2017年2月3日金曜日

明日天気になーれ

風は相変わらず冷たかったけれども、晴れ上がった上々のお天気でありました。湿度計がないので正確にはわからないのですが、かなり乾燥しているのは確かなようであります。

パソコンを新調して、お絵かきソフトを動かして遊ぶことが多くなりました。かなり性能をアップしたつもりでいるのですが、処理の仕方によって、ちょっとだけ待たされる時もあるようであります。スピードに対する欲求なんてものは尽きることが無いようであります。ただストレスを感じるほど待たされることはほとんどないので結構いろんな事を試す機会は増えてきたような気がします。
まだ、ビデオ編集は試していないので、暇をみつけて近いうちにやってみたいと思っています。またその時にはiPhoneで動画を撮影して、それらの素材を使ってやってみようと考えています。これまでiPhoneは持っていても、それで写真や動画を撮影したことが無かったのであります。
聞くところによるカメラの性能もかなり向上しているらしいのですから、これを利用しないてはないと思ったわけであります。それで旨くいったら、これほど便利なことはないですからね。せめてこのぐらいの機能を使わなかったら、本当に猫に小判ですからね。

最近はまったくテレビをみなくなってしまったので、明日の天気がわかりません。そうかネットで検索してみればいいのか。どうも天気予報はなんとなくテレビで見るもんだと思い込んでいたものですから。

「明日天気になーれ」ってか

2017年2月2日木曜日

ポケモンゴーだってきるのだけれども

関東は雪こそほとんど降らないけれども、風がとてつもなく冷たいなと感じいます。だから、風さえ防いでしまえば、冬の日でもお日様さえでてくれば結構暖かいのであります。
ここが北国と違うところですね。最近は寒い外を避けてばかりいるものだから、その様子がさっぱりわかりません。思い切って散歩にでも出かければ運動にもなるし、気分転換になるのはわかっているのですけれども。
もうそろそろ梅の花だってちらほら咲いているかも知れないのにね。

これまで使っていたiPhoneが新しく大きくなりました。それほどスマホが必要なわけではないし、メールやLINEにしたってほとんどはパソコンを使っているので、宝の持ち腐れだなと思っているのだけれども。
妻のiPhoneから突然に電話の受け答えができなくなってしまった。妻はLINEで通話ができるからいいのだと言いはったのだが、どうも、LINEを電話だと勘違いしているようであります。説明してもほとんど理解してくれないので、ほおっておいた。
ところが、そのうちに自宅の固定電話に妻あての電話が入るようになった。家電にかかってくる電話なんてのはロクな用件のものがないので、私が応対にでるとなると自然これ以上の無愛想はないという具合になってしまう。それが妻あての電話と知ればそういうわけにはいかないので、冷や汗がでて、それまでの口調を変えるで、終いにはシドロモドロになってしまうのであります。
そんな状態の時に市川警察の交通課から電話があった。警察から電話を貰うなんていうのは生まれてこの方、ウン十年にもなるが初めてのことなのでかなり焦った。家族の誰かが交通事故でも起こしたのかという思いもヨギってしまったのであります。
内容は職場のスタッフが交通事故にあったので、詳しい話を聞きたいというものでありました。

これはいかんです。こんな電話を毎日のように受けることは精神的にヒジョーに良くないことでありますから、コンコンと言って聞かせたら、娘と一緒にスマホショップにでかけていきました。そこで娘はいろんな情報を収集した結果、私の旧くなったスマホもかなり安価に交換できる情報を得て、めでたく新型で一回り大きなスマホになったわけであります。
いつの間にかポケモンゴーまで入っているのであります。娘はそれを持って外へ行けというのだが、まだ結構寒いしね・・・・・・。

2017年1月31日火曜日

冷みず的爺さんのおもちゃ

暖かい陽射しに包まれて惰眠をむさぼる贅沢を知ってしまってからは、朝からお日様の様子が妙に気にかかってしょうがないこの頃であります。

これまで購入してきたパソコンはほとんどが自作するものであり、部品を個々に購入して組み立てたものでありました。これって部品を選ぶ段階で欲というものが前面および前面にでてきてしまいまして、よりスペックの高いものとなってしまいますし、結局高いものになってしまいがちでありました。かと言って出来合いのものをそのまま購入するというのも、どうも気持ち的にスッキリとしないものがありましたし、別にハードウェアオタクでもないので、組み立てる時間と手間暇が惜しかったので半分出来合いのものを購入してしまいました。
それは元飯山電気のmouse computerのものでありました。
DAIV-DQX710M1-SH5 [ Windows 10 ]というものに、下に移動用の小さい車をつけ、さらに内蔵ファンをひとつ追加しただけのシンプルなものなのですが、これまで購入したパソコンの中では2番目に高額なものであります。
ただ息子や娘の使っているマックのノートパソコンに比較すればかなりかわいい金額だとはおもいますけれどもね。
ま、爺さんのおもちゃなんてのは、こんな程度のものだとおもいますよ。それにしても一日の大半をこの機械で遊んでいるわけですから考えようによっては安いもんですよね。

 ---◆◇構成内容◆◇-------------------------------------------------
【 リサイクル 】個人向け ( リサイクル料金が含まれます。回収時に費用は発生しません。 )
【 OS 】Windows 10 Home 64ビット
【 オフィスソフト 】・・・ オフィスソフト無し
【 ソフト 】・・・ ソフトなし
【 ウイルス対策・セキュリティソフト 】マカフィー リブセーフ ( 60日体験版 )
【 パソコン下取りサービス 】・・・ パソコン下取りサービスなし
【 J-Moss 】J-Mossマーク 非含有マーク(グリーンマーク・緑色)
【 CPU 】インテル(R) Core(TM) i7-6800K プロセッサー ( 6コア / 12スレッド / 3.40GHz / TB時最大3.60GHz / 15MBキャッシュ )
【 CPUファン 】★\1,900(税別)★[ 12cmファン×2基 ] Cooler Master Hyper 212 EVO ⇒ 静音性能と冷却性能を両立!
【 CPUグリス 】標準CPUグリス
【 メモリ 】32GB メモリ [ 8GB×4 ( PC4-19200 / DDR4-2400 ) / クアッドチャネル ]
【 SSD (M.2) 】・・・ SSD ( M.2 ) 無し
【 SSD 】480GB ( 弊社指定ブランド / 6Gbps 対応 )
【 SSD/HDD 】2TB ( 7200rpm / 6Gbps 対応 )
【 HDD 】・・・ HDD無し ※OS用に別途 SSD / HDD を選択してください。
【 外付けストレージ 】・・・ 外付けストレージなし
【 リムーバブルケース 】・・・ リムーバブルケース無し
【 グラフィックス 】NVIDIA Quadro M2000 / 4GB ( DisplayPort×4 ※DP-DVI 変換コネクタ×1 付属 )
【 光学ドライブ 】・・・ 光学ドライブ非搭載 ※USB接続型は「USB」項目にて選択可能です。
【 カードリーダー 】・・・ カードリーダー無し
【 マザーボード 】インテル(R) X99 チップセット ( ATX / SATA 6Gbps 対応ポート×10 / M.2スロット×1 ※SATA×2 排他接続 )
【 ケース 】★\1,800(税別)★DAIV-D シリーズ [ キャスター装着 ] ( ATXタワー型 / ブラック / フロントUSB3.0×2 / リアファン標準付属 )
【 ケースFAN 】・・・ ケースファン増設なし
【 電源 】700W 電源 ( 80PLUS(R) BRONZE )
【 LAN 】[ オンボード ] インテル(R) 10/100/1000BASE-T GigaBit-Ethernet LAN
【 拡張カード 】・・・ 拡張カードなし
【 拡張カード2 】・・・ 拡張カードなし
【 サウンド 】ハイデフィニション・オーディオ
【 キーボード 】[ USB 有線 ] 標準オリジナルキーボード ( 102日本語キー / ブラック )
【 マウス 】[ USB 有線 ] 標準オリジナルマウス ( オプティカル / スクロール機能付 3ボタン / ブラック )
【 マウスパッド 】・・・ マウスパッドなし
【 スピーカー 】・・・ スピーカーなし ( 音声出力にはスピーカーが別途必要です )
【 ヘッドフォン 】・・・ ヘッドフォンなし
【 WEBカメラ(オプション) 】・・・ 外付けWebカメラなし
【 UPS 】・・・ UPSなし
   ---◆◇周辺機器◆◇---------------------------------------------
【 モニタ 】・・・ モニタなし
【 プリンタ 】・・・ プリンタなし
【 ブロードバンドルーター 】・・・ ブロードバンドルーターなし
【 LANケーブル 】・・・ LANケーブルなし
【 HUB 】・・・ HUBなし

