2013年8月17日土曜日

師匠と弟子がくるくると入れ替わった懐かしい時代

 本日は珍しく朝から一日中ジャズを聞いておりました。私がジャズを聞くようになったのは、ここ10年ぐらいのことであります。それまで聞くのはロックとブルースだけでありました。若い時にはそれでもいいのですが、齢を重ねてまいりますと、まだブルースは良いとしても激しいロックは、長い時間は疲れて聞き続けるのがつらくなる時があります。やはり、ここらでジャズなんていうジャンルに手を出すべきではないかなどと考えていました。しかし、取っ掛かりがありません、どこから入っていけばわからないのでありました。誰か身近にジャズを趣味にしている人でもいれば取り敢えずその人を師匠にして擦り寄っていくのが一番簡単なのです。しかし、残念ながら私の周辺のどこを見渡しても、ジャズを趣味にしているような人は一人として見当たりませんでした。
 師匠は以外なところから現れました。それは私の一番上の息子、すなわち長男でありました。それまでは、自分で購入したロックとかブルースのCDを貸してくれていましたが、ある日から、コツコツとジャズのCDを買い集めて私に聞けと持ってきはじめたのです。
 私にとっては渡りに舟でありますから、そのたびにパソコンに蓄積していきました。今では相当のジャズの曲数が入っています。それから時々長男からジャズといわず音楽全般のレクチャーを受けることになりました。音楽に関しては長男が私の師匠筋になってしまいました。実際口にだして云わないけれども、感謝しているのです。素晴らしい世界をひとつ私に与えてくれたわけでありますから。
 いいんです、自分より優れたものを持っている人は、たとえ息子であろうと、妻であろうと、年下であっても女の人でも年を召した人でも、私にとってはすべて師匠なのであります。



 ふと、これまでの自分の師匠という存在を考えてみました。もっとも私の師匠は自分が勝手にそう決めてしまっているだけの話でありますけれども。
 一番面白い師匠はパソコンの師匠であります。私がパソコンにのめり込んでいった時は、まだパソコンの出始めてあり、パソコン教室なるものはありませんでした。数少ない専門誌を、難解なコンピュータ用語を理解できないまま読み漁って手探りで覚えるしかない時代でありました。
 だから、ちょっとでも自分よりも知識がある人はすぐに師匠でありました。そして私も誰かの師匠にもなれました。しかし、その師匠と弟子の関係は頻繁に逆転した時代でもあったのです。私が弟子に対して何かを教えたとします、でも一週間後には、弟子であった人があらたな技術を覚えてきて、私に教えてくれたのです。
 あの頃はみんなパソコンの技術や知識に対して貪欲であったし、真摯でもあったと思います。だからあの頃に知り合った仲間とは今でも付き合いがあります。あれから、それぞれの使う言語やツールが違っていきましたけれど、いつも心のどこかに戦友でもあり同士なんだという気持ちがついてまわっていることも確かであります。

これをアップしてから貼り付けたアマゾンのCMバナーを何気なく見ていたら、ロープライス¥1となっているではありませんか。そうか中古であれば1円で買えたのか。このアルバム結構気に入っているのですが、CDが1円ってのは初めてですね。中古本は1円で結構購入していますけれども。
ただこのバナーも変化しますから、1円というのは私が貼り付けた時点だけの話ですからね。売れ切れてしまえば、3,692円で購入するしかないでしょう。しかし、驚いたよね。

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