高年齢の母が住む実家から2週間ぶりに自宅に帰り、ボッサー&ボッケーとしながら(いつもだけど)夕方に缶ビールを飲んでいたのは、1年前ほどのことだった。20分ほどし缶ビールを半分ほど飲んだ後、不思議と思いだした言葉が出た。「うだつが上がらない」という言葉。何だ、ナンだと思いキーワードの「うだつ」を調べてみた。ネットじゃなくて、活字が好きなので辞書でネ。「うだつ」:いい境ぐうになれない、隣の家との境に造る装飾を兼ね備えた防火壁のこと。などと書いてあった。最後のオマケに書いてあるような、お金持ちしか上げられないから「うだつが上がらない」ということも……。チト気になるが。
フムフム、諸説あるように理解したが、防火壁は無視、興味を持ったのはいい境ぐうになれないこと、ということだった。それじゃ、今までのオラじゃないかと思い50代後半のジイさんは、うだつを上げるために旅に出ることにした。理由は単純、うだつとやらを見てみようじゃないか?だ。防火壁のうだつは千葉県・佐原、埼玉県・川越市などでも見られるが、街並みの規模が小さい。もっと調べると、西日本にはうだつの上がっている街並みが数ヶ所ある。しかし、関東から浜名湖を越えて行くのは、かの詩人・萩原朔太郎先生の『旅人』の中の一編「ふらんすに行きたしと思えどもふらんすはあまりにも遠しせめて新しき背広をきてーーー(以下略)」と書いている。
そこで、オラは「うだつを見に行きたいと思えど、西日本はあまりにも遠し」なので、せめて新しいTシャツを着て、うだつを上げる旅に出た。行先は岐阜県の美濃市~郡上市~高山市へと。夜、カミサンが帰ってきて、「明日、うだつの上がる旅に出る」と言ったら、軽く驚きもしないで「はいはい、上がってないから、上がるように見て来なさい。気をつけてね!」だって。思いつきの旅にクルマは最高の友。翌日の早朝5時に出かけた。京葉道~首都高~中央道へと走らせる。早朝なのでクルマも少なく、単独の長距離運転は安全運転がかなめ。天気も良く気分も最高!車窓から右手に諏訪湖をチラ眺めし、名古屋方面へと。駒ヶ根IC付近からは、左に南アルプス、右には中アルプスの眺めがいいのでお気に入りのルートだ。今回の旅でうだつのほかに興味をそそるモノがある。美濃は周辺は陶器の名産地、前から欲しかった志野・織部焼きを買おうと計画した。この地の陶器も栃木県・益子焼、茨城県・笠間焼と同じように、メインは日常使いの作品が多い。一番欲しかったのは織部焼の艶っぽい緑の皿だ。道の駅の店内、近くの「織部ヒルズ」には数多くの陶器が売られている。小皿・豆鉢など2000円ほど数点を買い、うだつの町へと急ぐ。
長良川沿いの国道156号を走る。車窓から垣間見える長良川の清流が美しい。このルートは遊びやロケで何度か走ったことがあるが、町や観光名所には寄ったことがなかった。♪フンフン♪などと鼻歌を歌いながら走っていると、いよいよ第一目的地の美濃市に到着。市内のトイレ完備・無料の駐車場にクルマを止め、いよいよ「うだつを上げる」べき町内を歩く。ビックリギョウテン有頂天!!その町には見事にうだつの上がった家並みが、当たり前のように建っていた。どの家も数百年の歴史があるという、その家に普通に町の人達は暮らしていた。華美に装飾された土産物屋などもなく、穏やかにひっそりと日常をおくっているのだ。昔は読む気もしなかった時代小説だが、ここ数年前から好きになり、山本一力先生の作品を全て読んでしまった。その時に「美濃和紙」の記述が多いことを思い出した。美濃和紙は1300年以上を誇る地場産業なのだ、紙すきの体験ができる施設もある。アッ!数ある山本先生の作品の中で『まとい大名』が一番好き(4回も読んだゾ)。機会があったら読んでみてソンはない、と思うけど。うだつの上がった町並みを見たあとは、郡上へと向かった。少しうだつが上がったような気がしたが、気のせいか!!
