2016年8月23日火曜日

旅に「たいしたことのある」ものを見つける楽しみ

遅ればせの夏休みでありますが、まだ行き先は決まっていない。これはいつもの事であります。本州の西の方は山口と広島を残すだけとなっているのだが、本来なら迷わずにそちら方面を目指すべきだろうけど、先日も書いたとおりに今年は懐具合がかなり寂しいので泣く泣く断念することにする。
四国は何年か前に訪れているので、残すは本州の一部と九州なのであります。
今時、車を使って日本一周したからと云ったって誰の感慨も呼び起こすわけでもないのだから、別段それほどの執着を持っているわけではないからいいのですけれども。
これまで伊勢神宮と出雲大社と行ったのだから最後の仕上げは熱田神宮となるのだけれども、この選択肢もそれほど寺社仏閣が好きだというわけでもなから、それほど強い動機にも成り得ないのであります。
神社つながりで余談を申し上げれば、終戦の日に他国が大騒ぎする靖国神社の場所を調べてみました。以前に勤めていた会社の近くに「靖国通り」というのがあって、そうかこの道をとことこ歩いていけば「靖国神社」にいくのだなぐらいに思っていたけれども、とことこと歩いて行ったわけではなかったので、はっきりと場所を確認したことはなかった。さっそくググッてみたら、なあんだ講道館の近くではありませんか。あの周辺は取引先があったから結構ウロチョロしていたのですが、まったく気がつかなかったのであります。
私のところからは総武線一本で行けるわけですから、秋になってもっと涼しくなったら散歩がてらに参拝してみたいと思います。と云ってはみたもののかなり怪しいものがありますが。

昨晩晩酌をしていたら、妻が彼女の友人が佐渡ヶ島に行ってきた話をしていました。その話のなかで「たいしたことがなかった・・・・」という言葉が引っかかったのであります。旅談義でよく耳にするのは「どこそこへ行ってきたけど、たいしたことなかったよ・・・」であります。
「それではたいしたことがある」とはどういうことなんだろうということであります。旅先でデズニーランドのような施設があればたいしたことがあるということなんでしょうか。それならば自宅から30分ほどでいけるデズニシーにでも毎週のように通えば済む話ではないかということであります。
私にとってはデズニーランドなんてものはできた当時2度ほど行きましたけれども、もう2度といきたいと思わない場所なのであります。だから私にとってはかの場所は「たしたことのない」ところなのであります。
強引にこの話をまだ続けますと、旅というものは自分でたいしたことのある事を発見することだと思っているのです。
これは旅の話ではありませんが、散歩コースに小さな祠がちょっと離れて2つあります。地元育ちの人たちは庚申様といえば通じますが、私をはじめよそ者が大半をしめるようになった現在ではその名さえ知らないというのが実情であります。私も始め知らなかったのですが、それは馬頭観音を祀ってあるそうです。
ここからは私の妄想になりますが、この場所は以前は高射砲部隊もありましたし、かなり大きな部隊が配属されていたのです。当然軍馬も相当数飼育されていたものと想像されます。もっと詳しく資料を漁れば自分の住む場所の謂れを知ることができるものだと思います。残念ながら私にはそのような根気と情熱がありませんので、せいぜいこのあたりで妄想たくましくする以外しかないのですけれども。

旅するってことは見過ごしてしまいそうな何気ない風景や事物の中に、たいしたことのあるものを発見することも楽しいことなのだと思います。本当は地元の人と親しくなって聞くのが一番ですけれどもテレビの旅番組のようなわけにいかない難しさがあったりしますけれども。


2016年8月21日日曜日

ぼちぼちと旅の準備です。少し胸ワクであります

お盆休みも終わり、夏休みの旅行期間も一段落したところで、遅ればせながらの夏休みを取ることにしました。
以前は一年の半分ぐらいは旅に出ていたり、とんでもないところで暮らしていたりしたのですが、糖尿病が悪化して目をやられてからは極端に臆病になってしまって、ここ数年は独りで旅にでるということはまったく無くなってしまって、年に一度妻の夏季休暇にあわせて旅にでることだけになってしまいました。
以前はノートパソコン一台あればどこでだって仕事ができたので、仕事しながら旅をするんですと、言い訳ができたのですが、現在は超大型のディスプレイ2台を駆使して、そのあまりの画面の大きさに頭がクラクラするほどの船酔いに近いものを感じたりしながら一日の大半を過ごす身となりました。
旅先にこんなに大きな物を持ち込むことは不可能ではないけれども、あまりに面倒すぎるので、「仕事をやりながら旅をする・・・・」の言い訳は通用しなくなったわけであります。

一年ぶりの旅になりますから、それはそれで結構胸がワクワクしてくるわけであります。ここのところ、毎年結構遠くまででかけていたのですが、今年はエアコン二台を入れ替えたり、昨年の旅の途中に車のエアコンがだめになったのを夏前に修理したり、おまけに車の車検に20万超えを請求されたりと、それに任意保険が重なってふんだり蹴ったりの状態でありまして近場でお茶を濁すしかないなと諦め半分のような気持ちであります。近場に行くとなるとほとんどの場所を飽きるほど走り回っており、旅先を思い浮かべるとそれほど胸ワクしてこないのが少しだけ問題なのであります。

これはずーっと感じていたのですが、最初に車を購入する場合には、冬のオフシーズンにするべきだということであります。そうしないと夏場に旅しようと思った時に車検があったり、任意保険の継続契約があったりと肝心な時にお金がでていってしまうのです。これは本当に思慮が足りなかったなと深く反省しているわけであります。

2016年7月21日木曜日

ネットアプリはAccessで作成してから移行するのはどうですか

またしても、1ヶ月ほど更新をサボってしまいました。知り合いの会社のシステム作りを昔とった杵柄とばかりに安請け合いをしたのが運の尽きでありました。
もちろん自分の中にもどこのかのシステムを作って役にたってみたいという思いと、必死こいて一心不乱にコードと格闘した日々を懐かしむ思いもあったことは確かなことであります。

最初は、すべてインターネット上にシステムを構築して、スマホ・タブレット・PCと端末を選ばないものにしようと思ったのですが、それを断念して良かったと今ではホッとしています。
それをやるためには、私の現在持っているスキルでは何年経っても陽の目を見ることはなかったものだと思います。これまで簡単なアプリは作ったことはあります。それはMySQLとPHPとHTMLを組み合わせたものでありましたが、基幹業務となるとそうはいきません。
ユーザーインターフェースの部分にしても入力・編集・削除ひとつとってもJavaScriptもしくはJQeryを駆使しなければならずそれらを試行錯誤しているだけでも相当の時間を割かなければいけないことは明白なことであります。それにほとんどのSQLを忘れ去っていたのですから無謀な試みだったといえるでしょう。
ただ理想であることは確かなことであります。趣味的に研究を重ねることは重要な事だと認識はしているのでありますが。

そこで登場したのがマイクロソフトのリレーショナルデータベースAccessであります。最初は使い方がわからず慣れるのにかなり戸惑ったのですが、徐々に慣れてきましたら、本当に良くできているソフトだと感心しました。SQL言語もクエリーを自動で作成してVBAに貼り付けるという作業をくり返しているうちに徐々に理解できるようになってきました。Accessが吐き出したSQLがそのままOracleとかPostgreSQLとかMySQLでそのまま通用するのかどうかは試していませんけども、冗長な()を整理すれば基本的には大丈夫だとは思いますけど。今のところは必要ありませんけれども。

Accessでじっくりと作りこんだものを後にネットアプリに置き換えて行くのが正解なのではないかと思い始めました。Accessで概要設計・詳細設計を完了させ、なおかつプロトタイプを運用してから、ネット上に移行していくという流れが理にかなった、私のようにスキルのない人間にはぴったりのプロセスのような気がします。

2016年6月19日日曜日

バロックとブルースと紅乙女と

昨日は、柄にもなく気取ってみたくて「休日の朝はバロック音楽から・・・」なんて思いついて朝からAmazonのプライムラジオでバロックチャンネルにあわせて聞きまくりました。聞いてみると意外なほど違和感がなくてすんなりと受け入れている自分にびっくりしてしまいました。
普通のクラッシック音楽よりもずーっと聴きやすいし、なんか昔から当然のごとく馴染んできたような錯覚に陥ってしまいまして、結局一日中聴きいってしまいました。
夕方になって晩酌をしながらも、灯りをぐーっと落として薄暗い中で聞くのもなかなか雰囲気があってオツなものでありました。チェンバロやオルガンの曲もいいし、きっと賛美歌なんでしょうねその荘厳な合唱曲も、別にキリスト教信者でもないのに目頭が熱くなってくるような気にもなってくるから不思議であります。
この馴染みやすさって、若いころにプログレッシブロックを聴いていたからなのかも知れないと無理やりこじつけたりしています。ELP(エマーソン・アンド・レーク・アンド・パーマー)とかピンクフロイドとか・・・ちょっと違う気もするけどクイーンあたりの楽曲の影響が大きいような気がします。なんだかかなり無理のある解釈のような気がしますが、これほどバロック音楽に惹かれるのはそのあたりにあるのだと無理やり納得させてしまいました。