2017年1月30日月曜日

DisplayPortケーブルなんてまったく知らんかったもんね

窓硝子をとおして温かい陽射しにくるまれているといつの間にかウトウトとしてきます。最近はなんの躊躇いもなく、そのままうたた寝をすることが楽しみになってきてしまいました。
ただそんな幸福に包まれる冬の時間は思っているほど長くはなくて、午後の3時あたりを境にして、温かい陽射しは隣家の屋根に隠れてしまい、やはり、まだまだ冬だったことを思い知らされてしまうのです。

そうそう、新しいパソコンが自宅に到着して、もう胸ワクワクで箱から出して設定を始めました。キーボードやマウスを取り付けてLANケーブルも挿してと・・・・・。
ほとんどのケーブルを取り付けてから、?????が私のオツムの上で約125個ぐらいが回り始めました。それはディスプレイにつなぐ端子が見当たらないのであります。
「なあんだ、これはHDMIでつなぐのか」と思い、HDMIケーブルを取り出してきて、どこか挿さるところがないかと探してみましたが、形状が一致する穴ぽこはどこにありません。
困りましたよね。仕方がないのでサポートセンターにさっそく電話であります。まさか箱から取り出してすぐにサポセンに電話をするはめになるとは思ってもいませんでした。
そこで判明したのが、ディスプレイとパソコンを繋ぐにはDisplayPortケーブルというものが必要らしいのであります。
そんな事はまったく知らなかったのであります。それならそうと説明書なり、ホームページなりに一言書いてくれればいいのにね。
もちろん我が家には「DisplayPortケーブル」などはあるはずも無く、Amazonに注文しましたので、その日は試すことはできませんでした。
幸いなことに最近主に使っている大画面のディスプレイはDisplayPortに対応していましたので、変換コネクタを使用することもなくダイレクトでつながるのが救いではありましたけれども。
油断していると新しい規格がどんどんでてきてしまって、年寄りにはついていけない世界になりつつあるなと思った今日このごろであります。はい

2017年1月29日日曜日

新型のパソコンにわくわくしている毎日なのです

なんとなく更新をサボっていたら、すぐそこに2月の声を聞くような日付になってしまっていました。何日か前にデスクトップパソコンを新たに購入しました。これまで使っていたパソコンの挙動がかなり怪しくなっていたので、完全にイカれてしまう事を恐れたわけであります。
もちろん時々データのバックアップも取ってあるし、重要だと思われるものはクラウド側にあげてあったりもしているのだが、もともといい加減な性格だから、それでも安心できないのであります。
そんなわけでここ2,3日は引っ越し作業に追われています。旧パソコンの環境にするにはおそらく1ヶ月ぐらいはかかるのではないかと思われます。最終的には旧パソコン側の1テラバイトのハードディスク2基をそのまま新パソコンの空いているドライブベイに取り付けてしまえば引っ越し作業の完了だとは思っているのですが。

2016年12月31日土曜日

おだやかに大晦日です

かなり早く起きてしまったので、居間のコタツに入り年末のどうでもいいようなテレビをつけてダラダラと無為に過ごしていましたが、意を決して雨戸を開けましたら、なんともまぁ素晴らしい日の出ではありませんか。風もなく雲もなく今年の最後はおだやかに過ぎていきそうな気配でまずは安心であります。
どうでもいいことなのですが、いつの間にか爪が伸びてきたようで、キーボードがジツに打ちにくいのであります。このブログを書き終えたらさっそく爪を切らなければ。今年最後の爪切りになりますね。
そうそう、お風呂にも入って身を清めて信念を迎えなければいけませんね。このお風呂に入るというのは体力のない私にとっては一大事業なのであります。普段は何も考えずにお風呂に入っていましたが、頭を洗って、髭を剃って、体を洗うだけの作業ですが、全部終わって出て来るのは至難の技であります。出てきたら出てきたで着替えをして落ち着いた頃には、もうヘロヘロの状態であります。
朝食が終わったら今年最後の一大事業に挑戦したいと決心しております。たかだかお風呂に入るのに一大決心などとは大げさなと思われるかも知れませんが、これが現実なのですから仕方のないことだと受け入れることしかないのです。

これが現実だと仕方なく受け入れるしかないことが大変多くなったと感じる今日此の頃であります。

2016年12月28日水曜日

ありがとうと心から云いたい気持ちです。

なんとなくクリスマスが終わってしまって、年末年始休暇に突入した方も多いのかと思われます。私はというと、放り出さざるを得なかった仕事に追われてヒイヒイ云っている毎日であります。
ま、タイミングも良かったせいもありますけど、それほど深刻な事態にいたらずに、ほっと胸をおろしているしだいであります。
かなり体力も衰えてしまっていますから、日常生活のなかで自分の事は極力自分でやるという方針で少しずつではありますが、体力を戻す努力をしていますが、これがなかなか大変でついつい家族に甘えてしまっているというのが実情だったりもします。
このブログも今日は書かなければ、明日こそは書かなければなどと思ってはいるのですが、なかなか書き出せませんでした。
これを機会にリハビリも兼ねまして、また書いていこうと思っておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
また前回変な事をちょっとだけ書いてしまって、余分な心配をおかけしました皆様には申し訳ありませんでした。口だけはかなり元気になりましたので報告をしておきたいと思います。
体力のないぶんを口の悪さで補おうとしますから、しばらくは近づかないほうが無難かと思われますので近づく際には棒か何かで突いてみて見の安全を測ってにして貰えば幸いかと思われます。
とりあえず、急ぎご報告まで・・・・・

2016年10月19日水曜日

靴紐結んで・・・

8月のお盆休み過ぎに遅めの夏休みをとって、妻と二人で車中泊の旅4泊5日をだらだらと書き続けて、まだその旅が終わってないのに時はすでに10月の半ばを過ぎてしまいました。本当は青森県の竜飛崎まで行って帰ってきた話なのでありますが、文章はまだ男鹿半島あたりをウロウロしています。
これまでも、それほど筆が早いほうでは無かったのですが、これからも個人的な事情によりまして、ますます遅くなることが予測できます。それでもたまには覗いてみてやってください。時々は更新するつもりでありますから。
さて、ここからは続きとなります。

「靴紐を結ぶ」とか「おにぎりを持って」などという言葉を耳にすると、まだ子供だった頃のワクワク感がいきなり蘇ってくるような気がします。それは遠足の日の朝のことだったり、運動会の日であったりと、平穏な日常のなかで何の疑念を差し挟む余地もない子供心に今日は特別なハレの日なんだよということをはっきりと自覚させてくれるキーワードのひとつだったような気がします。
毎日のさして変わり映えのない日常生活では、朝食を食べて、後片付けをしてから、「さぁー、会社に行くぞー!」などという前向きな気持ちになることなどは年に数えるほどしかないのでありますが、旅先での気分はまったく違ってくるようであります。
いつもは気軽にサンダル履きですから出かける時に靴紐を結ぼうにも結ぶことはできませんが、やはり靴紐を結び直すというのは特別な作法のような気がします。だから気分だけは結び直します。「おにぎりを持って」というのも最近は糖質制限療法をきまじめに実行していますから、極力炭水化物は摂らないようにしていますのでこれも実行するにはいたりませんが、気分だけはガキの頃と同じように持つことにはしています。

夜中には私が運転を続けてきましたので、次の運転は妻の番であります。靴紐を結ぶような感じでシートベルトをきっちりと締めまして、男鹿半島巡りに出発であります。
4,5年前でありましたら、ほとんどの運転は私がやっていまして、妻がハンドルを握るなんてことは滅多になかった事でありましたし、妻の運転する車に乗るなんてのは考えただけで恐ろしくなったものでありました。
しかし、3年ほど前に緑内障を患ってからは、さすがに長時間の運転には耐えられなくなってしまいました。どうしたって妻に半分ぐらいの行程で運転をして貰うしかなくなってしまったのであります。

2016年10月13日木曜日

いよいよ出発ですが、後始末が最重要なのです

普段とたいして変わらない慎み深い食事なのですが、潮風を直接受けて、青い海に青い空の下で、のんびりと朝のひと時を過ごすというのは最高のご馳走であります。
沈む夕陽を目にしながらのんびりと酒を飽きるまで呑み、満天の星空をみながら寝入ってしまうというのも好きですが、朝のこのひとときも旅先での楽しみのひとつなのであります。
とはいっても、いつまでもこの場所にとどまっているわけにはいきません。まだ地元の人びとが本格的に行動を起こす前のひとときですから、夫婦ふたりだけで静かな朝の時間を過ごすことができただけの話であります。
私たちはどこまでいってもよそ者なのです。よそ者が必要以上に大きな顔をしていてはよくありません。やはりそこには慎み深さというものを持ち合わせていなければならないと思うようになったのは、数多くの放浪を体験して得た結論なのであります。