長良川の上流、郡上八幡は水の都、鮎釣りで有名な吉田川、小駄良(こだら)川の支流が町に流れる。郡上八幡城も町のシンボルの一つだ。水がよければソバ・豆腐・酒が旨い。また、この地で有名なのは川ガキの飛び込みだ。吉田川の橋の欄干から飛び込む姿をTVなどで見たこともあるのでは、郡上八幡で生まれた男なら一度は飛び込まないと大人になれない、とも言われているらしい。オラはここに生まれなく良かった、だって泳げないんだもん。この町も歴史ある家並みが続くが、住民は普通に住み、生活をしていた。行き交う子供たちに挨拶をすると、皆返してくれる。ジっちゃん&バっちゃんも皆が笑顔で返してくれた。感動した!!どうしてこんなに社交的なのかと思ったら。郡上で超有名な「郡上おどり」のせいかと感じた。郡上おどりは7上旬~9月上旬まで開催され(開催は毎日じゃない)、国の重要無形民俗文化財に指定されている。8月のお盆の期間中の4日間は徹夜踊りと呼ばれ、夜通し踊るとのこと。ゲッ、まるでバブルの頃の六本木かと思うが、400年以上も続いている楽しいイベントだなんだ。その踊りに参加は自由、踊りを知らない人には教えてもくれる。なんと懐が深い郡上八幡の人々、子供たちやお年寄り、住民が部外者を優しく迎えてくれるのは郡上八幡の誇りだと感じた。郡上八幡は見どころも沢山、優しい町の人に会いに旅してみて。と、ここで終わりそうだが、マダマダ。飛騨高山と古川町が残っていました。
郡上八幡からさらに北?西?か。マァ、体制に影響もない(当たり前だ)。このまま、高山を経由して一気に自宅へ帰ろうかと、思ったが。まだまだうだつは中途半端で上がっていない。高山で1泊して朝ドラのロケで有名になった古川へと向かうことにした。宮川近くのホテルを予約し、夕暮れの町を散策する。何度も来ているとこなので軽く歩くと、アジアからの観光客が多いことに気づいた。言葉で台湾・中国・韓国からの人々が多い。夕ご飯は名物の飛騨牛のステーキだもん、と思いメニューを見たら2500~3000円。ドヒエーッと思い、オーダーしたのは1800円のハンバークセット&生ビール。こんな機会はないんだから「ドーンとステーキでも食べるんでしょ」とメールの返信がきたカミサンに笑われそうだが、小心者のオラはオーダーだ出来なかった。貧乏が身についているので、贅沢は素敵とはイカナイ、敵なんだよネ。これじゃ「うだつも上がらない」ような気がした。
翌日は早朝6時から町を散策し撮影、観光客もいなくて静かな佇まいを感じる町並み。宮川沿いの名物の朝市を冷やかしてホテルへ帰る。朝食を食べ、最後の目的地の飛騨古川へと向かった。本日も天気もよく気分も上々。白壁土蔵の瀬戸川沿いと古い町並みが懐かしい。数年前の秋祭りに来てから、この町を好きになった。高山ほど賑やかさがないところ、徒歩で散策するには最適な面積だからかなぁ?朝ドラで有名になった和ろうそく店は観光客で混んでいたが、町はいつもどおりの風情だった。町を流れる瀬戸川にはコイが泳ぎ、のんびり・ゆったりするにはいいところだ。一度、見て・感じて・体験して下さい、この町を。
そろそろ旅も終り、高山市内から安房峠道路を抜け松本IC~長野道~中央道~首都高~京葉道を走り午後5時頃に自宅へ帰った。夕方カミサンが帰ってきて「アラッ、帰ってきた。それでうだつはどうなったの?」と聞く。「何だか少しは上がったみたいだけどネ」と夕食を食べて就寝。翌日「オッ、うだつが上がったような感じがする」と思ったら、気のせいであった。一番肝心なお金がない。金がなければうだつも上がらないのだ。今でも旅の前と同じ「うだつは上がって」いない。トホホの旅だが楽しかったゼヨ。
フムフム、諸説あるように理解したが、防火壁は無視、興味を持ったのはいい境ぐうになれないこと、ということだった。それじゃ、今までのオラじゃないかと思い50代後半のジイさんは、うだつを上げるために旅に出ることにした。理由は単純、うだつとやらを見てみようじゃないか?だ。防火壁のうだつは千葉県・佐原、埼玉県・川越市などでも見られるが、街並みの規模が小さい。もっと調べると、西日本にはうだつの上がっている街並みが数ヶ所ある。しかし、関東から浜名湖を越えて行くのは、かの詩人・萩原朔太郎先生の『旅人』の中の一編「ふらんすに行きたしと思えどもふらんすはあまりにも遠しせめて新しき背広をきてーーー(以下略)」と書いている。
