2011年7月30日土曜日

平穏な日々の終焉なのだろうか

 この数日間、そろそろブログを書かなければとウスラバカ頭で思っていたのです。しかし、こういったものは、連日書いていないと、その軽薄な文であってもなかなか出てこないようであります。連日1行から2行ほど書いては、その後がまったく続かなくて敢え無く挫折撤退という事を繰り替えしてしまった。

 この状況に始めのころは少なからず焦りもしたが、じきに諦めの気持ちに支配されてしまって、今に至ってしまったわけであります。
 で、日付が変わったからといって、このウスラバカ頭が劇的に改革開放されて明晰な頭脳に変化したなんてことは決してないのであって、ここまで書くのにも四苦八苦、青息吐息でなのでありました。なんとか文字だけでも打鍵して支離滅裂・意味不明であっても書いた物はアップしようと断固たる決意をもって臨んだのでありました。

 7月も終わりに近づきました。梅雨明けが意外にも早く、すぐに温度が上昇したのでどれほどの暑い夏になるのかと、いささかタジロギもしたのですが、この1ヶ月は拍子抜けするほどの涼しい状態できたのではないかと思われる。冷夏といってもいいぐらいに涼しいと感じる今日この頃であります。
 私の生活は6月の後半から今月の前半にかけて多少飲み屋での連日連夜酒呑みに走ったこともあったが、「あ、これはイカンいかん」とすぐに立て直しをおこなったのでありました。
 抜本的対策を早急に行ったので、最近では、いつもよりかはかなり規則正しく暮らしてきたように思われます。むしろこれまでの生活よりも数段上のような気さえしてきてしまう。この1ヶ月良くやったと自分を誉めてやりたいと思うぐらいなのであります。

 しかし、ブログをまったく書かなかったこのひと月はなんと平和だったのかと正直思います。とここまで書いて後は続かないので本日はこれまでであります。リハビリを兼ねての駄文でありました。ではでは

2011年7月24日日曜日

暑中お見舞い申し上げます

 アジくてアジくてこの2週間ほどブログをサボってしまいました。これほど長い期間ブログをサボったのも初めてのことなんじゃないかなと思います。それでこの2週間何をしていたのかといいますと。あれ?そんなことは聞きたくないか。
 のっけから、そう云われてしまうと何も書くことがなくなってしまって、リンダ困っちゃうな状態に固まってしまいますので無理やり書きます。

 まずは大量の読書ですね。最初の1週間は夜も寝ずに昼寝を時々しながら、本を読み続けていました。そして次に大量の文章を書いていました。なに?大量の文章を書いていたのなら、ブログも書けるではないかと思われますが、それらの文章はとても人前に出すことができない白物家電ではなくてシロモノなのであります。ようはできるだけ自分の本音を素直に書き続けることに注力したのでありました。
 大量の読書に大量の作文と大量が続きますが、次に大量がつくのは飲酒であります。

 だから、この2週間は大量の読書・大量の作文そして大量の飲酒となるわけであります。う?それって普段とあまり変わりがないような気もするのですが、ま、そこんところは深く鋭く追求しないようにね。サトー君。

 ではでは

2011年7月11日月曜日

ブルーホークス 第93回高校野球茨城大会 開会式より

水戸黄門のテーマ


 土曜日第93回高校野球茨城大会 開会式を見学しに行ってきた。この暑いさなかにわざわざ隣県の甲子園予選を観に行くとは余程の高校野球ファンだと思われそうだが、何が悲しくて他県の高校野球ごときの、しかも開会式などを観に行かなければいけないかという気持ちが本音であります。千葉県の開会式なるものもこれまで一度として観に行ったこともないし、観に行こうなんて発想そのものがないのでありますからね。
 朝の3時に起床して、走り続けること2時間足らずで呆気無く水戸へ到着。車が混雑していなければ、我が家から水戸は物理的にかなり近いことを実感する。旅にでたときは朝御飯は牛丼屋で食べることにしている。昔は正統朝御飯定食を頼んでいたが、最近は牛丼並になってきた。それで水戸に着いて最初に目についた「松屋」に入る。妻は牛丼少で私は並を注文する。その値段がアータ、牛丼並がなんと240円なのである。しかも、ここは力を込めていわなければならないが、味噌汁付きなのであります。これには驚いた。これまで旅にでて散々牛丼を食べたが、これまでの最安値であります。深く「松屋」様に頭をさげつつ、水戸市民球場へ向かう。