ヤオコーで購入してきた「ごま焼酎紅乙女」が大好きで、これがあるとついつい杯を重ねてしまって結構ヘロヘロになるまで呑んでしまいます。ごま焼酎に酔って、バロック音楽に酔いしれて、そして仕上げはいつものブルースであります。最後にはやはりブルースギターの鳴き音を聞かないと一日が終わった気がしません。しまいには、渾然一体となってしまいバロックなのかブルースなのかわけがわからんようになってしまっています。なんだか、この二つって似ているような気がしてなりません。
「どこがー!」っていうツッコミが聞こえてくるようでありますね。今夜も紅乙女を呑もうっと

2016年6月18日土曜日

とうとう扇風機をだしましたとさ

休日の朝の音楽はバロックからと、普段はほとんど聞くことのないバロック音楽を流しております。私のクラッシック音楽についての見識は「ま、仕事をする上で邪魔にならないからいいよね。」などという程度でしかないのであります。
ちょうど今、バッハのトッカータとフーガが厳かに流れているのですが、聞いている本人はひとつも厳かでないのが困りものでありますけど・・・。

そうそう、昨夜は、とうとう扇風機をだしてきてしまいました。まだ一台しか動いていませんけど、これがどんどんと暑くなってくれば、家中から集めれば最高5台まで増設することができますけれども。「あのねぇ、いくら扇風機を増設しても本格的な暑さになったらほとんど意味は無いですけれども。」

お昼ごはんを食べてから、妻と二人で近くのホームセンターと業務スーパーとヤオコーに買い物に出かけました。車のエアコンは一年ぶりに修理したので快適であります。よくもまあ、この一年エアコンなしの車に乗っていたかと思うと不思議な気にもなってきます。
それはいいんですけど、買い物から帰ってきて家に入ったら、なんの迷いもなくエアコンのスイッチを入れていました。んー、さっきの扇風機5台増設はどこへいってしまったのでしょうか。
これはね、朝からずーっと自宅にいて暑いのも扇風機でしのいでいて平気だったものが、車に乗ってエアコンの快適さを知り、各店舗でもエアコンで涼んできたのですから、もう扇風機の世界には戻れなくなってしまっただけの話です。
私はある時から、暑いと感じた時には迷わずエアコンのスイッチを入れることにしています。熱中症のこともありますし、それでなくてももともと温かい頭をしているのに、それにちょっとでも外部から熱が加わればオーバーヒートするのは確実ですからね。

ほんの小さなことでいいから、自分の自信につながる何かが必要なんだと強く思っています。

2016年6月17日金曜日

職業が性格を縮めてしまったのかも

最近気がついたことがあるのです。よく呑んだ席などで、「あいつが悪いから会社が良くならないんだ」とか、「バカな政治家ばかりだ」とか「公務員は税金で良い思いをしている」などと他人(ひと)様のことを斬りまくる人っているじゃないですか。
その気持ちもわからんことも無いのですが、以前からスゴイ違和感を持っていたのです。もっとも小学生・中学生の通信簿に「落ち着きが無い・協調性が無い」などと一貫して書かれていた奴ですから、あまり他人(ひと)様のことに感心がないという性格だったのも確かなのですが。

では最近気がついたことって何かといいますと、それは毎日ゾンビプログラマーをやっていて思ったのです。プログラムの動かないことって絶対に他人(ひと)様のせいにはできないことだということです。
政治家が良くても、上司が良くても、公務員の態度が良くてもアホなゾンビプログラマーの書いたコードがタコならば絶対に動作しないということであります。そして、それを他人(ひと)様のせいにしたって何も問題は解決しないということです。
良いも悪いも全部が全部自分に帰結するということであります。それ以外なにもないということですね。

すべて他人(ひと)様のせいにして問題が解決するのなら楽でいいですけれどもね。俺なんかひとたび他人(ひと)様の悪口を云わせたら半端でない破壊力を持っていますから、毎日でも悪口をいいまくりますね。それで現在開発中の営業支援システムが完成するのであればですね。

長年因果な商売をやってきたから、妙に性格が小さく縮こまってきたのかも知れないとも思いますが、長年、自分の能力の無さをとことん見せつけられてきた人生ですからね。

プログラミングは年寄りの暇つぶしには最適です

久しぶりに朝からお日様がギラッとした顔をみせてくれました。日中はかなり暑くなりそうな予報がでていますが、なんといっても私にとっては洗濯日和なのがウレシイのであります。
タイミングよく回していた洗濯機がビィ-ビィ-と洗濯が今終ったよとの合図をウレシそうに周囲に告げています。ヨシヨシ今日は一発乾きだかんねと私もニカニカ顔になるのでありました。
そのニカニカ顔でふとカレンダーを眺めてみると、すでに金曜日でありました。私の時の流れはここのところ近来にない早いスピードで流れ去っているような気がしています。

というのも、昔取った杵柄ということでシステム開発を安請け合いしてしまい、年老いたゾンビ的にわかプログラマー化してしまったからであります。こんなにシンドイものであったら・・・・、などとぶつぶつ言いながらも時間を見つけてはコツコツと、思い出しながら四苦八苦の連続を重ねているわけであります。その昔、プログラマー30歳定年説というのがありまして、その説に従えばその倍も齢を重ねてしまった私の場合はそれこそゾンビプログラマーなわけであります。

それで最近強く感じることは、システム開発は私にとっては壮大な暇つぶしなんだなということであります。あ、この言い回しはちょっと大げさで、少し格好をつけていますね。言い換えると「プログラミングは年寄りの暇つぶしには最適」と表現したほうが、ズバリと言い表しているような気がします。
いくら時間がかかろうと、正しいコードを書けば動くわけであります。間違っていれば当然ぴくりともしないか、おかしな動作するわけであります。動かないというのは絶対に私が悪いわけであります。こういう格闘というのは劣化した頭の活性化には素晴らしく有効なのではないかと思うわけであります。
やりはじめた当初こそ、ほとんどの事を忘れ去ってしまっており、思い出すまで結構苦しい思いもしましたが、最近はかなりの部分を思い出してきまして、自分の思っていたとおりに動くようになってきますと、結構楽しくて時間を忘れて没頭してしまっている自分を発見したのであります。
それとともにこのシステムを使う人を驚かせてやりたいなんていうヨコシマな気持ちもでてきまして、なにかスゴイ仕組みはないものかなどと考えるようになってきてしまっているのです。
こういう事をやる人間のどこかには自分の力を自慢したい、人を驚かしたいなんていう気持ちが必ずあるものであります。そんな気持ちが湧いてきたことに自分でも驚いてしまってもいるのであります。
若い時に基礎をしっかりやっていて本当に良かったと思っています。この歳になってから、一からプログラムの勉強をしようなんて絶対に思わないですからね。

2016年6月16日木曜日

まずは指を動かしてみないと何もはじまらないのだ

相変わらずマイクロソフトのデータベースAccessで四苦八苦しています。開発当初の思惑はこんなはずではなかったのであります。
昔とった杵柄でありますからほんの軽い気持ちで引き受けたのですが、自分の頭で思い込んでいることと現実には大きな開きがありまして、いくらその昔にはもっと大掛かりで複雑なシステムを作っていたのになんて云ったって、それはたんに年寄りの繰り言に過ぎないということを思い知らされてしまいました。
だから、結局一から勉強しなおしのような状態になってしまいまして、単純な仕組みそのものを組み立てるにも、いちいちネットで検索して試してみて実装するなんて事の繰り返しでありますから、まどろっこしくしょうがありません。

なんかいつも自分の頭のなかに厚い雲がかぶさっているような感じであります。
そうか、これが別の意味でクラウドコンピューティングなのだ、などと笑ってもみても、ひとつも楽しくありませんね。マイッタナ。

かなりの間、ネットでの仕事ばかりやっていたものですから、デバッグの方法まで忘れてしまっていて、いちいちメッセージボックスに値を放り込んで確認するなんていうバカな事をやっていまして、最近ようやくデバッグの方法がわかったという初心者もびっくりというなんともはやの状態でありました。

それでも最近はどうにか昔とった杵柄の感覚が蘇ってきたようで、自分の新たなアイデアなどを盛り込んでみようなどという気持ちがでてきたようであります。やはり、プログラマーは実際に指を動かしてコードを書いてみないと進歩はしないということですね。

最近は小さいシステムでいいから完璧なものを作るということが私の場合はとっても大切なことだと思いまして、システムの規模を極端に縮小しまして、ひととおりの機能を面倒がらずに織り込んでいこうと考えるようになりました。
もっとも、システムは小さく産んで大きく育てるというのが重要なことではないかと思いますけれども。

2016年6月13日月曜日

週のはじまりなのに気が抜けてしまいそうです

暗闇のなかに起きだしてすぐに、「ひょっとして雨か?」という思いがよぎるほど幽かな雨音が聞こえた気がした。まだ目覚めたばかりのことで足元も定まらないままに、ヨレヨレと階下の仕事部屋にようやくのことで辿り着いてはっきりとしてきたことは、それはひょっとしなくても完璧な雨音なのだということを知らされた。今は梅雨のまっただ中にいるわけだから格別驚くことではないのだけれども。