そこで、オラは「うだつを見に行きたいと思えど、西日本はあまりにも遠し」なので、せめて新しいTシャツを着て、うだつを上げる旅に出た。行先は岐阜県の美濃市~郡上市~高山市へと。夜、カミサンが帰ってきて、「明日、うだつの上がる旅に出る」と言ったら、軽く驚きもしないで「はいはい、上がってないから、上がるように見て来なさい。気をつけてね!」だって。思いつきの旅にクルマは最高の友。翌日の早朝5時に出かけた。京葉道~首都高~中央道へと走らせる。早朝なのでクルマも少なく、単独の長距離運転は安全運転がかなめ。天気も良く気分も最高!車窓から右手に諏訪湖をチラ眺めし、名古屋方面へと。駒ヶ根IC付近からは、左に南アルプス、右には中アルプスの眺めがいいのでお気に入りのルートだ。今回の旅でうだつのほかに興味をそそるモノがある。美濃は周辺は陶器の名産地、前から欲しかった志野・織部焼きを買おうと計画した。この地の陶器も栃木県・益子焼、茨城県・笠間焼と同じように、メインは日常使いの作品が多い。一番欲しかったのは織部焼の艶っぽい緑の皿だ。道の駅の店内、近くの「織部ヒルズ」には数多くの陶器が売られている。小皿・豆鉢など2000円ほど数点を買い、うだつの町へと急ぐ。
長良川の上流、郡上八幡は水の都、鮎釣りで有名な吉田川、小駄良(こだら)川の支流が町に流れる。郡上八幡城も町のシンボルの一つだ。水がよければソバ・豆腐・酒が旨い。また、この地で有名なのは川ガキの飛び込みだ。吉田川の橋の欄干から飛び込む姿をTVなどで見たこともあるのでは、郡上八幡で生まれた男なら一度は飛び込まないと大人になれない、とも言われているらしい。オラはここに生まれなく良かった、だって泳げないんだもん。この町も歴史ある家並みが続くが、住民は普通に住み、生活をしていた。行き交う子供たちに挨拶をすると、皆返してくれる。ジっちゃん&バっちゃんも皆が笑顔で返してくれた。感動した!!どうしてこんなに社交的なのかと思ったら。郡上で超有名な「郡上おどり」のせいかと感じた。郡上おどりは7上旬~9月上旬まで開催され(開催は毎日じゃない)、国の重要無形民俗文化財に指定されている。8月のお盆の期間中の4日間は徹夜踊りと呼ばれ、夜通し踊るとのこと。ゲッ、まるでバブルの頃の六本木かと思うが、400年以上も続いている楽しいイベントだなんだ。その踊りに参加は自由、踊りを知らない人には教えてもくれる。なんと懐が深い郡上八幡の人々、子供たちやお年寄り、住民が部外者を優しく迎えてくれるのは郡上八幡の誇りだと感じた。郡上八幡は見どころも沢山、優しい町の人に会いに旅してみて。と、ここで終わりそうだが、マダマダ。飛騨高山と古川町が残っていました。
郡上八幡からさらに北?西?か。マァ、体制に影響もない(当たり前だ)。このまま、高山を経由して一気に自宅へ帰ろうかと、思ったが。まだまだうだつは中途半端で上がっていない。高山で1泊して朝ドラのロケで有名になった古川へと向かうことにした。宮川近くのホテルを予約し、夕暮れの町を散策する。何度も来ているとこなので軽く歩くと、アジアからの観光客が多いことに気づいた。言葉で台湾・中国・韓国からの人々が多い。夕ご飯は名物の飛騨牛のステーキだもん、と思いメニューを見たら2500~3000円。ドヒエーッと思い、オーダーしたのは1800円のハンバークセット&生ビール。こんな機会はないんだから「ドーンとステーキでも食べるんでしょ」とメールの返信がきたカミサンに笑われそうだが、小心者のオラはオーダーだ出来なかった。貧乏が身についているので、贅沢は素敵とはイカナイ、敵なんだよネ。これじゃ「うだつも上がらない」ような気がした。
翌日は早朝6時から町を散策し撮影、観光客もいなくて静かな佇まいを感じる町並み。宮川沿いの名物の朝市を冷やかしてホテルへ帰る。朝食を食べ、最後の目的地の飛騨古川へと向かった。本日も天気もよく気分も上々。白壁土蔵の瀬戸川沿いと古い町並みが懐かしい。数年前の秋祭りに来てから、この町を好きになった。高山ほど賑やかさがないところ、徒歩で散策するには最適な面積だからかなぁ?朝ドラで有名になった和ろうそく店は観光客で混んでいたが、町はいつもどおりの風情だった。町を流れる瀬戸川にはコイが泳ぎ、のんびり・ゆったりするにはいいところだ。一度、見て・感じて・体験して下さい、この町を。
そろそろ旅も終り、高山市内から安房峠道路を抜け松本IC~長野道~中央道~首都高~京葉道を走り午後5時頃に自宅へ帰った。夕方カミサンが帰ってきて「アラッ、帰ってきた。それでうだつはどうなったの?」と聞く。「何だか少しは上がったみたいだけどネ」と夕食を食べて就寝。翌日「オッ、うだつが上がったような感じがする」と思ったら、気のせいであった。一番肝心なお金がない。金がなければうだつも上がらないのだ。今でも旅の前と同じ「うだつは上がって」いない。トホホの旅だが楽しかったゼヨ。
written by Keiji
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