2011年9月15日木曜日

信濃路の旅で「二十四の瞳」を読み号泣する・・・・・

 かなり前に何故か私の本棚にあったのを発見して、5ページほど読んでそのままになっていたのを、何を思ったのか長野の旅に持っていった。「二十四の瞳」ってのは題名は良く聞いていた。映画にもなっているのも知っていたのだが、その内容はまったく知らなかった。舞台は小豆島のどこかで、女先生と12人の子供たちの話だぐらいのことは知っていたのですが。
 だいたい作者の壺井栄って方が女だというのも、解説を読んで初めて知ったようなわけでありまして。5ページほど読んでそのままになっていたというくらいですから、それほど面白いとも思わなかったのでしょう。もっとも私の読書は一度に違う作者や違うジャンルの本を同時に読むというスタイルであります。これは多分集中力の無さからきているものだと思います。だから、1冊の本を完読するには、すごい時間を必要としてしまいます。その間に途中まで読んでいた本を忘れてしまって半端なまま放おって置かれるものも出てきますからはっきりとは断言できないのであります。
 ま、とにかく最初の数ページを読んだというのは、まだ何にも読んでいないというのに等しいので、結局最初から読みなおしたわけであります。
 それが何気に引きこまれてしまいまして、数冊を同時に読むといういつものスタイルはどこかへ行ってしまいまして、ちょっと暇があれば読み続けたのです。やはり独りで旅に出ているという特殊な環境が多いに影響しているのだとも思います。仮にこれが自宅で読んでいてもここまで引きこまれたかと疑問に思います。

 いやー、泣きましたね。いい年した親父がボロボロ涙を流して泣いている姿などは人様には見せられません。でも周囲にはただ風の音と川の音がするだけの場所ですから、誰に見咎められるわけではなく、涙は流しぱなしにしておきました。原作はなかなか良かったのですが、映画はどうなんでしょうか。あまり見たいとも思わないですね。原作の感動をそのままにしておきたい気がします。

 しかし、不思議だ、いったいこの本は誰が買って、本棚に置いたのだろうか。妻に聞いたら知らないというし、まさか長男だろうか。うーん

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