都内を抜けるのも一苦労であったが、静岡というところも広い県なのか縦に長い県なのか日本地図全体を眺めてみたいとわからないが。機会があったら、この静岡という場所をじっくりと見てやろうと決意した。私の住居からさほど遠くもなく、長野・山梨とならぶ面白県なのではないかと思った。

 静岡には何十年来の付き合いになる友人がいる。だからなのだろう、妻に静岡の自慢話をしているのである。考えてみたら、妻も彼の一家とは面識があり、良く知っていたのである。その1時間ほど前に東京をこれでもかとボロクソにしていたのが、静岡に入った途端の手のひら返しが、彼女にはよほどおかしかったのだろう。
 妻は一言「それってtsubakiさん一家が住んでいるから、そういう話になるわけ?」「ああ!そうか、tsubakiさんを知っていたんだっけ」なるほどこの単純頭はとうに見破られていたわけである。それから二人で大笑いであった。

 あんなにいっぱい静岡を褒めまくったのに行きも帰りも富士山は一度も顔を出さなかった。残念

2011年8月21日日曜日

旅から帰ったら、すでに秋の様相

 旅にでる前のあの憤怒のような暑さが、ドンと静まり返って秋の様相を呈していたのには驚いた。4日間の耐久レースのような旅は予定通り無事に終わった。昨年は北陸の金沢まで、今年は和歌山の潮岬まで。いつも夏の終わりごろに強行している。
 「よーし、早速準備して、四国・九州を今年の残りの月日をかけてなぞって見よう」などと調子づいて酔っ払い頭で妄想していたが、帰宅した途端に「やっぱりさぁ、自分ちが最高にいいね」なんてつぶやいていた。俺は自分に平気で嘘をつく人種なのだということがここにも顕れているのだ。

 さあて、そろそろ5時だ。ちょっと早いけど一杯やって、早めに寝ようっと。

2011年8月20日土曜日

あと30分も走れば那智の滝のようだ。

 旅は3日目となり、今日辺りからそろそろ帰路を考慮しておかなければならない。これまで走った距離が727kmである。和歌山をもっと観察したかったが、矢張りというか当然というか、この地もそそくさと表面をなぞっただけで立ち去るしかないようである。結局4日間の日程ではどうにもならないものがある。それは当初からわかっていたことだ。だから割り切るしかない。
 高倉健にしても小林旭にしても男の旅というものはきちんと北を目指すものだと固く信じていたウスラバカが、とにかく西を目指したことに大きな意味があるのだから、とりあえず良かったのである。

 旅の途中で三重県の県庁所在地が津市であることを始めて知った。これは自分のなかでは案外大きなショックで津市内を走行中に県庁とかいう標識をみて始めて理解したのである。それはまったく関心がなかったことからきており、関西の府県の位置関係なんてものはまったく曖昧なもので全部の府県名がごっちゃに一塊となってぼやっとしているだけだった。今回は嫌でもディスプレーの地図と向き合わなくてはならず、実際の走行をしてかなり整理されてきた。

 6時20分前だがそろそろ朝ごはんを食べるとするか。いつの世も旅人の朝は早く慌しいものと決まっているのだ。

2011年8月19日金曜日

とにかく西の空の下へ

 いつものごとく早朝に目覚め、トイレに向かう。思いがけない足のふらつきに昨夜の酒が少し残っているのがわかる。なにこれしきの酒は時間の経過とともに解消されてしまうだろう。

 作夕温泉に寄ったときに数人のおばんたちの会話が耳に入ってきた。その言葉は紛れもなく関西独特のイントネーションと訛りがあり、そこで初めて自分が西へやってきたのだという事実を自覚することができた。過度に恐れていたほどの違和感はそこにはなかった。テレビで垂れ流されている、あのコテコテの邪悪な関西弁とまったく違っていてほんのりとした心地良ささえ感じてしまった。

