昨日は朝から涼しかったのですが午後6時になっても、気温が26.7度、湿度が57%であり、かなり涼しい一日だったと思ったわけであります。一昨日から隣の奥さんから外壁の塗り直しをするので、2,3日煩いかも知れませんので、よろしくお願いしますと挨拶がありました。昨日の昼前に工事屋さんの現場監督が訪ねてきて昼から足場の工事をしますのでよろしくとの挨拶がありました。2時を過ぎたあたりから工事が始まったのですが、いやはや、笑ってしまうほど煩かったです。足場の工事なんて、それほど時間のかかるもんでもないと思い、じっと我慢しました。いや、我慢するしかなかったのですが。普段は車の通る音すら、ろくに聞こえないほど静かなところですから、格別煩く感じたのでしょう。
地方から都会にでてくると、身よりも何もなく、かなり心細く、そしてたまらなく寂しく感じるものであります。故郷には、ボロ屋とはいえども、それなりにやすらぐ家もありますが、ぽっと出の田舎者にはそんなものはありません。地方から出てきた当座は会社が用意してくれた4畳半一間で共同便所の安アパートでありました。その時、なんかのおりに、デラシネとか根無し草とか、という言葉が頭をよぎりました。その後、縁があって結婚もし、子供もできて、家も持ちました。それでも自分の頭から離れないのは「根無し草」という思いであります。たぶんこの思いは死ぬまで消えることがないように思います。
私が高校を卒業するまでに、3人の身内の葬式を自分の家から出しました。ご先祖様が庄屋であったとか、名主であったとかという名門ではなかったのですが、それなりに大勢の人々が悔みに駆けつけてくれる立派な葬式であったことを思い出します。それは村社会であったから成せる技であったのです。村社会では冠婚葬祭こそ命であったのです。冠婚葬祭をないがしろにするというのは自らを抹殺するに等しいことだったのであります。
翻って今、私が死んだならば、身内も含めて10人ぐらいしか集まってこないような気がします。ほんの数えるほどの期間しかサラリーマンをやったことがなかったし、会社経営なんていったって、所詮フリーの凡庸なプログラマーでしかなかったわけでありますから、当然といえば当然のことであります。
決してそれが寂しいなんていっているわけではないのです。それもサバサバしてなかなかいいのではないかと思うのであります。ついでにいえば、死んだ時につけられるなんだかわけのわからない戒名なんてものもいらないなと思うわけであります。実家の宗教は曹洞宗でありますが、別に私が曹洞宗というわけでもないから、あのお経を上げる坊さんもいらないなと思うわけであります。それから「何何家の墓」というのもいらないなと思うわけであります。墓の維持管理にかける金が勿体無いなと思うわけであります。遺骨なるものは、どこぞの海か山か原っぱにばら撒いてしまってくれれば、本当の自由を得られるような気がしてしょうがないのであります。このような事を真剣に考えてる私などは絶対に地方の村社会などには住むことは許されないことなのであります。うーん、どうも昨日から村社会のことを書いていて、私こそが「村八分」にふさわしい奴だということが確実だという気がしてきたのであります。
若い時からアウトドアに憧れていまして、それで究極のアウトドアは農業だ、なんて方向に変質していきまして、いつしか、どこかの地方で田舎暮らしをしてみたいなんていう、甘い夢を膨らませるようになっていました。それは私のような人間は、絶対にやってはいけないことなのだということがわかってきたのです。今、都会の片隅でひっそりと息を潜めて暮らしているからなんの問題も表面化しないで、自分勝手に振舞っていられるだけの話であったのです。
何年か前に秋田で百姓を志して半年ほど私にとっては理想のアウトドア生活をやっていた時に知り合った、仙人のような佐々木の爺さん。今考えてみると彼は完璧にイジメにあっていたのです。それこそ村八分に等しい扱い受けていたことを思い出しました。まだ佐々木の爺さんはそこに住んでいますから具体的な地名をあげることはしませんけれども。その集落は6戸ほどの小さなところでありました。そこに入植する前に、その一体のボスだという人のところに挨拶に行きましたら、そのボス爺さんは「絶対にあの家には近づいてはいけないよ」というのでありました。初代面の人間にのっけから不思議なことをいうボス爺だなと思ったけれども、別に私に直接関わってくることでもないので聞き流していました。6世帯10人の中の一人と40万人の中の一人では目立ち方が違い過ぎますからね。たくさんの多様な人々のなかにいればいくら私のような奇行の持ち主でも息苦しくはないのではと気がついたのであります。やはり、地方は旅してまわるところで住む所ではないということを固く肝に銘じたわけであります。