この素晴らしい朝ごはんを食べてくつろいだ場所は地元の方々が提供してくださっているものであります。トイレにしても水洗になっており、清潔に掃除がなされています。
それをあたかも当然のごとく思って傍若無人に振る舞うなんていうことは最初から旅する資格が無いと思うのです。いくら「旅の恥はかき捨て」なんていう言葉があったとしても決してあってはならない事だと強く思っているのであります。
どうも説教じみてきたけれども、互いに気持ちの良い旅を続ける鉄則だと思うに至ったのであります。
ということで、飛ぶ鳥後を濁さずであります。干してあった寝袋を片付け、イスとテーブルを収納し、簡単に朝の整理整頓が終わりましたら、車の周囲に余分なゴミが落ちていないかを点検します。最近は以前に比べますと煙草の吸殻や、食べ物の包装類等々のゴミが捨てられていることが本当に少なくなってきているように感じます。日本人のマナーが飛躍的に向上してきたことを感じます。たぶんにしてそれは民度の低いどこぞの国を反面教師にしているからに違いないと思っているのですが。
私が、なかでも一番注意を払っているのは食べ物の食い残しなどは、絶対に捨てないようにしています。私たちが何気なく捨てた食べ残しに野生動物が集まってきたら、地元の方々にも、また私たちと同じように車中泊で旅している人びとにも大きな迷惑をかけると思っているからです。たとえ液状のものでも決して捨てることはありません。洗い場がない場合はキッチンペーパーに吸着させてから、しかるべき場所に捨てることにしています。

いつまでもこの朝の静かで芳醇なひと時に浸り続けていたいのですが、限られた日数の貧乏旅であります。どこかで腰をあげて未知の世界へ向っての旅立ちの準備をしなければなりません。本当は未知の世界などではなくて私にとっては2回目の地なのですが、このように書いたほうがなんとなくかっこういいように思えたもんですから。
さていよいよ男鹿半島めぐりに出発であります。

2016年10月3日月曜日

案外役にたつジブロック

ぼんやりと海を眺めたり、昨日とはうって変わった快晴の青空を眺めたりしていたら、妻が戻ってきた。開口一番に「コーヒー、もう一杯呑みますか」と聞いてきたのです。

独り旅をしている時は、どうも流暢にお湯を沸かしてコーヒーを淹れるというのが面倒でしょうがなく、最初の頃はインスタントコーヒーを旅先で買い求めて朝一番にお湯を沸かしてポットに入れて賄っていたのですが、しだいにそれすら面倒になり、無糖のアイスコーヒーのペットボトルを買い求めて、それをチビリチビリと呑みながら旅していたのです。
朝食にしてもわざわざイスとテーブルを出して、調理器具をだして調理するなんてのも、かなり面倒に思われ、ありあわせのものがクーラボックスに入っていれば食べるけれども、何もなかったら、そのまま走り続けてコンビニかスーパーでもあったらそこが朝食の時間だし、ファミレスなどがあったら尚ベターなのでありました。
その点妻が同行すると車中泊による貧乏旅であってもぐっとリッチになるわけであります。さすがにコーヒーメーカーを持ち歩くのは邪魔になるのでやめてはいますが、コーヒー豆がパックに分かれているのを使用して、一杯、一杯作ってくれるので旨いです。
スバヤク、コーヒーのおかわりを作ってくれると朝ごはんの準備を始めました。本日の予定は男鹿半島をのんびりと一周するだけの予定でありますから別に急ぐ必要もありません。今夏の旅は男鹿半島を最終地にして、このまま自宅に戻ってもいいわけであります。

いつの頃からか妻はジブロックというチャックのついているビニール袋を持ってくるようになりました。タッパーの重要性は私も以前から理解しており、常に持ち歩くようにはなっていたのですが。ジブロックとはね。

道の駅などには産直野菜を売っているところが多いのですが、大抵の場合安くて新鮮で信じられないほど安かったりするわけでありますが、近所にあればなんぼ助かるかという話でありますけれども、旅先では安いからといってそのまま購入するわけにもいきません。
そんな時にジブロックを利用して一夜漬けや浅漬を作ってクーラボックスの中に放り込んでおくわけであります。そうすれば旅している間にちょうど食べごろになるわけであります。
それが毎食、サラダ代わりに食卓に並ぶことになるわけであります。私などは晩酌の時に漬物がないと我慢ならないものですから、これは大助かりなわけであります。

さっきまで一羽だけだったトンビがいつのまにか二羽になり、相変わらず無音でよりそうように円弧を描いていました

2016年10月2日日曜日

朝食を摂るのにちょうどいい場所が

夜が明ける時の展開はジツに素早いもので、東の空が白み始めるまでは、かなりもどかしいものなのだが、ほんの少しだけ申し訳程度に薄明るくなったと感じるまもなく強烈なお日様が顔を出し始める。旅先ではこのほんのわずかな時が私の一番好きな時間でもあるのです。

そうしてすっかり周囲が明るくなるのと同時に、普段は何に使っているのかわからないような大きな駐車場が海べりに姿を現しました。
駐車している車も見当たらず、入口側にトイレもあるようなので、ここで朝ごはんを食べる場所に決めました。海をみながらのんびりと朝の空気やら陽の光を楽しみたかったので、イスとテーブルを外にだしてセッテングをして、偵察を兼ねて先程目にしたトイレに向ったのでありました。
全体で長さが400メートルほどもあるような駐車場の真ん中に陣取ってしまったものだから、トイレまでの距離も結構ありましたが、ま、朝の散歩だと思えばなかなかいいではないかと思い開放感に浸りながらトイレを済ませて海岸のほうに目をやってみると、そこには大型のテントとタープを広げて寛いでいる若者が数人たむろしておりました。様子を伺っていたら、どうやらサーフィンをやりにきているらしいのであります。どうみたって波一つない静かな海べりでサーフィンなんかできるのかなという思いがかすったのですが、街の中をサーフボードを載せて意味もなく走り回っている連中に比較したらかなり許せる範囲なんだろうし、波の高い時もあるのだろうと一人納得させてしまった。
顔を洗ったり、歯を磨いたりしてから海岸に降りて潮の香りを楽しみながら車に戻ったら、妻はすでに起き出しているみたいでテーブルには淹れたてのコーヒーが2つ用意してあった。
周囲には妻の姿が見当たらなかった。私が一段下になっている海岸近くの小道をぶらぶらしながら帰ってきたので妻がトイレに向かうのと入れ違いになったらしいのです。

彼方の稜線に小さなトンビの影がゆるーく輪を描いて音もなく飛んでいる姿が目に入った。車の全てのドアを開け放ち、寝袋を裏返しにして干して、ベッド状にしてあった後ろ座席を元に戻し、簡単に荷物の整理をした後に、私は深く椅子に座って両足を投げ出して、まだ熱いコーヒーに口をつけたのでした。

2016年10月1日土曜日

ようやく夜が明けはじめまして

深夜というか早朝というべきかに秋田市内で燃料補給を済ませてから、いつものようにカーナビの設定を男鹿市の代表的な場所にしておいた。しばらくの間、暗闇の国道7号線を走っていたのですがようやく、ナビに促されて左折をした。ナビで指定した男鹿市の代表的な場所というのはおそらく男鹿市役所を指すのでしょうけれども、男鹿市役所が男鹿半島のどの位置にあるのかはまったくわからないので、とにかく行けるところまで行ってみて、それから考えようといういつもどおりのかなりいい加減な計画とも呼べないようなものであります。

今回の4泊5日夏休み旅行の3日めの朝のことであります。本日も含めて残りは後3日間ありますから気分的にはかなり余裕があったのも確かな事であります。

男鹿市の繁華街に近づいてくると共に周囲の闇は薄らいできつつあった。おそらく5時を少し回ったぐらいの時だったと思います。予想していたよりずーっと賑やかな市街地だったのですが、その自分で勝手に予想していたのは、まだ茅葺きの家々が点在しており、暗くなるとナマハゲが大きな包丁を持って跋扈しているぐらいの事ですから、男鹿市民の方々にとってはまったく失礼千万なものでありました。
ちょっと高台の方におそらく男鹿市役所があるようでありましたが、それを無視して直進しました。3分もしないうちにカーナビは目的地すなわち男鹿市役所へ戻れ戻れと盛んに囃し立てるものですから、路肩に停車してナビの案内を中止させて、後は半島を一周するまで何も設定しないようにしました。幸運なことに半島を一周りするように道路ができているようであります。
ほどなくして懐かしい日本海が顔を出しました。本日は昨日の愚づりがちな空模様と違って全面的な快晴であります。
海の色も真っ青、空も雲ひとつない快晴であります。漁村風景の中をのんびり走って行きます。たまに漁師の軽トラックらしいものが忙しそうに追い越して行きます。