 これまで誰にも明かさなかったが、母方の何代か前のルーツは京都にあると聞かされていた。京都がルーツだとすれば誰もが公家様がご先祖かと想像を逞したくなるが、その実態は東北寒村の無名の村に都落ちした禅僧に金魚の糞よろしく張り付いてきた寺男であったらしい。このことは家族の誰にも明かしていない。別にそれを恥じているわけではない、話すきっかけがなかっただけのことである。
 父方のもともとのルーツは茨城であり、桶職人として現在の荒川区あたりに細々とした生計を営んでいたらしい。これは別の親戚筋に聞いた話ではある。これらの話を総称すれば基本的に俺の血筋は流れ者であって現在下総の国などに定住していることが稀有な事であることがわかる。
 上記2件の話で強引に自分の放浪癖を正当化するつもりは毛頭ない。流浪な民に堕するにはそれ相応の理由があってのことであると思う。そんなことはあずかり知らないことでもある。

 さきほど開け放された車のドアの間をぬって数的の雨が膝に落ちてきたが、それ以降激しくなることもなく珍しく心地よい風が室内を吹き抜けていく。気温は26.7℃湿度は80%時刻は4時56分である。ひぐらしがひとこえ鳴いた。そろそろ凶暴な暑さの終焉なのだろうか。

 本日はお伊勢詣ででもしようかと思っているが、それは直前までわからんことである。

2011年8月17日水曜日

自分が自分に平気で嘘をつくことを発見した。

 2ヶ月あまり一日として休むこと無く続けてきた、目標一日2万字の作文書きは本日もろくも崩れ去った。昼近くになっているにもかかわらず、たったの3行しか書いていない。これからいくら力を入れて書いても100文字も書けないと思う。すでに昨日までのモチベーションが胡散霧消しているのだから、この後何行も書けないだろう。呆気ないものだ。何かが崩れる去るなんてことは、いつもこんなものだと思う。
 昨日ブログに余計なことを書いたのがいけなかったのではないかとも思ったが、よくよく考えてみると、もうそろそろ止める時期だったのだと思う。自分のなかでも、なんと無意味なことに多大なエネルギーを費やしているのだろうかという思いがどこかにあった。

 それでも続けてこられたのは、とにかく書くことによって、自分との対話を楽しんでいたところがあった。自分で書いて自分しか読まない作文。とにかく文字数だけが問題になるから、必死になんでも構わず書いていかなければならない。当然重複しているところも出てくる、最初の頃は毎日がほとんど同じような文で埋められていくことになる。別に前の日の作文を参考にしているわけではないのに、よくもこれだけ似たような事を飽きずに書けるもんだと思えるぐらいに酷似していた。

 そして、大量の作文書きの中で発見したことの一つは、自分では何も意識しなくても、自分は自分に平気で嘘をつくということだ。毎日書き続ける大量の作文。誰が書いているのかといえば私自身以外にはいないのだ。そしてそれを読むのは私一人だけ。他の誰も読みません。それでも無意識に平然と自分に自分が嘘をついているのだ。最初はそれにまったく気づかなかった。気づいたのは駄文を書き始めて10日余りたった頃であります。愕然としました。でもよく考えてみると、それが人の本来の姿なのではないかと考えるようになったのです。

 そのような今更ながらの発見はありましたが、できるだけ本当のことを書く努力をしようなどとは一つも思わなかった。なにせ、取り憑かれたように1日2万文字という何ら根拠のない数字が頭を脅迫的に占領したいるのだから、本当だろが、嘘だろうがとにかく頭に浮かんできたことを、せっせと打鍵していかなけらばならなかったのだ。

2011年8月16日火曜日

毎日作文書きに勤しんでいるのだ。

 8月に入って凶暴な暑さの中、相変わらず大量の読書・大量の作文・大量の飲酒を続けている。ま、大量の飲酒というのは冗談でありますが。若い頃ならいざ知らず、毎夜大量の飲酒などやったら忽ち宿酔をしてしまい、大量の読書や作文などやれる状態には決してならないだ。だから大量の飲酒というのはあくまでも自分の願望ということになる。俺はここまで豪快に生きているのだと見栄を張りたいとう情けない願望なのである。

