2015年1月10日土曜日

遅ればせながらの書き初めでござる。

久しぶりの書き込みになりますが、しばらく文章を書いてなかったので、真っ更な画面を眺めては呆然として、ため息をついているばかりなのであります。困ったことであります、画面もマッサラなのですが頭の中もまっさらなので何も浮かんでこないのであります。
こういう時はなんでもいいから、なにか文字を書いてみることであります。意味なく脈絡なく書いているうちになんとかなるもんだと思い書き始めたのであります。この方法はなんとかなる場合もあるけれどもなんともならない場合も結構多いのではありますけれども。
現代は電子機器がありますから、文字を書き込んでみて、これはダメだなと思ったら、削除するのも訂正するのも楽なものであります。文節の入れ替えなんてことも簡単にできてしまいます。
もう、その状態に慣れきってしまっていて、そうすることを前提に文を書いていくわけであります。その点、昔の人は絶対的に偉かったなと思うわけであります。紙と鉛筆、もしくはペンもしくは毛筆となってくると、そうやすやすと訂正削除などはできないわけであります。
つわものともなりますと、白い和紙に漆黒の墨をたっぷりと含ませた毛筆で一気に書き上げるなどという、私には信じられない技を持っているのにはただただ脱帽せざる得ないのであります。でも考えてみると、それは別に特別な人たちではなく、一般的でなかったのかとも思い直し、なおさら感嘆してしまうわけであります。
便利な電子機器が発達したおかげて、確実に退化して失われてきている部分も多いのかとも思う今日このごろであります。

話はがらりと変わりまして、年明けに読んでいた書籍のなかに「蒐集」という漢字がたくさんでてきました。一箇所や二箇所であれば、そのまま読み飛ばして、前後の文脈から意味を推測してしまうのですが、残念ながらその書籍はそれを許してくれず、もうひつこいぐらいに頻繁にでてくるのであります。しょうがないので「シュウシュウ」と自分なりに誤魔化してしまっていたのですが、しまいにはやはり気持ち悪くなってきて、Googleで「草冠に鬼」なんて入れて検索したら、ちゃんと出てくるんですね。読みは私の当てずっぽうな「シュウシュウ」でよく「収集」と書いても意味は通じるうようであります。こういうわからない語句は面倒がらずにその都度きちんと調べるべきですね。当たり前か

その昔、読めなくて恥を掻いたことがあるのは、「適宜」という文字です。これある会社でサラリーマンをやっていた頃にある作業マニュアルを作成した時に頻繁にでてきまして、始めての言葉なのでどう読んでいいのかまったくわからずに、適当に「テキセン」などと読んでおりましたら、同僚に笑われまして「ん!?今なんて読んだ」「だから、それはテキセンに処理すること」「わはははは、それはテキギ」と読むんだよ。それでなくても学歴コンプレックスを持っていた私にかなり痛いパンチでありました。だから、それ以来この漢字の読み方を間違うということはなくなりました。もっとも、日常的にそれほどでてくるものでもないのですけれども。

このブログが私にとっての今年の書き初めとなります。

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