2016年9月30日金曜日

再び日本海を眺めながら

あれ?男鹿半島って秋田市内からこんなに距離があったかなと訝しがりながらも、暗闇の国道7号線を北上し続けました。
以前に秋田市仁別の開墾地で百姓の真似事をやっていた時に5日間に渡って大潟村まで鶏糞を貰いに一日3往復したことがあったのです。男鹿市と大潟村は隣り合っていたような気がします。だから、その時に身に着けた距離感からいうとなんだか今回はとても遠く感じたのでした。
もっともその時は鶏糞をより多く開墾地に運び入れることが最大の目的であったので、頭の中は鳥のウンコのことで一杯であったから、周囲の景色はそれほど飛び込んでこなかったのは確かなことではあったのです。
その鳥のウンコもそんじょそこいらのウンコではないのであります。まさにそれは比内地鶏のブランドウンコなのであります。その貴重な鶏糞を好きなだけ持っていっていいというありがたい申し出に舞い上がってしまいました。また偶然にもタイミング良く、後、数日で廃車にしてしまうというボロボロの2トンダンプがあるとの話を聞きつけて交渉の結果、これも無料で借りるのに成功したわけであります。
不思議なものであります、これまで農業の経験などほとんど無かったわけでありますが、数ヶ月、土にまみれて這いつくばって汗を流していますと、自然、農業に対してどん欲になっていったのでした。
だからその時は、その距離からいって一日に2往復するのが限度だろうと云われたのですが、この機会を逃したら、この宝の山を手に入れるのは困難になるだろうと思い、かなり無理して一日3往復を5日間も強行したわけであります。
最初ダンプを借りられるのは3日間だけの約束だったのですが、無理を承知で平身低頭して後2日間延ばしてもらえないかと必死になって頼み込んだのであります。あの時は自分でも不思議なくらいに必死で懸命であった事を思い出します。
鶏糞にも熟成期間が1年ものとか2年ものというのがありまして、私が手に入れたのは確か3年ものだった思います。
3年ものともなればほとんど糞尿のきつい匂いが消えてしまっていますが、それでもかなり臭うことは確かなことであります。以前の私だったら絶対にそのような香りのする場所には近づかなかったでしょうが、これらのものがこれから育てる野菜の最高の栄養になるのだと思うととても良い匂いに思えてきて、まったく平気になっていったのであります。

男鹿半島を一周して再び国道7号線を北上し始めた時に、あの宝の山にみえた鶏糞熟成小屋を探してみたのですが、まったく見つけることができませんでした。

2016年9月28日水曜日

いつの間にか男鹿半島を目指します

旅行二日目の夜は海からちょっと離れて秋田市内の太平山にある公園で一泊しました。目覚めたのはまだ夜が明けるには3時間か4時間ほどかかるだろうという闇の中でありました。まだ行動するには早いとは思ったのですが、とりあえず次の目的地となんとなく決めていた男鹿半島を目指すことにしました。
運転席に座り、エンジンを始動させて何気なくガソリンメーターに目をやると、半分以下を指していました。うっかりして昨日燃料の補給を怠っていたのであります。このまま走っても楽々男鹿半島一周ぐらいは、できるぐらいの残量ではあるのですが、地方を走る場合は燃料には特別気を配らなくではならないのであります。
まして近年はカーナビにガソリンスタンドのマークがあっても廃業していたり、休業していたりという事態はままあることであります。男鹿半島に向かう前に燃料を補給することを決意して秋田市内を目指してみた。県庁所在地である秋田市でありますから、いい加減に走っていれば深夜スタンドのひとつかふたつはあるだろうと思ったわけであります。
最初は開拓時代に良く利用していた農協が経営するセルフスタンドを目指しました。もうすでに無効になっているだろうけれどもプリペイドカードに800円ほど残っているはずでしたが、まさか今回秋田まで遠征するとは思ってもいなかったので持ってきていません。おそらくこれからも使うことがないと思われるカードですが記念に取っておくことします。目指していた農協のセルフスタンドは残念ながら周囲の闇に溶け込んでしまっています。気を取り直して市街地を目指して走っていると前方にひときわ明るく自己主張をしているものが目に入りました。片側2車線都合4車線の道路の反対側にありましたが、まだ走っている車もほとんどない状態だったので無理やり進路変更を行い、なんたく24時間営業のセルフスタンドに潜り込みました。
燃料補給というのは結構面倒な作業であります。以前は自宅の周辺で車を使用する時はそれほど気にすること無く、残量計の警告ランプがついている状態などということも日常茶飯事でありましたが、あの3.11の東日本大震災を味わってから、できるだけ満タンに近い状態を保つことに心がけるようにしていたのであります。
ただ最近は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の例えどおりに、ついつい面倒になってしまい、なかなか不測の事態に備えることを怠りがちになってしまっています。それは燃料だけの問題ではなく、備蓄用の飲料水や非常食もおざなりになっている感があります。この機会にもう一度初心に戻って気を引き締めて行きたいと思ってはいるのですけれども。

なにはともあれ、とりあえず燃料を満タンにしてカーナビを男鹿市の代表的な場所にセットして準備万端であります。
妻はベッド状にした後ろの座席で寝袋に収まってまだまだ深い眠りのなかにありました。

2016年9月18日日曜日

基準は勝ち負けだけじゃないよね

人生勝ち負けだけの価値判断からすれば、あれは負けたんだろうかと思わないでもない。ただあの時の生活は実に楽しかった思い出ばかりなのであります。確かに広大な耕作放棄地を目にした時は、現実の厳しさをこれでもかと思い知らされたような気もしましたが。

2年間の百姓もどきの生活に見切りをつけて、4畳半の仕事場に籠もりきりになって、再びコードを相手にし始めた時には、どこかにほっとした気持ちもあり、ああー、これが俺の本来の姿だったんだなと安心した事も確かなことであります。
あの時の百姓もどき生活のなかで農業から得た収入は0でありました。燃料代やら肥料・種苗代それに毎日催す小宴会の酒食代等々すべて持ち出しになりますから大変な出費であったことも確かであります。
当然寝泊まりしている作業小屋にはパソコンを持ち込んで自分の食い扶持分は稼いでいたのです。そうでもしなければ素人が農業で身を立てるなんてことはとてもできたものではありません。

その日の夜は仁別にある大きくてかなり整備された公園の真ん中に陣取って、自分の胸のうちを妻には悟られないように、いつもよりも快活振る舞い続けて深い眠りの中に沈んで行ったのです。
これが今回の2泊目の夜のことでありました。
明日は男鹿半島を一回りする腹積もりになっていたのです。

2016年9月17日土曜日

もうこれ以上の感傷に浸っている余裕はなかったのです

まだ2016年夏休みの車中泊での旅を書き終えてもいないのに、去る9月12日から2泊3日で長野の旅に行ってきました。幼なじみのキクちゃんが是非俺も連れていけということで二つ返事で了解して旅立ちました。この話はいずれどこかで書くかとも思います。

話はまだ秋田市仁別あたりをうろついているのです。ここでは2年間のべ半年に渡りおよそ5000坪の耕作地を相手にして百姓の真似事をしていたのです。水道・電気・ガスなしのまったくもっと原始的なアウトドア生活を送ったわけであります。今考えるとジツに無謀としか言えないようなものですが、時々懐かしく思い返されるから不思議なものであります。
先にも書きましたが、妻が秋田の地を踏むのは初めてのことであります。ここまできたのだから、ドン・キホーテのごとく孤軍奮闘したこの地を是非見せたかったのであります。
メインの通りからはずれて一段と細い道に入り橋を渡り耕作地に入りました。
そこに広がっていた光景は無残としかいいようのない耕作放棄地でありました。本当はこの地に一泊して当時一緒に遊んだ近所の人たちを訪ねて酒でも酌み交わそうかとも思っていたのですが、そんな甘い考えは太平山の麓の谷に綺麗さっぱりと散っていってしまいました。

これは紛れも無く自分の敗北の後であります。これ以上この地にとどまって感傷にひたるほどの神経を持ちあわてないので、自然に無口になり、「さて、今晩のネグラを探そうか」と重い口を開いてボソリと告げると「あれ、今晩はこの場所に泊まるんじゃなかった?」と妻が怪訝そうに尋ねてくる。
「いや、もっといい場所があるから」と無言でもときた道を引き返すのでありました。

2016年9月10日土曜日

秋田大学医学部附属病院近くのマックスバリュが懐かしい

海沿いをひた走っていた国道7号線から離れて秋田市街に入った途端に恐れていたとおりに道に迷ってしまいました。もちろんカーナビにはがっちり目的地を指定してあったにもかかわらずにでありました。中央部にかなりおおがかりなトンネルがあり、そこは何度か通ったことがあったのですが、そのトンネルに入りそこねたのであります。まさかこんなに早くトンネルが現れるとは思ってもみなかったので慌てふためいたわけであります。
こうなるとカーナビはしばらくの間、そのトンネルの入り口に誘導するためだけの案内をし始めますから煩わしくしょうがありません。いくら秋田市街とは相性が悪いといっても、なんどか走り回った道でありますから、その内に見た覚えがある景色も出てくるだろうし、それをきっかけにして連想ゲームのように視界が開けてくるだろうと高をくくってヨタヨタと走り続けました。

