私は突然目の前に拡がる信じられないほどの光景にあっと息を呑んだ。それは塩原温泉郷をぬけて山の長いトンネル抜けて栃木県境を超えて福島県側に入ったところで見かけた一面の紅葉にである。それはそれは全山が真っ赤な火焔のように燃えあがる様に圧倒されたのであります。
確かにこれまで通ってきた栃木県側の紅葉も見事でありましたが、福島県側の紅葉はこれまでの黄色がかった朱といったものではなく、見る風景すべて真っ赤に染まったものでありました。それは地上の紅が空にも映りこんでしまっているようにも見えたほどです。
急いで車を片側に寄せてしばらくの間我を忘れて見とれてしまっていました。人というものは感動的な光景に出会った時にはわけもなく涙が溢れてくるものだということをはじめて体験した瞬間でもありました。その光景は当然桧枝岐村まで続きました。
再びあの感動を得たいと毎年2度3度と秋の紅葉シーズンを狙ってでかけましたがついぞあそこまでの紅葉に巡り会えず30年近くの歳月が費やされてしまいました。今ではあの光景は夢だったのか、はたまた幻だったのか、またはたんなる錯覚であったのかと判然としなくなってきております。でも心のどこかにあれは確かに現実であったのだという思いもあることは事実です。
またある時には信号を右に行けば会津田島の町であり、左にいけば目指す桧枝岐村の看板を目にして迷わずに左に針路をとった。春霞が山里を蔽い山桜がところどころに見え隠れしている、野焼きでもしているのだかろうか、薄くたなびく煙が春霞のなかにまじっていく。
典型的な山里の春が我が原風景のように展開していく様は限りない安息を覚えた瞬間でもあった。
澄み切った清純そのものの大気は車のエアコンを無用なものにしてしまう。たとえ気温そのものが高くても都会のそれとはあきらかに違っていて、肌にべっとりとまとわりついてくるということがまったくない。
吹き渡る風が勿体なく思えて車の窓をしめておけません。澄み切った爽やかな風にあたりたくて窓を全開にして山里の季節を楽しみます。
キャンプに行く楽しみは、行ってからの楽しみもありますが、キャンプ場往復のドライブにもあります。最近は高速道路の民営化にともなって高速道路のサービスエリアの飲食店も一昔前と比較にならないぐらいにその質量とも充実してきております。
また一般道では「道の駅」なるものが充実してきております。トイレ・食堂・売店に加えて中にはコンビニが併設されていたり、特産品コーナーがあったり、なんと日帰り入浴の温泉まで兼ね備えている超豪華版の「道の駅」なるものもあります。
これらに加えて各地にコンビニエンスストアーがありますから、トイレに困ったり食べ物や飲み物に困るといったことがほとんど無くなってきつつあります。
都会ではすぐそこの隣町まで車で行こうとすると、いつもの大渋滞に巻き込まれてしまって知らず知らずのうちにイライラがつのってしまいます。都会の道路はイライラと不快になるだけのぐったりするだけのものだったりしまが、田舎の道路は道路本来の持っている爽快感を味わわせてくれるものであります。
数メートル走っては信号につかまり、ようやく都会でドライブを楽しもうなんていう気はもうとうの昔に跡形もなく消え去ってしまっていますが、田舎道を走ってるとあ!車の運転ってこんなにも楽しかったんだって思い起こさせてくれるものがあります。
ここでの桧枝岐村七入オートキャンプ場までの道路の案内は関東地方から向かう場合を対象にしております。一般道で向かう場合もあるでしょうが、東北自動車道を使用して西那須野・塩原ICで出ましたら国道400号線を右折し塩原温泉郷を抜けて福島県にいたるルートで説明します。
東北道那須塩原ICを降りたときからそこは別世界。高原の特有の風景が目の前に拡がります。塩原温泉郷を抜けるまでは季節によって渋滞することもありますが最近は道路も拡幅されて走りやすくなっていますのでそうそう渋滞に巻き込まれることも少なくなってまいりました。
正確ではないですが、今ざっと那須塩原ICから桧枝岐村の七入オートキャンプ場までの信号を数えてみますと、およそ100kmの間に5つか6つしか無いのです。これには驚いてしまいます。
その信号も赤だからといって待っている車が2台か3台なんてことは滅多になく、対向車もなく交差する道路から次から次へと車がなだれ込んでくるなんてこともないのであります。ですから100kmといっても都会の10kmを走るよりもストレスは無いのであります。
こいうのを本来の意味での道路というんだよねと毎回感動することしきりであります。ここで始めて本来のドライブの楽しさを思い出すわけであります。時に後ろから何を勘違いしているのか猛スピードで迫ってくるバカも確かにいます。そのときはどうぞどうぞお先にどうぞ状態になって道を譲ります。
勿体ないじゃないですか、これほどまったりした気持ちで風景を楽しむ風を感じて走れるのに、それを血走ってスピードあげて走っては身も蓋もありません。だから慈しみながらできるだけゆったり走るのであります。
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