 大量かどうかは別にして、読書と作文書きは毎日続けているのは本当だ。ここで作文書きといいうのは、文章書きではなくてあくまでも作文書きなのである。それは文章と呼ぶにはあまりにも稚拙なもので、とにかく小学生の時に書いた作文に類似するものである。今時の小学生だってこれほどの稚拙な文を時系列的に羅列していく手法の作文は書かないよと云われてもしょうがないものでもある。

 なにせ一日の目標が2万文字を目指しているものですから、句読点がどうのこうの、表現がどうのこうのと拘っていられないのだ。
 毎日2万文字を打鍵するというのは、かなり困難なことであり、体裁などまったくかまっていれれなくなるのである。これをほぼ2ヶ月に渡って毎日やってきた。
 さすがに2万文字に達したのは2回ほどで平均すれば1万3千文字といったところだろうか。それでも平均1万3千文字を打鍵するというのもかなり困難なことで必死にならなければ打てるものではないのだ。とにかく朝から寝るまで必死であったことは確かだ。

 それだけの文字数を毎日打鍵していて、なぜブログはサボり気味なのかと問われそうだが、私のやっている作文とブログはあきらに違うものなのだ。それは散々やってきて、ようやくわかってきたことでもある。

 旅に出るための本の選択を始めた。オイル交換もした。バッテリーも新品のものに交換した。果たして出発できるのかどうなのか、ちょっと心配なことがひとつあるのだが、たぶん大丈夫であろう。
 いつものとおりカッコとした目的地などは決めていない。今回は我人生で初めて西を目指すのだ。長年旅というのは北を目指すものだとばかり思っていた。それが軟弱にも西を目指すというのだからお笑いである。

2011年8月12日金曜日

小さな旅の空の下で 道の駅かつらにて 2

「ゆうべさあ、お父さんが寝てからさ、会社からの持ち込みの仕事をしていたら、娘から電話があってね、しばらく話をしてから、窓を閉めて寝ようとしたけど、暑くて眠れないのよ。しょうがないからエアコンをしばらくかけて室内を充分に冷やしてから、やっと寝られたのよ。」

「ふーん、そうなんだ、昨夜は俺、ヘロヘロに疲れていたからさぁ、いつのまにか熟睡してしまって、何にも知らなかったよ。それで娘は元気だったかい・・・」

「あ、そうだ、長男に電話して庭木に忘れずに水をやるようにいってくれ」

「それなら、さっき終わったってメールがきてたから大丈夫よ」

 車中泊の旅にカーナビと携帯電話とパソコンが加わったおかげでその利便性は飛躍的に向上した事を感じる。それに加えて、この春にサブバッテリーを加えたので更に便利になったのです。ほとんどの家電製品が使えるようにもなりました。別に他の家電が特別必要とは思われないので、今のところは持ち込むことはしていない。余計なものは極力持ち込まないことです、邪魔にもなりますからね。
 それでもそのサブバッテリーからLEDランプの電源を取りますからエンジンをかけなくてもかなりの明るさを長時間得ることができ、ちょっとした書類仕事などは、なんなくこなせるようになっているのです。
 冬はそこから電気毛布をつなぎます。電気毛布の威力というのは零下の場所でこそ発揮します。まったく寒さを感じることがなく超快適であります。それにダウンのシュラフが加わりますから、もう今から冬が楽しみなのです。それにあろうことか、車中泊専用の電気コタツまで用意してあるのです。

 ん?!ちょっと待て!なんでこんなにクソ暑いのに電気毛布やコタツの話をしなければならないんだい。我慢大会じゃないんだから。

 超朝型人間の私はいつもよりはちょっと遅い目覚めだが3時半に起きだし、LEDランプを点けて、読書をして、かなり長文の作文を書いたのであります。これは日常いつもやっていることであります、自宅であればそれに仕事が加わるのですが、今回はノートパソコンを持ってきていないので仕事はやらなかったのであります。
 活字中毒気味の私にとって本がないというのは、酒がないというのに等しいぐらいの不安を覚える。もしかしたらそれ以上かも知れない。なぜならアルコールはコンビニでも手に入るが本となるとそうはいかない。特に地方で本屋を探すというのは大変なことであります。だから旅に出る前一番先に点検するのは持っていく本であります。それをなんども確認することになります。今回のように1泊2日の旅ともいえないものにでも5冊の本を用意しています。こんなもんは物理的にも読めない量なのに読める本のストックがなくなるが怖いのであります。しかし、積み込んでみると本というのは案外重く嵩張って邪魔になるものでもあるのです。こういうものは早く電子書籍が一般化してiPhoneあたりに何万冊と入る時代に早くなって欲しいものだと強く思います。