パソコンの電源を入れて最初にやることはAmazonラジオのサイトに跳んで音楽を流すことがおきまりになってしまっている。体調のいい時は、最初から「オール・ロック」なんていう威勢のよいチャンネルを選ぶこともあるのだが、今朝は起き抜けにロックではいささかゲンナリしてしまうので、ここは穏当に「ジャズ・ボーカル」などというチャンネルをチョイスする。こうして私の一日は「音楽の垂れ流し消費」という行為から始まるわけであります。

と、書いていて、そういえばクラシックってチャンネルを一度も視聴したことがないことに気がついた。そこで、ものは試しと「クラシック・室内楽」というチャンネルに変更してみた。
そして最初に流れてきたのが、驚いたのなんのって・・・・。これってけっして作って書いているわけじゃないんですよ。ここまで書くともうネタバレになっているかも知れないけれども、ここで流れてきた曲がなんとショパンの雨だれでありました。これ本当にホントだって。いやはや参ったね。

雨だれごときでのけぞってしまったバカタレは、そのバカを懸命に隠して今日もプログラミングをやりつづけるのでありました。
うーんなんだかな




2016年6月12日日曜日

ただボーゼンとしていた日曜日

昨日は久しぶりに、にわか洗濯男に変身したことを書いておきましたが、自分でも意外だなと思うのは「変身!食器洗い男」であります。この突然変異は自分で思うのも不思議なくらいに、かなり長い間続いていているのです。もちろん毎回全部の食器を洗っているわけでないのですが、二日酔いしていない限りは、ほぼ全部、しかも結構手を抜かずに洗い続けているのであります。

その昔、単身秋田のド田舎で、ガス・水道・電気なしの生活を半年ほど体験しまして、敢えなく挫折して我が家に帰り着いた時に一番に感動したことがあります。
それは蛇口をひねれば大量の水が惜しげも無く出てくることでありました。秋田ではもらい水でありましたから、貴重であります。食器を洗うのにも無駄にはできませんでした。だったら紙の食器を使えばいいではないかという話になりますが、私は住民登録をしていませんから堂々とゴミを捨てることもできなかったのであります。
だったら燃やせばいいではないかとなりますが、昨今はちょっとでも焚き火をすれば、すぐに誰かが駆けつけてきて厳重注意という事になってしまいます。ましてゴミを燃やしているなんていう事になれば・・・・。
その不便な生活を半年ほど経験した後に、水のありがたさを身にしみて感じるようになったわけであります。それ以来、洗濯とか食器洗いに大きなヨロコビとシアワセを感じるようになったことは確かなことであります。
もともと私はヨロコビやシアワセを感じるのに随分と安上がりな人間なのでありますけど。

そのかなり昔に小学生頃の通信簿には担任が必ず書き込んでいた言葉が、「落ち着きがない、協調性がないと」いうことでありました。
「なぁにを云ってやがるんだい、トンチンカンな事を書きやがって・・・」なんて当時は思っていたのですが、この歳になってみれば全部当たりすぎるぐらいに当たっているなと、当時の担任の先生方の眼力にはほとほと感心してしまいます。
この落ち着きがないというのは、三つ子の魂百までものことわざ通りに、今でもまったく変わりはありません。それどころか、最近は集中力もどんどんと失われてしまって落ち着きのないジジイになってしまっています。
そんな状態でプログラミングなるものをやっているものですから、ちょっとした壁にぶつかったりしますと元来の落ち着きの無さを存分に発揮するようになるわけであります。普通ならその越えるべき壁の原因をじっくりと調査するわけでありますが、もう切れてしまってじっとディスプレイの前に座っていることすらできなくなってしまって、台所に行って食器洗いなどをやったりしますが、すでに洗う食器が無ければ、急に掃除を初めたり、それもやった後では、やたら歩きまわったりするわけであります。
だから食器洗いを毎日、毎回続けているといってもその動機が結構怪しいものがあるわけであります。だから壁にぶつかる回数が多ければ多いほど私の周囲はどんどんと片付いて清潔になっていくという一概に単純にヨロコベないという状況にあるわけであります。

妻が仕事を休んで主婦でいる場合は、そうそうアカラサマに彼女の領域を荒らすわけにもいかず、ただ呆然として周辺をウロウロすることになるわけであります。そのような状態が本日日曜日の一日でありました。なんともはや

2016年6月11日土曜日

Accessの感動した隠れ機能2つ

久しぶりの洗濯日和でありました。それなりの洗濯量がありまして、せっせと洗濯物を干しました。こういう日は洗濯をしていても楽しいものであります。と書きますといつも洗濯をしているように思われますが、今日は何ヶ月ぶりかに洗濯男に変身したに過ぎないのですけれども。

本日は土曜日なのに珍しく家には誰もいないので、普段となんの変わりのない一日でありました。久しぶりに暖かいごはんに味噌汁という日本の正しい朝ごはんを食べようと思ったのであります。うーんちょっとわかりにくいですね。それを思い立ったのは昼ご飯まえの事でありますから、お昼ごはんに正しい日本の朝ごはんを食べようという話であります。
まずはご飯を炊かなくてはと思い立ちお米を探したのですが、どこにもその米が見当たらないのであります。そうか、この2年余り極力炭水化物を摂取しない食生活を続けていたものだから、家族もつられてしまって白米を食べない習慣が出来上がってしまっていたのであります。
今日の今日までまったくその事に気づかなかったというのもオメデタイ話であります。以前なら何はなくてもお米だけは家にあったのですが。
というわけでありますから、頭のなかは正しい日本の朝ごはんに満たされていたのですが、米を買いに行くのも面倒だったわけでありますから断念してしまいました。
ならばせめてソーメンでも食べたいなと思ったのですが、これは絶望的であります。絶対に麦でできているウドンやソーメン・冷や麦の類などあるわけがないのでありました。
しょうがないので買い置きしてある「韃靼そば」を茹でて食べました。蕎麦にもたくさんの小麦粉が入っているのはわかっているのですがいくらかはGI値が低いということであります。

奮闘しているAccessの話なのですが、ウン十年前からすればかなり進歩しているんだねということを二つ書いておきたいと思います。と云ってもその二つとも偶然に見つけたものでありますけど。
そのひとつは「ふりがな」機能であります。これは以前からあった機能であります。たとえば「名前」のフィールドに入力しますと自動でふりがなとふってくれるというものであります。
「やまだたろう」と入力して変換しますと「山田太郎」となってふりがなのフィールドには自動で「やまだたろう」と入力されます。これは結構便利なのであります。
ある日なにげなく名前のフィールドに「山田太郎」コピペしましたら、どうじにふりがなのフィールドに瞬時に「やまだたろう」と表示されたのであります。これには驚きましたね。何を貼り付けても結構正確にふりがなをふってくれるのでありました。うーん

もうひとつの発見は、テーブル定義をやっていてフィールド名を間違えて「seledt」なんてつけてしまった場合に、テーブルの定義を元にして、フォームやレポートやクエリーが作成されます。
こういう間違い良くあることなんですが、それを「select」などと一文字訂正したならば、これを元にして作成してあるフォームやレポートやクエリー全部の該当箇所を訂正しなければならないものだと思っていたのですが、これがなんと関係している箇所を自動て全部直してくれているのであります。これはジツにありがたい機能であると感心したしだいであります。
もっともこのような機能って前からあったのかな、知らないのはもしかして私だけだったりしてね。

2016年6月10日金曜日

皆でやろうよデータベースAccess

ウン十年ぶりかにマイクロソフトのデータベースAccessを使用してシステムらしきものを作っています。もともとAccessを使ってシステムを組んだことが無かったものだから、ほとんど一から勉強をしながらの作業となってしまっています。ただひとつ救われるのは多少はリレーショナルデータベースの概念がわかるということでありましたが、いざやり始めたら四苦八苦の連続でありました。
素人さんにも使って貰えるシステムを作るってことは、多少の知識があったからって、まったく役にたたないってことだけは身にしみて理解しました。大事なのは良質なユーザーインターフェースであったり、理解しやすい作業の流れだったりしますから結構細かい小技を身につけていないとダメだということですね。これがまた大変なことであったりします。
こんな事ぐらいは絶対にできるはずと思っていても、どうやったらいいのか皆目見当もつかず途方にくれる毎日でありましたが、苦しみながらも毎日触っているとなんとかなってくるものだということも実感するようになってきました。

その中で気づいたことのひとつは、Accessではクエリーという便利なSQL文を視覚的に生成してくれる機能があります。ところがこれが結構くせ者でありまして、最初は超便利に使っていたのですが、システムが次第に大きくなるにしたがって、クエリーの数も増えてきまして、どのクエリーがどのフォームで使われているのかが段々とわからなくなってきたのでありました。
命名の仕方が悪いというのも原因のひとつでありますが、更新クエリや追加クエリーのアクションクエリの類までそのまま実行させていたから尚更のことであります。
そういえば、以前はこんなやり方をやっていなかったなということをようやくの事で思い出しました。クエリーをSQL文にしてプログラム(VBA)のなかに埋め込んで使っていだのです。そうすればクエリーがやたら増えていくという事も防げるわけであります。
そうだそれがいっとういい方法だと思ったとこまでは良かったのですが、肝心のSQL文がどこに書き込まれているのかがさっぱりわかりませんでした。
それはクエリー画面の一番下の右端に小さなアイコンがひとつ出ているだけの話でありました。いやはやそれを見つけるまで半日以上かかってしまいました。

最初の頃は結構つらい作業でありましたが、少しずつ小技を身につけてきましたら段々と楽しくなってきました。なんだか毎日ゲームをやっているというか、パズルをやっているような気分であります。

ガンバレ マスゾエくん!!

