From 2010-08-22 |
こういうのをたぶん屋敷林というのかも知れません。大概は風や吹雪を防ぐためのものだと解釈していましたが、この絵にあるように、どうみても風を防ぐ役にはたっていないように思われます。葉っぱが残されているのは木の先のほうで、風から家を守るのであれば、もっと下のほうから葉をつけておくべきものではないでしょうか。絵にある家は掘っ立て小屋に見えますが、実際は立派な農家の建物であります。ひとつぐらいを目にしたのならそんなにも気にならなかったのですが、結構たくさんこのような光景を目にしたのです。今の私には理解できない光景であります。
もうひとつ気になるのは農家の集落ということであります。田んぼのなかに隣とはかなり距離をおいてぽつんと農家が点在している風景と、農家がひとつのところに固まり集落を形成して、田んぼと完全に分離されているという2つの形態を目にすることがあります。これはどうしてなのかということを知りたいものだと思います。これは農耕文化というものを知らなければ理解できないような気もします。その地域での農耕の成り立ち具合を知ることによってようやく理解することができるのか、それともその地域の風土によるものなのか。なんらかの原因において、いつかの時点で村八部にされたものなのか。実に興味深い風景であります。
若い頃に、友人の実家である岩手県に夏休みに遊びにいったことがあります。ちょうど盆踊りがおこなわれる時でありまして、その時期になりますと、稲穂もかなり伸びておりました。その友人の実家がある地区は、それぞれの家が自分の地所の中心あたりにありまして、稲も伸びていますと、隣の家がまったく見えないという状態でありました。この地区は全体として集落をなしていないのです。私が生まれた山形の寒村はそれと対称的に職住完全分離でありまして、住居がある集落と田んぼとは完全に分離されていましたから、珍しくて今でもくっきりとその光景を思い出すことができます。星空がきれいで蛍が乱舞している田んぼの畦道を分踊りが行われている村の鎮守様へ歩いていった覚えがあります。都会の盆踊りと違ってけたたましくなく、裸電球が数個ついているなか、静かな踊りを数えるほどの人がもくもくと踊っていたような気がします。あれ?なんだ??これって宮沢賢治の世界じゃないか。そうか!宮沢賢治の世界は作ったものではなく、昔の岩手の様子をたんに描写しただけのものではなかったのかな。
もうすぐ今年の夏も終わってしまいますね・・・・・・・・・・・
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