 これまで何年もかけて自宅にいるときとほとんど変わらない仕事ができる環境をコツコツと整えてきました。ほとんどのエネルギーをこれに費やしてきたといってもいいぐらいです。最低でも10日間ぐらいは長期滞在ができるというのを目指してやってきたのであります。実際にはまだやったことがありませんが、おそらくそれ以上の滞在も可能かと思っています。これにソーラパネルを加えれば完璧かとも思っています。
 旅にでて仕事がやれるのは、仕事をやろうと強く決意をした場合に限るのです。一応ノートパソコン一つ車に持ち込めば、いつでも仕事ができるような状態になり、電源さえ入れればすぐに始められます。出かける前はいつも旅先では少しは仕事をしなくてはなんて思っているのですが、そんなバグゼンとしたものでは決して仕事なんてできないこともわかっています。実際これまで短期の旅行ではやれたことがありませんから。
 その理由は旅そのものが楽しいものですから頭の中から仕事の二文字はどこかに消し飛んでしまっているのです。

 朝はいつもどおりにご基本の3点セットである飯に味噌汁に漬物のがないとどうも食べた気がしない。今回はそれにベーコンエッグが加わる。妻の朝食は基本的にパン食でありますから、このベーコンエッグは私のためにわざわざ用意したものというよりは、自分の朝食のために作ったついでにという気がしてならない。それに野菜サラダもついていたが、これもどうも怪しい。ま、食わしてもらっている身だから黙ってありがたく頂くことにする。

 食事が終わり後片付けをしていたら、寝るの使ったまるまった肌掛けの中からポータブルラジオがポロリと転げ落ちててきた。昨晩ラジオを聞きながら寝ようと思い持ち込んだのだが、そのまま力尽きて寝込んでしまったようだ。どうりで朝からいくらラジオを探しても見つからなかったわけであります。

 食事も、後片付けもすっかり終わった時点で、あらたにコーヒーを沸かして味わう。コーヒーメーカーを持ってきてもいいのだが、やはり邪魔になるので、アウトドアでは紙パックのコーヒーをもっぱら愛用している。おかげでインスタントコーヒーはまったく飲む機会がなくなってきてしまった。

さて、本日の残り時間はかなりあります。どうやって過ごすかを考えることになります。

2011年8月11日木曜日

小さな旅の空の下で 道の駅かつらにて

 アジイ!!実際本当に熱いです。現在13時26分です。自分の部屋の温度がなんと34.9℃であります。ときに35℃になったりしています。まだエアコンは我慢しています。電力消費量のピークに達する14時以降まで節電に協力しようという魂胆なのであります。以前には30℃を超えたあたりから、もう我慢ができずにエアコンをつけていましたが、体が高温に慣れてくるのだろうか、35℃になってもまだエアコンをつけなくても済む余裕が生まれています。しかし、連日自分の体温を上回る中にいるというのはさすがにキツイ感じがします。

 そんな暑い中でも茨城は私の住む場所よりも1℃から2℃は確実に低いように感じます。ということは冬は私のところよりも寒いということです。実際に寒いのです。
 ブルーホークスのパレードが終わるやいなや熱気に包まれる水戸市を後にしました。楽に自宅に帰って晩酌をするには余裕の時間でありますが、せこい私達はそのままアウトドアライフを楽しむことにします。そして今夜の野営地「道の駅かつら」に向かっていたのであります。