梅雨らしく昨日までは雨が降っていましたが今日は梅雨の晴れ間ということで結構良い天気のようであります。梅雨という季節はそれほど嫌いではないですね。結構しっとりとして緑がますます色濃くなっていく季節ですからね。ただこれが3ヶ月も半年も続くとなるとたぶんウンザリしてしまうのでしょうけれども。

先日コーヒーメーカーのスイッチの部分が調子が悪くて新しいものを注文してしまったと書きましたが、実はこれが本当に悩ましいことになっております。新しいコーヒーメーカーが到着したのですが、これまで調子が悪かったスイッチが皮肉なものでまったくの正常な状態に戻ってしまいました。
せっかく届いた新しいコーヒーメーカーはダンボールに梱包されたまま仕事部屋の奥深くにしまい込まれてしまっています。正常に動作しているものをわざわざ捨てる気にもなれませんし、なんとなく今回は失敗したのかなと思わんでもないのですが、当然口には硬いチャックをしております。

そういえば、何日か前のブログにも書きましたが、東芝のREGZAというテレビのリモコンの調子が悪くて原因がわからないので、新しいリモコンを購入して試してみればリモコン側が悪いのかテレビ側が悪いのかの判断がつくと思ったのであります。
これがまた不思議な現象でありまして、初めの頃は新しいリモコンが調子良かったのですが、途中で新しいリモコンが調子悪くなったので古いリモコンではどうだとなって試すとサクサク動作するのです。こうなってくると二つのリモコンを交互に使い分けるという涙ぐましい努力を重ねてきたわけなのですが、最近は新しいリモコンにはまったく反応しなくなりまして、古いリモコンがサクサク調子がいいのです。混迷はますます深まるばかりであります。
最近ではテレビそのものがパソコンを繋いで映画やYOU TUBE等の動画を視るだけの単なるディスプレイ化していますのでそれほどの影響が無いのが少しは救われるものなのですが。

その本来のテレビとしてはあまり役に立たないテレビを最近は舛添君の大活躍を視るのが楽しみで久しぶりにワイドショーなるものを楽しく拝見しています。こういうのはジツに面白いですね。できれば舛添さんには任期満了まで頑張って欲しいものだと願わずにはおられません。

2016年6月6日月曜日

梅雨入りしたら、コーヒーメーカーが壊れてしまった。

もうすでに梅雨入りしているという。早いのか遅いのかの判断がつかないけれども梅雨入りしているというものを、どう文句を云ってみたってどうなるもんでもないから、ああそうなんだと云うしかないよね。

とうとうコーヒーメーカーが壊れてしまったようだ。スイッチを入れても連続して通電しなくて、ずーっと抑えていないとダメなのであります。ここ数日それでも我慢して使っていました。電気の知識があればすぐに直せるようだけれども、ガキの頃に感電してから電気が怖いのであります。
当然Amazonで調べたら、ドリップするだけのものだったら結構安いものがあったので迷わずに注文してしまいました。

コーヒーを淹れるたびにスイッチを押さえているなんて馬鹿なことはできませんからね。今さらのことなんですけれどもAmazonって単なる場所貸し屋なんですね。ただこれまで長年使ってきて酷い目に遭ったこともないので結構信用はしていますけれども。それから、こちらの情報を登録してありますから、他のサイトでまた一々情報をインプットするのが面倒だし、怖いような気もするので結局Amazonを使い続けることになってしまうようであります。旨いこと考えているもんであります。

2016年6月3日金曜日

素晴らしい日本をタビしたいんだけなんだ

今朝も順調に丑三つ時あたりにノロノロと起きだしたのですが、結構寒さを感じてしまって、面倒くさがりの私でも、さすがにTシャツ一枚では心もとなくて納戸にいって長袖のYシャツを引っ張りだして羽織りました。

昼の間、いくら暑くても朝晩が涼しければかなり楽なのですが、たとえ昼の時間帯に灼熱地獄であったとしても日が落ちれば涼しくなれば結構耐えられるものなのですが、ここ市川ときたら昼の暑さがそのまんま夜にも持ち込まれてしまうのは敵わないものがあります。

先日車のエアコンを一年ぶりに修理した話を書きましたが、そのエアコン壊れたのが昨年のお盆に休みに入る一日前でありました。場所は境港のちょっと手前だったと記憶しております。休み前ということで修理を断念してそのまま旅というか、放浪というか、場所を移動しての湯治というか、ま、基本的にはいい加減な私の日常を山陰もしくは中国地方にまで持ち込んだだけのことなのでありますけれども。
残す日程はあと3日だったか4日ほどであったのですけれども、エアコンのない車での旅はさぞ灼熱地獄との闘いになるだろうと覚悟をきめていたのですが、四方八方の窓を開け放して走れば風も結構はいってきてそれほど不快でもなかったのであります。
ただ周囲の車がビシっと窓を閉めきって涼しそうに走っているのをみると、結構恥ずかしいものがあるにはありました。特に交差点なんかで信号待ちしている時などは周囲から怪訝な光線を必要以上に浴びせられているような気がしてなりませんでした。それでも半日ほども走っていますとまったく気にならなくなってしまうものであります。

以前は、といいましてもウン十年も前のことでありますが、お盆を境にして狂ったような暑さは急速にその勢いを弱めていきまして、心なしか秋色の風が時折りそっと吹いてきたり、ひぐらしが哀愁をおびて鳴きはじめて過ぎ去る夏を惜しんだような気もします。
近年はお盆が過ぎてもいったいいつになったら涼しくなるんだろう、もしかして永遠に涼しい地上はこないのかも知れないと思ってしまうほどアジイ世界になってしまいましたけれども。
山陰もしくは中国地方の気候がそうなのか、たまたま昨年だけの話であったのかは判然としないのでありますが、旅に出る前に比べればお盆休みに入り格段に涼しくなってきました。なんといっても朝晩が涼しく感じられ車中泊でも熟睡できたのでありました。
エアコンが壊れる前はなんとなく萩を目指していたのですが、修理屋さんですったもんだしたりで時間を結構使ってしまったので、行っていけない距離でもなかったのですが、別段走り屋のユキオの真似をする必要もなかろうと最終は出雲大社あたりにとどめ、松江あたりをウロチョロして必要以上に暑いだろうと思われる太平洋側を避けて元来た日本海側をヨタヨタと家路についたわけであります。

エアコンの修理もしたし、さて今年はどこらあたりをうろつこうかと考えているのであります。北海道・東北・北陸・近畿・四国あたりを一応通り抜けたことにはなっているので、さていよいよ九州あたりにと思っていた矢先に、熊本地震でありました。別に車中泊で日本一周したからといっても別段とうってことないのですが、やはり心残りはありますけども、こればっかしはその機会が巡ってくることをじっくりと待つことにしました。

2016年6月2日木曜日

まだまだ大丈夫です。

朝晩が肌寒く感じるこの頃であります。ティシャツの上に一枚羽織るかどうかは思案のしどころですが、いつも面倒でそのままの格好で過ごしているから、それほどでのことでもないのでしょう。

「いってきまーす!」「ただいま!」なんていう元気のいい近所の女の子の声が時折聞こえてくる。近くに子どもたちの声が聞こえるというのはなかなか気持ちのいいものであります。他人(ひと)様のお子さんなのですがほんわりとした気持ちにさせられてしまいます。
今朝もたまたまリビングに座っていたら、元気のいい声が聞こえてきましたので、カーテン越しに覗いてみると、黄色帽子に赤いランドセルの女の子(ちびまる子そのものだ)が弾けるようにして学校へ走っていきました。唐突にまだまだ日本は大丈夫だという思いが湧いてきました。

同じ声の話なのですが、朝の5時近くにウグイスの声もときおり聞こえてきます。もう正調ウグイス鳴きでありますから、ひょっとしたらもう山に向かうことを断念してしまって、ここいらに住み着く覚悟をきっかりと決めたのかもしれない。またしても、まだまだ日本は大丈夫だという思いが湧いてくるのでした。

「ウチの紫陽花も咲き始めましたよ」と妻がいう。ん?俺んちに紫陽花なんてあったけかなと思っていると「昨年、私が挿し木をしたものですよ」という声が返ってきた。そうか私のまったく知らないところでそんなことをしていたのかと、少し見なおした。