栄冠は君に輝く


 昨年に引き続き2回目の開会式鑑賞であります。娘が1年生の一昨年は奥会津の山の中をひたすらさすらっている時で、どっぷりと山里の生活に浸りきっていた。仕方なく妻だけが見に来ていた。昨年は秋田のド田舎から帰ってきてすぐに、これがあり、やはりアジイなかを見にきたのを思い出した。秋田での初めての百姓経験はその後私のなかに強烈なインパクトを残し、人が生きていくというのは一体どういうことなのだろうという実に人の存在意義を奥深く思考することを強制されてしまった。その割には本来の軽薄さはひとつも是正されなかったけれども。

 よって、あれ以降は決して軽々にアウトドア好きなどという、いまどきの軟弱男が口にするようなことは一切吐かなくなってしまったことは確かである。

アジくて途中で逃げ出した行進の様子


 そうかあの百姓生活から1年も経ってしまったのか、それからの僕もしくは私は、また元の引き篭もり生活に戻ってしまって、日がな一日パソコンを組み立てたり、プログラムを組み立てたりと、すっかりアウトドアとは縁を切ったような生活をしている。それはそれでいいのだと思っている。その時その時に自分が面白いと思うこと思えることをやっていればいいのだと。
 と、まったく第93回高校野球茨城大会開会式とは関係の無いことを書き連ねてしまった。ま、それもいいのだ。

2011年7月8日金曜日

とうとうアナログテレビが見えなくなるそうだ

 昼間はアジくて、アジくて、そうでなくても年齢からしても思考能力が極端に劣化しているのに、それを倍化するようにその暑さがどうだどうだと迫ってくるので、ほとんどの事は比較的涼しい朝めし前に済ますことにしている。おかげで夜昼がまったく逆転してしまっていて、そうでなくても昼間はボヨーンとした状態にあるのに、ほとんど生きてる屍状態で過ごすことになる。

 5月の半ばごろまでに、液晶テレビの値段がガクンと下がっていた。売れ筋の32インチぐらいだと、1インチあたり1000円の値段ぐらいまで下がっていた。もっともっと下がるだろうなと思っていたが、6月に入ったら下げ止まったというか、少しだけ値上がりした。アナログテレビの命が7月24日までということで、急いで買い換える人が増えたのだろうと想像する。

 気がついてみると、我が家のテレビの左下に後20日なんていうのが大きく表示されるようになった。完全な脅迫であります。それで腹立たしいのはCMの時はその表示が消えているのです。なんだかアナログテレビを見ているのは罪人のような扱いであります。まるでテレビを見ないということが非国民のような扱いです。
 これでもか、これでどうだというぐらいにアホバカ番組を朝から晩まで垂れ流しておいて、何ら反省することはない。ニュースは全て横並びの大本営発表で終始する。どこにも真実なんてありはしない。それは今回の3.11以来の報道等でより一層鮮明になった。
 確かにデジタルテレビになれば、映像も音声も格段に良くなるのでしょう。ただ垂れ流す番組の内容に変化が無ければとても買い換える気にならない。DVDを見るためだけだったら考えんこともない。そうなると今はまったく購入時期ではない。液晶パネル自体がどんどんと値下がりしているから、地デジ以降を観察していれば済むだけの話だ。

 誰よりも新しいモノ好きな私は普段だったら、すぐに買い換えていたのだろうけれども、テレビだけはさっぱり胸ワクしてこないのだ。こんなモノに大枚をはたく気にはならない。だから7月24日が過ぎてもブラウン管のテレビがいつものように居間に鎮座していることでありましょう。スイッチを入れれば画面には砂嵐がザーーーっと音を立てて流れていることだと思います。これをテレビ難民というのだそうだ。そういう贅沢な難民なら大いに結構だと思うのだが。