 ブルーホークスが水戸黄門パレードを終えてすぐに河原子海岸までバスで移動し、3たび花火大会での演奏を行っている時間には、すでに周囲の親子連れのキャンパーを眺めながら「すまんすまん。すまんけど旨い」という感じで最初の一杯を呑んでいたのです。子供たちが小さい頃は毎週のように、テントと鍋釜を車に積んで取り付かれたように野営を繰り返していたことを懐かしく思いだしたのであります。

 以前は水戸地域に旅する場合は、大洗の海水浴場の駐車場を利用することが多かった。広々としていて夜間にトイレも利用できるし、水場も用意されていて快適であった。それに町で運用していると思われるミニパトローカーが青いランプをクルクル回して一晩中巡回してくれているのであります。これがまた夏の海水浴シーズンだけかと思いきや、真冬でも夜中に何度も回ってきてくれるのです。それにトイレの清掃も徹底していますし、ゴミの収集も一日何回かの頻度で行われているのです。これには驚きました。この手厚さはどこからきているのでしょうか、不思議でさえあります。
 必然的に週末や夏休みともなれば、たくさんの大型キャンピングカーが集まっていたり、サーアファーや車中泊者などが混在して、かなりの数を認めることができ、さながら暗黙の無料キャンプ場のようであったのです。

 しかし、あの震災以来寝ている間に津波にでも襲われたらひとたまりもないだろうという恐怖心が湧いてきまして、結局その恐怖心に勝つことができなくて、海岸沿いは極力避けるようになってしまったのです。ここで私の数少ない車中泊に格好な場所を確実にひとつ失ってしまったことになるのです。

 娘が大洗高校に在籍している間は、演奏会やらさまざまな学校の用事で彼の地を訪れなくてはならない。確かに高速道路を使えば1時間30分の距離であり、楽々日帰りコースなのですが、なんでもかんでも旅にしたがる放浪者としては、水戸や大洗ぐらいの距離は丁度よい旅の練習場所になってしまうのであります。こんなおいしい場所を高速を使って往復するだけの味気ない単なるビジネスモードもどきに留めておくはずはないのです。
 実際にこの2年間はここでの車中泊をとおして足りないアイテムを少しずつ買い足してきたのです。大型のスーパーや、ホームセンターも存在していますから、買い物をするにも便利なのです。

 それではと昨年周辺をうろついてて偶然に発見した「道の駅かつら」という場所を今回の車中泊地として選択したのです。大洗にはちょっとばかし距離はあるが、何度か宿泊を体験して、ここも安全安心のうえにかなり快適な野営地なのだということを知ったのです。24時間使用できる水洗トイレがあり、隣接して立派なテントサイトまでついているのですから。道の駅ではそこをキャンプ場とは認めていませんが通年テントを張っているのを認めることができます。おまけに端っこのほうに水道までついているのです。それに、特筆すべきは道の駅の隣には、24時間営業の「開いててヨカッタ」のセブンイレブンがあるのです。もうこうなってくると怖いもの無しの状態になってきます。

2011年8月9日火曜日

小さな旅の空の下で ブルーホークス水戸黄門まつりにて



 午前中は曇空で、まだ凌ぎやすかったのだが、2時からの上市パレードが始まるころには、すっかりいつもの夏の暑さに戻っていた。何もしないで、彼らについて歩いているだけでヘトヘトヨレヨレ、ゼイゼイハアハア状態になってしまっています。

 彼らは午前中に下市というところでもパレード及び演奏を行っていたのであります。出かける前に妻は午前中の下市でのパレードもみようと強く主張していましたが、そんなことをやったらこのゼイゼイハアハアヨレヨレ男は絶対に体が持たないと判断して却下しました。これは誠に正しい判断でありまして、挙句の果てに6時から行われる河原子海岸での花火大会での演奏まで見るのだと主張していたのです。私は自分の持てる力をすべて出し切って敵の願望を断固拒否したのありました。
 もし仮に彼らの一日に付き合っていたら、このゼイゼイハアハアヨレヨガ男は自宅に帰り着く気力を失い偕楽園そばの千波湖公園あたりに日夜廃人として出没するようなことになっていたことでしょう。そうならずに無事に帰宅してこうやってブログを書けてヨカッタと独りそっと胸をなで下ろしているのでした。