今日のブログは夜も明けない時に書き始めて、なかなか筆が進まず、今日はこれまでだなとあきらめるまで半日もかかってしまった。ま、そんなもんですよね。ではでは

2016年6月1日水曜日

6月のはじめに

昨年の一番暑い夏の盛りに妻と二人で島根の出雲大社まで出かけました。これこそ文字どおりに青天の霹靂といいましょうか、鳥取と島根の境目あたりの日帰り温泉に浸かって、さてどこまで走ろうかと考えていた矢先に、どうも車内が涼しくならないのであります。
どうやらエアコンのスイッチが入らなくなったようなのです。まだ3日ほど旅程を残した時点で、進むも灼熱地獄戻るにも地獄のどうにもならない状況に追い込まれてしまいました。
境港あたりで修理屋さんに駆け込むも明日からお盆休みになってしまうのでどうにもならないと云われてしまいました。

うーん、これは困った。コマッタ、マイッタ。進退窮まるとはこういう状況をいうのだということを実感した次第であります。
この際あんまし関係ないんだけど、「オートバイにはエアコンはついてないがあんなに着込んで旅を楽しんでいるではないか・・・・・。」
まったく関係ないけど、「昔はエアコンなんてついている車などなかったのだ、だいたい最近の日本人は軟弱過ぎるのだ・・・・。」
「せっかくここまで来て戻るというのか・・・・。」「戻るといったって、かなり遠くまできてしまったているし、暑さは同じじゃないかい」
頭のなかはほとんどパニック状態でありまして思考は虚しく堂々巡りをくり返していくのでありました。

いつものことでありますが、私の旅は別に目的地が明確ではないのであります。家を出てから、なんとなく今回は西に行ってみるかとか北に向かうかなどというジツにいい加減なものであります。走っているうちにこれもなんとなく山口あたりがいいんではないか、などといった具合であります。そして途中で必ず大型書店探しが始まるのであります。これがなかなか見つからなのであります。ようやく見つけたそこそこの本屋さんで旅行ガイドとかそのあたりの地図を手に入れないと、いくらスマホ・パソコン・カーナビがあっても暗中模索の状態のなかで走り回るようなことになってしまいます。そこでいつものごとくようやく手に入れた旅行ガイドと地図を眺めて萩あたりがいいのではないかなどとと思っていたのであります。

パニック状態の堂々巡りを512回ぐらいまでは数えていたのですが、それ以降は数えきれなくなってしまって、結局一応目的というか目安というか山口県の萩あたりを目指したのでありました。

なんだか前フリだけが長くなってしまいましたが、本日のブログでいいたかったことはですね。先日その壊れていた車のエアコンを一年近くたってようやく治したというそれだけの話しでありました。
無用に話を引っ張ってしまって、スマン、スマン

2016年5月31日火曜日

5月のおわりに

今日は5月の最終日であります。今月こそは心あらためて、まじめにブログを書き続けようと固く決意していたのですが、どうも私の固い決意というものはまったくあてにはならないものらしく前半から崩れに崩れてしまいとうとう5月も終わりを迎えたわけであります。
こうとなればお決まりでありますが、6月にはまじめに更新をやり続けてようと固くカタク決意するのでありました。そうはいってもネタがないのだから困ってしまうのでありました。

数カ月前にずーっと空き室だった隣のテラスハウスに新たな家族が二組も同時に引っ越してきました。一組はまだ生まれたばかりの赤ちゃん一人の若い夫婦のようであります。もう一家族は小学校3年生か4年生の元気な女の子のいる家族です。
どちらのご家族の家族も顔を見たことがないのですが、時々聞こえてくる赤ちゃんの元気な泣き声や、女の子の外で遊ぶ声が聞こえてきて、その昔自分の子供達が幼かった頃のことを思い出させてくれまして、懐かしく思い出してしまいます。やはり自分の人生にとっては子供のいる生活ってのは他に代えがたい幸福な生活だったんだなとシミジミとしてしまいました。

これまで淹れていたコーヒの味がやたら濃く感じられてコーヒの粉の量をこれまでの三分の二まで減らしてしまった。それで別に薄いとも感じないのだから、味覚まで老いぼれてきたのかも知れないと思ったが、一日に呑む量が多いのだから、これでいいのだと無理やり納得させてしまったのだ。

Amazonのプライムミュージックにラジオというジャンルが追加された。これがなかなかいいのであります。ジャズという分野で流しぱなしにしておけば一日中ジャズが流れていますから邪魔にもならないし、余計なおしゃべりも一切ないので仕事をするにはちょうどいいのであります。

2016年5月27日金曜日

いやはや、なんとなく

いやはや、なんとなくまた長い間ブログ更新をサボってしまっていました。毎日ほぼ代わり映えのしない日常を送っているわけですから、そうそう書き込み事もありませんし、別段世の中に不満があるわけでもないですから基本的に情けない書き込みになってしまうのは必然的ですからね。

そうそう、最近のテレビを賑わせている東京都知事の舛添要一さんには笑ってしまいましたね。あの言い訳会見には笑いが止まらなくなってしまいました。
でも、人の噂も七十五日とかいいますからね、そのうちにあのまんま居座ってしまうような気配ですね。最初の頃はオモシロカッたのですが、やはりワタシ的には飽きてきてしまいました。ご愁傷さまであります。

朝から勢い良く降り続けていた雨が10時過ぎて少ししたころに静かになった。東の空からなんとなく明るさが見えてきたようであります。
サクラレンタルサーバーでRubyOnRailsが動作するという記事を見かけたので、環境構築のやり方を追ってみた。確かに動作するにはするようだが、スタンダードのレンタルサーバーでは動作が遅くてどうにもならないらしいということがわかった。
専用サーバーを借りるほど資金がないので、余っているサーバー部分で実験を繰り返すことにしてひとまず実践での運用はペンディングとすることにした。それにしても世の中は確実に進歩しているということであります。いつかは安価にWEBアプリケーションを運用できる日がくるような気がした。

2016年5月16日月曜日

なんだ?なんだ?なんだ??

なにはなくても、こうしてゆっくりと散歩できればシアワセなのだ。なんて書くといかにも人生に満足しているんだ、なんて自分自身が錯覚してしまう。
いくら歳(よわい)を重ねてきてもそんなことは決してなくて、自分に都合の良い時だけ悟ったような事を思ったり、書いたりしたりもするけれども、それは錯覚であり、大嘘を自分についているだけのことなんだということに気がついた。
そしてそんな自分がとても恥ずかしくなってしまった。

どうも調子に乗りやすい性格はなかなか治らないらしくて、先週はどんどんとエスカレートしてしまいかなりの距離を毎日のように散歩しつづけて週末は完全にダウンしてしまい、なさけない二日間を過ごしてしまいました。
今日も散歩に行こうかと思ったけれども、まだまだ疲労だか筋肉痛だかが渾然として残っていたので一日中家にこもって過ごしました。なんともなさけないとは思うのだがしょうがないですよね。

土日はほとんど寝て過ごしたのだのに、昼ご飯を食べたらまた眠気が襲ってきてウトウトしていたら遠くで家電が煩く鳴り響いている。家電なんてのはロクな内容のものではないから面倒がっていたら、私以外は誰もいないはずなのに、誰かが応対しているのであります。
なんだ?俺もとうとう来るべきところまできてしまったかなとノロノロと後ろを振り返ってみたら、そこには次男が受話器を持って応対しているのであります。
なんだ?なんだ?と怪訝な顔を向けると、彼の彼女も一緒でありました。いやはや、とんでもない耄碌姿晒してしまいました。
うーん「なんだ?」が随分と多い人生じゃな。

彼女は数ヶ月前に府中から自宅近くに引っ越してきたばかりで私の家にくるのは2回目であります。それから3人で夕方まで雑談をして、暗くなってから二人で引き上げていきました。たまには雑談も楽しいものであります。それにしてもまだまだ筋肉痛であります。

2016年5月12日木曜日

秘密の計画を実行する時がきた

久しぶりの穏やかな朝でありました。なんと昨日まで吹き荒れていた嵐と呼べるほどの激しい風もぴたりと鳴りを潜めていたのです。それどころか文字どおりに五月晴れと呼ぶにふさわしい青空が一杯に広がっていたのです。
とうとう月曜日から密かに温めていた例の計画を実行に移す決意をしたのであります。などと書くと並外れて大それたことをやりそうな雰囲気になってきますけれども、それはほとんど期待はずれに終わってしまうことでありましょう。

最近の私は自分の身の回りでできることや出来事を材料に、できるだけお金をかけずに目一杯楽しむことに生きがいを感じようとしているのであります。
だからこれまでの自分であったら見逃してしまうような、なんでもない事に無理やり価値を見つけたり、屁理屈をつけてさも意義のあることにでっちあげることに心血を注いているのでありました。
たとえば、普段は見逃している小さな昆虫などを大写しに撮影するとそこには神秘的な色の組み合わせやデザインを発見したりするものです。それと同じように毎日代わり映えなく流れている日常の一コマに焦点を合わせてみると、そこには人間共通の普遍的なテーマが潜んでいたり、腹を抱えて笑ってしまうようなユーモアやペーソスが潜んでいたりするものです。
それは以前からわかってはいたのですが、現在の私の作文力ではとても手に負えるものでもないのは確かなことであります。ただそれを理想として日々研鑽を重ねていこうと考えてはいるのであります。

