2013年8月5日月曜日

山メシに悩んだあの頃、じゃあ今は……!? written by Keiji

 昨日のぽーさんのブログを、暑くてけだるい午後にカミサンの実家で読んでいた。スイカと果樹、キャンプと旅、そして一番いいところ観察しているなと思った、山好きの食事の記述。ゲッ! と思わず、面白いをクリックしていた。スイカも甘かった~です。その山の食事をズバッと書かれてしまったので、正直に白状(書く)します。簡素という文字がぴったり、簡単気軽に時間もかからず、でも、山の食事を知らない人が見たら。それだけなの?と疑問に思い頭に?????ぐらいのハテナがつくはずだ。

40年ほど前の山へ行った時の食事の話。また、そんな過去のことかって思うでしょうが、60年~80年初頭の頃の山は若者で溢れ、中高年の登山者はまれだったんだ。この頃、私は友人3人と社会人山岳会に入っていた。20人ぐらいの会。当時は、3人寄れば山岳会と比喩された。夏には長期間の合宿がどこの会でもあり7~10日間ほど、もっと長く会員が入れかわりひと夏、などと合宿する会もあった。私達の会は、学生と社会人の混成の会。会長をはじめ4人の社会人、私達は金はないが時間はたっぷりある4人パーティ。長野県大町市から黒部ダムの下降路から黒部川へ。ダムには黒部川沿いに登山道があるので道が整備されている。上流は上廊下(かみのろうか)、下流は下廊下(しものろうか)と呼ばれている、どちらかというとベテラン向きのコースかな。会の山登りのスタイルは岩登りがメイン。岩壁を登攀(とうはん)して自己満足と達成感を味わう会だった。今回の合宿の目標は黒部川沿いにある、別山近くにある大タテカビン(不思議な名)と呼ばれる岩壁だった。ここを選んだ理由は、谷川岳・剱岳・穂高岳などの有名な山はほとんど登られ、ハクを付け、会の実力を示すため、まだ誰も気づいていない山域のこの場所を選んだ。バリエーションルートってやつネ。初日は内蔵助平の出会いでキャンプ。ここでの食事は豪華だった。味噌に漬けた(腐らないよう)牛肉を焼き、黒部川で冷やしたワインなどだった。翌日は2班に分かれて壁に登り、どちらの班も事故なくベースキャンプに下りた。この日の食事もなかなかだったが、メニューは思い出せない。焚き火を囲んで、充実感で皆が高揚していた。社会人メンバーは仕事があるので帰路へ。暇あり、金なしの学生組は翌日から雪渓を登り、立山~槍ヶ岳~穂高岳への縦走を計画した。期間は何日になるかは、おおよそで5泊ぐらいか? 適当だった。岩登りと違い歩くだけだから、と思っていたのだ。

