2013年8月7日水曜日

誰もが記憶にある風景があるような気がする。それを、ふと思い出すことも……。 written by Keiji

毎日、毎日あぢい日が続き、ゲリラ豪雨だとかで大変な今年の夏。何だか、2011年の3月11日からおかしくなったような気がする。自然全般(天候)も人もだ。東日本大震災があってから、「ひとつになろう日本」「絆」「いつまでも忘れない」「がんばろうニッポン」などなどの、標語? のように言葉や文字などで見かける機会も多いし、野球選手やサッカー選手のユニホームやヘルメットにも書いてある。今回の災害(地震・原発)で日常の普通の当たり前の生活が奪われた東北と関東の人達。自然災害はどこでも、いつでも起こり得ることだ。原発はどうなのか? 今まで連綿と長い間稼働し、福島県は関東に電力を供給してくれていた。東京電力は安全・安心ですって、メディアやマスコミ全般を使いアピールしてきた。数10億円にもなる広告費というより、タイアップ広告だ。数年前に、そんなに安全なら原発を東京へと、言っていた人もいた。今回の震災でちっとも安全じゃないのが、バレちゃったネ。メディアやマスコミも多額の広告費を貰っていたのに、お得意の手のひら返しだった。この国のマスコミや記者達は、おとなしいと思う。ニシンの会じゃなかった「維新の会」だか何だかの石原慎太郎にバカにされて(つまんないこと聞くなとかネ)、返答も出来ない。情けないぞ、石原ぼんぼん太陽の季節の慎太郎も公僕なんだから、だまっていないで言い返せ、家族とせがれも税金で食っているんだから。と思う。それで、火力などではコストがかかるから、再稼働をすることに電力会社はやっきだ。首相の胃があまり丈夫じゃない安部もやっきだネ。でも、安部の広島平和式典の原稿読みはおかしかった。改憲したいと思っているヤツがのうのうとウソを言っているように思えた。原稿を書いた官僚ももうちっと考えてかけヨ、っと思った。オラは考えた、再稼働をする北海道・東北・東京・中部・関西・四国・九州電力会社の方々は、原発の近く、2キロ圏内に家族で住む、関係者の家族も住むようにする。理想の職住接近ってやつだ。交通費も通勤ラッシュもない。広大な土地があるので、その中にスーパーや銀行はもちろん、保育園や小中学校も、おしゃれな奥さんには美容室もある、ほかにも生活の全てが歩いて出来る、クルマはなくても日常生活にはなんの支障もなく過ごせるんだ。年老いたご老人にはホームもあるので、安心安全な暮らしが保障されている。なんて、再稼働が始まったら、どうなるんだろうなと夢を見た。固定資産税は?


  箱モノはどうする? 何てことは考えなかった。まだ、終わっていない壊れてショボイ状態の、福島原発の尻(ケツ)も拭いていないのに、原発を海外に輸出して造ったり、再稼働をすることに疑問を感じたから。でも、オラはひとつになりたくないし、がんばろうって言われても、お前だと言い返す、絆と急に言われても、知らない他人と無理に絆はつくりたくないゾ。と、思っているんだ。でも、3・11の震災は忘れない、忘れることが出来ない。仮設に住んでいる方々、放射線などで避難をしている方々、早く前のいつもの日常の普通の生活に、戻れますように。国もしっかりやれよ、税金を払っていて何もやっていないのは、新宿・歌舞伎町の「ボッタクリ」の店と同じだ。国会議員のあんたがた、本当に真剣にやれヨな。年に約2150万円ぐらいの歳費、税金(血税)をもらっているんだからネ(他にもいろいろと、海外視察なども税金だ)。っとだ。数年前まで政治には金がかかるっていってたクセに、最近は言わないような、金がかかるならやらなきゃいいべ、と思っていたら、倅や娘にやらせているからな(歌舞伎界の梨園か)。いい稼業なんだと思う、政治屋は。あ~ぁ、疲れただヨ。