2011年7月5日火曜日

自宅の近くで20年ぶりぐらいに蛇をみた。

 この世の中で何が嫌いかって聞かれれば、いの一番に蛇と答えるだろうと思う。それが先日自宅の近くで長い蛇をみた。最初へんなところに枝が投げられているなと思ったのだが、それがゆっくりと動いているのを感じて、2分36秒ぐらいして、自分の脳が蛇だと感知して、「ひえーーー」と驚きの声をあげたのである。以前に引っ越す前の家の庭でも蛇をみたことがあるが、それ以来一度も目にしていなかった。しかし、蛇をみて驚いたことにあるのではなく、こんな場所にまだ蛇が生息していたことに対して感嘆して驚いたのである。そしてそう感じている自分にも驚いているのであります。
 蛇が別の藪のなかに隠れるまでに10数分あっただであろうか、私はその様子を身じろぎもしないで完全にいなくなるまで見送ったのであります。「そうだ、そうだ、決して反対方面に行ってはいけないぞ、向こうは車の通りも多くて、一瞬にして潰されてしまうからな」と語りかけていたのであります。蛇は気持ち悪いし、大嫌いだが、農業をやってからは考えは大分変わった。蛇は益虫というか役に立つ生き物なのです。畑を荒らす、ネズミやモグラを退治してくれますからね。気持ち悪いけど、決して人間には害を与えないのです。しかし、自分のなかでこうまで蛇に対する考え方が違っていたとは驚き以外のなにものでもありません。

 そんなことがあって、1週間ほどして晩酌をしていたら、妻が「昼間に蛇を見たのよ・・・」という話になった。妻の話からすれば、それは私が見た蛇ではなさそうであります。なんでここ1週間ほどで、これまでうん十年に1度ぐらいしか見たことのない蛇を立て続けにみることになったのであろうかと考えた。
 それはひょっとして・・・・・・。なるほどと思われることが一つあります。家の近所は半地下の片側4車線の高速道路の工事が行われており、最近巨大な重機がかなりたくさん運び込まれて工事も本格化してきており、そこに平和に暮らしていた蛇が追われて、人家の立て込む住宅地に逃れてきているのではないかということであります。
 できれば車にひき潰されないように天寿を全うして欲しいものだと心から願うのでありました。でも自分の前には現れて欲しくはないですけれども。

2011年7月3日日曜日

「HTML5 の基礎: 第 1 回 最初の一歩」 という記事は素晴らしい

 HTML5で理解できない部分があった。いや、理解出来ない部分のほうが多かったと言い直しておこう。それを見事に解消してくれそうなのが、HTML5 の基礎: 第 1 回 最初の一歩であります。「なんだ、まだそんなことをやっているのか」と笑われそうですが、そうなんです。モタモタしながら決して焦らず確実に学習しています。と、いうよりも自分の能力が追いつかないのですからしょうがありません。

 それでこのサイトで何がわかったのかということですが、左の図を見てください。これまで曖昧だったのが<aticle>タグと<section>タグの力関係でありました。この図をみると<aticle>タグの下に<section>がきています。これまでその反対だと誤解してましたものですから、これまで作成したものは全部書き直しになってしまいますが、ま、それも勉強ですから仕方ありません。

 とここまで書いて、もう一度記事を読み返してみると、この図には示されていないことが説明されているではないですか、危うく早とちりをやらかすところでありました。しかし、この説明は翻訳が悪いのだろか、<aticle>と<section>の関係がなかなか理解できません。もうしばらく悩む日々が続きそうです。取り敢えず、この図が示しているように<aticle>が<section>を包括するような形を採用してみようかと思います。以下引用文
記事領域およびセクション領域
ここで設計しているページには、1 つの記事セクションがあり、ここにページの実際のコンテンツが入ります。この領域を作成するには、<article> タグを使用します。このタグが定義するコンテンツは、ページの他のコンテンツとは独立して使用することができます。例えば、RSS フィードを作成する場合には、<article> を使用してフィードのコンテンツを一意に識別することができます。<article> タグによって識別されるコンテンツを削除したり、別のコンテキストに配置したりしても、そのコンテキストにおけるコンテンツは完全に理解することができます。
Acme United 計画の記事領域には、3 つのセクション領域が含まれます。これらのセクション領域を作成するには、<section> タグを使用します。<section> の中に含めるのは、Web コンテンツ内で互いに関連するコンポーネント領域です。<section> タグには (<article> タグもそうですが)、ヘッダー、フッター、さらにセクションを完成するために必要なその他すべてのコンポーネントを含めることができます。<section> タグは、コンテンツをグループ化するために使用します。<section> タグと <article> タグのコンテンツはどちらも通常は <header> で始まり、<footer> で終わります。この 2 つの間に、タグのコンテンツが入ります。
<article> タグの中に <section> タグを含めることができるのと同じく、<section> タグの中に <article> タグを含めることもできます。<section> タグは同様の情報をグループ化するために使用し、<article> タグは記事やブログなど、コンテンツが持つ意味に影響を与えることなく、削除したり、新しいコンテキストに移動したりすることができる情報に使用します。<article> タグはその名前が示唆するように、完全な情報一式を提供します。それとは対照的に、<section> タグには関連情報が含まれていても、その情報だけを別のコンテキストに配置することはできません。そうすると、その情報が持つ意味が失われてしまうためです。
リスト 4 に、<article> タグと <section> タグの使用例を記載します。

