今都会ではほとんど焚き火をやる場所がありません。別に都会で無くても焚火を誰に気兼ねなくできる場所というものが極端に少なくなってきています。
日本古来の焚火文化というものが日本では完全に滅亡してしまったのかも知れません。とともに昭和の時代が終わりを告げる頃までには老若男女を問わず多数存在したタキビニストと呼ばれた者達も絶滅危惧種に指定されたというニュースを耳にしたのはいつのことであったのか。
秋の木漏れ日を浴びながらカサコソと枯葉を集めて落ち葉焚きをする光景なんてものは、もう随分大昔に消滅してしまって、とんと目にすることがなくなってしまいました。
落ち葉を集めて焚火をしていれば、近所のおじさんがなにげに寄ってきて
「おお!なかなか風情のある焚火ですな。この焚火には確かにワビという気配がかんじられますな」
なんて声をかけてくるなんてことは無いのでありまして、ヘタすると
「せっかく洗濯したのに煙りと灰で汚れるじゃないのさ・・・」
なんて怒鳴られたりするのであります。
まだ怒鳴られるぐらいだったらいいのですが、黙って警察に連絡されて「やたら焚火禁止罪」に問われて強制労働1ヶ月なんていう刑を課せられるは周知の事実であります。
以前だったら庭仕事をして集まった落ち葉とか枯れ枝なんてのは最後まで徹底的に焚火にして一握りの灰にしてしまったものですが、今は市役所指定のゴミ袋にいれて決められた日に決められた場所に出すように義務づけられてしまったのであります。
なんていうことだ枯れ枝とか落ち葉などというものはタキビニストにとっては生きていくうえにおいて水につぐ重要なアイテムであるものをゴミとして扱って平気なのである。
この焚火がお前等のご先祖様に暖かい食事を与え冬の厳しい寒さのなかでは暖を与え、その神秘的な炎が文化を創ってきたというのに、その恩を忘れ去り電化がいくら進んだとしてもこの仕打ちはなかろうと思うのだが。
昨今の社会の乱れは目にあまるものがあります。特に教育の荒廃には目を覆ってしまいます。これら荒廃の原因のひとつに修身の時間を廃止したことと「正しい焚火教育」をも葬ってしまったことにあると考えるのであります。
以前の学校教育では特に小学校では最低でも週に3時間ほどの正しい焚火の仕方を入学と同時に行われていたのです。焚火を通して徳育を育むという崇高な目的を持って実行されていたのです。このように書くと50歳前後の方々は懐かしく思い出されることでありましょう。
「そうそう、小学校の1年生の頃はマッチすらなかなか点けられなくてね」
「いつのときだっけなマッチ1本だけで焚火ができるようになったのは」
「はじめてできた時はうれしくね。そういえば赤飯を炊いて家中でお祝いしてくれたものよね」
「とりわけお父さんが喜んでくれてね」
なんて懐かしさで胸がいっぱいになってこみ上げてくるものもあることでしょうね。
60代の方はそれに加えて火炎瓶の造り方や、教室の机や椅子を校庭において合理的な焚火を作って暖を取るなんていう高度な焚火を同時に思い浮かべるかと思います。
あ!そういえば機動隊の放水からいかにして焚火を守るかなんていう応用技もありましたね。
話はかなり屈折した焚火に飛んでいってしまいましたが、もともと焚火には怪しい力が秘められているものなのであります。
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