アッ、風景のネームを書かないとイケナイ。ぽー編集長にまたまた、叱られる。この歳になって叱られることってないからネ。50歳を過ぎてから、奥さん以外に、叱られたことがある人がいたら、会ってみたい。で、理由を聞いてみたいと思う。何のことで叱られたのかと。皆さん、記憶に残っていて、急に思い出したりする風景・景観ってありませんか? オラはあるんだ。生まれ育って34年間過ごした、東京から川を越えれば、すぐ千葉県の町ではなくて。幼き日に、連れて行ってもらった?(連れて行かれただ)両親の実家だ。父は山形県、母は新潟県、小学校に上がる前に上野から汽車(SLだ)に乗って行ったんだ。最初は、新潟県の和島村(市町村合併で今は長岡市)へと、何も知らない純粋無垢なオラだ。上越本線から乗り換え、支線へ乗る、何だか分からないけど、子供心に、随分と遠い地に来たような気がした。着いたとこは、大きな川と田んぼの脇には50センチほどの湧水路が流れていた。見たこともない川と景色だった。小さな流れは田んぼに水を流す、水路だったんだ。んなことは、高校生になって知った。夕ご飯は、母の久々の帰郷とのことで、ゼンマイの煮物、サバ焼き、エゴ(海藻をこねて作る)、刺身(甘エビ、タイ、貝)などなどがテーブルに並んだ。日本海に近いので、海の幸が並んでいた。翌日の早朝、オラは起きて家の裏から北方面を見た。田んぼが広がる彼方に、山が見えた。自分が育った景色とは違い、広~い彼方に見えたのは「弥彦山」だった。子供心に、こんな風景があるんだと思い、驚いたんだ。翌日は、母の実家をあとに、父の実家の山形県へ。父の実家も、田舎でしたとさ。周りは田園、田んぼだぁ~。酒田市から内陸部へ5キロほどの所へ、広~い田んぼの中に家は2軒だった。もちろん親戚。家には牛、馬がいたんだ。本当だから。小さいオラもたまげた、家に牛さん、馬さんがいて仲良く一緒に住んでいるんだから。でも、この時代(49年前)は、それが普通で農家の人達は大事に、大事に、育てて農耕をやって働いてくれている、と聞いた。今や、ヤンマー・クボタなどのメーカーのトラクターなどの機械化が当たり前だけど、当時は馬さんや牛さんが農耕をやってくれていたんだ。馬も牛も大切に育てられている、というか家族と一緒。優しそうな眼差しを今でも思い出すこともある。翌日、オラは小さい時から早起きだったんだ。朝起きて、裏庭から見た山が不思議でしょうがなかった。夏なのに山には白いモノが、それは鳥海山の残雪だった。と、知ったのは中学の頃だった。田んぼの遠くに、雪を抱いた山を見た時は、本当にビックリだった。両親の古里で見た、幼き日の風景が今でも記憶に残っている。何でなのか? 自分でも真面目に考えても分からないんだ。

 そしてもう一つ、忘れられない景色はと言うと。北アルプス・前穂高岳の東の奥又白池なんだ。学生時代に北鎌尾根から穂高まで岩を登り、縦走して雪渓を下りてここでキャンプをした。東には前穂高岳と峰々が、眼下には上高地、遠くにも山々が望まれた。こんな天国のような(見たことないけど)とこがあるんだと、驚いたもんだ。ここには数回、岩登りに行った。数年前に山の仲間と酒を飲んでいた時に、オラが死んだら奥又白池に散骨をしてくれって言ったら。お前が先かどうかは分からないけど、生きていたらやってやる。「でも、奥又へ行けるかどうかだぜ」って。ここへ行くには、上高地から入り、5時間ほどの急登を行かなくちゃダメだった。仲間もオラもジイさんだからネ。でも、本当にいい場所なんだヨ。ここに行くだけの山登りを今もしたいぐらいだ。ふと思い出す風景の場所だ。天晴天気の午前中でした。

written by Keiji

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