こいつは猫である。名前はそれなりについているのだろうが、オレはしらない。
人慣れしているのだろう、かなり近くまで寄ってもこちらをじーっと伺って微動だにしない。もう一歩寄ったらたぶんぷいといなくなるのだろう。こいつらは、微妙に間合いを計っているから油断ならねえ。って、ネコにとってはオレのほうが余程油断ならねえのか。さすがに4日目ともなると、撮る花もなくなってしまった。仕方がないからネコなんかを撮ってみた。
歩いて15分ほどのところに「じゅんさい池公園」というのがある。その昔沼のようになっており、文字通りにじゅんさいを取っていたらしい。この「じゅんさい」なる漢字を変換しない。私も自信がないからひらがなで記す。公園の名称もひらがなであるからそれでいいのだ。
正面の入り口から300mほど歩いた右側に少女のブロンズ像がたっている。本日は撮る物がないし、これは動かないから単にシャッターを押せば撮れるので、渾身の1枚である。この少女は空から降ってくる放射能を嘆いて「いやーんやめて」と小声で叫んでいるのであります。
毎日のように散歩をしはじめた頃にこの公園を1週するというのをコースに組み入れていたが、早朝でも散歩をする人がかなり多く、いちいち「おはよう」って挨拶するのが面倒で、2日ほどでこの公園を散歩コースから外してしまった。昼間は人影もまばらでぶらぶら散歩するには快適なところであります。
私はタバコを吸います。最近は嫌煙権とかいいまして、公に吸えるところがほとんどなくなりました。確かにタバコは健康には良くないのでしょうけれども、たとえ副流煙を吸い続けたとしても直ちに健康に影響を及ぼすことはないと思うのですが、世の中の視線が厳しいので、隠れてこそこそ吸っています。
たばこひとつに全国民はめくじらを立ててきたのですから、こんどは放射能を限りなく振りまく原子力発電所にも文句をつけるのでしょうね。そうでなければおかしいでしょ。たばこひとつでこれだけ苛めておいて、放射能には文句ひとついわないなんてなったら、オレ怒りますよ。まじだかんね。
盗電の会長なるものをはじめてみました。副社長ってのもみたかな、社長はみたのかどうだったのか忘れましたけど。しかし、なんだね、なんであんな爺さん連中しかいないのか不思議でしょうがなかった。役員になると定年なんてのはないのか。しかし、あのお偉い人たちはひとつも今回の事を悪いことをしたなんて思ってないですね。そこが凄いところだと思う。オレだったら避難している人や自衛隊の人や消防の方々や、劣悪な環境で働き続ける下請け孫請けの作業員の方々に申しわけなく思い、オロオロしてしまっていると思うけど。たいしたもんだね。やっぱりあれだけ感覚がズレていないと雲の上の人にはなれないんだね。ほとほと感心してしまった。やはりオレのような貧乏なバカとは住む世界が違うのだということを思い知ったのでありました。
「塀のなかの懲りない面々」という小説がありましたが、ここは「塀の中の梨畑」であります。このような高い塀で四方が囲われていますから、あの白い可憐な花をみることはできません。住宅地の真ん中にありますからこれも致し方のないことではあります。
肉眼でみたときはもっと面白いように思えたのですが、こうしてみるとさほど面白くもないですね。もう少し撮り方を工夫すべきだったかとも思います。どうすればいいのかはさっぱり思いつきませんけれども。
写真ではわかりませんが、この畑はかなり広いものです。一面にキャベツが植えられています。オレへそ曲がりだから1個か2個のキャベツしか撮りません。
こうして写真を並べてくると、私の住んでいるところは、農業中心ののどかな田園地帯のように思われるでしょうが、実際は住宅密集しているところなのであります。それもなんの都市計画がなく、田んぼの畦道がそのまま道路になったようなところばかりですから、道は狭いし、クネクネしているところばかりであります。そういうところをなるべく写さないようにしているのでありました。
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