リスト 4. <article> タグおよび <section> タグの例
<article>
     <section>
          Content
     </section>
     <section>
          Content
     </section>
</article>
<section>
     <article>
          Content
     </article>
     <article>
          Content
     </article>
</section>

2011年7月1日金曜日

ドラッカー 16 【エッセンシャル版】マネジメント



日本の読者へ

 私の大部の著作『マネジメント----課題・責任・実践』からもっとも重要な部分を抜粋した本書は、今日の日本にとって特に重要な意味を持つ。日本では企業も政府機関も、構造、機能、戦略に関して転換期にある。そのような転換期にあって重要なことは、変わらざるもの、すなわち基本と原則を確認することである。そして本書が論じているもの、主題としているもの、目的としているものが、それら変わらざるものである。

 事実、私のマネジメントについての集大成たる『マネジメント』は一九五〇年代、六〇年代という前回の転換期における経験から生まれた。まさにその時期に、二〇世紀のアメリカ、ヨーロッパ、日本の経済、社会、企業、マネジメントが形成された。日本を戦後の廃墟から世界第二位の経済大国に仕上げたいわゆる日本型経営が形成されたのもこの時期だった。

 私のマネジメントとの関わりは、第二次大戦中、当時の最大最強の自動車メーカーGMでの調査に始まり、アメリカの大手鉄道会社と病院チェーンへのコンサルティング、カナダの政府機関再編への協力、日本の政府機関再編への協力、日本の政府機関、企業への助言と進んでいった。

 それらの経験が私に教えたものは、第一に、マネジメントには基本とすべきものがあるということだった。

 第二に、しかし、それらの基本と原則は、それぞれの企業、政府機関、NPOの置かれた国、文化、状況に応じて適用していかなければならないということだった。英語文化と仏語文化の共存が大問題であるカナダの政府機関再編、国との関係再構築についての助言という私の仕事には役に立たなかった。同じように、歴史のあるアメリカのグローバル企業の組織構造は、たとえ同じ産業にあっても、創業間もない日本のベンチャー企業の組織の参考にはならなかった。

 そして第三に、もう一つの、しかもきわめて重要な「しかし」があった。それは、いかに余儀なく見えようとも、またいかに風潮になっていようとも、基本と原則に反するものは、例外なく時を経ず破綻するという事実だった。基本と原則は、状況に応じて適用すべきものではあっても、断じて破棄してはならないものである。

 ところが私は、当時、成功している経験豊かな経営者さえ、それらの基本と原則を十分把握していないことに気づいた。そこで私は、数年かけて、マネジメントの課題と責任と実践に関わる基本と原則を総合的に明らかにすることにした。

 実はその二〇年前、すでに私は、企業や政府機関のコンサルタントとしての経験と、二つの大学で役員を務めた経験から、同じ問題意識のもとにこの課題に取り組んでいた。その成果が、三〇ヶ国語以上に翻訳されて世界中で読まれ、今日も読まれ続けている『現代の経営』だった。それは全書というよりも入門書だった。

 しかし『マネジメント』は、初めからマネジメントについての総合書としてまとめた。事実それは、マネジメントに関わりを持ち、あるいはマネジメントに感心を持つあらゆる人たち、すなわち第一線の経営者から初心者にいたるあらゆる人たちを対象にしていた。