さて家人がそれぞれの職場に出かけていったのを見計らって、さっそくその計画とやらを実行に移すことにした。なんのことはありません、連休中に妻と出かけた公園に行って、読書をしたり作文を書いたりすることだけの事なんですけれども。
いつの頃だったか忘れてしまいましたけれども、何年か前にも公園を移動オフイスにして仕事をしていた事があったのを思い出しました。その時にはきちんとノートパソコンを持ち歩いていたのであります。今はその時よりもずーっと年をとってしまったので、そのような元気はどこかに失せてしまっています。ですから持ち込むのはポメラとキントルとiPhoneだけであります。移動時間も含めて3時間ほどでは本格的な仕事などはできっこないのはその時の経験からわかっているのです。

公園までゆっくりと歩いて15分から20分といったところでしょうか。通勤通学時間が終わっていますので、のんびりと風景を楽しみながら歩くのも楽しいものであります。ただこれも見慣れてくるとどうなんでしょうか、いつもの光景ということで何の感慨ももたなくなるのでしょう。
公園についたら、道路よりも空いております。これまでは休みの日だけでしたので、結構家族連れなんかもいたのですけれども、それぞれが職場や学校に行ってますのでがら空き状態で願ってもない状況であります。
11時頃まで公園で過ごして、引き上げであります。途中スーパーに寄って買い物を済ませます。これまではこのスーパーに買物にくるのが散歩でありましたけれども、これまでの約2倍から3倍の距離を歩くことができるようであります。
当然素麺売り場は避けまして、ピーナッツだのミックスナッツだのを中心に買いまして帰宅したわけであります。

月曜日から密かに決意していた割にとんだ腰砕けの秘密計画でありましたが、これでいいのだ。

2016年5月11日水曜日

とうとう細くて白い柔肌の誘惑に負けてしまったと

なんか家の近くにウグイスが住み着いているらしくて、この連休中は毎日のようにウグイスの鳴き声を聞いて過ごしました。それも春先のへたくそな鳴き声ではなくて、きっちりと「ホーホケキョ」という正調ウグイス節というものでありました。
そういえば、今年はまだ寒さが厳しく残っていた梅の花の時期にはウグイスの鳴き声を聞かなかったような気がします。
ウグイスの声を聞くと夏に深い山に入り込んで野宿をしている時を思い出してしまいます。私にとっては正調ウグイス節は深い山の中で聞く「ホーホケキョ」なのであります。だから妙に旅心を誘われてしまってそれを抑えるのに四苦八苦してしまいました。
と書いてからそういえば今日は聞いていないなと思った。行き遅れたウグイスもあまり長居をしてはと思い直して山を目指したのだろうかと少し寂しい気持ちになっていたのだが、昼ご飯を食べ終えた頃に正調ウグイス節が聞こえてきて一安心であります。

仕事とはいえども一日中システム開発をやっているわけでもなく、やれと云われても最近は集注力が続かず、すぐに他の事に心が移ろってしまいます。
それならば2時間ほどは外へ出て緑の中の公園にオフイスを移動させてしまって仕事をするのも悪くないなと思いました。
今日こそは緑深い公園にでかけて仕事をやってみようと決めていたのですが、ここ数日はなんだか風の強い日が多いようで、本日も朝から空が大荒れしている音が聞こえてきます。
こうなってくるといけません、さっきまでの決意は急速に萎えてしまって、何も今日是が非でも行かなければならないというものでもないからと早々と公園移動オフイスの無期限延期を決めてしまいました。
こうなればせめて近くのスーパーに散歩をかねて買い物にでかけました。麺売り場で気がついたのですが、これまで隅っこに追いやられていた、ソーメンや冷や麦が、これからは俺たちが主役だかんねと言わんばかりにドーンとかなり広い場所を占めていました。
「うーん」私は大量のソーメンや冷や麦を前にして唸ってしまいました。糖尿病を悪化させる前は、ソーメンや冷や麦は健康食だと思っていたのです。糖質制限食を知ってからは、これらのものほど体に悪いものはないことを知ったのであります。
し、しかしだ、ソーメンは旨いんだもんね、このところはかなり頑張って炭水化物を摂ってはいないので少しぐらいは許されるだろうと・・・・・・。
少しだけだかんね。といういことで揖保乃糸一束だけ茹でて食べました。いやはや、この喉越しはたまりません。まじに涙がでてきました。
結局、もう一束ぐらいはいいだろうと・・・・・・。これはかなりヤバイ状況であります。この勢いでいったら購入してきた一袋全部を食ってしまいかねません。さすがにこれまで我慢に我慢を重ねてきた努力を無に帰すことになりかねませんから、ようやくのところで思いとどまりました。
最近は白いご飯の誘惑に負けるようなことが無くなったのですけれども、これから夏に向っては麺類からの誘惑が大敵となってくるわけであります。

2016年5月8日日曜日

私の野外生活は40年で原点に戻ったのです。

鬱蒼とした木々に囲まれた公園が歩いていける程度の近くにあるというのはシアワセだとシミジミと思う今日このごろであります。
この歳になると、公園であればなんでもいいというわけではなくて、やはりそこには木陰ができるベンチがそこそこにあるということが大事なのであります。ようやくの思いでそこにたどり着き早くどこかに座りたいと思っても、日陰になっているベンチにはすでに人影が認められるなんていうぐらいにがっかりするものはありませんからね。
「そうか、そうかそこはすでに確保されてしまったか、ゆっくりと5月の風と光を楽しんでくださいね」なんて優しい気持ちで他のベンチを探すという余裕が必要とされるのであります。

ということで昨日に引き続いて、本日も妻と二人で公園散歩であります。これでこの連休中はなんと4回目となります。この公園にはテーブル席がひとつだけありまして、大抵の場合は空いていますから、そこにどっかりと陣取り、iPhoneで音楽を小さく流し、電子ブックで読書をしたり、テキストエディタ専用のポメラで文章を書いたりとゆったりとした時間を過ごして帰宅するだけのものであります。
本日は昨夜ちいとばかし呑み過ぎてしまったものですから、ベンチにそのまま横になって昼寝であります。これがまた気持ちがいいのであります。5月の木漏れ日が結構まぶしいのだが帽子をすっかり顔に被せて、遠くから聞こえてくるブラバンの練習音などを耳にしながら夢の中でありました。
どのぐらい寝たのだろうか目を覚ましてみると、妻はなんと家計簿をつけていました。なんだかこの光景にはソグワナイような気もするが、それぞれがそれぞれの時間を過ごすのだからこれでいいのだと、用意してくれたコーヒーを一口呑んだ。

そもそも私たちのアウトドアの原点は野外でインスタントコーヒーを作って呑むことから始まったのです。これがなぜかおいしくて、次はカップラーメンを・・・・という具合にどんどんとエスカレートしていったのです。そのうちに同じような家族が集まりだして遠征するようになりました。
最初は椅子もテーブルもなくてダンボールの箱がテーブル代わりであったのですが、これでは単なる貧乏人の夜逃げみたいだと誰かが言い出して、せめて椅子とテーブルぐらいは揃えようということになりました。確かに椅子とテーブルがあるとかなり格好がつくものだと関心した覚えがあります。
最終的には張るだけでも一苦労する大テントに大型のタープに発電機まで揃えるようになりました。それから子どもたちが成長して一人抜け二人抜けするうちにテントも小型になり、最小限の道具だけになり、最後にはテントを持ち運ぶことも面倒になり、車中泊だけで済ますようになりました。

ランタンとブタンガスのコンロだけの野外生活から始まった野外生活も40年近くたち、また原点の近くの公園でのコーヒを呑むというものに戻ってきたような気がします。

2016年5月7日土曜日

緑色増す公園にて

朝から風の吹き荒れる音は聞こえていたのだけれども数日前よりはかなり弱めだと感じていました。そういえばこの連休中は結構風の強い日が多かったような気がします。
今日は妻と二人、午前中に近くの公園に出かけていって木々の緑の中で読書をしたり、音楽を聞いたりと、のんびりと過ごすことに決めていたのです。
外に出てみると思いのほか風が強く帽子が時々飛ばされるようになった。それでも目的の公園の周辺にはかなり大きな木で覆われており、相当に怒り狂った風でも防いでくれるものと信じて歩き続けました。
思ってたとおりに空のてっぺんのほうでは相変わらずひゆーひゆーとあちこちで渦巻く風の声は相変わらず聞こえてはくるものの、公園のなかでは5月のそよ風が肌を優しく撫で回しては去っていきます。

