偶然に我が家の愛犬だった「ジョン・F・セバスチャン・万次郎」の写真を見つけたので、なんの意味も無いけどここに掲載しておこうと思った。
この写真はなんだか瞑想しているようだな。そうか万次郎は瞑想犬だったのかも知れない。迷走犬というのは結構多いが瞑想犬というのはなかなかいないよ。
娘が小さかったころにこのジョン・F・セバスチャン・万次郎を散歩に連れていって見知らぬおばさんから
「あら!かわいいワンちゃんね。名前はなんていうの?」と問われて、たどたどしい口調で
「じょん えふ せばすちゃん まんじろうでーーす」とやって大爆笑になったことは一度ならずもあった。
懐かしい思い出であります。
この犬は私が江戸川を散歩していた時に偶然に見かけて、
「おい、おまえノラか?」
「・・・・・」
「オレンチについていくか?」
と、問いかけたのでした。
そして、私の前を歩いて時々振り返って私をみるものですから
「そこを右」だの「左」だのと冗談のように命令して歩いていたら、本当に家まできてしまったのです。これは本当に本当の話です。(なんかいつも嘘書いているみたいだな)
しかし、犬に右左がわかるのかな。人間の知り合いの牧ノ原なんていうのは、車にのっていて、どっちに行くのと問うと右左逆の指示をするときがあるかならな。
「牧ノ原くーーん。君がごはんを食べる時に箸を持つ手が右だよ」
なんていちいち教えなけりゃあならないんだから。
人間の知り合いの牧ノ原君と比較しなくても、つくづく賢い犬だったと今更ながらに思います。車が大好きで何時間車の中にいても嬉しそうにしておりました。良くキャンプだとか実家への里帰りだとかには連れていきました。
嗚呼そうそう、雷が極端に恐い犬で、遠くの方で少しでも雷鳴がなると、もうパニックになってしまって、下駄箱の下とかどこでも潜り込めるところがあれば頭だけでも隠そうと潜り込んで震えていました。日頃はかなり賢い犬なので、その姿が情けなく思われ「おい、お前犬だろ。そんなんじゃ恥ずかしいではないか」と一生懸命正しい犬に矯正しようと努力しましたが最後までダメでした。考えて見れば犬だろうが人だろうが牛だろうが恐いモノは恐いのであり、正しい犬のありかたなんて、私が勝手に思いこんでいたに過ぎないので、彼にとっては迷惑このうえない話だったのかも知れません。
今は玄関の脇にあるログハウス風の犬小屋の中にジョン・F・セバスチャン・万次郎の姿はありません。
犬を飼うというのは結構大変なことであります。何が大変かというと朝夕2回の散歩であります。これをやらないとウンコ・オシッコを絶対にやらないのです。自宅からかなり離れないとそのまま我慢をしてしまいます。それを見て見ぬふりはできませんからしょうがなくて散歩に出なくてはいけません。
ビニール袋と移植ベラを持って出かけます。これを持ってないとイチャモンをつけてくる馬鹿がいるのでしょうがありません。一日や二日の話だったらいいのですが、一日に最低2回一回40分以上を365日やりつづけなければいけません。
良くやり続けたなと感心してしまいます。今はそんな元気は失せてしまって、もう生き物を飼うつもりはない。
万次郎 お前の写真載っけてやったからな。
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