 その前提とする考えは、マネジメントはいまや先進社会のすべてにとって、欠くことのできない決定的機関になったというものである。さらには、あらゆる国において、社会と経済の健全さはマネジメントの健全さに左右されるというものである。そもそも国として、発展途上国は存在せず、存在するのはマネジメントが発展途上段階あるだけであるということに私が気がついたのは、ずいぶん前のことだった。

『マネジメント』が世に出た後も、無数の経営書が出た。勉強になる重要なものも少なくない。しかしそれらのうちもっともオリジナルなものでさえ、扱っているテーマはすでに『マネジメント』が明らかにしていたものである。事実、この三〇年に経済と企業が直面した課題と問題、発展させた政策と経営のほとんどは、『マネジメント』が最初に提起し論じていた。

 『マネジメント』は、世界で最初の、かつ今日にいたるも唯一のマネジメントについての総合書である。しかも私が望んだように読まれている。第一線の経営者が問題に直面したときの参考書としてであり、第一線の専門家、科学者が組織とマネジメントを知る上での教科書としてであり、ばりばりのマネージャー、若手の社員、新入社員、学生の入門書としてである。うれしいことには、企業、組織、マネジメント直接の関わりを持たない大勢の人たちが、今日の社会と経済を知るために『マネジメント』を読んでくれている。

 マネジメントの課題、責任、実践に関して本書に出てくる例示は、当然のことながら、『マネジメント』初版刊行時のものである。しかし、そのことを気にする必要はまったくない。それらの実例は、基本と原則を示すためのものであり、すでに述べたように、それらのものは変わらざるもの、変わり得ないものだからである。

 したがって読者におかれては、自らの国、経済、産業、事業がいま直面する課題は何かか、行うべき意思決定は何か、そしてそれらの課題、問題、意思決定に適用すべき基本と原則は何かを徹底して考えていっていただきたい。さらには、一人の読者、経営者、社員として、あるいは一人の知識労働者、専門家、新入社員、学生として、自らの前にある機会と挑戦は何か、自らの拠り所、指針とすべき基本と原則は何かを考えていただきたい。


 世界中の先進社会が転換期にあるなかで、日本ほど大きな転換を迫られている国はない。日本が五〇年代、六〇年代に発展させたシステムは、他のいかなる国のものよりも大きな成果をあげた。しかし、そしてまさにそのゆえに、今日そのシステムが危機に瀕している。すでに周知のように、それからの多くは放棄して新たなものを採用しなければならない。あるいは徹底的な検討のもとに再設計しなければならない。今日の経済的、社会的な行き詰まりが要求しているものがこれである。

 私は、二十一世紀の日本が、私と本書に多くのものを教えてくれた四〇年前、五〇年前の、あの革新的で創造的な優木あるリーダたちに匹敵する人たちを再び輩出していくことを祈ってやまない。そしてこの新たな旗手たちが、今日の日本が必要としているシステムと戦略と行動を生み出し活かすうえで、本書がお役に立てることを望みたい。

 本書がこの偉業に貢献できるならば、これに勝る喜びはない。それは私にとって、私自身と、体系としてのマネジメントそのものが、これまで日本と、日本の友人、日本のクライアントから与えられてきたものに対するささやかな返礼にすぎない。

 本書の編訳者である上田惇生氏は『マネジメント---課題、責任、実践』の翻訳チームの最年少のメンバーだった。日本の代表的な経済団体である経団連で広報部長を務められた後、ものづくり産業の担い手たるテクノロジスト育成のための四年制の私立大学、ものつくり大学の設立に参画され、現在同大学で教授を務めておられる。

 しかも氏は、忙しい仕事の合間を縫って、ずっと私の日本における助言者、編集者、翻訳者の役割を果たしてきてくれた。実際のところ、氏は私の著作のほとんどすべてを訳してくれている。二度三度と訳し直してくれたものもある。本書もその一つである。私は私の謝意と友情の深さを表す言葉を知らない。私が読者の各位とともに言えるのは、本当にありがとうという言葉だけである。