地方から都会にでてくると、身よりも何もなく、かなり心細く、そしてたまらなく寂しく感じるものであります。故郷には、ボロ屋とはいえども、それなりにやすらぐ家もありますが、ぽっと出の田舎者にはそんなものはありません。地方から出てきた当座は会社が用意してくれた4畳半一間で共同便所の安アパートでありました。その時、なんかのおりに、デラシネとか根無し草とか、という言葉が頭をよぎりました。その後、縁があって結婚もし、子供もできて、家も持ちました。それでも自分の頭から離れないのは「根無し草」という思いであります。たぶんこの思いは死ぬまで消えることがないように思います。
私が高校を卒業するまでに、3人の身内の葬式を自分の家から出しました。ご先祖様が庄屋であったとか、名主であったとかという名門ではなかったのですが、それなりに大勢の人々が悔みに駆けつけてくれる立派な葬式であったことを思い出します。それは村社会であったから成せる技であったのです。村社会では冠婚葬祭こそ命であったのです。冠婚葬祭をないがしろにするというのは自らを抹殺するに等しいことだったのであります。
翻って今、私が死んだならば、身内も含めて10人ぐらいしか集まってこないような気がします。ほんの数えるほどの期間しかサラリーマンをやったことがなかったし、会社経営なんていったって、所詮フリーの凡庸なプログラマーでしかなかったわけでありますから、当然といえば当然のことであります。
決してそれが寂しいなんていっているわけではないのです。それもサバサバしてなかなかいいのではないかと思うのであります。ついでにいえば、死んだ時につけられるなんだかわけのわからない戒名なんてものもいらないなと思うわけであります。実家の宗教は曹洞宗でありますが、別に私が曹洞宗というわけでもないから、あのお経を上げる坊さんもいらないなと思うわけであります。それから「何何家の墓」というのもいらないなと思うわけであります。墓の維持管理にかける金が勿体無いなと思うわけであります。遺骨なるものは、どこぞの海か山か原っぱにばら撒いてしまってくれれば、本当の自由を得られるような気がしてしょうがないのであります。このような事を真剣に考えてる私などは絶対に地方の村社会などには住むことは許されないことなのであります。うーん、どうも昨日から村社会のことを書いていて、私こそが「村八分」にふさわしい奴だということが確実だという気がしてきたのであります。
若い時からアウトドアに憧れていまして、それで究極のアウトドアは農業だ、なんて方向に変質していきまして、いつしか、どこかの地方で田舎暮らしをしてみたいなんていう、甘い夢を膨らませるようになっていました。それは私のような人間は、絶対にやってはいけないことなのだということがわかってきたのです。今、都会の片隅でひっそりと息を潜めて暮らしているからなんの問題も表面化しないで、自分勝手に振舞っていられるだけの話であったのです。
何年か前に秋田で百姓を志して半年ほど私にとっては理想のアウトドア生活をやっていた時に知り合った、仙人のような佐々木の爺さん。今考えてみると彼は完璧にイジメにあっていたのです。それこそ村八分に等しい扱い受けていたことを思い出しました。まだ佐々木の爺さんはそこに住んでいますから具体的な地名をあげることはしませんけれども。その集落は6戸ほどの小さなところでありました。そこに入植する前に、その一体のボスだという人のところに挨拶に行きましたら、そのボス爺さんは「絶対にあの家には近づいてはいけないよ」というのでありました。初代面の人間にのっけから不思議なことをいうボス爺だなと思ったけれども、別に私に直接関わってくることでもないので聞き流していました。6世帯10人の中の一人と40万人の中の一人では目立ち方が違い過ぎますからね。たくさんの多様な人々のなかにいればいくら私のような奇行の持ち主でも息苦しくはないのではと気がついたのであります。やはり、地方は旅してまわるところで住む所ではないということを固く肝に銘じたわけであります。
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