2009年8月20日木曜日

夏休みといえば絵日記だよね

 標題の「夏休みといえば絵日記だよね」はせいぜい小学校での夏休みまでですよね。中学移行は部活をやっていれば夏休みどころの騒ぎではなく、普段よりも厳しく長い練習でクタクタフラフラになっていたような気がします。高校になるとそれに合宿だの遠征などが加わりあっというまの夏休みでありました。
 そののんびりとした小学校での夏休みの宿題には必ずといっていいほど「絵日記」を毎日書くなんてのがあったような気がします。夏休みが始まって最初の3日ぐらいは張り切って宿題とともに絵日記も書いていたような気がします。そしてきまって夏休み3日が過ぎたあたりから最初の固い決意はどこへやらで、いつしか宿題も絵日記も忘れはてまして、日記帳も宿台帳も見事に空白だらけでありまして、残りあと2日なんてことになり、ようやく泣きそうな思いでトッカン工事で仕上げてなんとか間に合わせていたような気がします。そうか、ぎりぎりまで何もしないっていう習慣はこのころすでに身についていたのですね。


 さて本当に贅沢な時間というものを「ちょっと年喰った座敷童」のサトやんに教わりました。サトやんは年に数回神奈川県の厚木からリュックに一切合切詰め込んで電車とバスを利用して、廃屋のような留三郎小屋にやってきていつも1週間ほど滞在します。その滞在期間中はひたすら本を読みます。朝から晩まで本を読み続け、あいた時間に酒を呑み飯をくらう。これだけのことをやるために、一年間働き続けるのだそうです。じつに贅沢な時間を所有する豊かな人生だとほとほと感心してしまう。

そのサトやんが、前回のゴールディンウイークで初めてあった時に、

 「これ、ウスラバカのぽーよ、これよりも贅沢な時間の過ごし方があるんだよ」と焼酎を呑んでいるときにぼそっと私に向かってつぶやいたのです。サトやんいくら泥酔しても声を荒げるということはない。常に冷静にたんたんと話すのであります。

 「え?今何ってた」

 「だから、これ以上に贅沢な時間の過ごし方があるんだって・・・」

 「それは、どんな過ごし方?」

 「それはじゃな、一日中絵を描いて過ごすやり方だよ」


 そうか、それは私も前々からウスウス感じてはいたのです。以前にもこのブログのどこかににも書いたような覚えがありますが、絵を描く時間ってものすごく贅沢な時間の過ごし方だろうと思い、5年ほどまえから、キャンプや旅行にいくときには必ず、スケッチブックと水彩色鉛筆をはじめとした簡単な道具は毎回忘れずに持ち歩いていたのです。しかし、これまで一度として筆を取ったことはなかったのでありました。気持ちはあるのです。
 それを見透かしたようにサトやんにズバリ指摘されてしまったのでありました。日がな一日風景を描く、そして自分自身が無意識のなかにその風景のなかに融け込んでしまう贅沢さはわかりすぎるほどわかっていたことなのであります。
 8月の夏合宿にも絵の簡単な道具は持っていきました。そしてサトやんのご託宣も聞きました。しかし、どうしても描くことができませんでした。そのことをサトやんにいいましたら。

 「それは、あなたのなかに、どうしても衒い(てらい)があるからだよ。」
 「子供の時にはうまく描こうなんて、これぽっちも考えていなかったけど、大人になると、どうしてもうまく描いて誉められようとする邪心がでてくる。その邪心があなたの心を縛り付けているんだよ。それに本当はすでに気づいているんじゃないか」

 そうなんです、私の場合は全面的に上手に描きたいという意識がでてきてしまって、それが自分の心も体もしばってしまい、道具すらだすことができないということになってしまっていたのです。本来は旨く描くことが目的でないはずであります。どっぷりと自然に親しみ自然に同化するにための手段であったはずなのであります。それがいつの間にか上手な絵を描きたい、いや描かなければいけないなどという邪心にすり替わっていたのです。
 考えてみればヘタなのはあたりまえのことなのです。正規に美術教育を受けたわけではなく、趣味で絵を描いていたわけでもないのですから。
 結局キャンプ場では絵を描くことができずに、自宅に帰ってから描きはじめました。昨日と一昨日の画像がそうであります。絵というよりはなんだかいたずら書きでありますね。
 これでいいのだ。やっとそんな気持ちになることができました。人の評価なんてどうでもいいのです。やりたいことを懸命にやって遊ぶことが最重要なことなのだと開眼したわけであります。懸命に遊べないヤツなんて・・・・・・・。ケッ!

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