10分ほど迷走したでしょうか、そこに確かに見覚えのある高いマンションのようなビルが現れました。あれは確か秋田大学医学部附属病院かもしくはその近所にあるビルではないかと思ったのです。とにかくあのビルに向ってさえいけば、もうナビに頼る必要もなくなるわけであります。

あの懐かしいビルの近くにあるマックスバリュには毎日のように買い物にでかけていましたし、隣のホーマックというホームセンターには農作業に関する鍬やスコップ等々を購入しにきていたのです。もうこの時点で道に迷うということはなくなりましたし、ナビの案内も不要のものとなったわけであります。
すでにこの時点で今夜の食料は確保してあったのですが、あまりの懐かしいのでマックスバリュに立ち寄ることにしました。私はこの店で生まれてはじめて自分でレジ精算をやったのであります。自分で購入した商品にバーコードリーダーをあてて合計額がわかったら、じゃらじゃらポケットに入っている小銭を何も考えずに放り投げておいて、残額を確認してあらためて紙幣を差し込むわけであります。これ私のようなズボラな人間にはジツに向いている機会だと感心したわけであります。

2016年9月9日金曜日

待てば海路の日和あり・・・

昼食を食べたり、おみやげを物色したり、日帰り温泉でさっぱりしたりしていたら結構な時間になっていました。駐車している車に戻ってコーヒーを呑んで電子ブックをながめたりしていましたら、雨が小ぶりになってほどなくしてところどころに青空がでてきました。
この時の時間が午後の3時頃だったと思います。雨がこのまま強く降り続いているようなら、この場所に泊まるのも悪くはないなと思っていたのですが、青空が見えるようではそうはしておれません。一応最終目的地と決めている「男鹿半島」までは少しでも距離を稼いでおきたいところであります。
そうと決まれば行動に移るのは早いです。カーナビの目的地は秋田市仁別の代表的な場所であります。そこは私が延べにして約半年間開墾に精を出していた農地のある場所であります。
ある程度の買い物も済ましておりますし、日帰り温泉に入りましたので後は夕方になってから晩酌をして寝るばかりなのですから、ただただアクセルを踏んでハンドルを握っているば本日の仕事は終わりであります。ん?いつの間にかドライブが仕事になってしまっているのは何か変でありますが、ま、この際細かいことは拘らないことにしておきましょう。

この象潟の道の駅では以前鍋の材料となる魚を買ったり、刺し身も購入した記憶があったのですが、店舗にあたる場所を大幅に拡張する際に、普通の魚屋さんはきれいさっぱりとなくなっていました。名物の岩牡蠣というものを提供しているお店が3つほどありましたが、ふーん秋田って岩牡蠣が名物なんだって、この時はじめて知った次第であります。

秋田市内に到着しました。本当はナビなんていらないぐらいなのです。なぜなら国道7号線をただただ北上しているだけなのでありますから。ただ秋田市内に入ると話は違ってきます。
その昔、知り合いから軽自動車を借りて市内を走り回っていましたら、完全に方向感覚がおかしくなって、どうしても知り合いの家に戻れなくなってしまいましたのです。
あの時は正直焦りまくりました。大きなスーパーの駐車場に車を入れて、そこの奥さんに電話をしてスーパーの名前とか特徴を告げましたら大笑いをして迎えにきてくれました。
その場所は、知り合いの自宅から何百メートルも離れていなかったのであります。土地勘がないというのはそういうもんだのであります。あれ以来カーナビのついていない車に乗る時は怖気づくようになってしまいました。

2016年9月7日水曜日

いつも拍子抜けするのは温泉です

日帰り温泉に入る時に拍子抜けする事があります。今回のように駐車場が満車状態の場合であります。あんまり混んでいるような温泉にはできるだけ入りたくないものであります。でも旅先ではまた違う温泉を探すというのも面倒なものですから、仕方がなく決死の覚悟で入浴セットを詰め込んだレジ袋を持って突撃していくわけであります。
うーん、この書き方では決死の覚悟が伝わりそうにはないですが、ま、とにかく必死な形相で向かうわけであります。湯殿は芋洗い常態化と思いきや、閑散とした状態で体から力が抜けてしまうなんてことがよくある話であります。

この時の象潟の道の駅の展望風呂もそのような状態でありました。4階までエレベータで上り、チケットを自動販売機で購入していざ鎌倉の気分で突入していきましたら、実際に風呂に入っているのは二人でありました。
高台から雨にけぶる日本海をみながら結構大きな湯船に体を沈めます。露天風呂こそありませんが、なかなかの温泉であります。
なかには5脚ほどの椅子が用意されており、体があったまったらその椅子に腰掛けて呆けるようにして海を眺めて過ごします。
サウナもついていますが、私はあの熱さが嫌いなので余程のことがないかぎり入ることはありません。まして水風呂なんて冷たいので大嫌いです。って、子供のようですね。ミストサウナぐらいだったら入らないこともないのですけれども。

何か温かいものを・・・そんな気温でありました

どしゃ降りの雨の中ですから、できるだけ本館に近い場所に駐めたかったのですが、なんだか知らんのですが駐車場はメチャ混み状態であります。
ま、こういう時に考えるのは誰しも同じような事なので、このまま降り続けるようであったら、この道の駅で時間を潰して一晩泊まってしまうというのも有りだなと思い直して、宿泊しても煩くないようなかなり端っこを探して駐車した。
とりあえず、トイレに行って、昼食をとって温泉に入っておみやげを買ったりしていれば結構な時間になってしまうだろうと思ったのだ。そのうちに天候が回復してきたらまた7号線に戻って秋田市内にある私の開墾現場に向かえばいいだけの話でありますから。こういう気楽さが車中泊の良さであります。
温海の道の駅に寄った時にみたパソコンの画面の天気情報では雨雲がかかっているのは山形と秋田あたりだけらしかった。つまり私たちの周辺だけが雨模様だったわけであります。そうそうこの象潟の道の駅も第一級の道の駅でありますが、途中で寄った温海の道の駅もかなりのものでありました。がそれは後の機会に

出る時に散々迷った末に持ち込んだ2本の傘が、この時ばかりはおおいに役に立ちました。まずは何か腹にいれないと空腹では苛立ってきていけません。数年前に立ち寄った時よりは魚屋さんや食堂の部分が増築されておりしかもかなり立派になっておりました。それに食べ物屋さんの数も増えていました。ピザ屋さんとか、焼き鳥さんなんかも増えています。
他のお客さんが食べているラーメンなんかがとても旨そうに見えたのですが、そこは糖質制限食をまじめに実行している手前ぐぐっと我慢をしてとろろ蕎麦の温かいのを注文しました。まだ夏ですから当然冷たいものを注文したくなるものですが、なにか温かいものを欲しがるような気温であったのです。まだ9月にもなっていないのに東北の秋はもうすぐそこまできていたのであります。

妻にとっては初めての秋田入りです

旅に出る時に持っていくかどうしようかと悩むのは椅子とテーブルと書きましたが、もうひとつ悩むものがありました。それは傘であります。今回も荷物を積み込んでいる最中に悩みましたが結果的に2本の傘を積み込んでおきました。この傘を1本にするか2本にするかというところでも迷ったわけであります。なかなか私たちバカ夫婦の旅は苦悩に満ち満ちているのでありました。
傘2本だけといっても狭いワンボックスのなかでは結構邪魔になるわけであります。それにでかける前から雨を想定するというのもなんだか嫌なものがありますからね。

さきほど立ち寄った道の駅鳥海は山形にあるのか秋田なのかがわからなかったのでちょっと調べてみました。山形の遊佐町にあるんですね。正式には「道の駅 鳥海 ふらっと」という名でありました。調査ついでにホームページにリンクを張っておきます。
そうか手を抜かずにこのように丁寧に調査してリンクを貼っておけばいいんですね。これまでの旅行記にもこうしておくべきだったと思うけど、生来不精ですからね。ま、いいか。
道の駅鳥海が秋田であったなら、妻にとっては初めての秋田入でありますと書こうと思っていたのですがすんでのところでやめておいて良かったであります。

