2010年1月25日月曜日

渾身のゲイジュツ的一枚

From 農園物語

 うろんな日々を送っていたものだから、いざ農作業となると慣れない肉体労働で体が悲鳴をあげてしまった。畑にはでているものの、イスに座ってただぼーっとしている時間のほうが多くなってしまった。

 ひとになんていわれようと、このひと時が至極の時間だったように思い出されます。ふと広大な手つかずの大地をながめては、はてることのない人力作業が思い起こされ我に返ります。




以下「ぽーさんの農園物語」から----------------

 近頃では10分働けば10分の休憩を取らなければ、次の行動に移れないといった状態であります。立ったままでの休憩は疲れが取れないということで、小さな折りたたみ式のイスを持ち込み、畑の真ん中にどっかりと腰をおろして、ワシはこれ以上絶対にここからウゴケンカラネ状態になってしまっているのです。しかし、その休憩の時間が至極の時でありました。

 疲れて動けないから仕方ないじゃないですか、といささか開き直りながら、見えるものは大きな空と周囲の景色。空にはさまざまな雲が浮かびます。これまでの人生でこれほどじっくりと空をながめ、時にそこに浮かぶ雲に目を留めたことなどあったでしょうか。

 都会に住んでいると、ただたんにぼーっとしていることはなんとなく罪悪感がともなってしまって、電車に乗るのにも必ず読むべき本を持ち込み一心に読みふけっていたりしている。とにかく何もしない時間の空白が怖くて、できるだけ有意義なものと思われるもので埋めようとしてきたような気がする。

 ほんとうは、何もしない無為な時間を過ごすことってどんなにか大切なことなんだと教えられました。本当は疲れ果ててしまって何もできない状態に追い込まれてはじめて気づいたことなのでありますが。



 以前にもどこかに書いたような気がしますか、キャンプや旅にでるたびに必ず筆記用具とスケッチブックを持ち歩いています。しかし、一度たりとも絵など描いたためしがないのです。いつも描けもしない道具を持ち歩いてなんと邪魔なんだろうと思うのですが、描けないものはしょうがないです。そのくせ性懲りもなく出かけるっていうときは、どうしても積み込んでしまうのです。それで帰ってきてから描かない描けない自分をののしるのでありました。
 上記のイタズラ書きはこの20年間でようやく描いたものであります。ホームページを作成するうえではどうしても絵を描く必要があるのです。写真だけでは表現できないものってあります。パソコンで描ければなおいいのですが、今の私のスキルでは無理であります。とりあえず鉛筆で慣れることにしようと決意しました。


農業の未来《その2》 -樋口耕太郎かなり面白い記事を目にした。オレ頭悪いからどうしても、単位が覚えられなくてさ。どこかにまとめて書いておかなければいけないと思っていたのであります。以下一部抜粋引用です。

度量衡
面積の単位である1反(≒10アール)=300坪は、(太閤検地の時代の農業生産水準で)大人一人の1年分の食糧、すなわち1石を生産する田んぼに相当する面積です。1石は、一人1食1合(180cc)のお米を食するとして、1日3食×365日=1,095合≒1,000合(=100升=10斗=1 石)=180リットル≒180kg=3俵、のお米の生産量を示します。幕末のインフレ期までは、1石のお米がおよそ1両で取引されていましたので、江戸時代の通貨は「お米本位制度」であるとも言え、お米が通貨として通用していたことは自然なことだったのでしょう。ちなみに、1升瓶は1.8リットル、1斗樽は18リットル、10反=3,000坪=1町(≒1ヘクタール)です。現在の農業技術では、1反あたり8~10俵、すなわち、1俵=60kgとして、 480kg~600kgのお米を収穫することが標準的に可能ですので、16世紀の安土桃山時代から400年かけて、単位あたりの農業(お米)生産は約3倍になったと推測できます。

度量衡に示されているように、米俵3俵が一人1年分の食糧だとすると、私の出身地岩手県南部藩10万石(後に20万石)は、毎年30万俵のお米を収穫し、10万人の人口を養うことができる行政単位ということになります。石高数は人口の単位であると同時に、大名が養える家来の人数(家族を含む)すなわち軍事力の単位でもありました。現代の日本でも100万人都市は大都会ですが、幕末日本の人口が3,000万人といわれる中、江戸幕府時代の外様大名最大の加賀(金沢)100万石、第二位の薩摩90万石、あるいは豊臣家の5大老時代にピークを迎えた会津上杉家の120万石がいかに大きな藩であったかが想像できます。このように、資本主義以前の日本社会は、稲作農業を社会の基本として、政治、経済、金融、軍事、社会の一切が一体となっていました。江戸時代の「士農工商」とは、単なる身分制度ではなく、農業および自然の生態系と一体化した日本社会構造の根源的な理念でもあったと思います*(1)。


 まだ良くつかめてないな。やはり自分なりにわかりやすくまとめないとなかなか染みこんでこないみたいだ。

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