 パレードの合間に数カ所で演技を行いますが、どこでやるかという情報がまったくないので事前に場所を確保するということができない。気がついたら演奏が始まっており、この人混みのなかで、いくら図々しい私でもかき分けかき分け最前線にでていくことができない。途中からブルーホークスの演奏を撮ることを諦めて周囲の人々を撮ることにした。
 私が撮影に失敗しても、洗高応援隊の管理人のSさんご夫妻がしっかりと撮影してくれていますから安心であります。Sさんご夫妻は朝の下市のパレードから上市そして夕方の河原子海岸での花火大会の演奏までしっかり撮影しているのであります。頭が下がります。その安心感があるので、私のどこかに何も全部観なくても後でSさんご夫妻のDVDを観ればいいやとついつい思ってしまうのでありました。

 多分にして親の贔屓目もあるのでしょうが、それを差し引いてもブルーホークスには人々を感動させ元気づける何物かがあります。仮に水戸黄門パレードにブルーホークスやそのOBで組織するきよみつバンドの存在がなければ、まったく締りのないものになってしまうと感じました。圧倒的な演奏と演技力は群を抜いているものがあります。マーチングバンドですから、行進にはバッチリフィットしているのです。彼らの一団が姿を現して近づいてくるとオーラさえ感じることができます。

 熱く感動的な長いパレードが終わってゼイゼイハアハアヨレヨレ男の頭の中を支配しているのは、早く汗を流してチメターーイビールをうぐうぐと呑むことだけなっていたのでありました。

2011年8月8日月曜日

小さな旅の空の下で

 昨日の夕方に帰宅した。いつの間にか夏の暑さに戻ってしまっていた。一泊だけの車中泊茨城行きであったが、起床した時から疲労を覚えていた。こういう時は無理をする必要がないと、毎朝行っている4時半からのこ1時間ほどの散歩を中止した。昼間は今回の旅での荷物の整理と18日からの4日間の西行きビンボー旅に備えての道具の準備をすることにする。それでも体がだるいようだったら、それはしょうがない、愛用の座椅子にどかっと座っての読書で一日を過ごすことに覚悟を決める。

 妻との旅は楽でいい。細々とした整理整頓は全部やってくれるし、食事の支度も実に手際よく整えてくれる。俺はなにもやることがないから、本を読んだり、音楽を聞いたり散歩をしていれば自動的に食い物がでてくる。ま、普段の家での生活とそう変わりがないということだが。
 特に夕方の食事は最高である、周囲が薄暗くなってくれば、俺は心のなかで「ビール!ビール!!」と呪文のごとく叫び続け冷たく冷えた缶ビールのプルトップをシュポッと抜く。すかさず妻はいつの間にか用意してあった自分用のシュラカップを差し出す。以前はほとんどアルコールを口にすることがなかった。唯一旅にでたときだけ甘ったるい桃サワーだの巨峰サワーだのを呑む程度であったが、最近は酒の旨さがわかってきたのか、毎晩俺の呑み分のビールを少しずつ横取りするようになってきた。ま、旅の空の下で俺一人だけが酒を呑むというのも味気ないものだから、これはこれでなかなかよろしいと思う。

 外にでて何気なく空を見上げると、そこには約束されているように一面の星々が散りばめられていた。自宅にいるときはほとんど下を向いて生活をしており、滅多なことで空を見上げるということはしない。仮に見上げてみても、ほとんどの場合そこに星を認めることがないから必然的に空を見上げることはなくなってしまう。
 散りばめられた星々を眺めて、そうだこうして彷徨い歩く理由のひとつに当たり前のように夜空の星をみることにあったのだと遠い記憶が呼び起こされてしまった。

 心のどこかで、こんな楽な旅だけを続けていることもできないという思いが頭をもたげてきていた。ただ独りで旅にでるにはそれなりの勢いというものが必要で、翻って現在(いま)の自分をみるとそんな勢いはどこにも無さそうに思えた。

