このトンネルを抜けたらば何が待っているのだろうか |
というわけで本日からシコシコとなんの為にもならない駄文を書くことにしました。
3日と30分ほど連続して読書をするなんていうことを書きましたが、それなら書評なりを書けばいいのにと思うのですが、それが。あのー、小学生の読書感想文にも勝てないような情けないようになってしまいますのでとても書けないのであります。
「ああ!オモシロかった」とか
「うーん、難しくてわからんかったぞー」とかの幼稚さをもとっくに通り越しているウスラバカ感想では、自分の馬鹿さ加減をただただヒケラカスにしか過ぎないので、ここは書かないでおいたほうが自分のバカさ加減をヒケラカサないで済むというものであります。
毎日のように自分の読んだ本の書評をアップしているブログなども良くみかけるのですが、本当に驚いてしまいます。まずはそれだけの量を読むというパワーにほとほと感心してしまいます。
またそれに長い感想なりを書くという行為が信じられません。世の中には大変な能力を持っている人がたくさんいるわけでありまして、そのような人々と同じ土俵でショウブなんてことはとてもできない話であります。
よって書評などは決して書かないことにしています。いえ、基本的には書けないのであります。以前は読書はスポーツだと思っていました。スポーツだから体力勝負なのであります。トイレに行く以外は飲まず食わずでただただ読みまくるのです。どうしても眠くて我慢できない状態まで寝ることもなくヒタスラ読み続けるなんてことをやっております。なんだか曹洞宗の只管打座のようであります。ですから文章をじっくり味わうなんてことはまったく無いわけであります。
それでも周囲の友人たちが同じ本をなんどもなんども繰り返して読むという事実を知り驚愕して以来、かなり考えを変えた部分もありました、またなんども読める本にも出会えたこともあったりして最近は本を目方で買ったりすることもなくなりました。
話はここでガラリと変わるのでありますが、宮沢賢治なる作家がいます。以前に挑戦したのですがどうにも私には難しいのであります。童話なのに私には難しいわけであります。
どうして童話なのに難しいのでしょうかね。宮沢賢治に挑戦したのは一度や二度ではないような気がします。それでもいつも撥ね付けられたような苦い記憶があります。それでもどこか惹きつけられている自分を感じるのです。それはたまたま難しいものに喰いついただけのことなのだろうか。
ここまで書いてそうだもう一度宮沢賢治に挑戦してみようと2階の魔法の本棚に向かったが、今日はどうも魔法が通用しないようで賢治の本を見つけることができなかった。しょうがないAmzzonで適当に買ってみようかと思ってAmzzonを開いていて閃いた。こういう古いものほど青空文庫を使うべきなのだと思い直しさっそく行ってみますと、275の作品がありました。これならiPhoneでも読むことができますからね。本日から1番から順番に読むことにします。ま、また撥ね付けられるかも知れませんが、それはそれでいいじゃないですか。
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