陽射しの下のベンチでは暑くて少しも我慢できそうになかったので、日陰のベンチに落ち着いてそれぞれの電子ブックKindleを開いて読書であります。
この電子ブックは最初自分専用で購入したのですが、いつの間にか妻に横領されており、仕方がなくもう一台を追加購入したものであります。妻は職場に行くときもどこかに買い物に行くときも肌身離さず持ち続けていますので2つに正解だったと思います。まさか妻がこれほどハマるとは思っても見なかったことであります。
もっとも購入した電子ブックは共有できるのでこれはこれで合理的かとも思いますが、それぞれに読む本のジャンルが違ってきますので必然的に冊数は増えていくことになります。今では200冊近くを持ち歩いていることになりました。また調べていないので持ち歩ける冊数はどのぐらいまでかはわからないのですが、小さな図書館程度は大丈夫だという話はどこかで見たような気がします。
それが一杯になればクラウド側にあるデータを引っ張ってくるようになるのでしょうけれども、これはこれで時間がかかりそうで厄介だなとは思うけれども、たかだか200冊前後ではそう心配することもないだろうとは思っていますけれども。
公園にはバラ園もありまして、一部の赤いバラは咲き始めておりました。5月のバラとはいえどもまだ5月に入ったばかりですからね。それでも少しだけ咲き始めた薔薇の近くに寄っていきますと薔薇の香りが苦しく感じられるほどであります。(ん?「薔薇の香りが苦しくて」このセンテンスを思い浮かべる人は相当に古いのだ)

帰宅してからは、パソコンに向って作りかけの営業支援システムというデータベースシステムをやり続けています。得意先の営業の方法を見ていて、これは是非とも営業支援システムを構築しないと無駄が多いし、データの収集・分析が不可能だと強く感じたので、基幹業務システムと連動させるべく始めたものであります。
世の中というものは、もうパソコンの無い家が珍しいぐらいに浸透しているのに、システム化というものがまるでわかっていない会社というものは多いものであります。
Excelが使えるといえば、それはもう上等の部類に属します。ただその実態はちょっとだけの関数を使える程度でして、関数の概念もわからず、業者に組んで貰った数年前のシステムに無理やり自社の業務をあわせているにしか過ぎず、帯に長しタスキに短しの状態であります。
もっと酷いのは、単なるワープロ清書機としてだけ存在し、請求書等をその都度ワープロで作成して送付しているという信じられないほどの無駄をやっていてなんら疑問にすら思わないところもありますね。これウソでもホラでもないんですよ。実際に見てきた現実であります。ほんとうにびっくりぽんであります。
世の中ビッグデータだのAIだのディープラーニングだのと騒がれている時代においてこれですからね。ま、そのほうが雇用を生むからいいのかも知れませんけど。

2016年5月5日木曜日

そういえば祝日に日の丸が見当たらなくなって久しいね

グワーングワーンと空が吠えていたのは、昨日と一昨日でありました。そんなこととはまったく関係なく周囲の緑は日一日と濃くなっていくような気がします。
その昔には祝日には日の丸の旗をあげるのが普通だったような気がします。幼かった頃にはどの家の軒差しにも日の丸の旗が掲げてあったような気がします。
最近はまったくそのような光景を目にすることがなくなったような気がします。この現象っていつごろから始まったのでしょうか。
もっとも自分の家にも日の丸の旗なんてまったく見当たらないのでありますが、だいたい日章旗なるものはどこで買えばいいのだろうか、昔はどこで買っていたのだろうか?いくらどの家にもあったとはいえ、消耗品ではないのだからそんなに売れるもんではないから、旗専門店なんてものはなかったんだろうなとは思いますけど。
旗だけを買ってもそれをぶら下げるというか、括りつけるというか棒のようなものもないとダメですよね。そうそう旗竿ですね。
うーんやっぱりやめておこう。私だけが祝日に日章旗を掲げたらかなりの変わり者と思われるか右翼だと思われますからね。日本ってなんだか変てこりんな国なんですよね。
そうかオリンピックの時だけは別におかしくないのか。うーんなんだかな。

2016年4月25日月曜日

水仙と藤の花

寒かった日々が遥か遠くに感じられるようになったこの頃は、けなげな梅一輪を見初めたヨロコビや、待ち焦がれた妖艶な桜の群舞する姿に打ち震えた感動も遠い昔のことであったようにも思われてきます。陽射しはますます力強くなってきました。
わがままといわれてしまいますが、寒いのも嫌ですけれども、暑いのも嫌なのです。若い時には暑いだの寒いだのはまったく気にならなかったものでありますが近年はそのどちらも苦手なのであります。何をいわれてもそうなんですから仕方がないのであります。

先日「なめことサヤインゲンの味噌汁と」というブログを書きましたが、その後に、あれ?あれはサヤインゲンではなくてサヤエンドウだったのではないかと思ったのですが、なんとなくサヤエンドウが正しいような気がしてきたのですが結局よくわからないのでありました。

昨晩妻が藤の花が咲いているといった。7、8年前に秋田県で単身百姓の真似事をしている時に、市内で買い物を終えて農園へもどるべく山道を走っている時に周囲の山々に白ぽい花のようなものを認めたのです。傍らに乗っていた地元の知人にあれはなんだと訪ねると、別に珍しくもないように藤の花だというのです。
それまで見てきた藤の花というものは、公園の藤棚の上から綺麗に紫色の花のふさが垂れ下がっているものばかりであったので驚きました。知人に聞いた話では藤の木は近くの大木に巻き付いて成長し、最後には巻き付いた木を締め殺しにしてしまうのだそうであります。野生の藤の木というのは美しい花々の陰にそら恐ろしい陰謀を秘めた植物だったのであります。それはまるであの大陸の謀略国家のようであります。
以前は物珍しさも手伝ってTwitterなんかも盛んにやっていた時代だったので、その事をつぶやきましたら、さっそく男鹿半島に住んでいるという人から、男鹿半島にもかなりたくさんの野生の藤の木がありますよとリツイートしてきたので、こちゃあのんびりと野良作業などをやっている場合ではないと、農作業を時々手伝ってくれていたやっちゃんと二人で、仕事をほっぽらかして藤の花見にでかけたのでありました。
この事からも容易に推察できるでしょうけれども、まず理想は高かったのですが、とうてい本物のお百姓さんにはとても敵わない、いい加減な農業志願者だったわけであります。
そういえば、田んぼの一角に水仙を山のように植えたらさぞ綺麗たろうなと思いなけなしの財布をはたいて球根を10個あまり購入して植えつけたのです。それを散歩にきていた近所のおじさんに見られて、「なにをしているんだ」「この田圃全部に水仙を植えれば春先はきれいだろうなと思って」「おい、今から俺んちにきてみないか」というので、またまた野良仕事をほっぽり投げてノコノコとついていったのであります。
大きな屋敷を通り抜けて裏側にまわっていったら、そこには信じられないぐらいの膨大な量の水仙の花が咲いていたのであります。「こんなもの、なんの役にもたたんのに、わざわざこの状態にするってか?」私は目を疑ったし呆けたように口をあんぐりと開けて言葉がでませんでした。
それはそのおじさんが物心ついた時からあったそうです。あっても邪魔になるだけのものですから、一切手をかけたことがないそうであります。ほとんど野生化した水仙畑でありました。
この時期になりますと、秋田での百姓の真似事をしつつ放浪していた時期を懐かしく思い出してしまいます。それは初夏のまぶしい陽射しの下の風景画のようであります。

2016年4月24日日曜日

なめことサヤインゲンの味噌汁と

にわかに強い風が雨をともなって吹き付けてきました。そういえばここのところ天気予報をまったく気にしていなかったので今日は一日雨降りなのかと思ったが予想は見事にはずれたようであります。
今朝のにわか雨ではないのだが、唐突になめこの味噌汁と食べたくなった。ここ数ヶ月はかかりつけの医者に塩分を摂り過ぎるきらいがあるので、いっそ味噌汁はやめてしまったらと云われたのでほとんど食べていなかったのであります。
ご飯と味噌汁は対をなすものであるし、現在炭水化物を出来る限り摂取しない糖質制限食を実行している真っ最中なのだから迷わずやめることができたのであります。
それがどうしてもなめこの味噌汁が食べたい、それにサヤインゲンも入っていれば最強だなと思って、晴れ上がった空の下をトボトボとなめことサヤインゲンを求めてスーパーに向ったのでありました。
頭のなかがなめことサヤインゲンの味噌汁で満たされてしまうと、それはあたかも連想ゲームのように白い温かいご飯も突如浮上してきてしまって、かなりやばい状態となったのであります。
スーパーでサヤインゲンを物色していたら、長芋が目に飛び込んできました。温かいご飯に長芋を大量に流し込んでそのままガッシガッシとかき込む己の浅ましい姿が見えてきまして、三度までは打ち消しましたが、味噌汁と温かく白いご飯の誘惑にはどうしても勝てずに・・・・・。
それでもとこかに、いとも簡単に誘惑に打ち負かされた罪悪感というものがありまして、白いご飯は申し訳程度にして大量のヤマイモに生卵をかき混ぜて他のおかずには目もくれずに、サヤインゲンとなめこの味噌汁とともにガッシガッシと力強くかき込んで至極の幸福を味わったのでありました。