2011年8月2日火曜日

吉田拓郎の「夏休み」は、これまで私が思っていた歌ではなかったのだろうか。

 8月に入ってからも結構涼しいようであります。「お盆を過ぎたあたりから急速に秋めいてきて・・・・・」なんて書いてみたいのですが、どうも近年の気象状況は違うような気もする。残暑というものがあって、お盆が過ぎたからとい〣て、安心していると飛んでもない目に合う場合があるから注意を要するところでもあります。
 夏休みの真っ最中でありますが、幾つになっても「夏休み」という言葉を聞くと胸ワクするものであります。そして、この時期になると歌いたくなるのは吉田拓郎の「夏休み」という歌です。正しくは歌いたくなっていたです。まずはお馴染みの歌詞を読んでみてください。
作詞/作曲 吉田拓郎
    麦わら帽子は もう消えた
    たんぼの蛙は もう消えた
    それでも待ってる 夏休み
    姉さん先生 もういない
    きれいな先生 もういない
    それでも待ってる 夏休み
    絵日記つけてた 夏休み
    花火を買ってた 夏休み
    指おり待ってた 夏休み

    畑のとんぼは どこ行った
    あの時逃がして あげたのに
    ひとりで待ってる 夏休み

    すいかを食べてた 夏休み
    水まきしたっけ 夏休み
    ひまわり 夕立 せみの声
 私はこれまで、この歌は情景的なものを歌いあげているものだとばかり思っていました。ところが、どこかでこの歌は反核の歌だと聞いたのです。これまでそんなことは露程も思ってもみなかったので、結構衝撃的でありました。
 本当かどうかその真䁽のほどはわかりません。でも、そう云われて改めて歌詞を読み返してみると、これって現在の福島の子供たちの状況にピッタリとあてはまるじゃないですか。それにヒロシマとナガサキの無差別大量虐殺もあの暑い夏になんの躊躇いもなく行われたのを思い出してしまいました。おそらく考え過ぎだとは思うのですが。どう思いますか。

 これまでカラオケなんかに行った時に自分のノスタルジーだけでガナっていたのですが、違う意味を考えた時から、あまりにも悲しくて歌えなくなってなってしまいました。


 

2011年8月1日月曜日

憧れの地デジ難民になりそこねています。

 日付が呆気無く8月1日になり、しかも月曜日であります。だからなにほどのことでもないのですが。7月の大部分はアジくてどうにもならない熱帯夜なんてこともほとんどなくて、それなりの覚悟をして臨んだのですが、なんだかその覚悟の腰を折るようにいとも簡単に終わってしまったのには、いささか拍子抜けしてしまいました。
 このまま8月もこんな調子であって欲しいという反面、正しい夏はこれでいいのかと淀んだ空に向かって叫びたいような複雑な気持ちでもあります。

 とうとう地デジ難民になるのかと思って楽しみで胸がワクワクしていたのであります。それでいよいよテレビ電波が我が家から消滅する記念の7月24日正午が心待ちだったのですが、実際は拍子抜けの結果であって、そのまんま、なんと家のアナログテレビは映り続けていたのでした。おかしいなと思って他のチャンネルも回してみたのですが、これまでと何ら変わることなく、何事もなかったように映り続けているのです。なんだつまんないと思って、そのままスイッチを切ってしまいました。

 そうです、ケーブルテレビが生きていたのです。すでにケーブルテレビは2年ほど前に契約は打ち切ってあったし、地デジチューナーなるものも購入してなかったし、もちろんデジタルテレビなるものも購入していませんでした。それほどのお金をかけてテレビを見なければいけない理由などどこにも見当たらなかったからであります。それでも家に引きこまれたケーブルだけはそのまま生きていたのですね。それはそれで理解できるですが、なんでアナログテレビが映るのか不思議でしょうがなかった。
 どうもそれは総務省の陰謀でケーブルテレビ会社はアナログ信号に変換して流しているようであります。来年の3月まで見られるらしいのです。まったく余計なお世話をしてくれるもんだと少しだけ憤るが、別に見られるのなら特段目くじらをたてる必要もないかと思ったのであります。
これに関した記事を発見しました。2400万世帯 テレビ買い替え「大損」それでその原因を知り納得したしだいであります。