雨の勢いは衰えることをなく遠慮会釈もなく空から流れてきます。ようやく日本海を見下ろすほんの少し小高い場所に道の駅象潟が見えてきました。この雨にもかかわらずと云って良いのか、この雨だからと云って良いのかはわかりませんが、思いの外駐車場は満車状態であります。
ここでも面倒がらずに検索してみました。ただしくは「道の駅象潟ねむの丘」といいますね。今の今まで知りませんでした。
確か4階に展望風呂が日本海を見渡すような感じでありました。その日は26日フロの日ということで通常350円の入浴料が300円ということでありました。こういうこじつけならいくらこじつけて貰ってもいいですね。
新潟から東北にかけての日帰り温泉の入浴料が異常に安いように感じました。都合4回ほど利用しましたが最高に高くて380円だったと思います。1箇所を除いてボディシャンプー・洗髪用のシャンプーがついてのことであります。これまでの経験からしますと400円以下の入浴料ですとシャンプーがつかないというところが多かったと思います。自然入浴料が400円以下の場合は用心のために携帯用のシャンプーを持参することになります。
福島県の道の駅喜多方だったのですが、まともな入浴料だったにもかかわらず、シャンプーも何もない状態で体を洗わないででてきた悔しい思いでがあります。こういうのは絶対に忘れないもんですね。
なんであんなに安いのか推察してみますと、おそらく日帰り温泉が乱立しているために値段は底に張り付いたままになっているものと思われます。私ら車中泊族のためにどうか潰れないであって欲しいと願うばかりであります。

2016年9月6日火曜日

妻に、にわか百姓をしていた農地をみせてやろう

とりあえず男鹿半島をナビに打ち込んだのだけれども、その前に私が数年前ににわか百姓をやっていた辺鄙な農地をみせてやろうという思いがでてきました。しかし、そこは慣れない秋田市街をクネクネと走らなければ行きつけない場所であります。
そこに行くには絶対にナビの設定をしないと私には行き着く自信がありませんでした。7号線を単純に北上すれば男鹿半島に行き着くことができますが、せっかくきたのですからね。しかし、その住所がわかりません。地元の人にとってはナビなどなくても簡単に行き着ける場所だと思います。なぜなら、そこには「ザブーン」というかなり大きな日帰り温泉があり、植物園があり、スキー場があり、キャンプ場があり、整備された広大な公園のあるところのほんのちょっとだけ手前のところなのです。
今思えばiPhoneのSeriに聞いてみれば良かったのです。それは後の祭りであります。秋田に住み着いた時に思ったことは、秋田というところは案外アイヌ語が語源となっている地名が多いということです。だから北海道で耳にしたり目にした地名が結構多いと感じだのです。これは多分にして私の個人的感想で学術的な見解ではありませんから。例えば秋田市内に旭川なんていう地名があります。それから今は失念してしまいましたが、そのような地名が数か所あって印象に残っているのであります。
それらの事を思い出していましたら、連想ゲームのごとく、「仁別」という言葉を思い出したのであります。別ってつく地名って北海道にも結構ありますよね。「悲別」なんてのはドラマで使った架空の地名か。とにかくナビで秋田市仁別と入れましたら、例のごとく「代表的な場所」がでてきました。
そして、その代表的な場所が先ほど説明した屋内温泉プール付きの日帰り温泉「ざ・ぶーん」だったのであります。

まだ、大雨の中「道の駅象潟(きさかた)」を目指して必死に目を凝らして国道7号線をひた走っているのでありました。

とうとう叩きつけるような雨が降り出しました

酒田市街をなんとなくといった感じで通りすぎてしまって、鳥海山が見えてきても良い頃だと思ったが、朝から曇り気味だった空も今にも降り出しそうな気配が濃厚となっており、鳥海山の影も形も認めることができなかた。
文字通りに鳥海という道の駅の案内看板がでてきたあたりから、本格的に降りだしてきました。この道の駅には確か産直野菜や海産物を販売していたような記憶があり、寄ってみることにした。それはどうも私の記憶違いのようで野菜は売っていたが、海産物といってもおみやげ用のものしか販売されていなかったので、妻は産直野菜と果物を仕入れたらしいのですが、二人旅の時はそのような買い物にはまったく興味がないので店舗の物色はまったくやらなかった。
まだ、ゆうべの埼玉夫婦の焼酎湯水攻撃のダメージが残っており、元気は回復していなかった。まだお昼をちょっと過ぎたあたりなので、長くこの道の駅に逗まっているのはいかにも勿体無い気がしたので先を急ぐことにした。

しばらく走っていたら、雨は益々激しくなり、バケツをひっくり返したような状態になってきました。その時に思い浮かんだのは象潟(きさかた)という道の駅であります。晩秋に一人で東北をうろついていた時に、そこでかなり安く魚介類を購入したことを思いだしたました。その時は秋田の日帰り温泉に入った後だったので、そこに展望露天風呂があったのですが、入ることも調査することもしなかったのであります。
とにかくこんな叩きつけるような雨の中を走り続けてもロクな事がないので、その道の駅で昼食を摂り、温泉に入って休憩をとることにしました。

この時点でなんとなく最終目的地は男鹿半島あたりだなという思いが出てきていました。今年の夏休みは関東近県の日帰り温泉をウロチョロと巡って終わりだなと思っていたことが、いつの間にかとにかく日本海の沈む夕日を眺めて一杯やり、波枕で眠りに落ちてしまうというものに変わり、妻に男鹿半島をみせてやりたいというものに変節していたのでした。

日本の男は総じて照れ屋であるし、素直ではないのだ

昨日自宅を出て新潟県あたりをうろついていたのだが、ずーっと良い天気で日本海の色もさわやかな色でありましたが、県境超えて山形県に入ったあたりから空模様はアヤシクなりつつあった。

まだカーナビの目的地は「酒田市の代表的な場所」に設定してあった。この「代表的な場所」とはどこなのかといいますと、いつも途中で設定し直してしまっているので最後まで走ったことが無いのですが、たぶんここでは酒田市役所を指しているのだと思います。
別段、酒田市役所に行きたいわけではないので、そろそろ設定を変更しておかなければいけないのだが、今回はこれといって最終目的地を決めているわけではなかったので困ってしまう。
そうだとりあえず庄内平野から眺める鳥海山を妻にみせておこうとだけ思った。
私は秋田でお百姓さんの真似事を少しだけの期間やっていたことがあるので、結構庄内地方を走り回っていたので妻よりは詳しいのであります。

あれはいつの頃だったか定かではないのですが、春の田植えの時期にたぶん秋田に向っていたのだと思います。庄内平野は昔から日本でも有数な米どころであります。それらの広大な田んぼが田植え前の代かきも終わり、満々の水をたたえて大きな鏡のようになっています。
そこに、まだところどころに雪をいだく雄大な鳥海山が、映っているのです。広大な鏡のような庄内平野に雄大な鳥海山が逆さ富士よろしく逆さ鳥海山となっている光景は今も忘れることができません。
おそらくもう2度と見ることはできないでしょうけれども、せめて鳥海山ぐらいはみせてやりたいなと思ったわけであります。

ある時、妻と同じような旅をやっている時に
「お父さんは、いつも一人であっちこっち走り回っているけど、ああ、こういう景色を妻にもみせてあげたいなと思ったことはない?」
と妻に聞かれたのですが、
「そんな事思ったこともないなぁ」
「・・・・・・・・」
などという会話をしたことがあります。その時はいつも自分だけ気ままに無目的に徘徊している後ろめたさもあり、それに多分に照れもあったから、そっけない返事になってしまったが、本心は違います、「うわー、スンゴイ景色だな、これをアイツにみせてやったら感動するだろうな」と幾度も思ったことは確かです。
しかし、日本の男は総じて照れ屋であるし、素直ではないのですから仕方のないことであります。

2016年9月5日月曜日

イオン系の店はあっちこっちにあるのでした。

そういえば、今回の旅行ではマックスバリュという大型スーパーが目につきましたし、3回ほど利用したかも知れません。
東北にはマックスバリュが多いのかも知れません。最近はイオン系のスーパーが増えていると感じます。伊勢志摩・南紀あたりを周った時はイオンの本拠地が近いせいもあって当然目につきました。北陸・中国あたりでも目につきました。
自分の住んでいるところでもちょっと考えつくだけで3店舗ほどあります。イオンの力をまざまざと見せつけられる思いであります。
旅先では買い物もひとつの娯楽であります。本当は地元資本のスーパーが面白いのですが、それはなかなか探し当てることはできません。どうしても国道添いの目についた大型スーパーを利用してしまいます。