たまにはいいのです。あまりに抑制してしまえば精神にも異常をきたすのだからと盛んに自分にいいわけをしたのですが、このままズルズルと糖質制限療法が崩れてしまうのではないかという恐れもちょっとだけ頭を持ち上げてきました。
考えてみるとすでに異常者なのだから、それが異常をきたすということはいくらかはまともな人間になることではないかなどと愚にもつかない考えが浮かんできたことも確かなことでありました。

2016年4月23日土曜日

漂う風に五月の香りを感じてしまったのだけれど

ほんのちょっとだけ漂う風に五月の香りを感じてしまった今朝の心模様でありました。毎日作文だけは書かなくてはいけないなと決めてはいるのですが、どうしても気持ちがついていけなくて、ここのところはちいーとばっかしサボりがちであります。
作文が書けないのなら、読書の時間にシフトすればいいではないかという思いがよぎるのですが、心とか気持ちというのは、そうそう都合の良いようにできていなくて、なんとなく仕事にも身が入らないし、散歩にでる気にもならないのであります。
漠然となんの役にもたたないテレビで地震関係の番組を眺めていたが、どのチャンネルに移動しても間の抜けた内容になってしまっていました。もっとも何の役にもたたない私ごときがリアルに詳細な情報を得てもしょうがないことなのですが。
ま、そんな状態でなんとか気分転換をはかろうともがけばもがくほど、ずるずると蟻地獄に引きこまれていくような感覚を覚えてしまいます。しょうがないですよね。こういう時は、なすすべもなくてただ首をすくねて自分の内から強力怠惰菌が消え去ってしまうのをじっと待つだけのことであります。

震災発生時のブログでオスプレーを投入するべきだと書いたら、すぐさまに米軍から協力の申し出を受けて政府もただちに快諾しましたね。
自衛隊はすでにオスプレーを何機か持っているもんだと勘違いしておりました。バカですね。それにヘリコプター空母を横付けにして物資と医療施設に利用すべきだとも書いたのですが、日本にはヘリ空母なんて存在してないんですね。
でも何かで、ヘリ空母のようなものをみた記憶があったものですから「???」と思っていたのですが、なんとそれを「護衛艦」っていうんですね。だいたい私には「護衛艦」っていうものが何をするものかもわかっていないのですが、あれはどうみてもヘリ空母ではないですか。
「ひゅうが」っていったっけ、艦名は間違っているかも知れない。そのヘリ空母とオスプレーが連携して救援任務にあたっているではないですか、素晴らしいことだと思いましたね。もう少しこのあたりの事を勉強しなければいけないなと痛感しました。

大きな災害になりますと、全国から警察・消防・自衛隊が動員されますが、この組織の動員の仕方に興味があります。普段からそれほど余分な人員を抱えているわけでないのですから、通常業務もこなしながら、緊急時には全国から大量の人員を集めて投入しなければならないわけでありますから、かなり大変な事だと思います。
こういう事ってたぶん法律で決められているのでしょうけれどもそのあたりもまったくわかっていません。消防なんていうのは各自治体単位で組織されているわけでありますし、警察は都道府県単位ですよね。自衛隊は全国組織だとは思うのですが実際のことはまったくわからずであります。だいたいこれまでこんなことを考えてみたこともありませんでしたけど。

また、まったく性格の違う組織が被災地に集まってきての指揮命令系統ってのにも興味のあるところであります。もちろんこの緊急時に縄張り争いなんてことはやっていないことでしょうけども。
情報の収集・分析・計画・実行ってどうなっているのか、マスコミの情報からではさっぱり理解できません。地震学者を集めて役にもたたないデタラメ地震予測談義を延々とやっているだけであります。
警察・消防・自衛隊に加えて該当する自治体や医療関係・ボランティア等々も加わってくるわけであります。
できるだけ力の分散・重複を避けて、今一番やらなければならないこと、次にやらなければいけないこと等々と時間の経過とともに仕事も増えていくし、問題もより複雑細分化していくわけでありますから、現場での司令塔がより重要になっていくものだと思うのですが。

それから、支援部隊の食事はどうなっているの、寝る場所はどう確保しているのトイレは・・・・。救援に入っている人びとも公務員とはいいながらも、同じ人間だと思うのです。それを根性だとか愛国心だとかという言葉で片付けては決していけないことだと思います。

現地では信じられないことですけれども空き巣や強盗が発生しているということです。警察でいうと何課の担当になるのかわかりませんが、かなり早い段階で空き巣強盗対策担当刑事を密かに私服で配置しておく必要なのではないかとも思います。
この空き巣強盗集団は自衛隊の災害派遣よりも早く現地に潜入するという話を耳にしました。オレオレ詐欺なんかも私には信じられない話なのですから、そんなこともあるだろうなと思えてきます。

また多分これは機密事項だから決して表には出てこないだろうけれども公安の人員も配備されていますよね。これ以上書くとヘイトスピーチと云われそうですけど本当に油断がならない世の中ですからね。

2016年4月18日月曜日

八重桜と夏みかん

ここのところ、ぐうーんと気温があがってきました。特に今朝は室温が23℃もあり自分でも驚いてしまっています。昨日も一日中熊本の地震の様子をテレビでみていた。まだ避難所に入れない人もいるとか、食べ物や飲水が極端に不足しているという。気象庁は「今後の地震活動の展開は予測できない」というではないですか。心が痛い。

昨日の夕方、テーブルの上に見慣れない花が飾ってあった。「なにこれ?どうしたの?」と聞いたら八重桜の花がたくさん落ちていたの拾ってきたとのこと。「え?八重桜なんてどこにあった」「ほら、国分寺の隣のお寺さんの境内」ああ、そういえばあのお寺には数本の八重桜の古木があったのを思い出した。昨日今日と結構強い風が吹きまくっていたので、花本人はまだその木で咲いていたかったのだろうけれども、強制的に振り落とされてしまったのでしょう。
八重桜の花は大きな塊でボトンボトンと落ちてくることを知らされた。それを10個ほど集めて透明な硝子の器で飾れば、なんだか新種の花のように見えてしまう。
「それから、普通の桜の枝も落ちていたので拾ってきた、花はすぐに散ってしまうだろうけど」
で、最後の決めゼリフは
「夏みかんも落ちていたので、ついでに・・・・・・」「ひえーーー・・・・・」

夜が明けても、気温は上がり続けている。息子は本日より2泊3日のキャンプ旅行にでかけると云ってバイクに荷物を積み始めている。そうか、もうそんな季節になっているのかとあらためて季節の変わりの速さを実感する。彼のキャンプは本格的にテントを貼って野宿するやつである。私の場合は超軟弱でここ十年ほどはテントなど貼ったことがないので少々怖気づく。
若い時のキャンプは雨に祟られても、それはそれなりに楽しい思い出となるから不思議なものである。
こんな事を書いていたら、若い時に土砂降りの雨に降られてしまって廃屋の中にテントを貼って一晩過ごした時のことを思い出した。ここでは詳しく書かないけれども、それはそれはとても怖い思いをしたことを思い出す。あれ以来決して廃屋には近寄らなくなったのだ。別に幽霊をみたとかという話ではないのだが、後にも先にもあれほどの恐怖を味わったことはない。


2016年4月17日日曜日

日本を守ってくれている人びとに感謝です。

1時半ごろに目覚めたので、皆さんと同じく気になっていた熊本の雨の状況はどうなのだろうかと、寝ぼけながらもリモコンを探してテレビのスイッチをいれたが、どこの放送局でもテロップは流れていたが、さすがにLIVE番組はやっていなかった。
2時なるとNHKが地震情報を流すというテロップを発見してそのまま、「項羽と劉邦」の短編映画を見続けた。この状況での降雨はかなりきついと思うけど、天気予報では9時頃にはあがって、その後は晴れるらしいので、なんとかそれまで凌いで欲しいと願うばかりであります。
今日から自衛隊が2万人体制で支援に向かうらしいので、ほんの少しだけ安堵している。こういう時に頼りになるのは自衛隊・警察・消防・医療関係者の方々ですからね。国県市町村の行政に携わる方々の尽力も大変なものであることを付け加えておかないと片手落ちですね。ゴメンコメン頼りにしています。

これまでずーっと自衛隊は鬼っ子扱いされてきたけど、最近ほんの少しだけスポットを当てられるようになって嬉しく思っているのは私だけではないはずだと思う。
それでも素人考えからすると後方支援も含めて自衛隊5万人体制ぐらいで徹底的な支援をやって欲しいと願っているのであります。
海には名前は忘れてしまったけど、ヘリコプター空母2隻も動員して、避難所兼病院船と活用すべきだと思うし、大型の上陸用のホバークラフトに重機を大量に積んで動員すればとも思うのだが・・・・。それから、それからいろいろといちゃもんを付けられていたオスプレーだって使ったらいいと思う。オスプレーも確か近くに配備されていたと思うのだけれども。
あくまでも素人考えだから、それぞれの諸事情というものがあるのも理解できるので、ここは専門家に任せるしかないのですが、結構歯がゆく感じてしまいます。自分では何もできないから、かえって強く思ってしまうのですけれども。