以下引用であります。
<国民をダマしたのか 総務省とNHK>

 キツネにつままれたというより、これはもう詐欺じゃないか。地デジに完全移行した24日、アナログ放送最後の瞬間を見届けようと、家族でテレビの前にかじりついていた世帯の多くは拍子抜けしたはずだ。画面は告知画面に切り替わるどころか、鮮明に映ったまま。12時間後も「砂嵐画面」にならない。「おいおい、どうなっているんだ」――。
 実はこれ、ケーブルテレビ局の「デジアナ変換」によるもの。デジタル波を変換し、アナログテレビでも視聴できるようにしているのである。総務省が地デジの受信環境を整備するため、昨年から、自治体や民間企業などのケーブルテレビ事業者に導入を求めてきた。このサービスで、2015年3月末まではブラウン管テレビでも普通に地デジを視聴できるという。
 そんな措置があったことにビックリだが、さらに驚くのは、その恩恵を受けられる世帯の数だ。ケーブルテレビ局と有料の視聴契約を結んでいなくても、マンションなど集合住宅が最初から加入しているケースはゾロゾロある。結果、知らないうちに「2416万世帯にデジアナ変換が導入済み」(総務省地域放送推進室)というのだ。日本の世帯総数は約5000万だから、半数近くの家庭は、慌てて高価なテレビに買い替える必要がなかったのである。
 15年まで待てばもっと安く、さらに性能のいいテレビを買えたはずだ。あれだけNHKや民放、家電メーカーを巻き込んで、「アナログ停波だ」「地デジ元年だ」とあおっておいて、フザケルナ! ではないか。

<テレビ代と税金を二重取りされたようなもの>

 しかも、総務省はデジアナ変換を導入させるために、ケーブルテレビ事業者に多額の補助金を出していた。その金額は、「昨年と今年の2年間で計11億円。それとは別に、デジタル波とアナログ波が干渉し合わないかを調べるための『混信障害調査費』が5500万円」(同)である。無理してテレビを買い替えた国民にとっては、テレビ代と税金を二重取りされたようなものだ。
 デジアナ変換については大半の国民が寝耳に水だった。ちゃんと事前に告知していたのか。総務省の言い分はこうだ。
「デジアナ変換を導入していないケーブルテレビ事業者もあるため、『自分はケーブルテレビに加入しているから大丈夫』と誤解されると、混乱を招く恐れもあった。もちろん、事業者には周知するように伝えていたが、マンションではケーブルテレビで地上波を視聴している意識がない人も多く、周知には難しい問題がありました」(同)
 その気になれば、方法はいくらでもあったはずだ。“国家的詐欺”と言われても仕方がない。
引用ここまで

 しかし、なにが哀しくてこんなウスラバカ番組の垂れ流しを見続けなければいけないのかとも思うが、電源の主導権はこちら側にあるのだから、それはそれで善としておけばいいと思うのでありました。

 実際にはここ数ヶ月はほとんどテレビを見ることがなくなっていたのです。それでも最初のころは長年の習慣でついついテレビのスイッチを入れることもあったのですが、その内容の空疎さに腹をたてることのほうが多くて、無意味にチャンネルを変え続けて、しまいには頭にきてスイッチを切ってしまうというワンパターンを繰り返していたのです。
 それが、あちら側で勝手に地上波を停止してくれるのは本当にありがたいと思っていたのです。朝の時計替わりにテレビをつけておくという習慣も今ではラジオがそれに取って代わり、その光景だけを切り取りますと、なんとなくキャンプ場での朝の光景ってのが毎朝繰り返されているように思われほっとする一日の始まりでもあります。

 節電ということを力を込めて宣伝するのなら、テレビ放送をやめるのが一番だと思っています。せめて、1時から3時ぐらいの電力がピークに達する時間帯は1局ぐらいを残して全部の放送を中止すればいいのです。どうせロクな番組を流しているわけではないのですから。