また北海道独り旅の時の話になりますが、独り旅ですから手っ取り早く買い物ができればいいわけですからコンビニを利用することになります。どの店に入るかというと、やはり馴染みのあるチェーン店ということにどうしてもなってしまいます。
セブン-イレブンとかファミリーマートとかローソンとかですね。私の頭のなかはまだまだ都会の感覚から抜け出すことができません。
それは賑やかな都市でも小都市でもそれらの店はあります。しかし、今はそのコンビニ事情がどうなっているかはわかりませんが、都市を離れてしまいますと、私の知っているブランドのコンビニなんてのは目にすることができなくなります。
おそらくコンビニの場合はその流通の利便性を考慮して面で展開していきますから、遠く離れた過疎の町に1店舗だけを出店するなんてことがないからでしょう。
都会から離れていくにしたがって、目についてきたのがセイコーマートというコンビニであります。それまでも目には入っていたのですが、どうもわざわざ入る気にはなれませんでした。
もう、そのセイコーマートぐらいしか店舗自体が見当たらなくなって入るしかなくなったのです。そこで恐る恐る入ってみました。
そこはコンビニというよりもミニスーパーのような感じで、惣菜は充実しているは野菜や果物やお米まで売っているではないですか。
私のように車中泊をして旅する人間にはぴったりのお店でありました。なんでもっと早く入らなかったのかといささか悔やんでもみました。
皆さんも興味がありましたらセイコーマートを調査してみたら面白い事実がたくさん見つかると思います。もっとも最近はセイコーマートのマートを外してセコマになったらしいのですが、それは元来のコンビニの形態から脱皮する宣言のようであります。

先日家族でセイコーマートが話題になりまして「そういえば大洗の町でセイコーマートを見かけたよ。どうしてあんなところにポツンとあるんだろう」と私が話しましたら、長男が「それは簡単な理由だよ、苫小牧からフェリーでくるトラックの空きスペースを利用して商品を運んでこれるからさ」という話でありました。

単なるウスラバカ旅でもそれなりに勉強になるところはあるというお話でありました。

旅に出ても糖質制限食は崩せません

まだ鶴岡市の海沿いのMaxValueの駐車場で朝食を摂っています。妻が肉類を中心とした惣菜を仕入れてきたので簡単に食事を終わらせてしまおうという魂胆なのであります。

糖質制限食を取り入れた時から、野営の時の食事が随分と簡単になりました。糖質制限食というとわかりにくいですが、早い話が炭水化物をできうる限り摂取しないというものであります。よってお米や麦でできているパンや麺類等を完全にシャットアウトするのです。私はこれで重度の糖尿病から逃れることができたのであります。こんなに簡単な方法で3度の食事のたびに打っていたインスリン注射や血糖値測定もやることがなくなりました。
かかりつけの病院ではもう通院の必要はありませんとまで云われました。しかし、それでは不安が残ります。よって4ヶ月に1回だけ通院して尿と血液の検査だけをやってもらっています。
以前は、月に1回の検査でしたが、その間隔が次第に伸びてきて現在の間隔になったわけであります。
確かに月に1回の通院はそれなりに面倒なものがありましたが、1ヶ月を目処に食生活に注意を払えばいいので精神的には楽なものがあります。それが4ヶ月に1回となりますと順調にいっているのかどうなのか結構不安なものがあります。
もともと炭水化物大好きなわけでありますし、白いご飯に味噌汁に漬物があれば大満足な人間でしたから。糖質制限食に切り替えますとエンゲル係数が上がりますが、合併症の恐ろしさを考えると背に腹は変えられないわけであります。
病院では糖質制限食を奨励しているわけではありません。むしろその逆です。糖尿病が悪化して入院生活をしていた時の食事は、「え?これが入院食なの」と驚くほどの量が出てきました。それも特別なメニューというわけでなく、普通の食事であります。
最初の頃は退院してからの食事の参考にしようと全部の食事をスマホのカメラで撮っていたのですが、これはなんの参考にもならないとすぐにやめてしまいました。
病院の治療法は普通の食事を与えておいて、それを大量のインスリン注射で抑えてしまうというやり方でありました。
私はその治療法に大きな疑問を持ち、関係する書物を買い集め糖質制限食療法に行き着きました。それをやりはじめて1ヶ月ほどで絶大な効果が現れました。それから徐々に医者には内緒でインスリンの量を少しずつ減らしていったのです。それで3ヶ月ほど経過した時点で一切のインスリンの投与をやめたのです。もちろん医者には内緒であります。
半年ほどたった時点で医者は「そろそろインスリンはやめて良いかもしれませんね」と云ったので、「実は先生、もう3ヶ月ほど前から一切打っていないのです」と告白したのです。
それは先生も気分を害したのでしょう、もう完全に治ったからこなくていいよと絶縁宣言されてしまったのであります。
糖尿病なんてものは一旦かかったら完治するわけはないと思っていたので、必死に頼み込んで現在の4ヶ月に一回の検査となったわけであります。

2016年9月4日日曜日

辺鄙な場所にあるMaxValueで買い物です

「あっ、MaxValueがあった」と妻が声を上げたのは7時をちょっとまわった頃だったと思う。すでに新潟を後にして山形に入っていた。「MaxValueは確か24時間営業よ」と私の知らないことをいう。それならばとハンドルを右に切り、こんな場所には不釣り合いなほどの大きなスーパーとホームセンターが併設してある駐車場に入った。
だだ広い駐車場に数台の車が認められたので営業はしているのだろうと思う。昨夜は思わぬ来客が2組もあり、まだ旅を初めて一日目ということで食料のストックも少なかったのだけど、それでも歓迎の意味で持っていた食料を全力出ししてしまったので、朝食分は何も残っていなかった。
旅の鉄則として最低でも一日分の食料はストックしておくべきだと思っているのです。できれば2日分ぐらいがいいかと思っているのです。

北海道を独り旅している時に、素晴らしいロケーションの場所がありました。そこは高台で3方を海に囲まれて広大な芝生張りの公園になのです。北海道はこういう信じられないほど贅沢な場所がふんだんにあるから病みつきになってしまうのです。
そこにやはり独り旅をしている青年が、すでに椅子とテーブルを出して呑み始めていました。「ここ素晴らしいね」「でしょう、私も気に入ってしまってしばらくのんびりしようかと思っているんです」「旅は道づれといいますから、今晩ご一緒していいですか」「どうぞ、どうぞ」
その時には、まだ夕方の買い出しも終わっていなくて、そろそろ買い物をしなくては思っていた時なのです。そこには立派な不釣り合いなぐらいに立派な日帰り温泉もあったのであります。
「じゃあ、お言葉に甘えてご一緒させていただきます。その前にちょっと食料を調達してきます」
といって出たまでは良かったのですが、あんた北海道を舐めてはいけませんよ。いけどもいけどもスーパーなんてひとつも見かけることがありませんでした。
結局、2時間ほど走ってようやく小さなスーパーをみつけて冷たいビールと食料を調達したのですが、北海道の道を2時間走るということは200kmほど離れてしまったということであります。
もう、戻る気力はどこかに失せてしまっていました。
だからこういう場合に備えて、酒は当然としても乾き物でもインスタントものでもなんでもいいから最低一日分はストックしておくべきだと思うのです。災害の非常食と同じですね。
羅臼の道の駅でお会いした車中泊の神様と呼べるご夫婦の哲学はもっと徹底していました。最低でも1週間は常に持っているのだそうです。その神様夫婦は軽のワンボックスなんですけれど、3電源の冷蔵庫を積んでいるのです。「3電源とは:バッテリー・家庭用電源・LPガスです」その神様は一年中全国を旅して周っていて気に入ったところで1週間でも1ヶ月でも居続けるのだそうです。
だから最低でも1週間分の食料を持ち歩くのだそうです。
私にはそれほどの時間の余裕はありませんのでせいぜい1日か2日分ということになります。

さてそのMaxValueはかなり辺鄙なところにありますから、さすがに24時間営業ではなくて朝の7時から10時までとのことでありました。
私は昨夜飲み過ぎたせいでお店に入っていく元気もなかったので車に残ってラジオを聞きながら周囲を眺めていました。
なんとそこにはタクシー乗り場があり、2台ほどのタクシーがドアを開けてお客さんを待っているのです。お店からお客さんが出てくると運転手さんがトランクを開けて丁寧に荷物を積み込みます。これは地方ならの光景ですね。買い物弱者のために行政とタクシー会社とスーパーの3つ巴で協力しあっているのでしょう。やるね山形県
そしてしばらくするとまた新たな発見をすることになるのです。それは庄内交通のバスであります。小型の黄色いコミュニティバスのようなものが駐車場内のバス停に横付けするのです。おお、やる時はやるもんだね庄内交通とイオン見なおしたよ。

さっきから気になってはいたのですが、空模様がどうも怪しいけど、ま、車だしそれほど気にすることはないか、もう少しで酒田市の代表的な場所だからね。

ねぐらは明るいうちに 2

独り旅の時はすべてにおいていい加減で適当なのですが、妻と一緒のときはそうもいきません。せめて安全と思われるねぐらを選択するのは私の努めだと思っているのです。あまりにおかしな場所に宿泊していると警察に職質される場合だってあります。私の行くところはおまわりさんなんてほとんど見かけるところではないので一度も職質なんてされたことはありませんけれども。自転車で旅する人なんかは結構職質されるようであります。
北海道ではほとんどそのような事はないのですが、本州では旅館や民宿を利用しない旅人なんてのは乞食同様に思われてしまうのでしょう。これは仕方のないことだと思っています。
最近は道の駅がどんどんとできてきて、旅はしやすくなってきましたが、寝る場所はできるだけ道の駅でないところを探します。トイレや産直野菜とおみやげを購入する時だけ利用します。道の駅ってのは夜中でも結構出入りがあって煩いものなのです。よほどの事がないかぎりは避けるようにしています。山の上の頂上にある駐車場とか、鄙びた漁村の海の見える駐車場とか、とにかく丁寧に探してみると結構あるものです。