2歳上の先輩4人で早朝にベースを出て、真砂沢の雪渓を登る。その時、メンバーのYのパック(ザック)には昨夜残った、25センチほどのチャシューが紐で吊るしてあった。中に入れるよりも、雪渓を吹く風は冷えているからと。2時間ほど登り、Yのパックを3人で見るとチャシューがなかった。皆が驚いて1時間ほど下り探したが、どこにも転がっていなかった。本人も、皆の落胆は大きかったが、しょうがないネ、でお終い。でも、これからの食料事情を考えると一番豪華な食料だった。岩登りには必要なグッズが多い、ロープ(ザイル)・ハンマー・ハーケン(独)・アックス(ピッケル)・ハーネス(安全ベルト)・ヘルメットカラビナ(ロープを通す環)など、登る時に身につけるとガチャガチャ音がするので「ガチャ」なんて呼ばれる。他にも、スプーンやフォークは武器、タバコはモク、遭難者の遺体はオロク、落石はラク・ラ~ク、危ない箇所はショッパイ、山や斜面を横切るはトラバリ、岩場で動けなくなるはミシンを踏むなどとの用語がある。この時は、4泊以上の岩登りの場合、道具は金属モノがほとんどだ。他にも雨具やツエルト(簡易テント)、ヘッドランプ、最低限の食器、ホイッスルと小さなナイフ、防寒ウエア(薄いセーター)などの装備が加わる。40Lのパックに収めるには、重さを削らなければならいモノが出る、一番の軽減が食料だった。その頃の主に食べていたのは、アルファ米というフリーズドライの白米、他にも牛飯、鶏飯などがあった。小さな肉のようなものが少しと、そのような味だった。アルファ米は独特の臭い、香りじゃない。がして、最初のうちはそれなりに食べられるが、5日目ぐらいには苦痛になることもあった。でも、食べ盛りの年齢なので考えずに食べていた。そしてもう一つの問題が、これらのドライ食品は一度加工(炊いて)してから、製品となる。そうなんです、腹もちがが良くない。消化がいいので、朝食べると2時間後ぐらいには腹が減ってくる。山用語でシャリバテと呼ぶ。また、野菜などは長期なので持ってはいけない、味噌を付けたキュウリをかじる夢を見たこともあった。たらふく食べる銀シャリなんかもネ。途中、雨に降られて2日ほど立山で停滞してから縦走を始めた。先輩と3人、腹減ったが合言葉。鷲岳を越え鳶山、薬師岳を越えてキャンプ地の薬師峠のキャンプ場に着く、そこで皆、考えた。この場所はここから他の山へ登る登山者が多いことに。はい、ゴミ捨て場(当時はあったんだ)に。ありました捨てられたり、残したりした野菜類が。私達は食べられるようなモノを集め、よ~く洗ってから見つからないように食べました。美味しくて、おいしくて、タマラナカッタ。ここで、1泊してからこの先をどうする? 縦走するか? と先輩と3人で協議する。皆の意見は一致していた、この先を行っても3~4日かかるので、下りようと。この時に食べたものは、他にもインスタントラーメン、クノールスープ、干しブドウ・バナナ・パイナップル・ピーナッツなどの日ごとに分けた子袋のレーション(行動食)、何日かは餅(重いので沢山持てない)などだった。山小屋にもある程度の菓子やインスタント品は売っていたが、金がないので買えなかった。昔のスープは今のように、子袋に分けてなかったので不便だった。粉は顆粒ではなく、すぐにダマになり味も粉ぽかった。使ったストーブ(小型コンロ)は、燃料はホワイトガソリン使用のホェーブス(小)、当時は「ブス」と呼ばれていた。調理時間は20分ほど、この頃は山に5日以上入るといつも飢えていた。家に帰ってくると、1週間ぐらいは食べても食べても満腹感がなく、食べすぎて口の横が痛くなった。今だから白状すると、バス停に下りてゴミ箱を見ると二つの弁当が。はい、臭いを嗅いでから4人で分けて食べてしまった。本当の話です。

それでは今は、4年前に雑誌のドライフードの企画で、食べて感想を書いたことがあった。パスタやリゾット、ニュメン、梅ワカメご飯などだった。どれもシャレたパーケージで食べてみた感想は、やや塩辛いが旨い~だ。塩分が多いのは山では塩分補給も大切だからと感じた。ドライフードの種類も多い、おにぎりやウナギ茶漬け、おこげスープなどなど、どれもお湯を注げば数分でできるものばかりだ。味も昔のようにイヤな臭いもしない、全てが、そのような風味に仕上がっていた。行動食も高カロリーのモノが何種類もある。ぽーさんが書いていたように、長期間の保存ができるので災害時にも最適だ。でも一つ気になることは、価格が高いということか。登山用具店で売られているドライフードは、押しなべて高価だ。今、スーパーでも同じようなドライフードやレトルト製品などが数多く売られている、その中から山にあった食品を選ぶのがいいかも? 私は日帰りや1泊程度の山なら、コンビニを利用している。おにぎりや小さなカップ麺、甘い菓子パン、レトルト食品などを買うことが多い。今の山小屋は生ビールや生ケーキ、焼き鳥、煮込みなどとメニューも豊富。個室にベットの部屋もある。時代が変わるっていいと思うが、やっぱりお金がないとネ!? また、簡単飯は山好き以外、渓流釣り好きも簡単に済ますことが多い(こちらは釣り時間が大切だから)。でも、山から下りてきて、テントを張り30分ほどで飯も終わり、近くのキャンパーの焚き火の網からいい香りがすると、本当にうらやましくてしょうがなかった。ぽーさんの文章で思い出した山メシの話でした。ちと湿気の含んだ風が吹く日です。

written by Keiji

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