2010年1月3日日曜日

豪華3本立ての初夢をみた

 長い間生きてきて今年はじめて初夢というものをみた。普段でさえ夢などはほとんどみたことがないのに不思議である。その夢はなんと3本セットの豪華版であった。夢なのだから当然最後のほうの辻褄はどれもあっていない。あってないが目覚めたときにはどうも現実なのか夢だったのか判然としないような妙なリアル感があった。ま、これはこれで良しとして深く追求しないようにしておこう。

 子どもたちが成長してからは、郷里山形で正月を過ごすことがめっきり少なくなった。それぞれが成長するにともなって、それぞれの世界を持ってしまっているから休みがまったく噛みあわない。いつの間にか現在住んでいる居宅が彼らの実家になっているようである。こういう、ほんの小さなできごとで時の流れを感じてしまう。

 茨城のある漁村で寮生活を送っている高校生の娘は、「田舎にかえったら、何したい、これしたいと・・・・」とさかんに電話口でのたもうた。
 ん?!「こら!こら!田舎って!?オマエが住んでる茨城のほうが数百倍田舎だろうが・・・・・」いくら若くても田舎という言葉には日本人の持っている懐かしさがあるらしい。いくら都会の近くに実家があっても、そこは本来の意味が持っている「田舎」なのだろう。
 「田舎」はお盆や正月で帰省するためだけのものでは無かったのでないかと思う。そこは都会で夢破れ傷ついてもいつでも安心して帰れる唯一無比のセーフティネットの象徴だったのかも知れない。現実は厳しいものであっても、そこには貧しくても両親をはじめ親族一族郎党、隣近所に同級生というネットワークが存在していたのだと思う。そのバックボーンがあったから頑張れたのであったし、今も都会の大半のデラシネはそう思っているに違いない。
 しかし、その限りなく危ういセーフティネットも今や崩壊に向かってひた走っているような気がしてならない。田舎には若者がいなくなった。いるのは本当に老いた年寄りだけだ。米も野菜も作っていない。もうくたびれ果てて作れない。都会の大半のデラシネたちの心のよりどころであった田舎が単なる「姥捨て」になろうとしているのではないかと思う。こんなことはわかっている。わかりすぎるぐらいわかっている。でもどうしていいのかがさっぱりわからないのだ。


 関東での正月は雪がないからなんとなく味気ない。ほとんどの音が深い雪に吸収され尽くされてしまい、白と灰色と無音の空間を味わうことができない。たとえ大晦日よりも大量の雪が降り続いたとしても、年が明けたのだからあとはどんどんと春にむかっているのだという期待と希望が少ない気がする。だからといって雪国に住むかと問われればすぐに怖じ気づいてしまうのだが。
 以前の田舎の住宅は立て付けが非常に悪かった、だから暖かいコタツに入っていても、吐く息が白かったする。それでも最近はだいぶ改造されていて、寝室のなかに雪が舞い降りてくるなんてことはなくなった。子どものころには目が覚めると雪がうっすらと布団を覆っていたこともあったような記憶がある。
 妻の実家も山形である、今でも強く印象深いのは玄関の軒先にある、真っ赤な南天の木であります。白銀の世界に埋もれていても、信じられないぐらいの命の輝きを一点放っている赤が今でも脳裏にこびりついて離れないのであります。たとえあの南天を持ってきて庭に植えたとしても、あの輝きを実現することは不可能な気がする。

 3が日が間もなく開けようとしています。4日からは一斉に世の中は始動することになるでしょう。遅ればせながら
 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

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