自分でいうのもなんですが、静かで景色が良くてという場所を探すのは天才的だと思っているのです。実際そうやってこれまで探した秘密の場所ってのはたくさんあります。
やはり、そういう場所を探すのは明るいうちに捜さないと見つからないものであります。

暗い時にどうでも良くて泊まったところがとんでもない場所っていう極め付きがもう一つあります。この時は晩ごはんを確か外食したのです。もう時間もかなり遅くなっていました。妻も子どもたちも後ろのベッドで熟睡しています。そんな時独りで運転していてもつまらないのでどこか静かなところに車を寄せて、一杯呑んで寝ることにしました。
結構外は寒くて窓を開けると冷気が容赦なく車内に流れ込んできます。エンジンを掛けぱなしにして酒を呑み始めました。冷えきった空にこぼれ落ちてきそうな満天の星であります。星というのはなんで見る場所によって一つ一つの粒があんなに大きくみえるでしょうか。
満足するほど酔ったのでエンジンを切って、子どもたちのところにいって誘い込まれるように眠りに入りました。

静かな朝です。静かなはずです、そこは大きな村はずれの墓所であったのです。昨夜はまったく気づかなかったのですが墓地の中央を走る道の上だったのであります。別にそれで変な夢をみたとか何か得体の知れないものがでてきたなんてことはなかったので、どうということは無かったのですが、私はすぐにエンジンをかけてそこからそーっと離脱しました。
だってこんなことが家族に知れたら、「お父さんとは二度と旅には行かない」なんて騒がれだす可能性もあるわけであります。こういうことは隠密裡に済ましておくに限ります。

もうひとつは、かなり怖い話なのですが、ここでバラしていいものかどうか迷うものでありますがよしておきましょう。
旅にでてテントや車に泊まるというのは最初は結構不安になるものであります。大概の場合は思い過ごしから自分の不安を不必要に増長させてしまうきらいがあります。私の書いた不適切の言葉でそれらに輪をかけるような事があっては申し訳ありませんからね。

でも、ひと言だけ、「どんな事があっても廃屋には泊まるな!」であります。

今夜のねぐらは明るいうちに・・・・・

遅めの出発といっても6時ちょっと過ぎだったぐらいだと思います。私たちの旅のパターンは午前中にできるだけ距離を稼いでおいて、午後からはその日の状態により前後しますが、日帰り温泉を探して入浴して、次にスーパーを探してその日の晩酌のおつまみを調達し、まだ陽のあるうちにその晩の寝床をきめて後はのんびり過ごし、夜はやることもないので早めに酒を喰らって寝てしまうというジツに単純なものであります。
寝床を明るいうちに探しておくというのは、夜中になると暗くてなかなかいい場所を見つけられないということがあります。今回は初めての場所でないからだいたいの見当をつけることができますが、大抵の場合は初めてのところばかりですから、自分がどんな場所にいて周辺がどのようになっているかを把握しておかないと結構不安なものであります。

かなり前の話になりますが、会社の同僚10人ぐらいで房総の御宿というところにキャンプにでかけました。会社の仕事が終わってから出発したものですから到着した時はかなりの時刻になっていたのです。別にキャンプ場を予約していったわけでなく、適当な場所があったらそこにテントを貼って酒喰らって寝ようというジツにいいかげんで杜撰としか言いようのない計画だったわけであります。
今は、どうかしりませんが房総なんていうところはジツに辺鄙な場所でありまして、街頭などというものはほとんどなく日が落ちれば漆黒の暗闇のなかで海の近くらしいというぐらいしかわかりません。
昼間の仕事の疲れと空腹と早く酒呑みたいという複合条件が重なりましてロクに周辺の調査などすることもなくテントを張りまして、とにかく、冷たいビール、ビールとなります。疲れた体にひとたびアルコールが入りますと、若さも手伝い元気になります。そうなると手のつけられない大宴会に発展していくのがバカ集団の常であります。
当時カラオケなどというものは影も形もなくて、男同士の宴会となるとアカペラの唄の合唱となるのが正しい姿なのです。少なくても私はそう思っていました。
そのバカ集団のなかに漁師あがりもしくは漁師の小倅などというのが数名おりまして、またこいつらは唄が抜群に旨いのであります。おもに民謡でありますが、ほとんど私の知らない漁の唄でありますが、声もとおるし聞いているとまるで自分も漁師になったような錯覚さえ覚えてしまいます。
「あいずだよ、あいずだよ、くじらのあいず」
最初に聞いた時に福島県の会津地方の唄かとおもったけど「合図だよ、合図だよ、鯨の合図 燈明崎からのろしがあがる・・・」そうです、森という男だったけど和歌山の漁師あがりでありました。
しかし、あいつが唄う唄はしみじみいい歌でありました。
ま、そんな調子で大騒ぎして、翌朝当然二日酔いでありますけど、テントの中で日がかなり高く上がっているのを確認して、宿酔いの頭をかかえておそるおそるテントから顔をだしてみると、そこは、ななんと人さまの大きな屋敷の中であったのであります。
このバツの悪さは今でも思い出すたびに顔が赤らんできます。それから今さら遅いとは思いますが、そうーっとなるべく物音立てないように海岸のほうに数十メートル移動していったのであります。

「へえー、で、どこからきたの?」「みなみぎょうとく」

最初は焼酎の水割りをきちっと正しく作って呑んでいたのですが、埼玉からのご夫妻の旦那さんが頻繁にビールのごとくドボドボ注ぐものだから、だいぶ酔が回っていた私はだんだん面倒になってしまい、気がつけば焼酎をそのまま口にしていました。

大分夜も更けてきたころに軽のワンボックスがやってきました。見るともなく目をやると、いきなり駐車場にドーム型の大型目のテントを張り始めました。どうも若い夫婦のようであります。駐車場にテントを張るという行為はこれまでほどんど目にしたことがなかったので驚きました。
それよりも驚いたのは、夫婦で交わす会話であります。英語と中国語ぐらいなら、内容はわからないけれども判別はつきますけど、彼らの言葉は皆目見当がつかないものでありました。
こうなってくると私の興味の対象は埼玉夫婦からいきなりテント張り夫婦に移っていくのでありました。酔った勢いに背中を押されるような形で、「こんばんは」と声をかけて見ました。そしたらきれいな日本語で「こんばんは」と返ってくるではありませんか・・・・。
あとはお決まりのパターンであります。10分後あたりにはそのいきなりテント夫婦も椅子と酒を手にして私たちのテーブルに座って旧知の仲のような雰囲気で宴会を続けていたのです。
本当はその情景をここで描写すればいいのでしょうけれども、その筆力がありませんので簡単に書いておきます。
「さっきの言葉は何語だい?」
「あれはポルトガル語」
「へえー、だったら日系のブラジル人ですか」
「ぴんぽーん」
「へえー、で、どこからきたの?」
「みなみぎょうとく」
「え!?みなみぎょうとくって市川の?」
「そう、千葉県のね」
いやはや、今日はなんていう日なのでしょうか、一組は埼玉のご夫婦で二組が市川の夫婦なんですから、ご近所同士まるでつるんで出かけてきたような感じであります。
もう日本に住んで20年だそうです。日本国籍も持っており、名前が太郎というのだそうです。また6ヶ月の赤ちゃんもおりまして、名前を猛(たけし)と命名したそうであります。
それが、長年溶接工していたのですが、最近いきなり10名ほどがリストラされてしまったそうであります。それでも暗い雰囲気はひとつもなく逆に逞しさを感じてしまいました。

そんなこんなで結構盛り上がっていたのですが、次の朝はそれぞれの目的地に向って早めに旅立ということで、お互いに「よい旅を」と挨拶交わしお開きとなりました。
今こう書いていて疑問がひとつ湧いてきました。日本在住20年にしてはどうみても20代のご夫婦だったなということです。だから子供の時に移住してきたのだろうと思います。ま、そんな事はどうでもいいか。

翌朝は二日酔い気味で起きだした時には二組のご夫婦の姿はありませんでした。事故らないでとにかく良い旅を続けてくれることを、ウスラボケ頭で祈るのでありました。

さてこの時点でまだ1日目を終えたばかりです。本日も含めて残り4日であります。もうそこに私の郷里山形がありますので、とりあえず山形県酒田市代表的な場所をナビを入力しておきました。