 本書を著述家が持ちうる最高の友人、最高の編集者、最高の翻訳家たる上田先生に捧げることを許していただきたい。


二〇〇一年一月

カリフォルニア州クレアモントにて
        ピーター・F・ドラッカー


まえがき-----なぜ組織が必要なのか


 われわれの社会は、信じられないほど短い間に組織社会になった。しかも多元的な社会になった。生産、医療、年金、福祉、教育、科学、環境にいたるまで、主な問題は、個人と家族ではなく組織の手にゆだねられた。この変化に気づいたとき。「くたばれ組織」との声があがったのも無理はない。だが、この反応はまちがっていた。なぜなら、自立した存在として機能し成果ををあげる組織に代わるものは、自由ではなく全体主義だからである。

 社会には、組織が供給する財とサービスなしにやっていく意思も能力もない。しかも、組織の破壊者たる現代のラッダイト(産業革命時の機械破壊運動者)のなかで、組織を必要としているのは、声の大きな高学歴の若者である。知識を通じて生活の資を稼ぎ、成果をあげて社会に貢献する機会が豊富に存在するのは、組織だけだからである。

組織をして高度の成果をあげさせることが、自由と尊厳を守る唯一の方策である。その組織に成果をあげさせるものがマネジメントであり、マネージャーの力である。成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てである。

 経営者のほとんどがもっぱらマネジメントの仕事を扱っている。それらはマネジメントを内から見ている。これに対し、本書はマネジメントの使命、目的、役割から入る。マネジメントを外から見、その課題にいかなる次元があり、それぞれの次元に何が要求されるかを見る。しかる後に、マネジメントのための組織と仕事を見る。さらにトップマネジメントと戦略を見る。

 マネジメントは、以前にも増して大きな成果をあげなくてはならない。しかも、あるゆる分野で成果をあげなくてはならない。個々の組織の存続や繁栄よりもはるかに多くのことが、その成果いかんにかかっている。組織に成果をあげさせられるマネジメントこそ、全体主義に代わる唯一の存在だからである。

 本書の動機と目的は、今日と明日のマネジメントをして成果をあげさせられることにある。

一九七三年春

カリフォルニア州クレアモントにて
        ピーター・F・ドラッカー

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目次

  •  
    • 日本の読者へ
    • まえがき
  • part1 マネジメントの使命
    •  
      • 1 マネジメントの役割
    • 第1章 企業の成果
      • 2 企業とは何か
      • 3 事業は何か
      • 4 事業の目標
      • 5 戦略計画
    • 第2章 公的機関の成果
      • 6 多元社会の到来
      • 7 公的機関不振の原因
      • 8 公的機関成功の条件
    • 第3章 仕事と人間
      • 9 新しい現実
      • 10 仕事と労働
      • 11 仕事の生産性
      • 12 人と労働のマネジメント
      • 13 責任と保障
      • 14 「人は最大の資産である」
    • 第4章 社会的責任
      • 15 マネジメントと社会
      • 16 社会的影響と社会の問題
      • 17 社会的責任の限界
      • 18 企業と政府
      • 19 プロフェッショナルの倫理---知りながら害をなすな
  • part2 マネジメントの方法
    • 20 マネジメントの必要性
    • 第5章 マネージャー
      • 21 マネージャーとは何か
      • 22 マネージャーの仕事
      • 23 マネジメント開発
      • 24 自己管理による目標管理
      • 25 ミドルマネジメント
      • 26 組織の精神
    • 第6章 マネジメントの技能
      • 27 意思決定
      • 28 コミュニケーション
      • 29 管理
      • 30 経営科学
    • 第7章 マネジメントの組織
      • 31 新しいニーズ
      • 32 組織の基本単位
      • 33 組織の条件
      • 34 五つの組織構造
      • 35 組織構造ついての結論
  • part3 マネジメントの戦略
    •  
      • 36 ドイツ銀行物語
    • 第8章 トップマネジメント
      • 37 トップマネジメントの役割
      • 37 トップマネジメントの構造
      • 37 取締役会
    • 第9章 マネジメントの戦略
      • 38 規模のマネジメント
      • 39 多角化のマネジメント
      • 40 グローバル化のマネジメント
      • 41 多角化のマネジメント
      • 42 グローバル化のマネジメント
      • 43 成長のマネジメント
      • 44 イノベーション
      • 45 マネジメントの正統性
      • 結論

    • 付章 マネジメントのパラダイムが変わった
      • 編訳者あとがき