2009年11月17日火曜日

酒は百薬の長的飲み方になってしまっている

 はやい話が毎晩350mlの缶ビール1本から2本程度でそれ以上は呑まなくてもいいようだ。まったく呑まない日も増えてきた。でもそれを家人には微塵もサトラレれたくないのだ。「あれ?お父さん、やればやれるじゃない」とか「どうしたの、どこか悪いの?」なんて絶対に言われたくないのだ。ここは長年の酒飲みの意地である。
 それにいつどこで、もとの大量飲酒親父に戻るかもしれないしね、そんときも嫌味やらその他余計な事をいっさい言われたくないのだよ。

 それで、余った長い夜の使い方がわからず持て余し気味であるのは確かです。必然的に読書ということになってしまいますね。DVD鑑賞というのもありますね。ということは単なる暇つぶしのためにこれまでは飲酒をしていたのかも知れない。その暇な時間を目一杯埋めてやれば酒など呑む必要がないのかも知れない。
 うっ!?そんなに単純な問題なのかな。もっと精神的なものとか心理的なものとかさ、もう少し複雑で高度な問題が絡んでいないと、これまでの自分がいかにも単純過ぎていかにも格好が悪くて情けないものに思えてきてしまうな。ま、いいか

 昨日散歩を兼ねながらレンタルビデオ屋に向かったのだけれども、途中で財布を忘れたのに気がついて、戻ってしまった。それはそれでいい運動になったからいいのだけれども、夏から秋にかけてにわか百姓をやって、かなり体力がついたと思っていたけれども、それは単なる錯覚であり、大いなる誤解であることに気づかされて愕然とした。来年の百姓仕事をやるために体力をこれからつけていかなければと、大まじめに思ったのでありました。本当は長靴を履いて歩き回るのが理想なんですけれども。
 「長靴をはいた猫」っていう童話があったけど、「長靴をはいたジジイ」なんてのは聞いたことがないな。あらたに中高年のための童話を創作すればいいだけの話か。長靴は百姓の必須アイテムだもんね。

 7月に農園に行って長靴を借りて畑を歩いただけでフラフラしちゃったことを思い出す。あの頃よりはかなり体力はついているとは思うけども、まだまだだね。ま、来年の5月ぐらいまでになんとかしなくっちゃ。

 話は再び飲酒のことに戻るが、日曜日の朝にTBSの時事放談という番組をなにげに見ていたのですが、財務大臣の藤井さんと浜矩子(はまのりこ)さんというどこぞの大学の先生がでて、なにやら難しい話をしていました。中味はさっぱり覚えていないのですが、浜矩子(はまのりこ)さんを紹介を画面下部にテロップで流しており、最後に趣味というのがあって、「大量飲酒」というのにはぶっとんでしまった。そうか趣味:大量飲酒というのもありかと、ひとりおかしくておかしくて
 彼女が何を主張しているのかまったく興味がないのですが、いきなり好きになってしまいました。今でも頭のなかを趣味:大量飲酒という言葉が駆けめぐっています。


浜矩子語録(50)「私の特技は多品種大量飲酒」
 わ!こんなのもあったよ。言葉の使い方うまいよな。これいただいちゃお

 おあとがよろしいようで

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